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2009年1月16日 (金)

龍馬の放胆

 龍馬は自分の命についてどのように考えていたのであろう。
 彼は土佐藩を脱藩後、土佐藩が脱藩の罪を許し(龍馬からすれば龍馬は天下の龍馬であり、土佐藩が許すというのは片腹痛いというところであったろうが)、土佐藩邸にいるように言われても京都市中の普通の家屋でぶらぶらしていた。

 寺田屋で襲われた後も、彼の妻であるおりょうと手をつないで河原町通りを歩いていたというのである。さすがに薩摩藩士が見かねて、幕府の目もあることだからと言って連れ帰ったということであるが、自分に天命がある以上死なないと思っていたのか、幕府の目を恐れて戦々恐々としている風情では大事をなせないと思っていたのか。その心境はわからない。
 当時の河原町通りは、今私の事務所がある近くの南北の広々とした通りではなく、人が2人歩くといっぱいいっぱいであったというから、人目につくことは今とはちがったであろうが、それにしてもその放胆さは比類がない。
 京都に数多くいた肩で風を切って歩いていた勤王志士も、通りの向こうから新撰組が歩いてくるのを見たらみな蜘蛛の子を散らすように細い路地に逃げ込んだのとは大違いである。
 龍馬は千葉秀作の弟の道場で最強の男であり、桂小五郎も龍馬に試合でやられたことがあるので、相手の方も龍馬に対して斬りかかるには相当の覚悟がいったであろうが、それにしてもその放胆さには恐れ入る。
 そのような肝の太さがなければ、幕末の薩長同盟や大政奉還の絵は描けなかったということであろうか。
 口の悪い勝海舟も、「明治維新は龍馬が1人でやったことさ」という趣旨のことを話しており手放しで誉めている。
 私などにはほど遠い放胆さである。

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