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2009年4月14日 (火)

本格推理小説の条件

 私は推理小説好きであるが、基本的には「本格」推理小説が好きである。
 この本格推理小説というのはいわゆる古典的な推理小説がこれにあたり、犯人は最後で指摘され、探偵又は探偵役が、謎解きをしてクライマックスというタイプであるが、犯人が誰かというところを最後に描く前に、探偵又は探偵役と、読者とは全く同じ情報を得ていて、その上で探偵役はその同じ情報から犯人を暴き出すというもので、作家からすると大変書きづらいことになる。
 事件の解決は論理的である事が必要とされ、手かがりは全て最後の謎解きまでに読者の前に出しておく必要があり、犯人は小説の前半部分で登場している人物であることが必要である。フェアプレー精神が必要なのである。トリックがあまりにも奇抜すぎるものは、再現不可能ではないかと思われるので論理性を欠くのではなかろうか。
 また、心霊現象・超常現象や自然現象による犯行はフェアではないので本格では不可である。
 エラリー・クイーンは、最後の謎解きに入る前に、読者に対して挑戦的な言葉を入れていることがある。私の好きな横溝正史も本格である。
 全ての条件が示されているからこそ、最後に「アッ」と驚かされ、痛快な読後感があるのである。

 まあ別段小説として枠が決まっている訳ではないのであるが、本格推理小説と銘打ってて宣伝されている作品の中に、たまにこの約束事を破っている作品がある。出版社の方も宣伝をする際にそこまで知識がある人が宣伝している訳ではないであろうから、仕方がないのかもしれないが、もっともひどいのだと、小説の終わりにさしかかって突然今まで陰も形もなかった共犯者が現れて、「実はこうでした」というものがあったり、犯人自身が最後の方で突然登場するのもある。こんなのははっきり言って少し筆が立つ人であれば、最後の方でどうにでも出来るから誰でもかけるのであり、卑怯な気がするのである。
 一つの小説のあり方として、それでもいいではないかという声もあるであろうが、「本格」と銘打って最後の方で共犯者が…というのでは読んでいて最後に「ドヒャー」となってなんて無駄な時間を過ごしたのかと思う。
 私はやはり「本格」推理小説が好きであるので、それ以外は読んでいて、物足りないのである。

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