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2015年1月29日 (木)

読書日記1月29日

「宇喜田秀家 備前物語」文春文庫。津本陽。
 読書日記は1冊だけなのであるが、なぜこの1冊だけかというと、文庫本だが700頁ほどあったからである。
 関ヶ原の戦いで西軍に属した宇喜多秀家が主人公であるが、物語は秀家の祖父から始まる。稀代の謀将と言われて主家の浦上家をのっとり備前の覇王となった父宇喜田直家の活躍を描き、秀吉の下で華々しい生活を送る秀家を描き、そしてラストで物語は関ヶ原に突入する。
 関ヶ原の戦いの結末は誰しも知っているので歴史が変わる訳ではないが、西軍がこの時こうしていれば、なぜそうしなかったのかともどかしい思いで読み続ける。
 宇喜多秀家は、戦後、島津家で養われていたが、徳川幕府の知るところとなり、久能山で軟禁生活を送る。しかし、徳川と豊臣の関係が悪化したことから、八丈島に流され、そこで80歳を過ぎて死んだ。

 池波正太郎の書いたものには、八丈島に流れ着いた福島正則家中の船が酒を積んでいたところ、宇喜多秀家がボロをまとい出てきて酒を所望したので憐れに思い後でとがめられるのも恐れず、その家臣は酒を秀家に与えたとあり、これを聞いた福島正則は家臣をとがめるどころか褒めたという逸話が残されている。八丈島での暮らしはわびしいものであったろう。
 津本作品の中でも、秀家が借入を申し込んだ書面が残されていると記載されている。


 徳川家光の時代に宇喜田一族は赦免されたが、八丈島の宇喜田一族は八丈島から戻ろうとせず、彼らが本土に戻ったのは、明治維新後に赦免されてからであった。徳川には屈っせず、徳川幕府が滅んだ後に本土に戻るというところに彼らの気骨を感じる。
 また、秀家の妻は前田家の豪姫であったが、前田家からは、明治維新まで270年間、宇喜田一族に米などを送り続けた。また、明治維新後、宇喜田一族の生計が成り立つようにしたのも前田家であった。
 そして、当初幕府は宇喜田一族に届け物をすることを認めなかったが、豪姫が家臣に託した思いを知った幕府が届け物をすることを認めたとある。

 不覚にも、270年間も贈り物を贈り続け、明治維新の際にも宇喜田一族の身が成り立つようにした前田家の義理堅さを知り涙が出た。今の世の中にこうした義理堅さは残っているだろうか。
 宇喜多秀家の人生は悲劇であったが、前田家とのつながりを最後に知ることで、温かい気持ちになれた一冊である。

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