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2017年8月18日 (金)

読書日記「サザンオールスターズ1978-1985」

 新潮新書。スージー鈴木。
 私自身サザンファンであり、来年サザンがデビュー40周年であるので、おさらいのつもりで買ってみた。

 知らなかったエピソードや、世間の評価が桑田さんの本当の偉大さに比べて低いことを嘆いており、筆者がサザンが本当に好きなのだということが分かる。
 桑田さん、あるいはサザンは今でこそ出す曲出す曲ヒットを飛ばすが、デビューして爆発的に売れた後、売れなかった時代がけっこうあり、その頃のサザンについても詳しく書かれている。
 アルバム一つ一つの曲に対して☆をつけていっているが、これは要らなかったなあと思っている。
 今でもサザンのコンサートでよく歌われる歌が☆が低かったり(ということは、桑田さんにとって、☆は高いということ)、私からすると「これは違うだろう」という☆もある(多分サザンファン1人1人違うと思うが)。
 一曲一曲思い出して、またサザンの昔のアルバムを聴きたくなるという意味ではいいのだが。
 売れた枚数も掲載されており、栞のテーマは名曲だと思うのだが、当時は4万枚程度しか売れていなかったということにも驚いた。
 新曲を出しても、往年の名シンガーやバンドの歌が売れない時代に、ソロでもバンドでも今も売れ続けている桑田さん、サザンはやはり、天才、すごいとしかいいようがない。
 数年前、紅白歌合戦で、コンサート中継の際の紫綬褒章問題等で桑田さんは批判されたが、この本を読んでいると、「確かに、サザンは昔からムチャクチャやってたよな」「サザンのムチャクチャは、今に始まったことではないよな」「これがサザンだ」ということも思い出されて楽しい。
 サザンファンのみなさん、是非ご一読を。

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2017年8月17日 (木)

会合の支払額の傾斜配分

 会合で、若い弁護士がいる場合、22年弁護士をしている私の場合、上の期の方で全額出して、若い弁護士には1円も負担させないことが多い(うちの勤務弁護士にも同じ)。

 故酒見先生は、勤務弁護士と食事に行くと、お昼は各自に出させたそうだが、夜は全額出してくれたそうである(その違いが分からないが)。私は昼も夜も事務所の弁護士と行くと全額私が出すし、複数の会合の時も事務所の弁護士分は私が負担する。
 傾斜配分する場合に、中には、「いくら若くても弁護士なのだから、平等に支払わせるべきである」という考え方を持つ人もいるし、「ゼロはダメで、少しでも負担させるべきである」という意見を持っている人もいる。
 面倒なので、そういう場合には、出さない人の分は私が出して処理しているが、これはいろんな考え方があるので、私のようにしているのが正しいとはいえない。
 修習生の頃、さんざん指導弁護士におごってもらい、弁護士になっても若い頃は、「ここの支払は誰がしているんやろ」と思っていた(目上の先生が全て出してくれていた。ただし、誰におごってもらったか忘れた。)。
 その頃のありがたみを忘れまいと思い、若い先生や修習生には、負担はなしか、あるとしてもほんの少額にするようにしているし、誰に出してあげたかまでいちいち覚えていない。
 修習中に、「あの時おごってあげた」という実務家がいて、飲む度に言われるので、そんなに言われるならアンタとは行きたくないわと内心思っていたので、あの時出してあげたなどは覚えておく必要もないし、いう必要もないと思っている。

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2017年8月16日 (水)

町中にて

 人のポーズというか、仕草は大事であり、スマホや携帯電話を耳にあてて話をしていると、「電話で話しをしているのだな」というのが分かり何とも思わない(ただし、周囲に大声で、「オレ、しゃべってんねん」みたいな感じで話をするヤカラは話に夢中になってどぶ川にでも落ちて、ゴミまみれになればいいのにと思うが)。

 最近、町中で普通に歩いている人が1人で話し出すという場面があり、精神的に病んでいる人ではなかろうかと思うことが多いが、そういう人はたいてい耳に何かつけているのである。ブルートゥースで耳のところのイヤホン(マイク内蔵)で、電話をしているのである(そんな文明の利器は私には必要ないが)。
 ハンズフリーで便利なのだろうが、人の仕草というのはその仕草で何をしているか周囲が認識しているということもあるので、あれは本人は何とも思わないかもしれないが、独り言をブツブツいいながに歩く人であると思われる覚悟が必要であろう。

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2017年8月15日 (火)

読書日記「ニホンオオカミは消えたか?」

 旬報社。宗像充。

 ニホンオオカミは絶滅したというのが一般的認識であるが、生き残っているという目撃談や遠吠えを聞いたという報告も多い。
 秩父野犬と名付けられたオオカミに酷似する写真は有名であるが(今泉博士という方がニホンオオカミの生き残りの可能性ありとしている)、そのほかにも九州で撮影されたオオカミらしき写真もある(いずれの写真もこの書籍に掲載されている)。
 著者は、ニホンオオカミと呼ばれるオオカミの実像が実は話をしている者によってあいまいであることや、日本には実は「オオカミ」と山犬と呼ばれる二種類いた可能性も示唆する。
 何と、シーボルトが、二種類飼っていたという記録もあるのである。
 ニホンオオカミは固有種ではないとして、日本にオオカミを放せば生態系が維持されるという説があるが、本当に同種なのかという疑問もこの書籍では呈される。
 実はまだ読めていない本として、「オオカミが日本を救う!」(白水社、丸山直樹著)という本があるのだが、その本も後日読んでオオカミについての知識をさらに深めたいところである。
 この中で出てくる秩父野犬を撮影した八木氏は、フィールドに撮影機を多数しかけて、ニホンオオカミの生存を証明しようとしている人である。NPO法人ニホンオオカミを探す会を立ち上げ、週末にオオカミを探しに出かけられている姿が描かれている。
 秩父野犬の写真を見たい方は、NPO法人のホームページで鮮明にみることができる。
 そして、筆者も犬とは違う、「秩父野犬」を目撃するのである。
 面白すぎる一冊であり、絶滅という国の定義のあいまいさなども含めて(ニホンカワウソも高知では未だに目撃されているらしい)、私としては、ニホンオオカミが今も日本の山奥で生き残っていると信じたい。
 そして、人間の業の深さを思い知らされる一冊でもある(六度目の大絶滅、NHK出版。エリザベス・コルバート著、を書籍を読んだ時と同じ思いである)。
 しかし、人間の業の深さの中、生き残っていてくれれば、これほど嬉しい話はない。
 時間があれば、私もニホンオオカミを探しに出かけたい、そう思わせられる一冊であり、一読の価値ありである。
 読書の楽しみを教えてくれる一冊。

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2017年8月14日 (月)

身体もフワフワだワン

 普段は服を着ているので分からないのだが、服を脱ぐと身体もけっこうフワフワな小次郎(二代目)である。

 この時は何故服を脱いでいるかというと、台風が来ているので事務所を早く閉めて帰った時に、けっこう雨が降り出して風もきつくなっていたのであるが、小次郎は雨風では散歩はやめないので(初代は雨が降っていると玄関で見せてやると、濡れるのが嫌なようでトコトコと家に入っていった)、ずぶ濡れとなったため、服を乾かしているからである。
 私も当然ずぶぬれとなったが、小次郎のためなら仕方がないのである。
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2017年8月10日 (木)

お盆休みについて

 毎年、お盆は休まれるのですよね、と依頼者から聞かれるが、独立してから事務所はお盆の間もずっと空いている。

 弁護士、事務局が交替で休みを取るのである。
 弁護士が複数になった以降は、誰か事務所にはいるようにしている。
 お盆の間に依頼者に突発的な事項が起こって、連絡を取りたい場合もあるだろうし、急ぎの依頼案件があるかもしれないためである。
 また、事務局としても、旅行などに行きたい場合、お盆期間は旅行費用が高いので、自分で好きなところで休みを取る方がいいだろうという考えもある。
 私もお盆は一部休むが、ずっと休むということはない。日弁の法律相談センターでご一緒させていただいている大先輩の石垣島の弁護士からは、「休まないと保たないよ」と先日話をしていただいたが、これで22年やってきているので、仕方がない。
 私の知る周囲の弁護士(京都の弁護士はだいたい知っているが、酒見会という。故酒見先生のところで勤務弁護士をしていた弁護士やその弟子達のいわば血縁の会で、入りたくても血縁がないと入れない。)は大体こんな感じなので、そんなものかと思ってやっている。
 何より、さほど裁判が入っていないので、仕事ができるのが嬉しいところでもある(こういうところがワーカホリックであかんと石垣島の先生には言われそうであるが)。
 世間は三連休であるが、どこで出てきて、多少仕事をしようと思っている連休前のひとときである。

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2017年8月 9日 (水)

読書日記「イブの迷宮(上)(下)」

 竹書房。ジェームズ・ロリンズ。

 Σフォースというアメリカの秘密機関の活躍を描くシリーズの最新作であるが、この作者がすごいところは、物凄い取材と調査を重ねて科学的である上にフィクションを構築するところである。
 本作では、突然現世人類が文明化したのはなぜかというところに焦点をあてて、それはネアンデルタール人と現世人類が交雑した時に生まれた交雑種がスーパーヒューマンであったのではないか、という説から、アダムとイブのイブは、そのスーパーヒューマン(作品の中ではそういう言葉は使われていないが)ではなかったかというところから物語が全世界を巻き込んで展開する。
 先日読んだ「猿神のロストシティー」の発見もいち早く取り入れられており、最後まで知的好奇心と小説の醍醐味を味わえる2冊であった。

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2017年8月 7日 (月)

ウサギも僕のだワン

 小次郎(二代目)のお気に入りのオモチャの一つ、ウサギちゃんである。

 これを投げて欲しいので、持ってきておすまししているところである。
 涼しいところで、ウサギとたわむれる小次郎である。
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2017年8月 4日 (金)

読書日記「村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事」

 中央公論新社。村上春樹。
 村上春樹は優れた翻訳家であり、多数の小説を発表する合間に翻訳を手がけている。

 その翻訳のほとんど全仕事を掲載した一冊で、それぞれに一言ずつ村上春樹の思いが書かれている。
 また、翻訳家の柴田元幸氏との対談も掲載されている。
 よくこれだけの仕事ができると思うのだが、村上春樹によると、翻訳と小説を書くのは頭の使うところが違うようである。経済的にはペイしない翻訳作業をなぜするのか、翻訳の魅力についてたっぷりと書かれた一冊。
 どちらかというと、私は村上春樹は小説よりも翻訳の方が好きである。
 村上春樹の偏愛ともいえるチャンドラー愛を感じるためであるかもしれないが。
 これを読んでいると、「この作品も読みたいな」「あっ。これも良さそう。」などと思ったが、直ぐに本を発注するため、読んでいない本が500冊くらいまだあるので、注文するのを我慢した次第である。
 早くチャンドラーの未翻訳の「レイディ・イン・ザ・レイク」を翻訳して欲しい。
 チャンドラーの新訳が出たら、他の本はいったん棚上げにして、村上春樹訳を読むのである。
 

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2017年8月 3日 (木)

京都駅にて

 京都駅は人が多い。外国人観光客や夏休みに入り旅行に来た日本人観光客もいるし、当然ビジネスでの移動の方もおられるので、混雑している。

 混んでいる京都駅で、子どもさんを二人連れておられ、両手に1人ずつ子どもさんと手をつないでいる母親が居たのであるが、非常に混んでいる駅の中で、子ども達はそれぞれ手を一杯に伸ばして歩いているので、非常に横幅を取る状態で歩いていた。
 見ていると、当然、通行している人の邪魔になり、より混雑を引き起こしていた。
 中にはその母親をにらむビジネスマンもいたのだが、逆にその母親はにらみ返していた。話をしている言葉からすると、日本人である。
 暑い中、子どもさんを2人連れて歩くのは大変だろうし、子ども達が出かけるということで、テンションが上がり、横一杯になって歩いてしまうというのも分かるのだが、非常に混雑している駅であるから、やはり子どもさんと手をつなぐのは当然としても、自分の近くに来るように(叱るまではいかくなくとも)言って、せめて幅を取らないように歩けないものかなあと思って見ていた。広いところで広く歩けばいいのである。
 昔はああいうことをしていると、頑固親父のような人によその子でも叱られたものであるが、今はそんなことを下手にすると、親からキレられるということもあるから、中々みなよその子を叱ることもしないであろう(私もやはり敬遠してしまう。)。
 歩きスマホ同様、他人に迷惑をかけていても、自分がよければそれでよいというのは、少し違うのではないか、と思う真夏の1日であった。

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2017年8月 2日 (水)

夏休みの宿題

 7月下旬から8月下旬まで、裁判所は2週間ずつ交代で夏休みに入るので、裁判も半分になるため、少し身体が空くようになる。
 しかし、ここで油断していると、直ぐに9月がやってきて、そこで提出期限の書面などが多数あり、慌てるのである。アリとキリギリスではないが、この裁判所が夏休みの間にこそ、弁護士も書面をせこせこと書かないといけないのである。

 ここでこれまで書けていなかった訴状や調停申立書を作成し、9月に提出する予定の書面を起案し始めておくとラクである。
 小学生の頃から、夏休みや日常的に宿題が出ていたのは、社会人になっても〆切りがあり、結局同じようなことをしなければならない予行演習だったのである。
 弁護士の中にはキリギリスのような人も当然いて、夏休みの間、ノホホンとしているので、大丈夫かなと思っていると、9月に入り、「できてない」「できてない」とワタワタし出したりする。
 キリギリスは確か冬になり死んでしまったが、弁護士は事件を引き受けた以上やらないといけないので、今のうちにやっておかねばと思う今日この頃である。
 

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2017年8月 1日 (火)

読書日記「山窩寄談」

 三角寛。河出書房文庫。

 漂流の民とされるサンカについての実話録という内容とされているが、解説では、三角による創作の可能性が強く示唆されている。
 実際は小説だというのである。
 真偽はともかくとして、読み物としてはめっぽう面白く、グイグイと物語の中に引き込まれていく。
 隆慶一郎の作品の中にも、こうした人々がたくさん出てくるが、その実体はどうであったのかと思いを馳せるのには適当な一冊である。

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