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2018年6月29日 (金)

研修

 今年度の夏期研修案内が来た。

 弁護士会で実施される新法の研修や、義務的研修以外の研修は担当責任者でもない限りほとんど出ないのだが、近弁連の夏期研修は、裁判官が講師をする研修がだいたい入っているため、裁判官の話は聞きに行くようにしている。
 判決を書く裁判官の思考や、どういうところを見ているかを知ることは有益だからである。

 日弁連でもe-ラーニングが整備されており、ネットで過去の研修を見られるのであるが、研修というものは、やはりその場に行って聞かないと、事務所で視聴していてもどうしても他に気が取られることがあったりして、少なくとも私は後から見るということをしないので、いい研修は現場に行かないといけないと思っている。
 今年度は離婚訴訟についての研修であったが、残念ながら調停が入っていた。
 うちの事務所の他の弁護士に研修に行ってもらって、レジュメとどういうところを話されたかを聞くしかない。
 勉強しない予感でいっぱいであるが。。。
 暑くなってきて、6月も早くも終わり、1年の半分が経過しようとしている。
 後半戦で少しでも成長できるよう、頑張りたいものである。

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2018年6月28日 (木)

読書日記「中世ヨーロッパの騎士」

 講談社学術文庫。フランシス・ギース。
 中世ヨーロッパの騎士の実像について、史料を丹念に精査して描き出した一冊。
 さすが学術文庫である。

 騎士の成立から、騎士の変容、現実に生きた著名な騎士の人生についてコンパクトにまとめられている。
 間違いなく、私のようなマニア向けの一冊であり、一般受けはしないかと思われる。

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2018年6月27日 (水)

読書日記「月と6ペンス」

 新潮文庫。モーム。
 40歳を過ぎてから少しずつ世界文学を読んでいるのだが、これも名作であると言われているのに読んだことがなかった。
 ゴーギャンをモデルにした絵描きが主人公である。
 彼を知る人物の口を借りて、主人公の生涯が語られる。

 主人公はある日家族を見捨てて、自らの才能を信じて極貧生活の中で絵を描くことに没頭する。周囲の人生を破壊しながら、絵を描き続ける彼の心の闇とは一体どこにあったのだろう。

 小説はくだらない、時間の無駄という意見もあるが、想像の力、物語の力を教えてくれる作品であると感じた。
 長年読み続けられる作品には、それだけの力があると感じさせてくれる作品である。

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2018年6月26日 (火)

トマト

 庭のプランターでトマトも育てているのだが、プチトマトと間違って普通サイズのトマトの苗を買ってしまったため、中々赤くならない。

 いくつも大きめのトマトが成っているが、梅雨の時期でもあり、なかなか熟さず、収穫ができないのである。
 プチトマトだとすぐに熟すので、来年は間違えないように買おうと思う今日この頃である。
 後ろにはネギもあります。
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2018年6月25日 (月)

すねてる感じを出してみたワン

 腕に頭を乗せて、少しすねてる感じの二代目小次郎である。

 朝から遊びすぎて、疲れているだけで、すねている訳ではない。
 このあと、また復活して機嫌良くしていたのである。
 夏至が過ぎましたが、今週も1週間頑張っていきましょう。
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2018年6月22日 (金)

スイカ

 昨年いくつか割合甘いスイカができたので、今年も庭のプランターでスイカを作っている。

 2つほど、大分大きくなってきた。
 父親が、スイカが落ちないよう、傷つかないよう、ネットで保護してくれたようである。
 甘いスイカができるとよいのであるが、さてどうであろうか。
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2018年6月21日 (木)

読書日記「未来の年表2」

 講談社現代新書。落合雅司。
 未来の年表を読んで衝撃を受けたのだが、その続編ということで購入。
 これを読んでいると、年金は絶対にもらえないだろうし、長生きしても仕方がないという気にさせられる。
 人手不足という声が聞かれるが、人手不足ではないどころの騒ぎとなることは間違いなかろう。

 ネット通販も、それを運んでくれる人がいるから成り立つのであるが、どこまで現在の状況が続くのか、暗澹たる気持ちにさせられる一冊である。 
 ただ、知っておかないといけないので、一読をお勧めする。

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2018年6月20日 (水)

意識しないで予定を入れた結果

 意識しないで予定を入れた結果、先週の金曜日は名古屋に泊まりで会議、19日は東京で訴訟、22日は泊まりで仙台で会議、25日は終日東京で日弁の会議、27日は尋問に出ないといけないという状況となっている。

 常々若手に、「先を読んで予定を入れるべし」と言っているのだが、お恥ずかしい状況である。
 この間を縫うようにして、準備書面やら書いているので、現時点でかなり疲弊している。
 そして地震で交通機関のマヒである。
 弱り目に祟り目とは、昔の人はよく言ったものである。
 地震でお亡くなりになられた方には、心からお悔やみを申し上げるとともに、これ以上災害が起きて欲しくないと思う日々である。

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2018年6月19日 (火)

読書日記「サハラに死す」

 ヤマケイ文庫。上温湯隆。
 サハラ砂漠をラクダで横断しようとして、サハラ砂漠で亡くなった著者の物語である。
 著者の日記から構成され、亡くなった以降は編者が時系列でその死を描いている。

 何度も死にそうになりながら、無謀な計画で、たいした装備もなく、なぜ彼はサハラに向かったのだろう。
 彼の死は多くの若者に衝撃を与え、その後サハラを目指す者も多数出て、そうした若者からはバイブルとされた。
 彼の踏破距離は当時では考えられない距離であった。
 私は冒険に出ようとは思わないし、過去にしたこともないが、こうした作品を読むのは好きである。
 自分ではできないことを、現実に行った人の記録を読むことで足りないものを埋めているのかもしれない。
 願わくは、著者がサハラ砂漠を横断した記録を読みたかった。

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2018年6月18日 (月)

リラックスしてるワン

 口を少し開けて舌を出している表情は、犬がリラックスしている表情だそうである。

 ある日の二代目小次郎であるが、そんな顔に見える。
 梅雨で雨が多いですが、今週も頑張っていきましょう。
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2018年6月15日 (金)

ジュリーになった私

 先日、サッカーでボールを持っている敵の内を切った。普通は内を切ると、縦に蹴るか、後ろに戻すしかないのである。

 しかし、相手の選手はなぜか私を目がけて蹴ってきたのである。普通はしないプレーなのだが。
 とっさに左に避けたが、避けきれず、右目にまともに当たってしまった。
 避けなければ、鼻にまともに当たっていたであろう。
 これを書いている時点で、まぶたが紫になっており、昔のジュリーのようである。
 以上です。

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2018年6月14日 (木)

読書日記「アンデスの黄金」

 上下巻。扶桑社ミステリー。ジェームズ・ロリンズ。
 アンデスで発見されたミイラの頭部に詰められていた未知の物質の正体は何か。

 ミイラが掘り出された遺跡は爆破され、発掘に携わっていた学生達は地下に閉じ込められてしまう。黄金のヘビとは。悪魔の血と呼ばれるものの正体は何か。
 インカの神話に基づいて物語はどんどん展開する。
 筆者は神話と科学を融合させて物語を展開する超一級のエンターテナーであり、映画のような展開と知的好奇心を満たしてくれる。
 時々はこうした息抜き的作品を読まないと、読書も重いものになる。
 インディージョーンズ的な話が好きな方にはお勧めである。

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2018年6月13日 (水)

読書日記「裸足で逃げる」

 at叢書。上間陽子。

 沖縄の夜の町で虐げられて、それでも強く生きていく少女たちの物語である。ノンフィクションである。

 筆者は、夜の町で働く少女たちからヒアリングを行い、この本を書いた。
 
 壮絶過ぎて、読んでいて心が痛くなるエピソードも多数である。
 多くの女性は早すぎる結婚をして、離婚していたり、未婚のまま子どもを産み、父親からは養育費をもらえていない。子どものために、無理をして夜の世界で働く少女たち。
 重度の障害を負う子どもと生きて行く少女。男性から重度の暴力を受ける少女。
 深い闇に閉ざされたような世界で、しかし、少女たちは生きている。
 筆者自身が判断をすることなく、ただひたすら少女たちの話を聞き、そしてそれを記録した。
 これは、もっと世に知られていい一冊である。
 

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2018年6月12日 (火)

子殺しと量刑

 漢を建国した劉邦は、項羽に敗北して逃走する際、馬車に乗ろうとした子2名を馬車から蹴り落としたことがあった。夏候嬰という武将はこれに気づいて子を拾い上げ、劉邦は蹴り落とすことを3回繰り返したという。

 儒教においては、子は親を生かすために、むしろ自ら馬車から降りないといけないとされるので、劉邦の行動は親としては当然ともされる。確か、司馬遼太郎の項羽と劉邦(新潮文庫)で司馬がそのように述べていたぼんやりした記憶がある。
 子は枝葉であり、幹である親が生きている限り子は生まれるが(現代日本ではそうも言えないが)、親が死ねば子は生まれないからである。
 保護責任者遺棄致死罪、あるいは子に対する傷害致死、子殺しの量刑が軽いのは、こうした江戸時代の儒教の影響が未だ残っている可能性があるのではないかとも思われる(元々尊属殺人の法定刑が重かったのも同様の流れであろうと思っている。違憲とされたが。)。
 調べた訳ではないので、あくまで私の個人的考えであるが。
 親族の間の殺人の場合、被害者参加がされる事件もあるだろうが、子殺しの場合、その子の無念さや親の理不尽さを、遺族として法廷で伝える役割をする者がいない場合も多いのではないか、と思われる。
 配偶者の一方が他の配偶者が知らない間に殺めてしまったような場合は、犯人ではない配偶者が被害者参加する可能性はあり得るが、両方の親が子殺しに関わっているか、積極的に加担せずとも静止することもできなかった場合は、被害者参加することもないであろう。
 孫がかわいかった祖父母の参加はあり得るかもしれないが、犯人は自分の子であるとすれば、これもあまり期待できないように思われる。
 亡くなった子どもの声は、誰が裁判官に伝えられるかというと、検察官しかいないことになるが、裁判官に直接被害者からの被害感情の峻烈さが伝わらない、伝える術がないという事件では、それが量刑に響かないということもあり得るような思いでいる。
 遺族がいないか、あるいは居たとしても前述のような理由で、被害者である子のために裁判官に伝える者がいない事件では、依頼者がいないことから、被害者支援をする弁護士としても義憤にかられることがあったとしても、できることがない。
 また、女性に連れ子がいる場合では、女性の中には母であるよりも女であることを選択してしまい、男性側についてしまう場合もあるようにも思う。
 離婚事件でも、時に母であるよりも女であることを選び、子を捨てて不倫相手の男性の下に走る事件を今まで幾たびか見てきた。
 子どもは親が大好きである。どんなに虐待されても、親からの愛情に飢えている。
 目黒で5歳の子どもが虐待され死亡した疑いで両親が逮捕されたが、心からこのお子さんの冥福を祈るとともに、わずか5年で死ななければならなかったその事実に心が痛み続けている。

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2018年6月11日 (月)

挟まれたワン

 足の間に入ってきたので、挟んでやったのだが、特に慌てもせず、挟まれたままでいる2代目小次郎である。

 梅雨がやってきそうですが、今週も頑張っていきましょう。
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2018年6月 8日 (金)

依頼している弁護士を断るということ

 過去に、犯罪被害者支援事件で、私が受任するまでに何人かの弁護士を依頼してきて、自らその弁護士を断られてうちに来た方がおられる。
 過去の弁護士がしてきたことを見ていると、「本当に犯罪被害者支援事件がどういうものかわかっているのか?」「どうしてこんな間違った事件処理やアドバイスをしたのか?」ということに出会うこともある。もちろん、弁護士の対応におそらくは問題はなかったが、依頼者との信頼関係が構築できなかったこともあるとも思うので、全てがそうだとは言えないが。

 犯罪被害者支援事件は特殊であり、私にも被害者の方はご不満を抱かれていることもあるであろうが、犯罪被害支援に20年程度関わってきているので、これでもマシな方ではあるだろうと思っている。なので、ここ最近は、その特殊性を知らない弁護士が、犯罪被害支援事件に関ろうとしないで欲しいと思っている。
 刑事事件の被害者参加然り、検察官との折衝然り、民事訴訟の提起然りである。
 依頼している弁護士に「おかしいのでは」と思いながらも、断らないままずるずると進んでいき、途中で私のところに来られる方がおられるとする。しかし、これはお互いにとって不幸でもある。
 私も途中から入るのでより労力がかかるし、天才でも何でもないので、事実を把握するのに不十分な点が出るかもしれない。依頼者の方も同じ話を数回しないといけないから、より労力がかかるからである。場合によってはできることに限りが出てしまうこともある。
 最終的に依頼に来られるのであれば、できるだけ、早い段階で依頼に来て欲しいと思っている今日この頃である。だからといって、できることがあれば、断りませんが。
 もちろん、犯罪被害支援ができる他にもいい弁護士はいるので、いい弁護士にたどりついていただければ、それで十分なのである。

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2018年6月 7日 (木)

SNS考察

 私もSNSに登録はしているが、さほど投稿はしていないし(このブログを転送するくらい)、あまりじっくりと見ている時間もない。

 しかし、たまに見ると、人によって傾向が違うことが分かるので、少し考えてみた。
1、自分をおとしめて笑いを取るタイプ。
  関西人特有の笑いの取り方である。
  最近では、中学生の娘とケンカして家を飛び出したという女性弁護士の話が笑えた。
2、ほんわかした話を載せるタイプ。
  とにかく味があり、よんだらほっこりするタイプである。
  この中の一人は、先日突然秋田犬になると言い出してワンワンと言っていた。
  どうやらザキトワちゃんの元で飼われたかったらしい。
  元に戻るタイミングを失い、しばらくワンワンと言っていた。
3、友人限定であると思われるが、内面の毒を吐くタイプ。
  心の声が吐露されているtypeである。
  言えるもんなら私も言いたいことがないではないが、ブログは全世界公開なので、ある程度セーブする必要がある。毒は違うところで吐かないと仕方がないのである。
4、リア充を押し出すタイプ。
  大阪の人間である私はこういうことを投稿するのは恥ずかしいのだが、自分が幸せであることを世界に知ってもらいたいのだと思われる(小次郎の写真は要望があるので掲載している。)。
  知人だと「すごいいいねー」とコメントしているが、他人が見たら人によっては「ケッ。幸せ全面に押しだしやがって。」と思われることもあるだろう。人の不幸は蜜の味というが、幸せを押し出すのも加減があるであろう。
5、仕事の順調さを押し出すタイプ。
  仕事が多忙で順調だということを投稿している人もいる。事実そうなのだろうが、そこまで忙しいなら、この人に頼まないでおこうと思われることもあるのではなかろうか。
  マンサンコミックスの名作、用心坊の中で、「忙」とは、心を忘れると書くと主人公の青円という禅僧が説明する話があるのだが、その話を思い出してしまうのである。
  分類はこれだけにとどまらないし、批評家でもないのであるが、少し考えることがあったので書いてみた。

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2018年6月 6日 (水)

ダニに噛まれる

 先週ワキのあたりがかゆくなり、じんましんかと思っていた。
 ただ、1週間しても痒いので、色々と調べると、どうやらダニに噛まれた模様である。
 生まれてはじめての体験である。

 自宅で噛まれた人間はいなかったので、どこで噛まれたのか推理中である。
 父親からは、東京に宿泊した時に噛まれたのではないかと指摘を受けたが、時系列的には合うのである。
 ダニアレルギーを持っているのであるが、噛まれても大丈夫なのであろうか。
 悩ましい6月である。

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2018年6月 5日 (火)

読書日記「米中海戦はもう始まっている」

 文藝春秋。マイケル・ファベイ。
 著者は自らこの著作の中で、アメリカが正義であるという立場で書いていると明言しており、逆にその点は潔く好感が持てる。

 あくまでアメリカ視点で見た、太平洋におけるアメリカと中国との緊張関係を描いた本であるが、現状を知る上で非常に参考となる。
 ミサイルが撃たれている訳ではないが、筆者は太平洋における状況を、一つの戦争状態と捉えている。
 中国海軍はアメリカ海軍が最新の技術が駆使された空母などを開発していない間に、すさまじく近代化してきた。
 なぜアメリカはこれを傍観していたのか、アメリカ国内での海軍の置かれてきた地位なども整理されている。
 トランプが大統領となってこの関係にどう動きが出るのか等も書かれており、新聞で書かれている東南アジア海域での中国の行動の裏を知ることができる一冊である。

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2018年6月 4日 (月)

ドライブ大好きだワン

 自動車に乗ってご機嫌な2代目小次郎である。

 初代は自動車が苦手であったが、同じパピヨンでも個性が違うのである。
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2018年6月 1日 (金)

読書日記「サードマン」

 新潮文庫。ジョン・ガイガー。

 山などで遭難しそうになった時に、見えない第3の人が側に居て励ましたり、行く方向を教えてくれるという体験をした人が圧倒的に多くおり、サードマン現象というようである。
 その原因は解明されていないが、この本では、サードマンの体験をできるだけ網羅的に取り上げた上で、原因を推測する。
 残念ながら古書でしか入手できなかったので、書店では入手困難かもしれない。
 サードマン現象に出会い、生き残った冒険者はまた冒険に出かけるのだが、一定割合は生還することなく、死亡したりもしている。
 そこまでして冒険するのはなぜなのか、というところもあるが(私はそういう気持ちはない)、角幡唯介は解説で、サードマンに出会えていないことを悔しがっていた。なんとなくそこで悔しがるのは違う気もするが。
 現象面としては大変興味深い一冊であったので、興味がある人は是非一読を。

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