2009年11月 9日 (月)

実践が重要

 本を何冊読んでも、知識があっても、実践にはかなわないというのが私の持論である。
 研修会や本で調べ物をするのはそれはしないよりは当然いいであろうが、やはり実際の事件をしないことには成長はしないと思うのである。

 あと、事件の進行や解決にそれほど違いがある訳ではないから、ある種の事件をするのが初めてでも、その他の事件で培った経験は必ず役立つのである。
 特に法廷での切り返しや、相手の弱点をつくとかというのは、ある程度の経験が必要であるが、こればかりは実践をしないと身につかない。

 もう一つの注意は、我流での経験もよくないということである。自分ではこれで出来ていると思っていても、端から見ると全くということもある。いいボス弁のところに入り、ボス弁から、実践をして指導を受けて、さらに研修や本でも勉強するということでないと中々成長しないのである。

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2009年11月 6日 (金)

スティーブンス症候群

 薬の副作用でなる症状で、粘膜という粘膜がただれ、肺呼吸も出来なくなり、ひどい場合には死亡することがある。
 市販の風邪薬にも、小さい字で、そういう症状が出ることがあるので、使用にはご注意をと書いてある。相談で手がけたことがあるので、関係する図書を購入したのだが、人間の皮膚が薬の副作用によって焼けただれるのだということが恐ろしく思える。

 日本人は薬好きで、蘭学が入る前のように煎じ薬のような感覚で西洋薬を飲むが、西洋薬は体にとっても劇薬であり、表題のような副作用を及ぼすこともあるのである。
 人間の体は未知の領域であり、医学によって解明されているのはわずかなものだということを思わねばならないと思うのである。
 そうしなければ、とてつもないしっぺ返しがくるような気がしているが、どんなものであろう。

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2009年11月 5日 (木)

リップクリーム

 よくリップクリームを人前で塗っている男性がいるが、私は唇が荒れに荒れていても、リップクリームは塗らないことにしている。
 まず第一に、あの油でぎとぎとした感じがいやである。もちろん塗っても何も塗っていないような感じのリップクリームなど効用もないであろうから、私はリップクリームが塗れない人なのである。
 あとは何となく塗る仕草がいやなのである。
 若い男性ならまだ見栄えもするかもしれないが、40歳前後の男性が塗っているのはあまりぱっとしないのである。
 唇が荒れる冬が近づいてきた。
 たとえ唇が荒れて血を流していても、リップクリームは塗らないのだ。

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2009年11月 4日 (水)

気持ちのいい女子高校生

 私は駅までは晴れている時は自転車で行くのであるが、自転車置き場の係の人は挨拶をしてくれる。
 私は中に自転車を置いて、出て行くときに「お願いしま~す」と暗いぼそっとした声でいうくらいの返事である。
 帰りの時は、自転車置き場から出て行くときに「さいなら~」とこれまた暗くぼそっとした声で言って出て行く。
 挨拶をはきはきすることも40歳近くになるとなにやら照れくさいのである。

 近くに高校もあるので、高校生も自転車を置いているのであるが、クラブをやっているためであろうか、はきはきと大きい声で、「おはようございます。」と言っていた女子高生の集団があった。
 その後も時々見かける。
 自分ではとうてい出来ない挨拶であるが、見ていてとても気持ちがいいものである。
 挨拶はやはり基本であるなあと思うのである。

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2009年11月 3日 (火)

読書日記11月3日

「海流の中の島々」(上)(下)ヘミングウェィ、新潮文庫。新装版。
 ヘミングウェィの自叙伝的小説。ある程度前に執筆していたようだが、ヘミングウェィはなぜか世に出そうとしなかったのを、遺族が公開したのである。老人と海はこの物語の副産物に過ぎなかったというふれこみであるが、そのあたりはヘミングウェィに聞かないと分からないであろう。勝手な決めつけかもしれない。
 主人公はパパ・ダイキリ(ラム・ベースのカクテルダイキリから砂糖を抜いて、ラムの量を二倍にしたカクテル)を数十杯飲むような酒豪であるところや、猫と犬と暮らしているところ、描かれる情景がキューバなどであることなど、ヘミングウェィを思い起こしながら読むことになる。
 ヘミングウェィはこれまでにいくつか読んでいるが、やはり遺稿ということもあり完成度という意味では今ひとつの感がある。

「剣鬼」新潮文庫。柴田錬三郎。
 時代小説の大家である柴錬が描く剣豪小説。
 年老いたことを悟った一刀流の始祖である伊藤一刀斎は、剣の流派の跡継ぎを決めるため、一刀斎の二人の弟子である御子神典膳(後に徳川家の剣法指南番となった小野忠明)と、善鬼との死闘を描いた「大峰ノ善鬼」、三十三間堂の通し矢に挑んだ男の悲劇和描いた「通し矢勘三」ほか6編。
 通し矢勘三に出てきて(もちろん架空の人物であろうが)、惚れた男の思いを遂げさせるためにすべてをなげうち、最後には女郎あがりのために国元に一緒には帰れず、身を引いていくお千という女性がけなげである。最近の結婚をちらつかせてお金をだまし取ったような話とはかけ離れている。

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2009年11月 2日 (月)

道の真ん中でぼうっと立っているヤツ

 道を歩いていると、表題のようなヤツがたまにいる。
 はっきりいってじゃまである。考え事をしているのか何なのかわからないのだが、じゃまこの上ない。
 こういう人は自分の行動が他人にどう影響するかということを顧みないのである。

 同種の人物として、改札口で突然立ち止まって後ろに並んでいるのにごそごそと鞄を探し出す人もいる。定期なんぞ改札口に行くまでに出しておくべきものであるし、仮にそれを出すのを忘れたのであれば列から離れてお先に行ってください、というべきであろう。

 弁護士という仕事をしていると、こうした自分本位のかたまりのような依頼者や相手方に出会うことがある。
 自分の方の問題点は棚にあげて、自分の主張は正しいとして、それを前提にしかものを考えないのである。そうであるので議論がかみ合わない。
 どうしてそこまで自己中心的になれるのかが不思議である。
 ある程度自己中心的でないと生きていけないが、程度が過ぎるとどうしようもない。

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2009年10月30日 (金)

朝いちから・・・

 このごろ見ないが、朝いちからスーツ姿の男性と普通の格好の女性が河原町どおりで物凄くいちゃいちゃして歩いていた。
 このブログの愛読者であるK事務所のT田事務員によると、同一人物かどうかは不明だが、バス停でキスをしていたカップル(アベックというと事務員に笑われるのだ)も居たとのことである。

 決して妬んでいる訳ではない。
 家の中でしなさい。
 みんな仕事に行くのダー。あんたらのそんな姿は誰も見たくない。

 あと、先日駅を降りて雨が降っていたのでタクシーに乗ると、また色っぽい咳払いをする運転手さんだった。10台くらいしか台数がないので、その時間帯に乗ると、1/10の確率でとてもつらい帰路となってしまう。
 ウッウ~ン・・・。しばらく声が耳について離れないのである・・・。

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2009年10月29日 (木)

踏切にて

 私が通勤している経由駅である山科駅に遅くなるとタクシーに乗るのだが、JRの乗り場まで行くと車が詰まっていたりするので、だいたいその前の交番の前で降りて、京阪電車の踏切を越えてJR山科駅に歩いている。

 先日、踏切が降りていて一番前で待っていたところ、隣に居たサラリーマンがやたら前に出てきた。
 「おいおい、そんなに前に行くと・・・」と思っていたところ、踏切の棒があがると、棒はまともにそのサラリーマンのあごを直撃したのである。顔が跳ね上がった。
 サラリーマンは、「グッ」と言ったが、しかし、何事もなかったかのように、JRの方に走り去った。

 私は息が止まるほど笑いたかったのだが(イジワルかな?)、そういう訳にもいかず、笑いをこらえて呼吸困難に陥りながら、山科駅のトイレに駆け込み、誰もいないところで声を殺して笑ったのであった。
 
 みなさん、踏切の棒には注意しましょう。

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2009年10月28日 (水)

メールと仕事

 もはやメールは仕事のツールとしてなくてはならないものであろう。
 ファイルを添付して依頼者に送ることもあれば、共同受任している事件でこちらが担当の書面を添付して送る等々、様々な使い方がある。私は備忘録として使用していることもある。するべきこととかを思いついて、メモをするとそのメモを見ない可能性もあるので、仕事で必ず見るパソコンのメールに送るのである。

 最近は会務で出ていることも多いので、携帯のメールに私が不在中にあった電話やファックスの概要を事務所のパソコンから事務員さんから送ってもらっている。メールだと手の空いた時に見られるので助かるのである。
 メールで指示を返すこともある。

 私はパソコンを持ち歩くのが嫌いなので、副会長になったら必要かと考えてパナソニックのレッツノートというモバイルパソコンを買ったのだが、会にも副会長用のパソコンがあり、結局持ち歩かなくともなんとかなるので、自宅のパソコンが古くなっていたので、自宅での仕事用としてしまっている。

 その代わりウィルコムというところから出ているパソコンのメールが見られる機種(だいぶ機械じたい古くなったが)を持ち歩いている。一応返信も出来ないことはないが、あまりにもキーボードが小さいので実用性は乏しい。
 もっぱらメールの内容を確認しておくだけになっているが、それでも空いた時間に外でメールが見られるのは大きいメリットがある。

 ここのところ、携帯のNIFTYのサイトからパソコンに来たメールを見ることが出来るサービスを設定したので、ウイルコムも必要ないかとも考えているのだが、やはり様々なツールを使うにしろメールがないと今の弁護士の仕事は出来ないであろう。

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2009年10月27日 (火)

三ついすがあるのに・・・

 三つ席のあるイスが駅などにおいてあるとき、日本人は体の接触を嫌うので、たいていの人は端と端に座る。真ん中の席が空いていることになるので、たいていそこは空いたままである。電車でどんな隙間にでもお尻をぐりぐりと入れて座ってくるオバサンとかが座りこまない限りは。

 ところが、三つ席があるのに真ん中に座っている人がたまにいる。日本人の特質からすると、両端が空いていても、どちらかのサイドがふれそうになることになるので両端が空いていたりする。
 端っこに座らんかい、と思いながら、私も電車待ちの間立っているのだが。

 あと、私は体の左側に立たれたり触れられたりすると左肩が凝るので(ここ数年で発見したのである)、歩くときもなるべく人の左側を歩いているし、電車などでは出来るだけ左側が窓側になるように座る。
 何でそうなのかはわからないのだが、左に心臓があるからか、はたまた左は利き腕でないため弱いからなのか。

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2009年10月26日 (月)

 今は犬を飼っているが(パピヨンの小次郎君である)、元々猫党で、母親は今も猫を飼っている(前に飼っていた猫が死んでとてつもなく落ち込んでいたので、数年前妹と私がお金を出し合って子猫をプレゼントしたのである)。

 小学校の時に叔母が飼っていたシャム猫が産んだ雌のシャム猫をもらって飼ったのが私が最初の猫である。ちなみに、叔母が飼っていたシャム猫は無茶苦茶凶暴であった。叔母以外はそばに寄らないようにしていたほどである。
 この猫は3年ほどで死んだ。外に出て行ってやせ細って帰ってきて死んだのである。最後まで体をさすってやっていたが、死んでしまった。
 その後、また叔母が飼っていたシャム猫が純血のシャム猫ではないが、ほぼシャム猫という雑種のオスを産んだので、またもらってきて飼っていた。ちょうど高校受験をする頃で、勉強をしていると膝の上に乗ったり、教科書の上で寝たり、机の棚の隙間に入り込んだりと勉強のじゃまにはなったがかわいいやつであった。
 こいつはオスなのに名前をつけずにいたので、「ミー子」と呼ばれていた。
 このオスも数年して最初のシャム猫と同じような死に方で死んだ。
 ネコとは数年で別れるということが続いた。

 その後大学受験と司法試験受験をした時は真っ白な迷い込んできたネコを飼っていた。雨の日にマンションの下でうろうろとしていた子猫を妹が拾ってきたのである。これはたぶんその毛並みからして血統書付きか何かのネコであったろう。
 こいつにも相当勉強をじゃまされだか、こいつは割合長生きしていた。確かこいつの名前もミー子であったような・・・。
 しかし、さすがに寿命が来て死んでしまった。
 その間にシャム猫をくれていた叔母も若くして死んだ。勉強の猫とともにじゃまをしてくれた祖父も鬼籍に入った。

 私は猫好きであるが、猫とは縁が薄いようである。

 猫が死んだ時の悲しさを思うと、足下で私の足におしりを乗せて座っている小次郎を見ると、長生きして欲しいと思うのである。現在7歳。20年くらいは生きて欲しいものである。

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2009年10月23日 (金)

最近バタバタしています・・・。

 今週は何かと忙しい。手帳を見ていると、月曜日は朝10時の裁判に出て、その後11時から司法修習の講義の前に担当副会長として一言挨拶。12時からは南部法律相談センターの協議会に出席し、午後1時半から午後7時までは役員会。その後帰ってきて8時半過ぎまで事務所で溜まっていた書類を整理して、それから食事に出た(泡盛を知らず知らず飲み過ぎた)。

 火曜日は10時半から刑事関係のことで法テラスとの協議に出て、12時からは来年3月にやる予定の法曹人口問題シンポPTの第一回会議に出席。1時半に事務所に舞い戻り、紀弁護士と新件の事件の相談に入る。3時半からは別のシンポのPTの打ち合わせを弁護士会にて行う。4時半からはこじれた問題について協議。事務所に戻り、協議結果を議事録にまとめたり、シンポのPTの初回会議の議事録をまとめ、整理をするともう7時である。私は長時間深夜まで仕事が出来ない(仕事をしている間は相当集中するので)ので帰宅。

 水曜日は日弁連代議員会で代議員として議決権行使をするため東京に。仕事出来ず。
 木曜日は午前中事務所で新件の事件の打ち合わせをして、昼休みは委員会、午後は在会当番でいろいろ決裁をこなす。

 金曜日も10時から裁判、一時からほかの事務所で2件の打ち合わせ、3時から会計担当副会長として中間決算の監査立ち会い、4時からは弁護士会協同組合理事会出席、6時半からは修習生謝恩会出席と暇がない。

 土曜日も死刑を考える日のシンポに担当副会長として一言挨拶しないといけない。

 書面が書けませえぇん・・(ちょっと古いけどヒロシ風に。ヒロシもはや誰もしらないか?)。

 愚痴っていても仕方がないのだが・・・。勤務弁護士の河野君にも紀さんにもだいぶ事件をしてもらっているし、自分でも事件がしたいので聞くのだが、会務に時間が取られすきである。
 本来の仕事がしたい。

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2009年10月22日 (木)

TEAS’TEA

 またお気に入りの紅茶を見つけた。新発売の表記の紅茶で、ミルクティーだが、ジンジャーが入っているので、いわゆる「チャイ」なのである。
 ほどよい甘みとジンジャーの隠し味がきいていておいしい。

 たまたま自宅近くのコンビニで見つけて、一本買ってみたらはまってしまい、後でまた3本買いに走った。
 事務所の近所で売ってたらいいなあと思っていたら、事務所の近所でも発見して、事務所の冷蔵庫に冷やしてある。
  ほどよい甘みで、飲むとちょっとほっこりする。
 最近忙しくて(忙しいというのは心を忘れると書く感じなので、あんまり忙しいというとダメなのだが)、人間なのでイライラもするが、チャイを飲んでほっこりしようと思ったりするのである。

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2009年10月21日 (水)

読書日記10月21日

「KAPPA」(徳間文庫、柴田哲孝)。柴田哲孝のUMAシリーズが面白くて、3冊続けて読んでしまった。主人公は有賀というルポライターで、ジャックという雑種の犬が活躍する。
 河童伝説が残る沼で、河童に襲われて2人が死亡した。河童の正体は。そして河童は退治できるのか。UMA好きには面白い。

「TENGU」(祥伝社文庫、柴田哲孝)。同じシリーズだが、有賀は脇役である。
 ヒロインがあまりにも悲惨な境遇。そのヒロインを愛する主人公。次々に殺される村人。天狗は実在するのか。暗躍するアメリカ兵。やりすぎの感があるほどのエンターテイメント小説。ただ、ラストはKAPPAや、RYUに比べるとイマイチの感がある。

「DANCER」(文藝春秋、柴田哲孝)。同じシリーズ。ジャックは老犬となり、有賀も年老いている。主人公は有賀の息子。大学で発見される惨殺死体。そこから消える有賀の息子。犯人は有賀の息子なのか。ラストはこのシリーズを読んだ人であれば涙、涙。

 たまにはこういうものを続けて読むのも面白い。

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2009年10月20日 (火)

品位のない書面

 品位のない書面にたまにお目にかかる。
 言葉の書きようが品がなかったり、相手方弁護士をことさらに攻撃するような書面である。
 こうした書面に裁判所が惑わされてはいけないのだが、悪意のある(あるいは悪意のあるように見せかけているだけかもしれないが)書面は裁判所だって読んでいて気持ちのいいものではないし、弁護士の書面というのは一行一行注意を払って書くものである。

 裁判に勝ちたいがために筆が滑るのかも知れないが、あまりにひどいものは過去にも何度か撤回するよう意見を出して、裁判所もあまりにひどいので陳述させなかったことがある。
 私が意見を出すのは、意見を出さずに後から懲戒請求とかするのはアンフェアではないからである。意見を出しても、あくまで自分の書面は正しいとして「これで陳述させろ」というどうしようもない弁護士もたまにいるが、たいていは裁判所がそれを止めている。陳述させないという訴訟指揮をするのである。
 逆にいうと、そうした訴訟指揮は本来一方当事者の弁護士から指摘されずとも、裁判所がすべきなのである。
 ボキャブラリーが貧困なのか、あるいはそうしたことしか書けないのか、弁護士が書いたとは思えない書面がたまにあるが、時代が変わって、そうした品位のある書面は過去のものになっていくとしたら、やはり司法改革は失敗とわざるを得ないだろう。
 禄でもない書面に対して黙っていて、アホだと思っていてもいいのであるが、よそでも同じようなことをすると思うと、きちっと言っておいた方が様々な面でよろしかろうと思うのである。

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2009年10月19日 (月)

チャーリンボ

 小さい頃、鬼ごっこやかくれんぼなどの遊びをしていて、さらに小さくて、まともにやれば鬼ばかりやらされてしまうような子が仲間に入ることがあった。よくあるのは近所の子とか、誰かの弟とかであり、こうした小さい子は小さい子なりにお兄ちゃんたちの仲間に入って遊びたがるのである。

 こうした時、小さい子を「チャーリンボ」として扱い、この子は仲間に入っているようでいて、しかしタッチされても鬼にならず、見つけられても1人で鬼をやらされることはないという扱いにするのである。時々鬼ごっこなどでは適当に追いかけたりして、この小さい子を楽しませるのだが、その実は仲間に完全には入れていないのである。
 なぜこうした扱いをチャーリンボというのかは分からない。何か差別用語なのか(そうであれば失礼なのだが、そうした呼び名があったということでご理解いただきたい)、よくわからないが、そういう扱いを子どもの中でも社会性というか、そうしたものの萌芽というか、あったということが言いたいだけである。

 今弁護士の社会にいると、弁護士の中でもこうした扱いをされている弁護士がいる。どう見ても行動が奇矯であるし、仕事が出来ているとは到底思えないし、実際出来ないのだが、自分では出来ていると思っていて、周囲の弁護士もこうした奇矯な弁護士に注意をして恨まれたりするのが嫌なので、あまりダメだしをしない。自分の事務所の勤務弁護士であれば当然叱るようなことでも、放っておくことの方が多い。仕事も全然出来ないから、依頼者に迷惑をかける又はかけていると思うのだが、弁護士は自由業なので、ある意味仕事のやり方に口は出せない。ある弁護士に頼めば違ういい結果が出るだろうなという事案でも、こうした人が相手方で「奇矯だけど、能力はないし、ああよかった」と思われていることはあると思うのである。
 これは弁護士内でのチャーリンボ扱いである。
 出来も悪く、何も分かっていないのに自分では出来ていると思いいっぱしの弁護士のつもりだが、まともに相手をして貰えていないのである。
 チャーリンボのように、「まともに相手をしてあげているよ」という風に装う弁護士もいるが、彼らは後ろで舌を出しているのである。
 あまり結論めいたことも書けそうにないが、チャーリンボは仲間のつもりが、実は違うというような事態に自分が陥っていないかどうか、常に自省しなければいけないように思うのである。

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2009年10月16日 (金)

電車の中で携帯をいじりながらキメキメな顔をする男たち

 電車に乗っていると、表題のとおりの男がけっこういる。
 だいたい薄手のブリーフをもっていて、胸が開いた襟の高いシャツをきて、シャツの下に下着はつけていない(胸元が見えている)。そして常に目に力を入れて顔を作っている。髪の毛には整髪料でキメている。

 おまえのことなんて誰もみてないって。
 そんな顔してもモテないって。だいたい今までモテたことないやろ。
 携帯いじってるけど、メールなんてきてないやろ。
 時々「オレ、見られてる?」みたいな感じで作った顔で顔あげるのヤメロや。

 と心の中でつっこんでしまうのは私だけであろうか・・・。

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2009年10月15日 (木)

ブリーフがきつい

 買いたてのブリーフのゴムがきつく嫌いである。ある程度履くと、ゴムがゆるんでいい感じになるのだが、そこに至るまでが辛い。
 緩んでいるブリーフばかり履いていると、当たり前だが穴が空いたりして、やむを得ず捨てて、新しいものを下ろすのだが、ゴムがきつく辛い日々を送ることになる。
 それでは上のサイズのものを買えばいいではないかと言われるかもしれないが、それはそれでゴムがゆるくなるとずれてくるので嫌なのである。

 下着は直接肌に接するので、ゴムがきついとか、なんかチクチクするとか、合わないともうダメである。
 靴もそういうところがある(足の形に合わないと特に革靴は辛い)。

 私が気に入っているブリーフは中々売っていないので(1種類だけなのだ)、売っていると大量に買い込むのだが、それがなくなってくると仕方なしに新しい物を買う。しかしやはり気に入らず一度履いて中々履かなかったりする。
 履いていない新品のブリーフ(おそらく気に入らないであろうもの)が20枚くらいある。
 履いていけばこなれてよくなるのであろうが、その課程に耐えられないのだ。
 かといって人がある程度履いたブリーフなんて絶対に履けないし、日々どのブリーフを履こうか悩む39歳である。

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2009年10月14日 (水)

便秘とか膀胱炎

 弁護士になるまで便秘というものになったことがなかったが、弁護士になると考えていたよりも超多忙で、トイレに行く暇もない時がよくあったし、今もたまにそういう時がある。
 そういうことを繰り返すと、タイミングを逃して便秘になるようである。
 実際弁護士になってから便秘になった。
 女性に聞くと、私のは便秘ではなく、便秘気味程度というもののようだが、生まれてこの方便秘気味という状態になったことのなかった私にとっては大変辛い辛いものである。

 女性がよくなるそうだが、小用すらたせず、膀胱炎ではないかと思ったこともあった。
 小さい方をしても、極度の疲労で小が出きらず、汚い話だがパンツが少し濡れたこともあった。これは極度の過労で、体がおかしくなっていたのであろう。
 最近は喘息発作も過去に出たし、そういう症状も経験したので、疲労はなるべく残さず無理をしないようにしているのだが、トイレには時々いけないことがあり、辛いことがたまにあるのである。
 仕事はすべからく大変なものだが、弁護士の仕事はそれくらい大変だし、検察官・裁判官もきっと似たようなところがあるのだと思う。
甘い気持ちで目指すと続かないであろう。

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2009年10月13日 (火)

サッカー合宿

 三連休中にサッカーの合宿をした。毎年我が京都法曹サッカーチームが行っているもので、例年はグラウンドに隣接した宿泊先で大きい風呂に皆で入り、大きい宴会場で宴会をするのだが、今年はグラウンドが改修工事のため、やむなく守山のビックレイクで、日曜日の17時~21時、月曜日の9時~11時に行い、宿泊は守山のホテルとした。
 宴会も夜10時から笑笑でと、今までにない合宿であった。

 新戦力も参加してくれることが出来、充実した合宿であった。59期の主力組がK君の結婚式のため不参加であったことが残念で、私としても合宿のためK君の結婚式に参加出来なかったのが心残りである。

 私は膝がまだ治りきっていないので、監督としての参加にとどめた。
 大会には選手として出るべく努力中である。

 合宿は、チームが一つになる上で毎年重要である。京都チームが雰囲気がいいと他からいわれるのは、この合宿の効用もあるであろう。
 一人だけ、体を張ったギャグをしてくれて不参加の選手がいたのが残念である。
 彼の名はマシュー(あだなです)。

 一日合宿の日を勘違いして前日入りして、全く誰とも会わずに名古屋に帰っていったのである。
 全国大会は日を間違えないように祈るばかりである。

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2009年10月12日 (月)

読書日記10月12日

「武田勝頼」(一)~(三)。新装版。新田次郎。
 内容はある程度描いたので省略。文章力は司馬、津本陽などなどに比べるといまいちなところがあるが、武田家に対する愛が感じられる作品である。

「RYU」徳間文庫。柴田哲孝。
 この人の日本海魚伝を読んで面白かったので購入。沖縄に残る竜伝説。消え去る家畜や人々。消え去る人々の裏にUMAの陰。UMAは存在するのか、その正体は。
 私好みの作品であった。トレジャーハンティングクラブのメンバーもきっと好きだと思う。
 ほかの作品も読んでみることにした。

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2009年10月 9日 (金)

武田勝頼(3)

 武田勝頼が後生で酷評されている理由について考えてみたいが、
1、長篠の戦いで宿将たちの反対を押し切って開戦し、鉄砲の前に騎馬隊を突撃させて壊滅的な敗退をした。
2、上杉謙信の死語、御館の乱で北条氏から出ている上杉景虎に味方せず、上杉景勝と同盟をし、北条氏まで敵に回した。
3、1582年に武田家を簡単に滅亡に導いた手腕のなさ。
 がその主な理由としてあげられるかと思われる。

 しかし、1は勝頼だけの責任でないことはここまで述べてきたことで明らかであろうし、2についても、上杉景虎に味方していれば、越後まで北条氏の領土となり、北条氏が武田家に敵対した場合には、さらに強大な敵を作ってしまうこととなるから、織田氏との北陸での緩衝地帯として上杉氏を生かしておいた方がよいという考え方もあり得るし、実際、北条氏政は、徳川氏に通じている疑いもあったのである。
 北条氏は上杉景虎からの派兵依頼に対し、越後まで兵を出さず、勝頼にのみ出兵を依頼している。
 結果論からの指摘であろう。

 3については、最後の武田家の壊滅的、瞬間的滅亡は、武田武士の気質によるものという指摘があり、武田信玄という神格的頭領を抱いて攻めて実利的利益を得ている時はいいが、そうでなくなると目先の実利に走る気質があったためという指摘がされているが、けだし妥当であろう。
 ただ、これは戦国時代後半の武士に共通しているところであり、実利に流されない武士の方が少なくなってきていたのであろう。信長が死んだあと、織田信孝が四国に討伐するために編成していた部隊も、瞬く間に逃亡してしまっているからである。
 三河武士の方が、その意味では実利に流されない気質があったということができるであろう。

 穴山梅雪、小山田信茂の裏切りもそのような流れでみることができよう。
 武田武士はその一方でのんきなところがあり、戦後、信長が、出てくれば許すという布告をするとぞろぞろと出てきて、次々に首を切られている。このとき、家康はこっそりと武田武士を殺さず召し抱え、後にこれらの武田武士は井伊の赤備えの中心を担うことになる。
 そのほか、武田信玄時代に実利で支配するために使用していた金山も枯渇してきたことも理由としてあげられるであろう。

 結局、武田勝頼一人にその責任を負わせるのは酷であり、彼が信玄に比べて劣る武将であったことは間違いないにしても、あまりにも勝頼に酷だというのが以前からの私の見解でもあるし、新田次郎もそのような観点で書かれていることから好感をもった次第である。

 武田家滅亡に際し、仁科盛信の奮戦だけが華々しいのは、きわめて寂しい感じがある。
 なお、戦後信長が勝頼の首実検をした際、勝頼をののしったが、家康は勝頼を褒め称えて武田武士はだからこそ家康に心服したというのは後生の創作であろう。家康を神格化するためのものであると思われる。
 文献によっては信長も勝頼の首の前で、「日本にかくれなき武将であるのに、このような姿になったのは武運がなかったためである」として、はらはらと涙を流したというものもあり、こちらが本当のところではなかったかと思う。

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2009年10月 8日 (木)

武田勝頼(2)

 長篠の敗戦後、武田不敗伝説は消え去り(実は信玄は何度か村上義清などに負けているのだが)、高天神城も落城した。そして1582年、木曾衆が裏切り、穴山梅雪も裏切り、織田・徳川の侵攻の前に常勝軍団であったはずの武田軍はもろくも崩れ去る。

 侵攻の前に兵はみな逃げ去り、1万人以上いた武田の兵のうち、勝頼に最後まで殉じたのはわずか10数名であった。
 勝頼に真田昌幸は、真田の城である上州岩櫃城は天然の要害であり、兵糧の備蓄もあり、上杉景勝とも連携がとりやすい(当時武田と上杉は同盟していた。形の上では上杉景勝が降伏した形)ので、そちらに落ち延びるように説得したが、甲斐出身でない真田昌幸を信用しない武田家累代の家老達の発言や、小山田信茂が、北条と連携して郡内岩殿城に落ち延びれば勝機はあるという説得をしたが為に勝頼は小山田信茂の城に行くことを決定するのである。
 これが勝頼の運命を決めた。

 1人だけ武田の滅亡に際して徹底抗戦したのは仁科盛信である。彼は武田信玄の五男(確か)で、仁科家を継いでいた。
 南信濃の高遠城に籠もり、城兵ことごとく抗戦し、上臈もなぎなたを取り戦い、武田武士の意地を見せつけたのである。

 勝頼は小山田信茂の郡内岩殿城に行こうとするが、小山田信茂は巧みに自らの人質を取り返すや、柵を設けて勝頼一行に対し鉄砲をうちかけてきた。彼もまた武田を裏切ったのである。
 戦後、信茂は織田信長により斬首されているが、新田次郎は武田家滅亡の際のこの現象を「人間のなだれ現象」といい、なぜこのようなことになったのかについて考察しているが、それは(3)の考察に譲りたい。

 勝頼を追う織田軍の追撃は厳しく、滝川一益の手のものにより勝頼は天目山手前の田野にて自刃し、首を取られ、ここに武田は滅んだのである。16歳の武田信勝も、自刃して首を授けることとなった。享年37歳。

 勝頼が酷評されているのは、長篠の戦いのほかに、北条との同盟を破棄してまで、上杉景勝と結んだ外交策の失策、武田家滅亡のあまりにもあっけない幕切れのためであろう。
 しかし、これらは本当に勝頼だけが責任を負うべきことかは、また別物であり、新田次郎はいい観点で武田勝頼を描いているといえる。
 

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2009年10月 7日 (水)

末席の人に発言されるような配慮を

 私が会議を主催する時に、気をつけていることがいくつかある。

 一点は、フリーハンドで会議をしないことである。
 フリーに、「さあ、どうですか」という提案の仕方は、議論が出にくいのである。
 ある程度提案者の方で、「これについてはこういう考えがあり得て、私はこう考えますがどうですか」という提案の仕方をしないと、会議をする実益はない。
 そういう提案の仕方(仮の案ともいうべきか)をして初めて、反対意見が出たりするものである。
 つきつめていえば、会議の主催者は、ある程度の腹案をもち、それを呈示し、それについて意見を求めてまとめあげるという方法でないと、会議は速く進まない。
もちろん、そのためには事前の準備が必要となってくることはいうまでもない。
 逆に、自分の意見に固執するのもよくない。
 いい意見が出たら、その場で修正し、妥当な結論に導くという手腕も必要とされるのである。

 あと、私が会議で気をつけているのは、時間があればすべての人の意見を聞くようにしていることである。
 特に末席の人は、そうそうたる人々の前で萎縮して意見が言えないことが多いものである。
 そうした人に敢えてあてて、意見を聞くのである。

 そうすると、若手なのによく考えていて、はっとさせられることがある。逆に、何わかっておらず、「オイオイ、アホかいな」ということもある。
 しかし、後者の場合でも、若手の勉強の機会になるから、それを「アホか」いわず、これこれこういうことからすると、難しいのではないかということで、一定の配慮をした上で採用しないようにすると、若手の勉強にもなるし、一定の配慮をされたということで、次の発奮材料にもなるというものである。

 若手でよくないのは、あてられても、「特にありません」ということであろう。
 そういう人は、「見込みのないヤツ」と思われるであろうし、若いうちは何かいうべきであろう。
 それが的を外れていても、どこがどう外れているかを指導されることで、5年先、10年先に役立つことがあるであろうからである。

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2009年10月 6日 (火)

武田勝頼(1)

 今新田次郎の「武田勝頼」を読んでいるのだが(本屋で新装版が平積みになっていたので3巻まとめて買ってしまったのである)、新田次郎の武田勝頼では、長篠の戦いは一方的に武田軍が鉄砲でやられたのではなく、柵際で華々しく戦い、織田軍にも相当の損傷を与えたとある。
 長篠の戦いは、8時間という長さに渡って行われた戦いであり、8時間中、突撃を繰り返すという馬鹿な攻撃をしたはずがないというのであるが、正にそのとおりであろう。
 黒澤明の影武者では、鉄砲の前に突撃し、なすすべもなく打ち倒されて行く武田騎馬隊が描かれているが、あそこまでいくと、武田軍はタダのアホであるが、さすがに名将揃いの武田軍が愚直に突撃を繰り返したとは思われないからである。
 その一方で、新田次郎が取る説ではないが、信長は武田軍の馬を驚かせるだけでも鉄砲の効用はあったとする説がある。どこで読んだのか忘れたが、武田軍にはそれほどの鉄砲はなかったから、1000丁の鉄砲が交代に3連続で射撃される音というのは、武田騎馬隊にとっては初めての経験であり、馬は驚き、武田軍得意の騎馬突撃が出来ないというのである。
 ただ、この説だと、武田軍は騎馬突撃が出来ないだけで、武田軍の名だたる武将がみな討ち取られたという理由にはならない。
 現実の戦いでは、戦いのさなかではなく、退却戦の時に追撃されて討ち死にが多かったから、数の少ない武田軍が踏ん張って戦っていたが、退却に向かった時に討ち取られた武将も多かったのではないかなどと考えたりもする。
 甲陽軍艦は、全く史料としてはアテにならないので、信長公記の記述からはどのようにも取れるのである。

 武田軍が長篠で信長と家康と戦ったからには、武田軍には勝算があり、勝頼1人の決断ではなく、宿将や穴山信君などの大物親族武将も同意していたと新田次郎は描くが、これも真実であろう。勝頼だけが悪いわけではないのである。
 勝頼は勝頼の息子が長じるまでの後見人に過ぎず、信玄は跡目をはっきりさせず死んだこと、勝頼には、武田家の代々の名乗りである「信」の字がなかったことから、軽んじられていたのである。
 世間が考えているよりも穴山信君の権力は大きかったことも描かれているが、これもまた真実である。信君は、駿河一国の国主であったのであり、一個の戦国大名であったという見方も出来るからである。

 ただ、新田次郎の描く勝頼像にも問題はある。信長が非人道主義者で、勝頼はヒューマニストのような描き方をしているが、これは新田次郎が武田家に仕えた武将の末裔(だったはず)という思いが影響しているであろう。
 前にも描いたが、勝頼は大釜で罪人の親族に罪人を煮る火を焚かせて親族の前で罪人を生きながら煮殺したという史料があるし、そもそも武田軍は非情である。
 占領した城の婦女子は値をつけて競り売りにしたこともある。
 この描き方はやや勝頼を美化していると思われる。

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2009年10月 5日 (月)

爺さんにはねられかける

 日曜日にコンビニに買い物に行こうとして自転車で走っていたところ、道路に出ようとしている車があった。
 私の方が歩行者道路で優先であったが、運転手が老人であったので、気をつけて走っていたところ、私の方をじっと見ていたので、そのまま進行した。
 そうしたところ、私が自動車の直前くらいになったところで、突然急発進してきた。

 私はとっさに右にハンドルを切り、道路に少し飛び出すような形でかわしたが、後ろのタイヤ部分が数センチでひっかれられそうなきわめて危ないすれすれの状況であった。
 思わず、「前見て運転しろや!!○○すぞ!!」と怒ってしまった。気性が荒いんです、私。。。

 ある程度の年齢になると、運転免許は返上した方が絶対にいい。
 反対車線を逆走したり、アクセルとブレーキを踏み間違えたり、今回のように、見ているのに急発進してきたり、反射神経が衰えるからである。
 私は基本的に滋賀県の(特に休日)運転者を信用していないので、こちらが完全に優先でも、信用していないのだが、信用していてもこれである。
 入り口専用の通路から、出てくる自動車も普通にあるし、こちらが左によっていてすれすれの車線でも、爺さんやばあさんが真ん中をするすると走ってきて、溝に落ちそうなくらい寄らないと完全に衝突されるであろう状況も普通にあるのである。
 法律で老人の運転免許を基本的に取り上げるようにしてもらわないと、これからは死者が多数出るであろう。
 自分でいうのも何だが、今日は私がかわさなければ、私は完全にはねられていたであろうし、そうなれば左膝が治るどころではなかったであろう。
 高齢者を敬うべきところはたくさんあるが、高齢者は高齢者で、自分が出来なくなっていることを認識してもらわなければいけないと思った一日であった。

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2009年10月 2日 (金)

ネクタイ

 初夏にネクタイを外して以来、夏の間数回しかネクタイをしていない。
 元々ネクタイをするのが嫌いなので(いざしなければならないとなればネクタイに凝るし、もらうと嬉しいが)、ずぼらなまま今もしていない。
 10月に入るのでそろそろしなければいけないなあと思いつつ、首回りのうっとうしさから着用しないで過ごしている。
 9月の終わりに来てすこしムシムシしたので、余計にネクタイをする気が失せるのである。

 しかし、冬場はやはりビジネスマンはネクタイをしている方が格好がいいので、そろそろネクタイをしようかしらんと思うのだが、いざネクタイをしても、ワイシャツのひとつ目のボタンは常に外して、ネクタイも緩めているような状態である。

 ずっと秋だと涼しくて、ネクタイもしなくとも何とかなるのでいいのであるが、インフルエンザが蔓延しつつあるこの頃だとそうもいえないのかもしれないと思いつつ、今年の冬にインフルエンザはどの程度流行るのかが今から気になる今日このごろである。

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2009年10月 1日 (木)

妙に鼻息の荒いタクシーの運転手

 先日タクシーに乗ると、妙に鼻息の荒い運転手さんだった。
 タクシーに乗って走っているので、息が切れるということはないと思うのだが、妙に鼻息が荒い。
 鼻息の荒さが気になるが、「鼻息が荒いですね」ともいえず、無言で15分ほど走っていた。

 今になると反省する話だが、高校生の頃、鼻息が荒いクラスメイトがいて、みな、「スー」というあだなをつけていた。
 鼻息がスースーいうので、「スー」というのである。
 私がつけたのでは決してないのだが、突然そのスーというあだ名の同級生を思い出した。
 もちろんそのタクシーの運転手は私よりも相当年上であったので、スーの訳はないのだが、鼻息の荒さがそれを連想させたのである。
 鼻息が荒い人は、肺とか呼吸器が悪く、息が苦しいのかもしれない。私も喘息発作が出ると苦しいが、鼻息は荒くならないから違うのかもしれない(喘息発作だと息がほんとうに出来ない)。

 今日から10月である。頑張っていきましょう。

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2009年9月30日 (水)

大阪城内での大名の行儀の悪さ

 豊臣秀吉が大阪城を建築し天下統一をした後、大名達の行儀は物凄く悪かったらしい。
 腕一本でたたき上げてきたような大名が多いので、行儀も何もあったもんではなく、すぐに口げんかを始めるわ、そのあたりで小便はするわ、落書きはするわ、寝転んだまま話はするわ、まあそれは酷かったようである。

 家康が天下を統一すると、そうした行儀の悪さを無くすためにも礼典のようなものが重々しく取り入れられて、将軍に直接お目見えすることが出来る大名は少なくなった。
 秀吉が、茶会などをして一般人の中に入っていったのとは全く逆の方向であったのである。
 それが将軍を権威づけることになり、江戸城の中での大名達は行儀がよくなっていったといういうのである。

 前漢を建国した劉邦も、元々は町のごろつきのような男であったので、皇帝となった後も敬わないので、皇帝を重々しく権威づけたところ、皆いうことを聞くようになったという話もある。

 一定の礼式というのは、人にいうことを聞かせるためには必要なものなのであろうとこうした逸話を見聞きすると思うのであるが、権威づけられた席にすました顔をして座っているというのは、恥アル者にとっては相当つらいことのように思われるのである。

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2009年9月29日 (火)

読書日記9月29日

 「余話として」(文春文庫、司馬遼太郎)。
 司馬遼太郎の歴史エッセイ集。
 おもしろかったのが、「アメリカの剣客(タイガー・モリ)」、「村の心中」「要らざる金六」「千葉の灸」。
 龍馬に恋していた千葉道場の千葉さな子は、明治時代になって、落剥して灸を据えることで暮らしていた。私自身は千葉さな子と龍馬の間には男女の関係があった(龍馬というのはそのあたりいい加減なところがある男だったと思うのだが)と考えているのであるが、千葉さな子は、明治維新の後、「自分は坂本龍馬の妻であった」として独身を通した。
 実際のところは龍馬には京都におりょうという妻がいて、新婚旅行までしているのであるが、さな子にそう思わせるだけの関係はあったのではなかろうかと考えているのである。
 明治後は龍馬は忘れられた存在になり、龍馬がクローズアップされたのは司馬が「竜馬がいく」を書いてからである。坂本龍馬の妻でしたといっても全く知名度がなかったのである。明治を作るために死んだあまたの志士たちが見直されるのは実際のところ昭和に入ってからであり、明治時代は顧みられることもなかったようである。
 さな子は、死語、その墓には「坂本龍馬の妻」として墓石に刻印されたことで司馬はエッセイを終わっている。

 「猫大名」中公文庫。神坂次郎。
 史実に基づいた作品で、全く有名でもなければ歴史に何らかの大きい働きをした訳でもないわずか120石の大名(これでも江戸時代の大名なのである。ただし、家格は高く、新田源氏の嫡流ということで、諸大名の中でも老中に次ぐ席次)の明治維新を描いた作品。
 これはおもしろい。こうした大名が存在したこともそうであるし、なぜ、表題が「猫」大名なのかもおもしろい。別に殿様が猫に似ていたとかいうことではない。
 読んでみてのお楽しみである。

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2009年9月28日 (月)

ナミタロウ

 今手元に資料がないので、若干不正確かもしれないが、新潟と山形の県境にある湖に「ナミタロウ」というUMAがいるということである。
 ナミタロウは、体長3~5メートルで、コイがその正体だと考えられている。

 「日本怪魚伝」(柴田哲孝著、角川文庫)によると、江戸時代に、琵琶湖の堅田の漁師が体長2.3メートルのコイをとったとあり(1792年、小林義兄の「湖魚考」という書籍に掲載されているという。)、東南アジアでは体長2メートル程度のコイは珍しくなく(開高健氏が東南アジアでコイのあまりに大きさに驚いている)、私の父親なども、父親の実家のそばにある日高川という川の縁に潜ると、畳1畳分くらいあるコイが居たという話が伝わっていることからして、2メートルを超えるコイがいたとしてもおかしくはない。

 水中にいる魚は実際よりも大きく見えるから、2メートルを超えると、3メートルとか5メートルとかという大きさに見えてもおかしくはない。突然それだけ大きい魚を見た場合には驚くであろうから、余計に正確な大きさを目測することは難しいであろう。
 ナミタロウはテレビなどで調査されたことはないようだが、これもタキタロウ同様、調査してもらいたいものである。
 自分でも機会があれば調査に行きたいものである。

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2009年9月25日 (金)

信長の野望・天道

 コーエーから出ている信長の野望の最新版が出た。信長の野望・天道である。

 この連休中、足も痛いので少しずつやっていたのであるが、まずシステムが、前の作品の「革新」とほとんど変わっていない。
 変わったのは、工作隊というので街道を造り、道で城と村や商人街をつなぐと、支配下においたことになるので、道を造る必要があるということくらいであろう。
 リアルタイム制や、その他の技術開発の点もほとんど変わっていない(今回は巧の町というのと原材料を支配下においていないと技術開発が出来ないことくらいが変わったくらいである)。

 買う意味があったのか、若干疑問ではある。システムがいきつくところまでいってしまったのであろうか。新しい試みは出来なかったのか。
 マイナーチェンジほどの変わりようでしかない。
 こんなことをしていたら、コーエーも先が短いぞ。
 まあ、天下統一シリーズなんて超マイナーチェンジで生き残っているから、そうも言えないのかもしれないが・・・・・。
 K藤S一郎君もUっちーも、買ってやってみよう。

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2009年9月24日 (木)

星の規模

 夜に庭に出て葉巻を吸っていると、星が瞬いているのが見える。
 見えているのは、実際には数十万年前、あるいは数億年前の光であったりするので、人間の生きている時間からすると、気の遠くなるような時間の流れである。

 そのような星の光を見ていると、人間社会の様々な出来事は、取るに足りないことばかりではなかろうかなァとも思ってくるのだが、実際にいざ自分の身になると、小さいことにこだわったり、あくせく生きてしまうのである。

 人によると、「その歳でサッカーしなくてもいいやないか。ゴルフにしたら。」とか、「他にも趣味はあるんだし(実はそんなにないのだが・・・。釣りと読書くらい)、もうサッカーはいいやん」とか言われ、星の瞬きを見て、一瞬それもそうかなあと思ったりもするのだが、いやいや待て、最後まで諦めず、あがいてみようとも思ったりするのである。

 膝が一瞬で治る方法ないかとも思うが、超人ロックでもないのでそれも出来ない。
 凹む凹む連休明けである。

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2009年9月23日 (水)

信長の特質

 「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰」というのが信長を象徴する歌として世間ではいわれているが、実際の信長は全くそのような武将ではなかった。
 この歌からすると、極めて短気で、場当たり的な武将であったように聞こえるが、実際の信長は目的のためなら極めて迂遠な手段や遠大な計画が出来る武将であったのである。

 信長にとって、最も恐れた武将といえば、上杉謙信と武田信玄の2人である。
  信長は、岐阜の東で信玄と国境が接していた為、上洛するにあたり、また、上洛後もへりくだって信玄の機嫌を取っている。側近は信長に油断をしてはならないと進言したが、信玄は信長を気に入っていたようである。側近の進言に対し、信長が贈る贈答品の中で、漆器があったところ、信玄はあるときその漆器の角を削らせてみた。そうしたところ、漆器は何重にも塗り重ねがしてある重厚なものであったことがわかり、「こうした贈り物一つにもここまで細やかな心配りをする信長は信用できる」と言っていたのである。
 信玄じたい、当時は謙信からの侵攻を受けていたり、西上野の攻略に多忙で上洛軍を編成することなど出来なかったが為に、騙されていた風をしていたのかもしれないが、形の上では、信長は信玄を欺いていたことになる。
 上杉謙信にも屏風を贈って機嫌を取ったり、謙信上洛の暁には馬のくつわを信長自らが取るというようなことまで書いている。
 単純に短気な武将がこのようなことは出来ない。

 実のところ、信長は、美濃を獲るのに7年という歳月を費やしている。美濃を獲るために、小規模の軍勢を出して相手の情勢を探り、調略によって敵方の有力武将を寝返らせ、最後は一気に稲葉山城に攻めかかったのである。短気な武将ではこのようなことは出来ないであろう。
 目的を設定して、その目的達成のために戦略を練り、目的達成のためなら頭を下げることも何とも思わないふてぶてしさ(後に浅井・朝倉と和睦した際にも、天下は朝倉が獲り賜えと言っている)が信長の真骨頂である。
 そして、自らが強い立場になった途端、信長は過去の経緯などかなぐり捨てて非情になる。信玄に対しても、立場が逆転したような書状を送り、家康に至っては、一配下武将扱いである。
 なお、信長が松平信康(家康の長男)の英邁であったことから、将来の禍根を断つために信康に死罪を与えるようにしたという説があるが、司馬遼太郎が書いているように、信康は徳川家の家老からすると仕えにくく、徳川家を危難に導く後継者であった為に、家老の酒井忠次によって葬り去られたというのが実像であろう。

 現在の世の中にも英邁に見えて実のところ違う人や、豪快に見えて実は繊細な人、豪快さと繊細さを兼ね備えている人、様々であり、人を評する際には様々な注意が必要だと思うのである。

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2009年9月22日 (火)

膝の負傷

 膝の負傷の治りが悪いのと、周囲からも病院に行くように再々言われるので、病院に行ったところ、左膝の半月板が一部損傷、前十字靱帯も一部損傷であった。最初は「前十字靱帯が全部切れている可能性が高い」と言われていたので、それよりは軽傷であったが、やれやれである。
 敵と接触した時に、倒れてしまった方がよかったのであった。へんにふんばったせいで膝を傷めた。
 11月の全国法曹サッカー大会までには完治して、出場できるようにしなければ(引退したらといわれるが、サッカーをやめる気は全くないところがあほであるが)。
 医者によると、膝の周囲の筋肉もしっかりしているので、サポーターで固定するのもやめておこうということであった。

 副会長就任後、鍛える時間も減り(一応少しはトレーニングしているのである。そうしないと、39歳でサッカーは出来ないので・・・)、体重も増えたことも怪我の要因となっているであろう。まあ、先日のサッカーでも、ロースクール生とかと混じってサッカーしているのであるから、鍛えないとそりゃあ怪我もするかなという気もする。
 傷が癒えたら、この反省をもとに、きっときっと酒量を減らして、前よりは鍛えようと思う今日この頃である。

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2009年9月21日 (月)

エルボードロップ

 先日電車から降りる際に、乗り込もうとしている女性が手を挙げて肩あたりを掻いていたのだが、乗り込もうと思ってその手を思い切り振り下ろした際に、肘が私の肩にめり込んだ。
 ググっ。痛い。
 それなりに目方のあり私よりも背が高い女性だったので、かなり効いた。
 しかも完全なる不意打ちだし、相手にもエルボードロップを入れようという気はなかったであろう。

 手を振り回す時には、周囲をきちんと見渡して欲しいものである。

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2009年9月18日 (金)

ヤミ金今昔

 若い先生はヤミ金事件の経験がないため敬遠するようで、弁護士会の相談でヤミ金があると逃げるようである。

 昔のヤミ金事件は確かにうっとおしいものであった。相手は怒鳴るし、マニュアル通りの嫌なことを言ってくるし(借りたものを返さないヤツの代理人をするのか、先生は人間としてそれでいいと思っているのか、等)、弁護士事務所にピザが大量に注文されたり(もちろんヤミ金がしているのであるが)、消防車が来たり等あったものである。
事務所にいつまでも電話がかかったり、「関係ないから本人のところに行く」と言って本人に電話をかけ続けたりされたこともあった。
 地場のヤミ金だと、事務所まで怒鳴り込みに来ることもあったし、アパートの全ての郵便受けに、「○○号室の誰それは、借りた金を返さない詐欺師です」というようなチラシを入れたり等悪質であった。

 しかし、ヤミ金が次々に逮捕され、ヤミ金の悪のツールの確保が難しくなっていき、ヤミ金もだいぶ最近は大人しくなった。電話をすると、「わかりました」というのが多くなった。
 ヤミ金の悪のツールはプリペイド携帯と他人名義の預金通帳である。
 プリペイド携帯は、転々譲渡しても罰則がなく、プリペイド携帯で儲けていたある携帯電話会社は、それを是としているような雰囲気があったので、どこの誰が使用しているか分からなかったのである。
 預金通帳の譲渡も同様で、他人名義だと誰がヤミ金か特定出来ないのである。
 京都弁護士会は、日本で最初にこの問題に取り組んで「プリペイド携帯の譲渡禁止と、使用している人が分からない場合には使用の停止、預金通帳の譲渡禁止」を求めた意見書を書き、総務省にも交渉し、法律を制定させたのである。
当時の弁護士会のヤミ金問題を取り扱うところの座長は、私であったが、その後、法律制定後はヤミ金が大人しくなっていった。

 貸金業規制法の完全施行後、ヤミ金が増えることを警戒する向きもあるが、若手弁護士に対して十分な研修をしてもらい、ヤミ金だからと言って逃げないようにしてもらいたいものである。
 京都弁護士会では、ヤミ金向けのマニュアルを作成していて、こういわれたらああいうという、「切り返しトーク集」も載っている。ある女性弁護士などは、下の名前で呼ばれたとか、スリーサイズを聞かれることもあったようである。

 それに比べると今は楽なもんである。

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2009年9月17日 (木)

債務整理・過払い今昔

 私が弁護士になった平成8年頃は、あまり債務整理をする弁護士がいなかった。
 理由の一つは、今のように表計算ソフトがなかったので、利息計算をするのが非常に複雑であったことに加えて、業者と依頼者がどのような取引をしてきたかという取引履歴の取り寄せが中々難しかったからである。
 また、合意するのも中々手間であった。

 私が見ているところでは、現在過払いで売上をあげている弁護士や司法書士は、その頃からやっていた人ではない人が多そうである。
 数々の最高裁判決を消費者被害をやっている弁護士がしてきたり、あるいは交渉で結果を勝ち取ってきた後に出てきた感が否めない。

 今の若手弁護士は、多重債務相談に行けばそれなりに事件があり、マニュアルどおりにやっていればそれなりに収入が入るのであるが、昔の苦労は知らないであろう。

 利息計算については、手でしていた人が多かったし、京都では、「めんどくさいし、相手の言っている金額を認めて1万円ずつ払ったらすぐやで」ということをいうベテラン弁護士も居た。しかし、私はそれには納得がいかなかったので、自分で表計算ソフトを作り(今から思うとよくあんなことが出来たのだが)、弁護士会で配布した。後に修正され、今では市販されている書籍についているので、もはや私のソフトよりも使用しやすいものが出ているのだが。

 当時は割と重宝された。

 次に取引履歴の取り寄せについても、大手消費者金融でも、担当者と30分くらいは怒鳴り合いであった。これはだいたい皆そうであったようだ。少しずつ取引履歴の開示を求める弁護士が増えるに連れ、消費者金融の方もトーンダウンしていき、かつ、判例が出たりして、大人しくなっていった。しかし、そうなるまでは10社有れば300分怒鳴り合いをしなければならないので、相当体力精神力が削られるのであった。

 和解についても中々出来ず、昔は過払いはあまりなかったから(過払いが出るほど長期の人が少なかった)、返済する方が多かった。
 そうすると、将来利息をつけろとか、一括でないとだめだとか、様々な嫌がらせをいわれるのである。
 東京3会基準というのがあり、最終支払日の元本を、無利息で分割とするというのが原則とされていて、京都でも私が音頭をとってこれを導入した。
 以後はそれがスタンダードとなって、割合容易に和解が出来ていた。

 最近は、過払いだけやって、債務整理は地元の先生にという東京の事務所があるやに聞いた。そのため、日弁連が、「過払いだけをするのではなく、全ての借金の整理をするように」というガイドラインを出した。当たり前のことであるが、かようなガイドラインを出されても恥と思わないようでは、「士」ではあるまいと思うのだが、ビジネスライクな弁護士も増えたようである。

 この稿に取り立てて結論のようなものはないのだが、強いていえば、弁護士は昔の侍、武士と同じで、「恥アル者」でなければならないのではないかと思うのだが、どうであろう。

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2009年9月16日 (水)

読書日記9月16日

「とり残されて」文春文庫。宮部みゆき。
 ファンタジー的な要素が強い短編集。一番怖かったのは、「おたすけぶち」。
 宮部みゆきの筆力は相変わらずすごい。

「人間失格」。ぶんか社。太宰治。
 ずいぶん昔に読んだ記憶があったが、本屋で何気なくとったので購入。
 中学生くらいに読んだ時と、今とではずいぶん印象が違うものである。
 中学生の時は、ほとんどわからず、変なオジサンの生涯記程度にしか思わなかった。
 読むそのときそのときによって、読書は違う発見をもたらしてくれるものである。

「薄桜記」新潮文庫。五味康介。
 柳生武芸帳を書いた五味作品。
 むちゃくちゃおもしろい。どこまでが史実でどこまでが虚構なのかわからなくなる。
 忠臣蔵を舞台としているが、ほとんどそちらはサイドストーリーとなっている。
 時代小説かくあるべし。

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2009年9月15日 (火)

子どもは残酷(カエルの死)

 子どもの頃、田舎で裏の田んぼでカエル釣りをした。
 竹の棒に糸を結んで、その先にトンボをつけて、田んぼの中へ放り込むと、でかいでかいトノサマガエルが釣れるのである。

 面白いように釣れるので、何回かしていたのであるが、一度帰る直前に釣っていて、入れ物がなかった為、ふたのついている飼育用ケースにバカバカとカエルを入れておいた。
 帰る前に逃がそうと思っていたのだが、トイレに行って帰ると呼ばれたので、そのまま忘れて大阪に帰ってしまったのである。
 カエルのことはすっかり忘れていた。

 2週間後、物凄い臭気がするので、叔父が裏の田んぼの方に行くと、カエルの屍体が飼育用ケースの中で腐っていたそうである。
 物凄く怒られた。

 あとはヤドカリを取ってきて、飼育用ケースに入れて、これも世話を忘れてしまい、カラカラにひからびさせてしまったことある。
 イモリを買ってきて、同様の目に遭わせたこともある。

 大変今となっては反省している。

 先日朝風呂に入っていたら、蜘蛛が風呂の床を歩いていて、水流で流されてしまった。
 仕方がないので、湯が流れていくところの蓋を開けて、蜘蛛を救出した。
 蜘蛛は救出される際も抵抗していたが・・・。

 そういえば、今日は私の誕生日である。誕生日なのに、暗い話題である。

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2009年9月14日 (月)

9月12日法曹サッカーチャンピオンズリーグ

 大雨の中、試合開始。
 東京とは未知の世界の30分ハーフ。
 前半開始早々に、はねかえった球が東京のフォワードの前にこぼれてしまい、無念の先制を許す。その後ワントップのY田君にボールを集め攻撃するが、得点を奪えず1対0で敗退。

 その後は、大阪チームと東京チームと交流戦を何回か行った。
 大阪チームとは交流戦3対2で勝ち。前半にトップ下のS水君に右サイドハーフのI崎君から縦にボールが入り、これをサイドからねらい澄ましたセンタリング。これにY田君がヘッドで飛び込む。
 後半逆転されるも、Y田君のフリーキックが決まり、その後、フォワードのO塚君からそのときはボランチをしていた私が右の空いたスペースに飛び出し、ゴール前のY田君へパス。Y田君がつぶれたところへI崎君が詰めてシュートをうち、3点目を決めて勝利した。

 もう一度東京との交流試合をしたが、これは途中で雨が強くなり中止。そこまでの得点では負けていた。

 夜は懇親会を守山駅近くの魚和という料亭で行い、懇親を深めた。

 全国大会前に、中々いい練習になったが、寄る年波には勝てないというか、接触プレーをした時に左膝を痛めてしまい、湿布生活である・・・。

 腰を痛めて無念の欠場だったM野君ともども、大会までには何とか治そう。

 みなさん、お疲れ様でした。

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2009年9月11日 (金)

明日は法曹サッカーチャンピオンズリーグ

 明日は滋賀県守山市のビックレイクにて、法曹サッカーチャンピオンズリーグである。
  これは、最近優勝経験のある東京、大阪、京都、横浜でホーム&アウェイ方式で戦うというものを東京チームが企画してくれたのである。明日は京都のホーム戦。
 明日の対戦相手は東京。
 30分ハーフのガチンコ勝負。
 こちらは主力選手が何名も欠席。
 どうなることやら・・・
 当然私も出場する。

 副会長になって体力が落ちているのに、走れるだろうか・・・。
 不安だ。

 今日は東京で日弁連60周年記念行事があるので、出張。
 明日があるし、早く帰ってこようっと。

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2009年9月10日 (木)

ズブロッカ

 Y下弁護士がポーランドで買ってきてくれたおみやげの一つにポーランド産のウォッカがあった。ズブロッカである。
 これは、ズブロッカ草という草が中に入っているフレーバーウォッカで、副会長をしているとイライラすることが多いので、寝酒に飲んでみたところ、飲みやすくて美味しく気に入ってしまった。
 ズブロッカ草という草を主食にしている牛(銘柄は忘れた)がとてもタフで力強いので、このズブロッカ草という草には強壮作用があると信じられているそうである。
 寝酒は習慣としてよくないのだが、やはり弁護士会の理事者はイライラさせられることが多く、そうした夜でのみにいけない時は、ズブロッカをロックで飲んでしまうのである。
 最近、もらい物のお酒が多くて、ありがたいやら太る原因になるしこまるやらである。

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2009年9月 9日 (水)

ネッシー

 先日、サイエンス・ワールドというシリーズの中の、ネッシーに関するDVDを観た。
 ネッシーがいるのかいないのかということを科学的に検証するDVDである。
 こんなDVDを、タキタロウでも作ってくれないかなあ。

 目撃証言の一つ一つを検討し、推論をたてていくのだが、過去撮影されたフィルムで当時、「人工的でない」と鑑定されたフィルムが再鑑定の結果、「人工的なもの」とされたり、ネス湖でただの木の棒を浮かべたら、2割くらいが、ネッシーではないかと駆け寄ってきたという実験をしてみたり、ネス湖の湖底にカメラを沈めてみたり、ネッシーが海から来た恐竜という説を検証するために地質学的な検証もしたみたりと、大変科学的であった。

 DVD全体の論調からはネッシーはいないという結論になりそうだが、そこはさすがに「いない」とは結論づけていない。
 日本のタキタロウも調査に来てくれないかなあ。

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2009年9月 8日 (火)

特異な人の相談

 弁護士をしていると、いろいろな人の相談を聞くことになる。被害妄想の人、精神疾患がある人、思い込みが激しい人、人の話を全く聞かない人…。

 事務所で聞く場合には、断ればいいのだが、弁護士会の相談や苦情がある時には聞かざるを得ない時がある。
 私はえてしてこうした相談や苦情対応に駆り出ささせられるのであるが、極意は一つ、腹をくくって話を最後まで聞くことである。
 表面上だけ舐めて聞いていい加減なことを言っていると、余計に相談は長引くし、相談者は怒って手がつけられなくなる。
 本人の主張をぐっとこらえて聞いて、とにかく聞くことである。
 元々弁護士の話の聞き方は、イエスイエスバットノウである。相談者が話をしているうちから、「いや、それはね・・・」と切り返して話の腰を折ってしまうと、余計に長引く。ある程度相手に話をさせて、ふんふんと聞いてから、いやでもそれはね・・というのである。時に相手の話に相の手を入れて、話を整理しつつ聞くことくらいはすべきであろう。

 これは相手方の場合も同様で、相手方は怒っているので、やはりまずは相手方の言い分を聞くべきであろう。中々時間がないと聞いていられないことはあるが、その場合には、途中で、もう少ししたら出ないといけない等話をして、後日かけ直すこともある。

 弁護士の基本は聞くことである。ただ、これが最も辛かったりする。渉外事務所のビジネスロイヤーでは味わえない辛さである。しかし、そこが腕の見せ所であったりもする。

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2009年9月 7日 (月)

福引き

 小さい頃、近くの市場でやっていた福引きにやたらあたった。
 あてたものは、「現金1万円」「テレビ」その他もろもろで、福引きをすれば一等か特等をあてていた。テレビは2回あてた。小学校の時に私だけで行っていたので、よく母親を呼びに家に戻ったものである。

 その頃のことをたまに思い出して、福引きをしたり、宝くじを買うのだが、いっこうにあたらない。
 大きくなって記憶がはっきりしてからあたったのは、せいぜい桑田佳祐のテレホンカードくらいである(何かの宣伝で、ホール&オーツと競演していた時の懸賞)。

 そのときはわからなかったが、今になって思うと、小さい頃はとてつもなく貧乏であったので、市場の福引き係りの人があわれに思って、私が行くときには一等か特等を入れておいてくれたのではないかと思うくらいあたったのであるが、実際のところはどうであったのであろう。

 今はその時よりは貧乏ではないので、福引きがあたらないのであろうか。

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2009年9月 4日 (金)

泣いて馬謖を斬る

 三国志時代の伝説的軍師であった諸葛亮孔明は、白眉という語源のもととなった馬良という武将の弟である馬謖をかわいがっていた。将来の自分の後継者と目していたようである。
 しかし、諸葛亮の君主である蜀を建国した初代皇帝の劉備は、「馬謖は、あまり重く用いてはならない」と言っていた。
 劉備の死後、諸葛亮は劉備の遺言である魏(魏志倭人伝で有名な魏である)を討伐するために北伐を開始する。

 このとき、諸葛亮は馬謖に軍を預け、敵との戦いに際し、「けっして山上にのぼるな」と厳命したのであるが、自らの才を恃む馬謖はこれを聞き入れず山上に陣取ってしまう。
 魏軍はこれを見て、山裾にある水手を絶つ。たちまち山上の蜀軍は渇し、魏軍にさんざんに打ち破られてしまうのだった。
 これが為に他の戦線も維持できなくなり、やむなく諸葛亮は北伐を断念する。
 軍令に従わず、全軍敗北のきっかけを作った馬謖の罪は重いと判断した諸葛亮は、泣きながら馬謖を斬ることを命ずる。関羽、張飛なき後の蜀軍には有望な武将が少なくなっており、馬謖を死罪にすることに反対する家臣もいたが、諸葛亮は、それでは軍令がいきとどかなくなるとして、自らがその才能を愛し、後継者にと考えていた馬謖を斬ったのであった。

 諸葛亮は馬謖を斬ったが、馬謖は諸葛亮を恨むことなく従容として斬られ、諸葛亮は馬謖の遺族が飢えないように処置をした。
 この逸話を見ても、諸葛亮は法家であったことがわかる。魏の曹操と同じく、韓非子の思想を是としていたのであろう。
 諸葛亮は、馬謖を斬るときに、その主であった劉備の人間を見抜く力が自分よりも勝っていたことを認めざるを得なかったであろう。
 何度か書いたが、劉備は徒手空拳で蜀の皇帝にまで上り詰めた人物であり、三国志演義に描かれたような聖人君子ではなく、もっとドスのきいた男であったから、人を見る目はあったのであろう。

 組織が円滑に活動するためには、どれだけ愛する家臣でも、功績がある家臣であっても、罪の前には平等であるという諸葛亮の思想も求められているのではなかろうかと思うのである。

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2009年9月 3日 (木)

読書日記9月3日

「破船」新潮文庫。吉村昭。
 穀物が採れない海辺の村。何年かに一度海が荒れた時に流れ着く「お船様」に積んである荷(米やその他の珍しいもの)は彼らにとっては天からの授かり物であった。時には船員を打ち殺してでも彼らは荷を奪う。生き抜くために、ここまでのことをするのかという暗い暗い話。
 しかし、二年連続で流れ着いた「お船様」には恐怖が積載されていたー。
 とてつもなく暗い暗い話。しかし、モノがあふれている今日こそ、こうした物語は読まれるべきである。圧倒的な筆力で、最後まで一気に読み切ってしまった。
 この作者の作品は、「破獄」と「熊嵐」を読んだだけであったが、これからは他のものも読んでみようかと思った。

「武将の運命」朝日文庫、津本陽。
 私の敬愛する作家の一人である津本陽が戦国武将について語ったエッセイ。信長が短気とされるのは間違いである等々、平易な語り口で鋭いエッセイがつづられる。

「司馬遼太郎が考えたこと 6」新潮文庫。司馬遼太郎。
 机の上で行方不明となっていたものをこのたび発見して続きを読んだ。
 おもしろかったのは、「長州人の山の神」と、「ゴッホの天才性」と勝海舟について語ったエッセイ。
 勝海舟のスケールは龍馬をしのぐと私などは考えている。龍馬も勝海舟と出会っていなければ後世にこれだけ名前を残さなかったであろう。勝海舟については、津本陽の「私に帰せず」がいい。
 明治陸軍で圧倒的な権力を持っていた山県有朋やその他明治の元老が頭が上がらなかった長州のある人物を描いた「長州人の山の神」もおもしろい。尾籠な話だが、山県有朋の細君は、この人物の大便の処理までさせられている。
 ゴッホの絵は私は理屈抜きに好きで、事務所にもポスターをいくつか飾っていて、ゴッホの作品が収められた画集も持っているのであるが、実のところその人生についてあまり詳しくは知らなかった。絵を好きというのに、その作家の人生はあまり意味を持たないと思っていたからである。
 司馬が書いたゴッホの天才性を読んで、背景を知るとまた絵も変わって見えてくるものだという思いを新たにしている。

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2009年9月 2日 (水)

辞任通知の出し方

 たまに他の弁護士がやっていて、不満だとか、失敗したということで、事件を引き継ぐことがある。
  依頼者の方から、前の弁護士に断り(解任)を入れてもらうのだが、解任されると気分が悪いためであろうか、早々に辞任通知を出す弁護士がいる。

 たとえば、それが破産事件であるような場合には、弁護士が辞任すれば、貸金業者側は、本人に取立を行うことが出来るようになる。
  私は解任されたことはないが、辞任したことは何度かある。破産を依頼して、いつまでも資料を用意せず連絡がないとか、専ら依頼者側の事情である。
 そういうときも、次の弁護士を探すのであれば、その間辞任通知を出すのを待つようにしている。
 取立が行われないようにするためである。

 解任されるような場合には、次の弁護士が決まっていることもあるであろうから、その弁護士が引き継ぐタイミングと、辞任通知を出すタイミングを同時にしてあげるというような気配りが欲しい。

 何回も解任されるというようなことがあるというのは、自身反省した方がよいであろう。

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2009年9月 1日 (火)

守株

 中国の故事。ある日、野良仕事をしていた百姓が、兎が走ってきて切り株にぶつかり首の骨を折って死んだところに遭遇する。これに味を占めた百姓は、野良仕事を辞めてしまい、切り株を見張って兎を得ようとした話が韓非子に掲載されている。

 このことから、頭がかたく、臨機応変の才能がないため時代の進出に遅れることを指す(三省堂 新明解国語辞典、第6版より)。

 経営者も同じである。たとえば、周囲でパソコンが使えない弁護士も多いが、時代がパソコン全盛の時代に入っているにも関わらず、パソコンを使いこなせず、また、使いこなせないとしてもその機能がどういうものかも知らず、一時代前の状態のままで経営しているとすれば、時代の変革に乗り遅れるであろう。

 長年の経営のうちに、経営者の感覚も固定化してしまい、時代に合わないものになっていることもあるであろう。
 常に自省しなければ、敗者となってしまうであろう。
 弁護士の業務も同じである。

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2009年8月31日 (月)

イタチ

 私が高校1年生まで住んでいた大阪市内のボロボロの小さい家の裏は大きい駐車場があり、屋根があったのだが、相当その駐車場も古く、いろいろな動物が住んでいた。
 夕方になるとコウモリが飛び、風呂で裏の戸を開いて入っていると、イタチの親子が顔を見たりしていた。
 どうやら駐車場に住んでいるようで、時折姿を見せていた。
 今でいうと、フェレットみたいで可愛らしかった。
 私の家は隙間だらけであったようで、床下に色々な動物が入り込み、ネズミも走り回っていた。

 バブルの頃に開発されてしまったので、何回か前を通ったが、その頃の風景とは全く変わってしまっていた。あれではイタチの親子も住む場所を追い出されてしまったであろう。

 今は滋賀県に住んでいるが、イタチを見ることもない。まだ田舎の方にいけば、イタチはいるのであろうか。様々な動物が絶滅の危機に瀕しているようで、追いやられた動物たちがどこに行くのか、あるいは行くところがなくなってしまうのか心配である。
 先日モグラらしきものを見たが、捕まえようと思って見ていたが、地中深くに逃げられてしまった。
 ニホンカワウソとか、ニホンオオカミとか、死に絶えた日本固有種も多い。
 魚類でも死に絶えようとしている種もある。
 出来るだけそのようなことがないように願うばかりである。

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2009年8月28日 (金)

午後の紅茶アジアンストレート

 私はコーヒーが飲めない(正確にいうと、別に飲むのは嫌いではないのだが、飲むと必ず胃が荒れるので飲まないのだが)ので、紅茶を好んで飲んでいる。
 弁護士会でも私だけコーヒーが飲めないので、紅茶を入れてもらっている。

 私は基本的によほど疲れている時でない限り、紅茶には砂糖はいれず、ストレートで飲むのだが、売っている紅茶はみな砂糖が入っていて、甘ったるいのであまり飲まないか、買っても最後まで飲めないのが常であった。

 しかし、最近発売された午後の紅茶アジアンストレートは、私の希望通りストレートで、飲んだ後の清涼感(ジャスミンの香り)が気に入って飲んでいる。
 この紅茶の悲しいところは、すべてのコンビニで売っていないことと、大きいペットボトルがないことである。
 同じような味のジャワティーもお気に入りで、事務所の下の自販機で事務員にまとめ買いしてもらっている。

 勤務弁護士の女性の方のK弁護士がコーヒーの香りを美味しそうにたてて飲んでいるのを尻目に(飲みたい気持ちはあるのだ。フィリップ・マーロウもよくコーヒーを飲む)、私はジャワティーか、午後の紅茶アジアンストレートを飲むのである。

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2009年8月27日 (木)

読書日記8月27日

「日本怪魚伝」角川文庫、柴田哲孝。
 日本の巨大魚についてのアンソロジー。無茶苦茶おもしろい。小説である。
 四万十川のアカメという魚に始まり、大島池のタキタロウ、オオウナギ、巨鯉、クエ等々。
 時間を忘れて貪るように読んだ。
 これは未確認生物が好きな人も是非一読すべきである。

「司馬遼太郎対話選集3、歴史を動かす力」文春文庫。司馬遼太郎。
 海音寺潮五郎との対談をはじめ、歴史についての対談が収録されている。
 小説だけでは見ることの出来ない、司馬の歴史についての造詣を知ることが出来て興味深い。

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2009年8月26日 (水)

タキタロウ

 私は未確認生物の類もものすごく好きで、テレビでやっていると絶対に見てしまう。川口博探検隊もどきどきしながら見ていた。

 最近、未確認生物を調査に行きたいという欲求にかられている。

 一番行ってみたいのは、昔からそうなのだが、山形県朝日村の大島池に生息するとされるタキタロウの調査である。

 タキタロウはこの大島池にのみ生息するといわれる巨大魚で、体長2~3メートル、イワナなどのマス系の魚であることは間違いがないようである。
 その正体については、様々な説があるが、私はマス科の魚が陸封され、大島池という閉ざされた空間で、独自の進化を遂げた固有種であると考えている。

 昔はタキタロウを釣ったり捕獲して地元では普通に食べていたという記録があり、魚拓も残されている。その身は脂がのって大変美味だという。

 昭和57年に登山をしていた人たちが大島池に巨大魚が群れているのを発見し、話題を呼んできた。
 その後調査も行われ、深部に体長2メートル級の巨大魚野魚影がソナーで確認されている。

 釣り上げられたという記録もあり、ネット上には動画があったりするが、私としては、それが真実タキタロウであるかはわからないとも思える。釣り上げられているのは、普通のサイズのアメマス(イワナが巨大化したもの)のようにも見えるのである。
 タキタロウであるというためには、やはり体長が1メートルを超えてこないと確定が難しいように思えるのだが。
 タキタロウは実在するのであろうか。調査旅行とかしたら楽しいだろうな。全然仕事と関係ないけど。

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2009年8月25日 (火)

多忙は理由にならない

 相手方や依頼者に対する対応がずさんなものであったり、説明が不十分で相手方を怒らせる弁護士は多々いるが、忙しい時に電話をされてきたら基本的にこちらの方も怒りがちだが、相手の方は自分の主張を聞いて欲しいと思っているし、それは誤解や事実誤認に基づく場合も多いから、基本はしっかりと聞くべきであろう。

 忙しいからと言って、それを聞かずに、また、相手方の言っていることの事実確認もせずに済ましてしまうというのはやはりプロとしては怠慢といわれても仕方がないであろう。
 多忙だから事件処理(相手方との対応や依頼者との対応)が出来ない、事件数が多いというのであれば、新規の受任を断ったりすべきであろう。勤務弁護士の場合で自分の個人受任事件が多く事務所の業務に支障を来すという場合には、当然個人の事件受任をしないように心がけるべきである。私も実際勤務弁護士の頃はそうしていた。

 少しずつ経験がたまっていくと、新人の頃は丁寧にしていたことでも、いい加減になってしまったり、自分が偉くなったかのように誤解してしまう人もいるが、経験がたまればたまるほど、法律家の仕事というものの怖さを十分に理解していなければならないということになろう。

 好事魔多しという。信長が全国統一の志半ばで本能寺に倒れたのは、彼が絶頂の時期であった。
 絶頂の時ほど危ない。常日頃そのような心がけでいないと、いろいろな落とし穴が掘られているのである。

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2009年8月24日 (月)

相手方に対する応対

 相手方に対する応対も弁護士によって様々であるが、破産の申し立ての時によく使われるのは、「決定が出てから管財人にいってくれ」というのである。私はそうしたことはあまり言わず、申し立て代理人レベルで処理が出来ることはするのだが、えてしてこういう弁護士に限って、費用はたくさん取っていても、何もしていないことが多い。

 破産の債権者はだいたい怒っているので、申し立て代理人がある程度話を聞いて破産という制度を説明することで、管財人の仕事が楽になったり、裁判所への苦情が少なくなる。

 怒っている人相手にこちらが怒ってみても話は進まないので、説明すべきは説明し、聞くことはある程度聞いてあげることである。

 一度、離婚事件で精神を病んだ相手方から、毎日30分くらい1ヶ月くらい電話があったことがあったが、これもふんふんと聞いていた。
 破産事件の債権者で、だまされたと言って毎日30分くらい電話してきた債権者もいたが、毎日話を聞いていた。

 そういうものだと思うのである。

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2009年8月20日 (木)

ボブ・ディランに職務質問

 ボブ・ディランがコンサート前に時間があるので会場の近くをうろうろしていたら、若い警察官に職務質問をされたというニュースを見た。2人は、名前をディランに聞いて、ディランが、「ボブ・ディラン」と答えても知らなかったようで、わざわざホテルまで着いて来て怪しい人物でないとわかってようやくディランから離れたそうだ。ディランってもう68歳なんだ。

 しかし、ディランを知らないとはディラン自身も苦笑するしかなかったであろう。
まあ、そこそこ歳がいっているのに、あの風貌だから、警官も「怪しい!!」となったのであろうか。
 それが記事になるところもディランはすごい。

 かくいう私も何回か職務質問を受けたことがある。正月に雪が降ってスコップが必要なくらいであった時に、自宅にはスコップがなかったので近くのホームセンターまで大型スコップを自転車で買いに行って、エコの観点から袋に入れてもらわず、自転車のかごに入れてキコキコこいでいたら、警官に呼び止められたのである。
 職業は?どこに行く?そのスコップは?どこに住んでいる?と偉そうに聞かれる。
 ムカッときたが、冷静に考えるとかごに大型スコップを積んで走っているのは怪しいかもしれない。
 弁護士と言っても信じて貰えず、弁護士であるという身分証もなく、いくらこっちが怪しいと言っても偉そうに言われるので段々キレてきて、法的なことをべらべらと話をすると、警官もどうやら「怪しい人物」ではないとわかってきたようで、解放してもらえたが、あまりいい気分ではなかった。
 ディランもいい気分ではなかったろうなァ…。

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2009年8月19日 (水)

依頼者への連絡・報告・相談・説明

 何回か似たようなことを書いたが、弁護士会で市民窓口(弁護士に対する苦情相談窓口)を担当していると、表題のことが出来ていないのではないかと思われる弁護士が多数いるのではないかという気持ちにさせられる。

 弁護士から連絡をもらったことがなく、いつもこちらから問い合わせをして、居留守っぽいこともあったという話もあるし、何回かかけてようやく連絡が帰ってくるというような話も割合聞く。多忙は理由にならない。依頼者は弁護士に依頼をした以上、弁護士からの連絡を待っているものだからである。
 事件の進行内容の報告も重要である。私は基本的に動きがあれば、メールかファックスか郵送で、事件の進行状況について文書を作り依頼者に報告する。相手方からきた書面やこちらが出したものについては基本的に写しを送る。裁判になっているものについては、期日ごとに報告書を出す。
 よく、「自分の事件が今どうなっているか全く報告がないのでわからない」という話を聞く。

 事件の処理方針について、依頼者に「どうしますか」という相談がないという話もよくある。「こうしといたし」とか、「この方がいいからこっちでやります」と一方的な話がされて反対したり、質問したら、「プロに文句をつけるのか」ということで依頼者の口を封じ込めてしまうという話もよくある。
 事件方針については、最終的に決めるのは依頼者であり、弁護士は依頼者に対して情報とメリット・デメリット、可能な範囲での予測を説明しなければならないし、法的問題点についてはわかりやすい言葉で説明しなければならない。
 私の事務所では、基本的に文書で説明をして、必要があればさらに打ち合わせをして決定するようにしている。

 説明についても、委任契約書の条項をひとつひとつ説明し、一般事件であれば、交渉・調停・訴訟とそうした場合どのように進んでいくかということを説明文書とともに説明し、証人尋問前には尋問内容もさることながら、尋問がどのように進むかということ、座る位置、宣誓の仕方、裁判所の介入尋問があること等々について、これも説明文書とともに説明する。

 これが当たり前だと思うのであるが、実際はそうでないようである。
 8月31日には弁護士会で倫理研修の講義を担当副会長として弁護士相手にするので、今少しずつレジュメを書いているのである。

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2009年8月18日 (火)

事件が進まない相手方弁護士

 たくさん事件をやっていると、相手方弁護士が準備を全然しなかったり、したと自分では思っていても裁判所もこちらも「それでは足りないよ・・・。トホホ。」というような事件にあたることがある。

 そういう時は、裁判所が進めることに淡々とやるか、こちらで出来ることは全てやって、淡々と判決を取りに行くしかしようがない。
 もっと若い頃は、イライラして早くするように相手方弁護士に対して怒ったこともあったが、怒ってみても事件が進まないので、怒るだけもったいないと思って淡々とやるようにした。

 時には相手方の混乱した主張をこちらでまとめてあげたこともあるが、その方が早いのであれば、自分の依頼者の為にはなると思って、しこしことやっているのである。

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2009年8月17日 (月)

読書日記8月17日

「レイディ・イン・ザ・レイク」ハヤカワ文庫。レイモンド・チャンドラー。
短編全集の三巻。湖中の女に一部取り入れられた短編が表題作。
チャンドラーを読まずして、ハードボイルドは語れないであろう。

「トラブル・イズ・マイ・ビジネス」ハヤカワ文庫。レイモンド・チャンドラー。
短編全集の四巻。マーロウが主人公で登場する表題作がいい(ただし、後にマーロウに書き換えられていて、元々は違う名前。ジョン・ダルマスという探偵がマーロウの前身。)。後は、探偵小説についてかかれた「無駄のない殺人の美学」(タイトルややいいかげんだが)という小説について書いたチャンドラーノエッセイが秀逸。過去に名作とされる作品が、きわめていい加減であることを論理的に指摘している。その後、チャンドラーの作品の中に出てくる探偵に共通するチャンドラーが求める男性かくあるべしというようなところが書かれる。
 マーロウは後ろ盾がないもないが、何も恐れず、誇り高く、自分に対する侮辱に対しては正当に仕返しをする弁護士として参考になるところが多いので、若手弁護士は読んだ方がいい。長編を読めば足りるだろうが。

「ひとくちの甘能」新潮文庫。酒井順子。
 エッセイストの酒井順子氏による、「甘いもの」エッセイ。カラーで、名店舗のおいしそうな「甘いもの」(酒井さんによると、スイーツと言ってはだめなのだそうである)がたくさん掲載されていて、甘いものがそれほど好きではない私でも、「ううむ、食べてみたい」と思うものがいっぱい載っている。甘いもの好きな方は是非ご一読を。

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2009年8月14日 (金)

相手方に対する連絡

 私は事件の相手方に対する連絡は基本的に書面でしている。
 書面でする方が、こちらの主張が正確に伝わるし、相手方が相手方の依頼者に伝える時にも正確だし、「相手方から別紙の手紙が来ているがこれこれこういうように私は考えるがどうか」という程度の連絡文をつけて自分の依頼者に連絡が出来ると考えるからである。

 しかし、連絡を電話でしてくる弁護士が割合多い。書面を書くのが手間なのかもしれないが、これはいくつかの点でプロとしては怠慢だと考えている。

 まず1点目は、こちらにメモを取らせる作業をさせることである。メモを取る課程で、間違えるかもしれないし、手間を相手方にとらせるということである。
 2点目は、メモを取らせた内容を、こちらがこちらの依頼者に連絡する際、依頼者に正確を期すために文書にするのだが、その手間もかけさせることである。

 こみいった内容で、くどくどと自分の主張を述べる弁護士もいるが、「書面にしてほしい」と言ってもこういう弁護士はしないのである。

 様々な意味で、相手方に対する連絡は基本は書面(ファックスがあるので郵送しなくとも早く相手に到達するし、空いた時間に読むことが出来る)ですべきだというのが私の考えである。

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2009年8月13日 (木)

電車を乗り過ごす

 電車を乗り過ごした経験はみなあるのではないだろうか。

 普通の時間に普通に寝ていて、「もう少ししたら降りる駅かな」と思って目が覚めて見たら、降りる駅でドアが閉まるところであった時、妙にそのドアがスローモーションのように見えたのを覚えている。
 最終電車で寝ていて野洲までいったこともある。

 この間は、本に集中しすぎていて、地下鉄を乗り過ごしてしまった。ひと駅で気づいて、すぐに反対側の地下鉄に乗ったので、大幅に事務所に入るのが遅れたことはないのだが。

 逆に、何かに集中していたり、寝ていて、自分が本来降りる駅よりも前の駅で「降りなければ」と勘違いしてしまい、降りてしまったこともある。
 座っていて席を立って降りようとして風景が違うことに気づいて、降りないのだが、そうした時は恥ずかしいので車両を変えたりしている。
 たまにこういうのは他の人も電車でしているのを見る。

 電車に乗っている間何もしないのはもったいないというのが私の感覚なのだが、あまり集中しすぎたり、爆睡してしまうと危険なのが電車である・・・。

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2009年8月12日 (水)

コンラッドの灰皿(M島君の結婚式、余談)

 披露宴の待合時間にコンラッド東京で葉巻を吸っていて、灰皿を見るとものすごく底が浅かった。
 裏返して見ると、十分な深さがあったので、「これは裏返してあるんやな」と思い裏返して葉巻を吸って灰を落としていた。

 しかし、他の皆はそのまま吸って浅い浅い底に灰を落としている。
 「ははあん。裏返すの分かってないな」と思っていると、ホテルの人がすっときて、私の灰皿を換えていったのだが、また灰皿は底の浅い状態であった。

 があああん。灰皿も東京ではこんなにおしゃれなのか。わかっていなかったのは私の方であった。田舎もん(正確には関西人なのだが)丸出しである。
 このままご使用くださいとか、赤色で書いておいて欲しいもんである。

 まるで初めての洋式トイレの使用方法がわからない旧日本人みたいである。

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2009年8月11日 (火)

M島君の結婚式後編

 M島君はサッカー部の合宿で奥さんとなるべき人に「こうしてプロポーズした」という話をしていたので、私は西村あさひ事務所のホームページを見てどんなすてきな女性かと見たのであるが、残念ながら「No Photo」であった。ううむ。残念。

 今日は実物が見られると思って、それは楽しみにしていたのであるが、披露宴前に撮影をしている二人を発見。ううむ。綺麗な人である。人柄も良さそうである。だいたい私は顔を見たら分かるのだ。ぺこりと挨拶をされる。なぜか照れる私。

 目的の大半は達成したのであるが、私の役柄が残っているため、帰る訳にもいかず、数人のサッカー部部員に席を替われと強要するが、いくら主将でもそればかりは出来ないようで、仕方なく主賓席へ。
 皆ものすごく頭が良さそうである。私はさほど頭はよくないと自覚しているので、その頭がいいオーラに圧倒される。服装も私から見ると洗練されている。さすが主賓席。

 披露宴が始まり、スポットライトを浴びて若い二人が入場。そして主賓席から二人が挨拶。挨拶がうまい。話に自信が満ちているようである。
 二人の話が終わり、乾杯の挨拶を頼まれていた私の番である。

 だいたい私はこんな正式な場で挨拶をするようなタイプの男ではないのである。しかもスポットライトを浴びている。せっかくホテルの照明が暗く、副会長になって太った為黒色スーツが着られず、ウエストを太くした紺色スーツでごまかしているのに、そんなにライトを浴びせられてはばれるではないか。ええい。

 たどたどしい私の挨拶に、会場からは失笑が漏れたのであるが、サッカー部員からは「よかった」と言ってもらえた。なんとか乾杯までこぎつけ、無事役をつとめられた(はず)。
 主賓にあるまじきたどたどしい挨拶に、主賓席でも失笑気味であったが、まあ私にこういう挨拶をさせるM島君が悪いのである。
 後はよどみなく披露宴はすすみ、横の席に座っておられた二人の方の気配りもありそりなりに話もさせてもらい(私の話はきっとつまらなかったであろうが)、すばらしい披露宴は三時間半ほどで終わったのであった。
 終電になんとか坊主頭のUっちーと乗り込み、二人でまたグリーン車で酒盛りをして帰ってきた。
 暑い暑い一日であった。
 

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2009年8月10日 (月)

M島君の結婚式前編

 京都は二つの事務所を交代で回るので、指導担当が二人いる。これからどうなるかはわからないが、今まではそうである。
 私が独立して数年後、それまで修習指導担当は10年以上ということになっていたのだが、修習生の人数が増えてきたため、10年目以内でも修習委員会の許可があれば指導担当が出来ることとなった。
私は特別希望したわけではないが、修習委員会の副委員長と親しかったためか、抜擢されて指導担当となった。
 そのとき来てくれた初代修習生がM島君とW野君である。

 M島君は西村あさひ事務所で頭角を現している優秀な若手弁護士になり、このほど、同僚の女性弁護士と結婚するということで結婚式に呼ばれた。
 最近、こうした時に呼ばれて困るのが、私自身は全く偉くなった訳でもなく、初めて会う人と面白おかしく話が出来るタイプでもなく(人見知りなんです。ボク。)、あらたまった場で話しをするのがとてつもなく苦手であるのに(宴会で馬鹿な話をするのは割合出来るのだが)、主賓席に座らされて、とてもとても偉い人の横に座らされたり、挨拶をされられるのである。

 たいていは、「主賓席にしんといて」「あいさつはなしでな。歌なら歌うけど。」といっておくのだが、先方も指導担当で、その後もサッカー部でつきあいがあるということになるとそういう訳にもいかないらしい。
 とても気が重いのだが、主賓席に座らされて、私のような人から見ればまぶしすぎる東京の渉外事務所で、一年で私の生涯賃金くらい稼ぐような先生と同席にされてしまい、その場にはそうした偉い偉い先生方が並んだのであった。
 私たちが普段参考にしている商法やM&Aの本を書いている側の先生たちで、まぶしすぎて視力が落ちるほどである。話し方も私などとは違い、大変自信に満ちている。
 私のような市井の町ベンがそんな華やかな席に座るということじたい、場にそぐわず、M島君を恨むのだが、M島君の都合もあるであろうから、主賓席に座った。
 サッカー部の面々からも、「主賓席はものすごいアウェイな感じですね」と言われる始末である。席を替わってくれるよう懇願するが、当たり前なことにそんなことは許されないのであった。
 つづく。

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2009年8月 7日 (金)

経験がないうちは

 経験がないのであるが、「弁護士はこうですよね」とか、「こう思うんです」という若手弁護士がたまにいる。
 こういう弁護士もキャラクターによっては、その生意気さが「かわいらしい」と思える人もいるのであるが、たいていはうっとおしがられる。

 そういう弁護士も数年すれば分かるのであるが、経験がないということはどうしようもないデメリットであり、数年して、自分が若い時に偉そうに言っていたことに冷や汗をかくのである。逆に、冷や汗をかかない輩はどうしようもないダメな弁護士であるといえる(たまに真実優秀な弁護士もいるかもしれないが、私はいまだそうした弁護士に出会ったことがない)。

 真剣に五年やった弁護士には、いくら優秀であっても1年やそこらの経験しかない弁護士はふつうはかなわない。五年を過ぎると、能力の差が出るような気もするが、そのあたりはあまり考えてみても仕方がないであろう。自分よりも優秀な人間は世の中にふつうはごまんといるし(私より優秀な人を数えた方がこの業界は早いであろう)、比較してどうこうする仕事でもない。

 あるいは、自信がないために語りたがっているのかもしれないが、そういう弁護士と話しをしても気分が悪いだけなので、私は話をしないことにしている。
 ある女性弁護士に言われたのだが、私は宴会でワイワイやっているように見えて、その実、気に入った人としか話をしていないですね、と言われたことがあった。
 見られている人には見られているもんであるなあ、とそのときは感心した。

 この稿に、取り立てて結論はないのだが、主張すべきは主張すべきだが、それは裏付けのある能力があってのことであり、周囲に能力を認めさせられないうちは黙っている方が無難ということであろう。能力は、本当にあるなら周囲が勝手にもり立ててくれるから、あまり自分からぺらぺらと話をしても仕方がない(私は自慢壁があると言われるので、自戒を込めて書いている。)。
 弁護士の社会もやはり先輩を立てる時は立てていくべきである。
 あと、かわいげがないと、だめであるが、かわいげばかりは生まれついてのものなので、どうしようもないところはあるであろう。

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2009年8月 6日 (木)

釣りの欲求

 時々、無性に釣りがしたくなる。
 中々暇がなくていけないが、太古の狩猟していた頃の本能というか、そういうものは誰しも持っているのではないか。
 珍しい虫を捕って興奮したり、より大きな魚を釣ってみたいというのは、たいていの男は持っているように思われる。
 これは私もそうである。

 司法試験を勉強していた頃は、時間はあったから、勉強にうっ屈してくると、時々竿を持って出かけた。自動車の運転に自信がないので(今もないのだが)、電車とパスで出かけた。
 ほとんど釣れないが渓流に行ったり、海に出かけて釣りをしていると、気持ちが晴れやかになるのである。釣れなくとも、自然の中に行くということもやはり必要なのであろう。

 相当偉い検察官になった同期で同学年で同じ刑事訴訟法蝉であったS井を無理矢理誘って海に行ったこともあった。無理矢理S井を早起きさせて、神戸の方の海に行ったのである。
 釣果は全然であった記憶である。その頃、釣り雑誌を見て、まず小魚を釣って、そのまま釣り上げずに泳がせて、その小魚をえさにしているより大きい魚をねらうという「飲ませ釣り」なるものにあこがれていて(なぜ憧れていたのかはもう忘れてしまったが)、それを「やろう」ということで無理矢理にS井とともに早朝から海に出かけたのであった。
 釣果は全然で、周囲の釣り人も平日であるのに来ているのはなぜか等々疑問はありつつも釣れていなかった。
 焦った私は早く釣らねばと思うばかりに周りを見ずに投げてしまい、S井の指を釣ってしまいけがをさせたりしてしまったが、S井はそういうことでは怒らないのであった。
S井の釣りの欲求があったのかどうか、あるいは私が強引に連れていったので「ヤレヤレ」ということでつきあってくれたのかは、未だに謎である。

 ともあれ、最近は釣りがしたくなると、琵琶湖に流れ込む自宅横の小さい川で釣りをしている。小さいがウグイやフナ、コイ、ブラックバス、ブルーギルが手軽に釣れて、多少は無聊を慰めてくれる。
 朝から晩まで、日に焼けて前のように釣りがしたいものである。

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2009年8月 5日 (水)

読書日記8月5日

「キラー・イン・ザ・レイン」レイモンド・チャンドラー。ハヤカワ文庫。
 チャンドラーの短編集の1。他でも訳されているが、新訳ということで購入した。
チャンドラーは短編・中編のプロットを使い、あるいは改編して長編に焼き直したことで知られる。後のマーロウものの原型がここにある。マーロウを主人公にしたものもあるが、これは元々はマーロウではなかったようである。
 横溝正史もこれをよくやっていて、昔はこういう小説作法は珍しくなかったようである。

「トライ・ザ・ガール」も読んだ。これは短編集の第2巻。「さらば愛しき女よ」の原型がトライザガールである。ただし長編になる時に、大幅に改編されている。
 マーロウが「金魚」という作品で登場しているのはうれしいが(これも元々はマーロウではなかったようである)、訳でマーロウが自分のことを「俺」といっているのはよくない。やはりマーロウは「私は・・・」で始まる、「私」という訳がふさわしい。
 やたらみんなウイスキーを飲むので、何となくウイスキーが飲みたくなってしまう。

「司馬遼太郎が考えたこと 7」司馬遼太郎。
 6巻が私の自宅の机の上で行方不明になったため(途中まで夜にちびちび読んでいたのだが)、7巻を読んだ。司馬のエッセイがさえ渡る。中では、山姥であると称して、夫と別れて一人で自宅を文字通り建てて、一人で出産をし、自らを「バンジン」と呼ぶ女性の逸話が印象的であった。そのような「バンジン」の彼女も、自らの息子を自らの所有物と考えていて、息子に恋人が出来たとたんに、精神に変調を来したという逸話である。
 明治までは成人した男子は公のものという思想があったのであるが、昨今の思想の変調に「バンジン」までが同化されられていたのかという司馬の嘆きなのかなんなのかわからないが、司馬が書きたかったことであろうかと思う。
 巻末のエッセイでは、司馬作品の限界というような第三者によるエッセイが掲載されているが、司馬の作品は小説であり、小説である以上、そこに作者の解釈や自由度が入ることは当たり前であるから、史実を前提にどう書くかというところに焦点を当てるべきではなかったろうかとも思ったりした。

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2009年8月 4日 (火)

不況の影響か・・・

 最近はたばこのように細く巻いた葉巻(キューバブランドのコヒーバのクラブという細いもの)を吸っているのだが(太い葉巻は中々吸う時間もないので)、この葉巻が最近葉が少ないのだと思うが、吸っていると持っているところがしなしなとなって、吸いにくい。

 少し前にキューバに大型の台風であったかハリケーンであったかが直撃して葉巻産業に大打撃というような記事を読んだような気がするのだが、そのため葉が少なく、こんな風になっているのかもしれない。
 あるいは昨今の世界的な不況の影響で、葉を少なくして、利益率を上げているのかもしれないが、吸っているうちにしなしなとなると、何となく気持ちもしなしなとなってくる。
 最後まで葉がしっかりと残っていて、吸い口がしっくりくるものがやはりありがたい。

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2009年8月 3日 (月)

汗臭い

 電車に乗っていたり、道を歩いていると、とてつもなく汗臭いにおいを感じる時がある。自分ではないかと思ってくんくんと臭うのだが、どうやら違う(はず)のである。

 汗臭いにおいをまき散らしながら歩いている人がいるということである。夏場に風呂に入らなかったりすると、とつてもなく汗臭くなるであろう(体臭が元々きつい人も体質的にいるではあろうが)。

 先日も歩いていると、あたり10数メートル四方が臭いことがあり、「何だろう」と思ってみると、それらしい人がてくてくと歩いていた。どう見てもしばらく風呂に入っていない感じである。

 それを見て、宮本武蔵は生涯風呂に入らなかったという説があるが、これは嘘であろうと思った。風呂に入らない習慣の民族もいるが、それはたいてい空気が乾燥している地帯の民族なのである。日本のように高温多湿な国で、風呂に入らず過ごすというのは、いかに武蔵でも無理であったろう。
 武蔵は放浪の旅をしていた一方、各地でその地その地の高名な大名のところに寄宿していたりしていたのであり、あまりにもむさ苦しい格好をしていては大名の席にはべることも出来なかったであろうからである。
 武蔵は晩年、細川忠利というよき理解者を得て、充実した時間を過ごすことが出来るのであるが、忠利は武蔵よりも先に死んだから、晩年に至り武蔵が始めて得た心の知己である忠利の死後、風呂にも入らずむさ苦しい格好でうろついていたので、そのような伝説が出来たのではないかという説を何かの本で読んだ記憶があるが、何の本であったか思い出せない。

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2009年7月31日 (金)

手帳について、その2

 その後は、しばらく訟廷日誌と、手帳は高橋のフェルテを使用していた。
 フェルテは見開きで1週間の予定が書き込めるのと時間軸が書かれていたので、予定を整理するのに役立っていたのである。

 しかし、副会長に就任して、しばらく多忙であり、訟廷日誌から手帳に書き写す時間もなく、しばらくさぼっていたら、別に訟廷日誌だけでも不自由しないと思うようになり、副会長職にもやや慣れて時間に余裕が出来ても(仕事も最近暇なのだが)、書き写す気が失せてしまった。

 あと、電子手帳は私はいやである。やっぱり手帳は一覧性がほしいのである。
 大事務所だと、複数の弁護士の予定を一覧するために、事務所のパソコンと個別の弁護士の手帳をリンクさせる必要性から取り入れているのだと思われるが、私の事務所はそこまでの規模でもないので、やはり必要ない。

 手帳はやはりアナログだと思うのである。
 手帳に書き込むのは専用の極細の万年筆と決めている。

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2009年7月30日 (木)

手帳について、その1

 私は手帳は紙ベースのものを使用している。大阪弁護士協同組合から出ている訟廷日誌である。黒色の付録付き(後ろに交通事故で使用するライプニッツ係数や、裁判所の管轄区域が掲載されている。別に楽しい付録ではない)のものを平成8年に弁護士になってから使用している。
 これに特別思い入れがあるという訳ではないのだが、最初に勤務した事務所がこれを使用していたので、そのまま使い続けている。

 弁護士用の手帳を使用せず、システム手帳を使用している人もいる。しかし、あれは書き込む欄が少なく、1日に様々な予定が入る我々の仕事には不向きではないかと思う。昔修習生の頃はシステム手帳を使用していたが、システム手帳の大半は普段使用しないので、あれだけの分厚さは必要ないのである。

 市販の手帳を使用している人もいて、昔、訟廷日誌と併せて、「超整理手帳」を使用していたことがあった。これは長期の予定をジャパラにした紙で見られるというもので、締め切りが把握できるという触れ込みであったので購入して2年ほど併用して使用していた。しかし、これまた書き込む欄が小さすぎて、まるで米に人形の絵を描く中国の絵師のような苦労があったのでやめてしまったのである。

 つづく。

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2009年7月29日 (水)

腕時計なし生活

 最近暑いのと肩がこるので、腕時計を外している。
 腕時計がなくとも、町中には割合時計があるし、携帯電話があればそれほど困らない。

 私のボスも腕時計が嫌いで、ずっともっていなかったとのことである。プレゼントでもらった懐中時計を使っておられるが、それもほとんどみない。

 時間に追われる職業なので、腕時計は必須のような思いもあったが、なければないで(町中に時計があるからだが)、何とかなるもんである。
 まあ、秋になればまた着用するのだが。
 暑いのに、腕時計にさらにブレスレットや、ネックレスをしている男性がいるが、よく肩がこらないものだと感心する。私は装飾品は大嫌いなので、チヤラチャラとつけている人はよくあんなもの大量につけているなあと思うのである。

 なければないで何とかなるものというのは、世の中に意外にたくさんあるのかもしれない。

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2009年7月28日 (火)

夏休み

 学生の頃、夏休みが始まるのが嬉しくてしかたがなかった。
 私は朝が弱いので、ゆっくりと寝ていられることが嬉しかったのである。

 宿題は7月中にやりあげてしまい、8月は遊び倒した。セミ取り、釣り、海・・・。
 熱射病で倒れるくらい遊んだこともある。

 8月もお盆を過ぎて、2学期が近づくと、憂うつになってくるのである。
 
 ミスチルの「光の差す方へ」という歌の歌詞には、母親が「夏休みのある小学校時代に帰りたい」というくだりがあるが、働いている身ではせいぜい5日間の休みが取れる程度である。
 私の事務所は暦通りでお盆も休まず、誰かは出てきている。
 お盆でも依頼者に対応できる体制でありたいという思いからである。
 最近会務ばかりやっていて、事件が入ってこないので暇であるが。

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2009年7月27日 (月)

三つ数えろ

 滅多に映画は見ないのだが、最近チャンドラーのマーロウものを読んだので、ハンフリー・ボガート主演の「三つ数えろ」(原作は、「大いなる眠り」)をDVDで買って、日曜日の昼から見た。
 チャンドラーは、ボガートが演じるマーロウが一番好きだったということなので、原作を読むときにはボガートを想像して読むといいかもしれない。

 ボガートはただひたすらにかっこいい。たばこを吸う仕草、顔をしかめるそのしかめ方、酒を飲む仕草の一つ一つがサマになる。出てくる女優さんも皆驚くほどの美女である。

 ボガートはハードボイルド作品では、ダシール・ハメットの名作「マルタの鷹」でもサム・スペードを演じてはまり役であったが、マーロウもはまり役である。

 村上春樹の新訳で、チャンドラーの「ロング・グッドバイ」が出てから、マーロウというか、再びチャンドラーが脚光を浴びている。原燎という人の作品で出てくる探偵は、完全にマーロウをイメージして創られている。チャンドラーの短編全集も出ている(それも買ったのだが)。

 最近古い歌とか、古い映画を見ているが、最新の映画を見なくとも、最新の歌を聴かなくても、古いものでも相当いいものがある。推理小説も歴史小説ばかり読んでしばらく読んでいなかったのだが、ここ二年ほどは推理小説も一定割合読んでいる。ヴァン・ダインとかも久しぶりに読もうと思って買い込んできたりしているが、読んだことを忘れて本棚に同じ本があったりする。時間があれば、横溝正史も読み返してみたいのだが、横溝正史はだいたい筋を覚えてしまっているのと、本格推理小説でトリックで「あっ」と驚かされるので、再読には適しないという思いもある。横溝正史も、「何度も獄門島を読みました」といわれるのが嫌いであるというようなエッセイを書いていた。

 ともあれ、私は丸顔でクマのような顔なので、ボガートにはほど遠いのだが、生まれ変わったらああいうかっこいい男になってみたいものである。

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2009年7月24日 (金)

かごに入ったネコ

 少し前だが、地下鉄に乗っていると、かごに入れられたネコが乗っていた。席の横のスペースに、台車にかごがくくりつけられて乗せられていた。

 私がちょうどその向かいに座れたので、可愛くて見ていた(動物好きなので)。
 ネコは、地下鉄に乗せられたことで物凄く緊張していて、駅についてドアが開く度に、黒目の部分を大きくして、「ハッ」という感じで開くドアから危険な何かが乗ってこないかを緊張してて見ていた。
 その姿が物凄くかわいらしく、またあのネコに会えないかと思っているのだが、それ以来会わない。
 もっとも、ネコからしたら、地下鉄に乗せられるのはもうこりごりなのであろうが。

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2009年7月23日 (木)

インターネット接続環境

 私の事務所はひかりであるが、考えるとインターネット接続環境というのは飛躍的に利用しやすくなったものである。
 私がネットをやり出した頃、世の中はダイヤルアップであった。
 私のアドレスはその頃取得しているので、メールアドレスを変えるということが出来なかった。一度それで使い出したので、変えるのが面倒なのでそのまま使用し続けている。従って、私のメールアドレスのアルファベットや数字には何の意味もない。

 ダイヤルアップは、つなごうとすると、「ピポパポ」という音をさせて、ジージージジジ…と音がして、物凄い遅い速度であった。今だったら「きいいいいいいいい(注 イライラしています)」となるであろう。
 その次はADSL。これも「速っ」と思ったが、すぐに世の中はひかり全盛期になった。
 ひかりより物凄く速い通信環境もあるようだが、メールとブログをするくらいなので、当面ひかりで十分である。

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2009年7月22日 (水)

弁護士も慣れてくると

 弁護士も慣れてくると、仕事のやり方に自分のクセが出てくるようである。
 常に自省していないと、いつの間にか失礼であったりしているかもしれない。

 たまに失礼な書面を貰う時がある。そういう時は私はきちんと「失礼だ」ということにしている。不愉快なまま終わらせない。相手の弁護士は普段それでやっているのであろうが、抗議されないことをいいことにして、ズボラなやり方をしていることも多いのである。

 自省自省の精神が必要である。

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2009年7月21日 (火)

電車の中で…

 電車通勤していると、たまに人の話が耳に入ってくることがある。
 中には本当に話が面白くない人たちがいる。
 いったん耳に入り出すと、面白くないから聞きたくもないのに話が耳に入ってくる。
 とてつもなく面白くない話を、面白いような顔をして話をしているのである。
 面白くない話は密室で2人でして欲しいものである。

 ただ、本当に面白い話の方が耳に入ってくると危険である。
 笑い出しそうになるから。
 そう考えると、面白くない話の方が罪がないのかもしれない。

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2009年7月18日 (土)

読書日記7月18日

「フィリップ・マーロウの事件」レイモンド・チャンドラーほか。ハヤカワ文庫。
レイモンド・チャンドラーの生み出した名探偵、フィリップ・マーロウを主人公に一線級の作家たちが短編を寄稿したアンソロジー。みなチャンドラーの作風を真似て書いているので、チャンドラー好きにはたまらない短編集である。
 マーロウは離婚事件の調査は引き受けないと言っているが、どうしてそうなのかはチャンドラーの作品の中では明らかにされなかった。マーロウが離婚事件を受けなくなった理由を描いてみた野心作も収録されている。
 最後にチャンドラー本人による「マーロウ最後の事件」も収録されている。
 どこからどうみてもマーロウはかっこいい。
 反動でハンフリー・ボカート主演の「三つ数えろ」(大いなる眠りの映画化)のDVDを買ってしまった。いつ見られるのやらという感じだが。

「執念谷の物語」海音寺潮五郎。新人物文庫。
 海音寺潮五郎の短編集。新聞で、海音寺の作品が文庫化されると見て、早速に購入。
 沼田城を手に入れる為に真田昌幸が権謀術数を用いて非常の手段を用いた経緯を描いた表題作が秀逸である。昌幸の為に利用されるだけ利用されて最後は滅ぼされる豪族たちの悲運が描かれている。戦国ブームというが、戦国を表面だけで語るなと海音寺であれば叱ったであろうと思わせる作品。細かな史料に基づいて展開するその取材力にもうならせられる。
 適当な史料だけであまり調べもせず書いていると思われる昨今の歴史作家とは一線を画しているといわざるを得ない。

「スナーク狩り」宮部みゆき。光文社。
 宮部みゆきの描写力、物語展開力はやはりすごい。息もつかせぬサスペンス作品である。模倣犯などで、人を殺すことを何とも思っていない殺人者を描いた宮部ワールドがここにもある。詳細はこれから読まれる人のために割愛するが、これは読み物として大変面白い作品である。

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2009年7月17日 (金)

きいいいいとなる事

 「きいいいいい(注 イライラしています)」となることは人それぞれであろうが、私もいくつかある。
 急ぎの携帯メールで事務員に指示しないといけないような時に、アンテナはやまほど立っているのに、何回やっても、「送信できませんでした」となるときは「きいいいいい」となる。
 さらに、その後、立っていたアンテナが全部消えたりして、「電波届いてなかったのに、携帯がおかしな表示になってたんかい」となるときも、さらに、「きいいいい」となる。
 ほかにもいろいろ「きいいいい」となることはあるのだが。

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2009年7月16日 (木)

弁護士会のノートパソコン

 弁護士会には副会長用に一つデスクの上にノートパソコンが置いてある。これを副会長になって使いだしたのだが、普段使っているノートパソコンとキーボードの配列が微妙に違う。
 バックスペースで削除したつもりが、弁護士会のノートパソコンでは行の先頭に行くボタンとなっていて、何文字が消したつもりが、単に行の先頭でカーソルがチカチカしているだけであったりして、「きいいいいいいいいいいいいいい(注、イライラしています)」となるのである。

 ほかの副会長は、自分の体をキーボードに慣らすことを選択したようであるが、私は自宅でもノートパソコンで仕事をしたりプログを更新したりするので、配列がその都度違うとタッチタイピングをするときに勘が鈍るのである。

 仕方がないので、出入りの業者さんに頼んで、ノートパソコンにUSBでつなげるキーボードをつないで使用している。先日お茶をこぼして若干キーボードの働きがおかしいような気もするが、配列が違うよりはよいと思って、ノートパソコンにキーボードをつないで使用している今日この頃である。

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2009年7月15日 (水)

自分の尺度

 小学校の時、割り箸をナイフで削ってペンのようにして、それに墨をつけて絵を描くというのを図画工作の時間であったかにやっていた。何年生の時であったかは判然としない。
 私はまあまあ絵は得意であったので、先生に褒められていたのであるが、ある時、自分の指を書いてみようと思って、指をリアルに書いた。
 当時の私の視力は2.0であったので、指に生えている毛まで書いた。リアルさを追求する小学生であったのである(なんといっても、絵を習いに行こうとして、1回でやめたほどであったから、絵に対する興味はあったのである)。

 ところが、この絵を描いて提出したところ、先生は、「中君、こんな毛まで見えるはずがないでしょ。」と決めつけられた。私は毛が見えるので、「見えます」というと、先生はなぜか、「嘘を書いてはいけません」と決めつけてきたのである。そのとき、いたいけな小学生であった私の心は痛く傷つけられたのであった。

 今だから分かるが、小学生の先生は一般的には全然偉くもなんともないのである(個別に偉い先生がいることは当然である)。単に資格として教師の資格を取り、就職先として教師を選んでいるに過ぎないし、人格的常識等々が優れているという訳でもないので、彼女はどうやら近眼であったようで、指の毛など見えなかったのであろうと思う。
 そして、彼女は、自分に見えないものは、当然私にも見えないはずという論理的帰結で、私の書いた絵を全否定したのであった。
 自分の尺度を持つことも大事であるが、その尺度が正しいかどうかについては、常に自省が必要なのであろうなあと、今でも指の毛を見ると思うのである。

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2009年7月14日 (火)

混雑しているところで手を振り回すじいさん

 電車通勤しているので、駅を歩くことがよくあるが、周囲を見ていない人が多いことは何回か書いた。
 最近気になるのは、周囲を見ずに、身振り手振りや、自分が行きたい先を人に聞いていて、人の顔の前に突然手を突き出してきたり、振り回すじいさんである。
 時に人差し指が突き出されることもあり、こちらも歩いているところに指が出されれば、カウンター気味に指が目にでも入ろうものなら失明の危険だってあるのである。
 混雑しているところや、混雑していなくとも、人の通行する可能性のあるところで、手を振り回したり、突然突き出すのはやめて欲しい。

 単に私が突き出されやすい性質の人のせいなのか(そもそもそのような性質の人がいるのかどうかも不明)、よく手を突き出されて顔に当たりそうになるのである。だいたい私はそういうことをしそうな人の近くを通る時は注意しているので、こちらがよけて事なきを得ているのであるが、いつか顔につきだした手が当たりそうで怖いのである。
 そう思いながら自転車で走っていると、鞄をぐるぐると振り回す女子中生がいた・・・。
 ヤレヤレ。

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2009年7月13日 (月)

兵庫県弁護士会との懇談会

 金曜日は午後から兵庫県弁護士会で懇談会であった。
 それぞれの弁護士会が抱えている問題点や課題について意見交換・情報交換をするというもので、大規模と小規模の中間の規模の単位会同士の兵庫と京都で毎年行っているものである。

 兵庫県の弁護士会館で懇談後、懇親会をしたのだが、船でのクルージングであった。さすが神戸。おしゃれである。サッカーの松井のドリブルテクニックくらいおしゃれである(最近本を買ったのである)。
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我々が乗った船である。コンチェルト号という名前であった。船室で中華をいただきながら、引き続き懇談をし、その後ホテルのバーで夜景を見ながら懇談した。それぞれの弁護士会が抱える問題点などを聞くことが出来、大変有意義なひとときであった。

 そして新神戸から新幹線に乗って帰京したのだが、京都駅でほかの副会長が騒いでいるのでどうしたのかと聞くと、「会長が降りてこなかった」というのである。席が離れていたので、わからなかったということであるが、いくら待っても会長は階段から下りて来ない。ううむ。どこにいったのか。

 携帯に電話するが、呼び出すが出ない。何度か繰り返して出ないので、副会長4名はあきらめて、京都駅のホテルグランビィアで飲み直したのであった。
 翌日聞くと、会長は寝過ごして三島まで行って、新横浜で泊まって帰ってきたらしい。
 新神戸から京都程度の距離で寝るのはきわめて危険だということである。
 やれやれ。

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2009年7月10日 (金)

弁護士会の副会長

 副会長に就任して、ようやく任期の4分の1が過ぎた。
 先は長い。
 副会長は(会長もだが)、無給であり、やったところでお金が貰える訳でもない。
 たいてい副会長を終わった翌年は1人でやっている弁護士は副会長時代事件が出来なかったとして、事件が来ないと言っている。
 名誉に興味がある人はいいが、私のように名誉に興味がない人間にとっては弁護士会に対しての御礼返しみたいな気持ちでやっている。

 週に一度午後いっぱいを使って役員会、週に一度は在会していろいろな決裁をして、後は弁護士に対する苦情を聞くための市民窓口の担当というのもある。
 担当の委員会は20程度有り、なるべくこれに出席する。
 後は担当の関係で行政にあちこち出向いたり、様々な懇親会(宴会)や、協議会などへの出席もある。

 これでは事件が出来ないのである。睡眠時間を削るか、弁護士会の副会長の仕事をさぼるしかないということになる。
 幸い私の事務所にはほかに弁護士が2名居てくれるので私が出来ない分を補ってくれているが、自分自身は弁護士の本来の仕事をしたくてしたくて仕方ない今日このごろである。
 副会長でもうこりごりという感じである。

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2009年7月 9日 (木)

電車の中で空いているのに密着してくるそこそこのお歳の女性

 電車通勤していると、地下鉄では立っていることが多いのだが、そうすると、空いているのに、妙にくっついてくるそこそこのお歳の女性がいることがある。
 立ち位置に困っているのか、あるいは手すりに掴まりたいのか分からないが、物凄いスペースが空いているのに、寄ってきて、くっついてくるのである。

 私が体を避けると、そっちの方によって来る。寄られたくないのだが、いくら避けても寄ってくるのである。私の体に磁石でも入っているのかという寄られ方である。
 ここ数年の謎である。

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2009年7月 8日 (水)

ちょい太

 私のインターネットエクスプローラーは、マイクロソフトのホームページがホームに登録されているのだが、先日、「ちょい太」の方が長生きするという研究がカナダで出されたという記事が掲載されていた。まあ、この記事が目についたのは、大太のリスが記事の上に象徴的に写真掲載されていて、大変可愛かったからなのであるが。太い動物は可愛い。著作権の関係で掲載出来ないのが大変残念である。

 BMIが肥満の指標になるというのだが、肥えているかどうかは、その人の筋肉量にもよるであろうから、いちがいには言えず、単なる指標でしかない。筋肉量が多く、鍛えていてBMIは肥満気味でも、実は鍛えていて長生きだったということもあるのではないであろうか。
 森光子さんは毎日200回のスクワットを欠かさず、それが為に健康を維持されているというから単にBMIだけに頼るのは危険であろう。
 私のBMIはヒミツである。

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2009年7月 7日 (火)

クールビズ

 私はクールビズが流行る前から、夏はネクタイを外していた。
 外すといってもただ外すのではなく、当時数少なかった「ノータイでも着られる」というシャツを伊勢丹だったかどこかで見かけてそれを着ていたのである。
 前にも書いたかと思うが、当時は周囲のベテラン弁護士から「中さん、ノータイか。涼しいやろ。ええなあ。」ということをよく言われた。
 そもそもネクタイは防寒着が期限ということも言われていて、高温多湿な日本の気候には合わないのである。

 そのうち政府がクールビズを打ちだして、その後はクールビズ旋風であるが、電車に乗っていたり、町中を歩いていると、今まで着ていたワイシャツの単にネクタイを外しただけというオジサンが多い。
 何となくショボイ雰囲気で、せっかくクールビズをするのであれば、ノータイでも見栄えのするシャツにすればよいと思うのだが。

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2009年7月 6日 (月)

道いっぱいに広がって歩くウォーキングオバサンたち

 私が帰宅する時間帯にはウォーキングをしているオバサンたちがいる。
 1人でしていることは少なく、2人か3人である。
 だいたい話をしながら歩いているので、横一列で歩く。
 2人だと自転車も通れるが、3人だと微妙である。
 どちらかに私がよけようとすると、だいたいこういうオバサンは、私がよける方によける方にかわすのである。
 又は、全くよけようといないオバサンも多い。そして、自分たちが歩道を一列になって通行を妨害しているのに、こちらに不満な目を向けるのである。
 自分勝手にもほどがあると思うのだが、こんな人はウォーキングしないで欲しいものである。

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2009年7月 3日 (金)

真田十勇士犬

 机の上にペットボトルを置いておくとぬるくなるし、いちいち冷蔵庫に冷やしに行くのも面倒だと思っていたので、タンブラーというか、小さい水筒を買いたいと思っていたのであるが、これも戦国ものをネットで見つけてしまったので買った。
 真田十勇士をモチーフにした犬が跳んでいて、真田の旗印がかたどられている。
 しかし、あまり量のことを考えていなかったというか、きちんと見ていなかったので、少し容量が小さい。
結局なくなっては冷蔵庫までいって継ぎ足している。
しくしく。

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2009年7月 2日 (木)

甲冑の袖部分のストラップ

 最近戦国ブームなので、そうした店もないかと思ってネットで検索していたら店がけっこうあるのである。
 その中で、気に入って思わず買ってしまったのが、甲冑の鎧袖の部分をかたどったストラップである。
 携帯につけると少し大きめなので、カバンにつけている。
  正式な真田のものが売り切れであったので、他の赤字の鎧のものに六文銭の旗印をつけている。
 これでO原K司弁護士にカバンを間違えられずに済むのではないであろうか。

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2009年7月 1日 (水)

読書日記7月1日

「坂の上の雲7」「坂の上の雲8」文春文庫。司馬遼太郎。
 秋山好古は満州の野で劣弱な日本騎兵隊を率いて荒れ狂う嵐のようなロシア軍の猛攻をわずかな手兵で支える。彼が支える左翼が崩れれば、ロシア軍は日本軍を包囲することが出来、満州の日本軍は滅び去るのである。その中、好古は酒を飲みながら、ここから引かないという決意のみで軍を支えていた。
 満州の日本陸軍はもはや増援も期待できず、極限の状態での戦いが続いていた。ロシア軍が退却したために、奉天の大勝利につながるが、危険な綱渡りが続いていた。
 奉天での勝利の後、アメリカの仲介による講和の話も頓挫し、講和の次の機会は日本海でのバルチック艦隊と日本艦隊との戦いの後にやってくることは明らかであった。
 バルチック艦隊を撃滅しなければ、日本陸軍は満州の地で孤軍となり、また、講和の際にも日本の領土はロシアに削られることになるのである。
 日本の運命が賭けられた日本海海戦で、東郷平八郎は、その奇跡的な運の良さもあり、しかし練りに練った戦術もあり、バルチック艦隊を撃滅することに成功する。
 そして講和が成る。
 元寇以来、列強の植民地とされる危険が高かった明治維新期から日露戦争までの一大叙事詩は終わりを告げる。
 今の日本がなぜあるのか、そして、逆に日露戦争が後の太平洋戦争にどう影響を与えたのかを考えさせられる巨編を読了した。
 司馬遼太郎という作家を得たことは日本人にとって幸福である。

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2009年6月30日 (火)

戦国旗指物ストラップ

 貰った高価なストラップが傷んでぼろぼろであったので、仮面ライダーV3の仮面をキューピーちゃんが被っているキュージョンというのを次につけていたが、仮面ライダーの角が折れてしまった。
 そのため、何かいいものはないかと思っていると、TSUTAYAにDVDを借りに行った時に、ガチャガチャで「戦国旗指物ストラップ」というのが有るのに気づいた。
これだーっと思って何回もトライ(1回100円)。
 上杉謙信ファンなので謙信の旗指物が欲しかったのだが、なかなか当たらず散財してしまった。
 謙信のをつけるのは何となくもったいないので、謙信の次に好きな真田幸村のストラップをつけている。赤字に六門銭の旗指物である。
 このストラップは携帯の画面クリーナーでもある。
 この土日でやっと全種類揃った。
 だいたいこの話をするとバカにされる。
 アホでけっこーである。私はアホであるから。

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2009年6月29日 (月)

臭いおしぼり

 先日タクシーに乗ると、おしぼりを渡された。紙製で、ビニール袋に入っているヤツである。喫茶店とかでよく出てくるやつである。
 湿気が多く暑くなってきたところであり、汗もかいていたので、顔をそれで拭くと、物凄く臭かった。
 臭い理由として考えられるのは、
1、自動車のにおいが染みついた
2、その運転手が臭い
3、中で雑菌が繁殖している
 くらいであるが、どれも嫌な理由である。
 顔がおかげて臭く、運転手が話しかけて来てくれるのであるが、テンションの下がった私は生返事しか出来なかった。まあ、元々タクシーの運転手さんで話しかけてくる人は嫌いなのであるが。日中人と話す職業なので、タクシーに乗った時は黙って考え事をしていたい。
 ともあれ、臭いおしぼりは本人としてはいいサービスのつもりでやっているのであろうが、マイナス効果である。
 これなら出さない方がましというものである。
 あまり臭いので、駅についてトイレで顔を洗ったほどである。
 嗚呼、臭。

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2009年6月26日 (金)

近畿大学ボクシング部廃部

 一週間前くらい前のことであるが、近畿大学の部員が強盗を働いていたということで逮捕されたことを受けて、同大学がボクシング部を廃部にした。
 その廃部までのスピードは非常に速く、内外に波紋を呼んでいる。

 まず、廃部とすることについて、部員達の意見を聴いたのかどうか、どういう手続が踏まれたのかが気になるが、一方的に廃部したような印象を受ける。
 日本人心理として、江戸時代の五人組ではないが、集団の1人が悪いことをしたら集団で責任を取りましょうというのがあるのかも知れないが、これは論理的に考えれば何の解決にもなっていないのである。
 監督責任ということがいわれるが、正直部の顧問の先生だって、隠れて個人的に犯罪をしていたものを黙認することはあまりあるまい。組織的にしていたというのであればともかく、部の中の一部がそうした行動を取ったからと言って、一定期間活動停止くらいがせいぜいではないか。
 高校野球でも同じようなことが言われるが、たくさん部員がいれば中にはそりゃ悪いことをする奴が混じっているというのは統計学的にもあり得ることである。アリの中の働き蟻でもさぼる奴はさぼるのだが、そいつを排除すると、違うアリがさぼり出すということが観測されているが、一部が悪いことをしたからと言って、真面目にやっていた子の権利を奪う事が果たしていいことかどうかということなのである。
 強盗を働いていた部員は刑法に従って厳罰に処されるべきである。情状酌量の余地が全くない犯行だからである(ただし、今後親族の援助などで被害弁償や示談をしたり、本人自身が反省すれば、それは良い情状になることは間違いない)。
 私はこの、集団責任主義というのか、その考え方というかやり方が前からしっくり来ないのである。

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2009年6月25日 (木)

髪の毛のこと

 私も随分髪の毛が薄くなったが、まだ禿げているというところまではいっていない(はず)。
 なぜグリーン車にはハゲが多いのかという本を先日読んだと書いたが、まああれはこじつけの部分もあるかなとも思いつつ、禿げるよりは白髪の方がいいなあとも思ったりしている。
 白髪もほとんどなかったのだが、鬢のあたりが、少しずつ白くなってきた。
 白髪だが、髪の毛が豊かにある方が最終的には若く見える気がする。司馬遼太郎や、五木寛之はこのタイプであろう。
 白髪で禿げているのは二重ショックであるが、まあこれも仕方ない。
 私は出来ればある程度黒髪のまま、禿げないでいたいなあと思いつつ、そういう訳にもいかないのであろうと思ったりしている。
 周囲には自らの髪の毛のことを自虐的ネタにしている人がいる一方で、カツラをかぶっている人もいる(抗ガン剤などの副作用で急激に禿げた人ではなく、自然にその状態の人を指す)。
 特に男性にとっては、髪の毛は非常に気になる部分ということなのであろう。
 私自身は、禿げたら、髪の毛は短くして、いつぞやの厚生労働大臣みたいに横から無理矢理髪の毛をもってくるのはやめようと思っているし、カツラはつけないつもりである。
 もし私がそうしていたら、「あのときブログでこう書いてましたやん」と言って欲しい今日この頃である。
 ちなみに、ブログの写真はもう6年くらい前で、既に今は茶髪ではなく、黒髪である。髪の毛も細くなって量も減った感じである。

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2009年6月24日 (水)

そこをなんとか

 「そこをなんとか」という漫画がある。白泉社から、麻生みことさんという作者が書いておられて、単行本も2巻出ている。
 主人公は新米の女性弁護士で、キャバクラで苦学して法科大学院を出て弁護士を目指したが、就職先がなく、薄給で働くはめになるーという話である。
 監修を弁護士さんがされていて、他のありがちなあり得ない弁護士漫画と一線を画している感がある。

 私が代表をしている「法曹人口問題を考える会」(京都の弁護士を中心に集まっている会、ただし、3000人賛成とか反対とかいうイデオロギーを掲げている訳ではない)というものがあるのだが、その会合にお招きしたところ、心よく麻生みことさんは来て下さった。
 随分前の話だが、単行本2巻には、私を含めて当日列席した弁護士の名前が掲載されている。
 破格の厚遇というべきであろう。
 漫画としてもどんでん返しあり、ホロリとさせられる話あり、で、大変面白い。
 是非ご一読されたい。

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2009年6月23日 (火)

淡路島釣行記その6

 オジサン達は地元の漁師さんであった。
 「今頃淡路島に来ても何にも釣れへんよ」
 「冬場は和歌山の方が元々ええなあ」
 「あの防波堤はつい先日出来たばかりの防波堤で、特にあんなところには魚はおらんわ」
 「防波堤の工事で魚が逃げたと思うな」
 「釣り具屋に騙されたなあ」
 があああん。そうだったのか。そんな情報だってどこにも書いてないもん。

 それを聞いて、「中君に釣り場を探させたらあかんなあ。」とN村T雄。
 何を言ってやがる。これまで私が選んだ釣り場で嬉々として釣っていたクセに。
 ショックを受けつつ、帰路についた我々。
 その後、S浜弁護士親子が釣りに来ることはなかった。
 おわり。

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2009年6月22日 (月)

淡路島釣行記その5

 仕方なく適当な場所を見つけて釣り始める。
 寒い。寒い。しかも釣れない。釣れるのは小さいフグと、小さい小さいカレイばかり。
 初心者も多い為、絡まったりするとなおしてあげないといけない。今回はN村T雄は自分の手を釣り上げませんように。

 そのうち、余りの寒さに、私とN村T雄弁護士はたき火を始めた。
 みな釣りを中断しては火にあたりにくる。

 女性陣も到着したが、あまりの釣れなさにがっかり。

 そのうち、場所を変えたらと誰かが言いだし、先の方に私が防波堤のようなものを発見したので、そこで釣りをすることに。
 しかし、ここは前にも増して釣れない。
 はるばる淡路島まで来たというのに。

 そのうち、皆疲れてきて、昼過ぎに帰ることにした。
 帰る途中にラドン温泉を見つけて、皆で入る。固まっていた体がほぐれていく。
 湯は相当熱いが、それが心地よい。
 このラドン温泉には何名かのオジサンが先に浸かっていた。
 誰とでもすぐ話を始めるN村T雄は、そのオジサン達とも話をし出した。
 つづく。

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2009年6月19日 (金)

淡路島釣行記その4

 そのそこそこお歳の女性から返ってきた答えは、「そんなもん、そのへんどこでも竿出したら釣れるがな」という答えであった。なんというなげやりな答えであろうか。
 それでも食い下がる私。
 「そのへんと言っても、自動車でどの程度走ったあたりとか、何かないですかねえ。」
 それに対して、
 「自動車で5分でも10分でも20分でも走ったらええがな。」
 なんというなげやりな答えであろう。
 もう、この女性から答えを聞き出すのは不可能であると悟った私達は、釣り具屋をあとにした。我々が出て行ったあとで、ドアに鍵をかける音がした。
 まさか、横溝正史の小説のように、この島ではよそ者は嫌われるのか?しかし、淡路島は観光地ではないか。
 偶々昨日寝不足で、今日は5時に起きられなかっただけなのか、あるいは5時に起きているというのが虚偽であったのか、あるいは、昨日夫とケンカでもして機嫌が悪かったのか、あるいは私がなんとなく気に入らなかったのか、謎が謎を呼ぶ淡路島である。
 突然前途を遮られて、意気消沈するS見会釣り軍団。
 女性陣はまだすやすや寝ているはずである。彼女達は、温泉にゆっくり浸かり、朝ご飯を食べてからゆっくりと来る予定なのである。
 そんな時間に我々は釣り場情報すら教えて貰えず、仕方がないので暗闇の中を走り出したのであった。
つづく。

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2009年6月18日 (木)

淡路島釣行記その3

 6時前に先日釣りに来る前に電話をした釣り具屋の前に来たが、店が閉まっている。
 冬なので、まだあたりは真っ暗である。
 不安になるS見会釣り軍団。
 電話した時には確かに、「朝5時から開けている」と言っていたではないか…。
 エサなしでどうやって釣ればよいのか。

 店の周囲を回ってみるが、開いている様子はない。仕方がないので、何回かインターホンを押し、ドアを軽く叩いてみた。
 そうこうすること5分。中から鍵が開いた。
 そこには、ネグリジェ姿のそこそこお歳がいかれた(失礼)女性が頭にキャップを被って立っていた。
 「何や」
 「いや、前に釣り情報のことで電話させていただいた中というものですけど…。朝5時から店が開いていると聞いたので、エサを買いに来たんですが…。」
 「フン。ほんなら入りや。」
 というやりとり。
 淡路島のそこそこのお歳の女性には、宿の仲居さんを含めて、S見会釣り軍団は歓迎されていないのか。焦る釣り軍団。
 しかし、そうは言っても釣りはしないといけないので、エサを見繕って購入して代金を払う。多少仕掛けも買い足して、私は釣りのポイントを聞こうとした。
 だいたい、地元の釣り具屋は釣りのポイントくらいは聞いたら教えてくれるのである。
 そこで返って来た答えに、また我々釣り軍団は仰天するのであった…。
 つづく。

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2009年6月17日 (水)

淡路島釣行記その2

 宴会が設定されていたのだが、我々が到着するのが遅く、とてつもなく歓迎されない客になっていたのであった。
 とてつもなく愛想の悪い給仕をされながら、宴会が進行する。愛想の悪いオバサン達の給仕も気にせず、どんどん酒を飲むN村T雄率いるS見会釣り軍団。
 最後には、「私ら帰りたいから、後は部屋で飲んでおくれな!!」と言われて、片づけ出されてしまった。そんなに怒らなくてもいいではないか。ケチ。

 まあそうは言っても明日は5時起きなので、皆で風呂に入り、寝ることにした。雑魚寝で、現在では大学生になったS浜先生の娘さんも小学校低学年くらいで、オジサン達がうずまく部屋で雑魚寝となったのであった。女子部屋もあったのだが、お父さんと同室がよかったようである。

 そしてぐっすりと寝た釣りクラブのメンバーが起き出して、自動車でエサを買いにあらかじめ私が電話した釣具屋に向かう。
 しかし、ここで悲劇の序章の幕が切って落とされたのであった…。
いいところだけど、続く。

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2009年6月16日 (火)

淡路島釣行記その1

 先日、S浜弁護士と話をしていると、「娘が大学に合格した」というので、「ひょっとして娘さんって、一緒に淡路島に行った娘さんですか?」と聞くとそのとおりだというのである。
 あれから7~8年経つので、あのときの小学生の娘さんがそんなに大きくなったのかと感慨深いものがあった。
 話は7年か8年前の冬に遡る。

 ある日、酒を飲んでいて、N村T雄弁護士と、「魚釣りに行きたいなあ」という話になった。
 そこで私が場所を選定することとなった。
 釣り情報などを総合して、淡路島にカレイを釣りに行こうという話になった。
 あらかじめ地元の釣り具やさんに電話して聞くと、「よう釣れていますよ」ということであった。何時から開いているかと聞くと、「毎朝釣具屋やし、5時から開けていますわな」ということであった。

 行きたい人を募集したところ、S見会の女性弁護士、司法書士さんが数名と、S浜弁護士とその娘さん達が多数応募があり、10人を越える団体となった。
 淡路島のホテルに宿を予約し、金曜日の夕方京都を車で分乗して出て、淡路島に向かう。
 ホテルには7時頃到着すると言っておいたのであるが、なんやかんやしていると京都を出るのが遅くなり、淡路島に着いたのは9時前であった。
 チェックインをして食事に入ると、食事をする場所は不穏な空気に包まれていた…。

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2009年6月15日 (月)

革靴

 少し高い革靴を買ったのであるが、3月の防災訓練で先が削れて使い物にならなくなった。
 防災訓練には柔らかい傷がつかない靴を履くべきであった。

 あと、少し高い靴は、裏が革張りである。これがあらゆるところで滑る。
 滑らないコツでもあるのかなと思うが、夏などは高温多湿な日本では裏が革張りの靴はあわないのではないかと最近思っている。
 外国では裏が革張りでも滑らないような舗装がされているのであろうか。石畳なのであろうか?

 今はスペイン製のヤンコという靴を好んで履いているのだが、これはモノによっては裏にゴムが貼ってあるので、滑らない。
 日本で履くには裏がゴム製がいいと思っているのだが、あまりゴム製のものはない。
 裏が革張りの靴を履いているおしゃれな人はすべらないのであろうか。
 大変気になる6月である。

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2009年6月12日 (金)

読書日記6月12日

「坂の上の雲」3巻。司馬遼太郎。文春文庫。
「坂の上の雲」4巻。司馬遼太郎。文春文庫。
「坂の上の雲」5巻。司馬遼太郎。文春文庫。
 日本海海戦において日本は辛くも勝利するが、旅順港にロシア艦が逃げ込み、旅順の要塞からの砲撃で近づくことが出来ない。日本海軍は陸軍に旅順要塞を攻めるよう依頼する。ロシアからはバルチック艦隊が出発しようとし、旅順に逃げ込んだロシア艦隊と合流されれば、日本海り制海権はロシアに移り、満州に展開する日本陸軍は日干しとなってしまう。日本海軍としては、何としても旅順港内の艦隊をバルチック艦隊が来るまでに撃破する必要があった。東郷の苦悩。そして秋山真之はバルチック艦隊を日本海で全滅させる作戦を練り上げる。
 その中、正岡子規はその短い生涯を閉じる。
 旅順を攻めるのは乃木将軍であったが、その参謀であった伊地知の無能さの故に要塞に向かい白兵突撃をするのみで、数万人という死者を出すのであった。
 それを見かねた児玉源太郎は持ち場である満州から旅順に向かい、指揮を執りまたたく間に旅順の要塞を陥落させていく。いわゆる203高地を巡る激戦であった。

 司馬は、これでもか、これでもかというくらいに乃木の無能さを書き上げる。確かに、無為無策に等しい攻撃で、しかも203高地さえ取れば旅順要塞は容易に陥落するにも関わらず、戦略眼が全くない伊地知の意固地さによって死に追いやられた日本人はどれだけいたであろう。古今まれに見る無能軍隊であった。これを読まなければ、乃木将軍というのは神聖化されているが故にその実像は誰も知ることはないであろう。
 日露戦争はいよいよ佳境に突入する。
 戦争を礼賛するのではなく、こうした戦争があり、日露戦争に勝利したからこそこんにちの日本に続いているのだということを忘れてはいけない。

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2009年6月11日 (木)

洗い物

 札幌修習時代は、自炊もしていたのであるが、お皿などを洗うのが死ぬほど嫌いであったので、たいてい流しにつけておいた。
 3日に一度くらいしか洗わないのである。
 これも、そのときに洗うのがポイントであるということはわかっているのであるが、ご飯を食べてほっこりしてしまうと、洗い物をする気持ちになれないのである。
 3日もすると、3日前の皿などはぬるぬるしていて、触るのも気持ちが悪くなってくる。
 清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、洗い物をするのであるが、これが面倒である。
 やり出すと、一人分くらいなので、すぐに終わるのであるが、これができないのである。

 こんな私なので、仕事も後回しかというと、仕事はどちらかというと、先にしないと気が済まない方である。
 自分の中で優先順位をつけて、絶対にしなければならないものはすぐにできるのだが、比較的後でもよいようなことは、後回しにするのであろうと自分自身を分析している。

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2009年6月10日 (水)

続・父親の入院

 父親は私が中学3年生の時にも入院した。突然血を吐いたのである。
 入院してみてわかったのであるが、気管支炎になっていて、それでもタバコを吸っていて、気管が傷ついて血が出たのである。
 この入院は2週間ほどであったが、高校受験を控えて、自分は高校に行けるのかと不安になったことを覚えている。12月であった。
 お金もなく、退院するときに、自宅からどてらをもって行き、どてらを着せて自転車の後ろに乗せて連れ帰って、年末休養して仕事に復帰できたのでよかったのであるが、小学校3年の時の入院の時に死んでいたり、中学校3年生の時に父親が死んでいたら、弁護士にはなれていなかったのであろうと最近思ったりしている。

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2009年6月 9日 (火)

父親の入院と病院のうどん

 小学校3年生か4年生であったか、あるいはもう少し小さかったか忘れたのであるが、あ夜中になんだかざわざわしていたような記憶があるのだが、起きると近所の遠い親戚のおばさんが枕元にいて、父親が入院したことを知らされた。

 後から聞くと、父親は下血して、やまほど出血し、救急車で運ばれて、救急病棟で、母親は、「親戚の人を呼びなさい」と言われたということであった。
 結局、大量出血をしたが、一命はとりとめたようで、私が病院に連れて行かれた時には父親は意識もあった。
 父親はその後大阪市内の病院にかなり長いこと入院していたのであるが、私は小学生であったのだが、5歳下の妹を連れて、荷物も持ち、文句一つ言わず母親とともに病院に行き、時には病院の床で寝ていたらしい。
 あまりこの時のことは記憶がないのであるが、病院の地下に自動で熱いうどんが出てくる自販機があり、このうどんが美味しかったことは覚えている。スープが絶品で、母親に数百円もらっては地下のうどんを買いに行って、病室で食べていた。

 時々その頃を知っている人からは、小さい頃から、そんなときでも落ち着いていたと言われるが、実際のところ、父親が入院しているという事実じたいがよくわかっていなかったのであろう。妹の世話をして、荷物も持って、うどんを食べて文句一つ言わないのであるから、母親としてはやりやすかったであろう。
 子どもなので、単にうどん食べたさに病院について行っていたのではないかという気もするのだが、父親が死ぬかもしれないし、そうなれば自分たちの生活はどうなるのであろうという不安から文句など言っていられないということであったのかもわからない。

 私の父親はこの時を含めると合計3回入院するのであるが、最初の入院は2歳の時でよく覚えていないが、もう1回の入院は中学校3年生で受験を控えていたので、よく覚えている。切羽詰まっても今もあまり焦らないと言われるのであるが、父親が死ぬかもしれないという目に何度もあっていることでそうなったのかもしれない。

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2009年6月 8日 (月)

えん罪という国家が犯す最大の罪について(足利事件)

 表題のごとく、えん罪というものは、国家が犯す最大の罪であろう。もっとも、ここでいうところの最大の罪というのは、法治国家における場合の自国民に対してであって、戦争等の場合も除くし、人治国家の場合も除く。形式的に法治国家となっている場合も除く。

 自らがやっていないのであるから、国家によって有罪とされれば、当該その人は法律を信じなくなるであろう。何度もそうしたことが起これば、国民の司法不審につながるのである。
 犯人か犯人でないかという犯人性の認定については、もっとも裁判所が事実認定に注意を払うべきところであろう。被害者の側からみれば、何としてでも犯人は逮捕され、処罰されなければならないという気持ちになることは当然のことであるが、だからといって、無辜の人を罪に陥れてよいということには絶対にならないのである。
 自身がそのような立場におとしめられた時にどう考えるかという観点から考えればすぐに分かることではないか。

 管家さんが刑の執行停止をされて釈放された。しかし、失われた17年間は戻ってこない。無罪判決が出されるまでは時間がかかるのであろうが、無罪判決が出た場合に、これに対して国が補償する額は極めてわずかである(今手元に資料がないのだが、最大、一日あたり1万2000円であったかと思う)。
 長期間国家権力によって抑留されたことに対する額としては何とも言えずみみっちい額である。

 無罪を信じて、支援し続けてきた方々の努力も相当なものであったであろう。
 その中でも、私は弁護士であるので、管家さんの無罪を信じて支援されてきた佐藤博史弁護士の努力にもっとも感銘を受けるが、こうしたえん罪防止のためには、取調全過程録音・録画をすれば密室での取調状況が分かり、えん罪の防止にもっとも役立つであろう。
 このような単純な構図がなぜ立法化出来ないのか、理解に苦しむのである(日弁連は取調の全過程の録画を求めてきているし、私も全面的に賛同している)。
 

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2009年6月 5日 (金)

飲みかけのペットボトル

 カバンの中などに飲みかけのペットボトルがあると、お茶などでは翌日に飲むのは「ううむ」と思ってしまい、しかも持って行くのは重いので、とりあえず私は自宅の机の上に置いておく。
 中身は飲まないので、とりあえずそのうち中身を捨てて、ペットボトルを捨てる時は、キャップと商品名などがプリントされている部分ははがしてプラスチックゴミとして捨てて、さらにキャップの下のわっか状になっているところは、強力なはさみか何かで切り取ってプラスチックゴミにして、ペットボトル本体は水道で洗ってペットボトルのみで捨てないといけないように自治体で決められている。

 当然、片づけが面倒な私にかような作業は向かないので、だいたい放置しておく。
 最大時はこのようなペットボトルが机の上に7本くらい並ぶのである。
 事務所の机と違い、自宅の机は狭いので、そうなると何も作業が出来ないし、物はどこかに行く。偶に朝出かける時に、弁護士バッジが机の上で行方不明になってあせることもある。
 本当はその都度片づけるのが速いと聞くし、いいのだろうと思うのだが、中々出来ない。
 やはり小学生以来この部分は成長していないようである。

 私の自宅の机の上・・・。
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2009年6月 4日 (木)

ザリガニ課長2巻発売決定

 最近は周囲でも私以外誰もついてきてくれないザリガニ課長であるが(ううっ…。孤独。)、先日アフタヌーンを買うと2巻が6月中に出ると予告されていた。
 予約せねば。
 どうしてみんなこのおもしろさが分からないのであろうか。
 新人の若手社員は、うちの男性勤務弁護士K野に似ていて笑える。
 常にザリガニ課長のことを気にしているのだが、うちのK野君も私の行動を気にしているのである。

 例をあげると、私が依頼者からのもらい物のお餅があるのを見て、「あじゃりもち」と呼んだら、わざわざ彼のブースから出てきて、「先生、読めるんスか?」と出てきたりするのである。
 後は、冬場は私と色は違うが、派手なダウンベストを着ている。
 女性のK弁護士は、私の事務所に入って、ダウンベストが制服になっているのかと思ったようである。
 話が逸れたが、ともあれ、皆ザリガニ課長を本屋で予約である。
 私は既に予約した。

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2009年6月 3日 (水)

歌人・土方歳三

 あまり語られることがないが、土方歳三という男は下手な歌詠みであった。
 土方歳三は、いうまでもないかも知れないが、新選組の副長として、実質的に新選組を作り上げて、指揮していた男であり、司馬遼太郎によると、幕末に尊皇攘夷の志士が京都の町を風を切って偉そうに歩いていても、新選組が来るのが見えた途端に皆路地に蜘蛛の子を散らすように逃げたというのであるが、その中でも土方歳三が最も恐れられたという。

 土方歳三は、平気で残酷な拷問もしたし、隊を守るために粛正も行ったが、そうした一面とは異なり、下手な歌を詠んでいる。その下手さは歌に関しては素人である私ですら読んで笑いそうになるほどであるが、土方歳三がなぜそんな歌を詠んでいたのかということについてはよくわかっていないようである。

 歳三は武士に憧れていたというから(近藤勇も、土方歳三も武士階級の出身ではなかった)、伊達政宗や、太田道灌のような歌心のある戦国武将的な武士に憧れていたのではないかという気にもなるが、私の知る限りでは歳三がなぜ歌を詠ったかというその心情を本人が吐露したということも聞いていないし、そのあたりは、歳三を主人公とする小説でも書いたものに(私が偶々本の読書数が足りないせいかもしれないが)出会っていない。

 歳三という人物を描くのに、この下手な歌を詠んでいる彼の心情についても描ければよいのであろうと思うが、小説にはストーリーが要求されるので、中々難しいのかもしれない。
 伊達政宗の歌は武将ばなれしているし、上杉謙信も漢詩を詠んでいる。歳三は、かたちだけ歌を詠むことによって、武将に近づこうとしたのか、あるいは詠みたいという衝動に突き動かされていたのか。
 髷を切った後の写真を時々見るのだが、京都の女子達から熱い視線を送られていたというのがよく分かる。切れ長の目に整った顔立ち。ちょっとすごいほどの二枚目である。
 まさか口説きの手段だった訳ではないであろうが、そこのあたりが私には不思議である。

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2009年6月 2日 (火)

新幹線から見える富士山

 画像が今手元にないのが残念であるが、新幹線から見える富士山は何とも言えず素晴らしい。裾野の雄大さと相まって、空に向かって富士が雄大にそびえている感じがする。
 東京に行くときは左側の席を、帰り道は右側の席(いずれも窓側)に座っていると見えるのだが、富士山の近くのケーブルで登った時に、ガイドさんが、富士が完全に綺麗に見えるのは年間3分の1くらいしかないと言っていたように思う。
 私は新幹線には数えるほどしか乗らないのだが、だいたい富士山が綺麗に見えることが多い。
 ついているのかもしれないが、仮にそれがそうであったとしても何の役に立つのかなどと考えてたりもする。
 しかし、富士山を見て、なんとなく晴れ晴れしいというか、日本人であるというか、風景を愛でる心というか、そのようなことを思える瞬間はやはりいいものであろう。

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2009年6月 1日 (月)

みのむし

「090530_165601.jpg」をダウンロード  自宅の庭で葉巻を吹かしながら、小さい虫を見たりしている時があるのであるが、もぞもぞと動くものがあったので見てみるとみのむしであった。ちょっと画像データが大きいので、ダウンロードをクリックしてみていただきたい。
 何かで読んだ記憶があるのだが、みのむしは絶滅が危惧されているという。しかし、私の自宅の庭にはみのむしがうじゃうじゃ居て、壁にくっついて蛾になって飛んでいったりしている。
 みのむしは、確か「ミノガ」という蛾で、雄は中で成虫になって飛んでいくのだが、雌は一生うにょうにょした幼虫のままであると読んだような記憶がある。これもあいまいな話であるが。
 みののようなフクロの先から黒い頭が見えているのがわかるだろうか。
 絶滅が危惧されている(と読んだ私の記憶が正しければ)みのむしをたくさん見られる私は果報者かもしれないと思っていると、足がこそばゆい。みのむしが登ってきていた。
 木と間違えられたらしい。

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2009年5月29日 (金)

集中力

 人は誰でもそうだが、集中していると、周囲がどうであろうと意識の外になってしまう。
 集中力がない人とある人の差があるかのように言われることがあるが、私から言わせれば、集中のコツを知っているかどうかということになるのではないかと思うのである。

 漫画を読んでいたり、ゲームをしていたりすると、知らずに相当の時間が経過していたということは記憶にあるであろう。仕事をするときにその状態に持ち込めばこっちのものである。
 

 私なども、書面を書いていてノッてくると、集中してきて邪魔をされたくなくなる。
 まとまった時間で集中して書きたい時は、電話を止めることもある。電話はこちらの都合は考えずにかかってくるからである。事務員の方もよほど急ぎでない限り声をかけないように頼む。
 しかし、集中力は数時間が限度である。集中力が切れてきたら、休憩を入れた方がよいと思う。
 集中するには、健康な身体と適度な睡眠は必要であろう。
 弁護士のところには心を病んだ人が依頼に来られる時もあるし、相手方が心を病んでいることもある。弁護士自身が健全な精神と肉体をもっていないと、とてもではないが集中して事件解決は出来ないであろう。

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2009年5月28日 (木)

釣りゲーム

 携帯に広告メールが来たので、何気なく登録してみた。グリーのゲームサイトである。
 暇な時にしていたのであるが、意地になってしまいよくない。
 釣りのゲームがあるのだが、釣り好きだが暇がなくていけない私にとって多少なりとも慰めになるかと思いやっているが、このゲームはうまい集客システムをもっている。
 竿やエサはある程度使用するとなくなったり壊れる。大物を釣るにはいい竿といい仕掛けといいエサが必要なのであるが、これを買うには魚を釣ってポイントを貯めるか、ゴールドが必要なのである。
 ゴールドは有料サイトへの登録か、友人を紹介することで貰えるのであるが、有料サイトを見たが私にとって有益なものは何もなさそうなので、友人にメールをして会員になってもらい、紹介料としてゴールドを貰って竿とかエサを買っている。
 本を読むのにも疲れ、一服している時にゲームは何も考えなくてよいので一日に何匹か釣る。
 私から携帯メールがいっている人がここ何日かの間にいるが、そういうことなのである。
 意地になってはいかんのだが、釣れないと意地になる。
 こういう性格なので、ギャンブルや株はしないことにしている。

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2009年5月27日 (水)

読書日記5月27日

「坂の上の雲 2」文春文庫。司馬遼太郎。
 司馬が描く明治の一大叙事詩の2巻。日本は日清戦争に突入し、勝利する。その一方で、正岡子規は、俳句を新生させて名声を博したが、既にその身体は病魔に蝕まれていた。今の日本が存在するについて、たら、ればを言うときりがないが、よくも日清戦争に勝利したものだと思う。帝国主義の時代。ロシアは極東に膨張する政策を採用し、三国干渉によって遼東半島を中国に返還させたが、満州に兵を入れて支配下に置いてしまう。
 日露戦争へ時代は向かいつつあった。
 時の皇帝は大津事件で皇太子時代に斬りつけられて日本人を毛嫌いしていたニコライ二世であった。こうして読むと、高校の時に覚えられなかった日本史が良く覚えられる。速く司馬を読んでればよかった。

「さまよえる湖」スヴェン・ヘディン。中公文庫。
 楼蘭を発掘し、シルクロードを幾度と無く冒険したヘディンの著作による、さまよえる湖であるロプ・ノールの探検記。楼蘭がなぜ滅びたのか。それは湖が移動したからではないのか。その仮説に基づいて、ヘディンは探検の旅に出る。
 井上靖の楼蘭を読んで読みたくなった作品。ただし、あまりに旅行記が忠実過ぎて、これを読んでいる間に何度と無く知らない間に寝ていた。読ませる工夫が欲しかったところ。

「学校では教えてくれない不道徳講座」新潮文庫。テリー伊藤。
 本屋で何となくタイトルに惹かれて購入。テリー伊藤のエッセイ集。
 表題とは異なり、結構いいことを書いている。人間の本質の一つに悪があるということを教えようというところくらいが表題と繋がる程度である。自身の悩みも赤裸々に綴っている。読みやすい。

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2009年5月26日 (火)

情状弁護の難しさ

 刑事事件で、殺人の故意を否認するとか、犯人でないことを争う事件であったり、責任能力を争う事件であったりという事件がクローズアップされるが、たいていの事件は事実関係にはさほど争いがなく、被告人に有利な情状をあげて減刑又は執行猶予を求めていくということになる。

 中には、全くよい情状を見いだせない被告人もいるのであるが、だからといって、被告人の為には全世界を敵に回しても弁護をしてやらないといけないという弁護人の職責から、何かを探し出さないといけない。

 被告人側の有利な情状をあまりに強調して、被害者のことを忘れていると、やらない方がよかったという弁護になることすらある。私は犯罪被害者の事件も、刑事事件もするので、常に被害者のことを念頭におきつつ、被害者の被害感情をいかに逆撫でしないで有利な情状を出すかということに注意を払う。
 被告人側だけの事情をあまりに強調すると、「被害者を忘れていませんか」となるのである。
検察官から厳しい質問をされることもあるが、それは公益の代表者であり、被害者からも事件について直接いろいろと言われる立場であるので、検察官の職責として当たり前というところもある。
 たまに、検察官が厳しいと言って怒っている弁護士もいるが、逆に弁護人から、「あの検察官は優しくてよかった」と言われているようでは、被害者からすると、「あの検察官は生ぬるい」と言われるので、それぞれの立場を理解することも必要であろう。
 
 最後に被告人のよい情状をあげて減刑や執行猶予を求める弁論要旨でも、被害者が傍聴していたり、意見陳述をされる場合には、その場の雰囲気で言い方を変えたり、弁論しようと考えていたことを削除することもある。あらかじめ弁論要旨は作っているのであるが、杓子定規に作ってきたものを読むのではいけない。

 実刑確実と周囲からいわれた事件を執行猶予にしたり、起訴されれば実刑確実な事件を被害者と示談して、罰金にしてもらう等の行動が大事であり、私はそういう時には検察官に面談したり、電話で見解を聞いたりしている。
 求刑するのは検察官なのであるから、争うべき事案は争い、被告人側がただひたすら有利な情状を探す事件では、検察官から情報を聞いて被害感情を和らげる等の様々な活動が必要であるが、刑事事件を一生懸命にするあまり、その点が被告人側に偏り過ぎては、結果的には被告人に不利益な弁護活動をしてしまったということにもなりかねない。

 いろいろと考えはあり得るところではあるが、私はこの考え方で割合いい結果を取ってきているので、これが正しいと思っているのである。

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2009年5月25日 (月)

夏のズボンがきついのだ

 暑くなってきたので、夏物のスーツに替えだしているのだが、夏はやはり汗をかくせいかウエストが冬よりも細くなっているようで、だいたいのスーツのズボンがきつい。
 副会長になって、お酒を飲む機会が増えたせいもあるであろう。
 ううむ。
 痩せなければ、ウエストが苦しくて仕事にならん。
 困ったことである。

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2009年5月22日 (金)

片付けその3

 高学年になってもこれは変わらなかった。
 書道の時間である。

 まず、いくら墨をすっても書道を習っている子のように、きれいな濃さが出ないで、「よしもういいだろう」と思って字を書いても薄い薄いのである。
 売っている墨汁だときれいにかけるかと考えて購入してみたが、墨汁はものすごく濃くて今度はにじむのである。
 最近聞いたところでは、ある程度すって、市販の墨汁を入れるのがコツとのことだが、純真無垢な小学生であった私はそのような合わせ技があるとはつゆ知らず、せっせとすっては字を書く時間を無駄にしていたのであった。
 そして、書道にも片付けの時間はあるのである。私は硯を洗うのも筆を洗うのも面倒で、硯にあまり墨が残っていない時などは自然乾燥に任せていた。そうすると、墨がこれまたガビガビになるのである。パレットの時と同様、とれだけの硯を無駄にしたであろうか。自動硯荒いマシーンがあればどれだけよかったであろう。
 筆も洗わずに雑巾でぬぐうだけにしていたことが多かったので、そうすると、当然筆もガビガビになるのである。ただでさえ下手な字が、ガビガビの筆で書くことによってさらに下手になるという悪循環。
 時には筆の先か左か右に曲がって固まってしまっていて、どのように書いても曲がった字しか書けないていたらくであった。
 いやはや。
 38年経過しても、片付けに関しては全然成長していないのである。

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2009年5月21日 (木)

片付けその2

 こういうブログを書いていて思い出したのであるが、小学校の頃から片付けるのが面倒であった。
 図画工作の時間に絵を描くのだが、絵の具を洗うのが面倒になり、次にまとめて洗えばいいやと思って、そのままにしておいた。すると、次に描くときはパレットの使用範囲が限られるので、空いたところで絵の具を使うことになる。3回目くらいになると絵の具もガチガチに固まっていて、最後は上から絵の具を入れて使うのである。たまに改心してパレットを洗うが、たいていは長続きしないのであった。
 何枚パレットを親に買い換えてもらったかわからない。
 そのうち、巨大パレットを買ってきたり、何枚もパレットのついた特殊パレットを見つけてきて、それでなるべく洗わないように洗わないように使うのだが、最後にはやはりガビガビになって使用不可となる。
 全く成長しなかったのである。

 これは母親の遺伝で、私の母親は洗濯は好きだが、掃除は嫌いで、まとめてする人なのであった。そうかと思うと凝り出すと夜中まで床のスジまで隅々まで掃除していたりするのである。私も時々突然やる気になるので、母親の遺伝である。父親は自分のことは割合まめで、こまめに掃除するのだが、自分の関係ないことはしないという人であった。その代わり他人の目が届く時は外面がいいので、せっせと掃除するというそういうタイプであった。
 つづく。

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2009年5月20日 (水)

片付けその1

 小さいころから、片付けるのが下手だった。
 今でも下手で、事務所の机はそのためにかなり大きいものを入れている。コクヨのシンプレックスというシリーズで、L字型の机に、サイドデスクを置いて、コの字型で180センチ×180センチくらいある。パソコン仕様の机で、独立の時に思い切って買ったものである。
 相当高かった記憶である。
 しかし、その机もいっぱい物を置くので、作業スペースがほとんどない。整理したらよいのではあるが、なかなか性格的に整理できない。買ってそのうちに読もうと思っている本や、ラスカルのぬいぐるみ、お菓子等いろいろな物を置いているからである。もちろん仕事関係の書類や資料の方が多いのであるが。事務員のN西さんにはヤレヤレという感じで見られている。

 片付けの極意は、出した時にすぐ片付けることのようだが、私の性格上、「あとでやろうっと」と思ってしまうのである。仕事に関しては先に先にという感じでするのだが、片付けだけは苦手で、訴状を作るときに証拠の整理はだいたい会議室で行っている。

 よく、資料が埋もれて、「あの記録どこいった」と事務員にいうと、「先生の机でみましたけどね」と冷たく言われてしまう。さすがに事務員も奥底の記録や資料は見ていないこともあり、さんざん事務所中を探させたあげく、机の資料のそこから出てきたりする。まあ、ただなくなることはない。事件記録単位で保管しているので、ファイルの中の資料はまとめているから、ファイルがどこにいったかという程度である。

 弁護士会の机も、私が一番整理されていない。綴じられていない書類や、ノートのメモ、のど飴の食べかけのやつなどが積まれている。しかし、まだ副会長になって日が浅いので、その層はまだ薄く、どこに何があるかはわかっているので、資料はすっと出てくる。

 これが時間が経過すると大変である。
 続く。

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2009年5月19日 (火)

お菓子

 夕方になるとお腹が空くので、弁護士会の執務室にお菓子を置いている。
 空腹だと頭が働かないからである。

 コナン・ドイルの名作シャーロック・ホームズシリーズでは、シャーロック・ホームズが、絶食して考えにふけるというシーンが幾度と無く出てくるが、あれでは逆に思考停止してしまうであろう。

 脳が働くのにブドウ糖を補給する意味合いもあり、少しお菓子を食べるのであるが、先日、弁護士会の事務職員から、買い置きしているお菓子を全て私が食べていると思われていて、「先生の健康を心配しています」といわれてしまった。
 お菓子を置いておくと、横に座っているN野副会長がばくばく食べるし、会議中はほかの2名の副会長も食べるので、私1人で食べている訳ではないのだが、どうも私1人で食べていると誤解されていたらしい。
 この体型では仕方がないかもしれないが…。

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2009年5月18日 (月)

読書日記5月18日

「新型インフルエンザから身を守る18の方法」大槻公一。青春新書。
少し前に買って置いておいたのだが、新型インフルエンザの報道がされ始めた頃に読み始めた。現実にここまでやればパンデミック状態にはならないのであろうが、全ての国民が実践することは難しいように感じた。方法論だけではなく、新型インフルエンザがなぜ登場するのか等の説明も充実している好著である。

「坂の上の雲 1」司馬遼太郎。文春文庫。
司馬が明治という時代を描く一大叙事詩。主人公は正岡子規、秋山好古、秋山真之の3人。俳人として明治文壇に新しい風を吹き入れるも短命で倒れた正岡子規と、日露戦争で奇しくも陸戦で騎兵隊を率い大勝利した秋山好古、日本海海戦で緻密な作戦を立て、勝ち目のないロシアとの海戦で勝利した秋山真之の三名を軸に明治という時代が描かれる。今年、NHKで連続ドラマ化される予定である。

「頭のいい人の短く深く眠る方法」藤本憲幸。三笠書房。
睡眠ノウハウ本で、著者は3時間睡眠を提唱している。私はそのような短時間睡眠をするつもりはないが、深く眠る方法が書いてあれば実践しようとして購入。
 眠る時間を短くして、起きている間にやれることを出来るだけやるべきだという筆者の考えから書かれた本であるが、そのような価値観が正しいのかどうかについてあまり真剣に考えているそぶりがないところが若干気にくわない。起きている間に集中して人の二倍・三倍働ける人もいるし、段取りの良さで時間は短縮できるからである。
 深くは眠った方がいいであろうが、ここまで短時間睡眠というのは身体に悪影響を及ぼすと思うのだがさてどうか。

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2009年5月15日 (金)

日較差のある季節

 砂漠などでは一日の間の気温の差がとつてもないことがあるようであるが、ここのところ朝晩は涼しいが日中は暑く、日較差がある日が続いている。
 こういう時は着る服に困る。
 朝晩の涼しさにあわせると昼が暑く、日中の暑さに合わせると夜が寒い。

 こういう時に体調を壊しやすい。
 朝晩の気温に合わせるのか、日中に合わせるのかは極めて難しい選択である。
 朝どうしようか大変悩むのである。
 5月ってこんなに暑かったかなあ。

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2009年5月14日 (木)

妙に色っぽい咳払いをするタクシーの運転手さん

 最寄りの駅から雨の日などにタクシーに乗ることがあるが、それほど大きい駅ではないので、同じタクシーの運転手さんにあたることがある。

 1人、咳払いをやたらする運転手さんがいるのだが、この咳払いが「ウッウ~ン。。」という感じで妙になまめかしい。もちろん男性であるが。
 本人としては、あまり咳払いをするのはお客さんに対してどうかということで、咳払いを我慢している為そうなるのではないかと推察するのだが、一度この咳払いが気になり出すと、ツボにはまってしまい、自宅に着くまでの10分ほど笑いをこらえるのに必死になり、腹が痛くなるのである。

 私以外の人は何も面白くないかもしれないのだが、こういうツボにはまるというのは誰にでもあると思うのである。
 次も乗りたい気もするし、乗ると笑いをこらえるのに必死になるので、乗りたくないという気もする。
 ウッウーン…。

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2009年5月13日 (水)

新型インフルエンザ

 新型インフルエンザの話題がマスコミで連日報道されている。
 その報道のあり方にも様々な意見があるようであるが、第一次世界大戦時にスペイン風邪といわれて4000万人以上を殺戮(一説には一億人以上)したインフルエンザの驚異が思い起こされるのであろう。これについては、以前にも書いたが、「4000万人を殺したインフルエンザ」という本に詳しい。これはノンフィクションとしては抜群に面白いが、現実世界の話となると恐ろしい話である。

 一説には、当時とは医療水準が全く違うのであるし、栄養状態・衛生状態も全く異なるので、そこまで被害は拡大しないという見方もあるが、逆に航空網がここまで整備されている今日では、第一次大戦の時よりも危険性は高いという見方もある。前者が正しい結論であるということを望まない人はいないであろう。

 新型インフルエンザに罹患して亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、罹患している方々の治癒、そして被害がこれ以上広がらないよう、一刻も早い終息を願うばかりである。

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2009年5月12日 (火)

呉起

 韓非子(かんびし)は人間の本性を悪であると説いたことで有名な中国古代の思想家であるが、その著作の中には様々な逸話が掲載されている。

 孫子とともに有名な兵法家である呉起という将軍がいた。呉起が魏の国の大将となり敵国を攻めた時、兵卒の中に腫れ物が出来て苦しんでいる者がいた。呉起は、単なる一兵卒のために、自らその膿を口で吸い出してやった。
 この話を人は美談であるとして、兵の母親に告げたところ、その母親は嘆き悲しんだ。
 周囲の人は、「将軍自ら膿を吸い出してくれるなどということはあり得ない話であり、なぜにそのように嘆き悲しむのか」と訝しんだ。
 母親はいう。「あの子の父親も腫れ物を患い、将軍様に膿を吸い出してもらった。それことに感激した夫は、将軍のために奮戦し死んでしまった。きっとあの子も将軍様の行為に感激して、奮戦して死んでしまうでしょう」と。
 母親の予言通り、兵卒は戦いが始まると奮戦して帰らぬ人となった。

 人生万事塞翁が馬と同じ意味合いにも取れる逸話であるし(一つの出来事に対して一喜一憂することの愚かしさ)、呉起という将軍の人心掌握の巧みさを感じ取る逸話であるともいえるし、呉起という将軍は、心根が極めて冷たく、後々のことを考えて兵卒に優しく接していたが、それは真実の呉起の姿ではなかったということを示す逸話であるということも出来ようか。

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2009年5月11日 (月)

石の上にも3年

 最近、事務所をすぐ退職して、次の事務所に移転する弁護士が増えているようである。
 就職難のご時世で、意に沿わない就職をしたが為に、やはり実務についてから耐えられなくなるというところがあるようである。

 まあ、その事務所に勤務していると過労死してしまうとか、給与をいわれなく減額されるとか、ボスが精神記手におかしくなった等の理由がなければ、いくら腹の立つ事務所でも、3年は勤め上げた方がいいであろう。最低2年は勤めるべきではないか。

 人の見る目というものがあり、最初に移籍してしまうと、こらえ性のない人間だと思われて、後々の弁護士人生にあまりいい影響を及ぼさないように思われる。
 もちろん、入所してはじめてわかる異常なこともあるであろうから、多少のことは我慢すべきという趣旨に捉えて欲しい。

 私自身は勤務弁護士の頃激務で身体をこわしたこともあったが、やはり途中で辞めず(実のところ事務所を辞めるというのはあまり考えたことはなかったが。きちんと勤め上げて独立するつもりであったので)、勤め上げてよかったと思っている。
 最高時は事件が200件(しかも動いていて、出張も全国に30ヶ所くらいあった)もっていて、事務所の売上のほとんど全てを自分であげていた時期もあったが、今となってはそれが独立後に役立ったと思っている。

 石の上にも3年とはよくいったものではないか。

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2009年5月 7日 (木)

隗より始めよ(かいよりはじめよ)

 中国の故事を集めた戦国策という本に書かれている有名な故事である。
 紀元前4世紀、燕(えん)という国は隣国の斉(せい)という国に国土を侵され、王も殺されてしまっていた。殺された王の次に即位した昭王(しょうおう)という王は、国力を回復させ斉を討つ方法はないかと宰相である郭隗(かくかい)に諮問した。

 隗は、以下のような話を照王にするのである。
 「その昔、千金を出して千里を走る名馬を探し求めていた君主が居り、探し求めていたがこれを得ることが出来ないでいました。そうしたところ、ある人物が千金を授けていただけるのであれば買い求めてくるというので、その人物に千金を与えました。その男は千里を走る名馬を探し求めましたが、一日違いで名馬は死んでおりました。ところが、その男は、何を思ったのか、名馬の骨を五百金でもって買って戻ってきました。当然、その君主は怒ります。しかし、その男は、平然とその君主にいうのです。『死んだ名馬の骨ですら五百金で買い取ったという話が広まれば、生きている名馬はどれだけの値段で買い求めてくれるのかということで、続々と名馬を売りに来るものがいることでしょう。』と。
 その後1年間で、名馬を売りに来た人が3名もいたということです」

 そこで、郭隗はいう。「王よ、優れた人物を招聘したいというのであれば、まずこの隗より始められて下さい(隗を取り立てて、優遇しなさい)。そうすれば、あの郭隗のような人物が取り立てられているという噂を聞けば、私などより優れた人物は千里の道を厭わず王に仕えにくるでしょう」と。
 早速王は隗を師と仰いだところ、趙の名将楽毅(がっき)などが昭王の元にはせ参じ、ついに斉を破って滅亡寸前まで追いつめたのであった。

 故事成語であり、「手近なものからはじめよ」という意味であったが、現在では、「言い出したものから始めよ」という意味で使用されている。
 いろいろと言い出すのはいいが、後始末をしないというのは大変よろしくないことであり、弁護士会の中にもそういう人は割合いる。
そういう人の顔に、「隗より始めよ」という札を書いて貼っておければよいのだが。

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読書日記5月7日

「モンゴル紀行」朝日文庫。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎の街道を行くシリーズ。司馬遼太郎は少年の頃モンゴルに憧れて、数学が出来ないため大阪外大に入り、そこでモンゴル語を専攻した。その夢が適い、モンゴルを旅するのである。
 モンゴル語は日本語と文法が同じで(ニカワ語というらしい。てにをはで、単語をくっつければ文章になるので、司馬によれば、大阪人が津軽弁を覚えるほどの容易さで覚えられるというのである)、過去に購入した古いモンゴル語辞典を引っ張り出して、広すぎるほどのモンゴルを旅し、ゴビ砂漠を行く司馬の筆が冴える。

「我らが隣人の犯罪」宮部みゆき。文春文庫。
 宮部みゆきの短編集で、後の「火車」や「理由」に比較すると短編ということもあり、文章も平易で読みやすいが、犯罪行為をしたものが報われる話などがあり、倫理的にはどうなのかという話もあった。気楽には読める。

「花岡青舟の妻」新潮文庫。有吉佐和子。
 紀ノ川などの作品で知られる有吉佐和子が、世界で最初に麻酔薬を使用して乳ガンの手術に成功した江戸時代の和歌山の医師、花岡青舟とその妻と姑を描く作品。
 美貌の姑とその妻との間の憎悪の描写が圧倒的で、2人は花岡青舟に対する競争心からそれぞれが麻酔の実験台になるのである。花岡青舟の名声の裏での家族の苦悩と悲劇を描いた作品。これは名作。歴史好きは一読の価値有りであるし、文学作品としても一級品である。

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2009年5月 5日 (火)

今日も仕事だ

 ゴールデンウィークも残りわずかだが(7日と8日を休めばまだ続くが)、今日も出勤して仕事である。
 10時30分頃に来てみると、勤務弁護士のKも来ていた。
 まあ、休みに出てこないと間に合わんわな、我々の仕事は…。

 弁護士会の予算の説明をするための手元資料メモを3日に引き続いて作成する。
 なかなかはかどらない。
 昨日しか休めていないので、肩凝りが取れず、左側の奥歯が痛んで浮いた感じである。
 きいいいいいいい。

 ま、副会長だし今年は仕方がないか…。

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2009年5月 3日 (日)

弁護士のゴールデンウイーク

 弁護士のゴールデンウイークという書き出しである。一般的にいうと、丸々暦通り休めるという人は少ないのではないか。
 たいてい1日か2日を潰して、事務所に出てきて仕事をしている。
依頼者と打合せを入れるというよりは、普段中々時間を取って書くことの出来ない書面書きである。

 ゴールデンウイーク中は、依頼者の方や相手方も休みなので、電話が鳴らない。
 また、当然であるが裁判もない。
 静かな事務所で書面が書けるというのはそうそう中々ない。
 ワーカホリックだと言われるかも知れないが、書面を書くというのはある程度集中を必要とする作業であるので、まとまった時間が必要なのである。

 毎年たいてい1日か2日くらいは事務所に出て行って書面書きをするか、自宅に記録を持ち帰り書面を書いていることが多い。

 今年のゴールデンウイークはというと、弁護士会の副会長なので、弁護士会の予算を5月末頃にある弁護士会総会にかけて承認を得ないといけないので、その予算編成会議で昨日と今日が潰れた。
 昨日は弁護士会の事務局が作ってくれた資料を基に一次案の説明を受け、それをベースに役員の方で予算を増やしたり、削ったりという作業をしていくことになる。
 連休の一日を費やしてくれた事務局に感謝ということで、昨日は会議終了後事務局を慰労し、今日は役員だけで議論した。
 今年の役員は皆話が早い人ばかりなので、その他の話題を含めて会議は3時頃には終わり、その後はいつもの時間くらいまで事務所で仕事をしていた。
 休みの時は書面がはかどる。

 書面が一つ、事務所の事務員からあがってきた書類のチェック等でそこそこ仕事が出来たので、飲みに行きたい気分であったが、世間は休みで、私は1人で飲みに行けない人なので、仕方がないので帰ってきたのであった。
 ああ、飲みに行きたかった…。

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2009年5月 1日 (金)

犬を捨てる人たち

 テレビで犬を捨てる人たちのことが報道されていた。
 飼ってみて、「世話をするのに飽きた」「合わなかった」という人や、高齢になった犬の「世話をするのが面倒になった」というような理由で捨てるようだ。
 町中に捨てる人もいれば、保健所に「処分して欲しい」と捨てに来る人もいるようである。

 動物はモノではない。トイ・プードルなどはまさにぬいぐるみのような外見だが、彼らは生きているのである。
 こういう人たちは、動物を飼う資格がないし、こういう行為を法律で厳しく規制するべきである。
 保健所で新しい買主が見つかった犬は幸せだが、そうでない犬は殺されてしまうのである。
 なんともやりきれない話であるが、現実の話なのである。

 私の自宅近くの人で、年老いた犬を代車で散歩させているご夫婦がいる。
 年老いて、歩くことも出来なくなったようで、以前はその犬が散歩しているのを見かけて、挨拶を交わしていた。しばらく見なくなったと思っていたら、ここ最近、代車に乗せて夫婦で散歩されていて、きちんと排泄の後始末もされている。
 小型犬であれば、抱いて散歩も出来るであろうが、大型犬なので代車ということになるのであろう。
 こういう人しか飼い主になってはいけないのである。

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2009年4月30日 (木)

読書日記4月29日

 「魔術はささやく」新潮文庫。宮部みゆき。
 最近お気に入りの宮部みゆきの作品である。若干トリックとストーリーに難があり、理由や火車と比較すると、構成等に難がある気がしたが、作品全てが完璧という作家はいないので仕方がないのかも知れない。

 「花妖譚」文春文庫。司馬遼太郎。
 文庫に未収録の司馬作品集ということで新刊の案内で新聞で見たので即購入(新聞の新刊案内はよく見ているのだ)。司馬遼太郎が、本名の福田定一名義で発表した作品がほとんどである。作品の中では、ハンの死を告げる使者として、アジアからヨーロッパまでわずか10日ほどで駆け続けて、使者としての役割を終えた途端に絶命した使者の話が印象的であった。

 「楼蘭」新潮文庫。井上靖。
 幻の国楼蘭と聞くと、その幻想的な響きにシルクロードへの思いというか、想念をかき立てられる人も多いのではないだろうか。胡人という響きにも同様の何ともいえないロマンを感じる。
 井上靖が描いた楼蘭国の悲劇の物語を表題作とする短編集で、早く読みたいと思っていたが、その時々でいろいろあっちこっちの本を読んでしまっていたので、ようやく読めた。
 そのほか、中島敦の山月記に似た、狼災記という、異民族の女性と交わったがために、女性ともども狼に変じた武将の物語や、神話に基づく幻想的な短編、補陀落信仰(ふだらくしんこう)に基づく、補陀落渡海にまつわる悲劇を描いた作品など、どの短編も読後感に浸れること間違いなしである。

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2009年4月28日 (火)

試験対策法

 私は試験に関してはほとんど失敗したことがない。
 舐めていて落ちた簡単な試験はあるが、まじめに取り組んだ試験では失敗していない。
 
 司法試験受験生のために試験の時に心がけていたことを書く。

 一つは、性格にもよるが、前日の夜は眠れないで当たり前と思うことである。人生がかかった試験の場合、眠ることが出来ないで当たり前と腹をくくって、数時間でも眠れたら御の字だと思ってふとんに入る。横になっているだけでも身体は休まるものだし、寝ていないようで気がついたらウトウトしていることもある。ただ、前日眠ることが出来ないかもしれないことを踏まえて、試験の前1週間くらいは、睡眠時間をたっぷりと取ることである。
 一日くらい睡眠時間が数時間少なくなってもどうということもないが、やはり慢性的な睡眠不足は当日の試験にたたるからである。
 試験前に詰め込むということもあるであろうが、私はだいたい試験前一週間は勉強は少なくして、脳を休ませて、試験当日に出来る限りのパフォーマンスが出せるように心がけていた。
 いくら模擬試験でいい点を取っていても、試験当日にそれが出せなければ意味がないのが本試験であるからである。

 あとは、試験にあまり入れ込みすぎると、当日がちがちになるので、どこかで、「この試験で失敗したからといって命を取られる訳ではない」と思うような腹をくくった気持ちを持つ事である。
 当日ベストパフォーマンスを出す為には、あまり入れ込みすぎると余計に実力が出せないものである。競馬でも入れ込みすぎている馬は負けるものである。
 そうした気持ちを持ちつつ、試験当日は出来る限りのことをするといういわば矛盾した気持ちが重要であろう。

 日常的な勉強でいえば、ある程度勉強の計画には柔軟性を持たせることである。
 長期間勉強しなければならない試験の場合、気分が乗らない時などもあるであろう。
 そうした時には、自分にご褒美を与えるということで、中期的目標を立ててそれがクリアー出来たら完全勉強オフ日を作るなど一定のメリハリを持つことである。
 そうしないと長丁場は乗り切れない。
 あといくつかあるが、早くやるヒントというのを過去に書いたような気もするので、このブログ内を検索してみて下されば幸いである。

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2009年4月27日 (月)

役員披露宴

 先週の金曜日は役員披露宴であった。
 当日は午前中に裁判に1件出たあと、交通事故の依頼者との打合せを経て、午後から弁護士会館で市民窓口の対応をした。市民窓口というのは京都弁護士会の弁護士に対する苦情を弁護士会の副会長と、2年前までの役員が交代で聞く制度である。
 市民窓口を終えてその後弁護士会で決裁文書の判子押しをしたり、役員会での資料作りをしていると、早くも役員披露宴への出席時間となっていた。

 役員披露宴が行われた国際ホテルに着いていきなり副会長の名刺を忘れてきたことに気づく。忘れたーと言っていたら、弁護士会の事務職員同士で連絡を取ってくれたようで、後で持参してくれた。事務処理の早さに感謝、である。
 始まる前に披露宴に来ていただいた方々に立礼をする。その後開会すると、壇上に上げられて1人1人のプロフィールを読み上げられ、後に会長の挨拶である。
 壇上で立っているというのは、私のような適当な性格の人間には辛く、他の副会長3名が落ち着いて立っていたのと比べ、私は「早く会長の挨拶終わらないかなあ」という気持ちで聞いていたので、どうやらそわそわしていたのが気づかれていたようである。会場の弁護士達から何人にも、「一番落ち着きがなかった」と言われた。
 スポットライトがまぶしく、私は直射される位置にいたので、多少暑かったのと、私は人の話を聞くのが嫌いなので、会長の話も短めにして欲しいなあ…と思いながら聞いていたので内心の思いが外に出ていたのであろう。ともかく、ああいうように前に並べられて、ずっと立たされて紹介されるというのは、金輪際ごめんである。私の性格に合わない。
 もっと簡略化して欲しいものだと思っている。

 その後は何名かの来賓から暖かい祝辞をちょうだいし、障害を持つ子どもさんで構成されている「おひさま太鼓」というグループによる太鼓の演奏で我々の就任を祝っていただいたのだが、この演奏が素晴らしかった。会場も皆一様に聞き入ってくれて、後にも「例年のクラッシックなどより数段よかった」という声が多かった。
 弁護士法1条の精神からしても、障害を抱えて頑張っている子どもさん達による演奏というのは、我々の就任にふさわしいものであったように思う。

 その後、同じテーブルの人たちや諸先輩方などと歓談させていただいているうちに、宴は終宴を迎え、また立礼をして後は三々五々二次会、三次会となった。
 私自身はこういうあらたまった席で自分が主役になるのが大嫌いであるので、祝われる方は金輪際ごめんだと今は思っているが、ともあれ、参列していただいた来賓の方々や、関係者各位、諸先輩の弁護士の先生、同期の弁護士、後輩の弁護士さん達にはこの場を借りてあらためて御礼申し上げる次第です。
 どうもありがとうございました。

 なお、同ホテルの宴会では、別のホテルで見かけたOK弁護士によく似たホテルマンが居て、どうやら彼はホテル専属ではないようであり、ホテルも経費削減で常にホテルマンを雇用するというよりは、宴会の際に派遣して貰っているということではないかということとなり、今の世相を反映しているのだなあということもしみじみとした話題となっていたことも末尾に付け加えさせていただく。

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2009年4月24日 (金)

メールでの就職活動

 最近、修習生と話をしていて、「就職どう?」と聞くと、「ダメですよ~」と反ってくることが多い。どんな就職活動をしているのかと聞くと、「メール送っても返事来ないっすよ~」というので、「メール送って、それで終わり?」と聞くと、どうもそれ以上何もしていないようなのである。
 断言しよう。
 メールだけ送って電話もしてこないような修習生には弁護士は魅力を感じない。
 弁護士においてまず必要なのは、対人折衝能力であり、会話能力である。書面は下手でも後からスキルアップできるが、会話がスムーズに成り立たない修習生では、採用しても使い物にならず、話にならない弁護士ができあがるであろう。
 やはり電話して、面接してもらえるかどうか程度は聞くべきであろう。弁護士側は、そのときの電話のやりとりでも、その修習生ができるかできないかを見ているのである。
 

 後は、採用してほしいという事務所があって、可能性があるのであれば、押しの一手であろう。給料は安くてもよい、机はミカン箱でもいい(これはややどうかという気もするが)、いや、給料はいらないので置いてくださいくらいの勢いで頼み込めば、可能性があるのであればその熱意と押しの強さを買ってくれる場合もある。
 メールを送って弁護士から連絡が来るのを待つというのでは、永遠に就職できないであろう。特に今は弁護士側が修習生を選びに選ぶことができる時代である。
 ただし、可能性もないのに押しまくると、「空気を読めないヤツ」の烙印を押されてしまうのでこれまた要注意なのだが・・・。
 いずれにせよ、電話くらいはすべきであろうし、できれば紹介者の弁護士を見つけるのがよい。私の紹介ということで就職が決まった修習生は多いが、やはり、弁護士側も、「彼が推薦してくれるなら」という気持ちは働くからである。
 採用してもらえなければ即独か就職浪人か企業へ就職である。即独の危険性については、以前書いたので書かないが。

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2009年4月23日 (木)

朝風呂

 去年の年末くらいから、夜に風呂に入るのが面倒になって、かといって風呂に入らない訳にもいかないので、朝に風呂に入っている。そのため少し早起きしている。
 きちんと湯船につかり、身体も頭も洗う。寝癖も取れるってもんである。

 日本の偉人の健康法をまとめた本を少し前に買って読んだ時に、朝風呂健康法というのを実践していた政治家の話を読んだ記憶があったが、朝に風呂に入ることについては、諸説ふんぷんである。
 頭の油を落としてしまうので禿げてしまうという説があるし、朝あまりに長く風呂に入ると、自律神経に悪いという説もある。
 実際のところはどうか分からないのであるが、冬場は朝に風呂に入ったが為にどうも風邪を引いたのではないかと思われることもあったが、だいぶ暖かくなって朝風呂が苦にならなくなってきた。ただ、もう少し経って汗をかく季節になると、夜にさっと汗を流さないでは眠ることが出来ないであろう。
 毎日夜に入ろうと思いながら、なんとなくダラダラとしているうちに寝る時間が近づいてきて、私は風呂を上がって1時間以上経たないと眠ることが出来ないので、1時間を差し引くと、「このまま寝ちまえ」となっている。
 日中時間に追われているので、夜くらいダラダラさせてくれえと思うのである。誰に言っているのかはわからないが…。

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2009年4月22日 (水)

読書日記4月22日

 「司馬遼太郎が考えたこと 5」新潮文庫。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎のエッセイ集の5巻目。私が生まれた後のエッセイとなっている。
 司馬の歴史に対する造詣はすさまじい。これだけの調べ物をした結果、あれだけの作品を残したのだと思うが、各地に旅行も行っておられるし、いったい司馬遼太郎には睡眠時間というものはあったのかといぶかしく思ってしまう。

 「殿様の通信簿」新潮文庫。磯田道史。
 武士の家計簿を書いた著者の好評歴史エッセイ。
 名君とされている徳川幕府時代の藩主の実像に迫った作品である。
 個人的には、前田利家に始まる前田三代の話が極めて興味深かった。
  家を守るために、自らほ葬りさろうとした前田利長の逸話が最も興味深かった。

 「鴨川ホルモー」角川文庫、万城目学。
 映画化された作品ということで、本屋で「意味不明だが、面白くないこともあるまい」と考えて購入。
 意味不明な世界であったが、恋あり等々のドタバタの中でストーリーはすすんだ。
 一読の価値があるかどうかは、人それぞれの感性であろう。

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