疑わしきは検察官の利益に
井上さんコメントありがとうございます。読者がいるのか不安に思っていました。他にも読んでいるという声を聞いて嬉しい限りです。
さて、表記表題は、我々が刑事弁護をしていると常々実感することです。どういうことかというと、刑事裁判官は、起訴されたもので無罪を争うような事件で、我々弁護士が真剣に無罪を争っており、我々弁護士としても無罪と確信しているような事案でも、ほとんどは軽く有罪にしてしまう傾向にあるということです。 本来の刑事訴訟法の原則は、「疑わしきは被告人の利益に」なのですが、検察官が起訴したのだから有罪だろう、だから有罪という傾向が強いのです。 もちろん、中には証拠をよく見て無罪を書く裁判官もおられますが、私の印象では少数派で、一度も無罪事件の判決を書いたことがないという人もいると聞きます。
私の尊敬する刑事弁護の鏡といわれるほどの弁護士でも、無罪は、①事件に恵まれ②被告人に恵まれ③裁判官に恵まれないと出ないよと言われています。 もちろん、そのような現状はよくないので我々も全力で頑張るのですが、いかんせん判決を書くのは裁判官で、基本的に有罪と考えているような人たちに当たるとどうしようもありません。日本は法治国家ではなく、人治国家ではないのかという気になることもあります。およそ一般常識が欠けているという判決に出会うこともしばしばです。
その意味で、日本の刑事裁判を是正するために、裁判員制度が導入されようとしていますが、どこまで実効性のあるものかが懸念されます。 本当に無罪の人が、誤った判決で罰せられるということは、国民の裁判に対する信頼を失わせるものですので、日本の刑事裁判官は変わって欲しいと常々思います。
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コメント
初めまして。
ゆくゆくは弁護士を目指しています。
今って裁判官があまり信頼されていないんですか。
ちょっと残念ですね。
投稿: LOST | 2006年2月20日 (月) 10時18分