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2006年4月27日 (木)

弁護士とパソコン

 今や弁護士業務にパソコンは欠かせません。ワープロ(裁判所に提出する訴状などの作成。ちなみに私は一太郎ユーザー)、エクセル(利息制限法違反の金利を取っている消費者金融の貸金について引き直し計算をしたりします)、メール(連絡するのに便利ですよね)、インターネット(結構調べ物に役立ったりします)、判例検索ソフト等々。
 今でも手書きの弁護士はいますし、昔は広告の裏に手書きで3色ボールペンで書いていた猛者もいたようです。手書きの方が文章が引き締まるという人もいます。裁判所の法廷に来てから手書きで書面を書いたり…。何を書いているか達筆過ぎて読めなかったり…。
 しかし、こうした手書き弁護士は少数派で、今はほとんどの弁護士がパソコンを使用します。
 私も弁護士になってすぐにパソコンを使い始めましたが、当時のハードディスク容量は340メガバイト。ソフトを入れたらハードディスクがいっぱいで、文章をフロッピーで管理していました。そのため、どこにデータがいったか分からなくなることもしばしば。
 その後技術革新で、1ギガのハードディスクが出て買い換え、「すごい大容量だ」と自慢していたのですが、どんどん技術は進歩して、今使用しているパソコンは80ギガ。これに判例検索用の外付けハードディスクをつけているから、いったいどれだけのハードディスクがくっつているのか分からない状態です。
 データも検索すればすぐに探してくれるので、過去の文書データから上書きして起案することも容易になりました。
 技術革新はすごいものがあります。

 しかし、書面の提出期限とかをやいやい裁判所に言われたり、ものすごい速度で急ぎの事件をしている時とか、「手書きの時代であればこんなことを言われないだろうなあ」などとぼんやり考えてしまいます。
 まあブログが出来るのも技術革新におかげですが。

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2006年4月25日 (火)

司法試験合格者大幅増員論は実体がない

 LOSTさん、コメントありがとうございます。社会の基盤が何ら整っていないのに、「なぜ」弁護士を増やそうとしているか…。引き続いて論じてみたいと思います。

 まず、経済界の要請です。経済界といっても、上場している大企業で、日本産業を底で支える中小企業はそっちのけでの議論です。
 経済界の要請は、「すぐに依頼が出来て」「自分のところの仕事を優先してやってくれて」「費用も安い」弁護士が欲しいということです。
これから法化社会になるから弁護士が必要といいますが、たとえば訴訟となったとしても、これを裁く裁判官の人数が増大しないと全然判決が出ない訳です。私も弁護士として判決をたびたび延期させられた経験があります。日経の論説などで法化社会になるから弁護士が大幅に必要で、それで足りるというのは、裁判の現場を全く知らない人が書いた絵空事か、ねらいが別にあるのにごまかすためにそのようなことを言っているようにしか聞こえません。
経済界が今企業法務をやっている事務所に事件を依頼すると、法外な報酬を取られると感じているため(そこで働いている若手弁護士は時には朝8時まで仕事をして、その日の12時には4時間仮眠を取って事務所に来たりしているので、そうした事務所も頑張っていると思いますが)、そうした事務所の単価を下げようと、弁護士に競争させようとしていると思います。
 しかし、こうした上場企業の事件というのは、手間暇もかかり(前にも書きましたが弁護士の仕事は基本的に手作業です)、調査などにも時間がかかるので、人員を割かないといけませんから、単価がある程度高くなるのは私などはやむを得ないと考えています。
 しかし、経済原理だけで動く企業からすれば、「もっとコストダウンしろ」となりますが、今はそうした事件を手がける弁護士が限られている関係でもっと増やして競争しろということになる訳です。
 ここには、一般国民の司法の利用のしやすさという観点はあまりありません。また、こうした企業が依頼したい事件というのは、一般国民からすると、あまり関係がない話です。企業法務をしている事務所の弁護士は、法廷にほとんど行ったことがなかったり、離婚事件や暴力団事件なんかしたことがないという人ばかりです。

 次に、大学の権益を守るという圧力があります。日本の人口はこれから減少の一途をたどるので、大学は生き残りに必死となりますが、ロースクール構想で合格者をある程度確保することが出来れば、ロースクールのある大学は生き残ることが出来る可能性が出てくるので、大学が生き残りたいという論理で、「生徒集め」のため合格者増員論が出てきています。
 しかし、そもそも、ロースクール構想では、ここまで多くのロースクールがいわば乱立する状態は予定されておらず、どこもかしこも手を挙げてロースクールを作ったがために、当初予定されていた3000人という合格者数では、ロースクールの定員からすれば少ないので、「もっと増やせ」と言っているのです。規制改革ワーキンググループの委員の中には、ロースクールの学者もおり、オリックスの宮内社長も含めて、自分たちの権益のために議論しているとしか思えない状況なのです。

 このように、経済界の身勝手な要請と、大学の生徒集めのために大幅増員論が叫ばれているというのが私が分析する現状です。
 もちろん、裁判員制度や被疑者国選、司法過疎の解消のために弁護士がまだ必要というのはそうかも知れませんが、突然大幅に増やしても、これを受け入れる社会体制が全くありませんし、一部の権益団体のために増員をしたとすれば、後に法律家が過剰であったとなっても、中々合格者を減らすことは出来ないことから、私を含めて一部の弁護士は3000人時代を検証することもなく増員論という話が出ることには大反対しているのです。

 司法過疎についても、経済規模が小さい地方では弁護士が数名いれば足りるのであって、そこに何百人も弁護士が開業出来るかというと、そのような事実はないと思っています。弁護士が山ほどいるアメリカでも司法過疎はあるので、増やせば過疎解消という訳にも行かないのです。日弁連はこの間批判を受けて相当頑張っていますし、私も宮津の相談所の相談員です。

 一般国民のいう観点からすると、競争競争で金を追い求める弁護士ばかり出てくると、お金にならないけれど意義がある事件をやらなくなって社会は余計悪くなると思います。
 日本の歴史の中で、弁護士が手弁当で活動をして勝ち取ってきた勝訴判決や、それが元で制度が動いたというような例は多々あります。私も京都弁護士会のヤミ金対策プロジェクトチームの座長の時に、ヤミ金がよく悪用していた「プリペイド携帯の本人確認強化」「口座の譲渡禁止」を総務省に京都弁護士会として日本で初めて意見書を出しましたが、この結果、法律が制定されるに至っています。この活動も全く報酬は出ていません。逆に活動費用を考えたら赤字です。
 消費者からすれば弁護士は安い方がいいというのは、お金のある経済界のまやかしの言葉ですし、経済原理で淘汰されるという話も、最近の姉歯建築士問題を見れば、問題のある資格者は、問題が発覚するまでに恐ろしいほどの被害を巻き起こすものだということに思いを至らせるべきでしょう。
 心あるジャーナリストさんはこの論点について書いて欲しいものです。
 

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2006年4月20日 (木)

司法試験に合格しても就職がない時代がもうすぐやってくる

 平成18年3月31日に閣議決定された内容によると、「司法試験合格者3000人体制を可能な限り前倒しすること」「3000人以上の増員についてもさらに検討」「ロースクールを出た人のたとえば7割~8割が合格出来るようにすることも検討」という大増員へ向けたものになっています。
 現在の司法修習生は、59期生ですが、「就職先がない」ということで、10月から弁護士登録するにもかかわらず、まだ就職先が決まっていない人がかなりいるようです。
 来年は、60期と、いわゆる新司法試験に合格予定の新1期生がだぶって就職の時期になるので、司法修習が終わっても、大量の就職浪人が出る可能性が極めて高いと思っています。
経済界や内閣府の諮問機関の規制改革ワーキンググループは、「市場原理だけで法律家の人数が決まる。弁護士として自由競争をして飯が食えない奴は淘汰される」という論理で大増員を唱えています。
また、ロースクールをせっかく作った大学側も、合格者を出せないロースクールが淘汰されては大変だということで、司法試験の合格者の大幅増員を唱えています。
これらは完全に自己の利益のみを追求する圧力団体に過ぎず、日本の法曹会の未来など「なーんにも」考えていません。
 本当に法律家の需要があるかなど、全く検証もされていませんし、淘汰の過程でどのような事態が起こるかも考えずに、皆自分の利益だけで物を言っています。
 ちなみに、日本の裁判所の訴訟件数はやや減少傾向にあります。弁護士の仕事の場は最終的に裁判所ですから、裁判が減っているということは、そんなに需要がないことの表れではないかと思います。
さらに、合格者が3000人となっても、裁判官と検察官の人数は増えないことがほぼ確定しているので、100名ずつが裁判官、検察官になったとして、毎年2800名が弁護士になることになります。
 では、実際、2800名の弁護士を弁護士会全体で受け入れられるかと言えば、全くそんな素地はありませんし、1500名の合格者時代でも就職が厳しくなってきているのです。
規制改革ワーキンググループの座長のオリックスの宮内社長は弁護士嫌いですし、無責任なロースクールの圧力は、ただ単に多くの弁護士資格のある就職浪人を産むだけでしょう。それなのにまだ大増員とはあきれかえります。
 法学部の既習者で2年、修習に1年の時間を取られ、さらに修習が終わっても就職先がないような制度のもと、どれだけの人材が「弁護士になろう」としてロースクールに進むかは極めて疑問です。
 ロースクールには多額の学費もかかるのです。
単なる圧力団体の無責任な発言や主張で苦しめられるのはロースクールの学生達ですし、いきなり独立しようとしても、仕事もないのが普通です。そうした仕事のない弁護士には、事件屋が取り入って、経験のない弁護士など、事件屋にいいようにされてしまうでしょう。
最近の西村議員の不祥事を覚えておられますか?
また、弁護士は依頼者のお金を預かりますから、経済界がいうところの「淘汰」の過程で、多くの顧客の預り金が横領されるのではないかという懸念もあります。
 最近の建築士の不祥事も覚えておられるでしょう。

 規制緩和規制緩和をお題目に唱えている社会がどれだけの歪みを産むのか。ライブドア事件やBSE問題は、何ら政府に反省材料を与えていないのでしょう。

 もちろん弁護士の方も業務努力はしていますが、競争競争ばかりを強調すると、その過程でおかしな弁護士に依頼した人の受ける損害についてはどのように考えているのでしょうか。あまりに数ばかり優先して質が担保されないと、いわば、手術をしたことのないような医師に開腹手術をさせるのと同じようなことが発生することも考えられます。

 こうした閣議決定に至った基本的な議論を見ていると、現実の弁護士がどのような仕事をしているか全く知らない学者や経済人の勝手な意見ばかりが目立ちます。法律家がどのような仕事をしているかも知らない人間が法律家のも未来を決めてせっかく司法試験に合格しても就職もない…。そんなゆがんだ構造が今生み出されようとしています。

 なお、私は弁護士は勤務弁護士として、3年から5年経験を積まないと、一人前にはならないと考えています。修習が終わった時点で全ての事件が出来るなどというのは、法律の現場を知らない人たちの幻想であって、弁護士とは、職人のようなもので、ある程度の時間と事件をする中で鍛えられていく職業なのです。

 国家100年の計は日本にはやっばりないんだなあ。

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2006年4月13日 (木)

弁護士会の活動(当番弁護士など)

 弁護士会の活動としては、以前お話した委員会活動のほか、当番弁護士などの活動もあります。当番弁護士は、被疑者の負担なしに1度だけ弁護士を弁護士会が派遣する制度で、過去にはなかったものですが、福岡県弁護士会で導入後、全国に広がっていったものです。
 当番弁護士として出動すると、被疑者には経済的負担がないのですが、当番として出動した弁護士には日当と交通費が支払われます。この当番弁護士の日当と交通費がどこから出ているかというと、国から出ている訳でも何でもなく、全国の弁護士が納めた会費や、各弁護士会が地方公共団体から受けている法律相談委託料、弁護士会で行っている法律相談料など、弁護士が働いたお金の中から支払われています。
いわば、弁護士が、「手弁当」でやっているのです。タコが自分の足を食べているようなものです。当番弁護士は、逮捕され、しかも知り合いの弁護士もおらず不安になっている被疑者にとって非常に有益なため全国の弁護士の努力によって広がりを見せていますが、これは弁護士の努力によって行われているもので、どこかから補助を受けているということはありません。
 さらに、京都弁護士会では、少額の事件でも弁護士が依頼を受けやすくするように、「少額事件補助」という制度があります。訴額が50万円以下の事件でも、最大5万円を弁護士会から担当弁護士に補助して、少額の事件をどんどんやりましょうという制度です。担当弁護士に支払われる最大5万円の追加補助も、京都弁護士会の会員の会費や会員が法律相談をして稼いだ委托手数料などから支出されています。これもタコがタコの足を食べているのと同じです。ちなみに、京都弁護士会の会費は月額5万円程度です。
以上のように、弁護士ないしは弁護士会は、自分の犠牲のもと公益活動を行っているのですが、これまで弁護士はこれらの活動について、自分たちの犠牲のもとに行っているのだということはあまり主張してきませんでした。これは、そうしたことを言うことは、弁護士として「潔くない」という価値観があったからと思います。
 そのため、弁護士に対するイメージが悪いところもあるようですし、本当に悪徳弁護士もいるとは思いますが、私は大半の弁護士は頑張っていると感じています。これはひとえに広報不足というか、自分たちのがんばりをあまり世間にアピールしてこなかったからです。
 たとえば、大規模消費者被害事件などが起こり、弁護士が弁護団を組んで仕事をする場合、被害者が多いから費用もたくさん取っているのだろうと思われるかも知れませんが、大半の事件では、何年も何年もかかり、打ち合わせも何回も何回も行って解決したとしても、弁護士の手元に残る報酬分は、1人5万円くらいということが大半であり、引き受けること自体が赤字な事件です。大半は実費で消えてしまいます。そうであれば引き受けなければ良いと言われるかも知れませんが、それでは誰がこうした消費者被害を救済するのかということです。それは、弁護士以外にはあり得ないので、下手をすると手弁当になるような事件でも、人権救済のために行ってきたという歴史的経緯があります。
 弁護士が大増員され、過当競争社会となった場合、公益的活動やこうした消費者被害事件は誰もやらなくなるのではないかと思っています。それよりも、儲けがある事件に走り、社会的弱者の事件などを手がける弁護士がいなくなり、消費者被害を巻き起こしている会社などに対して被害救済を行うことが出来なくなるように予想しています。
現在の大増員論は、むしろ、経済界(利益だけを追求したい経済界にとって、弁護士は目の上のたんこぶ)が、弁護士の弱体化を望んで行っているという疑いを私は持っていますし、法科大学院設置を堅持したい大学が、人数を底上げしろと叫んでいるだけのように聞こえてしまいます。
 中坊公平氏は、詐欺事件の責任を取り、弁護士を廃業されましたが、大増員にゴーサインを出した張本人でありますし、整理回収機構も種々の問題を起こしていますから、その責任は重いと考える今日このごろです。

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2006年4月11日 (火)

子どもの虐待

 ももさん、コメントありがとうございます。ももさんだけが読者のような気がしてありがたいです。他にも読んでくれている人はいるのでしょうけれど。
 今日は私が時々考える重い話題。

 子どもを虐待したという事件が後を絶ちません。子どもを虐待したのは親であったり、親と同居する親の彼氏であったりするので(母親しかいない家庭)、子どもは被害に遭ったことを声を出して言えません。私も新聞などで見ているだけですが、大体において、「子殺し」は、量刑が軽い傾向にあるような気がしています。
 同居している男(母親の彼氏)が、「しつけ」と称して2歳の子を蹴り飛ばしたりして死亡させたという事案でも、「傷害致死」という罪名で、10年くらい刑務所にいけば社会に戻ってきます。2歳のこの子は、何も言えず、ただ蹴らたり殴られるだけの2年間の人生だったのです。
 尊属殺人が通常殺人よりも重く規定されていた尊属殺人規定は、憲法に違反するとして削除されましたが、依然として、子殺しは量刑が軽い傾向にあると思っています。
 尊属殺人というのは、私は、親を敬えという江戸時代の朱子学(孔子の儒教)から来ていると思っていますが、中国で孔子の生きていた時代というのは戦乱の時代であり、子どもが大人になる確率というのが低かった時代でした。栄養失調、疫病などで子どもが大人になれるかどうかは、全く分からなかった時代でした。そのため、成人した者は、これから繁殖させられるかどうか分からない子どもよりも、子を産めるということで大事にされたということです。中国で前漢を打ち立てた劉邦は、項羽の軍に破れて馬車に乗って逃げる時、子を馬車から蹴り落とし、これを家臣が拾い上げてまた乗せたという話が伝わっています。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」にも出てきていました。
 これは、子は親を産めないが、親が生きていればまた子を産めるので、このような場合、むしろ子は親を生かすために馬車から飛びおりて死ぬのが孝養とされ、儒教では劉邦の行為は全く正当化されるものだったということです。三国志の中でも、曹操を生かすために子が自分の馬を曹操に譲り、追っ手に殺害される場面が出てきます。
 日本でも、相続事件などで昔の戸籍を集めていると、早くに亡くなっている人が多いことに気づきます。子どもが成育するかどうかは分からなかったということで、昔は、子の命が軽かったことは、日本でも中国と同様であったのではないかと思っています。
 子殺しの量刑が軽いということが、このような歴史的背景にあるとすれば、新聞などで量刑が軽い事件を見るにつけ、今は時代が違うやないかという気持ちにいつもなっています。
 子殺しの場合、通常は遺族というものもいませんから、犯罪被害者事件として弁護士が依頼を受けることもないのです。被害者の遺族の処罰感情が強い事件ですと検察官も頑張ってくれますが、遺族がいない事件ではどうなのか。それを言えるのは本来公益の代表者である検察官だけではないのか。
 生まれて、ただ虐待されて死んでいった子ども達の意見は誰が代弁出来るのか、時々考えてしまいます。

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2006年4月 5日 (水)

弁護士が読む本1

 ももさんコメントありがとうございます。弁護士も普通のものを食べていますよ~。
 さて、依頼者なんかからは「弁護士さんって難しい本ばかり読んでいるのでしょ?」とか聞かれることもあります。確かに、事件関係では本当に難解な文献を読まないといけないこともありますし、読書が趣味という人は多いものです。私も読書は趣味です(ちなみに今読んでいるのは「眼の誕生」というカンブリア期になぜ進化の大爆発が起こったかという話)。最近読んだ本でほかにおもしろかったのは、津本陽の「名をこそ惜しめ-硫黄島魂の記録」です。昔は横溝正史(金田一耕助シリーズを含めて、角川文庫から出ていた横溝正史の作品はほとんど持っています)、少し前はレイモンドチャンドラー(フィリップ・マーロウが私の憧れ)にはまっていました。
 歴史小説や自然科学系の本を好んで読んでいます。自然科学系で読んでおもしろかったのはスペイン風邪の話。6000万人を殺したインフルエンザとかいう題名だったように思います。
 しかし、いつも難しい本を読んでいるわけではなく、マンガもかなり読みます。未だに恥ずかしながら、少年サンデー、少年マガジン、モーニングを読んでいます。最近は昔読んだあだち充の「H2」を自宅で読み始めて止まらなくなりました。息抜きも必要なのです。
 よく、マンガも読むというとびっくりされますが、弁護士も「フツウ」の人間なんです。

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2006年4月 3日 (月)

弁護士が遭うひどい目1

 弁護士って優雅にしていると思われるようですが、結構ひどい目にも遭います。紛争のただ中にいるからしかたがないところはありますが、それほどいい仕事でもないかも知れないですね。では、どんなひどい目があるかというと…。

1、ヤミ金から嫌がらせ
 これは、ヤミ金と交渉している弁護士はたまにあるのですが、ピザを大量にとられたり、消防車を呼ばれたりとかもあるようです。私はヤミ金事件もそれなりにしてきましたが、電話で脅された(殺すとかお前の家を知っているから火をつけてやるとか)程度でここまでされたことはありません。

2、離婚事件の相手方から誤解される
 妻は本当は自分のことを愛しているのに、弁護士がじゃまをしていて悪いのは弁護士であるとか、弁護士と妻ができていると誤解したりして、攻撃の対象が弁護士に向くということもあります。
 事務所の前で夫が待ち伏せしていたり、電話で「殺してやる」「事務所に今から火をつけにいく」なんて脅されることもあります。

3、明渡の強制執行に行ったら部屋がものすごく汚い
賃料の支払いがないので判決を取って、強制的に明渡を求めて立会いに行くと(代理人か本人の立会いがないと明渡できないので)、相手方は退去していないのですが、嫌がらせかもともとそうなのか部屋が以上に汚いとか。ペットボトルに尿が入ったものが棚に並べられているとか、鍋がいっぱいあって中身が全部人糞だったとか。床が人糞で見えなかったりとか。

4、当番弁護士で出動したら呼んでない
 当番弁護士で、頑張って出動したら、「呼んでない」「裁判所の人に呼びますかと聞かれたからどっちでもいいと言ったら呼んでおきますねと言っていた」「自分としては話すことはない」として冷たくされる。

5、人の死に立ち会うか出会う
裁判を出したら相手が自殺したとか、明渡に行ったら中で相手が自殺していた…。しばらく気分が沈みます…。
 

他にもいろいろ嫌な目に遭うことがあります…。また機会があったらお話しましょう。

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