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2006年4月11日 (火)

子どもの虐待

 ももさん、コメントありがとうございます。ももさんだけが読者のような気がしてありがたいです。他にも読んでくれている人はいるのでしょうけれど。
 今日は私が時々考える重い話題。

 子どもを虐待したという事件が後を絶ちません。子どもを虐待したのは親であったり、親と同居する親の彼氏であったりするので(母親しかいない家庭)、子どもは被害に遭ったことを声を出して言えません。私も新聞などで見ているだけですが、大体において、「子殺し」は、量刑が軽い傾向にあるような気がしています。
 同居している男(母親の彼氏)が、「しつけ」と称して2歳の子を蹴り飛ばしたりして死亡させたという事案でも、「傷害致死」という罪名で、10年くらい刑務所にいけば社会に戻ってきます。2歳のこの子は、何も言えず、ただ蹴らたり殴られるだけの2年間の人生だったのです。
 尊属殺人が通常殺人よりも重く規定されていた尊属殺人規定は、憲法に違反するとして削除されましたが、依然として、子殺しは量刑が軽い傾向にあると思っています。
 尊属殺人というのは、私は、親を敬えという江戸時代の朱子学(孔子の儒教)から来ていると思っていますが、中国で孔子の生きていた時代というのは戦乱の時代であり、子どもが大人になる確率というのが低かった時代でした。栄養失調、疫病などで子どもが大人になれるかどうかは、全く分からなかった時代でした。そのため、成人した者は、これから繁殖させられるかどうか分からない子どもよりも、子を産めるということで大事にされたということです。中国で前漢を打ち立てた劉邦は、項羽の軍に破れて馬車に乗って逃げる時、子を馬車から蹴り落とし、これを家臣が拾い上げてまた乗せたという話が伝わっています。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」にも出てきていました。
 これは、子は親を産めないが、親が生きていればまた子を産めるので、このような場合、むしろ子は親を生かすために馬車から飛びおりて死ぬのが孝養とされ、儒教では劉邦の行為は全く正当化されるものだったということです。三国志の中でも、曹操を生かすために子が自分の馬を曹操に譲り、追っ手に殺害される場面が出てきます。
 日本でも、相続事件などで昔の戸籍を集めていると、早くに亡くなっている人が多いことに気づきます。子どもが成育するかどうかは分からなかったということで、昔は、子の命が軽かったことは、日本でも中国と同様であったのではないかと思っています。
 子殺しの量刑が軽いということが、このような歴史的背景にあるとすれば、新聞などで量刑が軽い事件を見るにつけ、今は時代が違うやないかという気持ちにいつもなっています。
 子殺しの場合、通常は遺族というものもいませんから、犯罪被害者事件として弁護士が依頼を受けることもないのです。被害者の遺族の処罰感情が強い事件ですと検察官も頑張ってくれますが、遺族がいない事件ではどうなのか。それを言えるのは本来公益の代表者である検察官だけではないのか。
 生まれて、ただ虐待されて死んでいった子ども達の意見は誰が代弁出来るのか、時々考えてしまいます。

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