司法試験合格者大幅増員論は実体がない
LOSTさん、コメントありがとうございます。社会の基盤が何ら整っていないのに、「なぜ」弁護士を増やそうとしているか…。引き続いて論じてみたいと思います。
まず、経済界の要請です。経済界といっても、上場している大企業で、日本産業を底で支える中小企業はそっちのけでの議論です。
経済界の要請は、「すぐに依頼が出来て」「自分のところの仕事を優先してやってくれて」「費用も安い」弁護士が欲しいということです。
これから法化社会になるから弁護士が必要といいますが、たとえば訴訟となったとしても、これを裁く裁判官の人数が増大しないと全然判決が出ない訳です。私も弁護士として判決をたびたび延期させられた経験があります。日経の論説などで法化社会になるから弁護士が大幅に必要で、それで足りるというのは、裁判の現場を全く知らない人が書いた絵空事か、ねらいが別にあるのにごまかすためにそのようなことを言っているようにしか聞こえません。
経済界が今企業法務をやっている事務所に事件を依頼すると、法外な報酬を取られると感じているため(そこで働いている若手弁護士は時には朝8時まで仕事をして、その日の12時には4時間仮眠を取って事務所に来たりしているので、そうした事務所も頑張っていると思いますが)、そうした事務所の単価を下げようと、弁護士に競争させようとしていると思います。
しかし、こうした上場企業の事件というのは、手間暇もかかり(前にも書きましたが弁護士の仕事は基本的に手作業です)、調査などにも時間がかかるので、人員を割かないといけませんから、単価がある程度高くなるのは私などはやむを得ないと考えています。
しかし、経済原理だけで動く企業からすれば、「もっとコストダウンしろ」となりますが、今はそうした事件を手がける弁護士が限られている関係でもっと増やして競争しろということになる訳です。
ここには、一般国民の司法の利用のしやすさという観点はあまりありません。また、こうした企業が依頼したい事件というのは、一般国民からすると、あまり関係がない話です。企業法務をしている事務所の弁護士は、法廷にほとんど行ったことがなかったり、離婚事件や暴力団事件なんかしたことがないという人ばかりです。
次に、大学の権益を守るという圧力があります。日本の人口はこれから減少の一途をたどるので、大学は生き残りに必死となりますが、ロースクール構想で合格者をある程度確保することが出来れば、ロースクールのある大学は生き残ることが出来る可能性が出てくるので、大学が生き残りたいという論理で、「生徒集め」のため合格者増員論が出てきています。
しかし、そもそも、ロースクール構想では、ここまで多くのロースクールがいわば乱立する状態は予定されておらず、どこもかしこも手を挙げてロースクールを作ったがために、当初予定されていた3000人という合格者数では、ロースクールの定員からすれば少ないので、「もっと増やせ」と言っているのです。規制改革ワーキンググループの委員の中には、ロースクールの学者もおり、オリックスの宮内社長も含めて、自分たちの権益のために議論しているとしか思えない状況なのです。
このように、経済界の身勝手な要請と、大学の生徒集めのために大幅増員論が叫ばれているというのが私が分析する現状です。
もちろん、裁判員制度や被疑者国選、司法過疎の解消のために弁護士がまだ必要というのはそうかも知れませんが、突然大幅に増やしても、これを受け入れる社会体制が全くありませんし、一部の権益団体のために増員をしたとすれば、後に法律家が過剰であったとなっても、中々合格者を減らすことは出来ないことから、私を含めて一部の弁護士は3000人時代を検証することもなく増員論という話が出ることには大反対しているのです。
司法過疎についても、経済規模が小さい地方では弁護士が数名いれば足りるのであって、そこに何百人も弁護士が開業出来るかというと、そのような事実はないと思っています。弁護士が山ほどいるアメリカでも司法過疎はあるので、増やせば過疎解消という訳にも行かないのです。日弁連はこの間批判を受けて相当頑張っていますし、私も宮津の相談所の相談員です。
一般国民のいう観点からすると、競争競争で金を追い求める弁護士ばかり出てくると、お金にならないけれど意義がある事件をやらなくなって社会は余計悪くなると思います。
日本の歴史の中で、弁護士が手弁当で活動をして勝ち取ってきた勝訴判決や、それが元で制度が動いたというような例は多々あります。私も京都弁護士会のヤミ金対策プロジェクトチームの座長の時に、ヤミ金がよく悪用していた「プリペイド携帯の本人確認強化」「口座の譲渡禁止」を総務省に京都弁護士会として日本で初めて意見書を出しましたが、この結果、法律が制定されるに至っています。この活動も全く報酬は出ていません。逆に活動費用を考えたら赤字です。
消費者からすれば弁護士は安い方がいいというのは、お金のある経済界のまやかしの言葉ですし、経済原理で淘汰されるという話も、最近の姉歯建築士問題を見れば、問題のある資格者は、問題が発覚するまでに恐ろしいほどの被害を巻き起こすものだということに思いを至らせるべきでしょう。
心あるジャーナリストさんはこの論点について書いて欲しいものです。
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コメント
この問題を見ていると、まさに世の中は
「万人の万人に対する闘争」なんだなと
痛感いたします。
外部から見ておりますと、日弁連はこの
問題に対して果たして組織的に有効にアプローチ
出来ているのかしばしば疑問に思います。
日弁連は議論の主導権を握れているのでしょうか。その前提として弁護士の中で「目先の
仕事を犠牲にしても(自分の直近の収入が
ダウンしても)」弁護士の意見をまとめ上げ、
政策形成過程に影響を及ぼそうという方が
あまりいらっしゃらないのではないかという
気が致しました。(あくまで素人の妄想です)
投稿: 一般人 | 2006年5月 5日 (金) 01時36分
一般人さんへ
おっしゃる通りです。
日弁連は、議論の主導権など全く握れていません。
今は、規制改革民間開放推進会議のワーキンググループがこの議論をしており、そのメンバーは学者がほとんどで弁護士は一人も入っていません。
先日、この推進会議から内閣に「3000人前倒し」「9000人を目指す」という答申書が提出され、これを前向きに検討するという閣議決定が出されました。
中坊公平氏(弁護士報酬のことを「お布施」と言った方)の出現以来、日弁連にはこの問題に対する求心力はなくなりました。
若手弁護士は、来るべき競争に備えてスキルアップに忙しく、良識ある中堅弁護士は日弁連に失望し疲れています。
「弁護士の意見をまとめ上げ、政策形成過程に影響を及ぼそう」ということができないのは、このような状況にあるからです。
投稿: M.T. | 2006年5月 5日 (金) 08時50分
一般人さん、M.T.さんコメントありがとうございます。
日弁連の現状はM.T.さんのおっしゃるとおりです。
このブログを作っている私は若手と中堅の間ですが、このままでは大変なことになると考えて京都の同じ志を持つ人たちと一緒に法曹人口問題について考える会を作りました。
正直、言われるようにこれをするくらいなら目先の自分の売上を上げる方が楽ですね。しかも活動費がかかるので赤字です。
現在までにしたことは、司法記者に対する情報提供、日地弁会長候補者に対する質問状、法律新聞への論壇への投稿、ホームページの開設、ロースクールの現状の調査(まだ途中ですが)、規制改革委員会の議事録の精読などです。
京都弁護士会でもこの問題に対して会として検討するためのプロジェクトチームが出来ており、私はそこの副座長です。
人数が増えて、質が低下し、過当競争になった時に、経済原理で声を上げている経済界は弁護士を選択する能力もあるでしょうから実害はありません。
また、日弁連会長になるような人はそのころには死んでいるか引退しており、自分には関係ないので、事なかれ主義に走ってしまうのだと思います。中坊氏は今は講演活動をしているとも聞きます。
本当に迷惑を受けるのは弁護士に生涯で一度関わるかどうかという一般市民です。
成り立ちもしない訴訟を提起し、請求に対して争う余地もない事件をとことん争い、依頼者を説得することもない弁護士が増えるでしょうし、費用についても多額の費用を請求する弁護士が増えるでしょうね…。
この流れは止めないといけません。
投稿: 中隆志 | 2006年5月 6日 (土) 11時49分
For you? Chloraform and strapping tape. Or a magazine. Go with the one without the federal charges.
投稿: aleve | 2006年5月17日 (水) 13時41分
始めまして、M.T.先生のところからリンクをたどって来ました。
これから法化社会が来て裁判が増えるということについてなんですけど、印紙代については弁護士の方々の意見というのはどうなっているのでしょうか?
現在のように訴額に比例して印紙代が高くなる状況では、お金に余裕の無い人は、どっちにしろ裁判なんて起こせないと思うのですが?
素人考えなんですけど、この問題は結構重要なことなのではないでしょうか。
突然の質問、失礼しました。
投稿: RYZ | 2006年5月17日 (水) 15時15分
RYZさん、コメントありがとうございます。
印紙代というのは、少し前に少しだけ下がったのですが、確かに訴訟を起こす壁の1つだと思います。
相手に財産があって、勝訴判決を取れた場合には、訴訟費用として印紙代は請求出来ますが、相手の財産がない場合には、取れない訴訟のために高額の印紙代が必要ということになります。
ちなみに、1000万円の訴訟で5万円、1億円の訴訟だと32万円の印紙代が必要で、控訴したり上告したりすると、それぞれ1.5倍、2倍の印紙代がかかります。
諸外国では、印紙代が安い国もあるのですが、もっぱら濫用的な訴訟を防止するために、我が国では高額な印紙代となっています。
それだけお金をかけて訴訟をしてくる当事者はやはり濫用的に訴訟を出すことは控えるだろうという考えです。
訴訟救助という制度があって、どうしてもお金のない人は判決が出るまで印紙代の納付を待ってもらえるという制度はありますが、これについてもいつかは支払わないといけないので、どこまで実効性があるかというと疑問です。私も時々使いますが、相手からお金が取れることが確実な事件であれば利用もよいかも知れません。
印紙代については、濫用的訴訟防止という側面が強調されて今は高額ですが、利用しやすい司法という観点から、印紙代の率を下げて、よりハードルを下げるべきという意見は確かに重要かも知れません。
今後参考にさせていただきます。
一般の方の意見がやはり重要ですので、こうした意見はありがたいです。
投稿: 中隆志 | 2006年5月17日 (水) 15時55分