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2006年5月24日 (水)

賃貸借のトラブルその1

 賃貸借のトラブルもよくあります。
 銀行の勧めで「相続対策としてマンションを借り入れをして土地に建築して、家賃収入で食べていけばいいですよ」ということで借り入れをしてマンションを建てたはいいけれど、思うように賃料が入らず、中には賃料を滞納しまくる奴も出てくる始末。
 すぐに出ていかせようと仲介した不動産業者にいっても、「交渉して自分で出て行かない場合には、無理矢理追い出すことは出来ないので、訴訟をして判決を取っていただいて、強制執行をしてもらうしかない」という回答。
 法治国家では自力救済は禁止されていて、家主がいくら自分の所有だと言っても相手の家財道具を無理矢理放り出して出て行かせたりしたとしたら器物損壊や住居侵入罪に問われかねません。
 自分で出来ないので弁護士を依頼するのですが、この費用は当然家主の負担です(ちなみに報酬も発生します)。
訴訟の費用に滞納家賃は入ってこないわで家主は大赤字です。さらに、判決を取ったとしても、これはただの紙切れですから、それだけでは追い出すことは出来ず、これに基づいて、明け渡しの強制執行をしないといけないことになります。
 中にある相手の家財道具を出したり、賃借人そのものを、法に基づいて強制的に退去させるのです。
 ただし、強制執行するのに裁判所の執行官という係官に現地に行ってもらう必要があるのですが、これについても家主が執行官の費用を裁判所に納めないと強制執行も出来ません。
そして、強制執行をするについては、荷物を出してもらうために人夫を雇うのが通常ですが、これについても家主が支払わないといけません。
もちろん、理論的にはこうした費用は相手に請求できるのですが、請求できるということと、相手から現実に支払ってもらえるかは全く別のことなのです。
たいてい、家賃を滞納しているような人は、お金を持っていないので、滞納家賃や強制執行費用が相手から取れることはほとんどありません。
小さいマンションの部屋でも、こうした経費が総額で100万円くらいかかりますので、逆に立退料を支払って出て行ってもらうという馬鹿みたいな話もある訳です。
 暴力団などが、借りたその日から一度も家賃を支払わず住んでいたというような話もあり、最初に貸した人と違う人物が入って、誰が住んでいるか分からないということもあります。中にいつの間にか外国人が15人くらい住んでいたとか。
気軽に物は貸せませんね。相続税をまともに支払っていた方が安かったという場合もあり得ます…。

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2006年5月21日 (日)

テレビドラマの中の弁護士と実際

 テレビドラマの弁護士たちの事件では、刑事事件が取り上げられることが主なようです。いつも刑事事件では一見有罪だけれど、実は無罪というパターンが多いようですね。司法修習生が弁護士の代わりに証人に会いに行って説得をしたりしていたケースもかつて見たような記憶があります。
 しかし、実際の事件では、無罪が争われるケースはほとんどありませんし、無罪を争う中でも、後になって、「先生、すいません。実はやってました。」とか、判決が出たあと、「先生、やっぱり通りませんね」などというケースも多くあります。
 さらに、修習生が弁護士に無断で証人に会いにいくなどあり得ないですし、そんなことをしたら修習生は懲戒になって資格を失ってしまうこともあり得ます。
 また、通常の弁護士は、複数の事件を抱えていて、一つの事件にかかり切りというような場合はほとんどありません。
 複数の事件が同時進行しているのが通常です。これは、事件をするにしても資料を収集するのに時間がかかったり(たとえば遺産分割をするための調停を出すにしても、戸籍を取り寄せるだけで相続人が多いと一か月以上かかったりします)、依頼人の方の資料の整理にも時間がかかったりするので、一つの事件だけを受けていても時間が余って仕方がないということも原因ですし、そもそも裁判所が開かれる日程にも限界があるので、裁判は先に入ることが多いため、その間他のことが出来るという状態にもあるからです。
 さらに、弁護士だって霞を食べて生きている訳ではないので、経営もしないといけません。勤務弁護士の場合でも、事務所から給料をもらっているので、経営している弁護士は売上を上げないといきませんが、一件の事件だけをしていても、弁護士は経営が出来ないのです。
 弁護士一人、事務員一人でも、事務所を賃貸していれば事務所の賃料がかかります。裁判をするのに調べ物をすることも多いのと、記録を置くスペース、打ち合わせをするスペース、事務員と弁護士の机のスペースを考えると、それなりの広さの事務所を借りる必要が出てきます。
 また、事務員の給料もかかります。さらに、弁護士はどこかの弁護士会に所属する必要がありますが、弁護士会は別段国からお金をもらっているわけでもなく、基本的には会員の会費が大きな収入源となっています。ちなみに、京都では月額5万円弱の会費が必要です。さらに、医師のように保険制度があるわけでもないので、依頼者からお金をもらわなければ、どこからもお金が入って来ないことにもなります。弁護士だって自分の生活がありますし、税金だって支払う必要があります。
 よく、弁護士費用が高いという声が聞かれます。
 紛争が終わってしまうと、「これで当たり前だった」と思う人もいて、当たり前の状態になっただけで、なんで費用を支払わないといけないのだという気持ちになる人も多いようです。実際には、弁護士が努力をして勝訴判決を取ったからこその結果で、本人訴訟であれば敗訴していた可能性も高かったり、本人は裁判に仕事を休んでいかなくて済んだにも関わらず、そのような気持ちになられると、つらいものがあります。医療行為と違って、体が苦しかったりすることがないためなのかもしれません。
 さらに、弁護士の仕事は、依頼者から事情を聞き取り、これを書面にまとめ、裁判所に行き、調べ物をし…と、依頼人から見えない部分の仕事が多いことも影響しているのかも分かりません。
 弁護士としては、紛争を解決するために相当苦労して仕事をしているのですが、紛争が解決したとたん、弁護士が仕事をしたことについて忘れてしまうようなことを言われると、つらいものがあります。

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2006年5月18日 (木)

刑事事件と弁護士その1

 刑事事件と弁護士。これは非常に一般の人には分かってもらいにくいテーマの一つです。
純粋な疑問は、「どうして悪いことをした人の味方につくのか?」という形で出てくると思います。特に極悪事件になるとこうした疑問が出てくると思います。あの弁護士は許せないとして、嫌がらせをされることすらあります。

 答えはいろいろありうるのでしょうが、もっともわかりやすいのは、中世の魔女裁判です。今の常識からすれば、魔女はいないのですが、中世のヨーロッパにおいては、「魔女である」という判決が下されれば、火あぶりなどの刑に処せられていました。これは明らかに誤りであると今となってはいえるのですが、当時は、民衆が魔女であると糾弾すれば、魔女と言われた側には、弁解の機会も与えられなかったのです。これは、民主主義が必ずしも正しい判断をしないことの好例でもあります。ヒトラーも民衆が圧倒的支持をした指導者だったですから…。今の日本はどうでしょうかね。

 日本の刑事事件についても、過去に暴行・拷問や脅迫的な取調が行われ(実は今でも警察や検察官は否定するのですが、よく暴行や脅迫はあるのですが…)、被告人の弁解も聞かれることなく、自白したという書類が作られていきました。犯人であると決めつけられ、あるいは故意はなかったのに、故意だったんだろうと指摘されて、弁解をしてもいっこうに聞いてもらえない…。しかも、身体は拘束され、家族とも会えない状況です。このような状況下に置かれていた、あるいは置かれる危険性のある被疑者・被告人にとって誰も味方がいなければ、一切弁解もされることなく判決が下され、中世の魔女裁判と全く同じ結果となってしまうでしょう。
 その唯一の味方こそが弁護人なのです。ただ、検察官が2人いるのではないかと思うほど刑事裁判官が被告人の主張を聞く姿勢すら持たないこともよくありますが…。

 全世界が被告人を信じていなくとも、黒であるという証拠があるようであっても、被告人が無罪を主張していたら、これを信じて、被告人のために最大限努力をするという活動が弁護人に求められているといえます。正直にいうと反吐が出るような嫌な被告人に対しても、何とかいいところを見つけないといけなかったりしますし、これをしないと弁護人がその職責を果たしていないとして、懲戒になる可能性すらあります。

 時折、死刑事件を弁護することはけしからんとか、オウム事件を担当する弁護士は懲戒にすべきだなどというばかげた議論が弁護士の中でも行われますが、弁護の方法について批判はあり得ても、弁護することそのものや、被告人の弁解を元に議論を展開したことを批判するようでは、こうした人たちには、弁護士、広く言えば法律家としての人権感覚はないといえるでしょう。
 

 犯罪被害者と凶悪事件とは真っ向から対立することになりますが、弁護士としてどちらかしか出来ないという選択をするかどうかも、なかなか難しい問題で、私のブログで簡単に書ける問題ではなくて、論文くらいになってしまう問題です。

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2006年5月11日 (木)

弁護士とお酒

 別にお酒と弁護士は関係ないと言えば関係ないのですが、私は酒飲みの部類に入るようです(最近ちょっと法曹人口問題に偏っていたのでたまには軽い話題)。
 もう少し若い頃は最高一次会の中華料理屋で8時半に記憶が飛び、翌朝気づいたら自宅で寝ていたこともあります。本当にどうやって帰ったのか、二次会で何をしていたのか覚えていませんでした。そのときは普通やったらしいのですが…。
 あと、駅から自転車で帰ってくる途中でガードレールで擦ったようで腕が白くなっていたり、足を怪我していたこともありました。さすがに最近はそのような飲み方はしないのですが、よくあんな飲み方をしていたものです。
 独立した3年前までは、飲みに行くのは今と同じで週に2、3回なのですが、毎回かなり量を飲んでおり、だいたい生ビール2杯、日本酒五合、ウイスキーロックで5、6杯程度は飲んでいました。最高一人で日本酒を一升半空けたこともあります。でも翌日はサッカーの練習試合で得点を取っていたくらい元気でした。
 昔のことを言い出すとはだめですかね。最近は飲む量も減らして記憶もなくなりませんがそれでも二日酔いになります。酒が弱くなったのでしょうか。
 まあ、私の祖父が大酒飲みから糖尿病になり、早くに死んだのでさすがにいつまでもこんな飲み方ではと反省したので弱くなったくらいの方がよいのかもしれないですが。
 時々刑事事件で、酒で記憶がなくなったという人がいて、私には彼らの言い分がよく分かりますし、私の3人の師匠のうちの一人であるN村弁護士も「よく分かる」と言っていますが、酒を飲んで覚えていないは、裁判官には通用しません。まあ裁判官はさすがにそんな記憶をなくす状況になったことがないんやろな…と思いながら裁判官の厳しい尋問を聞いていたりします。
  酒飲み友達の一人U先生は、最近肌荒れがするといってひげを伸ばしているという話を少し前に書きましたが、実は2ミリの長さに切れるというひげそりを買っていたことを先日飲んでいる時に白状させました。やはりチョイ悪オヤジを目指していたのか。
酒は人の口を軽くしてしまうようです。
ただ、守秘義務に抵触しない範囲での先輩弁護士の実体験談は、酒を飲んでいる席でいい話が聞けることがあり、後で役立っていることも多いように思います。

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2006年5月 8日 (月)

弁護士と依頼者の距離

 弁護士と依頼者の距離。これはいろいろと弁護士によって考え方もあり難しい問題です。
 依頼者としては、依頼した弁護士に自分の最大限の利益を確保して欲しいと思うのですが、事実関係や法律論などで依頼者の希望通りには行かない場合が多々あります。誰しも自分に都合がよいように事態を解釈したいもので、弁護士が第三者的に見ると極めて無理な話をされているケースというのが見受けられます。
 その場合、弁護士としては、依頼者の主張を通せばこのようになる可能性があるということを話せざるを得ないと思っています。
 その上で、依頼者があくまで依頼者の考え通りの筋で進めて欲しいと言った時、弁護士として取りうる方法は①さらに説得する②依頼を受ける前であれば依頼を受けない③依頼を受けた後であれば辞任する④リスクの説明はした上でその線で進める(依頼を受ける前であると引き受けるかについては微妙な問題があります)などが考えられます。

 私も、相談に来られた人から、とうてい無理な訴訟の依頼をしたいという場合に、「勝つと言って下さい。勝つと言ってくれたら依頼します。なんで不利な話をされのですか」と詰め寄られることもたまにあります。
 このような時、「私が悪い弁護士やったら、不利な点もなんかいけるような話をして依頼を受けますよ。それで負けたら裁判官が悪かったって言えばいいんだから。不利な点を言うのはあなたのことを考えるからですよ。費用の点だけ考えたら依頼を受けた方が私が儲かるのだから。職業倫理とプロという自負があるから、不利な点を述べているのですよ」と言っています。
そして、耳にいいことばかりいう弁護士は気をつけた方がいいとも言っています。
しかし、しばらくすると、他の弁護士と裁判所をその人が歩いていたりします。ばつの悪そうな顔をされていますが、しばらくすると、「やっぱり中先生の言うことを聞いておいたらよかったですわ」などと事務所に来たりする人もいます。
ただ、不利な点があっても訴訟の勝敗には分からないところがありますし、訴訟を出すことで依頼者の気持ちの区切りとなることもあるので、いつもいつもマイナスの話ばかりする訳ではありません。

 これから弁護士が増えると、依頼者の利益よりも自分の利益を優先しているのではないかと思われる弁護士が出てきそうで怖いです。
まあ、今でも相手方に弁護士がついたせいで、もめ事が余計に大きくなる弁護士も何名かいますが…。そうした弁護士に依頼をしている依頼者を見るとかわいそうに思いますね。
 なお、少し論点は違いますが、時間的に引き受けることが依頼者の不利になる可能性がある場合、プロである弁護士としては引き受けないことがプロの選択であると思います。たとえば、国選弁護人がついていれば上告趣意書の提出期間について、ある程度便宜が図られたかもしれないのに、私選で引き受けたために、上告趣意書を提出しないことや裁判所に不出頭を裁判所から問責された結果被告人に不利益な結果となりうる可能性を高めてしまったような場合がこれにあたると思います。
 逆に時間がないものを引き受けた場合には、プロである以上、他の事件を後回しにして調整してでもその事件について全力投球しなければならないと言えるでしょう。
また、オウム事件のように筋を通すことでかえって自分の依頼者や被告人に不利益が及ぶおそれがある場合、私であれば依頼者と被告人の利益を優先します。弁護士のメンツなどは依頼者の利益に比べればはるかに軽いものです。

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