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2006年7月28日 (金)

あまご釣行記

                        上桂川釣行記
              ~山蛭の恐怖がN村T雄弁護士を襲う!の巻~
                                  

 平成15年4月20日(日)午前4時起床。大雨。
 子前5時。大きなリュックを背負って、草津駅へ向かう。雨がたたきつけて来る。
 午前6時、二条河原町に到着。雨が小降りとなる。
 眠そうなH尾弁護士が登場。しばらくして、自動車でN村T雄弁護士とY田S司弁護士が到着。
 そう。我々は、この降りしきる雨の中、アマゴという渓流魚を釣りに上桂川まで行こうというのであった。
 アマゴは渓流の女王といわれるだけあってすばらしくきれいな魚である。
 天然物ないしは稚魚放流で、自然河川の中で育った魚を釣りあげた時などは、その魚体の美しさに、しばらく見入ってしまうほどである。
 私以外は、釣りの経験はあっても渓流釣りは初体験。N村T雄弁護士に至っては、投げ釣りで自分の指を釣ってしまったこともある猛者(?)である。
 しかもこの雨・・・。不安がよぎる。

 そのような不安をよそに、雨に煙る山つつじを見ながら車は一路北へ。
 1時間半ほどで、左京区最北部から京北町を流れる、目的の上桂川に到着した。雨は断続的に降り続いている。
 渓流の入り口付近で入漁券を購入し、情報を聞く。6キロメートルほど先がいいらしい。「こんな日に釣りに来ている人はいますかね。」という私の問いに、店の親父は曖昧に笑うだけであった。

 少し自動車を走らせたところで、下りられそうな場所を発見。とりあえずウェーダー(腰まである長靴のようなものだ)を着装して川に下りる。
 少し増水しているが、釣りにはちょうどいい。
 私以外仕掛けの作り方を知らないので、説明しながら全員分の仕掛けを作る。渓流の仕掛けはシンプルなので、切れた時は、自分でできるよう糸のついた針も用意してある。
 餌は春先なのでイクラだ。万が一のためにブドウ虫も用意した(カブトムシの幼虫の小型版を思い浮かべてくれるといい)。
 いよいよ釣り始める。
 さすがN村T雄弁護士。人に作ってもらって自分の仕掛けができあがると、どんどん釣り上がって行ってしまった。
 私も釣り始める。

 まずはH尾弁護士がハヤという魚を釣り上げた。なかなか型がいい。だが、この魚はアマゴ釣りではアマゴを釣るのをじゃまする魚でしかない。
 私もその後ハヤが釣れ始めたが、どんどん捨てて行っていた。他のメンバーもハヤは釣れているようだ。

 少し食いが悪くなったので私は餌をブドウ虫に変えた。これが功を奏した。
 目印がココンと流れの中に入る。ハヤの鈍重なアタリとは違う動きだ。私はとっさに竿を跳ね上げて合わせる。
 流れの中で、少し抵抗をしめした後、白い腹をきらきらとさせて、美しい魚体が雨の中を飛んで河原に落ちる。
 念願のアマゴだ。20センチメートル弱。アマゴとしては普通の型だ。
 以前にルアーで30センチほどのアマゴを釣り上げて以来、久々の渓流釣行であったが、何とか面目躍如というところか。
 みなにアマゴの魚体を見せると、その美しさに感嘆の声。しばらく見入っていたが、よし自分もと流れの中へ。
 そのころ、N村T雄弁護士は、雨を避けるためか、反対の河原の木が生い茂っている下に身を寄せて釣っていた。
 私は、山蛭(やまびる)が出なければよいがと思って見ていたが、遠くて声もかけられない。渓流の魚は敏感なのである。
 しばらく釣ったので、場も荒れたと考えて、移動することに。
 しかし、反対河原から上がってきたN村T雄弁護士は、腕を蛭に食われていたのだった。「中君、血が出てきた~」と大騒ぎ。
 自分の指は釣るわ、山に行けば蛭に食われるは、何ともはやアクシデントの絶えない人ではある。

 その後、場所を変えて釣る。
 H尾弁護士が念願のアマゴを2匹釣り上げる。
 「竿をあげたらついてました…」との声。H尾弁護士は、現在、自分に釣りの才能があると信じ始めている模様である。
 昼過ぎまで釣っていたが、大学生の集団が焼き肉をするために我々が釣っていた河原にがやがやと下りてきてうるさくなったので、雨もひどいため納竿することにした。残念ながらY田S司弁護士とN村T雄弁護士はアマゴは釣り上げられなかったが、次の釣行にかけるということにした。

 地元で風呂をやっているところがあったので、風呂に入り冷え切った体を温める。
 服を脱いだ中村利雄弁護士。「また血が出てる~!」と絶叫。手のひらから血が出ていた。うーむ。山蛭は恐ろしい。
 食堂もあったので、地元の山菜料理と魚料理に舌鼓。N村T雄弁護士は、一品メニューを全部制覇し、岩魚の骨酒をH尾弁護士と3合ずつ飲み干してしまった。
 私は運転手のY田S司弁護士につきあって、飲むのをぐっとこらえた。
 その後帰京。

 夕方二条河原町で別れたが、帰宅したH尾弁護士のウィンドブレーカーからは、山蛭がこぼれ落ちたということであった。

                        

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2006年7月26日 (水)

京都弁護士会釣り部釣行記

真夏の釣行記~シロギスを釣ろう~
 京都弁護士会釣り部とは、勝手に数名の弁護士で釣り部と名乗っているだけで、決して公的な存在ではない。

  1、釣った第一号は…
 ある年の8月5日の午前6時半頃、N村T雄弁護士は、自分の手を食い入るように眺めていた。「何でこんなことになったんやろ、中君。」
 「ぼけっとしてるからじゃないですかね。」
 N村T雄弁護士の指には、シロギス釣りの針が、深く深く突き刺さっていた。朝日を浴びて、針が銀色に光り輝く。
 「釣るのは、魚のはずやったんやけどなぁ…。自分釣ってしもた。」
2、若狭小浜へ
 8月4日の午前4時にN村T雄事務所の下で集合した我々(N村T雄、中隆志、Y田S司、Y野K介、M川T広、N之宮Y人 各弁護士、敬称略)は、深夜の朽木村を抜け、途中でお姉さんをくどいている暴走族を見たりしながら、福井県の小浜の砂浜にやってきたのであった。
 「中君、釣りがしたいんや」前からこのように言っておられたN村T雄弁護士を筆頭に、釣りがしたいという連中と、昼休みに仕事もしないで三条の釣り道具屋で道具を仕入れて、シロギスを釣りに来たのである(普段は仕事していますので…)。
 まず、現場に到着して驚いた。釣り情報誌では綺麗な砂浜があるはずが、護岸工事がされ、防波堤と化していたのであった。工事をする必要もないであろうに、まったく日本の政治は土建屋中心である。
 そんなことで怒っていても仕方がないので、下は綺麗な砂浜のままであるし、キスがいないということはないだろうということで、海辺のモーテルの下あたりで釣り始めたのであった。
 初心者のために、糸を私が結んで仕掛けを渡して、自分の仕掛けを作り始めていた時、Y田S司弁護士に仕掛けを結んでもらい、投げる練習をした後、釣り始めたN村T雄弁護士は、いきなり指に針を食い込ませてしまったのであった。しかも、私がさんざん注意をしていたその数分後に、である…。
3,針は危険だ
 釣り針は、魚の口からすぐに抜けないよう、カエシ(モドリともいう)がついており、人間の肉に食い込むと、なかなか抜けず、場合によれば、外科的な手術が必要なこともある危険なものなのである。
 N村T雄弁護士の指の針もなかなか抜けない。
 N村T雄弁護士は、とうとう、針をつけたまましばらくいることにした。
 「Y田君、京都までこのまま帰って京都で医者にいくわ」
 針を刺した手ではたばこも吸いにくそうであるが、まだ朝の6時30分で、医者は開いていないし、とにかく、皆自分が釣りたいこともあり、N村T雄弁護士をそのままに、釣りを始めることとした。一番いい時間帯は、指釣り騒動で過ぎてしまった。日が完全に昇ると、魚はあまりエサを食わなくなる。早くしなければ。
4、当日の釣果は…
 しばらく釣るが、M川弁護士が第一号として外道のふぐを釣り、N之宮弁護士が超ミニサイズの真鯛を釣った外は、キスが釣れない。
 私は、釣り場を少し移動して、高台になっている防波堤の方に行くことにした。
 このあたりでいいか…。
 軽く竿を振ると、仕掛けが飛んでいくのが見える。あまり遠くまで飛ばなかったようだ。
 投げ釣りの場合、置き竿にして、魚が食いつくのを待つ方法と、人が歩くくらいの速度で仕掛けを手元に引き、魚を広範囲に探る引き釣りの方法がある。数を釣るなら、絶対に後者の方が有利なので、私も少しずつ仕掛けを引き出した。
 すると、ぶるるんと、魚が食いつく気配。しかも、この手応えはキスのもののようである。できすぎてはないかと内心思いながら、仕掛けを巻き取ってくると、パールピンクに輝く魚体が水中に見えた。
 第一号のキスである。シロギスは、もともと綺麗な魚であるが、今つり上げたキスは、その中でも綺麗な魚体である。日本海の澄んだ水が、このような綺麗な魚体を作り上げるのであろうか。
 第一号をつり上げた喜びとともに、皆のところに戻ると、ちょうど、N村T雄弁護士の指の針が抜けたところであった。あれから、歯でかんで、1人で頑張っていたらしい。野生児である。
 指の針も取れたので、皆で釣り座を移動し、釣り始める。この間に、N村T雄弁護士のために薬を買いに行っていたY田S司弁護士も戻ってきた。この優しいY田弁護士に、「お~い。Y田君、早よ釣らなあかんで~」と大声で叫んでいたのは、N村弁護士だった。
 普通、怒られんで。でも怒らない優しいY田弁護士。

 高台に移動後、ぽつぽつ釣れるようになってきた。
 私にシロギスがダブルで来たり、Y田弁護士も、Y野弁護士も、N村弁護士も、N之宮弁護士も、次々とキスやヒイラギ、ベラを釣り上げていく。
 普段気の短いN村T雄弁護士は、頭に白いタオルを巻き(この格好のまま自宅に帰ったところ、奥さんから、「バカボンのパパみたいな格好をして…」と言われたそうである)、短パンにTシャツという出で立ちで、皆が疲れて休憩している間も、黙々と釣り続けた。魚が釣れなくとも、海や、竿や、エサのせいにせず、黙々と釣り続けるその姿を見て、私とY田弁護士は、N村弁護士を見直したのであった。
 しかし、唯一人、釣りに飽きて、ハンモックで揺られていたM川弁護士は、ふぐを釣った以外は、全く釣れず、昼を過ぎると、「もう終わりましょうよ」とお昼ごはんの催促に来ていたのであった。
 その後、昼が過ぎたあたりで、本当に釣れなくなったので、納竿することとし、その後、焼き肉の準備をしてきていたので、近場のキャンプ場で焼き肉を始めることにした。
5、焼き肉はうまいよ
 キャンプ場は、海のそばに位置していたこともあり、水着のカップルが多かった。
 にもかかわらず、おじさん六人で、周囲に煙をまき散らしながら肉を焼いていた我々は場の雰囲気にそぐわないこと甚だしいことこの上なかったであろう。
 しかし、外で食べる肉はうまいし、量も食べられるもんである。三キロの肉と野菜、ウインナー、にんにく、焼きそばがたちどころに胃袋に収まっていく。
 その後、汗を流すのに風呂に寄り、帰りは綾部を経由して帰ってきたのであった。
6、最後に
 当日の釣果は数的には物足りないが、大いに遊んだ一日であった。
 なお、魚は六人で分けるには少なかったので、N村弁護士に贈呈することとし、キスは一夜干しで、ベラは南蛮漬けにして家族で食されたということであった。
 次は、冬場にカレイを釣りに行こうと、心に決める我々であった。
                                  つづく
 

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2006年7月20日 (木)

弁護士の(というか私の)整理

 弁護士の整理ー。弁護士会からの文書。会議の案内や資料。
 いろいろなものを整理して置いておかないといけません。事件関係であればファイルに綴じ込んだり挟んだりしておけばよいのですが、それ以外のものが困る。
 会議の案内がいざ行く時になって見あたらず、どこに行けばよいのか分からないということもしばしば。私が勤務していた頃のボス弁は、土曜日に舞鶴で会議があるということで、前日から宮津で釣りをするために泊まり込んでいた我々と同行して宿で一杯飲んでいい気分になったまでは良かったけれど、翌日の会議の場所が書かれた紙を事務所に忘れてきたためにどこに行けばよいか分からないという状況に置かれました。
 釣りをしている私の携帯に電話がかかってきて、「中先生、俺どこに行ったらええか知ってる?」…「知る訳ないやん」…。
 結局西舞鶴駅で待っていれば、会議に参加する他の弁護士にあえるだろうと考えたボス弁は、西舞鶴駅で早朝から待って会議には参加出来ました。これで参加出来てなかったらよけいに面白かったんですけど。
 こんな目に遭わないように、事件関係以外の書類は超整理法のA4封筒に入れて本棚の一部を超整理法用に空けて管理しています。独立前は部屋が狭かったのでこんな余裕もなかったのですが、独立時に書類の管理だけはしようと思って無理矢理本棚を空けたのです。
 後は大きい机を買って、文房具を入れるケースを買って…いろいろと整理をするためのツールも独立時にそろえたのですが、日々の仕事に追われてなかなか整理も出来ません。
 単に私が整理が下手という話もありますが…。
 要らない(と興味がない人から見れば思ってしまう)物を買ったりするからだめだということも分かってはいるのですが。仮面ライダーブレイドのキングフォームの超合金とか、Zガンダムのフィギュアとか(映画のDVDを買ったのでついフィギュアも買ってしまった)。
 でもあまりに無機質な職場も詰まらないと思うので、ラスカルのペン立てとかも机の上にあります。整理には役だっていませんが。
 整理法の本ばかり買って(自宅には五冊くらいある)、未だに実践できていない状況です。

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2006年7月17日 (月)

万年筆が壊れました

 どうでもいいといえばどうでもいいのですが、過去にこのブログで紹介した万年筆が先日依頼者との打ち合わせ中に、キャップを取って尻軸にはめようとしたところ、キャップが「バキッ」という音とともに粉々に壊れました。
 何回か落としたりしていたから樹脂がもろくなっていたようです。
 今使用しているモデルは、パーカーのデュオフォールドのパール&ブラックというモデルで、生産が終了しているモデルで、とても気に入っていたことから、生産が終了したという情報を聞いてから2本新品を確保してあるので、キャップだけを交換して使用し続けることも出来たのですが、既に6年近く使用していて、メモは全てこの万年筆で取っていたので、平均すれば1日あたり1000字程度ではすまないくらい酷使してきていたので、ペン先にも何となく違和感を感じていたので、使用済み万年筆の箱に入れて(貧乏性だし、これまで頑張ってきてくれたペンなので捨てられない)、新しいものを使用することにしました。
 選択肢としては、
 1、手元にある同じ万年筆を下ろす
 2、手元にある別の万年筆を下ろす
  3、新しく買う
というものがありましたが、1はお気に入りモデルで生産が終了しているので壊れたりしては嫌だし、もう少し年齢がいってから使いたいという気もあったので、2か3にしようとしました。
 2は結局何種類か持っているのですが、パーカーのデュオフォールドほど手になじむものがないので、気分を変えてメモを取る時に他の種類を使うことにして、結局デュオフォールドの新しいもの(オーソドックスにブラック)を買って使うことにしました。
 どうでもいいといえばいい話題ですが、独立の少し前に買っていつも使い続けてきた万年筆だけに私にとっては結構ショックだったんです。
 まあ、万年筆で書くほどの字かとよく言われますが…。
正直事務員もよく読んでいるなあと思う字を書いているので…。

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2006年7月 7日 (金)

事務所のホームページを新しくしました

 事務所のホームページを新しくしました。

 http://nakatakashilo.world.coocan.jp/

 が新しいアドレスです。プロフィールも更新。もとのページも残してあるのですが、こちらの方が見やすくなったと思っています。中身を少し変えられれば良かったのですが、そこは手つかず。

 ただ、アクセスカウンタが入れられないので(やり方が分からない)、何人見に来てくれたかが分からない。
 そういう意味では、このブログも同じか。
 事務所のホームページも一度見て下さい。古い方はそのうち閉鎖するつもり。

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2006年7月 5日 (水)

弁護士と健康

 多くの弁護士は自分でないと分からない仕事をしているから(大手の事務所だとチームを組むこともあるが)、その弁護士が倒れたりすると仕事はお手上げである。
 その意味で健康は非常に重要であるが、「無理をしないように」とよく言われるけれど、日程的に無理をしないとどうしようもない時もある。
 健康を維持しながら、無理をしつつ仕事をするというのは書いていながら無理なことでもあるが、体調ががたがたの時でも仕事はしないといけなかったりして(だって自分がしないと誰もしてくれないし、依頼者は待ってくれない)、本当に死ぬかと思うくらいつらい時もある。
 勤務弁護士をしていた時、39.5℃の熱があるのにどうしても札幌に出張に行かないといけない時があり、帰りにはどうやって帰ってきたかよく覚えていないこともあった。扁桃腺が腫れていたのである。
 昨年は呼吸困難になり死ぬかと思ったが、そのときの診断は「胸膜炎」。
 最近も同じように呼吸困難になり死ぬかと思ったが、今回の診断は「喘息」である。
 今アレルギーテスト中。
 しくしく…。ここのところ、サッカーをしていて息がやたら早くあがると思っていたら喘息だったのか。昨年の診断も実は喘息の誤りだったのでは…。
 健康でなくなった時に健康のありがたみが分かるのであるが、普段元気だとすぐに忘れてしまう。早く確定的診断が出て欲しいものである。
 私は左の下の親知らずが体調が悪くなると痛むので、ここ2年半くらい痛むときに洗浄してもらって薬で抑えてきたのだが、いい加減抜かないといけないとも思っている。
 まだ歯が生えていないので、抜くためには歯茎を切開しないといけないのと、抜いた後に仕事が入っていても、抜いた後が痛くて話が出来ないということでは困る。仕事上しゃべらない訳にもいかないので、裁判所が夏休みに入る頃に抜こうかと勝手に考えている。
 私が行っている歯医者はとても腕がよいので、その点の心配はいらないのだけれど、後は私の勇気と日程だけである。いろいろと体にがたがきたもんだ。

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