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2006年8月29日 (火)

恐怖の小又川バンガロー3

 少し歩き出すと、バンガローの管理人が我々を見つけてくれ、下のバス停まで自動車で送ってくれるという。「軽トラックの荷台やけど」という話だが、睡眠不足で疲れきっいる我々からすると、ありがたい話である。
 S井が助手席に座り、残りの3名は荷台に。
 さすが慣れている道か、渓流の道を軽快に走る軽トラ。
 「やっばり地元の人は道に慣れているから運転がスムーズやわ」などと話ていた。
 心なしか、そうした声に気をよくしたのか軽トラの速度が上がる。
 少し走ると、対向車が来たので、崖側によけていったん停止して再発進…。
 しかし。
 バックするはずが、ギアが前進に入っていたため、崖の面に自動車がめり込んだ。
 ガコンッ。
 荷台の3人(私も含めて)は荷台ですっころんだ。慌ててギアをバックに入れる管理人。目が血走っている。地元のドライバーとほめられた矢先だけに、あせっているようだ。崖の反対側は渓流で結構急流だ。
 バックで思い切りアクセルを踏み込まれたらえらいこっちゃ。渓流に車ごと落ちたくない。
 ここでさすがS井である。私が喫茶店の店長に切れた時やその他の切れた時に、いつも横で「あかんで。」と冷静になだめる男(ちなみに、最近は私もすっかりおとなしくなりました)のことはある。さりげなく、管理人に話しかけている。そのおかげかどうかは分からないが、無事にバス停に着いた。
 後でS井に聞くと、「たいぶ慌てていたので、落ち着かせるように当たり障りのない話をしていた」とのこと。
 だてに22歳でじいさんのような寝方はしないということか。
 帰りのバスと特急では、全員が泥のように眠りこけて、何も覚えていないが、無事帰郷。

 渓流に落ちなかったおかげで、我々4名は無事に48期司法修習生として、研修所に入所したのだった。研修所入所後しばらくは、我々4名が寄ると、「あの夜は寒かった」「崖につっこんだ時はどうなるかと思った」という話ばかりしていたのだった。

 S井は京都修習で、かのN村T雄弁護士の修習生となり、N村事務所時代にこの小又川バンガローでの一夜のダメージが続いており(ウソ)高熱を出したそうで、「中君、S井君はそんな時でもお母さんが来てはったんやで~」とN村先生にちくられている(今では沖縄美人の奥さんがいるが)。
                            終わり
 (注)恐怖の小又川バンガローというのは、我々の装備が不十分だったがために偉い目にあったというだけで、バンガロー自身には何にも問題はありません。
 ※ そのうち、弁護士に成り立ての頃、高校時代の友人と奈良県天川の渓流に行った時の話も書きたいと思っています。
    しばらくはまじめなブログを書きますが…。

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2006年8月25日 (金)

税金の話

 小また川バンガローの最終話の前に1回税金の話。
 うろ覚えで書いているが、だいたいこんな税金がかかるというのを知っておいてもらいたい(特に今後独立を考えている修習生などに)。多少単純化している。
 自営業で、年収3000万円というと、物凄い金持ちのように聞こえる。
 まあ、弁護士で年収3000万円もある人がざらにいるとは思えないが(私も全然そんなにない)、仮に年収3000万円とすると、大体弁護士の売上に対する経費率は50パーセントくらいだから、6000万円が年間売上となる。
6000万円を売り上げようと思うと、顧問先などがなければ、毎月500万円の事件着手金・報酬が必要だが、1件数十万円の事件でそれだけの売上を上げるのは中々難しいから、現実にはこれだけ売り上げるのは難しいことになる。課税売上から仕入れを引いたものが消費税となるが、単純に6000万円が売上として5%かかるとすれば、300万円が消費税。
 一方、3000万円収入があるとすると、これにかかるのが、所得税。
 所得税は、現時点で最高税率が37パーセントで、基礎控除が249万円だから、861万円が所得税で翌年の3月に確定申告で支払わないといけなくなる。
 次に事業税。これは経費で処理されるが5%が税率。150万円。
 住民税。13%。390万円。
 3000-861-150-390=1569万円。
 まあ大体半分が手取額。
 2000万円だと、所得税491万円。事業税100万円。住民税260万円。手取り1149万円。
 口座の中にお金があるのをいいことに使ってしまうと、翌年の申告の時に泣きを見ることになる。
 現金がなくて借入をしたという笑えない話もあるのである。
 企業で上役になると、この程度の手取り収入以上の人はざらにいるし、生涯の賃金でいえば裁判官・検察官の方がはるかに上である。退職金はあるし、恩給もある。弁護士は自由業だから、何も補償はない。
 身体をこわした弁護士のために、同期が互助会を作って、生活費を出してあげているという話もある。
 弁護士は金儲けばかりしていてけしからんという話があり、世間でもそのようなイメージがあるが、仕事に対する使命感がないとやってられない仕事という側面も大いにあると思う。
 フランスでは、弁護士が増え過ぎて競争が激化した結果、社会的に意義があるが経済的にペイしない事件を誰もやらなくなったそうだ。電話リース被害事件などが日本ではこれにあたるであろう。
 消費者被害を巻き起こしている会社からすれば、弁護士が増えてそうしたペイしない事件をしなくなってくれた方が助かるのである。経済界が弁護士を大増員して競争させろという裏には、そのような背景があるように思えてならない。
 ちなみに、電話リース被害で多数の被害者を出しているリース会社の1つがオリックスであり、そこのトップが規制改革委員会のトップで、弁護士を大増員しろと言っているのである。
 利害関係のある人が何かを決めるのはおかしいよね。
  話がそれたところで今日のブログは終了。

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2006年8月21日 (月)

恐怖の小又川バンガロー2

 夜中中震えていた3人は、夜明けとともに起き出してたき火を始めた。とにかく寒い。体中が凍り付いたようである。さすが板の間。
 何とかたき火で湯を沸かして暖かいものを飲んでようやくひとごこちである。
 朝食前に渓流でアマゴをねらうが、増水して濁っているので今日も釣れない…。
 そう思っていたら、S波さんがアマゴを釣り上げた。15センチ弱か。いつ見ても綺麗な魚体だ。皆勇んで釣るが、このキャンプ中釣れたアマゴはこれだけであった。
 その後例によって煎餅レトルトご飯で朝食。確かインスタントみそ汁ででも食べた記憶だ。
 昼間ですることもないのでぶらぶらして、談笑。ああ。暖かいっていい。
 昼飯を作るのに時間がかかるので、またバーナーでカレーを作るが、例によってばりばりのご飯である。ちょうどそのころ将来検事総長になりうるだけの逸材、S井が登場。
 到着したとたんに、3人共にばりばりと煎餅のようにレトルトのご飯を食べる3人を見て、S井は恐ろしい予感がしたそうだ。
 昨日の恐怖体験を語り、どれだけ寒いかをS井に聞いてもらう。S井と私は刑事訴訟法ゼミの同期で、合格も同時だったのだ。ひきつった笑いを浮かべるS井。だいたいS井と釣りに行っては何回かひどい目に遭わせている。私が投げた針がS井の指先に食い込んだ時も、引きつった笑いで許してくれたものである。
 さて、それから釣りをするも釣れず、煎餅ご飯で晩飯を食べ、今日は道に迷うこともなく温泉に入り順調である。アマゴは焼いたが、あまりに小さく干物みたいになってしまい、ほとんど食べるところがなかったが4名で分けた。
 後は恐怖の厳寒地獄の中眠るだけである。
 がたがた震えながら皆眠りに着く。
 じはらくすると、S井がぴくりとも動かない。「ま、まさか…」びびりながら確認すると、呼吸はしているようである。翌日まで厳寒地獄の中、S井はびくりともせず寝入ったのであるが、本人によると、「いつもいったん寝たら全く動かない」「よく死んでいるのではないかと言われる」ということである。小さい子どもは寝ていてもエネルギーが余っていることから動き回るが、S井はその逆で、22歳にして、既にじいさんのよう寝方であったのだろう。確かにS井はタフなタイプではなかったが、今では激務を立派にこなして検事である。仕事をしながら体力がつくということもあるのである。
 ようやく3日目の朝となり、帰れる。我々は、楽しいはずが厳寒地獄の夜のために、自宅というものがこれほどいいものかと思いながらてくてくと歩き出した。
 (注)恐怖の小又川バンガローというのは、我々の装備が不十分だったがために偉い目にあったというだけで、バンガロー自身には何にも問題はありません。
                       もうちょっと続く。

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2006年8月17日 (木)

恐怖の小又川バンガロー1

 司法試験に合格して、もうすぐ司法修習が始まる平成6年の3月に、京都大学の合格者の中で、「キャンプに行って渓流魚を釣ろう」という話が出た。出たというか私が考えたのだが。
後に裁判官になるS波さん(今は裁判官を辞められて弁護士だが)、後に裁判官になり出世街道邁進中のM下さん、私とゼミの同期で、おそらく検事総長になるであろうS井と私の4名は、何のキャンプの知識もなしに、3月の山中に行こうというのである。
 例によって雑誌や新聞で見て、和歌山県の龍神というところに行こうということになった。小又川という川に隣接している小又川バンガローというところに泊まろうというのだ。
 龍神は、小学校の頃父親の会社の偉いさんとキャンプしたことがある想い出の地でもある(ただし、詳細は数十年経つとあまり覚えていないが)。
 早速電話してみると、予定している時期は空いているとのこと。ただ、さすがに3月の山中は寒いのではないかと思い聞いてみると、「バンガローに毛布もあるし、2月に山岳部の連中がキャンプして平気だったから大丈夫よら」とのこと。
 そのとき、私は2月で大丈夫なら3月は大丈夫くらいの意識でいて、早速予約した。
 しかし、冷静になれば気づくはずだったのだ。2月に泊まっていたのは山岳部の連中であったことを…。

 平成6年の3月、私とM下さんとS波さんは、特急黒潮に乗り、紀伊田辺(だったと思う)から路線バスに乗って龍神で降りて、バンガロー目指しててくてく歩き出した。S井は用事があるとのことで、1日遅れて来るのである。
 歩くこと数十分でバンガローの管理人の小屋に着いて、バンガローに連れて行ってもらった。燃料も買い込む。しかし。バンガローだから当たり前だが、ログハウスのようなものがあるだけである。
 まあ、しかし何とかなるであろうと呑気な3人であったが、折からの雪解け水で川は増水し、水が濁っていて渓流釣りを何回かしてアマゴも釣ったことのある私もどうにもならない川の状況である。
 たき火でアマゴの塩焼きを焼いて、酒を飲んで談笑するというキャンプ雑誌に掲載されているような一場面はとうてい望むべくもない。
 みんなでしつこく釣りをするが一匹も釣れないので、仕方なしに夕食の用意を始めた。レトルトのカレーとレトルトのご飯である。
 し、しかしである。持ってきたバーナーの火力が異常に弱い。司法修習に行く前の身でお金などあろうはずがない私は、お金をけちって安いバーナーを買ったのが間違いであった。
 とりあえず何とかレトルトのご飯にぬるいカレーをかけて食べるが、レトルトのご飯はばりばりで、まるで煎餅である。電灯など何もないほぼ暗闇の中で、懐中電灯の光をたよりに仕方なくばりばりとカレーがかかったご飯(というか煎餅というか)を食べる3人。
 楽しいキャンプのはずが、バーナーの火力が弱いばかりに偉いことである…。当然当時は携帯電話なんぞ当時持っていないから、S井にバーナーを仕入れてくるようにいうことも出来ない。
 しかしなぜか3人は笑ってばりばりとご飯を食べていた。人間は悲惨な状況になると、笑ってしまうしかない場合もあるらしい。

  何とかご飯を食べた後で、龍神温泉に行こうということになった。これも今回のキャンプの楽しみなのである。龍神温泉まで徒歩30分くらいだと書いてあった。とりあえずあまり調べもせずに適当に歩き出す。
  しかし、どうやら道に迷ったようで、1時間ほど歩いて国道のトンネルなんぞに入り込んでもまだ着かない。右に曲がればよいところを左に曲がったがために遠回りをしていたのである。しかも雪まで降ってきた。しくしく。
  ただ、1時間も歩いて入った温泉は格別であった。中で道を聞くと、曲がり角で間違えていたことが判明。帰り道で体が冷えるだろうということを予想しつつ、30分ほどかけてバンガローに帰る。
  バンガローについて、たき火でもしながら周りで語らいを…。とうのは装備が充実したキャンプでの話である。我々にはろくな装備もないし、外にいると死ぬほど寒い。これは練るに限るということで、寝ることにした。たき火を消すと真っ暗闇である。しかし、最大の試練はこの夜であった。
  とてつもなく寒いのである。ログハウスのようなものだから、外気温と中と気温はほぼ同じである。2月に泊まった連中が山岳部であったことを思い出してももう遅い。我々はろくな装備もない。とにかく寒くて寝られない。がたがたふるえながら、むしろ寝たら死ぬのではないかなどと思いながら皆で朝を待った。M下さんは、「たぶん熱がある」と言い出すし、S井が来るまで我々は保つのだろうか…? 
 (注)恐怖の小又川バンガローというのは、我々の装備が不十分だったがために偉い目にあったというだけで、バンガロー自身には何にも問題はありませんのでお間違えのないように。
                       続く。

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2006年8月14日 (月)

弁護士の繁忙期

 弁護士は裁判業務中心なので、裁判所の休廷期間に併せて忙しさが変わってくることが多い。
4月が裁判官の異動時期なので、異動してきたばかりの裁判官は、数百件に及ぶ事件記録を全て読み込んで4月の裁判に臨むということは不可能である。従って、裁判官が替わったばかりの事件は、4月はほとんど動かず、5月の連休明けに動き出すことになる。
 その意味で、4月は割合暇であり、連休明けから7月までは裁判が詰まって入るので、たいてい忙しい。
 7月下旬から8月にかけて、裁判所も2週間ずつ半分ずつ休廷するので、その間は裁判が半分しか入らないことになるし、依頼者の方もお盆などには法事などで忙しいので急ぎの案件以外は依頼が少ないことが多い。そのため、この時期も割合暇となる。
 しかし、暇だからといって遊んでいると、アリとキリギリスの話ではないが、9月以降裁判が目白押しで入り出した頃に泣きを見るので、せっせと書面を書いたり、裁判の合間に中々手がつけられなかった大きい事件の調べ物や書面を書いたりすることが多い。
 9月は、夏休み明けということで裁判が入りまくるので忙しく、10月、11月はほどほどで、12月は年末年始の休みが入る関係や、もめ事を年越ししたくないというような依頼者の意向などが働いてこれまた忙しくなる。忙しいのと寒いので、体調も壊しやすい時期である。
 1月は、しばらくは暇であり、2月くらいから本格的に動き出して、3月が裁判官の異動時期前なので忙しい。後任の裁判官に負担はかけたくないということから、何とか和解で解決したい…とか、自分で判決を書いて転勤したい…というような裁判官の都合で、無理くりに期日が入れられたりする。
弱り目に祟り目というか、ものすごく忙しい時に限って依頼が重なったりする一方で、暇で事件依頼を引き受ける余裕がある時に限って事件が来なかったりするので、適度にばらけてくれればよいのにと思うことがある。
 今私が暇かどうかはご想像にお任せするが。

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2006年8月11日 (金)

悪い当事者につく弁護士

 悪い当事者につく弁護士-。たとえば、利息制限法違反で貸し付けている金融業者などの代理人をしている弁護士のことを、世間では「悪徳弁護士」のように見る傾向もあるが、そうとばかりは言い切れないところがある。
 もちろん、悪い当事者に悪い主張をさせて、これを煽るような弁護士は悪徳であろうが、悪い当事者におかしな主張をさせず、証拠を隠さず出させて、解決すべき金額で解決する弁護士であれば悪徳ではなくて、その弁護士がいたからこそ事件が解決するという側面があるといえるのである。
 悪い当事者が本人訴訟で言いたい放題していたのを、弁護士が依頼を引き受けてくれることで依頼者を抑えて解決に導いてくれたり、協力してくれる場合も多々ある。
もちろん、弁護士は依頼者の利益を守ることも重要であるが、これは「正当な」利益を守ることがその目的であり、妥当な解決をすることは、結果的には依頼者にとって正当な利益が守られたことになる。
 弁護士同士でも、相手方弁護士のことを指して、「こんな当事者によくつくわ」という悪態を述べる弁護士がいるが、相手方弁護士の活動が、事件解決に向けてなされている場合、むしろ、「相手にこの弁護士がいたからこそ解決出来たのだ」という視点を持つべきだろう。
 そのような相手弁護士の立場を慮れる余裕がある弁護士は、大量合格者時代には出てくるだろうか。

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2006年8月10日 (木)

裁判における事実認定

 よく、裁判で「真実が認められた」と言っているが、実際に存在した生の事実は過去の事実であって、今タイムマシンに乗って確認することは出来ないから、裁判における事実認定というものは、「たぶんこういったことが過去のこの時点であったんだろう」「合った可能性が高い」という程度の事実となってしまう。その意味で、裁判における事実というものは、歴史的事実と同様なのである。
織田信長が本能寺で死亡した(通説)とされているのは、そのような歴史的資料があるからであり、歴史的資料がない時代であれば、幾通りにもこうした仮説が出てくる可能性がある。
 裁判においても、古い事件であると資料が散逸していたり、当事者が死亡していたりして、過去にあったとされる事実の構築が非常に困難となる。裁判は自分にとって有利な事実は、自分の方で証拠で証明しない限り負けてしまう。
 従って、裁判というものは、必ず誤判の可能性がある非常に脆弱なシロモノだということを理解しておかないといけない。証拠の見方によっては、裁判官によっても判断が変わる可能性があるし、新証拠が出てきて結論が覆る場合もある。逆に、証拠がないことをいいことに、請求してきている当事者がいるかもしれない。
そのようなあやふやな中で、いかに裁判官を説得し、過去に存在した事実を構築出来るかが、裁判における弁護士の腕の見せ所となる。
 当事者に、証拠上不利な点も説明した上で、証拠がないか探す姿勢がある弁護士かどうかというのもいい弁護士かどうかの一つのメルクマールである。ひどいケースでは、証拠を本人に用意しろというだけで、弁護士から「こんな証拠はないのか」とかの問いかけもないケースもあるが、事件をするのが面倒臭いなら、弁護士をやめたらいいのである。

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2006年8月 7日 (月)

書評「名をこそ惜しめ 硫黄島魂の記録」津本陽

 だいたいが私は気に入った作家が出来ると、その作家の作品を手当たり次第に読む方である。横溝正史はほとんど全巻角川文庫のものを持っているし(絶版になっているから今では入手出来ない)、レイモンド・チャンドラーも全部持っている(フィリップ・マーロウはとてつもなく格好いい)。隆慶一郎も全部持っている。
 その中で、津本陽氏も私の愛する作家の一人であり(この人は著作が多いのでさすがに全巻は持っていないが)、本屋に新しい作品のハードカバーが並ぶと、本棚の中でかさばることが分かっていながら、文庫版が出るまで待てずについつい買ってしまうことがある。  
 なお、津本陽氏は、織田信長を描いた「下天は夢か」が日経新聞の連載となったことから一躍著名となり、その後次々と作品を発表している作家であり、歴史作家というカテゴリに入ると思う。
 津本陽の作品は、史料の引用が多いので、慣れないと読みづらいところはあるが、短い言葉で語っていく独特のリズムにはまるともうその魅力から逃れられなくなる。津本陽は剣道の有段者であり、その文体にも、何か読者に斬りつけてくるような迫力がある。
 さて、津本陽の作品は戦国時代を描いたもの、幕末を描いたもの、剣豪を描いたもの、政治家を描いたもの等が多いが、この作品は、第二次世界大戦中の硫黄島における局地戦を描いた作品で、文芸春秋社から先秋にハードカバーで刊行された作品である。

 小笠原諸島に属する硫黄島という縦8キロ、幅4キロメートルほどの小さな島は、日本軍米軍双方にとって、戦略上非常に価値のある島であった。
 硫黄島は平らな島であり、小笠原諸島の中では唯一日本軍の飛行場があったからである。
 米軍が硫黄島を占領すれば、日本本土を空襲する際に戦闘機の補給が容易になるのであったが、これは日本軍側から見れば、米軍に硫黄島を占領されれば、本土空襲の危険性が飛躍的に増すため、そもそも激戦区となることが明らかであった。
 戦争が進み、日本軍の敗色が濃厚となっていた昭和20年、硫黄島に配備された日本軍はおおよそ2万人であった。これに対してこの局地戦に投入された米軍は総員約11万人であり、日本軍の3500倍の火力を投入していた。
 しかも、日本軍には、既に硫黄島に援軍を送る余裕すらなく、硫黄島守備兵に対する補給もままならない状態であった。
 小さく、しかも平らであるため身を隠すための天嶮もない硫黄島において、これだけの戦闘力の差があり、しかも援軍の期待すらない状況では、常識的に見ればわずかな抵抗で陥落させられると考えるであろうし、戦意を喪失して降伏するか撤退ないしは逃亡していたとしても不思議ではない。事実、米軍もそう考えていたに違いない。
 しかし、日本軍は、硫黄島をほぼ3ヶ月に渡り死守した。
 あるものは家族のため、あるものは想いを抱いた女性のために、その人たちの名を叫びながら、米軍の戦車の底に爆薬を抱いて飛び込み、ゲリラ的に戦い、糧食も水も満足にない状態で、50度にもなる熱気に悩まされながら、硫黄臭い水を飲み、圧倒的火力を誇るアメリカ軍と時には互角以上に戦ったのである。
 最終的に硫黄島はアメリカ軍に占拠されるが、日本軍の戦死者1万9900人に対し、アメリカ軍は6821人の戦死者、戦傷者2万865人を数える抵抗を行ったのである。
 今でも、日本軍1万2000人の遺体は、硫黄島の地下に眠ったままであるといわれている。

 このような絶望的状況で、平時自己主張をあまりせず、穏やかな日本人が、なぜかくも戦えたのか。
 ここが本書のテーマである。
 もちろん筆者も私も、戦争を礼賛したり美化するものでは決してないし、本書はいわゆる単なる「軍記物」でもない。
 なぜ戦えたのかを描くことを通じて、津本陽は、日本人の特質を描こうとしたのである。
 私は日本民族は世界に誇れる民族であると思っているし、日本人であることを誇りに思っている。ただし、日本の政治は別だが。
 そう。なぜ戦えたのか。
 興味のある方は、ぜひ一度本書を読んでいただきたい。

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2006年8月 6日 (日)

法曹人口は増えても、裁判官・検察官は増えないし、被疑者国選が始まるのに、警察の接見室も増えそうにない…。本気で司法改革をする気は政府にはないのだ。

 法律家が足りないとして、司法試験合格者が増大しているが、検察官・裁判官の新規採用数は、全然増えていない。
 常識で考えてみても、社会の隅々まで司法の光で照らそうというのであれば、当然裁判官や検察官も増やさないといけないはずである。しかし、全然増えていない。
 これはなぜか。
 答えは単純。
   予算がつかないから。
  裁判官1人を増やしたら、裁判の記録を取ったりする係の書記官も増やさないといけないし、官舎だって足りない。給料も必要だ。検察官だって同じことだ。
  それでは、現実の裁判官や検察官が余裕をもって仕事をしているかというと、全然そんなことはない。大阪地検などでは毎日日付が変わらないと庁舎を出られないということを聞くし、裁判官だって大都市部では手持ち案件が200件以上ある。事件に追いまくられていては、いい判決は書けないだろうし、検察官だっていい捜査はできないだろう。
  弁護士だけを増やすという司法試験合格者増大は、いびつなものなのだ。
  政府が本気で改革をしようとするなら裁判官・検察官も大幅に増やすべきだが(せめて各毎年300人ずつ)、国家公務員削減が叫ばれている昨今、そのようなことは出来ないということで、政府の予算に関係のない弁護士ばかりが増えることになる。

  今でも被疑者の弁護事件を受けると、警察には接見する部屋が一つしかなくて、待たされることがある。これから被疑者弁護事件が増えていくと、接見する部屋が足りなくなるだろう。これにも予算がかかるけれど、部屋を増やせとか、増やすように予算措置がついたという話は聞かず、せいぜい電話接見が出来るという話くらいである。弁護士の方にだって予定があるから、接見に行った時にいつ面会出来るか分からないような警察署ばかりであると困る。制度を気分で作るからこうなるのである。

 制度を作る際、その制度に利害が非常にからむ人間を中枢に据えるべきではないだろうし、制度設計の際にはまさに一線で稼働している人間の主張や状況の調査なしに行えるはずがないが、日本という国は、「国家100年の計」がない国であり、その場その場で利害打算だけで決めるからいろいろな問題が起こってしまうのである。

 私は電話リース被害弁護団の事務局長をしているが、規制緩和規制緩和と主張しているオリックスの宮内氏が当初始めたリース業においても、どう考えてもこのようなリースを必要とするはずがない零細事業者達に超高額のリース契約を締結させている例が散見される。我々消費者事件を多数扱っている立場の弁護士は、こうした事件をほとんど手弁当で引き受けることで、消費者被害を救ってきたという自負があるし、現に今もリース会社と戦っている。
 規制緩和を叫ぶ立場の人達は、こうした消費者被害事件を手がけてきた弁護士がじゃまなはずであり、弁護士を競争させて、こうしたお金にならない事件を手がける弁護士を減らしてしまい、その結果自分達の行う違法すれすれの商売(私は違法であると思っているが。)が誰からも文句がつけられないようにしたいだけではないかとうがった見方をしている今日このごろである。

 電話リース被害については、京都と大阪以外に弁護団が立ち上がるという話を聞かないが、早く全国でも弁護団が立ち上がって欲しいものである。
 

 なんかまとまりがないがこのへんで…

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2006年8月 5日 (土)

弁護士と訴訟の上における書面の品位、併せて相手方代理人に対する態度

 民事訴訟というものは、基本的にそれぞれの立場での主張をやりとりして、それを裏付ける証拠を提出する中で、真実が発見されるという構造を取っている。
 そのため、訴訟上で提出される書面では、相手方の主張が事実と異なっていることとか、法的に理由がないことを批判し、反論していくことが当たり前のこととなっている。
 ところが、こうした書面の中で、不必要・不適切な表現で相手の主張や行為をあげつらうと、名誉毀損の問題が生じて、かつ、弁護士法上の懲戒の対象となる。相手方弁護士に対しても、礼節をもって対応しなければならない義務があるからである。
 私は常々訴訟は「オトナのケンカ」であると依頼者に説明していることから、依頼者がもっと相手のことを悪し様に書いて欲しいという要望があったとしても、これに応じることはしていない。弁護士は、品位を保持しなければならないとされていることからも、これは当然でもある。
  しかし、訴訟においては、しばしば、「これはひどい」という表現に出会うことも多いし、最近そのような傾向が強くなってきたように思う。弁護士は勤務弁護士を経て独立するという経緯をたどっていた時代には、ボス弁の薫陶により、そのような書面を書くことはボスから叱咤されて取りやめさせられる中で、訴訟における主張のルールを知ったのだと思うし、私自身もそうして鍛えられたつもりである。
 若い弁護士で、不穏当な表現を多用する弁護士が多くなってきているように思えるし、そのような書面は裁判官が読んだ時にもいい印象は受けないであろう。
 私は、若い弁護士がそのような不穏当な表現を使用した時は、そのような書面は提出すべきではないとして、諭すことも多い。また、場合によれば、裁判官が削除を要求されることも多い。それでもなお主張したいという場合には、裁判の場におけるルールを逸脱したものとして、懲戒処分の対象となってもらうしかないと思っている。それだけ裁判の場というのは厳しいのである。強気な書面と、品位のない書面は似て非なるものである。
 このブログは、修習生も読んでいると聞いているので、ぜひ実務家になった時には気をつけていただきたいものである。
 また、不必要な指摘をしたがばかりに、言われた方の当事者が意地になって、和解できる事件が和解出来ないということにもなりかねない。いろいろな配慮が必要である。

 もう一つ、やたら相手の弁護士に対して偉そうな人がいるが、このような弁護士は、他の人に評判を聞いても、やはり「あの人は変わってるで。」という評判しか聞かない。
同じ弁護士同士であるから、訴訟上は厳しい主張を戦わせることは当然であるが、それと相手の弁護士に対してやたら偉そうにすることは別である。目下の弁護士に対して偉そうにしている弁護士は、逆に自分に自身がないのかな…と思ったりしてしまうし、こちらが目上であるにもかかわらずやたら偉そうな若い弁護士は、こちらから見ていると自身がないから肩肘を張っているのかな…と思えたりして、何か滑稽な感じがしてしまう。
 私の知っている尊敬出来る弁護士は先輩にも後輩にも何人もいるが、そのような人は、私以外からも尊敬されているし、皆一様に誰に対しても偉そうにせず丁寧である。逆にベテランの弁護士が若手に丁寧に接している姿を見ると、「自分に自身があるからこそ出来るのだ」と感銘を受けるのである。
 私自身もベテランの域に達した時、そのような対応が出来る弁護士となりたいと思っており、やたら偉そうにする弁護士にはなりたくないと思っている。

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2006年8月 4日 (金)

弁護士の仕事時間

 私は事務所にいる時間は短い方だと思う。朝9時30分頃出勤し、夜は7時30分までには事務所を出る。弁護士の中には、毎日午前様という人もいて、そうした人達からすれば事務所にいる時間は短い。
 しかし、夜遅くまでいる人で、事務所にいる間中フル回転で仕事をしている人は少なく、ギターを弾いていたり、コーヒーを飲んでゆったりしていたり、テレビを見ていたりしているようだ。
 私は事務所にいる間は体調が続く限りほぼ仕事しかしないので、事務所を出るとどっと疲れが出る。
 しかし、通勤途上の電車でも、仕事のことを考えていたりする(あの事件はどう書こうか、どういう反論をしようか等)。弁護士という職業は、中々仕事のことが頭から離れることがない職種のようで、他の弁護士もそうらしい。事件というものは、全て個別性があり、コンピューターに入れてボタンを押せば解決出来るというものではない。全て手作業でやるものであり、1つ1つの事件に「悩み」があるものだ。逆に、こうした「悩み」がない弁護士は、事件のことを真剣に考えていないのだろうと思う。
 自宅で間違った書面を提出したかも知れないと思って、跳ね起きて事務所に行って本で真夜中に調べ物をしたというベテランの先生の若い頃の話を聞かされたこともある。
 そうした意味では、趣味に打ち込んで全てを忘れている瞬間以外は、弁護士の仕事時間なのかもしれない。

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