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2006年10月26日 (木)

これをやりたいということで決めつけて弁護士になるのは危険

 私の考えとして、実際に仕事に就く前から「弁護士になったらこれをライフワークとするのだ」ということで仕事を始めるのはよくないように思う。
 その事件に対する思い入れが強すぎて、冷静な対応や解決が出来なくなることがあるからである。
 たとえば、刑事事件に思い入れが強すぎて保釈で検察官とケンカをする、裁判官を罵ったりすることがある。これは、全体として保釈の運用を改めるにはよいかもしれないが、私は今目の前にいる被告人の早期解放を考えるので、より保釈がとりやすいよう検察官とはじめからケンカをしたりはしない。そのため、午前中に拘置所に面会に行って事務所に帰ってきてすぐに電話で担当検察官と交渉し、午後一番で保釈申請を出して夕方には被告人は保釈されていたというようなケースもある。
 事件に対する思い入れの強さがわざわいするケースがあるのである。熱意があることは大事だが、思い入れが強すぎて冷静さを欠くのは絶対によくないのである。このあたりはボクサーと同じである。
 ただ、場合によっては全面的に検察官と対立して、保釈を却下する裁判所の決定に対して準抗告といって不服申立を繰り返しすることもある。これはあくまでケースバイケースなのである。
 少年事件でも、少年事件の大家といわれている弁護士が裁判所の調査官とケンカして、結局少年が少年院に行ったということもある。少年事件では全く無名の私がやっていた共犯の少年は保護観察となり、その後続々と逮捕された共犯者は、皆私の方の少年の処遇がスタンダードとなり、保護観察で済んだというケースもある。この事件では後に共犯者から弁護を依頼されたが、利害が対立する可能性がある関係で、私の知人で元検察官のA弁護士に依頼したこともあった(ちなみにA弁護士に刑事事件のことで相談すると、間違った回答が返ってきたことはない。見返りに私は民事で相談を受けている)。
 私自身、世間の耳目を集める大きい刑事事件などはやっていないが、それなりに刑事事件や少年事件ではいい結果を勝ち得ていると思っているが(先日は誤認逮捕事案で9日で釈放させたし、過去の量刑相場で絶対に実刑の事案について情状弁護だけで執行猶予を取った例もある。)、検察官だって裁判官だって人間であるから、大人同士の対応をすることが第1である。
 刑事事件では、世間では知られていないが、素晴らしい弁護活動をする人は何人もいるもので、私自身何人もそういう人を何人も知っているが、そうした人は一様に普段事件に対する思い入れやうんちくを述べることはほとんどなく、熱意はあるがなすべきことを淡々と行っているものである。
 弁護士になる前から、あまり「これをやるんだ」とか「ライフワークだ」とか決めつけるのはよくない。
 私のライフワークは消費者被害の弁護と犯罪被害者支援であるが、弁護士になる前は全く何も知らなかった分野である。

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