« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月30日 (木)

依頼者を怒鳴る弁護士

 これも相談をしていたり、前の弁護士を断りたいという苦情を聞くときによく聞かれる話である。打ち合わせをしていて、弁護士が聞いていない話をすると、「そんなことは聞いていない!!聞いたことだけ答えなさい!!」とか、少し事実関係に食い違いがあると、「言っている話が違うじゃないか!!」とか怒鳴る人がいるらしい。
そのため、その弁護士にいいたいことも言えず、その弁護士の前に出ると萎縮してしまい、よけいに事件の事実関係が出なくなってしまうことになってしまうのである。
私もむちゃくちゃな借り方をしている破産者にはよく怒るが、関係ない話をするのは人間の常だと思っているし、相談はある意味「癒し」の側面があるので聞いてあげないといけないと思っている。また、人の記憶はいい加減なところがあるから、前の話と後の話で多少事実関係が食い違うことぐらいよくあるので、その点は弁護士が、イエスイエスバットノウで、ただしていけばよいのである。
弁護士会の市民窓口から直接私が相談しているところへ回ってきた相談者も怒鳴られているということで萎縮していて、前の弁護士を断って、私が受任することになって、半年くらいで無事訴訟が解決した。
その依頼者がいったのは、「前の先生が怒鳴ってくれたから中先生に巡り会えたので、今では前の先生に感謝しています。前の先生に御礼しなくてよいでしょうか」と人のいい話であった。その先生にするくらいなら私の報酬値上げして…とは言えなかったので、「断った先生やしいいんと違いますか。」と言っていた。
さらに、「あのとき、法律相談で回してくれた弁護士会の職員さんにも菓子折を持っていきたい」とも言っていた。人のいい依頼者である。
もちろん私にも報酬は支払ってくれましたが。
弁護士が増えていけば、こうした大名商売をしている弁護士は淘汰されるのでしょうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月28日 (火)

9年前の事件依頼したんやけど…

 私が勤務弁護士となってボスが会長で不在の時に、事務所に依頼者が怒って電話がかかってきたと事務員が困っていたので、電話を替わると、「頼んだ事件、どうなってるんですか」と声を荒げている。
 よくよく聞くと、9年前に依頼したという。私が勤務弁護士で居た時代ではないので分からないのだが、聞いた以上は私が何とかしないといけない。
 とりあえず私も当時事務所に居なかった(というか大学生か修習生であった)ことも説明して、事務所に来てもらうことにした。まずは話を聞かないとどうしようもない。
 記録を探し出して読み出すと、確かに記録があった。
 中身を見ると、土地を貸していたところ、その上に建物を建てた人が死に、地代も長年に渡り滞っているため明け渡しを依頼したようだ。
 ところが、この死亡した人の相続人が山ほどいるようで、当時その事件を担当し、どうやらお金も事務所には入らず少し前に居た勤務弁護士が貰っている模様である。その勤務弁護士が事件をやり出したが、あまりに相続人が多いため放置して独立したようであった(放置するなよ)。
 その後、少し前にそのことでクレームが入り、ボスも打ち合わせをしてやりかけた形跡があるのだが、ボスも会長となって多忙であったため後手後手に回っていたようである。
 「9年間事件放置かー。えらいこっちゃ。一番悪いのは少し前の勤務弁護士やけど…。そりゃボスも言われないと知らんわな。」と思いながら私が聞いた以上仕方がないので、K田事務員に指示を出し、あまりの戸籍の多さに彼女が「ヒェェー」と悲鳴を上げながら相続人を確定してもらったところ、30人もいた。この人達に訴訟を出して、判決を取ったり明け渡しに同意してもらったりして、何とかこの事件は解決した。
 ただ、担当裁判官は記録を読まないので有名な人(弁護士任官)で、法廷に入ってくるなり、「ほ。今日はえらい傍聴人が多いな。」と第一声を上げて、書記官から袖を引っ張られ、「部長。みんな被告です」とたしなめられていたりはしたし(被告が30人いて、呼び出された人で15人くらいは裁判に来ていたのだ。被告の数くらいみといて欲しい)、相続人の中に暴力団関係者がいて法廷ですごまれたりはしたが、無視したりしているうちに無事終わったのであった。
 そして判決が確定し、具体的な建物の明け渡しの頃、私は独立することになったのであるが、ボス弁がさりげなく私に明け渡しまでさせようとしてきたので、さすがにそこまで面倒は見られないと考えた私は、さりげなく事務所に置いて独立したのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月26日 (日)

話を聞かない弁護士

 京都弁護士会には、市民相談窓口というものがあり、依頼している弁護士に対する不満を聞いてくれたりする。副会長を中心に聞くことになっている。
 この相談窓口で多い不満が、連絡がつかないなどの他には、「話を聞いてくれない」というものも多いようである。
弁護士からすると、依頼されている事件を解決していくについて、依頼者の話が不要である部分も多いこともある。依頼者は、弁護士のところに来ている時、紛争に対する自分の思いや不満があるので、これを誰かに聞いて欲しいものなのである。
そういう意味では、法律相談は、「癒し」的側面も有している。
時間とのかねあいはあるが、出来るだけ話を聞いてあげることも重要である。
また、依頼者が話しをしているときに、話が脱線するとすぐに弁護士が「それはいいから」と遮ることもあまりよくはない。ようやく聞いてくれる人が見つかったと思って来ているのに、「やはり聞いてもらえないのだ」として依頼者は殻に閉じこもってしまうからである。
 私の第1師匠から修習時代に、「中君、弁護士の話の聞き方は、イエスイエスバットノウさ」と言われて出来るだけこれを実践するようにしている。これは、依頼者の話の腰を折らずに出来るだけ聞いてから、分からないところや疑問点を「それで、ここはどうですか?」と聞き返すという聞き方である。
 他には、依頼者任せにしていては出てこない事実について、こちらから例を出して具体的に聞くことで事実がよく分かることもある。
 法律相談は、実は証人尋問の実践的トレーニングでもあるのである。
最近、他の弁護士でとてつもなくひどい弁護士活動を見聞きしているので、悪い弁護士の例をいろいろと書いてみることで、理想の弁護士像を浮き彫りにしてみたい今日このごろである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月24日 (金)

連絡のつかない弁護士

 依頼者から連絡が欲しいと言って電話をかけても、いつも留守電であるとか、事務員が伝言を聞いて「わかりました」とはいうものの何回かけても弁護士がいないとか、弁護士と連絡がつかないということで依頼者が不満を持っていることがある。
弁護士会の法律相談などで、今依頼している弁護士の苦情を聞かされることもたびたびである。
もちろん、いつ電話してもいる弁護士もどうなのかとは思うが(それだけ暇ということだからである。いい弁護士にはそれなりに依頼が来るだろう)、常につかまらないし、向こうの方から連絡がないというのでは依頼者は不満に思うだろう。
私は裁判では期日ごとに経過報告書を出し、依頼者にも出来るだけ早く電話を返すようにしているし、中々連絡が出来ない状況の時は外から事務員に断りの電話を入れるようにしている。確かに、本当に忙しい時期は、一本の電話すら出来ない日もあり、電話が出来ると思った時には依頼者には連絡がつかなかったりするのであるが、事務員から断りを入れてもらうなど対応のしようはある。
連絡がつかないと依頼者からいわれている弁護士に、それとなく手持ち事件数を聞いたりすると、私よりも少なかったりする。
あるいは、世間の耳目を集める事件は力を入れてやるが、一般の事件は手を抜いているとしか思えない弁護士もいる。
事件ごとに仕事に対する姿勢に問題があるのか、ただのすぼらなのかも知れない。
何回も何回も連絡をして連絡が取れないとか、連絡が来ないことがあるときは、依頼している弁護士を断ることも手なのかもわからない。
逆に、弁護士はそうしたことにならないよう、業務努力も必要であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月22日 (水)

委任契約書を作ろう

 過去には日弁連報酬規定があり、全国の弁護士は皆同じ基準で、ディスカウントしたりしながら依頼者と費用の合意をしていた。契約書を作っていた弁護士は少なかったと思われる。
 ところが、これが独占禁止法(カルテル)に違反する疑いがあるとされて、統一基準は撤廃され、それぞれの事務所がそれぞれの報酬基準を作成しなければならないこととされた。また、統一基準がないことから、委任契約書の作成が義務づけられた。契約書の作成は当たり前だといえば当たり前だし、私は自分で事務所をするようになってから、義務化される前から全件契約書を作成している。
他の弁護士の話を聞くと、意外に契約書を作っていない。依頼者に費用の説明もしていないケースも多々見受けられる。そして費用の説明をしていない弁護士ほどやはり仕事もずさんである。
また、統一規定がなくなったからといって、フリーハンドで費用を取ってよいといことにはならない。業務量や依頼者の得た利益などに比して著しく高額の費用を取っている時には、それだけで「非行」であり、懲戒相当となるのである。
こうした弁護士は、高額な費用を取得していながらも、契約書を作成していないことも多いものである。
ただし、簡易な依頼については、契約書作成をしなくともよいともされているが、訴訟事件や裁判所を通す事件であれば契約書がないなどということは考えられない事態であろう。
弁護士も、成り立ての弁護士も、今司法修習しているあなたも、また弁護士に今頼んでいるあなたも、これから頼もうとしているあなたも、委任契約書を作りましょう。
また、依頼している弁護士との間に契約書が存在しないときには、「どうしてないのか?」と聞いてみよう。ここでごまかすようでは、その弁護士に依頼しない方がよいと思われるからである。
 これから弁護士は大増員時代を迎えるので時代に適合していない人材や、依頼者を食い物にする人材は、弁護士の世界から去っていってもらいたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

破産申立の費用

 久しぶりに一般の方向け。費用のお話。ただし私の場合。
 自己破産申立の費用は私の事務所では同時廃止といって簡単に終わる手続のもので31万5000円(実費、消費税込)である。分割でも数多く事件を受けている。免責が許可されても、よほど苦労した事案でない限り報酬は取らない。

 個人再生だと367500円(実費、消費税込)である。

弁護士が間に入って支払いやすい条件で消費者金融などと話をつける債務整理だと切手や印紙代の実費込みで1社につき3万円である。中には過払いがあり、訴訟が必要な事案もあるが、特別追加費用はもらわず、回収出来たときに20%の報酬を貰うことにしている。

 一方、事業をしている法人や個人の破産だと、費用がもう少しかかる。法人など事業をしていると、破産した後に法律関係を整理するために破産管財人をつける必要があることから、裁判所に納める予納金というものが最低21万円ほど必要である。
 弁護士費用は事案によるが、私の場合上限が150万円~200万円までであるし、私の友達の弁護士はほぼこの範囲である(保証人となっている代表者と親族の破産も同時に引き受けてこれである)。
 ところが、この破産申立で、ぼったくっている弁護士が割合多い。私が経験した中では、法人の破産だけで500万円取っている人がいたりするが、珍しいことではない。これが法人の財産の中から支払われていると、本来債権者に配当される可能性のあるお金を、申し立てる弁護士がもらってしまっていることになる。こんなのは、債権者から懲戒請求をされたら一発アウトである。
規模にもよるが、法人の破産申立で200万円以上お金が必要と言われたら、セカンドオピニオンを聞きに行く方がよいと思う。
そうした事務所は、お金はぼったくるが、申立がずさんだったりする。事務員さんがほとんど仕事をしていることもある。高い費用を支払っても良い仕事をしてくれる弁護士ばかりではないのがつらいところであり、弁護士同士なのであまりきついこともしにくいが、時代はそうとばかりも言っておられない時代に突入してきている。

 さらに特徴としては、こうした弁護士は契約書も交わしておらず、費用の点について明確な説明がないことが多い。私は同時廃止案件、法人案件全て契約書を作っている。今は契約書が義務づけされている時代であることが分かっておらず弁護士が多いが、こうした弁護士はそのうち淘汰されていくであろう。
 一般的に、どのような集団でも1割はアウトローがいるということであるから(確か。うろ覚えなので違ったらすいません)、京都弁護士会は今400名なので、40名ほどがそれに該当することになる。弁護士が5万人になれば、5000人はアウトロー弁護士かもわからない。あーこわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月17日 (金)

遅刻について

 私はだいたい遅刻しない方である。何かで、10分の遅刻でも、100名を待たせれば1000分の遅刻と同じであるというようなことを読んだ気がするが、本当にその通りだと思っているからである。
 法廷などにも5分前には到着するように出て、裁判が始まるまでに気持ちを落ち着けるようにしている。息を切らしてハアハアと入るのはみっともないとも思う。
一方では、必ず遅刻してくる人がいる。こうした人は、どれだけの人の時間を無駄にしているかわからない。会議に遅れてやってきて、既に相当議論したことを一から説明しないといけない時、非常な時間の無駄である。
普段遅れない人が、遅れたときには「やむを得ない事情があったのだ」と思うし、実際そうであろうから、会議などに遅れてきても議論に参加してもよいと思うが、普段遅刻している人は発言権を認めるべきでないと思うときもある。
裁判所でも、遅れて来る先生の評判はよくないようである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月16日 (木)

弁護士と医師の見立て

 少し前に喘息のため大病院に行き治療を受けていたのであるが、いろいろ検査をするばかりであまり症状が改善されず、薬を変えられては副作用が出ていた。あげくの果てに、「背骨の歪みからきているのでは」と言われ整形外科に行くように言われたので、これは断った。
そこで知人の弁護士から呼吸器科の名医の開業医を紹介してもらい行ったところ、「いくら気管を拡げても炎症が起こっていたらどうしようもないから、思い切って吸入ステロイドを増やしましょう」といわれ、そのようにしたところ症状が劇的に改善した。
 喘息とは気管の炎症であり、炎症を抑えることが治療の最重要課題だからであり、これまでは私も本で調べて大病院の医師に「ステロイドを増やしたほうがいいのでは」と聞いていたが、「あまり意味はない」と言われて処方してもらえなかったので、「やはり」という思いであった。
 同じ薬は出ているのだが、使い方のさじ加減1つでこのようにも違うのかと神様を見る思いであった。呼吸器に関してはこの先生についていこうと決めている。歯医者は三条京阪のところにあるT歯科しかないと決めているのと同様である。

 医師もあまり過度に信用出来ないことの表れであるが、弁護士も同様である。ある弁護士が「だめだ」と言っていた案件が、違う弁護士では「行ける」となることもある。その弁護士が自分の費用が稼ぎたいために「行ける」と言っているのでなければ、であるが…。
ただ、どうしようもない案件はどの弁護士でも「だめだ」となる。
医師同様、依頼している弁護士が信用出来ないとか不満があったらセカンドオピニオンを聞くのも手である。
悪い弁護士とは、費用の説明がなく、契約書を作らず、事件の手続の説明がないなどが典型である。契約書作成は弁護士の義務だから、契約書を作らない弁護士に「契約書は?」と聞いてごまかすようでは依頼しない方がよいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月14日 (火)

金利のグレーゾーン廃止に関して

 読者の方から金利のグレーゾーンの廃止について書いて欲しいというメールをいただいたので、十分なものかどうかは分からないが書いてみる。最近は弁護士の内輪ネタが多かったように思うので、一般向けの話となろう乎(五味康祐風ーほとんどの人はわからんやろうな…。この表現の仕方が五味康祐風やとは…)。

 さて、金利には規制がかけられているが、これは一般的に、借りる方はのどから手が出るほどお金が欲しいから、後のことなど考えずに借りるものであり、貸す方は借りる方の窮状につけこんで高い金利で貸すことが多く、金利が自由であるとすれば、貸し主天国となるが、これでは借り手の保護にかけるので利息制限法という法律が制定されたのである。
 日本人は真面目だから、借りたら返さないといけないという気質があり、どんなに高い金利でも返してきたという歴史的背景もある。日本で金利は古くから規制されていて、大正時代に一時期金利が自由化されたことがあったが、このために社会混乱を招き(利息の減免を求めて打ち壊しなどもあったようである)、それがために制定されたのが利息制限法という法律が出来たといわれている。このあたりは金貸しの日本史という新書がもの凄く面白いので、是非ご一読を。
 一方、アメリカでは借りても返さない方が多く、日本でいうような消費者金融を信用だけでやっても、誰も返さないから商売として成り立たないという報告がされている模様である。借り手は基本的に信用ならないのであり、それがために貸す方も借り手の信用力等を真剣に調査する。そこで、自由金利でも借り手保護には欠けないという理屈が立つようである。
 アメリカの金融会社は、日本で金利を自由化して欲しいと考えるのは当たり前で、日本人はきまじめであるから、どんなに高い金利基準でも返済してくれる蓋然性が高いので、いわば、「濡れ手に粟」状態の商売が出来ることになる。
 しかし、一般的には、アメリカ人と日本人との気質や契約に関する風土の違いから、金利自由化論は、絵に描いた餅でしかあり得ないと考えられている。なお、そのほかにもアメリカの制度をいくつか日本に導入して喜んでいるところがあるが、既にアメリカで破綻を来した制度を遅れて導入していることが多い。ゆとり教育もそうである。これは、調査と実施の間にタイムラグがあり、その間にアメリカで日本政府が調査した時点で成果をあげているとされていた制度が後に失敗であったことが分かった頃に、日本ではその当該制度を実施するからである。ロースクールもアメリカでは既に破綻しているといわれている。
 話を本題に戻そう。
 いわゆる金利の二重の基準であるグレーゾーンの廃止に関しては、様々な方向からバイアスがかかり、いろいろと揺れ動いたが、日弁連などの努力の結果もあり、グレーゾーン廃止の方向に落ち着いた。

 グレーゾーン廃止により、二重の基準がなくなる結果、金利の払いすぎはなくなると言われている。ただし、その結果、貸金業者が融資基準を厳しくするために、借りられなくなる人がいるとも言われている。さらにそうした人達がヤミ金に流れるとも言われている。
 しかし、私としては、利息制限法で認められている上限金利もそれなりに高いので(50万円借りたら年利18%)、銀行からの調達金利が数%である現状では貸金業者の利益率が落ちるだけで、たちまちに借り手を絞るというようなことにはならないのではなかろうかと考えている。これだけで消費者保護といえるかも微妙である。元々お金が足りないところへ借りるので、返済+利息で家計は圧迫され、いずれ破綻するからである(次の借り入れをしないと返済出来なくなる)。
 グレーゾーンがなくなれば、当然貸金業者の利益率は落ちるから、1人あたりの顧客の利益は減るので、むしろ貸金業者が利益率を確保するためには、顧客数を増やす方向にバイアスがかかるとも考えられるのである。貸金業者というものは、「貸して利息を払って」もらわないと成り立たない因果な商売だからである。貸し控えればどこからも利益は入ってこず立ち往生となるのである。逆に、これまでは利益を出し過ぎてきたくらい儲けてきたのだから、多少正常な状態に戻りつつあるということも出来る。サンエイファイナンスの経営者が脱税で逮捕されたが、その脱税額に驚いた人も多かったはずだ。これまでは、消費者金融は、日本社会では濡れ手に粟状態だったのである。
 その意味では、グレーゾーン廃止によるデメリットなどないとうことも出来る。
 そもそも、年間18%の金利を出して「本当に」借りなければならなかった借り手というものはほとんどいないとも言える。
 私は破産事件や債務整理事件、個人再生事件で聞く借り入れの理由は、本当に、「今から考えたら借りなくても良かったやろ?」というものが9割を占める。借り入れがあるのに着物を買う女性や、わざわざ新車を数百万円かけて買う者もいる。私は車に興味がないので、その考えが理解出来ないし、足し算引き算が出来ないのかとも思う。
 借り手の意識改革も必要な時代に来ていると思われる。

 この政治的決着は、金利自由化論や、グレーゾーンの段階的廃止論者は、現時点で敗北したことになるが、ヤミ金の大量発生や貸し渋りが出た場合には、「それ見たことか」と息を吹き返すことになるが、超高金利での貸付には返済してもらえないというリスクが必ずつきまとうものであり(というのは相手は超高金利でも借りないといけない不良借り手だからである)、そのリスクを減らすための方法は「脅迫的取立」しか残っていないことになり、日本という市場における金利自由化論は、「ヤミ金合法化」論と近いことを忘れてはならないだろう。

 私は見通しとしては長期的には貸し渋りは発生しないと考えているが、短期的に貸し渋りが出ることはあるだろう。そのときに、短期的現象を捉えて、「グレーゾーン廃止の功罪である」と短絡的に主張する輩が本当にねらっているところはどこなのかを見極める必要がある。アメリカの金融業界なのか、あるいは日本の貸金業団体なのか?

 津本陽の「私の帰せず」という小説は幕末の勝海舟の活躍を描いた秀作であるが、津本陽は、勝の魅力を、「私心のないこと」だとして描いている。勝は自らの利益や何らかの権益のために働くのではなく、あくまで国のために働いている。
 心得顔で政府の委員などに就任している人物を見ても、「私心なく」委員に就任している人材がどれだけいることか。何らかの利益の代弁者であるか、裏から圧力がかかっての発言であることが多い。こと金利に関してもそうであるし、法律家に関する制度にしてもそうとしか見えない。そもそも政治というものはそうしたところがあるのだろうが、弁護士はそのあたりが割合純朴であり、消費者保護事件をやっている先生達は、理想のために戦っている(ことが多い)。
 「私に帰せず」この国のあり方を考える政治家や政府委員が出て欲しい時代である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

裁判をしている人の怒り

 民事の裁判とは基本的にお互いの言い分をまず出し合って、この言い分を裏付ける信用出来る証拠を数多く揃えた方が勝つというルールとなっている。
そこで、言い分を出し合う中で、依頼されている方の中には、①相手はウソをついているがこんなことは許されるのか、とか②自分の主張を認めないので許せないということでお怒りになられる人もいる。

  しかし、①については、主張自体はよほどのことがないと主張しただけでは特別罪にはならないし、これを裏付ける証拠があってはじめて裁判官はその主張に理由があるという判断をされるので、あとは相手の言い分が証拠で証明出来るかということになる。
 中には名誉毀損的主張をする弁護士もいるが、これは表現をする弁護士の倫理の問題に過ぎない。

 ②については、相手はあなたとは違う人格なので、同じ事実を前提にしても、異なった認識を有していることはあり得ることであるし、自分に都合のよいように話を展開している場合もあるが、だからこそ紛争になっているのであり、相手の言い分が自分と違うからと言っていちいち腹を立てていたら裁判が終わるまで身が持たないので、「裁判とはそういうものだ」というくらいの気持ちで応対しようと説明している。

 裁判の当事者となるということは疲れるようであり、双方が疲れて「このあたりで」ということで解決することもある。すなわち、時間が解決してくれる場合がある。
 紛争を抱えながら生活をするというのは、非常なバイタリティーが要求されることなのであるが、紛争を扱う弁護士も、身体が元気でないと対応出来ない。怒りもほどほどにしないと、裁判の結果が出る前に身がもたないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 9日 (木)

酔っぱらいの記憶(アルコール性健忘症)

 刑事事件をしていると、「酔っぱらっていて覚えていない」ということを被疑者や被告人がいうことがある。刑事や検察官は「そんなわけないだろう」として、これでは許してくれず、過酷な取調が続いたりする。また、「事実を認めない」として悪質であると決めつけられてしまう。
大酒を飲んで記憶をなくしたことのある人はいるだろう。私自身、目が覚めた時、どうして家で寝ているのか記憶に全くないことや、コートに(たぶん何かで擦ったのだと思うが)真っ白い粉がついていたり、足に怪我をしていたことなどがある。
また、断片的に覚えてはいるのだが、全体を覚えていないこともある。
 真冬の帰り道を自転車で走行していたら、どう見ても酔っぱらっているオヤジさんが自転車でふらふらと走っていたところ、並木に真正面から激突してそのまま動かなくなったことを見たこともある(たぶんそのままその場で寝たのであろう。)。その叔父さんも、翌日激突した記憶はないだろう。
このような状態を、私の第3の師匠N村T雄弁護士と私は、「泥酔を原因とするアルコール性健忘症」と名付けている。ただ、さすがに私も最近記憶をなくすほど飲んだことはない。

 刑事事件の被疑者や被告人の弁解は、こうした体験をもっている私などからすれば分かるのだが、刑事や検察官は「そうだよね」では納得してくれない。こうした時に事実を認めないと否認していて悪質とか言われて起訴されても保釈もされなかったりする。
実務上は仕方なしに、被疑者は被害者のいうとおりだという作文を作ることになる。
被害者と全く同じ調書が取れると、検察官はニコニコである。そういう意味で、被疑者の調書は被疑者の記憶とは違う全くの嘘が書かれている。検察官は、「記憶なんてなくす訳がない」と思っているし、裁判官もそうだからである。
 

 他にも記憶と異なった嘘の調書は今でもよく出来上がる。これは逮捕・勾留されているためであり、保釈は事実を認めていないと出して貰えないことが多かったからである。人質刑事司法を辞めない限り、刑事裁判の未来はないだろう。人質にしているからこそ、検察官が取る嘘の記憶の調書が取れるからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 8日 (水)

全国法曹サッカー大会優勝!!!!

 毎年秋になると、持ち回りで「全国法曹サッカー大会」が開催される。弁護士、裁判官、検察官、裁判所職員、司法修習生その他関係者で開催されるサッカー大会で、年々その規模が大きくなり、参加人数は150名を越える。
 その全国法曹サッカー大会で、私が率いる京都チームは、実に14年ぶりの優勝を果たした。
 全国から、東京から2チーム、横浜、静岡、名古屋、京都から2チーム、大阪から2チーム、広島、福岡、九州選抜の12チームが11月4日(土)、5日(日)の二日間にわたり熱闘を演じ、京都第1チームの優勝という最高の結果であった。
 大会当日に、京都1の正キーパーであるS弁護士が発熱のため欠席というアクシデントに見舞われ、キーパーなしでの戦いとなった。フィールドからキーパーを出さないといけない。今回の大会は12のチームを4ブロックに分けて、各ブロックの同じ順位同士が翌日対戦し、勝てば上の順位決定戦に、負ければ下の順位決定戦に臨めるというルールである。
 京都1初戦は地元広島。相手は休養十分であり、完全にアウェイの試合である。
 皆5時とかに起きて京都発6時53分の新幹線に乗り込んできただけに、さすがに初戦は身体が重い。私の一番弟子修習生で検察官になったW君がフォワードとして飛び出していく。そのW検察官の妻となった元マネージャーのIさんも夫の走りに熱い視線を送る。Iマネは、福岡の実家からご両親と妹が私と鷲野君の応援に来てくれるほどの熱心ぶりである。
 裁判所書記官のKさんがボランチとして相手の攻撃を中盤で封じたあと、怒濤の上がりで強烈なシュートを放つも、広島のすごいキーパーに阻まれる。このキーパーは今大会ベストキーパーかも知れないほどの動きを見せていた。
 その後裁判所のF君が見事なヘディングシュートを放つもこれまたキーパーに阻まれる。
 前半は0-0。嫌な展開である。しかし、後半に入り、東京から遅れてやってきた京都修習のY弁護士がU会員(58期)がゴール前に落とした(ミスキック?)球を押し込んで先制ゴール。
 これを守りきり、1-0で広島に勝利した。驚喜。
 第二戦は横浜戦である。横浜は爆発力こそないが、堅実なパスをつないでくるチームである。中々苦戦したが、私の弟子である京都修習のM野弁護士からのディフェンスの裏へのパスをノールックでボレーシュートをY選手がたたき込んで1-0。ただし、終了間際に元京都修習で京都チームから出たこともあるにもかかわらず、横浜に寝返ったY丸選手にゴール前の混戦から押し込まれて1-1の引き分けとなった。
 ただ、このリーグでは広島が横浜を1-0で下したので、京都1が1位でリーグを突破した。翌日の初戦の対戦相手は名古屋であり、名古屋を倒せば久しぶり(平成11年以来の)の決勝である。
 初日京都第2チームは初戦が大阪1(主力組)とであった。過去何度も優勝している強豪チームであるが惜しくも3-0で破れた。元第1事務所の事務員のHさん(女性、現ロースクール生)が左サイドを走り、私の友人のK建築士がフォワードとして前線を走り回り、裁判所のO塚君が敵ディフェンスの裏を狙う。60期京都修習のN田君も相手の攻撃を堅実に止め、裁判所書記官のH多君も髪を振り乱しながら攻撃を防ぎ、未だ足にボルトが入っているY田S司会員(第2チーム主将)もボルトをきしませながら走ったが残念な結果であった。
 第2チームの初日2試合目は福岡とである。これまで、京都は福岡と対戦して敗戦したことがない。負ける訳にはいかない。しかし、惜しくも2-0で敗戦。やはり他のチームもどんどん戦力を強化しているのであった。
 神戸修習だが京都チームが好きで修習生時代から参加しているY田弁護士の懸命のディフェンスにも関わらず悔しい敗戦である。

 4日の夜は懇親会があり、酒もそこそこに皆明日に備える。
 第2チームは翌5日、初戦は九州選抜と戦う。私の一番弟子修習生のM島弁護士が2日目から来てトップ下に入り、中盤に厚みが出た。もう1人の中盤のタレントである神戸修習だが京都チームに入っているS検察官と中盤を支配。また、札幌からわざわざ広島まで1日の参加のためだけにかけつけた京都修習のT中判事補が正キーパーとして守りに安定感が出た。私が過去面倒を見たことがある大阪修習だが京都チームに入ったI加田弁護士も前線でボールを追う。チームに入った時はほとんどボールも蹴ることが出来なかったが、もっとも伸びた男、T中T春弁護士が右サイドを何度も何度も縦横無尽に走り回る。M澤修習生も相手の俊足フォワードと渡り合い攻撃を潰す。
 4日が自分の結婚式・披露宴であったにも関わらず、奥さんともども来た私の弟子、O修習生も結婚式の疲れを残しながらも左サイドを駆け上がる。
 しかし、惜しくも0-0でPK戦にもつれ込んだが、ここで敗退した。
 次は最下位決定戦となった。相手は静岡である。
 静岡戦も皆一様にボールを追う。金沢から毎年参加してくれるY腰弁護士(京都修習)はディフェンスラインを統率し、獅子奮迅の働きをする(京都第2チームのMVP)。
 裁判所のT橋君が懸命にボールをクリアする。右サイドを少しスタミナに衰えが出たB弁護士が駆け上がる。
 しかし、相手フォワードの見事なボレーシュートが決まり、惜しくも最下位に。
 後は、第1チームが優勝するしかない。

 そして、決勝への道を切り開くための第1チームの名古屋戦だが、Y田選手が2点を取り、2-0で決勝に残れた。相手のスーパーエースを、中盤から蛇のようなしつこいディフェンスでH尾会員が潰したことが大きかった勝利である。

 そして、大阪1と決勝へ。皆ピッチへ飛び出していく。私の弟子のM野弁護士がトップ下としてゲームを作り、前線から相手に激しいプレスをかける。裁判所書記官のO田さんの惜しいシュートが外れる。その時、右サイドを駆け上がりシュート体勢に入っていたT田弁護士がペナルティエリア内で倒された。
 これをY田選手が決めて1-0。先制されたため大阪は怒濤の攻めである。しかし、左サイドでT山弁護士が風邪を物ともせず相手の攻撃を止める。ボランチとしてU先生が相手のスペースを潰す。神戸地裁判事のH裁判官が汗だくになりながら懸命のクリア。俊足K島会員が相手のフォワードよりぬきんでたスピードでクリアする。
 こうして前半を1点リードで折り返した。しかし、このままでは大阪の怒濤の攻めの前に点を取られることは必至である。追加点が欲しい。
 そして後半へ。後半も大阪は攻めてきた。右サイドで甲高い声で裁判所書記官のN波さんがボールを呼んで走る。裁判所のF井君が懸命のヘッドでのクリア。
 急遽キーパーに回ってもらった裁判所職員のS田さんは持ち前の運動神経で大阪のほとんどのシュートを阻む。A井会員も長髪を結んだひもががほどけそうになるほど走りクリアする。
 そして。
 大阪が攻め上がっていたところへ、ディフェンスの裏に抜けたY田選手へパスが通りそうになった。相手キーパーが飛び出してパンチングするも、Y田選手の身体に当たりゴールへボールが転々とした。これを相手のディフエンスが戻り懸命にクリアするが、無理な体勢でのクリアしか出来ないので、強いボールでのクリアはないと見た私がゴール前に詰めていた。そのクリアボールに寄せて、ゴール左隅に右足のインサイドキックで流し込んだ。
 京都チームは驚喜である。今まで弱かった時代からチームを支えてくれた裁判所のHマネ、Oさん、書記官のYさんも飛び跳ねて喜んでいる。今まで苦労をかけたが、やっとマネージャーにチーム全体の格好いいところを見せられた。
 自分で言うのも何だが突き放すこの得点は大きい。ガッツポーズをして、ベンチへ走る。体調が万全ではないが、大会に出てよかった。京都チーム全員の思いが取らせてくれた得点であると思う。
 その後1点を返されたが、終了間際にM野選手のコーナーキックを下がりながらの難しい体勢でK弁護士がヘディングでゴール。これで3-1である。ディフェンスに攻撃にK選手のセンスが光った大会でもあった。
 残り時間はわずか。少しずつ時間が経過する。審判が時計を見る。早く笛を吹いて欲しい。
 そして終了のホイッスル。皆驚喜してグラウンドへ走り込む。
 14年ぶり、そして私が主将になって8年目の悲願の優勝である。
 帰りの新幹線でのビールがこれほど美味しかったことはない。

 来年は京都1は狙われる立場になる。京都2は上を目指さないといけないが、チーム一同一丸となって頑張るのみである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

よう和解出来たなあ…

 私が事務所に入って1ヶ月も経たない頃のことであったが、調停事件にボスについていったことがあった。依頼者とは調停の席上で初めて会ったのである。事件の概要は聞いており、こちらがお金を支払って話し合いをまとめたいのであるが、相手の方が怒っていて、1億円支払わないと調停はしないなどと言っていたと思う。ちなみに、調停とは裁判所の調停委員という人が間に入ってお互いに譲歩を求めて、話し合いでまとまらないかを見る手続である。
 調停は始まってから既に1年が経過していた。ボスは、調停が始まって1時間ほどすると(相手が長いこと話をしていたので、待たされていたのである)、「中君、僕予定はいっているから、帰るわ」と言い出した。「えぇ~!!!僕あの依頼者と初めて会うんですよ。間が保たないじゃないですか。それに僕この事件の中身よく知らないですよ。調停はどうしたらいいんですか!!」とはや帰ろうとするボスに食い下がる私。
  「○○○万円までやったら払って調停でまとめたらいいけど、それを超えるようやったらもう不成立にして帰ってきたらええわ。世間話してたらええやんか」とだけ言ってボスは事務所に帰ってしまった。

 仕方がないのでその後調停の待合室で依頼者と世間話をして待つ。ボスが帰って少しすると、調停の係の人が呼びに来た。「あれ?中先生だけですか?」と言われて、「はぁ…」といって中へ。私は当時弁護士になって数週間である。たぶんこいつだけで大丈夫かいなと思われていたであろう。
 調停委員の説得により、「1億円から○千万円にまで下がったのですが…」と言われたたが、事件の中身は記録を読んで知っていたし、そのような金額を支払うことはない事件であったし、ボスからも言われていたので、これを断って一桁違うと言って戻ろうとした。
そうしたところ、調停委員から「先生時間ありますか。」と言われて、登録したてで別に予定もなかったので、「午後いっぱい空いています」というと、調停委員も、「この事件長いこと続いているので、今日は行けるとこまで行きたいのですが、いいですか」と言われて断る理由もないので、「ハイ」と答えた。
 その後も1時間待たされて、呼ばれて少し額が下がるが拒否。ここでこっちの最大限は○○○万円と答えて、それを超えるなら訴訟を起こしてもらっていいと言った。
また交代。
1時間待たされる。
相手はもう少し上積みをと言っているがボスから言われていたし拒否。このやりとりを何度かした結果、1時から始まった調停は5時を大幅に過ぎてこちらの提示額で話がまとまって終わったのであった。
待っている間世間話をずっとしていたので喉がひりひりするが、まとまったのだからいいだろう。

 当時は携帯電話も持っていなかったし、依頼者と世間話をしていたので事務所に連絡もしていなかったが、「調停が出来たしいいだろう」と意気揚々と事務所に帰ると、いきなりボスから、「中君、君今まで何してたんや」と一喝。事務所では私が中々帰ってこないので心配していたらしい。わたしゃ子どもか。
ボスに、「いや、調停ですけど…」というと、「調停?こんな時間までかかったんか?不成立にするのに?」とボス。
「いや、成立しましたけど」と私。
「ええ?成立した?いったいいくらで?」とボス。
「いや、ボスの言った金額で全部まとまりましたけど…」と言った途端、「君ようあんな難しい事件まとめてきたなあ。絶対このあと訴訟になると思ってたわ~」とボス。

あとでボスに聞くと、相手方も怒っているし、調停に行ったら相手がよく話しをするため待たされるばかりで、ボスとしても早く解決したい事件だったらしい。事務員に聞くと、ボスは特別予定も入っておらず、事務所に帰ってきて書面を書いていたようなので、1時間で私を置いて帰ったのは、たぶん事件が嫌だったのかなあと思う。でも置いて帰らないで欲しかった…。
 

 もちろん、この事件で調停が出来たのは、私ではなくそこまで粘ってくれた調停委員が偉いからなのだが、それ以降、ボスは和解しないといけないが中々難しい事件の記録をもって、夕方時々私の背後に立つようになったのであった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »