金利のグレーゾーン廃止に関して
読者の方から金利のグレーゾーンの廃止について書いて欲しいというメールをいただいたので、十分なものかどうかは分からないが書いてみる。最近は弁護士の内輪ネタが多かったように思うので、一般向けの話となろう乎(五味康祐風ーほとんどの人はわからんやろうな…。この表現の仕方が五味康祐風やとは…)。
さて、金利には規制がかけられているが、これは一般的に、借りる方はのどから手が出るほどお金が欲しいから、後のことなど考えずに借りるものであり、貸す方は借りる方の窮状につけこんで高い金利で貸すことが多く、金利が自由であるとすれば、貸し主天国となるが、これでは借り手の保護にかけるので利息制限法という法律が制定されたのである。
日本人は真面目だから、借りたら返さないといけないという気質があり、どんなに高い金利でも返してきたという歴史的背景もある。日本で金利は古くから規制されていて、大正時代に一時期金利が自由化されたことがあったが、このために社会混乱を招き(利息の減免を求めて打ち壊しなどもあったようである)、それがために制定されたのが利息制限法という法律が出来たといわれている。このあたりは金貸しの日本史という新書がもの凄く面白いので、是非ご一読を。
一方、アメリカでは借りても返さない方が多く、日本でいうような消費者金融を信用だけでやっても、誰も返さないから商売として成り立たないという報告がされている模様である。借り手は基本的に信用ならないのであり、それがために貸す方も借り手の信用力等を真剣に調査する。そこで、自由金利でも借り手保護には欠けないという理屈が立つようである。
アメリカの金融会社は、日本で金利を自由化して欲しいと考えるのは当たり前で、日本人はきまじめであるから、どんなに高い金利基準でも返済してくれる蓋然性が高いので、いわば、「濡れ手に粟」状態の商売が出来ることになる。
しかし、一般的には、アメリカ人と日本人との気質や契約に関する風土の違いから、金利自由化論は、絵に描いた餅でしかあり得ないと考えられている。なお、そのほかにもアメリカの制度をいくつか日本に導入して喜んでいるところがあるが、既にアメリカで破綻を来した制度を遅れて導入していることが多い。ゆとり教育もそうである。これは、調査と実施の間にタイムラグがあり、その間にアメリカで日本政府が調査した時点で成果をあげているとされていた制度が後に失敗であったことが分かった頃に、日本ではその当該制度を実施するからである。ロースクールもアメリカでは既に破綻しているといわれている。
話を本題に戻そう。
いわゆる金利の二重の基準であるグレーゾーンの廃止に関しては、様々な方向からバイアスがかかり、いろいろと揺れ動いたが、日弁連などの努力の結果もあり、グレーゾーン廃止の方向に落ち着いた。
グレーゾーン廃止により、二重の基準がなくなる結果、金利の払いすぎはなくなると言われている。ただし、その結果、貸金業者が融資基準を厳しくするために、借りられなくなる人がいるとも言われている。さらにそうした人達がヤミ金に流れるとも言われている。
しかし、私としては、利息制限法で認められている上限金利もそれなりに高いので(50万円借りたら年利18%)、銀行からの調達金利が数%である現状では貸金業者の利益率が落ちるだけで、たちまちに借り手を絞るというようなことにはならないのではなかろうかと考えている。これだけで消費者保護といえるかも微妙である。元々お金が足りないところへ借りるので、返済+利息で家計は圧迫され、いずれ破綻するからである(次の借り入れをしないと返済出来なくなる)。
グレーゾーンがなくなれば、当然貸金業者の利益率は落ちるから、1人あたりの顧客の利益は減るので、むしろ貸金業者が利益率を確保するためには、顧客数を増やす方向にバイアスがかかるとも考えられるのである。貸金業者というものは、「貸して利息を払って」もらわないと成り立たない因果な商売だからである。貸し控えればどこからも利益は入ってこず立ち往生となるのである。逆に、これまでは利益を出し過ぎてきたくらい儲けてきたのだから、多少正常な状態に戻りつつあるということも出来る。サンエイファイナンスの経営者が脱税で逮捕されたが、その脱税額に驚いた人も多かったはずだ。これまでは、消費者金融は、日本社会では濡れ手に粟状態だったのである。
その意味では、グレーゾーン廃止によるデメリットなどないとうことも出来る。
そもそも、年間18%の金利を出して「本当に」借りなければならなかった借り手というものはほとんどいないとも言える。
私は破産事件や債務整理事件、個人再生事件で聞く借り入れの理由は、本当に、「今から考えたら借りなくても良かったやろ?」というものが9割を占める。借り入れがあるのに着物を買う女性や、わざわざ新車を数百万円かけて買う者もいる。私は車に興味がないので、その考えが理解出来ないし、足し算引き算が出来ないのかとも思う。
借り手の意識改革も必要な時代に来ていると思われる。
この政治的決着は、金利自由化論や、グレーゾーンの段階的廃止論者は、現時点で敗北したことになるが、ヤミ金の大量発生や貸し渋りが出た場合には、「それ見たことか」と息を吹き返すことになるが、超高金利での貸付には返済してもらえないというリスクが必ずつきまとうものであり(というのは相手は超高金利でも借りないといけない不良借り手だからである)、そのリスクを減らすための方法は「脅迫的取立」しか残っていないことになり、日本という市場における金利自由化論は、「ヤミ金合法化」論と近いことを忘れてはならないだろう。
私は見通しとしては長期的には貸し渋りは発生しないと考えているが、短期的に貸し渋りが出ることはあるだろう。そのときに、短期的現象を捉えて、「グレーゾーン廃止の功罪である」と短絡的に主張する輩が本当にねらっているところはどこなのかを見極める必要がある。アメリカの金融業界なのか、あるいは日本の貸金業団体なのか?
津本陽の「私の帰せず」という小説は幕末の勝海舟の活躍を描いた秀作であるが、津本陽は、勝の魅力を、「私心のないこと」だとして描いている。勝は自らの利益や何らかの権益のために働くのではなく、あくまで国のために働いている。
心得顔で政府の委員などに就任している人物を見ても、「私心なく」委員に就任している人材がどれだけいることか。何らかの利益の代弁者であるか、裏から圧力がかかっての発言であることが多い。こと金利に関してもそうであるし、法律家に関する制度にしてもそうとしか見えない。そもそも政治というものはそうしたところがあるのだろうが、弁護士はそのあたりが割合純朴であり、消費者保護事件をやっている先生達は、理想のために戦っている(ことが多い)。
「私に帰せず」この国のあり方を考える政治家や政府委員が出て欲しい時代である。
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