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2006年12月28日 (木)

決めつける弁護士

 事実について争いがある事件だと、双方の主張や証拠を出し合っていくことになる。
  最終的には裁判官が判決をする訳だが、途中で和解になることもあるし、訴訟外でそれぞれ証拠を出し合って交渉することもある。

 裁判であればともかく、訴訟外で交渉してまとめるべき事件で困る相手方弁護士は、「決めつける弁護士」である。すなわち、「自分のところのこれこれこういう証拠からすれば、自分のところが主張している事実が事実に間違いないから、いうことを聞け」、又は、「こちらの主張している法律論が正しいに決まっている」といってきて一切譲歩しようとしないのである。

 しかし、これは交渉時においては、非常に不遜な態度であるし、実質的には交渉を拒否していることにほかならない。
こちらはこちらで証拠を提示し、主張を展開しているのに、その主張(こちらも同じ資格を持った弁護士なのだから、こちらもこちらなりに理由があって主張をしているのである)が、「自分の考えからすればあり得ない」と堂々といえるのは、「自分はどの弁護士よりも事実認定について能力が優れている。あなたは自分より下位の弁護士だから自分のいうことを聞きなさい」といっているのと同じであることに気づいていない。
 そして、往々にしてこうした弁護士は、真の意味での実力はなく、実は大○鹿ものであることも多いのである。
 このような弁護士は、「紛争を解決する」能力を持たないといってもいいだろう。
さらに、こうした弁護士は、後日訴訟で自分のところの主張が通らずに敗訴したときには、全て裁判官のせいにするのである。

 トレーニングされた弁護士が交渉をするときには、「双方の主張は主張として」、どのような解決があり得るかを議論するものなのである。解決が出来ないと判断するのであれば、「交渉はこちらはこう考えているのだから不可能である」と明確に述べるべきである。

もちろん判決までいかないと解決しない事件も多数あるが、判決を取りに行くことよりも、交渉で解決した方がよいと判断しなければならないときに、そうした判断をする能力がない弁護士がたまにいるから、紛争が弁護士のおかげで拡大したりしていまうことも往々にしてある。

 今年は今日が仕事納めであるが、このブログを読んでいる修習生や若手弁護士が、そのような大○鹿もの弁護士にならないよう、また、私も「裸の王様」弁護士にならないよう、平成19年度も研さんを積んでいきましょう。

 それでは、よいお年を…。

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2006年12月27日 (水)

訴訟の中でよくある質問や怒り

 訴訟は争いがある場合には、双方が事実関係や法律論について書面で相手の主張に対して反論を書いたり、これに沿う証拠を出したりすることで進んでいく。相手が事実を認めた場合には、その後話し合いか判決、又は請求の認諾(相手の請求を全て認めること)ということになり、そのようなことにはならないが、大体訴訟にまで発展している事件では、事実関係について争いがあることが多い。

  
 そこで、よくある怒りとして、言い分を出し合う中で、依頼されている方の中には、
 ①相手はウソをついているがこんなことは許されるのか
 ②自分の主張を認めないので許せないということでお怒りになられる人もいる。

  しかし、①については、主張自体はよほどのことがないと主張しただけでは特別罪にはならないし、これを裏付ける証拠があってはじめて裁判官はその主張に理由があるという判断をされるので、あとは相手の言い分が証拠で証明出来るかということになるから、主張としていろいろなことをいうことは止められない。
  ②については、相手はあなたとは違う人格なので、同じ事実を前提にしても、異なった認識を有していることはあり得ることであるし、自分に都合のよいように話を展開している場合もあるが、だからこそ紛争になっているのであり、相手の言い分が自分と違うからと言っていちいち腹を立てていたら裁判が終わるまで身が持たないと説明している。
  さらにもっとすごい怒りは、③「相手にこんな主張をさせるなんて、先生が甘いのではないか」といわれたりする。相手が何をいうかまで、相手の弁護士でない私がコントロール出来るはずもないのであるが、怒りのあまりこんなことをいう人もいる。
  もっとすごいのは、④相手の主張に対して打ち合わせで確認していると、「先生は私を信用しないのか」とか、「相手の味方をするのか」と確認作業をしただけで怒る人もいる。
 相手から出た主張については、確認して書面を書かざるを得ない。
 裁判をしていると、中々平常心が保てないのであろうかと思って1つ1つ説明している。

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2006年12月26日 (火)

無罪と無実

 私が修習生の頃、刑事裁判修習で、刑事補償の起案を任されたことがあった。
  既に無罪が出ている事件で、無罪が出た事件について、勾留された日数について、1日あたりいくらということで補償をしなければならないとされているのである。

 起案をするためには、まず事件の中身を読みなさいと言われて、無罪の記録を読み進んだが、どうも検察官の立証活動がまずくて無罪とはなったが、「本当はこいつ故意があってやってるんじゃないか?」という疑いが非常に強くなった。
 そこで、私は担当裁判官に、「こいつ故意あったんじゃないでしょうか。故意があったかも知れない男に補償しなければならないんでしょうか。」と素朴な疑問を述べたところ、間髪入れず、「中さん、無罪と無実は違うから。刑事補償っていうのは無罪の人に補償しろと書いてあるのであって、無実の人に補償せよとは書いてないでしょ。本当はやっていたかも知れないけれど、証拠上無罪であれば、補償はすべきなんだよ」といわれた。

 私は当時検察修習が終わったばかりで、頭の中が検察官よりになっていたことも原因であったが、刑事事件の大原則をいわれて、目からうろこが落ちたのであった。
 この裁判官は、その後も無罪をたくさん書いておられる。記録や証拠を丹念に見る刑事裁判官は、無罪を書くことが多くなり、そうでない裁判官は、一生無罪を書かないとはよくいわれていたことである。

 しかし、現実の刑事裁判官が全員このような大原則に従って判決を書いているかといえば、答えは「否」である。無実であっても有罪になることも多くあると思う。映画で、「それでも僕はやってない」という映画が公開されるようだが、ああいったことは、この日本という国では日常的に起こりうることなのである。

我々弁護人から見てどう考えても故意がないだろうという事件で故意を認定されたこともあったし、証拠関係からして被害者の矛盾だらけの供述を、「たいした矛盾ではない(まるで小泉元首相のようだが)」と斬って捨てて有罪とされたこともある。

 日本の刑事裁判が正常化する日は来るのかと暗澹たる気持ちになる。

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2006年12月25日 (月)

懲罰的賠償制度

 少し前に、懲罰的賠償制度を日本にも導入すべきであるという本を共著で書こうとしていた。私にも現時点で一冊だけ共著の著作があるが、もう一冊消費者保護の分野で書こうと思ったのである。
 コンプライアンスが叫ばれる昨今であるが、企業の違法行為により消費者が被害を受けても、法律上因果関係があるとされるだけの賠償では、企業にとっても痛くもかゆくもないということが多い。また、往々にして現在認められている賠償だけでは被害者の救済に十分でない(目に見えないいろいろな出費や負担がかかるのである)ことなどから、違法行為をした企業に対して、制裁的意味合いで懲罰的に賠償を命じることが出来るという制度である。
 これが認められれば、消費者側の弁護士も経済的に報われることになり、1人1人の損害は小さくて費用的に報われなかった事件でも引き受けやすくするという効果もある。
 アメリカでは一般的な制度であるが、日本では法体系が違うとか、まだなじみがないという声も聞かれるが、この制度は政策論であって、法体系には関係がないし、企業が違法行為をしなければよいのであるから、導入には何の支障もないといえる。また、これが課される要件はアメリカのどの州でも非常に厳しく、おいそれと発動されるものでもない。
 これから弁護士が増員されていく過程の中で、弁護士も報われるような法律の制度設計をしなければ、「強者」ばかりが弁護士の力を借りることが出来、「弱者」が弁護士の力を借りられない時代が来ることも想定される。そのようなときに、この制度があれば弱者も救済される可能性が高くなる。
 書籍の執筆は、法曹人口問題についての運動を進めるために中断しているところではあるが、是非とも日本に導入したい制度である。
 ヤミ金融がはびこった時に、私が最初に言い出した「携帯電話の譲渡禁止」が法律化されたように(ウソじゃなくて本当なんです。その経緯はまた別途ブログでいつか書きますが)、懲罰的賠償制度も日本に導入されないかと思っている今日このごろである。
 立法をする時に、もっと一般の弁護士の見解も聞いて欲しいもんである。

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2006年12月24日 (日)

五所川原支部にて

 勤務弁護士時代に、青森地裁五所川原支部というところに出張があった。
元々私の兄弁が行く予定だったのだが、刑事事件で手が回らないというので引き受けたのである。
兄弁が既に「行き方を調べている」というので聞くと、秋田空港から秋田駅に向かい、そこから五能線という単線電車に乗っていくのだということである。
秋田空港から2時間以上をかけて、五所川原支部に着いて、「ひえ~。遠いわ。」と思いながら期日を終えて帰京。2回ほど行った時に、秋田駅までバスが混みまくっていたので、朝五時起きで重い記録を抱えていて疲れていたので混みまくりのバスにのるのもつらいので、タクシーに乗って、運転手さんと世間話をしていて、「とごいがれるのか」と聞くので、「五所川原まで」というと、「五所川原だっだら、空港からタクシーで30分ですがな」といわれた。「兄弁のいうことを真に受けなきゃよかった…。そしたら楽に行けたのか…」とがっくり。確かに地図で見ると、空港から近い。五能線は電車マニアには垂涎の単線ということであるが、私は電車の趣味はないので、以後はタクシーで30分という近さなので、空港のビジネスラウンジでパソコンを叩いたり、文庫本を読むことが出来た。

 さて、何回かいくうちに、相手に弁護士がついて、いざ尋問ということになった。尋問予定では、被告本人の女性(もう1人被告がいて、これは夫)と、当時のやりとりを聞いていたという女性の姉を聞くことになっていた。
 しかし、期日が始まっても、法廷内には女性1人。
 裁判官が、相手の弁護士に、「先生、被告本人が見えていないようですが…」と聞くと、相手の弁護士は、法定内の女性を指さして、「そこにいます」という。裁判官はむっとして、「それは証人の被告のお姉さんですが」というと相手の弁護士はびっくり。
 おいおい…。自分の依頼者と会ってないんかい…。それでどうやって依頼を受けたんや…。とげんなり。夫の方と知り合いのようで、奥さんとは面会せずに代理人を引き受けたようで、この分では証人尋問の打ち合わせもしていないだろう。

 私は5時起きで五所川原まで来ているのである。裁判官に「次回来なかったら終結して下さい」と調書に取ってもらい、尋問が始まったが、お姉さんとも打ち合わせをしていないことがありありとしていて、挙げ句の果てに自分のところの証人に「そうでしゃないだろ!こうだろ!」と怒り出す始末。あまりの誘導尋問のひどさに私も何回か異議を出し、裁判官も怒り出す始末。ひどい弁護士もいたもんである。

 その次の期日で、被告本人の妻の尋問もあったが、この時もひどい尋問で、裁判官から叱られまくっていた。最終的にこの訴訟は全面勝訴となったが、後日「自分が依頼した弁護士の弁護士費用をこちらに支払え」という調停が出たりして、本当に訳のわからない話だった(もちろんそんな調停行くだけ無駄なので、こちらが全面勝訴している事情を裁判所に提出して行かなかったが)。

 出張であちこち行くと、本当にひどい弁護士に何人かあたったが、これはそのうちでも一位であると思っている。そりゃ、こんな弁護士ばかりだったら、弁護士は淘汰されろと言われるわな…。

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2006年12月23日 (土)

戦うべき事件と交渉で解決すべき事件

 事件にもいろいろ種別があり、戦って戦って戦っていかないといけない事件と、戦いではなく、交渉で終わらせないとだめな事件もある。トレーニングを受けた弁護士は依頼を受けた時に交渉をするのか、調停なのか、訴訟なのか、仮処分なのかといろいろと方法を考える。このときに、その手続きを取ったときの次の展開や影響、解決の可能性、依頼者の意向などを踏まえて方法を選択する。
もちろん、依頼者にとって何がもっともよいのかというのが選択の基準である。
その意味で、弁護士から見て、戦っていかないと打開出来ない事件は訴訟をして判決を取りにいくしか方法がない。一方、訴訟を出すことが様々な余波を生むことになり、交渉で解決しなければいけない事件というのもある。これは経験でもあり、先を見通す力というものが必要となってくる。
しかし、いくらこちらが先を見通していても、相手の弁護士が先を見通せていなければ、交渉によって解決を図ることは不可能である。また、交渉で解決をするよりは、訴訟等になった方が相手の弁護士には着手金が入るので、依頼者の立場を本当に考えているのか、自分の利得のためにやたら訴訟をしてきているのではないかと首をひねりたくなる弁護士もいないではない。
 交渉によって解決しなければならない事件が解決出来るときは、相手の弁護士も先を見通せる弁護士で、自分の利得よりも依頼者のことを一番に考え(当たり前なのであるが、そうでもない人がいるからげんなりするのである)、かつ双方の依頼者が弁護士のアドバイスを聞き入れる場合のみである。
 一見弁護士同士の談合のように見えるかもしれないが、双方の依頼者の利益を確保しようとしてすりあわせていく中で、もっとも双方の依頼者にとってもよい解決が探られるのであるから、談合とも違い、それぞれの弁護士はそれぞれの依頼者を向いて依頼者のために解決しようとしているのである。
 そのために、依頼者自身は説得されて少し不満に思うこともあるだろうが、トレーニングされた弁護士は依頼者のことを一番に考えているものなのである。ただし、それが依頼者に伝わらないことも稀にあるが、それでめげてはいけないのである。

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2006年12月22日 (金)

パソコンを新調した

 独立時に購入したパソコンがフリーズするやらソフトが固まるやらがやたら多くなってきたので、このパソコンは判例検索専用に使用することとして、新しいパソコンを購入した。
 パーソナルモデルは仕事をするにはいらないソフトが入っていて重いので、ビジネスモデルにすることとした。思い切ってメモリーを2ギガとして、CPUは今はやりのデュアルコア(2つCPUがある)2.66ギガ、ハードディスクは160ギガという代物で、値段はそれなりにかかったが、はっきりいって快適である。前のモデルもそれほど安いモデルではなかったが、最近は文字入力をして反応が遅れることなどがあり、いらいらしていたので「精神衛生上よくない」と考えて思い切って購入したがとても快適でうれしい。

 最近は、ウィンドウズXPであれば前のパソコンの主要な設定を引き継げるし、設定も依頼したので一太郎の画面を少しいじる程度で済んだので、これまでのように設定を自分でしないといけないストレスもなかった。

 あとは支払である。ハア。

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2006年12月20日 (水)

出張の愉しみ~川中島合戦場跡

 勤務弁護士の頃は出張が多かったが、全く楽しみがなかった訳でもない。
私は歴史好きなので、古戦場跡などを巡ったりもたまにしていた。あくまで時間があるときであるが。
 長野地裁にいった時、すぐ電車に乗っても事務所に帰り着く時間が遅く、2時間くらいあとの電車でも帰ることが出来たので、タクシーを借りてにわか観光をしたりした。
 まず善光寺に参った。平日なのに、すごい人だった。さすがに、日本最古の仏像が祀られている寺だけのことはある(確か)。健康になるように煙りを身体につけて、次は川中島の合戦場跡へ。
  私は戦国武将の中で上杉謙信の熱烈なファンなので、ぜひとも一度行ってみたいと思っていたのだが、現地は割合狭かった。
  上杉謙信が布陣した妻女山を見ながら、最近の説のようにここで大規模な合戦が本当にあったのかと思ったりしたものである。
 川中島神社という神社があったので、お守りを買う。このお守りは、今も私のカバンの中に入っている。上杉謙信については、また別途ブログで書いてみたいと思っている。

 その後真田資料館という資料館があるというので資料館へ。しかし定休日で残念ながら見られなかった。私が通っていた大阪の高津高校という高校は、真田山という山の上にあった高校でもあったし、大阪出身の私は真田幸村びいきでもあるので残念であった。幸村も一度機会があれば書いてみたいと思っている。

 最近は出張といっても宮津と東京がせいぜいあるくらいであり、その点は少し寂しい気持ちがしているが、出張が多ければ「出張がなければいいのに」と思うだろうから、これもないものねだりなのだろう。
 今日は宮津の法律相談で何も仕事が出来ず、北部へ向かう電車は揺れるので疲れて頭も働かない。電車から見える川の渓流を見ていると、早く3月の解禁日が来ないかと心そられる1日でもあった。

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2006年12月19日 (火)

事件は全て個別である

 事件はどの事件も個別であり、それぞれの背景事情などがあるから、同じ事件は一つとしてない。ところが、事件の件数が多いと、だんだん要領で事件処理をしがちである。

 私が修習生の頃、検察修習で公判部のM検察官の係に配属された。
 M検察官は、証拠関係カードに、合間の時間を見て、鉛筆で証拠の要旨をいつも書き込まれていた。検察官が提出した証拠が裁判所に証拠採用された後、被告人に、「その証拠がどのような証拠か」という「要旨」を告知することになっているのだが、M検察官は、どの事件でも鉛筆で書き込まれていた。
 若手の検察官は、皆、時間に追われ、証拠の表題を読み上げる程度でこなしていた姿を見ていた(最近でも公判では、その場で証拠を見て考えていることがありありと分かる若い検察官の姿をよく見かけるが)ので、M検察官に、「どうして全ての事件についてそうしているのですか」と聞いた。断っておくが、M検察官は極めて優秀な検察官で、裁判官からも高い評価を受けていた検察官であり、現場で要旨の告知を考えて出来ないような人ではないのである。
 その優秀なM検察官が、丁寧に一つ一つの証拠に準備をしている姿を見て私は聞いたのである。
   そうすると、M検察官は、「事件に同じものはないから。検察官にとっては何百件あるうちの一件でも、被害者や、被告人にとってはたった一つの事件であるから、一件として手は抜けないやろ。要旨の告知一つからよく考えてあげないとな。」といわれた。
 私はその言葉に感動し、「そうあるべきだし、自分もそうありたい」と思ったのだった。

 その後、私の周囲にいる優秀な法律家は、事件に軽重はつけないし、金額によって態度を変えたりは絶対にしないことから、これが優秀な法律家の基本的能力の一つだと考えている。
 M検察官に連れて行ってもらった焼き鳥の味は今でも覚えている。

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2006年12月18日 (月)

尋問メモ

 テレビなどで証人尋問を見たり、あるいは修習生の尋問を見ていると、中々におもしろい。実務ではありえない尋問が出てきたりするからである。以前司法書士が簡裁代理権の認定を受けるための必修講座の講師をした時に、模擬裁判があったのだが、ここでも意見のおしつけや評価に渡る部分を聞く尋問が多数見受けられた。
 自分の依頼している弁護士が、相手に意見を押し付けている姿は依頼者からすれば「嬉しい」となるようであるが、裁判官にはあまりよいものとは受け止められない。
 簡単に、尋問の際の注意事項を書いてみたものがあるので貼り付けておく。

1、尋問は事実を聞くもの
  これこれこうだからこうは思いませんかという尋問は、自分の意見の押し付けであり、尋問ではない。
  事実を聞くことで、相手の主張のおかしさを浮き彫りにしたり、こちらの主張の裏付けを取っていくものである。
  従って、評価に渡る部分を聞いても無意味である

2、立証命題
  立証命題を口にして尋問することもまた無意味である。自分はこういうことを立証したいからあなたにこういうことを聞いているんだということを言っても意味がない。
  立証したいことがらを浮き出すために事実を聞くので、これこれこういう事実からしたらこういうように考えるのが自然ではないですかなんていうのも無意味である。
  自分がこういうことを聞いているのはこれこれこういう事実からすればこうなると思うんですと聞く人もいるが絶対だめである。

3、相手の言っていることが「本当ですか」という質問も意味がない。
  違うと回答されるに決まっているからである。一番してはいけない質問である。

4、質問は具体的に。抽象的に聞くのはいけない。
  あまり長い質問も結局何が聞きたいのかわからなくなるので避けた方がよい。

 修習生の人は、これを読んでおけば、模擬裁判で少しは違う尋問が出来るはずである。
  ただ、実務では敢えてこうしたセオリーを越えて尋問することもある。

 あと、よく、適性証人に対して大声を上げたり、威嚇したりする弁護士もいるが、あれは裁判所からすると、全く意味がないばかりか、悪印象だということである。淡々と聞けばよいのである。ことさらに芝居ぶる必要もない。

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2006年12月16日 (土)

常識で考えろ

 過去に、高齢の1人暮らしの老人のところに、空気清浄機15台、浄水器15台がつけられているとして、クレジット会社からの支払請求が来て困っているという事件を扱ったことがあった。
 ただし、現場には、それぞれ12台ずつしかついておらず、3台は架空契約のようで、私は、「担当者が他に現金で売却して、ポケットに入れたのだ」と直感した。
 契約の際に虚偽説明もしているし、クレジット契約も老人に変わって販売にきた社員が行っているようなので、早速内容証明で詐欺取消、契約無効を主張してクレジット会社と販売会社に送付した。
 そうしたところ、販売会社の弁護士から内容証明が来て、「契約が15件整っているので、有効な契約だから応じられない」という回答が来た。
 この老人の家は、20坪ほどの家であり、仮に浄水器と空気清浄機が必要であっても、一台ずつあればよいはずである。
 私は相手の弁護士の内容証明を見てあきれて、書面を書くよりも先に電話して相手の弁護士に怒った。「どこの世界に20坪ほどの家に15台ずつ浄水器と空気清浄機が必要とする人間がいるのか。また、現場には12台ずつしかついていないのだから、3台は担当社員が他で現金か何かで売却して自分の懐に入れているはずである。常識で考えたら、このような内容証明が書けるはずがない。担当社員をもう一度締め上げて欲しい。もし、あくまで担当社員がしらを切るなら、私が締め上げてやるから担当社員を連れて事務所まで来てもらいたい」と。
 相手の弁護士は私の怒りの電話にたじたじとなり、「再調査します」といって、一週間後、「担当社員が白状しました。全て先生のいうとおりでした。先生のいいなりで解決します」ということであった。依頼者と打ち合わせの上、浄水器と空気清浄機一台を残して全て撤去させ、ここまでひどい契約をしたのだからとして、損害賠償も支払わせた。
 その損害賠償金で老人は私の弁護士費用が支払えたので、全く経済的負担はなくて済んだのである。
  契約書が有効だとか、法律がどうだとかいうことももちろん大事だが、その前に、「常識で考える」ことが大事である。この老人は、私のところに来る前の法律相談では、「契約書があるから難しい」と言われていたのである。
 このような事案では、相手の弁護士は常識から考えておかしいとすぐに考えるべきなのに、企業側に立ち、「有効だ」というばかげた書類を送ってきていたのである。
 消費者被害事件では、常識的にみて、「おかしい」という弁護士の最初のとっかかりが非常に大事である。そこから、「何とかならないか」と考えていくのである。理屈は次に考えることだと私は常々考えている。
 多くのおかしい判決が出ていることも、裁判官に、こうした「常識」が欠落していることが原因なのである。
 電話リース問題も京都で私が事務局長として立ち上げたが、常識的に見て完全におかしい商売である。企業の社会的責任ということが言われているが、まだまだ闇の部分は大きいと思わざるをえない。

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2006年12月14日 (木)

問題依頼者

 悪い弁護士の話を何回か書いたが、依頼者の方にも問題がある依頼者はいる。弁護士がどれだけ頑張って仕事をしても、弁護士を罵り、全ての結果を弁護士の責任に押し付けたりする。依頼者のために事件をするものなので、こうした依頼者がいると非常にげんなりする。その意味で、職人としての心意気がないとやっていられないところがある。
こうした依頼者が思うような結果を得られないことの理由はいろいろある。

依頼者の主張する事実と全くそぐわない証拠ばかり出てきて、裁判の事実認定で負ける場合。これは弁護士としても、どうしようもない。こうした証拠書類には、ご丁寧に依頼者自身が署名していたりもする。
 しかし、そのために敗訴しても、「弁護士が悪い」「裁判官が悪い」として納得しない人もいる。挙げ句の果てには攻撃の対象が相手の弁護士に向いたりする。
こうした依頼者は、「自分が悪い」などと考えてみようともしない。

 また、本人の心情としてはわからないこともないのだが、法律解釈や法律上の規定により敗訴することもある。この点も、弁護士が知恵を絞って頑張ってもだめなこともある。

 依頼者が尋問などで突然、全く聞いていなかった新しい事実を述べはじめることもあり、これが不利な証拠とされて敗訴することもある。弁護士には事情を話して欲しいものである。

 依頼者としては、訴訟をしたり、刑事告訴出来ると考えて確信しているのであるが、我々法律家の目からみると、裁判で耐えうるだけの証拠がなく、訴訟や告訴は出来ない場合もよくある。いくら説明しても理解されず、「引き受けて欲しい」といい、引き受けられないというと、弁護士を罵って帰って行く。

 「勝つと言ってください」「勝つと言ってくれたら依頼します」という人もいる。我々弁護士は、職務上勝訴を確約して事件を引き受けることは出来ない。見通しはいえるが、100%大丈夫と保証は出来ない。職務上そのように規定されているからである。そのように説明すると、「弱気な弁護士には依頼しない」と罵って帰っていく。

 また、依頼者が弁護士の注意を全く聞かないために悪い結果となることもある。そして、注意を聞かなかったがために悪い結果となったにもかかわらず、その点を忘れて、「弁護士が悪い」と糾弾しようとする。また、依頼者の要望どおり行ってきた結果に対しても、全て弁護士の責任だとして文句を言ったりする。
 まるで、「風が吹いたら桶屋が儲かる」式の論理展開で、全てを弁護士の責任に転嫁するのである。
こうした依頼者は、弁護士の注意を聞かなかったことや、要望どおりしてきたことを指摘し、弁護士側に問題がないと指摘してもいっこうに聞こうとせず、自分の主張ばかり述べてくるので、説得のしようにも限界があるから、依頼者の方では「弁護士が悪い」として事件が終わることになる。自分は神様のように何をしても許されると思っているのかもしれない。こうした人物は、また後日どこかでトラブルを巻き起こすのである。

 ほとんどの依頼者は、感謝して事件が終わるが、どれだけよい弁護士にも、一定割合こうした不良依頼者はいるものである。タウンミーティングで、司法改革でも「やらせ」が相当あったということであるが、弁護士(上記の例は一般的に)からすると問題のある依頼者が、いくら弁護士に不満があると言ったからといって、それはデータとしては参考にならないものだろう。問題のある弁護士がいないとは言わないが、弁護士に対する不満が、一般的に見て依頼者側に問題があるケースでは、統計に入れない方がよかろうと思っている。

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2006年12月13日 (水)

魂で戦う男

  またもや法律とは関係ない話。
 魂で戦う男が好きである。私もそうなりたいと思うが、中々思うようにはならない。しょせん凡人には無理な話なのかもわからない。しかし、そのようになりたいと思うことは自由であるから、そうなりたいと思っている。

 サッカー選手でいえばゴン中山。技術だけではなく、気合いで点をもぎとるあの姿は、ドーハで敗れた試合から憧れである。

 最近、海音寺潮五郎の書いた本(乱世の英雄という本だったか)で、桐野利秋のことが書いてあった。桐野利秋は、元中村半次郎といい、薩摩藩の低い身分の武士であった。俗に、「人斬り半次郎」といわれている。
   桐野利秋は、常々、(趣旨として)「手がなくなったら足で、足がなくなったら歯で、歯もなくなったら魂で戦う」ということを言っていたということである(少しうろ覚えであるが)。
  なかなか「いうは易し行うは難し」で、日頃えらそうなことを言っていても、追いつめられると日頃言っていることと違うことを言ったりしたりする人間がほとんどである。
 彼のすごいところはそれを実践したところで、西郷隆盛と官軍との間で怒った西南戦争の際、官軍の銃で頭を打ち抜かれたが、刀をもって敵に「チェスト」と言って斬りかかろうとして息絶えたというのである。頭の半分がなくなっていたともいう。
  私は、海音寺潮五郎の書いたこのエピソードを読んで、桐野利秋こそ、「魂で戦う男」だと感服した。
 早速池波正太郎の書いた「人斬り半次郎」を買い込んできて、今行き帰りの電車の中などで少しずつ読んでいる。

 少し前に紹介した津本陽の名をこそ惜しめ~硫黄島魂の記録~も、そうした魂で戦う男の物語である。最近、クリント・イーストウッドの映画のこともあるのか、津本陽のその本が売れているようである。

 裁判や事件でも、絶対だめなものはあるけれども、簡単に諦めてはいけないと思うのである。

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2006年12月12日 (火)

半分くらい時効主張されたんやねん

 とある国のとある法律事務所のお話。
ある法律事務所の勤務弁護士さんが、ボスから頼まれ、かつ、弟弟子の勤務弁護士からも、「これだけは何とかやって独立して」とさんざん言っていたのに交通事故の事件を時効にかけて独立したことがあったとさ。
 ボスはいつものように、そおっと残された勤務弁護士の後ろに立って事件を置いていこうとしたけれど、残された勤務弁護士は、後ろも振り向かず、「さすがにこれはボスがやって下さいよ」と記録を突き返したとさ。
ボスは泣く泣く自分で裁判をやったとさ。残された勤務弁護士は、訴状から自分の名前を外して欲しかったということじゃったが、既にボスがはんこをついて出したあとじゃった。

 しばらくして、勤務弁護士が心配してボスに「あの事件どうなりました?」と聞くと、ボスは、「何とか和解出来て終わったわ」とにやり。
 「えぇ~。時効主張されなかったんですか。」と勤務弁護士が聞くと、ボスはにやりと笑って、「半分くらい主張されたけど」と言ったそうな。
 その勤務弁護士は、怖くてその記録を開けて見られなかったということじゃ…。
 「半分くらい時効って…。どんなやろー」

 さあてこの話、フィクションかノンフィクションかのう。

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2006年12月11日 (月)

刑事有罪、民事無罪

 同じ事件なのに、刑事と民事で結論が別れることがある。証拠に対する評価が、裁判官によって異なることがあるからである。
 多重衝突事故で、交通事故の事件で刑事で有罪となってから、被害者に保険金を支払った他の加害者の保険会社から、過失割合に応じて支払った保険金を支払えという裁判を勤務弁護士の頃担当した。
 本人に聞くと、刑事事件の頃は、ショックを受けていて警察にいわれるがままの調書を作成されたが、自分の車が被害者に衝突したかは、真実「分からない」ということであった。
 

 そのため、実況見分調書や、道路の状況等いろいろと吟味し、警察での取調がいかに杜撰であったかや、警察が主張していて有罪となった事故態様では、客観的状況と矛盾するというようなことを主張したところ、民事では、「無罪」となった。すなわち、被害者の死亡には私の依頼者の行為の関与はなく、「損害賠償義務なし」で勝訴したのである。
 これは刑事裁判での供述にとらわれることなく、客観的状況から認定してくれた裁判官も偉かった。
 

 諦めないで、頑張るとたまにはいいこともあるものである。

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2006年12月10日 (日)

すぐに釈放となったが

 引き続き刑事の話題。
 逮捕後ほどなく嫌疑不十分で釈放された事件を弁護した。犯行時間にはアリバイがあるというので、逮捕されてすぐに私が弁護人となり、私の友人であるA井弁護士と共同受任した。
 2人でアリバイ立証のための資料を次々と検察庁に提出し、速やかな釈放を要求したところ、検察庁もこれを認めてすぐに釈放となった。
 当然、この間は何回も面会に行くし、検察庁とは連絡を取るし、証拠を作るしで、少し後に回しても支障のない仕事は後回しにして勝ち取った結果であり、非常に大きい結果だったと思っている(この結果自体は私の自慢である。)。
 起訴されて無罪を取るよりも、起訴前に釈放となった方が本人のダメージも少ないからである(否認していると保釈が認められにくいから、身柄拘束期間が長くなりがちだからである)。

 ところが、依頼時点では了解してもらっていた報酬であるが、いざ釈放されてみると、「短い期間しか弁護士は働いていないし、拘束されていた間仕事が出来ていない」ということで報酬支払いを渋られた。喉元過ぎればなんとやら…である。
  この結果が取れたのも、弁護士の活動があってこそのことなのだが、いざ釈放されると、「釈放されて当然」というような気持ちにもなるようだ。

 困っている時と、釈放されてから態度を変えられると、弁護士としては本当にげんなりするものである。短い期間で釈放されるということは本人の利益も大きいのであり、そのような短期間で釈放されるからには、弁護士の方の仕事量も相当なものがあり、相当その期間は肉体的も無理をしている。
 そうしたことを説明しても、聞いてくれない依頼者も多いので、依頼者のためにという気持ちはもちろん重要であるが、依頼者は弁護士の気持ちや考えを裏切ることがないとはいえないので、そのような気持ちだけでは保たないことがある。そういう意味で、弁護士は専門家であるという自負心のようなもので仕事をすることも必要なのである。

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2006年12月 8日 (金)

保釈がうまく通ったと思ったら

 刑事裁判では、起訴されたあと、保釈保証金(150万円から高い人だと数億円)を担保として積めば、保釈といって一定の制限の元に身柄拘束を解放されることとなっていて、原則は保釈が認められる規定のされ方であるが、実際の運用では中々保釈が認められないことになっていて困りものである。

誰しも身柄拘束は嫌なものであり、起訴された事実関係について認めていないと、保釈に検察官が同意しないことが多いため、保釈を取るために事実と異なる部分があっても事実を認める被疑者も多数いたことは疑いない。
 最近では、起訴された後、裁判が本格的に始まる前に争点と証拠を絞り込むことで、起訴された事実関係について否認していても保釈が認められるケースが出てきており(ホリエモンの事件などはこれ)、多少運用が変わったかの印象である。

 ただ、世間の耳目を集めないような事件だと保釈が認められないことも多々ある。しかし、世間の耳目を集めておらずとも、被告人本人にとっては自由の身になることは何よりも代え難いものなのである。自由になりたいからいわれのない事実を認めて自白を取ってきたという認識から(もちろん全部の事件ではないが)、日本の刑事裁判は、「人質司法」と言われてきたのである。

 保釈については、いろいろとノウハウがあり、刑事を多数やっている人と話をしていても、割合「エッ。そんなこともしていないの?」ということもある。私の企業秘密なので、ここでは書けないのが残念であるが。

 ある時、被告人の母親から私選弁護と保釈申請を依頼されて、翌日の午前中に拘置所に被告人に面会に行き、昼一番で保釈申請を出して、その日の夕方には保釈許可決定を取ったことがあった。もちろんいろいろとノウハウを使ってのことであるが。
 そうしたところ、これが拘置所内で広まったのか、他の被告人からも、「保釈を依頼したい」としてその家族から電話が入るようになったことがあった。ただし、これらは保釈保証金を準備できそうにないので、引き受けることはなかったが、拘置所内での情報流通の早さに驚いたものである。
 拘置所内では、弁護士の噂がすぐに広まるようである。

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2006年12月 7日 (木)

若い頃の失敗

 勤務弁護士の頃、割合出張が多かった。
 秋田地裁への出張だと、朝5時に起きて、始発のはるかに乗り、8時25分関空発とかの飛行機に乗り、帰りは19時台の飛行機ということで身体が非常に辛かったものである。
 ある時、関空までのはるかを取り忘れていて、自宅近くのJR駅で買い、翌日5時置きで関空に向かった。
 しかし、である。
  秋田行きがいくら探してもないのである。

 そおっとチケットを見ると、何と「伊丹空港」発ではないか。
 チケットを買うときは、伊丹発ということがわかっていたから、はるかのチケットを買っていなかったのである。路線調整などで関空から伊丹に変わっていたのである。
 衝撃を受けつつ、どう考えても関空には秋田行きは間に合いそうにないので、ニコニコ笑っているグランドアテンダントに払い戻しをお願いしつつ、「ここから秋田行きは…」と聞くと、ニコニコ笑いながら、「出ておりません」と言われてしまった。そりゃそーだわな。
 仕方がないのでまたはるかに乗り事務所に戻る。途中事務員に電話して空港を間違えたことを言って、「秋田地裁に今日は延期でお願いして」と依頼。
 しばらくすると携帯が鳴って、「先生、秋田地裁はどうやって来られますかと言っておられますが…。」と事務員。
 行けるわけないやんか…と答えておいてと言って事務所に戻った頃にはもうお昼近かった。ハア。今日は何をしているんやろ…。

 午後からは起案が出来たのでそれはそれで仕事がはかどったのであるが、これからはよくチケットの表示を見ようと心に決めたのであった。

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2006年12月 3日 (日)

かしこがりバ○弁護士

 他の弁護士が書いた書面や主張の誤字脱字とか、表現が少しおかしいところを捉えてこれを見つけて悦にいって、「俺は気づいた」とほくそ笑んでいる弁護士がいる。
 しかし、こうした弁護士はえてして大局的に事件を見ることが出来ず、訴訟とか事件の本質を見極める能力に欠けていたりする。
 また、相手方弁護士で、事件について、「この事件はね…」なんて格好をつけて事件について裁判所で解説をしてくれるのはよいのだが、全く的が外れていたり、証人尋問でも的はずれの尋問をしたりしているにもかかわらず自分では「良い尋問をした」として悦にいっている弁護士がいる。
 さらに、会議では必ず発言するのだが、自分をかしこく見せたいがために、「何か言わないとバカと思われる」と焦っていて、「何かいう」ことがかしこいのだと勘違いしているため、考えもせずに発言して、議論を混乱させるだけの弁護士もいる。
   訴訟の場や会議などで発言する時には、発言するタイミング、その発言をしたことによる後の展開、反論が来た場合の切り返し等十分考えてから発言しないと、恥をかくことになりかねない。経験も必要である。
  私が若い頃、訴訟の場でのボスの発言について、「あの場面でああいう指摘をされたのはどうしてですか」と聞いた時、必ずボスは、「あのときこれこれこうやったから、これこれこういうた方がええと思ったからいうたんや」と必ず自分の発言した理由を解説してくれたものである。
   そのとき「弁護士の発言とは、そこまで考えてするものなのか」と身を引き締めたことを覚えている。
   自分に自信がないため、自信があるように虚栄心でとりあえず発言したり、分かったような顔をしている場合もあれば、本当に自分が出来る弁護士だと思っている場合もある。
 こういう勘違い弁護士は、周囲の弁護士の評価もとてつもなく低いものである。
 こうした弁護士に依頼した依頼者は気の毒である。
 依頼している弁護士が、自分の生きてきた常識と比較して、「この人、なんか違うなぁ」と思った時は、こうした弁護士なのかも知れない。
  私は、こうした弁護士を、「かしこがりバ○」と呼んでいる。

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2006年12月 1日 (金)

占有移転禁止の仮処分

 独立の少し前に、暴力団が占拠している土地の「占有移転禁止の仮処分」をしたことがあった。暴力団の占拠前、依頼者がある男に土地を貸したところ、その男はプレハブを建てたことから契約違反ということで、明渡を求めてボスが調停を出し、その調停で3年間貸した後撤去することとなっていた。
 ところが、その男は賃料も支払わず行方不明になり、その後に、「出ていった男に貸金があるから使わさせてもらう」として(まあ嘘でしょうし、貸金があるからといって、使える理由はどこにもないのですが)どやどやと暴力団が入り込み、産業廃棄物処理の残土置き場にされてしまった。警察に相談してもどうにもならないので、明渡を求めるしかないということになった。
 ところが、ある男との間の調停条項には、「何回以上賃料相当損害金の支払が遅れたら、ただちに明け渡す」という条項がなかった。この条項がないと、原則期限までは明渡を求められないことになる。
 通常入れるのになんで入っていないのかとボスに聞くと、「調停の時なあ、そいつ遅滞したら明け渡すという条項入れるのものすごい嫌がってなあ。調停の席で大げんかになったんや。依頼者がもうええいうたし、しゃあないしまとめるために抜いたんや」とのことであった。
 そういう時こそ弁護士が頑張らないといけないのではないかとも思ったが、これこそがボスワールドなのでぐっとこらえて何も言わず、後は「何とか考えます…」と言ってこれはまあ何とかうまいこと主張して切り抜けた。
 次に、現在暴力団が入っているというのであるが、そのまま現在入っている人物(仮にAとしよう)相手に呑気に訴訟をしたら、判決が出る頃には全く別の人物(仮にBとしよう)が入り込んでいたとすれば、判決はAに対して出るものだから、Bが中に居たら追い出すことが出来ないのである。
 そのため、このように暴力団が占拠している場合には、「占有移転禁止」の仮処分というのを出して、Aは他の人に占有を移してはいけませんよという決定を裁判所に出してもらい、仮にAがBやCに占有を移しても、Aに対する判決でもって明渡が出来るようにするのである。
 いざ仮処分をもらって現地に仮処分執行(裁判所の係りの人に札を貼って貰うのである)に行くと、いるわいるわ明らかに暴力団が。上半身裸で筋肉ムキムキのお兄さんとか、クスリをやっていそうな暴力団らしい人等々。産廃の山々。ひえー。
 仮処分執行には、事務所に入り立てで初々しい頃の私の後輩のF橋K子弁護士も連れて行ったのであるが、初期の頃の仕事としては刺激が強かったのではないかと思いきや、彼女はスーツに産廃の匂いがつくのを嫌がっていて、暴力団は全く気にしていないのであった。うーむ。
 その後、暴力団からの文句の電話も入るのを無視しながら、これは後日訴訟で私が勝訴判決を取り、明渡もさりげなくボスが私にやらせそうになったので、これまたさりげなく「判決まで取ったのですから」とさりげなく置いてきたのであった。
 思い出せば、色々事件をやってきたもんである。

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