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2007年2月27日 (火)

他人をバカにする若者たちという本を読みました

 通勤途中や寝る前に本を読むのが私の趣味の1つであるのだが、「他人をバカにする若者たち」という本を最近読み終えた。これはおもしろい本であるので一読の価値ありである。近々立花隆のマネをして、「最近の読書」をまとめてみようかなとも思っているが、これは特別に項目を立てて書いてみたい。

 読みながら、若者たちを相手に事件をしていることも多い私にとって参考となることが多かった。能力も実績もないのに、「自分は出来る」と思いこみ、他人をバカにすることで自分を優位に立たそうと無意識のうちにしている若者が増えているというのであるが、最近の若者を見ると、確かに、「偉そうに言っているけど、そもそも自分はどうなんや」という若者が多いように思われる。こうした若者は、明らかに自分が悪いにもかかわらず自己を正当化して、謝罪しないし、むしろ自分を悪者扱いする世間がおかしい、バカだという発想をすることにより、自分を守ろうとするというのである。

 どうしてそういう若者が増えていったのかというのはこの本を読んでいただくとして(もちろん筆者の仮説ですが)、この本の中で書かれていない点と補足的に私なりの考えを述べておくと、

1、やれば本当は出来るとか、すごい才能とかがある主人公が目覚めていくようなストーリーの小説やマンガが氾濫しているので、自分は今はやらないけど、やればいつでも出来ると思いこむ。

2、学校の中で順位をつけられることが少なくなってきたため、自分が実は何も出来ないことに気づかないまま大人になる。

 というようなことがあげられようか。法の下の平等とは機会の平等であって結果の平等ではないから、成績をつけること自体は憲法の理念に反していないし、むしろ必要なことだとも思うのであるが、それを避けはじめた頃から世の中がおかしくなったようにも思われる。

 また、自分はすごい能力があると思いこむことは自由であるが、いかに出来ないかを現実で学校の中などでたたき込まれるうちにそうした幻想は消えていっていたのではなかろうかとも思うのである。

 もちろん、中には才能のある若者もいるであろうが、才能というのは単に座していても磨かれないのであって、影のたゆまない努力が必要であるのに、こうした若者は努力せずして結果を得ようとするようである。

 それでは、若いうちはどうであったのかと言われると、この本の中の若者のようであったような気するが、違ったような気もいる。少なくとも司法試験に受かるために、短期間ではあったがそれこそ歯を食いしばって勉強したと思っている。単に私が年がいったせいなのか、あるいは違うのかはよくわからない。
 訴え提起から3年が経過しても請求の趣旨が特定されていないこともある敬愛すべきY田Kオル先生のような終わり方で今日のブログは終わりである。

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2007年2月26日 (月)

離婚と親権

 離婚しようとする夫婦に未成年の子がいる場合、どちらを親権者とするかということも決定しないといけないのであるが、双方が子どもの親権を譲らない場合には深刻な争いとなることが多い。

 子どもからすれば、大半の場合、双方の親が揃っているに越したことはないのであるため、双方の親に気を遣う。親はこれをもって、「私の方になついている」というのであるが、子どもは親が考えるよりも空気を読むのである。

 別居している場合には、子どもと長い間暮らして特段問題がなければそちらの方に親権者を認めることになりやすいように思われる。事実状態の継続が、一つの根拠となるのである。そのため、そうしたことを知っている妻が子どもを連れて家を出たり、夫の方が妻を家から追い出して子どもと暮らしているという事実状態を作りだそうとすることがある。

 離婚事件を見ていると、子どもが成育するのに何がもっともよいかという観点から考えられる親は少ないように見える。離婚後も、子どもと親の血縁関係は切れないので、離婚をするにしても、円満に別れられればそれに越したことはないであろう。年金分割で離婚事件が増えるように予測されているが、熟年離婚では親権者でもめることは少ないであろうか。

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2007年2月25日 (日)

判決の延期

 裁判で判決が延期されることがある。事情はいろいろあるだろうが、裁判所の方が間に合わなくて延期されるということが最も多いと思われる。
 判決が二度延期され、こちらが一部勝訴した先物事件があったが、控訴審で判決が出た後に結局その会社は倒産してしまい、回収が一部しかはかれなかったものもある。
 早くに一審が判決を出してくれてさえいれば、倒産前に回収できた可能性もあるが、判決の遅延を理由として国賠を求めても違法性がないとして棄却されるのがおちだろう。

 こうした判決の延期、遅延は裁判官のパーソナリティーによることもあるが(要するにズボラなのである)、多くは裁判官も忙しすぎるからだと思う。200件を越える事件を抱えて判決を丹念に書こうとしても中々そうはいかないだろう。だからといって、ずさんな判決を書かれても控訴審で覆される可能性が高まり、勝訴しても安心できなくなる。やはりじっくり事件に取り組み、考えた上での丹念な判決を書いてもらいたい。敗訴した当事者にも、「ここまで丹念に書かれては致し方がない」という判決が望まれる。しかし、日々の時間に追われている現状ではそうした判決を書くことは難しいであろうし、どれだけ優秀で事務処理が早い人でも1人の人間の出来ることには限りがあるから、「判決の延期」という事態が出てきてしまうのである。判決の延期は依頼者に理解してもらうのも難しいし、家裁の審判などで、いつ出るのかわからず、2年以上放置された事件もあった(これはどう考えてもその裁判官がズボラであったのだが。後任の裁判官によって見事解決された)。

 司法改革の理念を遂行するためには、何よりもまず裁判官を大増員すべきであろうが、予算がつかないためこれが成し遂げられていないのである。弁護士ばかり増えてもそれを裁く裁判官がいないのでは、事件は停滞する。

 さらに、裁判官ばかりが増えてもだめで、それを支える書記官、事務官も増やさないといけないのである。そうすると執務スペースも増やさないといけない。
 国は本気で司法改革する気はあるのかい?といいたくなるのである。

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2007年2月22日 (木)

友達のいない弁護士

 友達のいない弁護士は危険である。友達の弁護士と食事をしながら(お酒も飲みながら)守秘義務に反しない範囲で事件のことを相談したり、文句をいうことで精神的安定もはかれるし、やり方について意見を聞いたりする中でブラッシュアップされていくという側面があるからである。

 友達のいない弁護士は、弁護士会の会務活動にも出てこず、1人で何をしているか分からないなあ…なんて噂が立ったあとに横領で逮捕されたりということが笑い話ではなくあるのである。

 また、特定の友人とだけつきあうのではなく、体力の続く限り、宴会や会合には顔を出して顔を覚えてもらい、いろんな話を聞くことが大事である。
 時には泥酔した目上の弁護士から絡まれたり、「おいおい、あんたそれってヤバイやん。懲戒やで。」と思う武勇伝を聞かされたりすることもあるが、これはこれで反面教師として役立つところがある。
もちろん酒が入った席で聞いた話が、ぎりぎりの場面で役立ったということも多々あって、ただでノウハウを聞ける場として宴会は非常によいところがある。私も酒の席でノウハウを話する方なのであるが、競争が激化したら若手には教えないでおこうかと思っている(ウソです)。

 自分では出来ているつもりでも、周囲は全く評価してくれてない裸の王様弁護士もいるが、本当の意味での友達やよい先輩がいれば、「お前あかんで」と言ってくれるが、友達のいない弁護士にはそこまで深いつきあいの弁護士はいないので、「あかんで」と言ってくれないがために余計に裸の王様ぶりを発揮して深みにはまるのである。注意をして恨まれると嫌なので、私も遠くから眺めているだけである。

 弁護士という職業は、人生の暗いところばかりを見ることが多いので、明るい性格が大事である。その意味でも、宴会に顔を出し続けていると、何となく明るい性格になるかもわからない。

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2007年2月21日 (水)

60期司法修習生以降の就職

 合格者3000人時代が近づいているが、今後の就職戦線は極めてお寒い状況になるであろう。ほとんどの弁護士はマニュファクチュアなので、突然勤務弁護士を採用しようとしても、1名が限界であるし、そもそも採用のためには、事務所を移転する必要がある事務所も多いことと思われる。

 そうすると、検察官、裁判官への任官についても極めて熾烈な競争が開始されるであろう。検察官と裁判官への任官こそ増員してもらいたいが、予算の関係で増員はあまり見込まれていない。そうすると、3000人の合格者のうち、1000人、2000人の就職浪人が出てきてもおかしくない状況であると個人的には思っている。

 だいたい、日本人は極端から極端に流れる傾向があり、長期的計画を立てることが苦手でもある。司法試験の合格者が500人であった頃から今日の大増員時代に向けての準備期間は極めて短かったのであり、受け入れる側の弁護士の側の体制が不足しているとしても、ある意味やむを得ないだろう。急激に増やしすぎなのである。また、受け入れるとなると事務員も増員しないといけなかったりするので、余計にスペースがないのである(来客室も増やさないといけない)。
 就職できない人が多数出てもよいというのが国民の意思であればそれはやむを得ないが、そうなると世論は弁護士の受入体制を批判することになるかもわからないが、そもそもが無理な計画であったともいえる。

 また、弁護士の仕事は基本的には紛争の解決であるため、紛争がなければよいことには違いないが、紛争がないと飯が食えないという矛盾した論点もはらんでいる。

 企業側も受け入れる体制にないようであるし、せっかく合格しても就職先がなければ、優秀な人材は余計に法曹会に来ないであろう。

 最近若い弁護士を相手をすることがあるが、昔に比べて頼りない人が多くて、「依頼者がかわいそうやなあ…」と思うこともしばしばである(ちろん優秀な人もいますが)。まあこっちに有利になるのでよいという話もあるが。

 どうなんねやろ。

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2007年2月19日 (月)

なしのつぶて弁護士

 訴訟外の交渉で相手方に弁護士がつき、交渉をするが、全く回答が返ってこない弁護士がたまにいる。こちらで、「最終回答でなくとよいので、こちらの依頼者に説明する必要があることから、現在の状況だけでも知らせて欲しい」とファックスをしたりするのだが、全く音沙汰がない。
 電話をしても不在であったりする。

 弁護士が代理人に就任していると相手方本人に直接連絡してはいけなくなるので、こちらとしては弁護士に連絡をするしかない。仕方がないので訴訟を提起すると、「訴訟外で出来た話で訴訟を出されたのは心外だ」とか、「訴訟を出されたことで解決が難しくなった」として怒っていたりする。おいおい。

 弁護士は一定の限度で相手方に対する責任というものもあると思うので、相手方に対する回答を放置するというのはよくないと思っている。既に最終的な回答をしているのにまだしつこく回答を求めてきている場合は別として、引き受けておいて、何も回答しないというのは不誠実である。

 私はこんな弁護士を、「なしのつぶて弁護士」と呼んでいる。

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2007年2月17日 (土)

お気に入りのカバン

 中々気に入ったカバンはないが、最近気に入ったカバンを購入した。
  勤務弁護士の頃、日本に登場したばかりのトゥミを購入して長いこと使用していたが、重いのと少し気に入らないところがあったのと他の弁護士やサラリーマンが使用し始めたので、同じカバンを持っているのが嫌で使わなくなったのである。このカバンは昨年当時修習に来ていたM野君にあげた。使わないのに持っていてももったいないからである。

 その後はラガシャとかハートマンとかいろいろなカバンを使用してきて少し前は「踊る大捜査線」の青島刑事が使用しているのと同じものをそれとは知らずにある程度使っていたのだが、これもテレビのマネと思われるのも嫌でオクラいりとなった。また、割合若いサラリーマンが持っているのをたびたび目撃して、他の人が使っているカバンは嫌なのでオクラ入りとなったのである。

 今使っているカバンはトゥミよりは軽く大容量で、細かいポケットもあり(私は1年に1回使うか使わないかというものもカバンに入っていないと嫌なのである)、完璧とまではいかないけれどかなり気に入っている。しかもトゥミに比べるとかなり安価でもある。
 どこのカバンかはトゥミの時のように他の弁護士も使い出すと嫌なのでここには書かない(私と会ったらまあわかるでしょうけれど…)。
 内緒である。
 それにしても、気に入ったカバンが壊れた時、その型番が消えていることもあるので(ラガシャの新機能主義というシリーズは弁護士に成り立ての頃からかなりの期間使っていてもの凄い気に入っていたのではあるが廃盤となった。そのころ使っていたカバンはぼろぼろで今は使えない)、今使っているカバンの同じ型式をいくつか購入しようかどうか迷っているところである。
 ただ、購入はしたもののあまり使わずに積み上げてある事務所のカバンを見ると不憫なので、中々決断できないのである。
 どうしたものか。

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2007年2月16日 (金)

法律相談

 法律相談は非常に勉強になり力がつく。中には風変わりな方もおられるので、いかにして理解してもらって了解してもらえるか現場で工夫しないといけないので、ある意味尋問のトレーニングにもなると考えている。
勤務弁護士の頃は、次の勤務弁護士が入ってくるまではボスの相談はほとんど行っていた。自分から交代する場合もあったが、たいていはボスが自分の相談のところに既に予定を入れているのを見て、こちらが気をきかせて予定を入れていないでおいて「この相談誰がいくんですか」と聞くと、「はあ~」と言って「ホンマや、いけへんわ~」と言われるのであった。どこまで本気かよくわからないのである。

 ただ、法律相談に行くと勉強になるため、勤務弁護士はボスの分も進んで法律相談に行くべきであろう。それに、何年も弁護士をしていると、次々にやってくる相談者を聞くのも確かに疲れてくるのである。
 私も昔は何とも思わなかったが、喘息の持病が最近発覚した私にとっては、喘息で調子が悪い時の相談は本当につらい。息が出来にくいから当たり前ではあるが…。

 ボスが2人いる事務所で、自分の分と3人分行かされている先生の話を聞いたが、それはさすがに悲惨である。裁判や打ち合わせを入れていけば、起案する暇もないであろう。

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2007年2月15日 (木)

何は何ですよでは分かりません…

 勤務弁護士時代、検察官を辞めた反動で働くのが嫌になった同期のA弁護士が丸太町を歩いて帰ろうとしているのを尻目に夕方から起案していると、ボスがすっと後ろに立って、振り向くと、「中先生、何は何ですよね…」と言い出した。
 「え?」と聞き返すと、「いや、何は何ですよね」と同じ言葉。
 思わず、「何は何ですよね、では何のことか分かりません」と言ってしまうと、ボスは寂しそうに、「いや、なんなんやけど…」といいながら去っていってしまった。

 ある程度弁護士経験をしていると、こうした指示語が多くなるようで、第3の師匠のN村T雄弁護士も、「あのおばさん」が15人くらいいるということである。
ベテランの事務員だと、「何は何ですよね」で、「これですか」「いやそれともこっち」などと記録をさっと出したりするのであるが、私はそこまでの境地に達していないので、思わず、「何は何ですよね」では分からないと言ったのである。
 だってわからないんやもん。

 そうした私も、最近事務員に、「なにやなあ、M川さん…」「あれは何やでM川さん」などと指示語で話しかけている時があり、どきっとするのである。

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2007年2月14日 (水)

離婚と財産分与

 離婚にあたっては、夫婦それぞれが夫婦の財産形成に寄与した割合に応じて財産分与というものがもらえる。扶養的な要素も含むとされている。
 最近は年金分割のことが取りざたされているが、これも基本的にはこの財産分与というものの中で考えられるものである。

 財産分与をするときに、夫婦で築き上げてきた財産が対象となるので、夫が父親から相続した不動産などは対象とならない。

 離婚にあたってけっこうやっかいなのが住宅ローンの取扱である。妻が保証人になっている場合には、この保証から外れておかないと、後日銀行から「夫が支払えなかった住宅ローンを支払って下さい」と連絡が入ったりする。不動産を競売にかけて全額支払えることは稀で、だいたい残債務が残る。そのためだけに破産をすることだってある。銀行との間で、離婚後は夫が支払っていくという約束を夫婦の間でしていても、第三者である銀行を拘束しない。
保証を外すと一言でいうが、銀行はそう簡単には納得してくれない。他の保証人を用意しろと言ったりいろいろとしてくる。

 妻が名義をもらってそのまま住み続けて夫がローンを支払うというような内容で離婚している夫婦もいるが、たいてい夫がローンを支払わなくなり競売にかかって困って法律相談に来たりする。これも銀行を拘束しないことは同様であるから弁護士のところに来てもいかんともしがたい。

 離婚に際して適当な約束を交わす夫はたいてい人物がいい加減なので(真面目な人間なら出来ないような話をほいほい約束しない)、支払わなくなる可能性も格段にあがるし、すぐに次の妻を見つけて「こっちの生活が大事だから」とか言って約束のローン支払いをしなくなったりするのである。

 そうかと思って、妻側がかわいそうだなと思って相談を聞いていたら、しばらくしたら妻側も再婚していたりする。

 話が逸れたが、平成19年4月以降離婚訴訟が増加する時期が来るのではないかということが言われているが、そこでも財産分与は大きい問題となることであろう。

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2007年2月12日 (月)

上に立つ人間が痛みを伴わなければ誰もついて来ないだろう

 就職にあぶれる人が60期、新60期から500名程度は出るという予測を日弁連がしている。
 これに対し、日弁連からは採用を呼びかける要請が各地の弁護士会にされている状況である。このまま過ぎていけば、61期以降はとてつもない人数の就職浪人が出てくることだろう。

 しかし、こうした状態もある意味やむを得ないところがある。司法改革を導入する過程で合格者3000人や裁判員制度、被疑者国選が導入されていくいことが決まったが、国民に司法制度を身近なものとし、被疑者にも国選弁護人をというその目的自体には誰も異論がないところだろう。司法過疎の解消も目的には異論がない。
しかし、問題は、その改革の担い手を、日弁連などの上層部は、大半が、「自分では何もしない」が、それを基本的に若手の責任に押しつけたところにある。
 司法改革のために、若手にどんどん過疎地域に行くように宣伝し、被疑者国選のための制度設計をするようにやっきとなり、大量の合格者を採用するよう要請しているが、若手や中堅は、「今まで儲けてきて生活に不安がないあなた方はいいよね」という気持ちを持っていると思うのである。これは人間である以上、やむを得ないと私は思う。こうした気持ちを責めることは許されるものではないだろう。
 自分が危険性のない地帯に身を置きながら、危険性のある地帯に、「それが職務だ」「国のためだ」「弁護士会のためだ」と言って若手に危険性を背負わせるその姿は、戦時中の日本軍を彷彿とさせるものがある。

 弁護士とて人間であり、生活がかかっているのであるから、その点の配慮がなければ上層部のいうようにはしていかないであろう。また、上層部が自分たちは多数の顧問料や多くの顧客からの収入で生活に全く心配のない安全地帯に身を置き、「若手がやるべき」としている限り、こうした状態が打破出来るとは考えられない。

 よく、ベテランの先生が、「儲けようと思ったらあかん」とか、「これから弁護士の年収が下がることは仕方がない」という話もされているし、「弁護士という責任ある職業についたからには、そうした痛みを伴わないといけない」ということも言われるが、そうしたベテランの先生達の発言の根底にあるのは、「自分は関係ない」というスタンスなのである。ベテランの弁護士達が、私財を投げ打って改革にいそしむとか、収入が半減以下になっても新人を採用するとか、日弁連の会長が終わった暁には3年間過疎事務所の弁護士をやるとか、そうした上層部やベテランが、「俺たちも痛みを共有している。だから若手も頑張ろう」という姿勢を見せない限り若手がついていくことはないだろう。
 そうした姿を見れば、あれだけベテランの先生方が痛みを共有してくれるのであれば、自分たちも「よし頑張ろう」となってくるだろう。
 今の日弁連は、人間審理にあまりにも無頓着なように思えてならない。

 私の知っている何名かの弁護士は、既に60歳を越えてもバリバリと働いて、「あの先生がこんな苦しい事件をやっているのだから自分もやらないといけない」という気持ちにさせられる。その一方で、過疎解消過疎解消といいながら、過疎地の法律相談の担当をされていないベテランの先生もおられる。どちらに人望が集まろうかは自明のことである。

 私も、法曹人口問題を考える会の代表をしている関係から、ホームページやブログで少しでも情報発信をしようと心がけているし、仕事の忙しさや体調のことももちろんあったが、60期から採用することとしたのである。
人口問題を考えるといいながら、自分は1人で経営して、「知りません」というのは逃げのように思えたからでもある。

 そうした発想で、日弁連も、ベテランがこれだけ痛みを伴って頑張りますというような姿勢を見せないと、中々今後の展開は難しいだろう。

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2007年2月 9日 (金)

我が第3の師匠N村T雄弁護士

 私の第3の師匠はN村T雄弁護士である。法人の民事再生を一緒にやってもらい、見事再生計画が認可された。そのほかにも一緒に事件をやったこともある。その後私も監督委員を裁判所から任命されるなど、このときの再生の経験が役立っている。

 N村T雄弁護士の弁護士としてすごいところは「筋読み力」と、「依頼者中心主義」である。依頼者の利益を第1に考える姿勢は大変勉強させられたし、事件の筋読みの力はすごく、パートナーで私の大親友のY田S司弁護士に聞いても、「N村先生が筋を読み違えたのは見たことがない」と言っている。私のボス弁は、時々…であったが。

 そのため、依頼者から慕われる一方、依頼者のことを考えるあまり依頼者を叱りつけることもしばしばであり、依頼者は費用を支払って叱られ続けるのである。しかし、N村T雄は絶妙なタイミングで、怒っていたかと思うと突然笑いだし、最後に依頼者にニッコリ笑うと、依頼者はこれで参ってしまうようである。ただし、絶対に他の人は真似しないように。

 酒好きで、私とも2人ででも飲みに行く。同じ事務所のH尾Y晃弁護士は結婚するまでは、晩ご飯代がほとんどかかったことがなかったそうである。賄い付勤務弁護士。いいなあ。酔っぱらった席で、いろいろ弁護士の心構えを教えてもらったし、今も教えてもらっている。もちろん議論するときもあるが。

 酒が入ると周囲が気心が知れないメンバーだとたいへんおもしろい(はっきりいってムチャクチャである)。座敷が好きで、すぐに靴下を脱ぐ。酔っぱらって人のカバンを持ち帰ったこともある。

 親友のY田弁護士と私が飲んでいるところへ電話がかかってきて(もちろんN村T雄は別のところで飲んで自宅に帰るところであったのだが)、「Y田君、僕のカバン知らんか~。タクシー降りたらないんや…」などと電話してきたりしたこともあった。

 チャドクガという蛾が大量発生した年、私とN村先生は弁護士会の常議員会の議長と副議長をしていたのであったが、2人とも揃ってなぜかこのチャドクガの幼虫に刺され(近づいただけで、針を数千本も飛ばすという生物兵器のような蛾なのである)、2人で痒がっていたが、弁護士会の中でチャドクガの話題は我々2人だけなのであった。一度皆さんも刺されてみてください。夏の間中痒いから。

 N村先生には次年度頑張っていただきたいものである(何で頑張るかは秘密である)。私も早く身体を完全に戻そう。

 最近の若手弁護士を見ていると、何となく仕事でアップアップで、多少仕事以外で年配弁護士のようなめちゃくちゃなところがあってもいいのになあ、と思うこのごろである。私もおじさんか。

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2007年2月 8日 (木)

来なかった事務員

 事務員の採用を決めていたのだが、雇用契約締結の日に来なかった。
 自宅に電話するも、母親が出て「熱が出て病院に行っています」とのことで悪びれた様子もない。
  普通は、「今日が契約の日です」といわれれば母親は焦って「ひえ~。申し訳ありません。すぐに連絡を取って連絡させます…」などとなるはずである。
 これは「故意」に来なかった疑いが非常に強い。母親に「熱が出て病院に行っていることにでもしといて」という可能性が高いのである。

 しかもその後数日経過するのに謝罪の電話すらない。
  何らかの事情でこちらの採用を断るなら断るで、電話をしてきて「やっぱりお断りしたい」と一言いえば済む話である。採用を決めてからある程度(1週間以上)の時間はあったのだ。
 まあこのような人は来てくれなくてある意味良かったのだが、テレビを見ていると「売り手市場」らしいので、こんな失礼な真似が出来る人間も出てくるのかもわからない。損害賠償したろか、ホンマに(ウソです)。

 面接の日は風邪を引いていたので、人を見る目も鈍っていたか。今も風邪がしつこく残っているのであるが。
  その間、こちらで決定したことで断りをいれた人材に慌てて電話をするも、いい人は次々と決まっていたのだった。

 がお~。

 というわけで、昨日からハローワークで募集中である。ただ、ハローワークだとあまりに採用希望の電話が多く、相当書類選考で落とさないといけないだろう。

 事務員問題で悩む事務所は多いが、全く悩みがない事務所もある。しかし、今回のは本当にひどい話である。

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2007年2月 7日 (水)

離婚と慰謝料

 離婚の相談に入ると、「夫が不倫しているので、慰謝料請求をしたい。最低1000万円から2000万円は欲しい」などという話を良くいわれる。
 テレビなどで、タレントなどが「巨額の慰謝料を支払って離婚」などという報道を見聞きしているためであろうか。

 しかし、まずもって、慰謝料で500万円も支払ってもらえる事件は希である。相当ひどいことをしていても中々500万円にまでいかない。日本の裁判官はそもそも慰謝料に対しては厳しい傾向にある(交通事故などでも、厳しいなと思う)。
そうしたことを話をして、金額的に仕方がないことを理解してもらっても、次に待っているのは、夫の側の支払能力である。仮に300万円で判決を取っても、夫に資産がなければただの紙切れだからだ。
 えてして、こうした相談の夫は、「無職で、借金だらけなんです」ということであったりする。妻側は、「判決が出て支払わないと、刑務所に入らないとだめなんでしょ」と聞いてきたりもするが、民事上の支払義務を履行しないからといって、刑務所に入れられることはない(それが詐欺や横領に当たる場合は別であるが)。

 こうして慰謝料については、ため息をついてしまうことが多いのである。

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2007年2月 5日 (月)

離婚と婚姻費用分担(わかりやすく言えば生活費の支払要求)

 別居している夫が全然生活費を入れてくれない…。
 このような場合には、家庭裁判所に「婚姻費用分担調整調停」というものを申し立てることが出来、夫が話し合いに応じてくれなければ審判を書いてもらえる。もちろん、審判がでても夫にお金がなければどうしようもないが、サラリーマンなどであれば給与を差し押さえることも出来るので、有効な手だてになることが多い。

 家裁で使用されている一覧表が基準になることが多く、それぞれの税引き前の年収と子どもの数と年齢を入れればだいたいの範囲が出るようになっている。
 こうした事件をする際には、私も該当する表をコピーして記録に挟んである。

 感想的にいえば、これだけの収入でこれだけ毎月生活費を支払うと、夫側はきついだろうなというほどの金額になっている。もちろん、ここでは夫を前提に書いたが、妻からお金を貰う場合もあり得る。
 そのせいか、双方に弁護士がついていると、話し合いによって解決する率が高いような感想である。審判を取られるよりは若干安い目に調停で合意がついているような印象がある。支払ってもらう側からしても、不承不承ながらでも話し合いで合意がついた方が支払ってもらえる確率も高まるという期待もある。
中には、「調停委員の説明の仕方が悪かったのではないのか?」というくらい弁護士がついた瞬間に話し合いでまとまることもある。

 ただ、DV夫が相手のような場合には、妻側がうちひしがれていて、「あの人と離婚出来るだけでいい」と言ってお金は二の次となっていることが多いような印象である。

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2007年2月 1日 (木)

花巻温泉のタクシー運転手さん

 勤務弁護士の頃、青森地裁宮古支部というところに事件があった。宮古というのは、太平洋に面しているところであり、行き方としては、花巻空港からバスか電車という行き方がある。
 午後からの尋問であったが、当日現地入りすると電車でもバスでも、タクシーを借りても間に合わないことが分かり、前日花巻温泉で一泊して、朝からタクシーを1日貸し切りにして宮古支部まで行くことにした。というのも、尋問が終わってからバスや電車で花巻に向かうと、帰りの飛行機に時間にどのようにしても間に合わないからであった。

 前日は花巻温泉に宿泊するが、女子高生の修学旅行とぶちあたってしまい、温泉には、8時まで入れないとのこと。男子浴場も女子浴場も女子高生が入っているので、時間制限がかけられていたのである。旅館の中はどこもかしこも女子高生である。
 仕方がないので、部屋で20歳の食事係(若い!)に給仕をしてもらって先に食事をして、女子高生達が出た後の温泉に入ると、中では男子教師達が生徒の話題。生徒に関してここでは書けないようなことも風呂でげらげら言っているのを尻目にさっさと寝る(エロ教師である)。

 翌日はその温泉のホテル専属の運転手さんが乗務するタクシーで宮古支部へ。裁判前に宮古のおいしい魚介類が出されるというご飯屋に案内してもらった。確かに大変うまい。さすが海のそば。私はこちら持ちで一緒に食べようとしたが、それは禁止らしいので1人で食べる。

 いざ尋問。私はタクシーの運転手さんに、「しばらく終わらないから、どこかで時間を潰してくれていいですよ」と言ったが、これも規定で、常に出発出来る体制で待っていないといけないらしく、「食事をしたらすぐに戻ります」とのこと。うーむストイックだ。

 ところが、16時15分までと時間を決められていた尋問が、相手の弁護士が制限時間を守らないために全然終了しない。私の方は制限時間に数分開けて終了しているにもかかわらず、である。裁判官も止めない。途中で文句を言って、16時55分にやっと尋問終了したら裁判官が、「今から和解の話をしませんか」というのであった。
 しかし、事前にタクシーの運転手さんからは、遅くとも16時30分には裁判所を出ないと、飛行機の時間に間に合わないと言われていたのであった。既に20分も過ぎている。
 翌日は土曜日であったが、法人の民事再生の打ち合わせをN村T雄弁護士と入れていて、絶対に帰京しないといけない。

 私は、「飛行機の時間があるので、電話会議で和解にしてください」と言って期日を決めて(またこの期日を決めるのに相手の弁護士がとろかったのである)、裁判所を飛び出した。既に時間は17時。30分も遅れている。

 運転手さんに、「遅れましてすいません。相手の弁護士がなかなか終わらなくて。間に合いますか」と聞くと、運転手さんは、「普通だったら間に合いませんが、頑張ってみましょう」とのこと。それから可能な限り飛ばして貰い、前に遅い車がいたら反対車線から追い越してくれたりして、急ぎに急いで空港へ。

 途中、道が混んでいて、「やっぱりだめかもしれません」と言われた際に、「お客さん、今夜の宿ありますか」と運転手さん。
 もちろん私は宿なんて取っているはずがない。そういうと、「念のため、だめかも知れない時に備えて、温泉の宿押さえておきます。間に合ったら、無料キャンセルでいいんで。」と言って無線で仮予約をしてくれた。彼は宿の専属であるから、間に合わなければ宿が儲かる訳であるが、そんなことは微塵も感じさせない真摯な態度で道を急いでくれたのであった。自分の利益と客の利益を比較した時に、客の利益を優先させて道を急ぐその姿に、「プロだなあ」と私は感銘を受けたのである。

 そうこうしているうちに、空港が近くなってきた。そのとき、その運転手さんは、「お客さん、失礼ですけど、タバコ吸ってもいいですか。どうやら間に合うんで」と言ったのである。
 私も当時タバコを吸っていたし、「どうぞどうぞ」というと、彼はさもうまそうにたばこを一本吸ったのであった。彼は気を張り詰めて運転してくれていたのだ。

 そして空港に。3分前であった。領収書を切ってもらう時間ももったいないので、礼を言ってお金を払い、後日送ってもらうこととして空港へ駆け込む。こうして、何とか間に合ったのであった。後日、領収書が郵送で送られてきたことはいうまでもないし、私も彼の態度に感じ入ったので御礼のお菓子を送ったのであった。

 この運転手さんの姿勢から、弁護士も学び取ることが何かあると思う。職人気質というのは、こういうものではないかと思うのである。

 なお、翌日の民事再生の打ち合わせは、京都に帰ってみると、会社の代表取締役2名(2人ともお爺さんで、実のきょうだい)が「都合が悪い」としてキャンセルされていたのであった…。ハア。

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