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2007年3月28日 (水)

早く処理をするためのヒント最終編

 最近これを書いた当時に加えて意識していることというか、していることは

1、昼休み以外でも短時間睡眠が取れるときは取る。体力保持のためである。その方が作業効率が上がる。

2、移動時間は、雑誌を読んだり文庫本を読んでいるが、読んでいないときは寝るか悩んでいる事件の構想を練る。メモにちょこちょこっと書いておけば書面を書き出す時助けになる。仕事時間中は移動時間でも事件のことを考えて、プライベートな時間では出来るだけ考えないように(全く考えないのは無理なのであるが)している。

3、翌日すること(できそうなこと)を手帳に書いておく。やらなければならないことのうち、翌日の予定を見て、隙間時間に出来そうなことを1日単位で書き出しておく。
 また書く機会もあるだろうが、私は手帳を二冊持っていて、1冊の手帳は時系列で書き込むことが出来るので、隙間時間がわかるようになっている。2度手間だという考えもあるが、時間を整理するために使用している。前日の夜か、通勤の際に見て、隙間時間と出来そうなことを考えておくのである。

4、隙間時間にはその隙間時間でやれることをやる。たとえば簡単なファックス文書やメールの返事などである。

5、割合暇な時期に判例調査や文献調査など普段中々腰を据えて出来ないことをやる。

 くらいであろうか。どのような本にも書いてあるようなことであるが、これから実務家になる人には少し参考になるのではないだろうか。

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早く処理をするためのヒント(中編)

 後半とするつもりであったが、最近は最近でいろいろしていることもあるのでそれを最終編として、中編とする。

9、日常的な楽しみを見つける
  期間目標を達成した以外に、日常的に、完全に、普段の生活を忘れるものを作っておくことも有意義である。
  私の場合はサッカー、釣り、漫画やゲーム、読書などである。
  それをしているときは、すべて忘れるというものを日常的に作ることで、メリハリがつく
  もちろん度合いの問題はあるが。楽しみばかり見つけていてはいけない

10、試験や重大な局面のときは、プレッシャーを受けて当然であるが、周囲を呑んでかかることも大事である
  そうした局面のときは、プレッシャーを感じない人はいない。
  みんな同じ条件であり、人はそれほど変わるものではない
  私は、これまでの試験のときは、周囲の人間がすべてジャガイモであると思っていたし、現在では、相手の弁護士が優秀そうでも、人間である以上、中身はそうたいして変わるはずがないとたかをくくっている。
  根拠のない自信は危険ではあるが。

11、試験や重大な局面のときは、最後の最後まで気を抜かない(そうすることで結果的に時間短縮となる)。
  試験の際、途中で席を立つことは極力さけた方が良い。
  最後の1秒まで中身を見直すことである。出来る範囲で、最善を尽くすべきである。思わず誤字・脱字を見つけることがある。
  準備書面などは、今は大量に書く必要があるので、あまり見直せていないこともあるが、時間が許す範囲で、ベストを尽くすべきである。
  それでも見落としは出る。人間なので。

12、良く寝る
  普段良く寝ることである。
  睡眠不足では、集中は出来ない。

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2007年3月26日 (月)

早くするためのヒント(前編)

 だいぶ前に頼まれて書いたものであるが、その方も今では非常に立派に仕事をこなされているので、その方用に書いたのであるが、もうその方には必要がないかと考えて公開することにした。
 私は仕事はある程度の速度でやっている自信がある。もちろん人間であるから時にはミスもするが、何らかのヒントにはなるはずである。

1、まず計画を立てる
  自分が処理することに対して必要な情報を集め、求める結果に対して、何をすれば良いのかを分析し、計画を立てる。
  その計画は、無理のないものにする。
  そして、計画自体、フレキシブルなものにする。
  病気、急な用事などが入るので、ある程度幅は持たせる。
  期間目標を立てることも大事である。
2、計画を立て、文書化する
  計画を立てたら、これを紙に書く。
  また、期間目標を達成するために、翌日に何をするかを紙に書き、翌日達成できたら、消していく。
3、計画を文書化したら、計画内容は忘れる
  計画は、紙に書いてあるのであるから、すべて頭から消してしまう
  弁護士であれば、あれをしないとこれをしないとと考えている間に、書面が一つ書ける。私は、計画を立てて、文書化したら、計画自体すべて忘れて、紙を見て確認する。
  頭の中で、計画を覚えておくという作業を消すことで、目の前の問題に集中して取り組める。
4、前倒しにする
  計画は無理なく立てても、それをクリアーすることは前倒しとする。
  計画目標は、早め、早めにする。
  そうすれば、途中でやる気のないときが来ても、以前の貯金で、あとから困ることがない
5、メリハリをつける
  やるときはやり、休むときは休む。
  自分が目標、計画しているものがある程度めどが立てば、途中でさぼるというか、遊ぶことも大切。
  特に、長い期間でやらなければ結果が出ないようなものに対して取り組む場合、期間目標が達成できたら、自分に褒美を与えることも大事であり、私がカラオケなどで遊ぶとき、すべてを忘れるのは、そうした方が後日の仕事にいい影響を与えるからである。
  自分にも飴と鞭を与えることで、作業能率は飛躍的に上がるものである。
6、予定は手帳に書いて、忘れる
  やらねばならないことの他に、予定は人間である以上入るものである。
  これも、手帳に全て記載し、必要な予定は手帳を見れば良いとすることで、頭から消すことで、脳の余裕空間が空き、能率が上がる。
7、繰り返す
  覚える必要がある際には、繰り返す。
  記憶力には個人差があるが、一般的には、人間の脳というのは、一度じっくりと見た場合と、繰り返し短時間見た場合とでは、後者の方が記憶にとどまるように出来ている(そうした実験結果もある)。
  記憶する必要がある作業については、1年間ある分野を分散して一度するよりは、繰り返してする方が頭に残ると言える。
8、作業能率が下がってきたら、休憩する
  人間の集中力は、数時間しか持たないものである。
  人によって差はあるが、集中力が下がってきた場合、だらだらとするよりは、適度に休憩を入れる方がリフレッシュする。
  毎日夜中までしている弁護士の中には、適度に休憩をとらず、いつまでも机から離れられない人たちもいるようである(渉外事務所は知らないので一般の弁護士のこと)。
  コーヒーを飲む、雑談をする、短時間の息抜きで、作業能率は上がるものである。

 後半へ続く。

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2007年3月25日 (日)

パチスロ攻略法詐欺

 詐欺には何パターンかその手法がある。随分前に古今東西の詐欺の類型を集めたという本を買ってきたが、未だに読めていないが、実際に事件をしている中でそのように感じる。
 その一つの類型として、「騙されている当の本人だけがその手法により利益を得られる」が、「知らない人は利益を得られない」として、「利益を得るために正当な投資や代金を支払う必要がある」が、「その支払うお金よりもを知ることにより得られる利益の方が莫大となる」と信じさせるというものがあるだろう。
 配当率が高いとして預かり金を集めて最後にドロンしてしまう手法もこれだし、パチンコやパチスロの攻略法もこれにあたる。冷静な判断をすれば、そのような方法を知っているのだったら、自分たちだけがその方法により利益を稼げばいいのであって、他人に教える必要はないはずであろうということになるのだが、利得に目がくらむとそのあたり冷静な判断が出来なくなるようである。
 
 パチスロやパチンコの攻略法は、雑誌に載っているようで、実際にその攻略法に何万円、時には何十万円を出してその情報を買ったとしても、全く役に立たず、返金を求めようとして交渉しているうちに相手の業者がドロンしてしまうというパターンを経る。
 競馬の攻略法でも同じである。

 基本的には詐欺なので、こうした情報提供契約を詐欺で取り消すか、消費者契約法の不実告知ということで契約を取り消せると考えるが、契約を取り消したとしても、相手からお金を回収するのは中々難しい。任意で支払わないだろうし、訴訟を出した頃には実体がなくなっているであろうからである。
 少し前に、パチスロ攻略法で騙された人の依頼を受けて交渉したが相手が無視していたので、頭に来たので相手の支払先の口座を仮差押してやった。被害金額は7万円であったが、慰謝料と弁護士費用を上乗せして50万円近い数字で仮差押したところ、裁判所が満額の仮差押を認めてくれ、仮差押後交渉をして実際の被害金額よりも数十万円大きい金額を支払わせて和解をしたこともあった。ある意味、詐欺師の上前をはねたのである。

 こうした事件は、多くの弁護士は費用との兼ね合いで引き受けないし、私も体が一つであるから多くは引き受けられない(ちなみに、7万円の回収で最初にもらった費用は1万円であった)。被疑者国選対応も大事であるが、こうした小さいが被害救済が重要な民事事件を地道にやるということも大事であって、他の人がやらないこうした消費者被害事件もやり、被疑者国選もやれということになると、正直体が保たないだろうと思う。こうした事件は皆でシェアしていかないといけないのである。
 
 蛇足ではあるが、このようなことを書くと、「まだまだ弁護士の数が足りないからである」と指摘されそうであるが、弁護士は自由業で、生活が保障されている訳ではないから、職業として成り立つためには最低限の収入がやはり必要であって、単に増やせ増やせだけでは、よけいにこうした小さい事件や被疑者国選は受け手がいなくなるであろうし、依頼者から費用をぼったくる消費者被害を生む弁護士も今以上に出てくるであろう。個々人の弁護士の個人的頑張りや倫理観にそれを委ねるのは限界がある。
 医師は増えているのに、小児科の医師や産婦人科が足りない(医療過誤で責められたり、勤務体制が辛い分野)現象と比較すれば(今までは国が支援することなく、個々人の医師の倫理観に委ねていたのである)、このことがよくわかるだろう。

 解決策としては、被疑者国選や国選の費用を相当増額するという予算的措置を設けることと、人員が足りなすぎる検察官・裁判官の大増員であるが、政府は予算をこうしたところにつけないのである。

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2007年3月22日 (木)

一つの嘘から…

 依頼事件について、遅々として進まない時がある。難しい事件だったり、資料の収集に時間が必要であったり理由はいろいろである。もちろん弁護士自身がずぼらな時もある。依頼事件についてその処理を遅延していて、度合いが過ぎれば懲戒事由ともなる。
 

 私は時々依頼事件を整理して、事件ごとにするべきことを書き出すようにしている。人間であるから忘れることもあるからである。時間がかかっている事件は、依頼者に今こういう状態で時間がかかっていると説明文書を送るようにしている。依頼者はみな情報に飢えていると思うからである。誰だって自分の事件は早くして欲しい。

 ところが、事件が遅々として進まない弁護士の中には、つい嘘をついてしまう場合があるようで、依頼者からの問い合わせに、「もう裁判を出しました」とか言ってしまうのである。自分でも遅れていることは認識しているが故の嘘である。そして、この嘘をカバーするために、頑張って訴状を書き上げたらよいのであるが、こうした弁護士は訴状を書き上げることなく時間を費やすのである。話をしてみると、事件数は私の半分以下であったりするのだが、なぜかそうなるのである。

 そして、次に出してもいない事件について依頼者から問い合わせがあったりすると、「もうすぐ判決です」とか嘘を前提の回答をしなければならないはめになる。こうならないためには、出していない場合にはとにかく謝ることであろう。ただ、特段の理由なく中々裁判を出してくれなかったりする弁護士に依頼を続けてくれるかどうかも問題があるが、とにかく謝罪して、仕事の優先順位を決めてなによりも遅延している事件をやりあげてしまうことであろう。

 依頼者の方からしたら、裁判を出しているなら当然訴状の写しがあるであろうから、それを送ってくれと言えば出したかどうかはすぐ分かる。私は基本的にこちらが出したものはよほど膨大な記録でない限り控えを送るようにしている。

 ただし、人間である以上ミスは起こるものであるから時々事件について記録を検討してやらなければならないことが漏れていないかチェックすることは必要であろう。

 なお、時々、相手に財産がない限り判決を取っただけではどうにもならないと契約書にまで記載して説明し、判決が出た後にも「相手に財産がない限り強制的に回収は出来ない。こちらで調査した範囲では財産はないので、もし回収すべき財産があれば連絡下さい」とまで連絡していたにもかかわらず、判決が出てしばらくしてから、「先生、回収そろそろ全部出来ましたか。遅いのと違いますか。回収できひんのやったら、先生頼んだ意味がないし、先生を訴えますよ。」などと言ってくる人もいて、こちらは全ての義務を果たして仕事をしているのに、あたかも弁護士の責任のように言ってくる人には驚かされる。

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2007年3月21日 (水)

星との距離

 冬の夜空は夏に比べて空気が澄んでいるので、星が見えやすい。最近はしていないが、前は庭で葉巻を吸いながらオリオン座やカシオペア座、北斗七星などを探して眺めていたものである。今も仕事から帰る自転車で星をみながら帰ることがある。去年だったか星座の本を買ってきて、夏の星座も少し勉強した。

 星を見ながら不思議に思うのであるが、星との距離は光年で表されるほど遠いものである。光が1年に進む距離を光年(こうねん)というのだが、光は1秒間に地球を7周半するほどの速度で進むので、光が一年間に進む距離は膨大なものとなる。ざっと1光年というのは、約10兆キロメートルにもなるのである。

 そうすると、1光年離れている星が放った光は1年後に地球に到達するので、今私が見ている星の光は、1年前の星の姿ということになる。ちょっと考えられないような距離である。ちなみに、太陽の光は地球に8分程度で到達するということである。

 そして、たいていの星は、地球から数千光年離れているということなので、我々が見ている星の光は数千年前のものということになる。

 オリオン座大星雲で約1600光年離れているので、オリオン座大星雲の今見ている光は、今から1600年前に星を出た光ということとなる。1600年前というと、平安時代くらいであろうか。人間の一生と比べて、宇宙の営みのなんというスケールと時間のゆったりしたことなのかと感慨にひたったりする。自分の存在が、いかにちっぽけなものかということも実感する。

 引き受けている事件も弁護士側からすれど細かいことで話し合いがまとまらなかったりすることがあるが(当人たちにとっては一生の重大事なのだが)、そうした時、こうした宇宙的規模の発想で何とかまとまらないかなどと考えてみたりするのである(まあそんなこと依頼者に言っても怒られるので心の中だけで思っているのだけなのあるが)。

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2007年3月19日 (月)

ややこしい相手方が相手の事件

 暴力団やエセ同和、ヤミ金融などその他のややこしい相手が事件の相手方の場合、ある程度ベテランの弁護士でも腰が引けて引き受けなかったりする。ヤミ金から怒鳴られたりするのがいやで、多忙などを理由に引き受けることを断ったり、依頼者の意向を無視して相手方には一切連絡せず刑事告訴することばかりに夢中になっている弁護士もいる。
 こうした弁護士は、事件に対して腰が引けているのである。

 私ながらに、こうした相手方を相手にするとき何が大事かを考えてみると、
 ①腰が引けることはあってはならない。相手をしてやるぞという姿勢。逃げない気構え。腹をくくるということである。私は過去にややこしい相手方からの電話を毎日30分~1時間聞いていたこともある。
 ②原理原則に基づいた主張を動かさない、不当な要求に屈しない。一部でも屈したら、こうした相手方は更なる譲歩や不当な要求をしてくるからである。
 ということになるであろうか。
 もちろんこうした対応をするにはこちらも元気でないと出来ない。弁護士にとって健康が大事な証拠である。

 自由と正義という日弁連が出している本があるが、その中でややこしい相手方に対する対処法というものを書かれていたベテランの先生が2人いて、若い頃に感銘を受けたので私の机の上にはこの2冊だけは捨てずに置いてある。

 一つはややこしい相手から電話がかかってきたら逆に説法をしたり、歌を歌ってやるというものであった。これは本気で相手をしないという気軽さが必要であるという教訓であろうか。
 もう一つは自分がこうした相手方に屈することは日本の弁護士が屈することであるとして、自分が日本の弁護士の代表であるという気概をもって事に当たれという記事であったと思う。どちらも①と②に通ずるものがあるだろう。

 若い弁護士が、ヤミ金などの事件を多忙を理由にして断ったり、ややこしい相手から苦しめられている依頼者の事件を処理の困難性だけを理由に依頼を引き受けなかったケースがたまに見受けられて、そうしたケースはそろそろ中堅にさしかかってきた私に弁護士会経由でお鉢が回ってきたりするのである。ただ、こうした事件は手間がかかったりするので、私もそうそうたくさんは受けられない。

 若手を含めて、こうした事件が来たら逃げる弁護士は、もっと気概をもって事件解決にあたって欲しいものである。弁護士が引き受けてあげないと、誰も味方になってくれない事件が大半であり、諸悪がはびこる原因となるからである。

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1人旅行記

  勤務弁護士の頃、あまりに仕事が忙しく、夏休みが取れなかったので、学生時代は金がなくて出来なくてあこがれていた1人旅行をすることにした。事務所にも行く先を告げず、家族にだけ行き先を告げて行ったのである。

 憧れていた芦ノ湖でニジマス釣りをして、その後箱根の温泉で湯治をして帰ってこようというプランを立てた。その頃は本当に仕事が忙しくて心身を癒すつもりであった。
 芦ノ湖に2泊してニジマスを狙う。しかし、足下までは追ってくるが、食いつかない。結局2日間釣って坊主であった。芦ノ湖湖畔のロープウェイに上って富士山を見たり、いろいろと観光もするが、1人旅行というのは暇である。本も持参していたが、そうそう本ばかりも読んでいられない。

 憧れの芦ノ湖のニジマスを諦めて温泉宿に向かおうとした私の横で、どぼどぼとニジマスの成魚が放流され、その真横で東京モンと思われる釣り人達が次々と釣り上げていたのであった。放流日が決まっていたのである。
 ただ、これだとある意味釣り堀だと代わりがないので、やはり放流後少し経って少し野生化したニジマスを釣り上げる方が本筋であろうと考えて(決して負け惜しみではない)芦ノ湖を後にする。渓流や湖のルアーでは、滋賀県の渓流で30センチメートルほどのアマゴを釣った以外、いい目をしたことがない。そういえば、ブラックバスもあまりいい目をしたことがない(最高は25㎝くらいのバスである)。北海道でも支笏湖で全く釣れなかった。

 次は温泉である。明治の文豪がしていたような湯治を夢見て温泉へ。割合人がおらず、湯自体はいい湯であった。
 しかし。食事はレストランで他の人はみなアベックであった。うーむ。箱根は東京から近いこともあって、私からしたら遠い温泉郷であるが、東京からすればアベックの宿だったのである。大失敗である。
 アベックだらけのレストランで1人でしかも入り口のところに座らされて食べる食事は苦痛である。
 最近お一人様といって1人で食事を食べたりするのが流行っているらしいが私は昼ご飯を食べるにも1人でいける店が決まっているほど1人で飯を食べるのは苦手な男であるから、これは大変苦痛であった。夜ご飯はとても1人ではいけないし、誰かと行くとしても店が完全にいくつかに決まっている男にこの仕打ちはつらかった(仲間内では私の夜の生息範囲は河原町竹屋町から川端三条を少し下がるくらいであることは周知の事実である)。
 もう1人、それなりの年齢の男性が1人で寂しく飯を食べているが、どうもこちらは女性に振られて1人のような感じである(食事が2人分出ていたからである)。あのオジさんよりはましかと思うが、料理の味も分からず、早々に風呂に入って寝る。
  結局、1人でレストランで飯を食べるつらさもあったし、1人旅行は暇で暇で寂しいものだということがわかり、二度と1人旅行はしないと心に決めて、1日旅程を早めて帰途についたのであった。もう約9年くらい前の出来事であるが、それから1人旅行はしていない。

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2007年3月16日 (金)

弁護士は現場に行け

 勤務弁護士時代に、ボスから教わった数少ない言葉の1つである。ボスはあまりああしろこうしろと言わない人であるので、あまりこうしたことを言わないのであるが、弁護士になった当初に「中君。写真とかだけで見て分かった気になったらあかん。弁護士はやっぱり現場に行かないとあかん。現場に行くことで、写真とは違うニュアンスが分かるし、イメージも沸いてくるからな。」ということであった。

 ということで、私もボスと交通事故の現場を見に行ったり、ボスから任された事件では自分1人で現場に行くようにしていた。今でも時間の許す限り現場に行くようにはしている。
 刑事事件で家が燃えてしまった事件があり、現場に行くと焼け跡は非常に凄惨な印象であったのが、警察が撮影した写真ではそれほど焼け跡がひどく写っていなかったことがあった。これは弁護人である私にとってはありがたく、執行猶予がついたのであるが、裁判所があの現場を見に行っていたら果たして執行猶予がついていたかどうか。

 ボスも還暦を越えたが、今でも現場に行っているようである。
 探偵小説の中には安楽椅子の中で事件を解決する探偵が出てくるが、弁護士の場合にはそのような訳にはいかない。書面だけで解決するという訳にはいかないからである。

 

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2007年3月14日 (水)

肩こり

 親知らずを抜いて、まだぽっかりと穴があいている。ようやく痛みが治まったところであり、まだまだものを食べるのにも不自由している私であるが、肩こりがましになった。
 もともとひどい肩こりで、特に左肩はマッサージに行っても、「ここまでこっている人は珍しい」と言われ、数年前に頭痛がひどいので脳ドックでCTをとった時も、「綺麗な脳の血管です」と言われ頭痛の原因は「肩こりを10段階に分けるとしたら、最高レベルの肩こりで、この肩こりから頭痛が来ています」と言われたほどの肩こりであった私の左肩なのであるが、左の下の親知らずを抜いてから、ここ15年くらい感じたことのなかった肩の軽さなのである。

 喘息で寝込んだ時いろいろな医学の本を買ってきて読んでいたのであるが、その中で、「白血病と診断された老人が、悪い歯を抜いたらなんともなくなった」「歯の下に造血細胞があり、造血される血が雑菌で汚れているため病気を引き起こしたもの」という記載があり、歯が悪いと全身症状を引き起こすこともあるというような記載がされていたので、歯を抜いたことでいろいろな好影響が出ているように思われる。まあ、まだ短い期間ではあるので、パソコンに向かう時間が長い弁護士である以上、またひどい肩こりが出てくる可能性はあるが。ちなみに、それでも全く肩がふにゃふにゃとなった訳ではないが、本当に肩が楽である。

 肩こりの人は歯を治してみてはいかがでしょう。

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2007年3月13日 (火)

ICOCAでようやくひっかからなくなった私

 少し前にJRの定期券をICOCAに変えた。ICOCAだとピッとタッチするだけで改札を通過できるというのでいちいち定期入れから出さなくてよいし、電子データで乗り越し分も一瞬にして精算してもらえるというので変えたのである。それまでは改札を通す定期とジェイスルーカードであった。

 しかし、変えてから半年ほどは、改札で引っかかりまくった。自分ではタッチしているはずであるし、私は自分でいうも何だが運動神経がそれほど鈍い訳ではないのだが改札で引っかかるのである。1日4回は改札を通るのだが、そのうち2回はタッチしたつもりがうまく出来ておらず改札で挟まってしまうのであった。
 そのため、ICOCAで改札を通る時はいつもどきどきしていた。今日はひっかかるまいと思っていてもひっかかったり、自分ではいけたと思って通っていても実はタッチ出来ておらず、入り口は通過できても出口で「入場記録がない」と言われて出られないこともしばしばであった。
 私の横では財布の中にICOCAを入れているらしいお姉さんが、分厚い財布をピッとならして通過していくのである。嗚呼。なんで俺だけひっかかるんや。俺の定期入れは薄いから財布より感度ええはずやろ。
 

 おまけに、ICOCAが通用しないところまでいくと、ICOCAの入場記録は無用の長物であり、宮津の法律相談に行くときは、機械の改札を通ってからいっても、宮津駅ではICOCAはないので(北近畿タンゴ鉄道であるから当たり前なのであるが)、逆に帰りのJR駅で入場記録を取り消してもらわないと、次にJRで自宅に帰ろうとすると、「出場記録無し」で入れなくなるという始末であった。
 そのため、わざわざ京都駅で一度外に出て、京都→宮津の切符で入り直すという技も試みたが、出口から出てすぐに切符を取り出してまた入るというのは端から見ていたらおかしな奴であろう。駅員に聞くと、草津駅で入るときに、有人改札でICOCAを見せて入ってくれればよいとのことであった。
 嗚呼。電子化がポイントのICOCAを普通の定期のように見せて入るこのむなしさ。

 とこのように問題だらけのICOCAであるが、最近は財布のお姉ちゃんのようにスマートにタッチすることは諦めて、ゆっくりタッチして確実に入場・出場するようにしたので挟まらなくなったが、それでもまだ改札を通る時は内心緊張している私なのである。

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2007年3月12日 (月)

情報を小出しにする依頼者

 依頼事件について、事件が進んで証人尋問をしている最中に相手方の尋問や裁判官からの質問に打ち合わせと違うことを平気で話しをし出す依頼者がいる。また、打ち合わせをしていると、「本当のこと話した方がいいですよね?」という依頼者もいる。

 事件について知っているのは通常は当事者であり、情報を小出しにされると事件は出来ない。こんな依頼者の人がいうのは
 1、言うと怒られると思った。怖かった。
 2、恥ずかしくていえなかった。
 3、本当のことをいえば受けてもらえないと思った。
というものである。
 これを弁護士の方から言わせると、
 1については、「言わないあんたの方が怖いわ」となるし、
 2については、「後から言われて恥をかくのはこっちでこっちが恥ずかしいわ」となるし、
 3については「ウソをついていた時点で辞任も出来るで…」ということになる。

 だいたいおかしいところは一通り聞いた後で突っ込んで聞くが(イエスイエスバットノウの聞き方である。)、事実を知っているのは本人だけなので限界もある。話があまりにもつながらない場合には引き受けないこともあるが。
 情報を小出しにするのは辞めて欲しい。安心して事件が出来ない。尋問で、「奥さんが当然見ていたでしょ」と突っ込まれ「はあ」と答えていた依頼者が、尋問終了後、「先生僕実は離婚してるんです。ちょっとバツが悪くていえなくて」といわれたこともある。
 全てを開示してもらった上で弁護士の方で戦略を立てるのが理想である。

 ただ、聞きもしない事件に関係のない話ばかり延々とするのも本当は辞めて欲しいのであるが…。ああ…。また脱線が始まった…。

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2007年3月10日 (土)

コート

 月曜日に抜歯をして、その後もの凄く忙しかったので、歯は未だに痛い。経過は良好だということであるが、これだけ仕事をしていたら歯の痛みも取れないということなのだろう。

 ということでブログもしばらく更新していなかったので、歯の痛みに耐えながら今日の話題はコートである。
 私はコートが好きである。寒がりというせいもあるが、誰よりも早く着だして、誰よりも遅くまで着ている。
 何かの雑誌で読んだような気がするが、関西の人はあまりコートは着ないということである。確かに、もの凄い寒い時でも、背広にマフラーだけという出で立ちのおじさんもよく見かける。脱いだ時に荷物になるのが嫌なのかもしれない。
 私は大阪生まれの大阪育ちなので、関西人なのであるが、コートは好きであるし、着ていないと寒くて通勤が出来ない。

 コートにもいろいろ種類があるが、ビジネスマンがよく着ているステンカラーのコートは嫌いである。みんな同じようなコートであるので、人と同じものを着たり持ったりするのが嫌な私としては、ステンカラーのコートは着ないのである。最近は、ポリエステルの黒色のステンカラーコートを若いビジネスマンが皆着ているので、あれだけは買わないようにしようと思っている。
あと、ウールのコートも最近は着ない。イタリア製の黒色のふわふわのコートがあるのであるが、駅まで自転車で行く私からすると風を通して寒いので、弁護士になった頃は着ていたが、最近は寒くて着ない。
ウールのダッフルコートもあり、このコートもイタリア製でかわいいのだが、これも風を通すので寒いから着ていない。もったいない話ではある。
 余談だが、ダッフルコートは、いかつい顔のおじさんが着ている方がかわいいと思う。かわいい顔のビジネスマンが着ていることも多いが、「ボク、どこへ行くの?」という感じになるので、いかつい顔のおじさんが、ダッフルコートを着ている方が似合うと思う。私の顔はいかつくはないと思うので、そういう意味でもうーん…となってしまうのである。

 今着ているのは、バーバーリーのカーキ色のダウンコートと、同じくバーバーリーのカーキ色の襟が立ったタイプのコートである。これは非常に気に入っている。ここ何年かは、バーバーリーでしかコートは買っていない。バーバーリーのダウンコートは今年の冬に買ったのであるが、昨年の冬の寒さに閉口してのことである。しかし、今年は暖かい日が多く、あまり出番はなかった。カーキ色の襟が立ったコートは、よく着るため少し着崩れしているが、着やすいのでついつい着てしまう。
 あと、黒色のコートで、バーバーリーの襟が立ったタイプと同じ形のものも着ている。これは生地がポリエステルで、少し暖かい日に着ている。
 あとは二年ほど前に勝ったカルバンクラインの襟が立ったタイプの黒色のコートで、なんともいえない質感のコートである。フードがついているのだが、フードをつけると若すぎるので、今は外している。
 今年の冬は4着で着回していて、全てまだまだ使えそうであるのだが、次の冬前には、またバーバーリーのコートコーナーに見に行きそうな予感がしている。
 他の弁護士が着ているコートを見ていると、全く無頓着な人もいれば、見るたびに違うコートの人もいる。地味な顔立ちの弁護士が、地味な色のコートを着ていると、よけいにくすんで見える気がするが、休みの日はだらだらしているため、普段着はジーパンにトレーナー、セーター程度しか着ない私にとっては仕事着くらいしか考えるところがないのである。

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2007年3月 6日 (火)

最近読んだ本

 私は読書が趣味であるが、今日は最近読んだ本と感想を書いてみたい。他人をバカにする若者たちは1項目をもうけて書いたが、そのほかの本である。

 ボアゴベ「鉄仮面」フランスの監獄に幽閉されていた鉄仮面を被せられた囚人(史実)にまつわる作品は非常に多いようであるが、作品として私が読んだものはこれが最初であった。非常におもしろく、上下巻600頁以上ずつあるが、2冊を1週間足らずで読んでしまった。最近読んだ本の中では秀逸である。

 津本陽「信長の傭兵」鉄砲無頼伝として角川文庫に収められている作品の続編で、戦国時代の紀州根来の鉄砲傭兵集団の長であった津田監物の活躍を描いた作品である。津本陽の作品には珍しく、性的描写が多いことが特徴である。

   加賀美 雅之「双月城の惨劇」ディクスン・カー(海外ミステリの不可能犯罪・密室の大家。金田一耕助を生み出した横溝正史も多大な影響を受けた作家)に影響を受けた若い作家のデビュー作である。おどろおどろしい雰囲気が、金田一耕助やディクスン・カーを非常に好きな私としては大変気に入った。ただし、トリックという点については、横溝正史やディクスン・カーの足下にも及ばないのが残念ではある。おどろおどろしい雰囲気を作り出そうとするあまり、トリックが荒唐無稽になってしまっている点が残念である。
 この作家の、「監獄島」「風果つる館の殺人」という作品も続けて読んだが、そういう傾向はなおっていない。おどろおどろしさが好きなだけにその点は残念ではある。

 そのほか、オリックスの宮内がいかにして規制改革で利権をむさぼったかを書いた「小泉規制改革を利権にした男 宮内義彦」もおもしろい(というか腹が立つ)。同様の系譜で、「細木数子-魔女の履歴書」も、どうして細木数子があれだけ芸能界でのさばれるのかが分かっておもしろい(というかこれも腹がたつ)。

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2007年3月 5日 (月)

とうとう親知らず抜歯

 とうとう長年の課題であった親知らずを抜くことにした。私は左の上は少し前に抜いており、左の下が歯茎に埋まっていて頭が出るかもしれないと3年ほど様子を見ていたのだが、結局出ないままに3年が経過し、その間腫れたり痛んだりを繰り返していたところ、先週末から痛みが耐えられなくなってきたので、これ以上この痛みが続くのはかなわないととうとう抜くことを決意したのであった。決して決してこれまでひびって抜かなかったわけではない。

 歯の痛みをこらえながら法廷を一件、打ち合わせを2件こなして夕方に三条川端を東に入った南側にある超名歯科医のT中歯科医院(一階にコンビニがある)で、「決断されますか」といわれて、「はい」と答えた私は、歯科医の先生のなすがまま10分ほどかかって大きい大きい左の下の親知らずを抜いてもらったのであった。歯茎を切開したので血はだらだら、麻酔で唇がたらこのようになった感覚で抜歯は終了した。インターネットで調べると、結構時間がかかると書かれているが、私が行っている歯科医は超名医なので、もの凄い短時間で抜いてくれたのであった。

 ああ。弁護士も医師も腕が大事なんやなあと実感。

 親知らずは抜いてみると、歯茎の中で虫歯になっていたようで、だから痛んでいたようである。私は生えている歯は(割といいかげんにしか歯を磨かないのに)虫歯はほとんどないのに、不思議なものである。まあ野生動物で虫歯はいないから、野生状態では虫歯というものにはならないということなのであろうか。

 まだ抜いたばかりなのと、切開を最小限にしてくれたことから、歯茎も縫っていないので、こっぽりと穴が開いているので、しばらくは流動食しか食べられないし、飲酒も出来ないということである。痩せられていいかもしれない。今は慢性的に感じていた左肩の凝りがかなり取れた感じがする。歯って大事である。

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2007年3月 2日 (金)

気軽に身柄拘束

 日本の刑事司法は、身柄拘束を気軽にしすぎのように思う。軽微な犯罪で、身元がはっきりしている人でも、裁判官は、検察官から勾留請求があれば、「罪証隠滅のおそれ」(要するに証拠を隠すやろってことだ)があるとして勾留してしまう。抽象的理由で安易に勾留してしまうのである。しかし、自分が勾留された時のことを考えて勾留しているかといえば、それは全然考えていないであろう。

 何回か勾留前に検察官に面談して、その後令状裁判官にも面談して意見書も出して、「勾留の必要なし」として奔走したが(しかもなぜか全て土曜日であった…。金曜日に逮捕された被疑者から面会を要請されて金曜日に行ったら、「勾留なんてされたら仕事がクビになる」というので、こっちの休みを潰して走り回ったのである。
 しかし、全て勾留されてしまった。私の能力不足かもわからないが、「別にこの人勾留する必要ないやん」。と強く思う事件でもそうであった。
 準抗告(勾留に対する不服申立)をしようかとも思ったが、早期に解放するためには検察官とあまり敵対するのも得策ではないので、相談の結果準抗告をしたことはない。
 検察官も、「身柄拘束して少し頭を冷やしてもらった方がいい」というようなことを言うときもあるが、おいおい、罰として勾留を利用するのは憲法違反やでと思うので反論はするものの、中々うまくいかない。

 一度共同受任していた事件で、勾留の延長に対して準抗告をしたらどうかとY田S司弁護士に意見だけ述べてみんな書面を書いてもらったところ(私は遠方にいたので)、これが通って釈放されたというケースはあるが、これはY田弁護士の手柄で私はただ名前を入れていただけに過ぎないので、身柄拘束では保釈以外でうまくいったケースはあまりない(誤認逮捕で釈放をかちとったのがあるくらいである。人によれば、それだけで十二分だとも言われるが)。

 同期の元検察官のA井弁護士からは、刑事事件に関して私はまあまあうまくやっている方だと誉めてもらえているのであるが、自分自身では身柄拘束からの釈放に関して、もう少し華々しい結果が欲しい今日この頃である(まあ、よほど刑事をやっていないとそういう事件にも巡り会わないらしいが)。

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2007年3月 1日 (木)

離婚と養育費

 離婚に伴い、養育費が決定されたり、判決で養育費の支払いが命じられることがある。
私の感触では、この養育費が支払われ続ける可能性はかなり低いのではないかと思う。

 時が経過して、(多くは)男性側も新しい家庭を築いたりすると、支払わなくなってしまうのである。もちろん、裁判所の調停や和解、判決で養育費を取り決めている場合には相手の財産に強制執行をすることが出来るが、相手が仕事を辞めていたりすると、回収することが不可能となる。

 そうすると、多くは妻側は、アテにしていた養育費の支払いがなくなったがために、消費者金融に走ったりしないと、生活が出来なくなるのである。そうした破産は割合多い。

 これも婚姻費用分担と同じで一覧表があったりするのだが、時にはこの一覧表も、「絵に描いた餅」となってしまうのである。

 日本の強制執行制度は抜け穴だらけで、まだまだ「逃げ得」を許しているところがあるので、厳しい対応を取れるような強制執行制度の確立がなければ、いくら司法制度を改革しても意味がないと思うのである。

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