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2007年4月27日 (金)

電話リース被害集団提訴

 昨日10時に京都地方裁判所に電話リース被害について集団提訴をした。リース会社はオリックス、NTTファイナンス、三洋電機クレジット、クレディセゾンで、既に支払ったリース料の返還と、これから契約が続行すれば支払わなければならないリース料金の支払義務がないことの確認を求めての訴訟提起であった。

 当日はありがたいことにテレビ局が多数取材に訪れてくれたので、終了後急遽弁護士会館で記者会見を開いた。テレビのニュースでも流れ、新聞でも大きくとりあげていただいている。
 我々弁護団がつちかっているノウハウをいかにして全国の消費者被害救済にあたられている弁護士に伝え、各地でも被害救済をしていただけるかがこれからのポイントである。被害が京都・大阪近辺だけな訳がないからである。

 常識で考えても、年商がそれほどなく、自宅兼事務所でしている零細個人業者に7年間で数百万円支払うようなリース契約をする動機付けがあるはずがないし、そんな多機能な電話が必要であるはずもない。こうしたリース契約を締結するリース会社の責任は非常に非常に大きい。私は零細個人事業者では、基本的にこうしたリースは不要だと考えている。また、7年間という期間でリースを組むために、1回1回の支払は少額のように思えるので、ここも巧妙である。

 こうした零細事業者を食い物にする商法を撲滅するために、引き続き努力していかなければならない。
 ただ、弁護士が増えすぎて過当な競争をするようになれば、こうした少額でペイしない事件は誰もやらないようになるだろう。それが経済界の狙いなのではなかろうかと思う今日この頃である。

 ※ブログペットが私のブログを読むのはよいが、ムチャクチャな要約をするので困りものである。パンダだから仕方がないのか。

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2007年4月25日 (水)

移送申立(遠隔地で裁判が出された場合)

 民事訴訟には移送の申立という制度があり、遠隔地で裁判が出された場合に、証拠調べなどの必要がある事件(中身に争いがある事件)では、他に裁判の管轄がある裁判所に事件を送るように申立が出来るのである。これは合意管轄がなされていても出来る。

 たとえば大手金融会社などはたいてい東京が本社なので、東京簡易裁判所を裁判の管轄に定めていることが多い。そして、東京簡易裁判所に訴訟を出してくるのである。

 訴訟を出される前から我々弁護士がついている場合には、こちらから債務不存在確認請求訴訟などを出すことになるので、本人の住所地に訴訟を提起することになるのであるが、本人が交渉していて決裂したようなケースでは、いきなり京都の人なのに東京で裁判が出されたというケースもある。

 中身に争いがあれば、その中身を書いた移送の申立書と、本案前の答弁書というものを出して、事件を当事者の住所地の裁判所に送るよう求めることが出来る。ただし、争いがあることが分かる中身を具体的に書かないといけないので、答弁書作成はけっこう大変である。

 私が作ったひな形があるが、これは企業秘密なのでそのうち事務所の会員専用ページでも作ってダウンロードできるようなひな形の実務的書式集を作ってみようかと思っている。会員をどういう人にするかはまだ考え中であり、弟子に限ろうかとも思っている。

 私は移送申立を数々したが、負けたことがないし、一番すごいのは大阪簡易裁判所から京都簡易裁判所に移送させたことである。普通は近いので認められない。
 なお、小さい訴額の事件だと、移送申立が認められた時点で訴訟が取り下げられて、事件全体が解決することもある。コストをかけてまで京都まで来られないという訳である。うまく移送申立を活用すれば、紛争まで事実上解決することがある。訴訟外で和解を求めてくることもあるので、意外に活用できる。

 成り立ての弁護士だと、「東京まで行こうと思っていました」なんてこともあるので、この制度は重要である。

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2007年4月23日 (月)

決めるのは依頼者である

 事件について、弁護士は見通しは話をすることは出来ても、最終の決断を下すのは依頼者である。もちろん、弁護士の方がどちらの方がよいというアドバイスをすることはあるが、最終的に依頼者が決断してくれないと進められないし、また、後日のトラブルになるであろう。

 全て一任しますというのは、弁護士にとっては困るので、その都度その都度意思確認をしなければならないし、そうあるべきである。
 分からないので先生が決めて下さいといわれることもあるが、その場合でも、リスクや可能性を考えた上説明をして了解を得た上で、ベストであろうと考えられる選択をすることになる。

 成り立ての弁護士では、全て弁護士が引き受けた以上やらないといけないと考えて押しつぶされそうになっている人もいるが、基本的に事件は依頼者のものであり、弁護士は共同作業をしているということを考えないといけない。

 たまに、説明もなしに和解をされたというような相談を聞くこともあるが、話を聞くと本人は弁護士に一任しますと言っていたというようなケースがよくある。こうした場合でも、個別に了解を取らないと、後日紛争となることがありうるのである。

 刑事事件の場合には、被告人が認めていても弁護人として責任能力を争うというようなことは逆にありうるが、民事の場合は基本的には依頼者の(合理的な)意向に従うことになる。なお、当たり前であるが、刑事事件で被告人が否認しているのに認めるというようなことをすれば一発懲戒である。元検察官の弁護士が、被告人の主張が不合理であるとして説得しすぎて、公判でいきなり文句を言われたりすることもある。

 中には、絶対無理という訴訟をしたいといわれることもあるが、その場合、弁護士の方も引き受ける義務はないので、弁護士の倫理からして出来ない依頼は断ればよいということになる。

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2007年4月22日 (日)

ブログペット

 ブログペットを置いてみた。
 子パンダで名前はナイルである。

 マウスでさわってあげると、寄ってきて私のブログの中の単語を話すようである。
 私のブログも読んでいて、要約したものを日記に書くこともするようであるが、思い切り間違っていたりするのでまたこれも面白い。

 みなさんもやってみて下さい。

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2007年4月19日 (木)

手帳について

 私の手帳は大阪弁護士会が出している黒色の訟廷日誌の合冊版である。最初に事務所から渡された手帳がこれであったのでこれをずっと使用しているが、事件の当事者を書く欄があり、やはり使いやすい。システム手帳や市販の手帳を使用している弁護士も多いが、私はやはりこれである。後ろに裁判所の管轄のこととか印紙代や税金のことがいろいろ書いている付録もついているのも便利である。これを取り上げられると、次に何をしてよいのかわからないフリーズ状態になる。

 ただ、訟廷日誌は時間順に書けるようにはなっていないので、前後がよく分からなくなったり、予定と予定の間に時間がどれだけあるのかとっとにわからないようになることがある。
 そのため、私は手帳の高橋のフェルテ6という手帳を手控え兼整理用に使っている。事務所が私の予定を写すのもこれである。これは時間が書いてあり、予定を書く時に、時間順で予定が書けるし、次の予定までの空き時間もわかるから頭の整理によい。書き写す際に、「あれやらな」「これやらな」と整理できる。
 最初からこれだけにしてはよいのではないかという説もあるが、訟廷日誌の後ろの付録は捨てがたいし、法廷などでチャチャッと予定を書き込むには、訟廷日誌がやはりすぐれているので2つ使っている。そして、頭を整理しながらこのフェルテの方に、急ぎの書面などの予定を書き込むのである。法廷でチャチャッと予定が書けるとう意味で、私は電子手帳は使うつもりもないし、検討したこともない。迅速性という意味では手帳は手書きである。
 クォバディスという外国の手帳も試したり、超整理手帳も試した。いくつも試してフェルテ6にたどりついた。事務所の手帳もフェルテであり、事務員のM川さんに他の手帳を買って渡したら「書きにくい」といわれた。その手帳は自宅の机の上で予定を書かれることもなく眠っている。年度が過ぎればどうにも利用のしようのない憎い奴、それが手帳である。ふっふっふ。この使われない手帳、お前は何をしに俺に買われたのだ(私が悪いんですが)。
 もし1冊だけで済まそうとしている人がいれば(それが普通か)、このフェルテ6をお勧めする。クォバディスよりもいい。手帳の高橋から別に何ももらっていないですよ。
 また、私は超個性的な字で万年筆を使うのだが、このフェルテはインク滑りなどもよい。もちろん訟廷日誌もインクがにじんだりはなく、ほどよい滑りである。
 なお、チョイ悪親父チョイひげのU・A弁護士はクォバディスを使っている。

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2007年4月17日 (火)

簡易裁判所の弁論

 ある簡易裁判所で弁論があったのだが、件数が異常に多く、待たされた。10時30分の弁論であるのに始まったのは11時である。それも次に予定が控えていたので、事務官に順番を変えてもらうよう打診して11時であったから、本来であればまだ後にされていたであろう。

 そもそも件数を詰め込みすぎである。国民のための司法というのであれば、まずは簡易裁判所の件数をどうにかすべきであろう。これは簡易裁判所で扱える事件の訴額を上げたことも関係しているであろう。何が司法改革かというもんである。

 また、簡易裁判所の裁判官は成り立てであるのか慣れていないようで、進行が遅いのである。内容のある事件になると、丁寧過ぎるくらいに聞いているので、時間が押せ押せになってしまっていた。
簡易裁判所の事件はほとんどが電話料金の未払であったり、消費者金融から借りている人の事件であったりするので、和解で終わるか、欠席判決であることも多い。
 別室で司法委員という人が和解をまとめるために協議しているのだが、和解が出来次第次々に弁論の間に和解を入れていくので、余計に待たされることになる。
 

 また、今日の裁判官は、丁寧に聞いたあげく、迅速審理迅速審理といって、異様に早く期日を入れたがる人で、相手の弁護士も私も無理だというとやたら強権的に怒りだして相手の弁護士と私はあきれかえっていた。あまり慣れていない様子であったので、力が入り過ぎていたのかもわからない。
 こちらからすれば、依頼者との打ち合わせの時間も必要だし、相手の主張も読まないといけない。ある程度の時間は当然必要である。どの弁護士も1件だけ事件をしている訳ではないし、それでは飯が絶対に食えないのである。

 簡易裁判所の裁判官は、地裁などでやっていた裁判官が定年後にやっている場合もあれば、司法試験合格していないで書記官から内部の試験で資格を取ってやっているケースの2種類ある(確か)。
 司法試験に合格していない簡易裁判所裁判官は二通りあり、弁護士に対して敬意を表してくれるタイプと、逆に対抗心があるのか強権的になるタイプがいるように思われる。弁護士の方もケンカしに法廷に行っている訳ではないし、訴訟遅延している訳ではないのにあまり強権的にやるのはどうかと思うのである。

 本当に実力のある人はむやみやたらに吠えたりしないことを考えて見ることである。

 あまり弁護士にケンカを売っていると、ケンカの手法として忌避申立をされたりいろいろやられかねないということをまだまだ分かっていないようである。弁護士は基本的に合法的ケンカのプロであるからあまり怒らせない方がよいのである。私も過去何回か裁判所と「いい加減にしろ」と思う時にケンカをしたこともあるが、私のいうとおりで終わっている。

 いつも裁判所とケンカをする弁護士もいるが、これもまた言葉に重みがなくなるので、中々どこで怒るかは難しいものである。
 

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2007年4月16日 (月)

来なかった本人

 一度だけ尋問に本人が来なかったことがある。自分の依頼者であるのに来ないのである。打ち合わせも十分に重ねたにもかかわらずである。日を間違えていた訳でもなく。
 このときの焦燥感は中々筆には表せない。連絡をしても居場所もわからない状態で、相手方と裁判所に謝って次の尋問期日を入れ、その次の時は来たのであるが、相手の弁護士からは前回来なかった理由も尋問で聞かれるし、裁判官からもねちねちやられるしで、勝つはずの事件が負けてしまった。印象最悪である。
 

 依頼会社の証人が来なかったこともある。遠方の証人であったためFAXと電話で打ち合わせをし、当日早い目に裁判所で再度打ち合わせを入れることとして、尋問期日がその後決まったので会社の法務部を通じて日取りを連絡するよう伝えていたのだが、来ていない。会社に連絡をすると、「すいません。日を伝えるのを忘れていました」とのことである。このときも謝罪して帰ってきた。私がそのときにいたのは鹿児島の川内という支部であったのに。

 逆に、絶対来ないであろうという証人を呼び出す時もあるが、このときも空振りに終わるかもしれないが、尋問事項は入念に準備しておかないといけない。来ないだろうとたかをくくっていたら証人が来て、けっこういい証言をしてくれることもある。来ないだろうとたかをくくっていた時に急に証人が来ると慌てて聞くべき事を忘れるかもしれない。来るはずがない証人を呼ぶときでも、期日が始まって30分くらいは気を抜かないで待たないといけない。遅れてひょっこり表れることもあるからである。

 昔は破産事件で審尋がよくあったので、破産者が来ないということもよくあった。日を間違えていたり、ゆっくり来たり、いい加減な人も多かった。最近は審尋が減ったのであるが、昔の苦い経験を生かして、前々日までに事務員に確認して貰うようにしている。

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2007年4月13日 (金)

事務所新体制など

 2月に事務員候補にすっぽかされた話をしたが、その後無事新しい人が決まった。熾烈な激戦を勝ち抜いて採用決定となったのはN西さんという女性である。

 今はM川さんとN西さんと私の3人の新体制である。既に私のしやすい失敗を見抜かれ訂正をいわれる始末である(私は誤字脱字が多いので、事務員にチェックしてもらっている。法廷番号を事件番号として入れていることもしばしばである)。平穏に仕事が出来ている(私は時に仕事がらいらいらするが)。話をして違和感なく話が出来たというのが採用のポイントであった。もちろん違和感なく話をするためには、それなりのバックポーンが必要ではある。

 勤務弁護士が来たときに、現在の事務員2人でよいのかどうかは業務量との関係でよくかわらないが、新しい事務員に入ってもらうにはスペース的にあまりあいていない。修習生指導担当にならなければ修習生用の机にアルバイト事務員に来てもらうことも出来るだろうが、増員時代にそういうわけにもいかないであろう。

 どの事務所もそうであろうが、スペース確保というのはなかなかやっかいである。今記録置き場を借りようとしているので、判例時報や判例タイムズ・NBLなどは普段使わないのでそちらに置こうかと思っている。買うのをやめるのもどうかという思いもあり、本も事件があるとその論点の本を複数買うようにしているため増殖の一方である。ドイツ不法行為記念論文集という、およそ弁護士生活でもう一度読み返すのかという本もある(ある事件で判決の騙取という論点を調べるために買ったのである。)。

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2007年4月12日 (木)

鴨川の桜

Photo  今日は家庭裁判所で調停があったがすぐに終わったので、少し時間があったので事務所に帰る前に鴨川の橋を渡ってみた。少し奥に桜が綺麗である。
  桜の名所とまでいかずとも、いい桜は随所にある。これは京都だけに限らない。河原町丸太町角の春日小学校跡の桜も綺麗である。あと、祇園の白川の桜もいい。

 今まで見た中でもっとも淡い桜は、弘前の桜である。出張の時にちょうど満開であった。東北の桜はまた趣が違う。

 私が修習していた札幌の桜は、気温の関係か、葉っぱと花が同時に出てくる葉桜となる。その下でジンギスカンを焼いて食べているので、風情も何もないが、それはそれで札幌らしくてよいともいえる。

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2007年4月11日 (水)

贅沢日和

 隊員1号さんコメントありがとうございます。体力は衰え、喘息もあるしヘタですがサッカーが好きなので続けています。個人競技では味わえない喜びがあるので…。

 さて、表題はビールの名称であるが、このビールが気に入ったというよりは、このビールのCMを見て惚けてしまったのである。着物を着た女性がビールを勧めてくれるのであるが、物凄い綺麗である。CMがあるたびに見とれている。

 この女性は長谷川京子なのだが、着物を着ているせいか最初は誰だかわからず(私がぼけているだけだという説もあるが)、ネットで探して長谷川京子だとわかった。普段の私は長谷川京子はあまり好きでも嫌いでもなかったのだが(人の好みですから許してください)、このCMを見て認識があらたまった。うーん。綺麗だ。

 とブログでここまで力説している私なのだが、長谷川京子のみならず着る服やシチュエーションによって人の印象は変わるものである。私がよく行く祇園のM子のSとちゃんも、昼間会うと非常に幼い印象を受けるが夜会うと違う。依頼者も、事務所の外に出た途端に話しぶりが変わっているのを何回か見て「エッ」と思ったこともある(私の妹弁のF橋K子の場合は、これを「エ゛ッ゛」と濁っていう。どうでもいいが)。

 そういう私自身、私服を着ていると少し前までは大学生に近いものがあると言われているし(最近は言われなくなったんです…。シクシク)、父親と話しをしている時と、依頼者と話をしている時、犬や猫と話をしている時は声色が違うのであるから、人間というものは本来的にそうした幅があるものなのであろう。いつも同じでも困るからである(友達のように話をされる依頼者も困る)。引出が多い人は、女優とかになれるのかなあ。

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2007年4月 9日 (月)

春のコート

 春とはいえ、朝と夜の気温はまだまだ低い。また、日中でも冬に逆戻りするような日もある。

 私は寒がりであるので、外を歩いているときや駅で電車を待っている時に震えるのはいやなので、気温を新聞でチェックして、寒そうな日はコートを着ていく。冬のコートで少し薄いものを着ていく。そうでなくても、朝晩は寒いので、まだまだ必ず薄手のスプリングコートを着ている(これはあまり種類がないので、致し方なくステンカラーのコートである。)。
 しかし、電車通勤しているので他のサラリーマンを見ていると、たいていの人はスーツのみである。関西人はコートをあまり着ないということであるが、駅で電車待ちをしている時に震えているが、一度コートを着ない日があったら頑なにそれ以降はコートは着ないと決めているのであろうか、震えながらもコートを着ないようにみえる。

 私は合理的に考えるので、寒いくらいなら1人だけコートを着ていてもよいのでコートを着ていくことを選ぶ。昔傘をイギリスで初めて使った人は、ぬれないという合理性を追求したのだが、当時は雨の日はずぶぬれになって外を歩くということが一般的で、傘を差すということは勇気のいることであったろう。私のコートはそれほどおおげさではないのだが。
 しかし、だんだんコートを着ている人は少数派となってきた。

 毎年この季節は、花粉症に悩まされながら、最後のコートを着る1日はいつになるかとどきどきしながら日々を過ごす私なのである。

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2007年4月 8日 (日)

2度目の執行猶予

 サッカーの練習をして今日は筋肉痛である。30を過ぎると、意識して鍛えない限り身体能力は落ちていくばかりであるが、少しばかりの練習では体力低下防止はままならない。

 さて、タイトルは2度目の執行猶予である。執行猶予中に再度懲役刑か禁固刑にあたる事件を起こして有罪の判決を受けたときには、原則として実刑となり、以前の執行猶予も取り消されて、後に起こした事件も含めて刑務所に行くことになる。
 ただ、特に情状に同情出来るような事情がある場合には、2度目の執行猶予を付せることになっている。

 しかし、私自身も含めて、中々2度目の執行猶予という事件はない。
 前に執行猶予をもらっているのであるから、その時点で反省すべきであり、今回またやったということになれば、その人の反社会性は明らかだということで実刑となってしまうのもやむを得ないところがある。

 ただし、被告人からすれば、「前に執行猶予をもらっているのであるから、今回も何とかならないのか」という考えが出てくることもある。そうなって私選で事件を依頼されることもあるのだが、極めて執行猶予をとることは難しく、実刑の確率がとてつもなく高いことを十二分に説明の上でしか引き受けない。被告人が考えているよりも、2度目の執行猶予というハードルはものすごく高いのである。ブブカの飛んだ棒高跳びの高さよりも高い。

 被告人には、国選でも一生懸命やってくれる先生はたくさんいるという説明もするのだが、「国選はあたりはずれがあるから」といって私選でやって欲しがるのである。

 もちろん、私自身、量刑資料集で調査した際には絶対実刑としか成り得ないような事件で執行猶予を取ったこともあるのだが、そうそう毎回はうまいことはいかない。いかに弁護人が頑張っても、事件の筋というものもあるからである。

 そして事件をやって、かなり情状弁護で頑張るのだが、やはり2度目の執行猶予は無理で、実刑となる。似たような事件で、一審で他の弁護士がやっていて実刑となった事件で、特に新しい資料もなく、状況は変わらないのに、控訴審から弁護人を依頼されるケースもある。執行猶予を取って欲しいというのである。

 このような事件の時、最初から説明しているのに、苦情をいう被告人もいないではない。
 依頼の時点で実刑確実な事件で実刑が出そうになった途端に、「依頼した意味がなかった」などといわれることも偶にある(もちろん契約の時点で説明はした上であるが)。
 ただ、出来る限りの弁護はするので、ほとんどの場合は苦情は言われないが、せっかく依頼されているのに、「やはり」実刑であると、こちらもげんなりするのも事実であるし、意味がないと言われるとこちらも人間であるからげんなりする。まあ基本的には私は自分の出来る限りのことをし、それを依頼者に伝える最大限の努力をして、それで依頼者がわからなければ仕方ないというスタンスではあるが。

 2度目の執行猶予がどのような事例で出たことがあるのか集計した事例集などはないものかなどと思う今日このごろである。

 

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2007年4月 4日 (水)

 桜が咲き出してちょうどよい頃合いとなっているが、花冷えでもある。
 私は花粉症持ちで黄砂にも反応するが、桜は好きである。花の中で一番好きな花といってもいい。

 ここで桜がなぜ日本人の心を引きつけるかについて論じるほど知識もなければ愚かでもないが、桜が好きなのはあまり花を知らないせいもあるのかもわからない。和歌が詠まれ始めた頃の「花」といえば梅だったが、今は花といえば桜である。いつから梅は主役を奪われたのだろう。私の好きな歌の1つに、「春来てぞ人もとひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ」というのがあるが、ここで詠まれているのは梅であろう。詠み手は有名な歌人であったように思うが、今名前が出てこない。
 ともあれ、今は花といえば桜で、私自身春先は電車の窓からでも桜を追ってしまう。

 特に好きなのは、緑色の山の中で、1つだけ綺麗に咲いている桜である。その対比がよい。
 月並みに夜桜も見ることもあるが、夜の桜はちょっと凄艶で少しこわい気もする。せっかく桜が咲き出したというのに、冷え込んでは花見をしているのか、ガマン大会をしているのかわからないだろう。

 あと好きな花といえばひまわりである。夏に伸びに伸びて、木と間違えて蝉がとまるような大きいひまわりもいいし、小さい小さいひまわりもまたかわいいものである。
 私の事務所の来客室の外側の壁には、H崎さん(私が仕事を常に依頼する優秀かつ容姿端麗な女性司法書士さん。)から事務所開設祝いにもらったリトグラフがかけてあるが、これはひまわりであり気に入っている。ゴッホの絵でひまわりというのもあってレプリカでいいから欲しいが狭い事務所内にはかけるところがない。

 話が逸れたが、桜を欲しいと思うこともあるのだが、毛虫がつくらしいので、手入れが大変らしい。
 

 桜がだめなら、梅の花も嫌いではないので、盆梅でも買おうかと考えてみたりもしているが、あれはあれでいろいろ奥が深そうである。

 結局、通勤途中の桜を見て、手入れなしできれいだと思っているうちが華なのかもわからない。
 今週末は弁護士会の花見である。

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2007年4月 3日 (火)

黄砂

 大陸から黄砂が飛んできている。特に昨日はひどかったので、今朝は久しぶりに咳き込んだ。喘息持ちの私としては、この黄砂も辛いのである。

 大陸から飛ばされた黄砂は、まず重いものが中国国内に落ち、軽い粒子が日本まで飛散するということである。中国の重工業化した地帯から出る窒素化合物などが中国の上空でこの軽い黄砂に付着し、有毒となっているという情報もある。砂漠化が進行すると、世界各地でこのようなことが起こるのかもしれない。

 今何ともない人も、毎年毎年吸い込むうちにこうした毒素が蓄積されていくかもしれない。私は元々花粉症でもあるためマスクをしているが、一説によると花粉症用のマスクでは黄砂は防げないともいわれている。

 恐ろしや、黄砂。

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2007年4月 2日 (月)

調べ物をする時は複数の本を読むべし

 不動産の仮差押をして、供託金を決定された時に、異様にその金額が高かったことがあった。仮差押というのは、「仮に」相手方の財産を差し押さえる手続である。
 裁判を出してもその間に裁判の相手方が財産を差し押さえられては困るということで名義を移転したり、売却したりすることがある。それを防ぐために、正式に裁判を出す前に、相手の財産を「仮に」差し押さえて名義移転などが出来ないようにするための手続である。ただし、あくまで仮のため、それなりの資料が揃っていれば、相手の言い分を聞かないで裁判所は決定を出してしまう。しかし、相手からすれば言い分をいう機会もないために後の裁判で相手方が勝つこともあるため、その場合には、相手方に損害が出ることがあり得る。そのために担保を積む必要があり、これを供託金というのである。
 事件にもよるが、請求金額か差し押さえる目的物の価格の1割~4割程度で決められている。

 ところが、ある事件で供託金がもの凄く高いことがあった。裁判所に抗議したが、裁判官は、「既に決定したことです。教科書にもそう書いてあるでしょ。」という回答でにべもない。ただ、私の実務家の経験上、明らかに高額にすぎた。
 そこで、私は供託金の決定金額が高すぎる場合に高等裁判所に不服申立が出来ないかと考えて調べだした。事務所にあった本では「出来ない」と書いてあった。
 しかし、供託金の決定も一つの裁判なのであるから、裁判に対して不服申立出来ないのはおかしいと考えた私は、弁護士会で他の本を探し、本屋でも他の本を買い込んできた。そうすると、2冊の本では「出来る」と書いてあった。
 本によって見解が異なるのである。私は私の考えと一致する書籍の方を信じて不服申立をした。
 そうしたところ、高等裁判所で供託金が大幅に減額されるという決定が出たのである。

 それ以来、その裁判官は何となく私をはばかるようになったが、ここで重要なことは、調べ物をする時は同じ論点について少なくとも2冊、出来れば何冊もの本で調べるべきであるということである。私が最初の本で諦めて終わっていたら、この逆転判断は取れなかったのである。本も間違っていることがある。この人に本が書けるのかいなという人が執筆者になっている本も数少なからずある。複数の本にあたるべきである。

 そして本に書いていないことで迷った場合には、原理原則に立ち戻り考えて進んでみることである。

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2007年4月 1日 (日)

今日から新年度

 裁判所や弁護士会は3月31日で年度が代わるので今日から新年度である。まあ、休みであるから実質的には明日からであるが。
 私の頃は司法修習が2年あったので、年度代わりが弁護士としての丸何年ということにもなる。少し前から修習が1年半になり、新司法修習では1年間になるので、年度替わりが弁護士として丸何年という感覚はなくなっていくだろう。司法修習をどれだけやればよいのかというところは種々の考えがあるだろうが、私はやはり2年はやるべきであろうと思っている。ロースクールの教育が充実していることが前提での1年間の司法修習であるが、ロースクールはどのように頑張ってみても学校であり、司法修習の中で学ぶ実務の生きた事件の中での経験には及ばないと思うからである。

 私は今日から弁護士12年目に入ることとなる。12年目というと、京都では中堅クラスということになるのだが、本人にはあまりそういった自覚はない。夢中でやってきていたらそれだけ年数が経っただけという程度であって、中身がかわったかといわれたら首をかしげてしまう。経験を経て考え方ややり方が変わったところはあるが、人間なのでそう変わるはずもないのかもわからない。

 ただ、手帳に年度替わりに今日から何年目ということは書くようにしている。毎年この年度代わりの日に、そのように書くことで、節目を意識し、少しでも初心に戻れるような気がするからそうしている。
 この新年度への移行期は裁判官の異動期にあたるので裁判が少ないこともあり、ためていた訴状や調べ物が出来るし、悩んでいる事件について掘り下げて考えられる時期でもある。

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