ノータイスタイル
私は夏場はクールビズが始まる前からノータイスタイルであった。時々は気まぐれでネクタイをするが、基本的に夏はノータイスタイルである。元々ネクタイは寒い地域でマフラー代わりに使用されたのがことのおこりだという説もあるし、熱帯に近くなった日本の夏場にネクタイは合わないであろう。合理的選択からすれば夏場はビジネスマンでもノータイスタイルである。冬場は襟元が開いていると寒いのでだいたいネクタイをしているが、肩こりがひどいときは冬場でもノータイである。
私は独立してから夏場はノータイスタイルで通していて、最初の頃はしょっちゅう「ノータイかあ。楽でいいやろな。」と言われたが、最近はノータイも普通になってきてほとんど言われない。当時はそんなにうらやましければ自分もすればいいのにと思っていたが、中々世の流れにならないと人は他人と違う格好をすることに抵抗があるようである。
ただ、ノータイスタイルはネクタイを外しただけでは様にならないので、それなりのシャツを買うことが無難であるが、単にタイを外しただけのおじさんも多い。あと、ノータイスタイルだと、体の真ん中にネクタイという線が通らないので、ともすれば締まらない印象を与えるし、腹が出ていてもネクタイをしていればある程度ごまかせるが、ノータイスタイルだと腹が出ているとすぐに分かる(私も多少出ているのだが…)。
ノータイスタイル以上に、スーツを着ないという選択肢がもっとも日本の夏場は合理的なのであろうが、弁護士もビジネスの世界であるので、あまりに他のビジネスマンとかけ離れている格好をすると、これは行き過ぎということになりお客さんが不安になるであろう。
昔何の予定もない夏場にティーシャツに短パンで仕事をしていたら、そんなときに限って突然の来訪者が何人も来るのである。これからセミを捕りに行きそうな格好で事件のことを話ししていてもなんだか格好がつかず、やはりスラックスにジャケットくらいは着てくるべきであったと後悔したこともあった。
織田信長は合理主義でほとんど天下を取ったが、現代と異なり、先例が支配していた戦国時代に、それを打ち破ろうとした信長は、やはり尋常でない精神の強い人であったのであろう。何もかも人と一緒が嫌な私ではあるが、何もかも人と違うところまで行き着くことも出来ないので、ノータイスタイルが一般化した今は、筆記具(万年筆)などで差をつけることくらいである。
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