司法試験考査委員解任とロースクール
司法試験考査委員が法務省から解任された。前代未聞の出来事である。司法試験考査委員である同教授は、演習問題を学生にやらせていたというが、これが本番試験と類題であったともいわれている。
同教授は、「合格率を上げたかった」としている。ロースクールも独立採算性であることから、合格率が低ければ合格率が高い学校に学生が流れて学生が確保できないので、生き残りに必死で、本来の司法改革が目指したロースクールの理念はそこにはないといえる(まあそもそも大学で学んだからといって豊かな人間が生まれるとは私は全く思わないし、社会に一度出たからといってその人物が優れているということにもただちにはならないし、そもそもその発想自体間違っていると私は思っているが、一応民主主義国家で制度としてある以上それを前提としなければ仕方がない)。
そもそも、当面の合格者は3000人と予定されているのに、ロースクールが次々に申請して、定員が5000から6000人になったことが問題なのである。合格率が低い、と文句をいうが、それをいうなら、「元々ロースクールを作りすぎ」なのである。おかげで、合格率競争にばかり熱が入ってしまったのである。
ロースクールの定員を維持するために合格者を飛躍的に増大させろとする意見もあるが、本末転倒であろう。元々作りすぎたロースクールの存立ありきではそもそもの司法改革の理念(それが正しいかどうかは別として)とも相反してしまうものである。
昔の司法試験がそれほど悪かったとは私は思っていない。逆に一発試験であったことから、働きながらでも試験を受けることが出来たであろうし、お金のない人が独学で合格することも可能であった。ある意味平等である。
裁判官が大学出たての社会の「し」も知らないまま任官していくが故に常識が欠落した判決を書いていた(今もいる)弊害は、若手から裁判官が採用されていく現状を見ていると、ロースクールでも問題は何ら解消されないように思われる。
弁護士も批判はされるし、確かに批判されてもやむを得ない弁護士もいるが、一般的に弁護士の方が依頼者や相手方から罵られることもしばしばだし、時には命の危険を感じる仕事もやっているから、裁判官5年と弁護士5年では全くその鍛えられ方が違うと思う。
ただし、弁護士になるにも最低限の知識と能力は備えておいてもらわないと、鍛えようがないであろう。それがどの程度のものが必要かは微妙な問題であり、一言ではいえないが、対人コミュニケーション能力と最低限の法律知識と文章力は当然必要であろう。
これからは就職もどんどんなくなっていくであろうから、対人コミュニケーション能力がない人は就職先も勝ち取れないであろう。また、いきなり独立して飯が食えるほど弁護士の世界は甘くない。依頼者もよく見ているし、逆にややこしい事件屋もそういった弁護士を手ぐすね引いて待っていそうで怖い。緒方元長官もそうした事件屋にぐるぐる巻きにされていたのかなあ。
ああ、こわ。
きゃ~。
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