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2007年7月 5日 (木)

児童虐待のことなど

 私は弁護士になってから、なる前には全く考えていなかった(というか若かったこともあり、具体的イメージがあまりなかったのだ。それがかえってよかったとは今は思っているが)ことが弁護士としてのライフワークとなっている。
 消費者被害、多重債務者救済。それから犯罪被害者支援である。前者は大手企業からすればそういう言葉がいいのかどうかわからないが、弱者である。後者も過去の刑事手続において忘れ去られた存在であった人たちであって、法律を「知らない」がために被害を受けていたり、何の落ち度もないのに被害者になってしまった人たちに何かが出来ないかということであり、共通したところがあるかと思っている。
 ただ、この種の事件だからといって特別扱いはせず、全ての事件に対する姿勢は同じであるように心掛けてはいる。

 このうち、犯罪被害者支援に関しては、画期的法律が出来た。刑事事件で検察官とともに被害者が質問をしたり出来る制度である。
 実はこれは、ある意味検察官に対する被害者達からのダメだしだと私は思っている。
 本来検察官は検察官法によれば公益の代表者であるから、被害者の立場にもたって納得させるような刑事訴訟活動をすべきなのであるが、現実の裁判では、我々が検察官にお願いに行っても、正直なところ、「被害者のことを全く考えておらず、その場その場の事件を処理していくことしか考えていないな」という検察官に出くわすことも事実であり、実際、検察官の代わりに、「私が尋問したい」とおもったことも多々あるのである。
  被害者本人達は余計にそうであろう。検察官は人数も少なく、時間に追われているから、被害者対応まで中々十分な時間は取れないのであろう。また、検察官はその立場上被害者そのものにはなりきれないであろうから、やむを得ないところがないわけではない。

  司法改革で法曹の増大を掲げた際、検察官と裁判官の大幅な増員も掲げられていたが、実際には増員されていない。政府は予算をつけないのからである。もちろん、私は立派な検察官も知っているのだが、本来全員がそうした職業意識に燃えているべきであろう。しかし、それでもやはり被害者からすると、「検察官の質問は生ぬるい」となるかもわからない。

 今回の法案は、被害者側の声が通った形で、「もはや検察官には任せておけない」となったとでもいうべきなのではないかと考えている。
 個人的には、被害者のみで質問とかをしようとしても的が外れていたりすることもあるであろうし、相談する相手がいた方がよいと思うので、弁護士強制主義を取るべきであると考えている。
  国選刑事弁護人のように、資力のない人には国選で被害者側弁護士をつけるのである。国のお金というのは、必要のない道路や建物を造ったり、変な外郭団体への外注費に費やされるべきではなく、こうした「生きた」使い道をするべきなのである。

 その一方で、遺族がいない犯罪というものがある。いや、いるにはいるが、遺族が被告人の場合である。それが児童虐待である。子どもは自らの親に殺され、本来であれば遺族であるべき親が殺害した犯人なのである。こうしたケースは最近増えているが、前にも書いたけれど量刑が低い。

 それは、やはり被害者の声を代弁するところが弱いからであろうと私は思っている。やはり法廷で遺族が声を涸らしてどれだけ辛い思いをしているかを述べたら裁判官だって考えるであろう。しかし、そうした声がなければつらかっだであろう子どものことを裁判官は推測するしか出来ない。いきおい、従前の量刑相場におちつくのである。

 私は個人的には、こうした遺族なき犯罪についても、亡くなった子どものために被害者として、弁護士が加害者に質問するような制度も必要ではないかと考えている。子どもは生き返らない以上、誰かが代弁してあげるしかないのである。検察官は被害者そのものにはなれない以上、検察官とは独立して被害者そのものとなって責める立場があってもよいと思うのである。

 こうは書いても私は刑事弁護もする。その立場立場で依頼者のために最大の仕事をするのが弁護士の仕事であると思う。相手にしたら嫌な弁護士になるのが私の望みでもある。

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コメント

とても興味深く読ませていただきました。
以下は私事で恐縮ですが、何卒ご容赦くださいますよう
お願い申し上げます。
私は、法学と心理学とソーシャルワーカーに興味のある高校生です。
学校の授業で児童虐待を知り、関心を持ちました。
虐待の問題(被虐待者や加虐者のケア)に携われる道に進みたいと思っているのですが、弁護士として何かできることはあるのでしょうか。
虐待問題解決に関する本を読みましたが、
やはり裁判・法廷の場でしか、弁護士はその問題には関わって
いけないのでしょうか。
乱文大変失礼いたしました。

投稿: 匿名 | 2008年11月18日 (火) 17時37分

 コメントありがとうございます。
 私はいろいろと考えるだけで、行動出来ていないのが大変心苦しいので私のような弁護士がコメントをお返しするのが適当かどうか分かりませんが、分かる範囲でお答えします。
 弁護士としての資格で仕事として行うのであれば、当然裁判や法廷の場での活動となりますが、弁護士は弁護士法でお金を貰う仕事以外に、無償で公益活動を行うことが義務づけられています(やらない人も多いですが)。無償どころか持ち出しになる活動で、この活動費に経費もかかります(どこからも返ってきません)。
 弁護士会には委員会というものがあり、子どもの権利救済のための委員会などでそうした虐待に対する様々な活動をしていると思います。
 また、東京の弁護士さんで、自分たちで虐待を受けた子どものためにシェルター(避難所)を作られて寄付を募って活動されている先生方もおられます。
 私は虐待問題はあまりこれまで関わってきていませんが、それ以外に多重債務問題や犯罪被害者支援では公益的な活動を多数行ってきました。
 それそのものを仕事とせずとも、お金を貰う仕事以外のところで、出来るところはたくさんあるというのが実感です。
 匿名さんも、将来ご自分の興味のある分野で活躍出来ればよいですね。

投稿: 中 隆志 | 2008年11月18日 (火) 17時55分

お忙しい中、早々と返信を下さり、ありがとうございました。
大変参考になりました。深謝。

同級生には
虐待なんて暗い問題…と敬遠されておりますが、
何か自分にできる形を探ってみようと思います。

投稿: 匿名 | 2008年11月18日 (火) 18時03分

 やりたいことが見つからない人が多い世の中で、興味がある分野を持てたということ自体が幸運なことであると思います。
 楽をして儲けたり、派手な仕事がもてはやされる傾向にありましたが、ホリエモンの転落などでそうした人生や社会傾向が本当に良いのかという気運が若い人に生まれて欲しいと思います。

投稿: 中 隆志 | 2008年11月19日 (水) 13時59分

お言葉にとても励まされました。有り難うございました。

投稿: 匿名 | 2008年11月19日 (水) 17時53分

半年前から14歳の女の子を預かっています。娘の友達でお兄さんから暴力を振るわれ家に帰ることができない状況す。ただ最近になり児童相談所から家で面倒を見ることはよくないと言われました。私の娘も夜遅くまで遊んでいるからだと思います。ただ、児童相談所は一年前にその子が助けを求めたのに途中で見放したそうです。だから絶対に児童相談所には行かないと言っています。しかし、そうなってくるといつまでも生活費をいただけないのは困るのでお母さんに月に3万円生活費をお願いしますと言いましたが、返事がきません。どうしたらよいのでしょうか?児童相談所は家に帰らせるしかないというのです。おかしくないですか?なぜ虐待をされているのを知っていて帰らせることができるのでしょうか?

投稿: | 2011年12月15日 (木) 19時46分

 申し訳ございませんが、個別事案の相談にこのブログで応じることはしておりません。
 最寄りの弁護士会に、虐待問題で詳しい弁護士を指定されて、相談に行かれることをお勧めいたします。

投稿: 中隆志 | 2011年12月16日 (金) 13時20分

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