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2007年8月31日 (金)

法廷での弁護士のありよう

 法廷で相手方弁護士の態度や発言をみていると、いろいろである。

 裁判所に提出した内容をかいつまんで全て話をする者、大声を上げて「この事件はこうなんです」と断定するもの、こちらが主張を述べると、いちいち、「これは事実と違う」と述べる者、自分のところの主張が正しいことを前提に「これこれこうした資料があるから提出されたい」と述べる者、妙に偉そうというか、ケンカ腰の者がいる一方で、いうべきことはいうが、淡々としている者、事実として決めつけることはせずに、「こちらの主張はこうです」と述べる者がいる。

 私は後者であり、法廷では淡々としている方だし、そんなにべらべら話はしない。また、事実については、これから裁判所で認定されるべきものであるから自分のところの主張はこうだとはいうが、「これが事実です」ということは断定できない。
 そもそも、前にも書いたが、裁判における事実認定は、過去において「こういった事実があったであろう」ということに過ぎず、過去に存在した事実を現在に完全に再現することは現時点の科学では不可能である。現場を録音・録画したものであっても、編集の余地がない訳ではない。
 従って、依頼者が体験した事実を、体験もしていない弁護士が「これが事実なんです」と断定すること自体無理があるのである。依頼者の方も、記憶が変容していることもあれば、弁護士に本当のことを言っているかは分からない。後に依頼者が忘れていたか故意に隠していた不利な証拠が出てくることもある。そうしたときに大恥をかくのは断定した弁護士であるから、せいぜいが「こちらの主張はこうである」ということが限界である。

 たまに、「事実はこうなんです」という弁護士に出会うが、「あんたは何を根拠にそんなに断定出来るねん。本気でそういっているんやったら、法律家としてどうなんや。」という思いで聞いている。

 自分のところの主張が正しいことを前提に「こうした資料があるはずだ」というのも同様であって、極めて不遜な態度であるというべきなのである。

 また、私は書面で書けば裁判官は普通は読んでいるだろうから、ほとんど補足説明はしないし、「これが事実です」というような言い方はしない。

 さらに、別に訴訟で相手の弁護士とケンカする訳ではないので、普通の態度で接している。ことさらにケンカ腰になる必要もない。

 かえって、やたらケンカ腰であったり、べらべらと述べる弁護士は、「自信がないから、虚栄を張るしかないのかな」というような目で見てしまうし、実際のところそうなのではないかと思う。ある裁判官もこうした弁護士は見ていてあまり気持ちのいい者ではないし、そんなに固い態度を取るからには、さぐられたくない痛いところがあるのかなと思ってしまうと言っていた。
 こちらが話をしている時に割ってはいってくる弁護士もたまにいるが、人が話をしている時に割って入るのは、「言われたくないからかな」と思うので逆に不利ですねとある裁判官は言っていた。実は裁判戦略上もそれほど有利ではないのである。

 やたらと書面で相手方の批判めいたことをすることも(離婚訴訟だとある程度はやむを得ないのだが)、自分の主張立証活動に自信がないから言葉だけが激しいのかなという風に読めてしまうし、ある裁判官も、読んでいて気持ちのいいものではないし、自信がないから言葉が激越になるのかなという印象を受けるといっていた。

 まあ、依頼者からすれば、法廷で自分の依頼した弁護士がギャンギャン言ってくれた方が「やってくれている」という気にはなるであろうが、訴訟に勝つ方向にはあまり向いていない可能性があるのである。

 ところで、今日は1件相談が一方的にキャンセルになったので時間が少し空いたが、少し前に聞いた話だと、大阪のテレビに出ている有名な弁護士は、相談がキャンセルされると、「自分は多忙ななか体を開けていたのだから、相談料相当の損害金を支払って下さい」といって、3万1500円の相談料相当分の請求書が来るという話を聞いたが、(私が取っている相談料の何倍にもなる)本当だろうか。

 キャンセルになった相談者から相談料をもらうなど、私などは考えつかない発想である。本当に弁護士はいろいろいるものである。

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2007年8月30日 (木)

週刊誌

 今日は週間文春と新潮の発売日なので新聞の広告で見て面白そうな記事があるときは買って読む曜日である。

 今日はこの2つの週刊誌では、ゴルファーの横峰さくらパパの不祥事の話と、虎退治というキャッチフレーズで当選した姫の国会議員の不祥事の話が掲載されていた。自民党の情報戦略としての逆襲であろうか。あとはテレビの情熱大陸に出ていたイルカに人工尾びれをつけた獣医の不祥事も掲載されていた。
 話が本当だとすると、ひどい話ばかりであるが、3人に共通しているのは皆自分が人格者のように振る舞っていたことであろうか。だから余計たたかれるのであろう。

 私は人格者でも何でもないし、欠点が山ほどあるし、K藤S一郎君は知っているのだが人間的に「深みゼロ」の男であるので、せめて「仕事」だけはきちんとしようと努力しているが、ここで出てくる人たちは本業でもムチャクチャのようである。書いてある事実が事実とすればであるが。

 今日はこれから雨の中事件の現地を2箇所回らないといけない。雨の日は傘を差しながらだと写真を撮りづらいので、晴れてくれたらよかったのであるが天気ばかりは致し方ないので、今日もまじめに仕事をしようと思うのである。

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2007年8月29日 (水)

借金苦による自殺・無理心中

 24時間営業のマンガ喫茶やマグドナルドを寝床にし、家がない人が増えているようである。病気や失職などで住むところを追い出されて、その後は日々のアルバイトなどで日を暮らすのに精一杯で自宅を借りるというところまでお金が残らないのだという。なんともやりきれない話であり、最近報道でも取り上げられている。

 一方、借金を苦にした自殺や無理心中も時々新聞などで報道されている。また、借金があるがために凶悪な犯行に及んだという事件も聞かれるところである。

 我々弁護士からすると、破産や個人再生、債務整理などの法的な手続があり、たいていの債務者はこれらの手続で借金を整理出来ているという現状の中で、どうしてこのような自殺や事件が起こるのだろうかと思う。弁護士費用は分割でも応じているし、司法支援センターによる弁護士費用の立替払制度もある。こうした多重債務事件の解決に慣れている弁護士のところにだとりついていれば、こうした自殺や事件は発生しなかったのではないかと思うとやりきれない。

 今はたいてい最寄りの弁護士会で多重債務の専門相談をしている。また、多重債務相談は紹介なしでも聞いてくれる弁護士も多くなってきていると思う。私も特段紹介がなくとも聞いている。相談料が払えないという人のためには、相談料が無料になる司法支援センターの法律相談援助制度を各法律事務所で利用すればよい。

 とにかく相談をして欲しい。弁護士のところに行く前に、今どこからどれだけ借りていて、いつから最初借り始めたかという程度のメモがあると、ぐっと相談はやりやすくなる。

 司法書士もこうした事件をやっているが、認定を受けた司法書士は簡易裁判所でしか代理権がないが、弁護士は何らの制限もなく、全ての事件で代理権がある。また、費用についても、司法書士と弁護士とで格差はあまりなく、時に私が聞く話では、司法書士の方が多く取っていたりするのであるから、何よりも弁護士のところに行って欲しい。

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2007年8月28日 (火)

訴えの提起が違法となる場合

 よく訴えを起こされた依頼者から、「こんないわれのない裁判出されるなんて許せない。先生、逆に相手を訴訟を出したことが法律違反だとして、訴えられないんですか。」と言われることがある。

 確かに、あまり吟味されていない訴状をみることもあるし、本人の話を前提にすると「普通はこれで訴訟を出すかな」というような事件がないわけではないが、これはあくまでこちらの話であって、相手がまだ出していない有利な証拠を持っていることもあるし、見方によっては相手の主張が成り立つかもわからない裁判もある。また、裁判が進むことによって相手の主張が洗練されてくることもある。

 訴えの提起自体が違法とならないと、訴訟を出されたことによる慰謝料などを反対に相手に請求することは出来ない。そして、この訴えの提起が違法となる場合は極めて限定的に考えられている。それは、裁判をする権利が保障されているからである。

 難しい裁判を法を変えるためにあえて起こさないといけないこともあるし、専門的訴訟などはそもそも見通しが立たないことも多い。そのような中、敗訴した当事者に対して、結果だけから、「裁判を出したことが違法だ」と後にいわれると、皆裁判を出すことを控えるようになることから、よほどのことでないと訴訟をすることが違法にはならないのである。

 このことから、違法となる場合とは、証拠を偽造して貸してもいないのに貸金の請求をするような場合とか、完全に同じ内容で一度負けているのに同じ内容で訴訟をするとかというような限定的な場合に限られているのである。

 訴訟は避けられないこともあるが、あらかじめ弁護士に相談することによって、後日の紛争を避けられることもあり。それが理想であろう。予防法学というのであるが、なかなか日本では浸透しない。

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2007年8月27日 (月)

修習生の就職問題、最近の報道から

 今年度は9月に旧司法試験の60期が、12月に新司法試験の60期が法律実務家になり、その合計は2700名である。少し前から、合格者が一斉に増えるこの時期の就職は、2007年問題といわれていた。

 司法試験合格者は今後3000名となる予定であるが、今年の2700名の合格見込み者に対して、現時点では100名程度が就職が決まっていない状態だということで、日弁連としては何とか押し込みたいという意向だそうである。しかし、今年を乗り切ったとしても、今後毎年これだけの人数が合格してくるという長期的視野がマスコミの報道にも欠けているようである。今年は何とかなっても、この先はどうにもならないだろう。大量の就職浪人があふれそうであるし、そんな試験のために数百万円の学費を出してロースクールに行くだろうか。

 そもそも、司法改革が叫ばれた時には、企業や自治体が弁護士資格を有する者を数多く受け入れてくれるという見込み違いの期待があった。しかし、現実に日弁が調査したところ、全くニーズはなく、現在では、この時点で見通しが全く違ったものになっている。

 もちろん、合格即就職ということではないとして、全員が就職できなくともよいし、世間ではむしろ当たり前だという意見もあるだろう。しかし、法律家は司法試験に合格し、修習さえ終えれば弁護士登録が出来るので、いきなり自分で仕事を始めることも可能なので、就職出来なかった人たちが自宅で事務所を構えるということも可能なのである。

 しかし、一般的にいって、登録したての弁護士ではほとんどの人が使い物にならず、勤務弁護士として事務所の事件を行う中、ボスから指導薫陶されて経験を積んでいかなければならないのであり、司法試験に合格し、修習を終えた程度では1人でまともな事件処理はほとんどの人には出来ないのである。
 普通の資格とは違うのであって、就職できなかった人たちが、自分で事務所を構えて、つたない事件処理をすることによって被害を受けるのは、一般の市民であり、司法改革を推し進めた経済界や大学ではないところが問題である。

 また、漏れ聞くところでは、昨年の59期でも、最終試験について、これまでと同じ合格点に設定すると300名以上落第者が出るので、合格点を下げたともいわれていて、法律実務に対する基本的な知識がないか乏しい修習生の数は増えているようである。全体を増やせば、これは仕方のないことなのであろう。300名は本来であれば不合格者であったのであり、それらが既に実務家として全国で仕事をしていることになる。

 この問題を解決するには、裁判官と検察官の採用を飛躍的に増大させるか(500名ずつ採用)、全体の合格者を減らして徐々にトレーニングしていくしかない。また、これまでより最終試験の合格点を下げることは無意味であり、国民に対する法律家の責任からして、合格点に達していない者は不合格としていくしかなく、合格点を下げるなどもってのほかである。
 まともに手術したことのない医師に開腹手術を任せたい患者はいないだろう。法律家が育つためには医師が育つのと同様時間がかかるものなのである。
 十分なトレーニングがされていない弁護士による事件受任というのは、経験のない医師による手術と全く同じなのである。

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2007年8月26日 (日)

被疑者国選

 現在でも一部始まっている被疑者段階からの国選弁護士制度が、2009年4月1日からほとんどの刑事事件が対象となる。

 既に起訴されている事件が対象の被告人国選と違い、捜査段階での弁護活動となるので、時間が原則10日間、勾留という身柄拘束が延長されて20日間の間の弁護となる。
 その期間内に起訴されれば被告人国選が原則継続となり、起訴されなければ(起訴猶予という)そこで任務終了である。

 ただし、捜査段階での弁護というのは短期間にいろいろとしないといけないことがあったりするので(被疑者本人との面会。これは警察署に行ってしないといけない。被害者との対応、出来れば示談。検察官との折衝。家族との打ち合わせなどなど)、弁護士の負担は重く、引き受け手がある程度の人員がいなければ対応が出来ない。

 今京都弁護士会でもそのための対策本部を立ち上げて私は事務局長に就任している(あまり国選はしていないのであるが…。まさに私のような会員がある程度引き受けないといけないという趣旨なのであろう)。
 無実の罪で逮捕される場合だってありうるので、この被疑者国選自体は非常に必要な制度なのであるが、この制度が本格的に始まる2009年4月までに、被疑者国選の引き受け手をいかに増やしていくかが当面の課題である。

 私も消費者被害事件の弁護団の事務局長を2つやっているのが一つ終了しそうで、少し暇になるかと考えていたのであるが、今回の事務局長就任で暇にはなりそうもない。

 金融庁が出した多重債務対策プログラム対応のための弁護士会でのワーキンググループにも所属しており、最近では中々犯罪被害者支援センターの理事会にも出席出来ておらず、この多重会務状態と刑事事件との折り合いをいかにつけていくかも中々困難な問題ではある。

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2007年8月25日 (土)

印紙代

 相続人さんコメントありがとうございます。どうにもならない弁護士には裁判所も困っていることが多いと思います。

 さて、今週は木曜日金曜日と朝から晩まで予定が詰まっていて(それも事務所に資料を取りに帰ってその足で出て行くという忙しさ)、その合間を縫って依頼者への事件の報告書や内容証明、提出すべき書類の最終チェックなどをして出していたのでへとへとであった。そのためか、昨日は少し飲み過ぎたかもしれない。弁護士会の会議が多かったが、全て議事進行を私がしないといけない会議ばっかりであったので、出なければならなかったこともあるし、いろいろな発言を整理しつつ議論をまとめていくというのは結構骨が折れる作業である。

 今日の話題は印紙代である。訴訟をするについて、勝訴・敗訴のリスクももちろんあるが、印紙代がネックとなっている場面もあるように思う。
 裁判を出す場合、その金額に応じて印紙を貼らないといけないのだが、これが結構高い。経済的に困窮している人について、一時的に納付を待ってもらえる訴訟救助制度もあるが、最終的にはやはり請求が来る。

 ちなみに、どの程度かというと、地方裁判所に出す一審の事件で、1000万円の事件で5万円、5000万円の事件で17万円、1億円で32万円である。控訴審だとこれが1.5倍となる。訴訟マニアのような人が裁判を出しまくることを防止するために印紙を納めてもらうようになっているのだが、時にはこの印紙代が出せずに訴訟を断念する場合もあるのである。弁護士費用は着手金を安くしてあげて、うまくいった時に成功報酬で調整しましょうねという契約も出来るのだが、印紙代は訴訟救助で一時的に支払を延ばしても、いずれ支払請求が来るので、一時しのぎにしかならないのである。

 確かフランスは印紙代がいらなかったように思うが、国民のための開かれた裁判を目指すというのであれば、無償とはいわないまでも、せめて印紙代は原稿の10分の1程度にしてもらいたいものである。

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2007年8月23日 (木)

仕事のやりにくい時代到来

 ももさんコメントありがとうございます。テレビで出てくる弁護士ドラマは実際の事件ではあり得ない話がほとんどですので、裁判員制度のもとで裁判員の方々がテレビのようなイメージを持たれていると困惑するでしょうね。

 さて、最近は仕事がやりにくい時代に突入したような気がしている。それは、相手方弁護士との関係である。
 当然主張されるべき事実が中々主張されなかったり、証拠も中々出なかったり、当然ここでこうなると皆が思っているのに違う事を言い出したり、子どものような反論をしたり、人が死亡した事件で死亡した人を誹謗するような主張を出してきたり(ことさらに死者に鞭打つというのは、弁護士法の趣旨からしてありえない行動なのである)、全体的な訴訟の構造を考えずに場当たり的に主張してどんどん主張が崩れていったりと、およそ過去には考えられなかった相手方弁護士が増えた。これは中堅以上の弁護士は実感しているところではなかろうか。

 相手方弁護士がそれなりの能力がなければ、紛争は解決しないことが多い。もちろん、過去にもひどい弁護士は多々いた。いつまでも事件処理をしない、連絡をしても回答が全然来ない、それなのに費用だけふんだくっているなど「こいつが相手方だといつまでも事件終わらないやんか」という弁護士はいた。

 しかし、困ったことにこうした無能力な相手方弁護士に対して強制的に何かをさせる訳にはいかない。自分の依頼者からは、「もっと相手に言ってもらわないと」と憤慨されるが、何を言ってもだめな弁護士はいるのである。ある意味こうした人達が弁護士であること自体が問題なのである。そのうちに顧客の預かり金に手をつけて懲戒になっていたりすることもあるが…。

 また、裁判官も、有能な人だと事件を引っ張っていってくれるが、最近は、進行について、「当然こうなると思うが相手方は次回用意されるのか」とか進行について私が采配を振るわないといけないような場面が出てきたりもしている。

 ここのところ、相手方に「ハア」とため息をつきたくなる弁護士がつくことが多く、そうした事件は全然進展しないし、「ハア」という弁護士は自分ではそれで出来ている気になっている。相手方が「ハア」というため息をつかなければならない人物であるため、解決へのパワーも数倍かかって疲れるのである。もちろんその「ハア」という弁護士を相手にした弁護士は、「あの人おかしいよなあ」という話になるのである。

 人格的に破綻していると思われる人もいる。これは合格者が増えたので単にそういう「ハア」という人の割合が増えただけなのであろうか。そういう弁護士が、それでいいとそのまま中堅弁護士などになっていった時が怖い。司法改革の破綻が決定するであろう。統計学的には、一定の条件で抽出した集団であっても、何割かはおかしいのが混じってしまうということであるから、母数が増えたからそうなのかとも思っている。確か働き蟻は「働き」アリなのに、常にさぼっている奴がいるということであり、そのさぼっている奴を取り出すと、また別の奴がさぼりだして常に一定割合さぼっている奴が出てくるそうである。

 弁護士同士の常識が通用しない時代がやってきたのかとも思っている。恨まれるのもいやなので、ある程度書面で注意をしたりするが、たいていは聞き入れず逆に頑なになっているようである。事務所でのトレーニング不足というところもあるであろう。

 やれやれである。

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2007年8月22日 (水)

FAXによる書籍などの案内

 事務所には日々ファックスで書籍の案内やトナーの案内などが来るが、私はこうしたファックスを契機として購入したことがない。ファックスじたいは、パソコンから住所録の一覧表か何かを差し込み、自動送信しているものと思われるので、相手方の手間はほとんどない上、電話料金だけで宣伝出来るので効率的と考えているものと思われる。

 しかし、細かい話をいえば、ファックスを受信するとこちらにトナー料金がかかるのである。1枚4円であったか5円であったか忘れたが、紙もこちらの紙であるからこちらに経済的負担を強いているのである。たとえばであるが、年間に1000枚のこうしたファックスが来るとすると、こちらは拒否できないのに5000円のトナー料金と、1000枚の用紙代の負担をかけられていることになる。

 私がここでいいたいのは、そうした費用がかかることを問題にしているというよりは、その企業姿勢が問われるのである。相手に少額とはいえ経済的負担をかけて宣伝をするというような横着な企業には誰が注文するかいと皆思うのではないかということである。

 私はこのような理由から、いまだかつてファックスから注文したことがないのであるし、今後もする意思はない。

 破産管財人になると、どっとファックスが送られて、「不動産購入希望」とか、「動産買い取り希望」などが来るが、これにしたところで同じであり、自らの費用負担でもって宣伝をするか、足を使って苦労していないのは横着である。これらの宣伝方法は、逆に電話代や人件費が無駄であるからやめた方が無難である。

 その意味で、郵送してくるものは開封して見るようにしている。注文するかどうかは別問題であるが。足を使ってと言ったが、突然の訪問もある意味こちらの都合を聞かず、その応対に事務員は仕事の手を止めて応対しなければならないから、横着だといえるであろう。

 同様のことは電話にもいえる。電話もこちらの都合を聞いていないからである。突然電話してきて、セールスをする電話は、「切りますよ」と言って相手が話をしている途中でも私は切ってしまうのである。

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2007年8月21日 (火)

ドメスティック弁護士

 テレビを見ていると国際弁護士が出ているが、私は逆にドメスティック弁護士(そんな言葉があるのかどうか良く分からないが)である。

 外国に関連する事件はやったことがないし(入管の事件すらない。二条通を挟んだS事務所のY下N子弁護士やそのパートナーでサッカー部のU村弁護士はたくさんやっているようで、非常にいい決定も取っているようである)、国際事件や外国企業とのM&Aは一生関係がないであろう。
 そうした事件をする弁護士がいて、物凄い収入を得ていることも知っているし、そうした事件に意義がないとは言わないが、私はそもそもそうした事件をするために弁護士になったのではなく、地を這うような事件をするために弁護士になったので、ドメスティック弁護士でよいと思っている(入管事件はドメスティック弁護士でも出来るというウワサもあるが…)。

 また、私は極めてドメスティックな男でもある。グローバル社会の時代に、外国に行ったことが3回しかなく、ハワイに行った時ですら、関空を離れた途端に大人しくなったのである。いつもは人の先頭をきって歩くが、外国にいると、兄弁のT中Sゲル弁護士を前に立てて後ろに回っていた。ホテルで物を聞くにも、常に事務員に聞いてもらっていた。しかし、関空に帰ってきた途端元気になっていたのである。

 シンガポールに公害環境問題の関係で調査旅行に行ったのが最後の外国旅行であったが、この時は役職柄調査旅行の団長であった。そのため、やむを得ず先頭に立たなければならず、最後の自由行動日には発熱して帰りの飛行機の中では熱のためぼうっとしていた。なにせ英語がわからないし、行ったことのないところに行くと緊張するのである。私が食事をする店が限られる理由がこれで分かってもらえたであろうか。

 たまに文庫本などで、リュック一つで東南アジアを回るという女性などの旅行記があるが(しかも1人!私ならまず1人で飯が食えない)、私には一生出来そうにない旅行の態様である。

 一念発起して独立した時に英語をやろうと思ってテープをいくつか買い込んだが、必要があまりないのでこれも今では自宅の書棚の飾り物である。大学時代英語を読んだら英語まで関西弁だと笑われた男には英語は無理なのであろうか。やらなければそりゃ無理だわな。

 現時点では、国際弁護士と対極にいる男が私なのである。

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2007年8月20日 (月)

尋問

 証人尋問は弁護士の華であるが、主尋問はともかくとして、反対尋問というのは中々難しい。テレビでやるように、「嘘をついていました」なんて白状するような場面は実際の訴訟ではまずお目にかかれない。せいぜいが、信用性を失わせるくらいである。

 実際の訴訟で「真実を話してください。あなたの良心にかけて」なんてやってみても、「話してます」と言われるのが落ちである。

 反対尋問のコツとしていわれていることは、

1、客観的資料との齟齬をつくということ

2、常識的に見ておかしいことをつくこと
  たとえば、通常であればなすべき行動をしていなければそこを指摘すること、である。

 一般的知識や常識から罠を狭めていって証人や本人のいっていることが「おかしい」と裁判官に思わせれば十分である。おかしいところをおかしいでしょといっても尋問にならないので、そこは工夫が必要であろう。言わせたいところにまっすぐ斬り込んだら返り討ちにあうので、徐々に網を狭めていくのである。

 また、時系列で聞くと相手方は頭を整理するので、あちこちに飛ぶ方がよいとも言われる。ただし、これは聞く方が相当頭が整理されていないと出来ないのである。

 かくいう私も尋問でそれほどうまくいったかというと、「…」なのであるが。

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2007年8月18日 (土)

模様替え

 勤務弁護士がこの9月から来る予定なので8月初旬に事務所の模様替えをし、終了記録や判例時報、判例タイムズなどを置いておく倉庫を借りた。

 これから司法試験の合格者が増え、一定人数が吸収されていくためには、私のような1人事務所の弁護士が1人は勤務弁護士を受け入れることがある程度必要とされるであろうが、勤務弁護士を受け入れるためには事務所のレイアウトを変えたりなどする必要があるし、挨拶状などいろいろな経費がかかる。自分1人で気楽にやりたいと考えている弁護士にそのような経費負担を善意だけで要求するのは難しいのかもしれない。

 正直なところ、レイアウト変更やらなんやらで、低い目の一家庭の年間収入程度の費用が必要であった。
 机を増やし、電話回線を増やし、倉庫を借りて…というとバカにならない費用であるから、あまり乗り気でない弁護士が受け入れるためには、毎月の給与(ランニングコスト)もそうであるが、こうした初期費用もネックとなっていくのかもわからない。

 このような状況からすると、3000人の合格者が、今後全て就職出来ていくというのは絵空事のように思えるし、一部で言われている9000人とか1万2000人とかという合格者の数字は本当に馬鹿げていると思うのである。

 私が合格した時は合格者は600人であったから、隔世の感がある。

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2007年8月17日 (金)

生物と無生物のあいだ

 私は科学読み物も好きである。歴史小説、ノンフィクション、ミステリーなどを読む間に、適度にこうした科学的読み物を読んでいる。

 表題の本は、福岡伸一という人が書いた講談社現代新書の本で、今売れている。二日で読んだ。
 理科系の知識が乏しい私とすれば目新しい知識がいっぱいであった。若干著者は文学的表現で文章を延ばす癖があるのが気にはかかるが、総じて面白い本であったと思う(私にとってはであるが。理系の人が読んだら「なんやねん」というレベルなのかもわからない)。

 DNAが二重らせん構造をしていることを解明したとしてノーベル賞を受賞したジェームスワトソンとクリックであるが、その裏でロザリンド・フランクリンという緻密な女性の研究データを「盗み見」した可能性が指摘されていたり(ロザリンド・フランクリンが抗議出来なかったのは、彼女が37歳という若さでガンで死んだためであるとされる。いつか彼女の伝記も読んでみたい。この話が本当ならワトソンとクリックは非常にアンフェアな行為で世紀の大発見をしたことになる)、DNAを必要なだけ複製出来る原理を彼女とドライブ中に考え出したマリスという博士が出てきたり(このマリス博士はサーファーでもあるらしい。)、科学の歴史の勉強にもなる。

 タンパク質が取り入れられた後、瞬く間に体の一部となり、常に取り入れられた栄養は体をスルーしていっているという事実や(1年も経てば人間の全ての細胞は入れ替わっているとされる)、原子が極めて小さいにもかかわらず、生物の体がそれに比してなぜこれだけ大きいのかが次々に語られる。

 本当に難解な科学の本はつらいが、純粋文系人間である私にとっては、こうした科学的読み物が面白いのである。

 ほかに、科学的読み物で今まで読んだ中で面白かったのは、「4000万人を殺したインフルエンザ」(スペイン風邪の正体を暴くノンフィクションである。スペイン風邪で死んだ人の遺体を掘り出すところから話が始まったように記憶している)、「薬はなぜ効かなくなるかか」などである。抗生物質を多用すると、その抗生剤に耐性がある突然変異の菌が生き残り、これを殺すためにさらに強い抗生剤を投与すると、またこれに耐性がある菌が生き残る…という悪循環を描いている。院内感染が時として問題となるMRSAは抗生剤が投与される中で生き残ったがために病院内に存在するのである。
 こうした生命の謎を解くというのは、私には能力的に出来ないが(純粋文系人間のため)、読み物としては非常に面白い。

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2007年8月16日 (木)

メール中毒

 私はメール中毒である。起案をしながら、1時間に1回はメールの「送受信」ボタンを押す。どうしてこうなったのかはわからないが、メールをこまめにチェックしておかないと仕事の段取りも悪いのでこまめにするようになったが、今ではチェックしないといらいらするのである。

 そのため、外でもパソコンのメールがチェックできるウィルコムの端末を買ったのである。出張中でもメールが見られるので便利である。
 随分前にテレビを見ていたら「地衣武男」が携帯のメール中毒である話をしていた。しょっちゅう新着メールの問い合わせをするのだという。携帯メールも自動受信するだろうから、そこまでしなくともとみな言っていたが、私はパソコンのメールが似たような状態である。

 おそらく、気にならなくなれば全然気にならなくなるのであろうが、未だに気になるマンガ一つのために毎週少年マガジンを買う私のような性格だと気になり出すと止まらないのである。気になったり意地になるところがあるので、パチンコや競馬、麻雀などのギャンブルは一切やらないようにしている。株も同じである。

 まあ別段害はないのでよいのだが、精神分析されると(私のところに最近まで居た修習生のMさんは心理学を最初やっていたような…。分析されていたりして)、何か歪んでいたらどうしようかと悩む今日このごろである。

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2007年8月15日 (水)

相談料の有料・無料

 京都弁護士会の多重債務相談は昨年の4月から初回無料となっている。多重債務事件は受任すべき事件が多いのところ、事務所で聞く相談でも相談を聞いて受任する場合に着手金と別に相談料は貰わないので、受任がほぼ前提となっている相談であるし、多重債務被害の救済のために相談料が弊害となっていると予想されたので(5250円支払えるのであれば、返済か生活に回してしまう)、相談料無料化に踏み切ったのである。私も無料化にするについては、無料化を推進する方の立場でいろいろと根回しなどを行った。

 その後相談件数は飛躍的に伸びている。しかし、弁護士の中には、「弁護士の業務は有償であるべきである」として、相談料の無料化には根強い反対をされる人もいる。これは理論上の問題というよりは、価値観の問題であろうと思う。価値観の異なるもの同士が議論をしても、平行線のままなのである。私は理論的問題点はともかく、5250円が弊害となって相談件数が減っていて、そのために弁護士へのアクセスに障害を来しているというのであれば、やはり多重債務相談について無料とするのは方向として間違っていないと思っているし、その後全国各地の弁護士会でも無料となってきている。

 その一方で、私の事務所で聞く相談については無料と出来ていないが、実は本人には負担がかからないで相談をする方法もある。日本司法支援センターというところが相談料を代わりに支払ってくれる制度である。ご本人の懐は痛まず、弁護士には相談料が入るというシステムである。一定以上の収入がある人は利用できないなど収入面などの制約はあるが、通常のサラリーマンであればたいていは利用できる制度である。そして、特に相談内容について制限もないので、破産、個人再生、離婚、交通事故、借地借家、損害賠償などあらゆる事件について相談が実質無料で聞ける制度である。ただし、これにはその相談する弁護士が日本司法支援センターというところに登録している必要がある。私も登録弁護士であるので、相談料を支払うことが厳しいという方については、この制度を使用して相談をするのも一つの手である。申し込みは各弁護士事務所で書類を書くだけなので簡単でもある。

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2007年8月13日 (月)

逆転敗訴

 私も逆転敗訴が一件だけある。逆に逆転勝訴したケースや、一部逆転勝訴は何件かあるが、完全にこちらが逆転敗訴したケースは一件だけである。

 あれから経験を積んで思うにも、やはり高裁の判決は誤っているということである。一審の判決の事実認定は詳細であり、また、こちらの本人尋問を直接聞いていた。証拠も揃っていた。

 しかし、高裁判決は、今から考えても訳の分からない理由で逆転敗訴にしたのである。しかも、逆転の兆候すらなかった。

 敗訴判決を受けて、依頼者に連絡を取るときはつらい。しかも、今回は逆転敗訴なのである。事実認定に関しては高裁が事実上最終判断であるから、これで敗訴が確定したに等しい。

 しかし、依頼者は、私に、「真実は、私の心と、先生と、一審の裁判官がわかってくれています。高裁の裁判官は、私の話を直接聞いた訳でもないし、真実は私が一番知っています。でも、高裁の裁判官は、私に会ったことすらもない人ですよね。」と言ってくれた。

 ボスのサジェスチョンもあり、上告したが、すぐに上告棄却で返ってきた。これが三審制の限界である。

 しかし、その依頼者は、私が力を尽くしてくれたとして、その後もお歳暮を贈り続けてくれた。弁護士として、敗訴はしたが、これほど嬉しかったことはない。

 敗訴した当事者がいかに説得され納得出来る判決を書くことが出来るかに、司法の信頼はかかっている。そうした判決が書ける裁判官が日本にどれほどいるだろう。おかしい裁判官が書いた判決は、時としてその人の一生を左右するのである。
 理想としては、ばりばり一線で働いている弁護士が任官することでしか有能な裁判官は確保できないであろうが、逆に有能でばりばりやっている弁護士は、事務所を捨ててまで任官しづらいというジレンマがある。

 この逆転敗訴も納得出来る理由付けがあれば、私の心には教訓となって残ったであろうが、中身が支離滅裂であったため、私にとっては、恨みとしか残っていないのである。この事件のみならず、真実が歪められて敗訴した本人にとっては、裁判所に対して恨み骨髄となるであろう。
 しかし、裁判官の中で、自らの職責がそれだけのものであると考えている人たちがどれだけいるかは、極めて疑問なのである。

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2007年8月12日 (日)

興亡の世界史、シルクロードと唐帝国

のことを考えないでいられる」ものであるということである。
 私にとっては(下手ではあるが)サッカー、釣り、読書がそれにあたる。ただし、仕事に関係する読書をしている時は別である。

 講談社より、興亡の世界史というシリーズが刊行されている。今までの西洋史観を脱却する狙いで書かれているところもある。アレキサンドロス大王や、イスラムのジハードについて書かれたものを読んだが、この休み中に「シルクロードと唐帝国」という巻を読んだ。

 一般には、唐帝国は漢民族王朝のように思われているが、実際のところは中華民族から見て異民族出身の皇帝が統治した王朝であり、実は隋もそうであったということがこの本から明らかにされている。そのようなことは、高校の歴史では習わないのである。
 また、シルクロードの経済活動の中で極めて重要な位置を占めていたソクド人という民族のことが詳細に記載されていたり、周辺の遊牧騎馬民族が中国の王朝成立と存亡にどれだけ影響を与えてきて、逆に遊牧騎馬民族から王に封じられた後に中国を統一しているケースがあることなど、中華中心の歴史的記述がいかに真実からほど遠いかを再認識させる論証がなされている。
 一般的には、蛮族のように思われている騎馬民族であるが、実際のところは全く異なっていたことも本書は論述している。
 胡姫というソクド人の舞姫が唐で大ブームを呼んでいたことも詳細に論じられている。私が習おうかと一瞬考えた胡弓もこうした時代に思いを馳せるにはよい楽器かもわからない。

 中華思想というものがある。これは、世界の中心(中華)は中国であるという思想であり、この思想をつきつめていくと、世界の中心は中国なのであるから、中国側にとって都合の悪い歴史的事実は歪曲されたり、書きようが中国の都合のよいように解釈されていることがあると昨今よく言われている。
 この本の中でも、唐側から頭を下げて援軍をウイグルに頼んだ事実が、唐側の記述では、ウイグル側が喜んで援軍を差し出したとされているという記述などがなされる。
 勝者によって歴史的事実は変容されることがあるため、歴史を学ぶということは極めて難しい作業であると痛感させられる。それもまた歴史のおもしろさではあるが。

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2007年8月10日 (金)

破産と足し算引き算

 多重債務を抱えて来られる人の中には、「借りたものだから返したい」という人もやはり多い。そうした債務者には、まず毎月の収入から、生活していく上で絶対に必要なものを引いていってもらう。賃料(又は住宅ローン)、水道光熱費、食費、雑費…。そうすると、その残りが出てくるのであるが、これが「返済することが出来るお金」である。

 先に返済して、残りで生活しようとすると、どうしても生活費が足りなくなるから、そのためにまた借入が増えるのである。こうした足し算引き算が出来ていない人が多いのである。

 加えて、こうして返済することが出来るお金が1万円程度であったとしよう。そして借入はどうみても500万円は残りそうだというときに、「どうやって返すの?」と聞くと、一部の債務者は、「頑張って返します」というのであるが、「私が聞いているのは精神論じゃなくて、足し算引き算の問題なんやけど。500万円の借金を毎月1万円返したとしても、500回かかるでしょ。41年以上かかるんですよ。そんな提案債権者が了解しないですよ。」というと、「やっぱり返せないですかねえ」となるのである。

 もちろん、私だって返済出来るかをまず見る。そして全額は無理でも一部返すことなら可能であれば個人再生を選択する。しかし、多重債務状態になっている当事者は実は生活でいっぱいであり、返済など出来ないことも多いのである。

 ぎりぎりの返済計画を立てても、病気で仕事を休むかもしれない。子どもの学費にお金が必要かもしれない。そうすると、やはりある程度貯蓄を出来るようにしていくのがベストなのである。そうしたリスクファクターも検討して、破産を選択することも多い。

 しかし、中には数年経って、「先生、また借りちゃったんです…」と電話してくる人もいる。もちろんその事件は私は受任できない。前の破産の際に、「今後は借入しないで」と説明しているからである。知り合いを紹介するか、弁護士会の相談に行ってもらうしかないのである。

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2007年8月 9日 (木)

相手方弁護士への連絡

 調停や和解交渉中の事件で、裁判と裁判との間に全く連絡して来ない弁護士も多い。そして、訴訟の場で突然提案するのである。毎回依頼者を連れて行ってる訳ではないので、「検討します」とひと期日延びるだけになることも多い。まあ、提案すらせず、「もう少し時間が欲しいんですけど…」と言う人もいるが。

 せめて1週間前か遅くとも2、3日前に連絡をしてくれれば、こちらの方も依頼者に電話をして意向確認が出来るのである。私は大体こちらの意向はファックスするように心掛けている。相手の弁護士が信用できない場合や微妙な事案では裁判所にのみ考えをあらかじめ示しておくこともある。

 断るなら断るで、事前に決まっているであろうから、ファックスを入れてくれればこちらも考えを整理していけるにもかかわらず、現場で単に断ってくるだけの芸のない弁護士もいる。しかも、こちらの提案を断っておきながら逆に反対提案までしてくるのである。あらかじめ言っておいてくれれば、こちらもその反対提案を検討できるので、期日がもう少し円滑に進むのである。

 しかも大体がその反対提案自体、とうていこちらが検討するに値しないかけ離れた内容であったりする。そんな提案したってこっちが和解出来るわけないやん…っ。という内容である。

 こうした弁護士は、事件について見通しも立てていなければ、何も考えていないのである。相手方弁護士に対する節度ある対応をしていないことになるが、大体こうした弁護士はそれが問題であることを気づきもしないのである。本来紛争解決というのは極めて厳しい世界であるはずが、このようなのんびりした弁護士でも多少は仕事があるのである。

 一般人からすれば、誰がよい弁護士なのかはわからないからである。

 紛争解決のためには、相手方弁護士に対する適切な連絡などの細かい配慮が必要である。もちろん原則と例外があるので、同じ調子ばかりでやっていてはいけないが。

 このあたりは場数を踏まないと分からないであろうが、仕事というものは厳しいのである。

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2007年8月 8日 (水)

破産と自動車

 破産する人の中には、非常に高い自動車を購入している人がいる。話を聞くと、借入が随分膨らんだ以降に何百万もする高い自動車をローンで購入している。どうしても必要であれば、借入と返済があるのであるから安い安い中古車でも買えばいいように思うのだが、そうしていない人が多い。私が乗っている自動車よりよほど高いものを買っている(私はマツダのデミオ。自動車に関しては、走ればいいというのが私の考えである)。

 どうして買ったのかと聞くと、「家族で出かける時に必要だから」「通勤で必要だったから」というのだが、これだけ借入がある時点で自動車のローンを組んだら、さらに返済がきつくなることは見えていたのではないか、どうするつもりだったのかと聞くと、「いや、頑張ろうかなと思って」という返事しか返ってこない人が多い。また、自動車で出かけたあげく、家族の旅行費がなかったということで借入を増やしているケースもある。

 私はよく、「精神論を聞いてるんじゃなくて、足し算引き算したらわかる話なんですけど」というと、「はあ」と言って理解していない顔をしていたり、「すいません」としょぼくれている。

 また、自動車はローンで購入している場合、名義が自動車屋のものであったり、名義は破産者のものでも、所有権がクレジット会社に留保されていて、破産することをローン会社に通知をすると自動車が引き上げられる。自動車がどうしても必要だといって駄々をこねる依頼者もいるが、破産する以上これはやむを得ない。それを了解して貰えない限り、破産は出来ない。保証人がついているような場合、保証人が支払うことで本人が乗り続けられるケースもあるにはあるが、保証人には迷惑をかけることになる。

 自動車を購入する時点で借入があるのだから、早晩このような結論となることは目に見えているのだが、だからといって本来の仕事以外のアルバイトをして収入を増やそうという努力もしておらず、「頑張ろうと思っていました」で終わっていることが多い。

 最終的には引き上げられるのだから、最初から安い中古車でいいのに、と思う私なのである。

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2007年8月 6日 (月)

秀吉

 豊臣秀吉である。戦国一の出世人で、サクセスストーリーを絵に描いたような人生であった。木下藤吉郎秀吉から羽柴藤吉郎秀吉となり、最後は豊臣秀吉と改名している。

 彼の秀吉という名前は、「桶狭間の勇士」(文春文庫)という中村彰彦という作家の作品によると、信長に従って伊勢攻めをした際に、信長から古い名将に称えられた際に改名したとされている。その他の作品では、最初から秀吉である。幼名は日吉とされているが、日吉神社は猿を祀っているから、猿に似ていたという秀吉のあだ名であったのかもわからない。信長によれば、秀吉は、「禿ネズミ」ということであるらしい。

 秀吉は人たらしの達人であったとされる。ただ、秀吉の人たらしは言葉だけではなく、命がけである。よく秀吉というと、信長に取り入って出世したかのように思われているが、彼は随所で命をかけている。元々低い身分であったから、失って元々という気持ちがあったのだと思われる。

 信長が何度要請しても上洛しない朝倉氏を討つために越前入りした際、北近江の武将であり、信長の妹(一説には従兄弟)の「お市の方」の夫であった浅井長政が信長との同盟を破棄して背後を衝いたことがあった。浅井氏は、戦国大名として自立する課程で隣国である朝倉氏の多大な恩恵を受けており(最近の史料では、朝倉氏の被官同然であったとの説も唱えられている)、信長に、「浅井に断りなく朝倉を攻めない」という言質を取っていたにもかかわらず、信長がこれに違背したからである。

 信長はこの危機にほとんど単身で朽木を抜けて京にたどりついて難を逃れたが、このときに殿(しんがり)を買って出たのが秀吉である。秀吉はこの時点では、敵国の武将を謀略によって味方につけるなどの功績はあったが、戦場での働きはなかったことから、同僚の武将達に白眼視されていた。
 彼らに一目置かれて、織田家での地位を確たるものにするためには、この場面で命を捨てざるを得なかったのである。この行為には、秀吉を毛嫌いしていた柴田勝家も涙を流したという。
 野を朝倉氏の大軍が進んでくる状況の中、秀吉は金ヶ崎城に入り敵を引きつけて鉄砲で乱射してから城を抜けて退却した。何度も何度も追いつかれる中、鉄砲で反撃して全滅は免れて京都までたどりついたのである。
 この退却戦はあまりにも辛い戦いであったせいか、秀吉はあまりこの戦いのことを話さなかったともいう。このとき、徳川家康が引き返してきて秀吉を救ったともいわれていて、秀吉も後年家康に対して、「自分が今日あるのは金ヶ崎の際の家康殿のおかげである」と言っていたという。

 その他、敵の城に単身乗り込んだり、後年関白となった秀吉に臣従するために上洛した家康の宿所に面会の前日に数人で訪れ、翌日の面会の際、「自分を立ててくれ」と依頼したことなど(家康の家来が変な気を起こしたら殺されるのである)、ここ一番では命を捨てている。

 何か事をなすには、ここ一番での気合いが必要だということを、秀吉の挿話は教えてくれよう。

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2007年8月 4日 (土)

昔の歌

 私はカラオケも好きなのだが、最近は祇園のM子にいくと、昔の歌ばかり歌っている。新しい歌をゆっくり聴くこともないので覚えられないからでもあるが、メロディーや歌詞がしっくりくるからなのである。

 昔の歌はよかった、昔の歌はいいよねとS子ちゃんやママのM子さん達といいあいながらうたっているのだが、今の若い世代(既にこう書いている時点でオジサンなのであるが)が私などの年齢になった時には、今流行っている歌が「昔の歌」となるのであろうか。

 昔の歌が「いい」のは、メロディーや歌詞がいいからということもあるが、私の脳細胞がもっと記憶力がよかった頃の歌であるために、頭の中に定着しているから「いい」と感じるのかもしれないとも思っている。

 世代世代で、「昔の歌」は異なり、どれがいいかというのも、若かりし頃に聞いたがために頭に強く残っているからではなかろうかとも思うのである。それぞれ人にはたいてい想い出の歌があるであろうが、それもその時期にあった何かの出来事とつながっているから強く心に残っているのであろうとも思われる。

 まあ、どうでもいい話ですが…。

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2007年8月 2日 (木)

自由と正義のエッセイ

 ややこしい相手方との交渉のコツは、ある一線を引いて絶対にそこから引かないことである。不当な要求には応じないという姿勢が重要である。ややこしい相手方だからといって弁護士が腰が引けていたら、依頼者は余計に不安感が増すであろう。

 私がもう少し若い頃、日弁連が出していた自由と正義という雑誌に掲載されていた2つのエッセイには非常に感銘を受けた。そのためこの2冊は今も机の上に置いてある。若手弁護士にはお勧めの記事である。

 一つは2000年12月号の記事。よろず撃退術指南というもので、ややこしい相手方の事件を自らやらせて欲しいと頼む変な弁護士の話で、ややこしい相手方を逆に食ってかかっているところが参考になる。いわば、本気で聞いていない。ややこしい相手方にこうしたらうまくいくなどと説教をして、そのうち相手が嫌になるというものである。私もヤミ金でムチャクチャいう奴に、「あんた面白いこというなあ。そんなこと言う奴初めてやで~」と言ったりしていたが、本気で相手をせず食ってかかるということも必要なのであろう。

 もう一つは2002年の10月号の記事。弁護士に成り立ての頃に、ある旅館の更生管財人になった先生の話である。その旅館にヤクザが来て揉めているというので、深夜にその旅館に直行し、グダグタいうヤクザに対し、趣旨として「自分がひびったら日本の弁護士が全員舐められてしまう。自分には日本の弁護士の先輩達がついている。自分は日本の弁護士の代表である」と自らを叱咤激励し、ヤクザを撃退した挿話が書かれている。最後には「顧問になって欲しい」と言ってきたというのである(もちろん断らっておられる)。一つ一つの事件に対して全ての弁護士がこの先生のような姿勢で臨めば不祥事も減るであろうと思い、あやかりたいと思って机の上にこの2冊はいつも置いてある。

 一度読んでみて下さい。

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2007年8月 1日 (水)

いきなり独立の危険性

 弁護士も就職難であり、弁護士になろうとするものの中には独立心も旺盛な人もいるのであろうから、今後はいきなり独立する人が増えるのではなかろうかと思う。

 いきなり独立すると、事件処理の仕方がわからないから、失敗をするという危険性があると思われる。弁護士もそれぞれ独立自営業者であるから、他人の事務所の面倒まで一から一まで見ていられないので、教えてもらうといっても限界がある。

 勤務弁護士として入ると、だいたいはボス弁の方で事件について処理方針を立てていることが多く、多くの場合はこの処理方針は誤っていないので、勤務弁護士はその方針の中でやっていけばよいことになる。実はこの処理方針を立てるということがもっとも難しく、ここで間違わなければ事件は混迷を極めることはない。ところが経験がないと、事件をどうしていけばどうなるという予測が立てられないから、処理方針を間違えることになりかねないのである。

 また、依頼者もバカではないから、相談をしてみて、「この弁護士頼りない」と思えば依頼はしてこないであろうし、紹介者も現れないであろう。ある程度実力をつけた上で自分の事務所を構えないことには、依頼者を獲得していくということも難しいと思われる。弁護士の依頼者層が出来るには、基本的には口コミなので時間がかかるし、そもそも「あの先生いいよ」とならないと紹介者も現れないであろう。

 また、世の中には、恐ろしい連中がうようよいる。弁護士を利用して金儲けしようとしている連中も多々いて、いきなり独立した弁護士では、その危険性をかぎ取ることは難しいであろう。ヤメ検やヤメ判の弁護士が、時として誤った道を行くのは、法律家としてはベテランでも、彼らは国家機構という牙城の中での仕事であり、弁護士のようにややこしい人たちと生身で接している訳ではないので、取り込まれてしまうのであろう。いきなり独立の弁護士もそうした意味ではウブといえ、この危険性がもっとも大きいのではないかと思っている。

 そうなった時、もっとも被害を受けるのはそうした弁護士に依頼した市民である。
 手術を一回もしたことがなく、指導教授もそばにいない状態で、いきなり開腹手術を医師がするのと同じである。
 弁護士は、弁護士となった後も、勤務弁護士としてベテラン弁護士の元で最低2~3年は修行を積むべきであろう(私の自説は5年であるが)。
 これからそういう時代に突入するのである。それもこれも規制改革の流れと、司法改革の当初に人数設定を大きくしすぎたせいである。
ああ、怖。

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