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2007年9月30日 (日)

ブログを書く時間

 よく、ブログを書くのに相当時間を使っておられるのでしょう、といわれる。
 このブログもある程度続けているうちに、たくさんの記事が掲載されているので、そのように思われるのかもしれない。

 しかし、だいたいのブログ作成にかかる時間は10分程度である。
  普段から弁護士業務に関して考えていることや、ややもすれば誤解されることもある弁護士というものをもっと知ってもらうためのことを書いたり、弁護士業務と関係がなく日常考えていることを書くので表現については多少考えるが、書いている内容は書く時に詰めて考えている訳でもないからである。

 単に日記では面白くないであろうから、様々なエピソードを用意するようにはしているつもりではある。そうしたエピソードはいつ考えるのかというと、思いついたときに手帳に書き込むのである。

 ブログは業務と関連していることも書くが、基本的には私にとっても気分転換となっているので、昼休みや夕方、起案に行き詰まった時、帰宅後就寝前など様々な時間帯で更新することになる。
 毎日何回も更新して欲しいという要望も聞くことがあるが、私は本業は弁護士なので不可能である。毎日更新も仕事の詰まり具合で難しい時があるが、私の拙いブログにも一定の読者がいることは嬉しいことである。

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2007年9月28日 (金)

ニンニク

 最近、ニンニクを食べる機会が減った。河原町二条にあった「海」というニンニクの丸揚げを出してくれていた店がかなり前に移転してしまったためである。

 独立当時はニンニクを食べると、日本酒を5合くらい飲んでいても翌日しゃきっとしていた。その代わり悪臭をまき散らす男にはなっていたのだが…。

 ニンニクには強壮効果があるが、強い刺激があるため食べ過ぎると胃を壊して下痢をする。便秘気味の女性は、翌日悪臭をまき散らしてよいのであればニンニクの丸揚げを1個食べてみることである。肌にもよいらしい。

 野生動物でも、ニンニクは食べ過ぎないらしい。食べ過ぎると「毒」にもなるということなのであろう。
 居酒屋でニンニクの丸揚げをもっとメニューに入れれば流行ると思うのだが、それは私だけなのであろうか。ニンニクを食べていた頃は喘息発作もなく、夏ばてもしなかったような記憶である。
 単にオッサンになっただけではないかという声が聞こえてきそうであるが…。

 しくしく。

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2007年9月27日 (木)

電車の中で…

 電車の中で度を越していちゃつくカップルがいる。座っていて、頭の上でいちゃいちゃさりたり、立っていて目の前でいちゃいちゃされると目障りである。

 先日も目の前でつり革を持っている男の腕に電車が揺れるたびに軽く噛んでいる女性がいた。揺れて倒れるふりをして噛むのである。よりにもよって、その男の噛まれる腕が私の目の前にあったので、目障りな光景を何度も見せられるはめとなった。

 そのほかにも、必ず地下鉄でみかけるカップルは、女性の腕をつまんで太ったんちゃうかとやっていちゃつきだす。

 室内で2人でやってくれればよいと思うのである。

 いちゃつく自由があると彼らはいうかもしれないが、権利とは必ず他者との調整を要するものである。そうした美しくない目障りな光景を見せられる方の「見たくない」権利もあるはずである。

 けっして、うらやんでいるのではない。けっして。

 勤務弁護士が来てくれた途端なぜか瞬間的に仕事が増えているためイライラしている訳でもない。けっして。

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2007年9月26日 (水)

ビッグバン

 今宇宙の最先端の研究を新書版にした「宇宙はどこまで明らかになったのか」(福江純、栗野諭美 著)という本を読んでいるのだが、内容がかなり難しいところがあり中々進まない。

 宇宙は137億年前にビッグバンによって誕生し、その時点で時間と空間が生まれたとされていて、遠方の銀河を観測すると遠ざかっていっていることからまだ宇宙は膨張を続けているとされている。そのほかにもいろいろ書いてあるのであるが、なかなかに理系の人が書いた本は難しく超文系の私には中々理解出来ないところがある。

 137億年というと気が遠くなるような時間でありピンとこないほどの時間であるが、わかるはずもない疑問として、「宇宙が膨張しているとしたら、その外はどうなっているのか?」という疑問が常々ある。ビッグバンが発生する前は時間も空間も存在しなかったとされるが、その根拠は何か?というところも気になる。
 ひょっとすると、宇宙の外には別の空間があり、我々がいる宇宙がその空間をどんどん膨張して飲み込んでいっているのかもしれず、宇宙の外には別の何かがあるのかもしれないとも思うのである。
 これについて答えが出る日は来ないのかもしれないし、考えてみたところでわかるはずもないのだが、???となる疑問である。

 微生物からすれば、我々人間も認識出来ないほどの大きさであるから、我々人間が認識できない巨大な生物が存在していて、宇宙の広さもその巨大な生物からすれば取るに足りない広さであるということも考えられなくはない。

 地球だけでも探検しつくされた訳ではないのであるが、宇宙のことを考えるとそのスケールに不思議な気持ちになってしまうのである。

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2007年9月25日 (火)

三連休

 三連休が続くと、平日に裁判や打ち合わせを入れることになり、書面を書いたり、記録を読み込む時間がなくなるため、自宅で仕事をすることになる。三連休などは関係なしに、自宅で起案したり記録を検討することもしばしばである。

 自宅では仕事が出来ず、事務所まで出てこないとという弁護士も多いが、私は通勤に少し時間がかかるので、その時間がもったいないので自宅でしている。受験時代も図書館などでは勉強せず、自宅で開いた教科書の上に座ってくる猫や(なんどどかしても乗ってくる)、同居していて耳が遠く、自分のいいたいことをいいにくる祖父(既に他会したが)にじゃまをされながらでもあまり気にならずに勉強出来たので、事務所に来なくてもどこでも仕事は出来るほうである。

 また、仕事の合間にぶつ切りに電話などがかかってくると書面が書けないという人もいるが、私は割合平気である。

 この三連休中も起案をして記録を検討せざるを得なかった。プロである以上、期限までには仕事をこなさないといけないのである。プロとはお金をもらってやるものであり、アマチュアは趣味でやるものである。弁護士はプロであるから、本来仕事に甘えは許されないのである(たまにどうしても間に合わないといって甘えますが)。

 この休みには官邸崩壊という本を読んだ。これでは安部総理がぼろぼろになったのはわかるが、全ては総理の危機管理能力の甘さによるものである。その点、小泉さんはすごい。個人的には小泉政権の元で進められた規制改革はいきすぎていたので、その政策は嫌いなのであるが、小泉の政権維持の危機管理能力と権力掌握能力はすごいものがある。

 最近読んだ本。
「異説 もう一つの川中島合戦」「覇者(上)(下)、逆説の日本史の井沢元彦の歴史小説である」「まだ、タバコですか?」など。

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2007年9月24日 (月)

事務所披露

 京都弁護士会だけのならわしかも知れないが、若手弁護士が独立すると事務所披露の宴会を事務所で執り行い、親しい弁護士がお祝い金1万円をもってかけつけるというものである。

 最近は独立が減ったのであまり事務所披露がなく、偶々開催されても私も他の用事と重なり行けていないのでお祝いだけ持っていかせていただいている。

 私が事務所を開設した平成14年9月にも多くの先生方や関係者に来ていただいた。事務所中に入りきれず、狭い思いをしていただきながら祝っていただいたことを覚えている。
 いきなり何もないところで女性修習生につまずかれて赤ワインを新品のタイルカーペットにこぼされたり、20万円ほどするソファーにいきなりタバコの焼けこげをつけられたこともあったが(本人は未だに否認しているが犯人はN村T雄である)、事務所披露はありがたいならわしである。

 普段人付き合いをあまりしていないと、独立しても誰も祝いに来てくれず寂しい思いをすることになる。

 今後、弁護士が増えていき関係が希釈化すると、こうした祝いもなくなるのかもわからない。

 なお、世間的には、弁護士同士が知り合いであったりすると、裏取引をされたり、本気で訴訟をしてくれないのではないかと疑いをもたれる人がたまにいるが、弁護士は依頼者のためにもっともよい方法で事件を解決しようとするものであって、それは厳しい職業倫理に裏付けられているものであるから、そのような邪推は不要である(違う弁護士がいるとすれば、それはそうした弁護士が問題であって、一般的でない弁護士のために誠実に職務遂行している弁護士が疑われるというのは弁護士としては非常に困るのである)。

 弁護士は事件を引き受ける自由もあれば断る自由もあるので(これは依頼者にとっても同じで、依頼する自由もあれば依頼しない自由もあるのと同じ)、疑われながら事件を引き受けることは気分のよいものではないし、そのようなことを気にされるのであればそもそも弁護士の方も依頼を受けられないであろうから、それが気になる方は依頼の際に申し出た方がよいであろう。
 むしろ京都程度の規模であれば、知り合いでない方が少ないし、知り合いだからといって事件に手心を加えていたら弁護士としての職責を果たせない。弁護士の職責は極めて重いのである。

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2007年9月23日 (日)

刑事処罰というもの

 ある人が刑事事件で処罰されるためには、まず、ある人が犯した行為が法律によって「犯罪である」と規定されていなければならない。どのような行為をしたら犯罪になるのかということを「構成要件」という。構成要件が何かというのは法律の解釈の余地があるのであるが、そもそも一般的に見て、「それは処罰されるべきでは」と思われたとしても、法律で規定がなければ処罰はされないのである。法律で違法とされていない薬物は吸引しても処罰の対象とはならないのである。

 そして、その次に、ある人の行為が犯罪に該当するとして、その行為が「違法」であることを要する。たとえば正当防衛は法律で違法とされていないので、正当防衛と評価される行為によって相手を傷つけたりしても違法とはならないので処罰はされない。法律の中には、この正当防衛の条件を緩和したものがある(たとえば、泥棒が自宅に押し入ってきた時には、正当防衛の条件は緩和されている)。

 次に、ある人物を処罰する場合に、責任が要求されるのが法律である。ある人物を処罰するためには、その人に対して責任非難がされなければならないためなどといわれる。
 しかし、この考え方は、被害者からすれば全く納得が出来ないものとなろう。最愛の人を殺された遺族などからすれば、被告人に責任能力があろうがなかろうが、「殺された」という事実には何ら変わりがないからである。これは、刑事処罰がどこに向いているかということと関連するように思われる。

 刑事処罰の基本を被害者の応報(ハンムラビ法典の目には目を、歯には歯を)というところに求めると、犯罪者の責任能力は問題とならないであろうし、犯罪者側の事情は一切考慮することなく、刑事処罰をすべしということになるであろう。この場合、被害者個人が報復することを法が禁止している以上、国家が被害者に成り代わり刑罰権を発動するという側面が重視されれば、責任や被告人の情状は問題とならず、もっぱら結果のみによって犯罪が処罰されることになる。もちろん被害者に対して示談などが成立していれば、その点は考慮されうるではあろう。

 これに対し、刑罰権の発動というものが、当該犯罪者その者の更正や教育にあることを重視する立場(特別予防という。)からは、当該被告人の責任能力や情状は最大限考慮すべきということになるであろう。一方、こんな罪を犯せばこのように処罰されるという情報を世間に与えて世間一般の人が犯罪を犯さないようにしようという予防効果を重視する立場からは(一般予防といわれる)、犯罪行為と処罰との間の判断過程の明確化が要求されるであろうから、個々の責任がどうであったかというのは、あまり重要視されないのではないかとも思われる。

 責任能力うんぬんというのは極めて難しい話であり、私は学者でもないし、これはブログであるのであまりに専門的な話は避けたいと思うのであるが、刑事処罰の本質を何に置くかによって、責任能力をどう考えるかは変わってくるように思われる。私が何作か著作を読ませていただいている日垣隆という作家は、責任能力は不要だということを常々著作の中で語られている。

私は犯罪被害者支援センターの理事も務め、弁護士としてのライフワークの一つに犯罪被害者支援を掲げているので、被害者の声を聞くことが多いせいかもしれないが、刑事処罰の根本はやはり被害者のある事件では応報であると思うのである。

 最愛の人が殺された時に、被告人に死刑を望むことは、当然の感覚として、これを否定することは出来ないであろうし、刑事事件の処罰の基本はやはり「結果」であると思われるので、当該被告人の情状や生育歴などをあまり重視して量刑を決めることは望ましい方向ではないように思われる。
ただ、この考えを推し進めると、過失犯と故意犯も、「結果が同じ」であれば量刑は同じという結論になりかねが、その点との調整をどのようにすべきかは難しい問題である。

 被害者と接する機会も多い私などは、被告人の命をもって償ってもらうしか、いや償ってもらってもそれでもあまりある犯罪というのは、やはり存在するとしかいえないと思うのである。
 死刑にされなかった被告人は、無期懲役になっても仮出獄をしてくるが、これは税金で彼らを養うための費用がないためである(ただし、いらないところに予算をつかわなければ、全然終身刑の導入は可能である)。そして仮出獄してきた受刑者による再犯も一定数存在する。これは国家が国民の身体生命を守る義務を放棄しているといわれても仕方がないのではなかろうか。

 重罪化反対と気楽に叫ぶ人達は、そのために失われた命や被害を被った人達に対して真摯に責任を問えるのであろうか。その意味で、死刑の選択は当然として、私は以前から生涯刑務所から出ることのない終身刑の導入を述べてきているのである。

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2007年9月20日 (木)

ヘアカットなどなど

 なんのことはない、散髪なのだが、私の髪はカットがしづらく、過去いくつの散髪屋に行って気に入らずに二度と行かなかったか分からない。散髪屋からも、カットがしづらいといわれていた。

 しかし、偶々美容室に行ったところ、すんなりとカットをしてくれ、しかも日が経ってもあまり型くずれしないので、その技術に驚いた後は美容室に行っている。もちろん散髪屋さんにもすごい技術の人はいるであろうし、美容室でもだめな人はいるであろうから、一般的な話ではなく私の個人的体験である。

 実のところ、私はおしゃれにはほど遠い人なのであるが、整髪料が嫌いなため(若い頃は老けてみせようと髪をムースであげていたが、嫌で嫌で仕方なかった)、何もつけずにそれなりの格好がつくようにカットしてもらわないと機嫌が悪くなるのである。ワックスもべたべたするのが嫌で3つほど買ったが全然つけていない。もう固まってしまっている。

 今は私が前に通っていた美容室で担当をしてくれていたTさんという人が少し前に独立をしたので、そこに通っている。本当は一か月に一度か一か月半に一度はカットしたいのであるが、中々忙しいので2か月か2ヶ月半に一度となってしまう。

 南草津の駅から徒歩3分程度のところにあるワンダーワークスという美容室で、店長のTさんの腕は確かである。誰か騙されたと思って行ってみませんか。

 そして、今日はあまりにも暑く伸びてきた髪の毛がうっとうしいし、髪の毛が伸びてくると、薄くなってきた髪が変なところで分かれてきて、少し前の坂口厚生労働大臣のような分け目になってしまっていたりして自分でぎょっとするのもいやなので、自宅で資料を読むことにして早々と事務所を出て帰りにカットに行った。

 ということで、カットしてすっきりした気持ちで今は裁判の資料を読んで少し休憩している。

 カットをして、なんとなく肩こりも少しましになったようではあるが、自由と正義の懲戒欄を見ていると、自分の事務所に研修に来ていた20歳代の女子学生に酒を飲ませて人事不省にしてホテルに連れ込んで服を脱がせた54歳の大阪弁護士会所属の男性弁護士が「除名」となっていた記事が目に入ってきた。あげくの果てに、懲戒の資料として偽造した自分に有利な証拠を提出していたというのである(少し前に新聞でも報道されていた)。

 懲戒の事実認定が正しいことを前提とすると、54歳のオッサンが、女子学生が「先生」と言って着いてくるので舞い上がってしまい、セクハラないしはパワハラ行為をしたあげく、さらにせっぱ詰まって証拠を偽造したかのような印象を受けた。この女子学生が弁護士志望だったりしたら、弁護士という職業に幻滅しているかもしれないし、傷跡は癒えていないかもしれない。
 54歳のオッサンに、20代のうら若き乙女が恋愛感情を抱いてくれるなど普通はあり得ない話であって、この弁護士は事実関係を否認しているというので、「合意」の上であったとでもいうのであろうか。
 しかし、オッサンはオッサンであって、夢物語を夢想してはいけないのである。

 1日の終わりに頭が痛い記事を読んでしまった。

 とこのような記事を書きながら、自分もオッサンといわれる年代になっていることに気づくのである。

 やれやれである。

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2007年9月19日 (水)

宮津城の石垣跡

Kc390005  今日は宮津の相談であったが、帰り道で宮津城の石垣跡を携帯カメラで撮った。宮津城は細川幽が関ヶ原の戦いの頃居城としていた城のようである。

 細川幽斎は、息子の細川忠興の妻に明智光秀の娘たま(ガラシャ夫人)を迎えていたので、光秀は本能寺の変の時に当然に味方してくれるものと思ったのであるが、親子して髪を下ろし信長の喪に服し、ガラシャ夫人は幽閉されたが、その前後から丹後地方を治めていた。

 細川家が丹後地方を治めるにあたり謀略で地侍を倒す経緯は、海音寺潮五郎の作品に出てくる。外交センスと謀略に長けた一族である。

 関ヶ原の戦いが起こり、Kc390004_2 細川幽斎は東軍に着く。石田三成は東軍諸将軍の大坂に居た妻子を人質にしようとするが、ガラシャ夫人のあまりの美しさに家来が顔を見ただけで切って捨てたといわれる細川忠興の嫉妬心を思い、ガラシャ夫人は家臣に自らを殺すように指示し、大坂で死ぬのである。
 関ヶ原における光成の戦略の失敗の一つとされる。光成は豊臣政権におけるエリート官僚であり、人情というものを理解していなかったのである。苦労人で人情がなんたるかを知り尽くしていた家康に勝てるはずがなかったのである(なお、左は石垣跡の解説である)。

 細川幽斎は、宮津城を出てわずか500の城兵とともに丹後城に立て籠もり、西軍の一部を引き受けて戦い抜くのである。その経緯を描いた作品として、安部龍太郎の「神々に告ぐ」という作品がある。

 後に細川家は、徳川時代に九州で肥後の国を領有することとなり、宮本武蔵は細川忠興の息子である細川忠利の知遇を得て、晩年を肥後で過ごすことになる。

 こうした細川家に縁が深い宮津城跡がこの程度しか残っていないことは残念であるが、裁判所に向かう途中には、左手に元々丹後地方を治めていた一色氏が細川家に攻められた果てに自刃した地がある。

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2007年9月18日 (火)

寝違え

 三連休中に寝違えてしまい、背中が痛い。何もしていなければどうもないのだが、ふと体を動かした拍子にもの凄い痛みが走る。寝違えでプロ野球選手が休場することがあるが、それも分かるほどのつらさである。

 私は肩こり症なので、普段から肩が張っているので、血行が悪く寝違えも起こしやすいのであろうか。年に何回か寝違えを起こす。寝違えは背中や首のねんざだということなので、日にち薬で治すしかないようである。
 寝違えの状態で仕事をするのは辛い。裁判に行くために事務所で鞄を持ち上げる時に、「いててて」といいながら持ち上げていると事務員が何事かといぶかってのぞきに来る始末である。

 よりによって、そんな日に限って予定がたくさん入っていて、電話も多い。弱り目に祟り目であるが、予定があることはありがたいことだし、電話が入るのもよいことであるので、頑張って仕事をする。

 そんな寝違えの中、少年事件を引き受けたので、鑑別所にも行かなければならない。鑑別所は川端通り一条近くにあり、今日は天気もよかったので自転車で出かける。寝違えた状態ではあるが、完全に固まらせるのもよくないと(勝手に)考えて鑑別所へ。鑑別所は事務所から近いから会いに行きやすい。

 川端通りを自転車で走るのは気持ちがよいものである。

 今日も1日予定が詰まっており、明日は宮津の法律相談であるので、書面が書けない日々が続くことになる。ちなみに木曜日も金曜日も似たような状態である。その結果、今週末の三連休は、自宅で起案と裁判の資料読みをせざるを得ない状態が決定である。提出期限が近いのである。

 少し動いては、「はぅっ」と痛みをこらえながら、21日から勤務弁護士が来てくれれば少しは楽になると信じている私なのである。

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2007年9月16日 (日)

情報操作

 相続人さん、コメントありがとうございます。司法制度には限界があるので、中々全ての人に納得・理解してもらえることはないかも知れませんが、司法界自体がその努力をしていく必要はあるでしょうね。裁判官の中には、世の中に出したら絶対に通用しないようなおかしい人物も多いのですが、彼らはそのことが分かっていません。

 さて、表記の記事である。
 最近、消費税を上げざるを得ないという記事や、日本の税負担率は諸外国に比べて低いという記事が書かれることがある。
 しかし、情報には意図的な誤謬(ごびゅう)と、意図しない誤謬が含まれることがあるので、自ら吟味することが必要である。以下は私が個人的に収拾したりした情報から整理したものであるので、あくまで私の個人的見解であることはお断りしておく。

 税金を上げるよりも前に、やらねばならないことがあるはずであるが、それが十分尽くされた上で議論がされているかというと、全くそうではない。少しずつ記事にされているが、官僚の天下り先に言い値で業務などを発注することについては、メスは入れられていない。支出を減らすことが出来ないか十分検討した上で増税ということになるであろうが、それはなされていない。
 真剣に支出を削り、天下りをなくせば、この国が抱える借金は長期的に見れば返済出来るものだと私は考えている。
 また、日本の税負担が低いというのも詭弁であり、高速道路に乗るときに通行料を取るなどして、間接的には税金を納めているものは多いにも関わらず、そうした全体を整理した議論はされていない。
 日本経済新聞ですらそうなのである。これが意図的であるとすれば、どのような意図があるのか理解に苦しむところである。最近の報道が一辺倒で、違った視点、ないしは正しい視点での報道が時としてされないことがあるということについてもマスコミの能力低下があるといわれても仕方があるまい。

 この国をこのような形にしたのは、根本的には国民なのかもしれないが、国民から選ばれた政治家であり、官僚達である。社会保険庁の腐敗が取りざたされているが、これは氷山の一角であろう。過去、特定の世界の利益を確保するために様々な施策がなされてきたのであり、整理回収機構もその一つである。整理回収機構の常務が債務者と海外旅行に行き、その後多額の債務免除をしたという記事が出ていたが、金のあるところ腐敗があり、これに目を光らせて一つずつそうした利益団体や腐敗をなくしていくことが本来の政治の使命なのであろうが、彼らも最終的には国民の利益よりは自らの利益確保にいそしんでいるように見えてならない。
 弁護士が同じことをすれば即懲戒である。高い職業倫理が求められるのは何も弁護士だけではあるまいと思うのである。

 弁護士に関しても、情報操作がされ、かつ、時の勢いに負けて増員に同意せざるを得なかったという経緯があるように思われる。
 司法制度改革審議会で、今後の増員人数について、フランス並みにするために、年間3000人という数値が出た時に、弁護士会は驚いて反発したが、このフランス並みにするというフランスの実情が正確に整理されていたかといえば、過去の資料を見る限りそのような資料は見あたらない。調査には行っているようであるが、根本的にこれだけの制度改革をするためにフランスの制度について十分な調査がされたとはいえないと考えている。
 むしろ、日本には税理士、司法書士、社会保険労務士などの法律隣接職が多人数いるにもかかわらず、そことの関わりがあまり議論されることなく「まずはフランス並み」ということが1人歩きした観がある。これが意図的なものであったかという点については、検討の余地はあるであろうが、私は個人的には意図的なものがあったと考えている。

 それは一つには大学側の意向があったように思える。ロースクールが出来、多人数の司法試験合格者が出るようになれば、それは一つのビジネスとなる。子どもの数が減っていき、統廃合や合併などが現実のものと見られる大学側にとって、社会人が再度入学する可能性があるロースクールというものは一つのビジネスチャンスであったのであろうと考えている。
 そのために、最低でもロースクールがビジネスとなるためには、3000人の合格者が必要だったのであろう。このときの審議会の座長は、大学関係者であり、弁護士会側に、「本気で改革をする気があるなら、3000人に同意出来るはずである」と2者択一を迫られたとの証言もある。最近では、大学関係者が多数在籍する規制改革審議会が、合格者9000人構想を議事録の中では真剣に出してきていた。これは国民のための会議のはずではないのか。特定の利益団体が自らの利益を確保するために意見をいうだけの会議なのか。

 そして、司法改革の時代、弁護士会側でも、突然ある大物弁護士から、「3000人が妥当」という言葉が出てきて、弁護士会はあまり反対が言えなくなってしまったという経緯がある。そのころ、その人物に逆らうことは、日本の国の世論を敵に回すことでもあった。その人物がどのような思惑を有していたかはわからない。国民全体のことを考えたのか、あるいは自らの名声欲だったのか、はたまた政治的判断もあったのかー。

 そして、安く弁護士を利用したい経済界からも、「増員すべき」との声が上がり、行政でも経済界でも弁護士資格がある者のニーズがあるとされた。

 3000人決定の経緯についても、利益がからみあったり、それがために情報が操作されたりした結果決定がなされているように思われてならない。

 その結果、被害を被るのは国民であり、その情報を信じたロースクールの学生であり、真面目に仕事をしてきた弁護士である。

 ところが、最近の調査では、行政でも経済界でも、弁護士資格のある人を雇用する予定はほとんどないことが判明してきた。そして、司法改革で言われていた裁判官・検察官の増員はほとんどない。その結果、3000人の合格者の大半は弁護士を目指すことになるであろうが、これを受け入れる体力は弁護士会にはない。

 大量の就職浪人か、いきなり独立をする弁護士が大量に生まれる時代に突入しつつある。しかし、いきなり独立をした弁護士に事件を処理できる能力は普通ない。これから弁護士を依頼する人は、どのような経緯で弁護士をやっているのか調査しなければ依頼をすることを検討しなければならない時代に来たのかもしれない。
 そして、ロースクールの乱立による司法試験浪人、司法試験考査委員の問題漏えい疑惑。

 社会的要請ではなく、一部の人たちの利益や思惑で出来た制度は崩壊する。
 増税に関してもしかりである。心ある政治家や官僚が私のブログを読んで一念発起してくれればよいのであるが…。

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2007年9月15日 (土)

刑事弁護人の職責

 刑事の弁護人の職責について書いてみたい。

 現在の科学では魔女はいないとされているが、中世では魔女裁判があり、拷問で魔女と自白させるなどして「魔女」の烙印を押して火あぶりなどに処していた。日本でも江戸時代には拷問で自白を取るということが当然の前提であった。そのため、多くの無実の人の命が失われた。今でもえん罪の危険性は残っている。

 公権力(警察や検察庁)に比して、逮捕・勾留された被疑者や被告人の立場は非常に弱いのが普通である。
 こうした被疑者・被告人に1人の味方もついていなければ、被疑者・被告人は公権力の圧力に負けてやってもいない事件を自白してしまうかもしれない。また、事実が多少異なるにもかかわらず、公権力から、「認めろ」と圧力をかけられて認めさせられてしまうかもしれない。
 被疑者・被告人の味方になる者が1人はいなければ、中世の魔女裁判と同様、無実の罪を着せられたり、違う事実によって罰せられる者が出る可能性があるのである。

 誤認逮捕されたが、アリバイを私が証明して検察官にかけあった結果、速やかに釈放されたという事案をやったことがある。彼は、「絶対にやっていないけど、先生が来てくれなければ自白してしまいそうだ」と言っていた。

 弁護人は、そのために存在する。

 世間から罵声を浴びせられ、世の中全てが敵のような事件であっても、被告人が反吐を吐いてやりたいほどどうしようもない人物であっても(私選の場合は選任の自由があるから、信頼関係が保てなければ依頼を引き受けなければよいのであるが、仮に被告人との間で信頼関係が保てなくとも、弁護人としての重い職責を踏まえて引き受ける人物もいるであろう。)、弁護を引き受けた以上は、その被告人にとって有利な事実を探して被告人に成り代わり全力でもって主張しなければならないのである。

 かつて、弁護人が、「この被告人は悪い奴だから重い罪に処せられるべきである」という主張を裁判所に向かって述べたことが弁護士の懲戒事由となったことがある。弁護人である以上、打ち合わせの際には被告人を叱っていたとしても、いざ裁判となれば、被告人を擁護する立場から主張を展開しなければならないのである。これが許されないとすれば、弁護人制度そのものを否定することになるが、それは憲法37条の否定である。

 被告人にとって量刑上よい事実を出す弁護のことを情状弁護というが、被告人を叱ることが裁判上の情状に有利と見ればそのような被告人質問を敢えてすることはある。

 しかし、弁護人となった以上は、被告人のために出来る限りの弁護活動をしなければならないのである。
 被害者がいる事件では、被害者は自分の考えているストーリーと違う事実を被告人が述べると被害者は当然被害感情を害されるであろう。そのことを躊躇して被告人にとって有利と考えられる事実を裁判上出さないことが正しいかどうかということは非常に問題となるが、事実が違うと被告人が述べるのであればこれを出すようにしなければ、やはり弁護人の職責を果たしたことにはならないであろう。

 重罪事件で弁護人となれば、当然弁護人も被害者から憎まれる。「なぜあんな被告人を弁護するのか」という声も上がる。しかし、刑事弁護というものが、そもそも悪い人物にも1人くらいは味方につけてあげようという発想から出ている以上、弁護人が主張を展開することが許されないということには決してならないのである。

 もちろんこれは法的なものの味方で、世間感情には合致しないであろう。しかし、世間の感情だけで処罰をするということになれば、それは中世の魔女裁判と変わらないことになってしまう。

 世間の感情というものはマスコミやちょっとした要因で動くものである。安部内閣も、スタート当初は物凄い支持率であったことからしてもそれは分かるであろう。

 刑事被告人を弁護することについては、中々世の中の理解を得られることは難しいであろう。もちろん弁護方針ややり方の是非はあるであろうが、悪人だから弁護の価値なしという論法は相当危険である。

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2007年9月14日 (金)

新61期合格発表

 昨日、表記の件で合格発表がなされて、1851名が合格したということである。
  今は合格してその喜びに浸っていることであろうが、その先には厳しい現実が待っている。この先、就職ははっきりいって、「ない」。裁判官と検察官も増員予定も予算がつかないので「ない」。修習の実を上げて最終試験に合格することも当然ではあるが、これから合格した人は次の就職戦線で更に厳しいふるいにかけられるであろう。入口が広くなった分、これはやむを得ないところである。

 試験に失敗した人たちの行く末も問題となるが、そもそも、不合格者がたくさん出ているのは、当初の予定よりもはるかに法科大学院が設置されてしまったためである。これは大学側の問題であって、たくさん大学院が出来たから、合格者を増やせというのは本末転倒であろう。学生の皆さんにはお気の毒だとは思うが、そもそも当初の設計とも異なっているのであるからやむを得ない。そもそも当初の計画自体私は誤っていると思っているのだが。

 最近は、新聞の記事でもこうした論調で記事が書かれるようになってよい傾向だと思っている。

 合格率40パーセントが低いとも言われているけれども、私の時代は2%程度であった。それから比べれば飛躍的な伸びである。

 ただ、合格しても先で仕事がなければ、受験者も減るであろう。3000人を受け入れる社会的要請は今の日本にはないように思う。

 どうなることやら…。
  やれやれである。

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2007年9月13日 (木)

病気について

 末期ガンになった人が死ぬ前に好きなことをしようと世界旅行に出かけたり、全財産を投げ打って外国で高級娼婦と遊んで帰国したらガンが全く消えていたという話は本当にあるようであり、ガンによる治療実績は研究が進んでいるにもかかわらずそれほど進歩していないようである。

 最近は、西洋医学の限界がいわれるようになってきている。西洋医学のよいところはあるであろうが、西洋医学だけではだめだということなのであろう。

 個人的には、ガン細胞は出来たり消えたりしていて、偶々検査の時にガン細胞が見つかると切除だ薬だとかいうことになり、余計に体を傷つけるのではなかろうかというように考えている。気の持ちようでガン細胞は消えるのではなかろうかと思っている。もちろん医学的根拠はないのだが、好きなことをした結果ガン細胞が消えたケースを見ていると、やはりガン細胞は出来たり消えたりするものではないのだろうかと思うのである。

 乳ガンでも、右の乳房に出来る人と左の乳房に出来る人では性格に違いがあるというようなことも言われている。

 ソフトバンク新書から出ている「病気になる人、ならない人、その見逃せない法則 土橋重隆 著」にはそのあたりの解決策のヒントが書かれているようである。

 やはり過剰なストレスはよくないのであろう。小泉さんもほとんど飯を食わなかったと書かれていたが、安部首相も相当なストレスであったのであろう。なんとなく、「このままだったら死ぬ」と思って辞任したように思える。地位名声と生命とどちらが大事かという話である。
 首相在任中に小渕総理は死亡したことも記憶に新しい。

 持病(といっても最近は日常の仕事をして生活をしていれば何ともないのであるが)を持つ私にとっては考えさせられる話である。

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2007年9月12日 (水)

都甲金平

 宮本武蔵の眼力を伝える挿話として有名な話がある。
 宮本武蔵は晩年肥後藩の細川忠利(細川幽斎の孫)に仕えたが、その際、忠利より、「藩士の中で、人物はいるか」と問われたところ、たちどころに、「さきほど見かけた人物は相当の人物でござりまする」と答えて、忠利の前に引き合わせたところ、忠利もにわかに思い出せない微禄の藩士であった。この男を都甲金平という。

 聞けば、都甲金平は、臆病な気持ちを自分からなくすために、毎夜抜き身の真剣を自分の頭の上に細い糸で吊して寝ているという。最初のころこそ恐ろしくて眠ることが出来なかったが、今ではその状態で熟睡出来るようになったというのである。

 武蔵は、ただ一目で都甲金平のこのような心魂を見抜いたのである。

 さらに、都甲金平は、武蔵の死後に武蔵の人物を見抜く目が正しかったことを体で証明するのである。
 江戸城が大火によって焼失したために、各藩に江戸城の修復工事が命じられた際に、細川藩の石奉行はこの都甲金平であった。
 細川藩は、どの藩よりも早く石を調達して作業を終えた。このとき、作業に間に合わないため金平が他藩の石を盗んだという説と、あまりにも手際のよい細川藩の作業に他藩が妬んで「細川藩は石を盗んでいる」と幕府に訴え出たとする説があるが、ともあれ、金平は幕府により石を盗んだ罪で捕縛された。

 当時は今のような刑法や刑事訴訟法はないから、自白を取る手段は拷問である。とがった石の上に正座をさせられたり、膝に穴を空けられてそこに醤油を入れられたりする拷問がなされたが、金平は泰然としてこれに耐え、「石を盗んだ」とは言わなかったのである。

 ありとあらゆる拷問に耐え、金平は無罪放免され、細川藩の体面を保ったのであった。
このような苛烈な拷問に泰然として耐えた金平のものすごさは当然であるが、この金平の性根をちらりと見ただけで見抜いた武蔵の眼力には敬服するばかりである。

 剣の修行を積んだ人物には一種の予知能力があるようであり、昭和初期の剣豪も、友人と歓談していて、友人が帰ろうとするとこれを引き留め、「もうすぐ誰々君が来るから少し待っていたまえ」というので友人が待っていると、本当にくだんの人物が現れて驚いたというような話が伝わっている。剣豪に聞くと、「○○君が家を出るところが見えたような気がしたのだ」というのであるが、武蔵もこれに似た能力を持っていたのであろうか。

 弁護士業に邁進して、このような能力が身に付けばいいのであるが、私には武蔵の境地はヒマラヤの頂上よりも遠いようである。

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2007年9月11日 (火)

名作の復刻

 最近30代の人が昔読んでいた漫画などで絶版となっているものの復刻が流行しているようである。30代で、少し自分の趣味にお金をかけられる年代が狙われているようで、CDでもその年代を狙った作品集が発売されている。高級ガンダムの模型などもそのようであるし、仮面ライダーも昔の作品が復刻している(仮面ライダーフリークの私としては、また別に書きたいとも思っている)。

 というわけで、私も最近復刻版を買っている。高橋留美子の「うる星やつら」や「らんま1/2」などを買っているが、個人的には超人ロックの完全版の発売が嬉しい。

 超人ロックというのはもの凄い長い年月に渡り連載されてきた作品で、不老不死の超能力者ロックが主人公である。彼は肉体が老化してくると超能力で若返り、数千年の時を生きているという設定である。超人ロックに関しては、年代別に作品を並べているサイトなどもあり、根強いファンがいる。こんな超能力があったら、普通の人は真面目に働かず、超能力でずるをして一生遊びほうけるであろうが、ロックは畑を耕したりしているのである。

 ロックは人の心も読めるので、私にこんな能力があったら嘘をついている相手方などはすぐに論破出来るのであろうが、それはそれで仕事に工夫がなくなるかもしれないので、やりがいがないのかもわからないとも思ったりしている。

 昔少年キングという雑誌に掲載された頃にこれを読み、夢中になってそのころの作品は全て持っていたのであるが、修習生になる頃にいらない漫画を全て古本屋に売ったのである。今では中々手に入らない作品もあったのであるが、狭い実家にいつまでも荷物を置いておく訳にも行かず手放した。

 そのころはまっていて持っていた名作に、マンサンコミックスの「用心坊」という作品もあり、これは古本屋で何冊か手に入れたのであるが、全巻揃っていないのが悔しい。この用心坊については、いつか書いて見たいとも思っている。

 出版業界も玩具業界もDVD業界も、うまく購買欲をそそってくれるものである。

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2007年9月10日 (月)

鳩山法務大臣発言

 遅ればせながら、鳩山法務大臣発言が物議をかもしだしている。3000人合格という政府の方針に対して、「弁護士はそんなにいらない」「合格ありき。ロースクールの存続ありきはおかしい」という発言をしたところ、鳩山大臣のホームページにはロースクール生から抗議のメールが殺到しているようである。

 その一方で、鳩山発言は正しいということでこれに賞賛を送っているメールも多く、この問題の対立が根深いことがわかるのである。

 弁護士の実感からすると、鳩山大臣の発言は正しいと思っている弁護士が多いであろう。地方の過疎地域も徐々に弁護士が増えてきているし、今後の増員と地方誘導策で少しずつ過疎は解消されていくであろう。ただ、司法過疎地域が抱える法的問題点でどれだけの弁護士が飯が食えるかは別問題であり、経済規模からしても都市部ほどは事件がないことが予想されるのである。

 今試験を受けている人達がいうのは、「自分たちが合格するまでは合格者は増やしてもらって、合格した後は減らして欲しい」というのであるが、これは人間である以上仕方のないことなのかも分からない。

 行政や経済界が弁護士資格を有した人材を求めていなかったことが日弁連の調査で判明し、司法改革の際に言われていた「行政や経済界に弁護士資格のあるものが多数求められている」という前提が崩れ、国が予算をつけないために裁判官と検察官が大幅な増員がなされていない現状からすると、3000人を受けて入れていくことは極めて難しい事態である。

 いきなり独立したいというものが出てきているし、就職先がなかった者も一定数出てきている。さらに、不合格者も71名を数えている。

 このままでいけば、司法制度の根幹が揺るがされる事態となるであろう。61期の時代には、物凄い数の就職浪人ないしはいきなり独立が出るのではないだろうか。そんなに簡単に飯が食えれば全ての経営者弁護士は苦労しないのである。

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2007年9月 8日 (土)

作家が食指を動かされる人物

 歴史小説を多く読んでいると、同じ歴史上の人物を様々な作家が取り上げていることに気づく。歴史小説の読み始めは夢中で読むのであるが、そのうち、たくさん読んでくると、個々の作家のかきようや解釈の違いなどに目がいくようになる。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康や武田信玄、上杉謙信などの戦国時代の武将と、幕末の新撰組などは多くの作家が書いている。

 宮本武蔵もその1人であり、武蔵についてはいずれこのブログでも書きたいという気持ちもあるのであるが、今武蔵を書いた「バガボンド」という漫画が爆発的に売れていることもあり、武蔵関連の本も多い。バガボンドの原作は吉川英治の「宮本武蔵」である。

 この吉川英治の宮本武蔵は、武蔵名人説非名人説が激しく紙上で闘わされたことに対する吉川英治の回答であり、武蔵といえば吉川英治の武蔵を思い起こす人も多い。

 ただし、武蔵の実像に迫っているかという点については、吉川英治の武蔵にはこれまで様々な批判がされているところである。これは小説であるから、ある程度やむを得ないところもあるであろう。

 司馬遼太郎も武蔵を書いているし、津本陽も武蔵を書いている。津本陽に至っては、「宮本武蔵」という作品があるにもかかわらず、最近の研究を元に「武蔵と小次郎」という作品を新たに書いているほどである。

 私はまだ読んでいないが、柴田連三郎も武蔵を書いているようである。その他、作品の中に武蔵をスパイスのように効かせている作品は多い。隆慶一郎の作品にも武蔵がスパイスのように出てくる。

 武蔵がなぜこれだけ作家を引きつけるのかということについてはいろいろな要因があるのでありいちがいにはいえないであろうが、今私は「それからの武蔵」という小山勝清という人が書いた古い作品を読んでいる。全六巻で、今第四巻に入ったところである。

 この作品が珍しいところは、話が武蔵と佐々木小次郎が闘った巌流島の戦いから始まることであり、巌流島の決闘後、武蔵が死ぬまでを書いているという点である。

 巌流島の決闘は、武蔵の生涯の戦いの中でハイライトともいえる戦いであり、この戦いから書いてその前を書かないということで珍しい作品であるといえる。吉川英治の武蔵は巌流島の戦いで話が終わっているため、その後を書いたということなのであろうか。

 経緯はよく分からないが、この「それからの武蔵」は面白い。様々な武蔵研究の本もいくつか読んでいるので、機会があれば武蔵についても書いてみたいと思うのだが、まとまったものを書くまでの時間は中々取れない。

 私個人としては、武蔵は同時代の剣客の中で最強の1人であったと考えているし、日本の剣豪の中でも最強の1人であると考えている。その理由としては、戸部新十郎という作家の日本剣豪譚という作品を読むのがもっともてっとり早いと思うので、機会があれば是非とも歴史小説好きには読んで欲しいと思っている。

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2007年9月 7日 (金)

札幌出張中止

 台風が来ていたため、本日は弁護士会の公務で札幌出張の予定であったのであるが、行くのは行けても帰って来られなくなるかもしれないので、会長からも中止するようにとの意見が出たので出張を延期した。

 台風の直撃を受けている地域の映像を見ていると強い台風であることが分かる。被害が小さいことを祈るばかりである。

 出張の予定が空くと、起案が出来ることになるので、今日は訴状を1本ほぼ書き上げ、その後は文献調査をしている。ただ、文献調査も長時間していると人間であるので眠くなってくる。

 ここのところ、裁判上の和解や訴訟外で和解で何件かぽこぽこと事件が終了したので、短期的には裁判の予定が入っていて忙しいともいえるが、その先は暇になりそうである。

 暇な時期にさぼらないで溜まった書面や調べ物をしておくと、後に役立つ。裁判所が夏休み中事務所に来てもやることがないのでほんわかしている弁護士もいれば、その暇な期間にやれるだけのことをやっておく弁護士もいるが、やれるだけのことをやる弁護士は夏休みが終わり新しい事件が来ても対応が可能ということになる。

 最近体が空いている時間が割合あるので、依頼者からの要望の書面がその日のうちには出来て依頼者の自宅にファックス出来ているような状況であるが、いつまでもこのような暇な状況でもこれまた困るのである。

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醜状痕と逸失利益

 交通事故によって顔などに傷跡が残ることがある。これを醜状痕という。
 一方、交通事故によりこれ以上治療してもよくならない症状、すなわち後遺症が残ると、その後遺症により将来にわたり働く能力が落ちたとして(これを労働能力喪失率という)、本来であれば得られるはずであった将来の収入を損害として請求できる。たとえば腕を事故により失った場合には、後遺症の等級何級で、労働能力が何%失われたので、これこれの損害が発生したというように計算されるのである。これを逸失利益という。
 また、後遺症があると、そのような後遺症を負ったことに対する精神的苦痛に対して慰謝料が発生することになる。

 ところが、醜状痕の場合、傷跡であるから、労働能力は別段失われていないのではないか、逸失利益はないのではということが問題になるのである。特に男子の場合はこれを認めないで、後遺症慰謝料で調整するということが多い模様である。

 少し前に、男子学生で醜状痕が残っていた事案で、就職に影響が出るということを理由に(もちろん私がそのような主張をし、本人もそう思っていたのであるが)、一部逸失利益を認めてもらった裁判例を取って、事件自体は終了していたので記録も片づけていた。

 そうしたところ、最近この判決が自保ジャーナルという冊子に掲載されていた。自保ジャーナルという冊子は、かんたんにいえば交通事故の裁判例を掲載する冊子である。過去にも他の事例で掲載されたことはあるのであるが、私も人間なので自分の取った判決がこうした冊子に掲載されると悪い気はしない。

 時々画期的決定や判決も取るのだが、雑誌社などに送るのが面倒でついついそうしないので、隠れたよい判決などが埋もれていたりするが、本当はこうした判決例は出来るだけ雑誌社に送るようにして、共通の知識とすべきなのであろう。

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2007年9月 6日 (木)

弁護士の取扱分野

 元依頼者の人や税理士さん、司法書士さんなどから事件の紹介をしていただくことがあるが、そのときに、たまに、「先生は離婚事件はされますか。」とか、「借金の関係なんかされますか」とか「刑事事件はされますか」などと聞かれることがある。
 私の取扱分野はリンクを貼っている事務所のホームページに掲載があるが、外国相手の事件や大きい商標権・知的財産権の事件を除けばほとんど全部の事件を扱うし、他の事務所でも同じようなものであろう。その都度「たいてい何でもやりますから、とりあえず相談していただくようにいっていただいたらいいですよ」と答えている。

 あとは、「こんな小さい事件でお手を煩わせまして」というのもたまにいわれる。謙遜してそう言われている場合もあるであろうが、本気でそう言っておられる時もあるようである。しかし、弁護士によっては着手金が100万円以下の事件がない事務所もあるようであるが、私の事務所は着手金が5万円、10万円の事件はざらにあり、事件の額が小さいからといってどうこうということはあまりないし、周囲の弁護士もそうではないかと思う。紛争の金額だけで判断されず、まずは弁護士に相談していただくことが重要かと思う。相談して、弁護士に依頼するメリットがなければそれはそれで仕方ないが、相談してメリットがある場合もある(交通事故などでは、後遺症が出れば損害額が跳ね上がるが、後遺症に悩まされているにもかかわらず、後遺症の認定もせずに示談しているようなケースもないではない。)。

 前にも書いたようにも思うが、専門は何かと聞かれることも多いが、ほぼ全ての事件を取り扱うので、特に専門というものはない。刑事事件しかやらない、医療過誤しかやらない、労働事件の会社側しかやらないという事務所も一部にはあるようであるが、私同様、大半の弁護士は何でもやるであろう。
 ただし、得手不得手というのはあるかもしれないし、これまでに取り扱った事件数が多ければその分野には普通は精通している可能性がある。私はそういう時は倒産関係、多重債務関係、消費者被害関係、交通事故の被害者側が多いと答えているが、最近は離婚事件や相続、借地借家の事件の取扱も増えてきたように思うので、やはり通常の弁護士は「何でも屋」なのであろう。だからといって私がその分野の専門家であるといえるかというと、とても恥ずかしくてそのようなことはいえない。

 弁護士を選ぶ時は、私を含めて専門家だとか取扱が多いと言っているから信用できるかどうかはまた別物であるようにも思うので、やはり説明が納得できるか、依頼者への報告がきちんとなされるか(相手から出た書面の写しも送らなかったり、期日報告もしない弁護士がまだまだ多いようである)、費用の説明があるか、契約書は交わしているか、などがポイントとなるのではなかろうか。
 あたかもその分野の専門家と標榜しているかのような弁護士が、事件で相手となった場合にたいしたことがなかったということは何回かあるからである。

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2007年9月 5日 (水)

弁護士の使命

 弁護士法1条には弁護士の使命が定められている。1項で「弁護士は、基本的人権を尊重し、社会正義を実現することを使命とする。」とされている。

 ここから、弁護士は自分の事務所で売上を伸ばすことばかり考えないで、公益活動をやりなさいということになる。ただ、実際のところは、公益活動を全くやらない弁護士も一定数いる。現在の弁護士会の公益活動(もちろん無償である)は、個々の会員弁護士の善意によって担われているというのが実情である。

 そのため、一部の弁護士会では、公益義務を強制することに会の規程を改正して、一定の公益活動に従事しない場合、罰金を支払わないといけないという制度を設けていることもある。
 本来公益活動は弁護士の使命の一つなのであるから、強制されるというのはおかしい気がするが、そうでもしなければ会員の間での負担の公平感が保てないのであろう。

 私はというと、これまで、消費者・サラ金被害救済センター、広報委員会、犯罪被害者支援委員会、公害環境保全委員会など多数の委員会で公益活動を行ってきたという自負はあるし、今もたくさんの公益活動(会務活動)に従事しているし、費用的には決してペイしない弁護団事件の事務局長も2つしているが(これも費用的にペイしないという意味では公益活動であると思っている)、それについて、他の会員がやらないからといって、特段負担感を持ったことはない。周りの会務を熱心にやっている弁護士も同じではないかと思う。やらないといけないと思うからやっているのであって、会務活動がなければ、もっと本来の業務に割くことが出来る時間も増えることは分かっているのだが、「やるべし」でやっている。

 そもそも、仕事の割当などで完全に公平なことなどあり得ないので、人間社会においてあまり負担の公平を言い出すと、物事が前に進まないと私は思っている。他の人間よりもやれる能力をもっていることをむしろ誇りに思うくらいで仕事というものはやるべきであろう。

 会務などで反対意見を滔々と述べる弁護士が、普段その分野で何ら活躍していなかったり、会務を全くやっていなかったりすることも多く、そういう時は、「公益活動もしない癖に口を出すな」と皆思っているのであるが、そうした周りの内心は本人には分からない。

 何かを言うためには自分がその分野で実績がないといけないというのは私の持論であるが、世の中は中々そうではないところがある。

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2007年9月 4日 (火)

修習時代の釣り後半

 本屋に行った私は、「慟哭の谷」(木村盛武著、共同文化社)という本を買ってきた。史上最大のヒグマが人を襲った悲劇ということに惹かれて読み始めたのであるが、怖い。ヒグマはとてつもなく怖いヤツだったのである。本土の方のツキノワグマは大きくなっても知れているし、ツキノワグマが人を喰ったという話は聞かない。一方、ヒグマはとてつもなく怖いヤツで、人は喰うわ、漁師に罠はかけるわ(漁師が熊の後を追っていると、途中で自分の足跡通り後戻りして、そこから茂みの横に飛ぶのだそうである。そして、漁師が通り過ぎるのを待ち、熊の足跡を追って前方に行った漁師を後ろから襲うのだ)、恐ろしいヤツであった。

 1915年の北海道がまだ開拓時代であった頃の話で、苫前村というところで、8人の村人が一頭の熊に喰い殺されたという事件である。しかも、最初の犠牲者の通夜をしていたら、そこに熊が襲撃してきて死体を奪っていくという恐ろしい話まで書かれている(熊は、自分の獲物だと思って掘り返しに来たのである)本である。最後は熊は伝説の漁師によって射殺されるのであるが、その間に死亡した村人は8名。この本を読んでヒグマとはなんて恐ろしいヤツだと思い、修習生をつかまえては、この熊害の話をしていたのである。

 ちなみに、作家の吉村昭が、この話を元にして、「羆嵐」という作品を書いている。

 私は渓流釣りがしたかったので、渓流に行きたかったが、渓流は山奥であるので、羆警報が必ずあるのである。そうではあったものの、何回となく渓流には皆で連れ立って行ったのであるが、羆にびびりながらの釣りでは中々釣果はあがらなかった。修習生は誰も釣れず、検察庁の事務官がニジマスを釣り上げたのがせいぜいであった。

 その後、ワカサギの穴釣りや、小樽漁港でのソイ釣りなどにシフトし(特に後半はやたら小樽漁港での釣りが流行った。また別の機会に書くこともあるであろう)、渓流には何回かしか行けなかったが(修習の研修旅行で利尻礼文島でも渓流釣りをした。これもそのうち書いて見たい)、こちらに戻ってくると、羆が出ない渓流というのは本当にいいものだとつくづく思う。

 その一方、最近は羆も減少しているように聞くし、北極の氷がなくなればシロクマも生きていく場所を失うことなども思うと、この地球がいつまで保つのかという漠然とした不安も感じる今日この頃である。

 杞憂の故事を笑えない日がくるかもしれない。

 

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2007年9月 3日 (月)

修習時代の釣り~支笏湖~、そしてヒグマ

 私は札幌修習だったので、少し足を伸ばせば自然が豊富にあったので、趣味の釣りもよくほかの修習生と連れだって行った。

 初めて北海道で行った釣りは支笏湖(しこつこ)だったと思う。この湖は、浅いところから急激に落ち込んでいて、しかも足場が崩れていく石という特質を有していた。そして、表面積は小さいにもかかわらず、びわ湖の何分の1かの貯水量を誇るということで、極めて深い湖であった。そのため、鹿などが溺れると死体が上がらず、「死の骨の湖」ということで、死骨湖(しこつこ)であるともいわれていた。

 ヒメマス(北海道ではチップ)という綺麗な魚体のマスが釣れるということでルアー釣りやフライフィッシングをしに多くの釣り人が訪れる湖であり、毎月北海道のルアー釣りが掲載されている雑誌を購入していたが、ほとんどこの支笏湖は掲載されていた。

 しかし、支笏湖は栄養の乏しい湖であるため、あまり魚影は濃くなく、釣り人は多いが釣り上げている人は見なかった。
 私も5回ほどルアーフィッシングに行ったが、何も釣れなかった。当時お金もない中で不十分な装備で釣っていたせいもあったろうし、腕のなさもあったであろう。同行した他の修習生や、検察庁の事務官も何も釣れなかった。

 この支笏湖の側に、苔の洞門という名所があった。溶岩が浸食されて出来た渓谷の跡の側面の石に、まるでビロードのように無数の苔がびっしりと生えているというものである。今は崩落のために立入り禁止となっているようであるが、平成6年当時は自由に立ち入ることが出来た。ただし、北海道にはヒグマがおり、体長2メートル、山の中で出会ったらはず生きては帰れない恐ろしい動物である(ツキノワグマなどと一緒にしてはいけないのである)が、支笏湖周辺はクマがよく出るスポットであり、北海道では山でクマにやられて死亡したり大けがをするという事故は日常のものであった。

 釣りを終えたか観光に行った時であったかは忘れたが(当時は支笏湖で足踏みペダル式の船が借りられたので、男3人で漕いでいた帰りだったような記憶もある)、苔の洞門を見に行こうという話になり、皆で現地に向かったが、そこに書いてあるクマ情報を見て一様にびびった。17時以降はクマ出没の危険性が高まるので、絶対に立ち入らないようにと書いていたからである。

 時間は既に16時30分頃で、少しずつ薄暗くなってきていたように思う。しかし、せっかく名所に来たのだからと、途中まで行こうということになり、進み出した。
 駐車場から苔の洞門まで歩くのだが、道の隣は完全に原生林で、ヒグマが潜んでいても全然分からない。3人ともびびりながら苔の洞門にだとりつき、何十メートルが進んだが、どんどん太陽が落ちてきた。時計は17時少し前。

 3人ともなんとなくヤバイと感じて引き返すことに。クマは実は臆病で人を怖がっていると聞いていたので、3人で歌を歌いながら帰る。曲はもちろん「森のくまさん」である。
 しかし、何十メートルが歩いたその時、右手の原生林の中で、「ガサガサッ。」という大きい音がした。
 次の瞬間、3人ともその場にはおらず、駆けだしていた。もちろんクマが走れば、100メートルを数秒で走るという足の速さなので、カール・ルイスであっても追いつかれるのだが、とにかく逃げた。生涯であんなに早く走ったのはサッカー全国大会で得点を上げた後のときかこのときくらいである。

 もちろん、あれがクマであったかどうかは分からない。しかし、敵を知れば百戦して危うからずという孫子の兵法を大学時代に読んでいた私は、まず釣りに行った時に必ず出会う危険のあるヒグマを知ろうと考えた。

 しかし、そのことが私をさらなる恐怖に駆り立てるとは、本屋へ向かう私には思いもよらなかったのである。

 後半に続く。

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2007年9月 1日 (土)

柳生新陰流

 現在の剣道の成立に大きい影響を与えたのは戦国期に上泉伊勢守信綱が創始した新陰流である。それまでの剣法修行は木刀での稽古がほとんどであったため、稽古の途中で少しの失敗で一生を棒に振るような怪我をすることが多かった。そのため、新陰流では稽古に「ひきはだ竹刀」というものを用いた。これが現在の竹刀の源流であるといわれており、引き裂いた竹を革袋でつつんだその革がひきがえるの肌のようであったため、この名で呼ばれるようになった。

 新陰流はその弟子により様々な分派があるが、正統を嗣いだのは柳生石舟斎宗厳であり、いわゆる「柳生新陰流」として柳生家に受け継がれていくことになる。
 石舟斎には子が5名いた。長男厳勝は合戦の際の鉄砲傷が元で体に障害を持ち柳生の里で隠棲しており、次男と三男は僧侶となった。四男五郎右衛門宗章は、中村一忠という大名に仕えていた(客分としてとどまっていたという説もある)が、中村一忠という大名が家老である横田内膳を突然「乱心」して城内で斬殺したことに横田内膳の一族が抗議して城内の一角に籠もり合戦となった際、横田内膳とのこれまでの交誼から横田内膳側につき、名だたる槍の名人を何名も突き付せた後、刀で18人以上を斬った末斬り死にしている。
 五男が有名な江戸柳生の柳生但馬守宗矩であり、後に大目付となり、大名取りつぶしに辣腕を振るい大名家から恐れられた。その子が柳生十兵衛である。
 実のところ、柳生新陰流の正統な跡継ぎは、この五男の宗矩のように錯覚されていることもあるが、柳生新陰流の正統を嗣いだのは、石舟斎の長男厳勝の子である柳生兵庫助である。兵庫助は、後に尾張徳川家の兵法指南役となった。
 
 江戸時代はじめ、渡辺幸庵という老翁が加賀にいたが、この老翁は100歳を越えるといわれていたので、加賀前田家が昔のことを聞き取った話が残っている。それによると、渡辺幸庵は、柳生宗矩の弟子で印可も取ったが、宮本武蔵は、柳生宗矩と比較していうと、囲碁で言えば「井目も武蔵強し」ということであったらしい。宮本武蔵と柳生宗矩では強さがかけ離れていたということが伺われるエピソードである。

 一方、宮本武蔵が名古屋城下に滞在している間に道である侍とすれ違った際に、「この名古屋に来て、初めて活きた人を見た。さだめしかの人は柳生兵庫助殿であろう。」と述べ、柳生兵庫助の方も、「そういわれる貴殿は宮本武蔵殿であろう。」と述べたというエピソードが残されている。柳生兵庫助の強さも伺い知ることができよう。

 柳生新陰流について書いた本は多いが、柳生五郎右衛門の奮戦を描いた作品としては、池波正太郎の「武士の紋章」という短編(文庫に収録されている)があり、柳生兵庫助については、津本陽の「柳生兵庫助」がある。こうした過去の剣豪の話を読むのも大変面白い。戸部新十郎という作家の書いた、「日本剣豪譚」には多数の剣豪が出てくる。
 
 こうした作品を読むと、勝負の世界に生きる剣豪の心構えが少しでも仕事上役立つような気もしている。弁護士も訴訟ともなれば勝敗が重要な世界だからである(もちろん和解となることもあるが。)。

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