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2007年10月31日 (水)

判決と回収

 判決を取っても回収できないことはよくある。そのため、訴訟を出す前に回収できそうかどうかは検討した上で依頼者に説明をして納得してもらった上で引き受けて訴訟を出す。

 しかし、中には説明をしたにもかかわらず、「依頼した意味がなかった」とか言われることもありうる。

 判決取得後、執行する対象財産があるかどうかわかるかという問い合わせを依頼者にしていたのであるが、しばらくして、「先生、そろそろ全額回収してもらわないと困ります」と言われたりすることもある。

 だから取れないって説明したのに…。

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2007年10月30日 (火)

手帳の残りわずか

 10月に入ると手帳の残りもわずかとなってくる。そしてこの時期には新しい手帳が本屋や文房具店に並ぶのである。こうして並んでいるいろいろな手帳を見るのは楽しい。また、手帳の残りが少なくなると、それだけ今年も仕事をしたのかと思い、あとひとふんばりという気にもなってくる。

 いくつか手帳を試したのであるが、やはり私には日常の仕事で使用するには大阪弁護士協同組合が販売している訟廷日誌がもっともよい。私のものは黒色の表紙で、裏には印紙代や裁判所の管轄が入っているものである。本人さんが調停や訴訟をして事足りる事件のアドバイスをする場合に、「どこが管轄ですか」と聞かれた時重宝する。
 ただし、この日誌は見開きで1週間ではないので、書き込むスペースはそれなりにあるものの、提出期限を把握するなどの長期的な予定の把握が難しい。

 その欠点を補うために、整理用・個人用手帳として、少し前までは野口式、超整理法に従い、毎年超整理手帳を購入し、ホワイトハウスコックスの超整理手帳用カバーまで購入したのであるが、超整理手帳は書き込む部分があまりにも小さく目が痛くなるので数年前に使用を断念し(長期的予定を把握するには最高であったのであるが)、今は見開き1週間のフェルテ6という手帳の高橋の手帳を整理用・個人用手帳として使用している。当然来年もこの組み合わせで行く予定なので、高橋のフェルテ6は購入済である。事務所で事務員が私の予定を把握するために予定を書き写す手帳も同じものである。

 クォバディスの手帳も整理用に一度購入したが、外国製なので使いづらかったので、1ヶ月で使用を断念したことがある。

 前にも書いたが、私は手帳を2冊使用しているのである。基本は訟廷日誌なのであるが、日誌は時間順に書き込むようにもなっていないし、1週間の予定を見ることが出来ないので、整理用にフェルテに書き込みながら予定を考えていくのである。手帳は書きっぱなしではだめで、時にこれを整理しつつ今後の予定や行動を考えなければならない。

 電子手帳を使用している弁護士やビジネスマンも多いが、私は使用する気はない。紙媒体の手帳に一覧性や予定を入れる時の早さなどで、電子手帳はかなわないと考えているからである。電子手帳には他にも機能はあるであろうが、それは別の機械で補ってもよいのである。

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2007年10月29日 (月)

失った信頼

 信頼を勝ち取るのは難しいが、信頼を失うのは簡単である。
 お金を使うのは簡単だが、貯めるのは難しいのと同じである。

 マンガなどで、さんざん悪いことをしてきた奴が、最後に「俺が悪かった」と言っていいことをしたら何となくこれまでの悪行がすべて水に流されるような雰囲気になることがあるが、法律の世界ではそんなに甘くはない。反省しただけでは罪は罪なのである。

 逆にマンガの世界で、これまでまじめにして来たキャラクターが、少し悪いことをすると物凄い信用を落とすことがあるが、基本的にはまじめなのに少し悪いことをしたからといって最悪のように言われのだ。

 悪いことをした絶対量からいくと、最後に改心するキャラの方が悪いのであるが、ここのあたりが人間心理の難しいところなのであろう。朝三暮四の故事は人間にもあてはまるのかもわからない。

 最近信頼を失っている弁護士、芸能人などが多いが、ずっと悪いキャラが悪いままだといつかは叩かれて、立ち直ることすら出来なくなる。

 弁護士人生においても気をつけなければならないと肝に銘じるのである。

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2007年10月28日 (日)

列藩騒動録(上)

 この札幌出張中、飛行機の中で読んでいた本である。
  作者は海音寺潮五郎。

 江戸時代の各藩における騒動について書かれた短編集を集めた本で、下巻も購入してはいるのであるが事務所の机の上に積んであるのですぐに下巻に移れなかった。

 海音寺潮五郎は、上杉謙信と武田信玄の川中島合戦を描いた「天と地と」という映画の原作者でもあるが、その歴史に対する視点や人間に対する分析力は現代に生きる我々にとっても指標になるものである。

 列藩騒動録では、各藩における騒動で言われている俗説について分析し、騒動の実体に迫っている。こうした騒動を描くことで、人間が人生において何に気をつけなければならないかということを叙述しているのであると思う。

 主君の覚えが目出度く、出世に出世を重ねると、それを妬む者も出てくるであろうし、出世していくうちに「この世の春」とばかりに豪奢な生活をしたり、仕事の中で無理を通すことになっていってしまい、恨みやねたみ、そねみを買って最後には滅んでしまうことがある。

 弁護士の仕事も同様で、仕事を覚えて自分もそれなりに出来ると考えた時が実は危ない。好事魔多しというのは本当であり、うまくいっている時ほど実は慎重にならなければならないのである。列藩騒動録の中にも、絶頂を極め滅びた家老が多く出てくる。

 三国志の中で有名な軍師の諸葛亮孔明は、平時の生活は極めて質素で、死亡した後ほとんど遺産もなかったというし、曹操に敵対し、曹操を罠にかけて敗走させ、曹操の長子を殺害したという負い目を持つ軍師のカク(今漢字が思い出させない)は、日常の生活は極めて質素で、人との交わりを出来るだけ避けていたという。

 中々組織の中で生き残るのが難しいのは今も昔も同様のようであるし、派手にやっていれば人のそしりやねたみ、嫉妬を買うことになり、無用の敵を作ることになるために軍師の中にはそのように身を処していた人物がいたのであろう。漢を建国した劉邦の軍師であった張良(確か。名前が間違っているかもしれない)も、漢建国後は権力を握ることがなかったために劉邦の死亡後命が助かっている。他の功臣は罪を着せられて殺害された。功臣は建国後は功臣であるだけに権力維持という観点からは邪魔になるということなのである。

 芸能界や弁護士の世界でも、そうした人達がいるようである。彼らにはこの列藩騒動録を読んでもらいたいものである。もちろん私自身未熟な人間であり欠点だらけであるので、こうした本を読むことで少しでもその中の知識を取り入れようとしているのであり、こう書いているからといって、私が出来ているなどというつもりは毛頭ないし、今後も失敗をすることはあるであろう。

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2007年10月27日 (土)

札幌出張あれこれ

 札幌出張から帰ってきた。仕事の都合などもあり、日帰りで戻る予定が、乗る予定の名古屋便が遅れて名古屋で一泊するはめになった。

 こんなことなら宿泊すればよかったのであるが、短い時間ではあったが、修習時代にお世話になった札幌弁護士会のW先生とビールを飲めたことは本当にありがたかった。

 私が弁護士として第1の師匠と仰ぐ人であり(師匠と思った順位なので、3人いる師匠に軽重はないし、むしろ私にもっとも影響を与えてくれているのはボス弁であることは間違いがないのだが、最初に弁護士道とでもいうべきものを教えてくれたのはこのW先生である)、初心に帰らされるようで新鮮な気持ちになった。W先生は還暦を迎えられたか、還暦に近いはずであるが、青年のような若々しい正義感、使命感を持ち続けておられ、日弁連の副会長を終わった今も会務活動の最前線で働いておられるし、被疑者国選も登録され、昨年も2件重い事件を受任されたとのことであった。

 このようなW先生の話を聞くと、まだまだ私はW先生に及ばないことを痛感する。W先生の一番弟子を自負している私としては(私がW先生の最初の修習生であった)、さらに今後も研さんと努力を積まなければならないと気持ちを新たにするばかりであった。

 札幌には弁護士会の会務関係の調査旅行で行ったのであるが、今度はもっとゆっくり行ってW先生と飲みたいものである。
 調査旅行では、過疎地域に弁護士を派遣するための養成事務所を見学・話を聞かしてもらったのであるが(W先生はその事務所を運営する委員会の委員長でもある)、その事務所にはベテランの所長を置かず、弁護士登録2年目、1年目という弁護士の方々がその事務所にいる間に少しでもスキルを磨いて、過疎地域に行った時に自分1人で出来るようにということで、高い使命感を持っておられた。こうした若い先生の高い使命感・倫理観に触れたことも非常に大きい刺激となった調査旅行であった。北海道各地で司法過疎の解消に大きく貢献されることであろう。

 一方、こうした高い使命感は重要であるが、弁護士は基本的には自由業であるから、何もかも弁護士の自己犠牲で解決をしろという体勢や自由競争に委ねすぎると、こうした公的側面がやはりおろそかにされるのではなかろうかという危惧も抱きつつ帰京したのであった。

 個人的には世間から見ればまだまだ仕事的に甘えている弁護士や問題のある弁護士も多く、そうした弁護士が何とか淘汰されないかという気持ちはあるが、そうした弁護士は変に客受けがよかったりして、問題が顕在化したりしないことがあるので、中々この問題は難しい。

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2007年10月26日 (金)

札幌出張

 10月26日は都市型公設事務所の調査のため札幌出張である。
 札幌の同期や師匠に出会えるのも大変嬉しいが、少し喉が痛い。

 勤務弁護士Kの風邪がうつったのかもしれないが、致し方ない。この札幌調査旅行中に治そう。

 しかし、札幌ではたぷんコートがいるであろうが、こちらではまだコートを着ている人はみかけないので(何度になれば薄手のコートを着てよいのか?私は既にちょっと着たくなっている)、こちらからコートを着ていくと目立つ。Y田Kおる弁護士のように、手で服を持つのは嫌いなので(Y田弁護士は上着をほとんど着ておらず、荷物のように肩の後ろにかけていて型くずれしている。本当にどうでもよいことであるが)、カバンの中に入れていくのがよいのかどうか(型くずれする)、あるいはハンガーにかけて手で持つ方がよいのか(私は荷物が2つになるのが大嫌いなのである)、悩ましいところである。

 どうしたものか出発時間が近づいているのに決断出来ない私なのである。

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2007年10月25日 (木)

知的財産

 私が取り扱わない分野の一つに知的財産法がある。著作権の訴訟を1件やった程度で、あとは簡単な相談をやった程度である。

 こうした訴訟には膨大な労力がかかるので、一般の弁護士事務所では割に合わないと思う。何件も事件を抱えている中、知的財産関係に避ける時間もない。

 私は町医者的な弁護士であるが、町医者と一般の弁護士が違うのは、町医者だと検査などをする設備がないということで、大病院を紹介されることもあるが、弁護士は町医者的弁護士でもほとんどの事件を手がけることが出来るところである。その意味で、数が多くいる事務所がよいとも限らないし、1人でやっているからよいとも限らない。

 ほかにも医療過誤の医者側はやらないとか、外国人関連の事件はやら(やれ)ない(消費者被害・犯罪被害者支援で時間が取られて、そこまで時間が取れない)というようにだんだんその分野はやらないという分野が出てくる。その分野の事件があるときは、そうした分野に詳しい弁護士を紹介している。
 ただ、医者に比べれば、出来ない分野というのは意外に少なく、たまに交通事故はやらないとかいう弁護士もいるが、これは珍しい方で、離婚、多重債務、交通事故、借地借家、相続、貸金事件などはどの弁護士でもある程度はやるので、あとは個々の弁護士の能力とフィーリング、説明がきちんとなされるか等を考慮して依頼することになるのであろう。

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2007年10月23日 (火)

ステッドラーのシャープペンシル

 ステッドラーの鉛筆を前に取り上げたが、ステッドラーのシャープペンシルを最近購入してみた。芯の長さが自分の好みに調節出来るという機能つきのもので、1200円ほどだった。

 自宅で夜に今後の予定を整理するためのフェルテという手帳に書き込むのに使っているのだが、抜群に書き味がいい。なぜこの価格でこの書き味が出せるのか。ドイツ恐るべしという感じである。

 事務所でも使いたいと思って、4本購入。
 来客室と自分の机に1本ずつ置いて、2本は保管用(壊れたときのため)にしようかと考えている。
 安くていい物を見つけると嬉しいものである。

 みなさんも安くていいもの何かありませんか。

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2007年10月22日 (月)

ひな形に頼りすぎると

 訴状のひな形などが書かれた書式集がある。交通事故の訴状のモデルなども掲載されている。
  しかし、あくまでモデルであり、書くときはどの法律に基づいて請求を立てているのかきちんと押さえておかないと恥をかくことになる。

 自動車損害賠償保障法という法律があり、その三条で、「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によって他人の身体又は生命を害したときは」被害者に対して原則的に損害賠償責任を負うとされている。いわゆる運行供用者責任といわれるもので、会社名義の自動車で従業員が事故を起こした場合は原則としてこれにあたることになる。業務中でなく、帰宅するのに会社の自動車の利用を認めていた場合には、帰宅中の従業員の事故にも責任を負わなければならない。この場合、被害者は従業員とその会社に対して賠償請求が出来る訳である。

 しかし、この自賠責法三条でカバーされているのはあくまで人身事故であり、たとえばいわゆる物損事故に対しての責任は書かれていない。物損については、運行供用者というような規定はないので、前述の例で会社に対して請求を立てようとすると、訴状には、会社の「使用者」が事業の執行につき起こした事故であるということも書かないといけなくなるのであるが、たまにひな形を利用しているせいか、こうした法的整理がされていない訴状をみかけることもある。

 その請求がどういう根拠で出てくるのかを考えるのが弁護士の仕事であり、それには法律から説き起こす必要があるのであるが、マニュアルに頼りすぎていると、自分で考える力が劣ってくる。調べ物をするのは重要であるが、調べた結果を自分のものにしなければ意味がないのである。

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2007年10月21日 (日)

現場に行くということ

 私の元ボスはあれこれあまりいわない人であるが、私が勤務していた頃、「弁護士は現場にいかなあかん」ということはしきりにいっていたし、今も現場に行っているようである。その薫陶をうけた私も当然事件現場には可能な限り行くようにしている。図面だけではわからないことがあるからである。

 図面や写真だけではわからないことが現場に行くと分かることがある。交通事故の現地に被害者が「検察官は見て欲しい」という要望があることもうなづけよう。しかし検察官自らが現地に行くことはほとんどないであろう。
 また、相手から出た写真だけで判断すると、相手にとって不利に見える構図での写真が抜け落ちていることもある。
 見方や見る方向によっていろいろと分かることもある。
 やはり弁護士は自ら現場に行かないといけないのであり、机の上だけで書面を作るだけではいけないのである。

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2007年10月19日 (金)

調べるときは複数の書籍で

 新人弁護士Mさんコメントありがとうございます。体に気をつけて頑張ってください。昨年体調を壊した私がいうなという話もありますが。

 さて、調べものをするときだが、必ず複数の本で同じところを調べないといけない。本は間違っていることもあるからである。本を書いているからといって、物凄い知識があるとは限らず、ヘタをすれば一般よりも劣っていることだってあるし、本ばかり書いて、実務家としては能力ゼロということもあるからである。

 こんなことがあった。

 私が勤務弁護士をしていた頃、ある不動産を仮差押した時のことである。
 仮差押というのは、裁判を出してせっかく勝訴判決を取っても、その間に財産を他の人に売却したりしてしまわれたら、せっかく勝訴しても無駄になるので、相手の財産を「仮に」押さえておくという手続である。相手の言い分を聞かずに一方的に仮差押をしてしまうので、相手に損害が出る場合がある。これに備えて、担保金を積まなければならないのである。

 ところが、裁判所が決定したその担保金の額が以上に高いのである。1000万円の損害賠償請求に対して、目的の不動産の価値が5000万円もあるからという理由で、担保金を1000万円とされてしまったのである。私は書記官に電話して、「面談させてくれ」といったが、「裁判官は、これでしか決定は出さないと言っています」というので、担保金の決定額に対して、不服申立(法律的には即時抗告というのだが)が出来るかどうかを調べなければならないはめとなった。

 私としては、担保の額も裁判官が決めるので、そこに決定行為がある以上、当然に不服申立が出来ると考えていたのであるが、勤務事務所にあった本で調べたところ、「担保の額の決定に対しては、独立に不服申立は出来ない」と書いてある本がある一方で、そんな問題には何ら触れられていない本があるだけであった。

 そこで私は自腹で本を何冊か本屋に買い込みにいくと、ある本には、「当然に出来る」と書いてあった。私は自分の感覚とこの本を信じて不服申立をした。

 そうしたところ、大阪高裁でこの不服申立が通り、1000万円の担保金が400万円に減額されたのであった。

 ちなみに、元々1000万円で決定を書いた裁判官は1年目の裁判官であり、「教科書にはこう書いてある」としきりに言っていた。

 何事も経験であるし、一つの問題を調べる時でも、多角的な調査が必要だということが分かるであろう。

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2007年10月18日 (木)

実務家になってからの勉強方法

 法律実務家になると、生涯勉強勉強である。
 新法が出来ると、本を買って読まないといけない。法律を知らなかったではすまされないからである。時には勉強会をすることもある。破産法が改正されたときは、弁護士会での新法勉強会の講師を引き受け、無理矢理勉強したこともある。

 ただ、一般的な研修にいっても中々身につかないことも多く、実地の事件をやらなければ中々身につかないように思う。理想は事件をやってから研修に行くと研修の実が上がるように思われる。

 事件の中でも調べ物をしたりして勉強するが、これが一番身につく。数多く事件をこなしていると、こうして調べた調べ物は膨大な量となり、少しずつ穴がなくなってくる。怖がって事件を受けないでいると、いつまでも成長しないが、オーバーワークとなりやっつけ仕事になってしまうと全く勉強にならないし、依頼者のためにもならないから、やっつけ仕事をするくらいなら弁護士にならない方がよいのである。このバランスをどうとるかは難しい(私も仕事をしすぎて体をこわしたことは何回もあるのであまり偉そうなことはいえないが、やっつけ仕事をしていれば体もこわさないであろう)。

 弁護士となって最初の5年間にやっつけ仕事をするようになるのか、つらくとも真摯に取り組んでやるのかで、後々大きく変わってくるように思うのである。

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2007年10月17日 (水)

合格者3000人見直しへ

 読売新聞の記事で、自民党が合格者3000人の是非について検討するとの報道があった。
 法律家が少しずつ増えていくことはよいことだが、年間3000人近い弁護士(検察官・裁判官は増えていないので)が新規に誕生するというのは、経済界や行政が採用しないというアンケート結果が出た今日ではどうなのかという疑問は常々呈されていた。

 今後の展開が注目されるところである。

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2007年10月16日 (火)

現住建造物放火

 先日、酔っぱらって帰宅したらチェーンロックがかかっており家に入ることが出来なかったので、腹いせに自分の自宅に放火した男が逮捕されていた。ほかでも彼氏の自宅に腹いせに放火した女子高生の記事ももみたようにおもう。

 人が住居として使用している建造物に放火する罪で、放火は危険性が高いので重大な罪となる。腹いせに放火などというのは普通は考えられないが、腹いせに放火して塀の中で暮らすことになれば本人としても予想外ということになるのではないか。火の危険性を認識して欲しいものである。

 かつて、現住建造物放火の事件をやったときに量刑資料を調べたが、責任能力に問題がない事例で執行猶予がついている事件はなかった。すなわち、前科前歴などなくとも、「即実刑」という罪なのである。

 私がやった事件も責任能力には問題がなかったので、出来る限りの情状弁護をした。公共に対して危険を及ぼす罪なので、とにかく危険が顕在化したと思われる近隣の方々に真夏の暑いときに頭を下げて回り全戸の嘆願書を取り付けたりした結果、執行猶予を勝ち取ったことがあるが、基本的には量刑資料からも明らかなように、実刑となり即刑務所に送られる事件だと覚悟しておいた方がよいであろう。

 江戸時代であれば即死刑であったのである。くれぐれも放火はやめていただきたい。

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2007年10月15日 (月)

サッカー合宿

 来月頭に全国法曹サッカー大会があるので、先週末は亀岡で合宿をした。東京や栃木からも部員が来てくれてにぎやかに合宿をした。皆サッカーバカである。

 私も主将として参加した。本日は筋肉痛であるし、疲労のため体がだるい。仕事には差し障りはないのだが。
 2日間で紅白戦を15分ハーフで12~13本くらいはやったと思うので普段それほど運動していない身にはつらい。

 アミノバイタルプロというのが筋肉痛に効くと父親がいうので、昨日は父親と薬局に行って購入してアミノバイタルを飲んだのでいつもよりはましな気がする。
 たまには親のいうことを聞くもんだと思っているのであるが、薬局では私のかごにはちゃっかり父親が欲しい商品が入れられていた。だから自動車に乗せてきてくれたのである。もちろん支払は私である。

 サッカーをするたびに痩せようと思うし、サッカーの前日飲み会で二日酔いでサッカーをするたびにサッカーの前日には飲まないでおこうとおもうのであるが、弁護士生活12年目の今もなかなか出来ないことである。

 疲労が過ぎると去年のように喘息になってもかなわないので、適当にストレス発散をしつつ疲労を残さないように心掛けている10月である。

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2007年10月14日 (日)

公平と不公平

 弁護士は公益活動を義務づけられているが、会員が公平にその義務を負担しているわけではない。他の人よりも多く公益活動をしている人材は、不公平感や不満を抱いていることが多い。

 しかし、弁護士に限らず職場の中や社会の中で、あとりあらゆる人が義務を公平に負担しているかというと、そのようなことはあり得ない。能力も性格も違うので、仕事をつい引き受けたり、お金にならないことをしんどい思いをしてやってしまう人と、仕事をていよく断ったり逃げて、お金にならないことは一切しない人がいる。えてして、何かことがあると文句をつけるのは後者であったりして、それが余計に不公平感を駆り立てることになる。

 しかし、そもそも全ての人が公平に義務を履行することは不可能であるから、そうした負担をしていることをポジティブに捉えてみてもよいのではないかと思うのである。
 やらない人は能力がないから出来ないのであって、自分はやる能力にあふれているからこそ、これだけの仕事をしたりしているし出来るのだと考えてみるのである。

 うまく逃げている人や何もしていない人というのは、把握されていないつもりでも他人はよくみているものである。そうした人物には、困った時に誰も手を貸さないものでもある。
 逆に、人のやらない仕事を引き受けてしんどい思いをしている人というのは、表だって言わなくとも、誰かがみてくれているように思うのである。
 それが数年後などに花開くことがあるように思う。見ている人は見ているのである。

 もちろんそれが元で体を壊したりしたり精神に変調を来すということであれば程度問題であるが、私はうまく逃げている人よりは、つらい仕事をして損をしている人の方が好きだし、そのような人は自分でわからないうちに評価されているものである。

 もちろん人間であるから愚痴をこぼしたい時もあるであろうから、そういう時は愚痴をいえばいいのである。そうした人物は評価されているので、必ず愚痴を聞いてくれる人がいるものである。人に愚痴もいわないのは体に悪い。
 取り繕ってうまく表面だけで対処したりして逃げている人のメッキは程なくはがれるものであるから、そうした人物はそのうち淘汰される(と信じたいし信じている)。

 人間同士の関係も同じようなところがあり、他人に100与えたからといって、100返ってくると考えていても、そのようなことはあり得ない。時には相手が逆にそれ以上返してくれることもあるが、返ってこないからといって怒っていても何も生まれないであろう。

 ただ、ある場面では負担をしている人が別の場面では違う人に負担をかけていることもあるので、これも程度問題というところはあるであろう。私だってそうである。

 まあ、こうはいっても人間だから、私だって腹が立つことや他人の悪口をいうことなど多々あるが、出来るだけ前述のように考えるようにしているということであるので「お前かて愚痴いうてるやないか」などつっこまず、「そのようになるべく考えるようにしている、行動しようとしている」という程度でお読み願いたい。
 

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2007年10月11日 (木)

依頼者への説明

 依頼者や相談者に説明をするときに、やたら難しい言葉を使う弁護士がいるし、会話をしていてもそういう弁護士がいる。
 しかし、説明をするときには難しい話をいかにわかりやすく説明をすることが重要であり、たとえ話にしてみたり、他の例に置き換えたりして出来る限りわかりやすく説明をすることが重要であり、難しい話を難しく説明するというのは一見頭が良さそうで実は良くないのである。私もよくたとえ話にして説明をしている。どんなたとえ話をしているかは企業秘密である。

 ただ、弁護士の方も同じ事件をやっていると、「当たり前」になって依頼者に対して説明が足りなくなってしまう傾向があることは否めない。
 私は数年前から、事件類型毎に進み方や注意点を書いた紙を元に説明するようにしている。こうすると、こちらも説明忘れがなくなるし、依頼者の人も後日自宅で読み返してもらえるからである。どんな説明用紙で説明しているかは、これまた企業秘密である。

 契約書についても、未だ締結していない弁護士が多いようであるが、法の要請であることから私は全件締結している。契約書の説明も同じことを何百回言わないとだめなのであるが、依頼者にとってはそれが唯一の事件であることがむしろ通常であるから、何回も依頼があるような先でない限り説明をしている。

 これからの時代は、依頼をしたのに契約書作成がない弁護士は疑った方がよいであろう。

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2007年10月10日 (水)

弁護士のトリック

 悪い弁護士が訴訟の中で使うトリックとして、「相手の主張に対して、必要がないので答えない」とか、「反論の必要がない」というものがある。実は不利なのでさも関係がないような顔をして主張しないのである。訴訟上の詭弁であり、当該紛争に対してまじめに取り組んでいないということであり、依頼者さえ勝てば何でもありというタイプの弁護士である。

 裁判官がよく記録を読んでくれていると、釈明をして主張させたりするのであるが、とぼけた裁判官だと素通りしてしまうことがある。そのようなとき、こちらからチクリチクリと指摘しても、こうした悪い弁護士は回答をしないのである。

 民事事件の紛争が起こるのは仕方がないが、紛争に対して互いががっぷり四つに組んで争い、和解し、判決で負ければまだ負けた方も納得できるが、核心について「回答の必要がない」などと流されて敗訴すると負けた方は余計恨みつらみだけが残る。

 紛争に対して真摯に受け答えする姿勢は重要だと思うのである。

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2007年10月 9日 (火)

読書の時間

 私は読書も趣味の一つであるが、仕事もそれなりに忙しいので中々そうゆったりと本を読むことも出来ない。

 世の中には、職業柄(作家など)もの凄い読書を要求される人たちもいるようであるが、仕事上の読書はさておくとして、趣味としての読書の時間もそうそう取ることは出来ない。

 割合本は読む方であると思うし、このブログにも書いているし、人からもいわれるのであるが、たまに「仕事も忙しいのにいつ読んでいるのか」と聞かれることがある。

 いつ読むかというと、まず朝晩の通勤の電車の中で読んでいる。私は混んでいる電車に乗ることが元々大嫌いであるし、混んでいると本が読めない。従って、私はわざわざ空いている電車を選んで通勤するようにしている。目的地に着く時間ではなく、空いている電車の時間で朝は行動している。また、少し離れた裁判所に行くときにも、行き帰りの電車では本を読んでいることが多い。その代わり、事務所にいる間はほとんど休憩しないのである。

 自宅に帰り、風呂に入って寝るまでの間、仕事を持ち帰っていなければ1時間ほどは本を読む時間もある。DVDをみたり、ネットサーフィンをすることもあるが、やはり読書に費やしていることが多い。

 工夫次第で読書の時間くらいはどうにでもなるようにも思うのである。

 最近、川中島合戦について書かれた別の新書を読んだ。本棚にしまいこんだので、書名を忘れたが、上杉謙信ファンの私としては、川中島合戦関係の本は自宅に6冊くらいある。前から言われていることであるが、川中島合戦における「啄木鳥」の策は、現場に行ったことがある人であれば、「そのような戦法を武田軍がとったはずがない」とするし、少し前にNHKの特番でもそのようなことをしたら謙信が布陣したとする妻女山に登るまでに多大な時間を要したはずで、信用性がないとされている。
 そもそも、現在数多くの小説で採用されている川中島の戦いの元は、江戸時代に小幡勘兵衛という人物が編纂したとされる「甲陽軍鑑」という本によっているが、この小幡勘兵衛という人物自身大阪冬の陣、夏の陣で徳川方の間者を務めたりしており、もう一つ素性も明らかでないともいわれている。この人物のうさんくささを一面に押し出した作品として、司馬遼太郎の「城塞」は名作というべきであろう。
 実のところ、本当の川中島合戦の実情は霧の中なのである。

 しかし、歴史ファンとしては、やはり川中島で信玄と謙信が一騎打ちしたという説を信じたくなるし、謙信はそういうことをいかにもしそうな武将なのである。

 こういうことを書くと、現在大河ドラマでやっている「風林火山」を私がみているとも思われるかもしれないが、私は大河ドラマは見ない。時代考証や設定が荒唐無稽であったりするからである。ドラマでみるよりもやはり小説などで思いを馳せる方が楽しいのである。

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2007年10月 7日 (日)

話言葉による限界

 人は見た目が9割という新書を最近読んだ(最近新書に凝っている)。
 この本によると、言語によって伝えられる情報は1割もないということである。

 この本によると、話しぶりや、見た目が残りの9割を占めていて、同じ事を言われても、「あの人なら納得する」けれど、「この人だったら納得しない」ということが多々あるということである。

 我々弁護士は、法廷で書面中心の活動をしているが、裁判官に理解してもらうためには、ビジュアル化を図ることも重要だと言われているのは、こうしたところから要請されることなのであろう。
 話し方も重要だということであり、確かに、言っていることはそう悪くないのであるが、なぜかこの人がいうと重みがないとか、説得力がないということはありそうである。

 これから裁判員制度が始まると益々この傾向は強くなるのではなかろうか。

 見た目で勝負を決められると、イケメン弁護士が有利となるのであろうか。
 しかし、見た目はある程度どうしようもないので、イケメンではない私などはどうしたらよいのかと悩むのである。話し方を工夫するとか、証拠の作成などを工夫するしかない。

 しくしく。

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2007年10月 5日 (金)

ノウハウ本

 ノウハウ本がやたら出ている。そういうノウハウ本はそこそこ売れるようであり、私も購入することがある。

 しかし、ノウハウ本で気をつけなければならないのは、「そこに書いてあることを何も考えずに鵜呑みにして実行する」ということは避けなければならないということである。本当のノウハウというのは、人には教えたくないものである。
 私もこのブログに書いているのは差し障りのな範囲であって、本当の私が培ったノウハウというものは、弟子又は親しい人で相談を受けた弁護士にしか教えていない。

 ノウハウ本というものは、そこに書いてあることを一読して、自分に合うものを取り入れ、あるいは実行してみて合わなければ辞め、そこから新たな自分なりのノウハウを工夫することのきっかけとしてしか利用できない。

 弁護士が自分の交渉術などを本に書いているが、本当のノウハウを本にしているのであれば随分お人好しだと思うし、今後その弁護士を相手にしたとき、そのノウハウ本を読んでいれば、「この弁護士の考え方はこんな形か」ということで予備知識を与えることになるであろう。私がブログで書いているのもその意味ではかなり減退した内容となっている。

 一方、ホームページで「得意分野」と書いてあった分野で事件で対決した弁護士が、訴訟ではたいしたことがないことがある。ノウハウがあるはずなのにである。
 よく本を読んだり最先端の議論は研究しているのであるが、机上の空論というか、実際の訴訟に即した活動が出来ていないのであろうと思う。訴訟はやはり何よりも経験である。
 そういう弁護士に限って、「この分野では知識があるから」と自信満々なのであるが、はるかに経験で勝る弁護士には足下にも及ばない。実際の訴訟などは本に書いてあるように進まないからである。そういう意味で、「ノウハウ本」というのも、本は書いているし、よく調べているのだけれど、著者に本当にそれだけの経験があるかというのは一応疑ってかかった方がよいであろう。

 どこまで信用するかは、やはり最後は自分の経験や感性によるところがあり、女性にもてるノウハウ本を出していた人物が準強制わいせつで逮捕されたりしたこともあるから、ノウハウ本は批判的に読んで取り入れるべきところを取り入れ、自分で適宜変えて実践してみなければだめであろう。

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2007年10月 4日 (木)

シミュレーションの重要性

 弁護士として必要な能力の一つとして、シミュレーション能力がある。これは、何もゲームのシミュレーションゲームがうまいとかいう意味ではなく、事件について、いろいろな場面を想定して、対応できるように考えておく能力ということである。

 ある程度経験を積めば、「ああいわれたらこういう」で、とっさに対応できるが、経験の浅いうちはとっさに対応できず困ることもある。そうした場合に備えて、事件で法廷に臨むとき、依頼者との打ち合わせのときなど個別の事件で場面を想定してどのように対応するかシミュレーションするのである。
 裁判に向かう道すがら、「今日の裁判ではこうした点が聞かれるかな」「相手はこのように指摘してきたらこのように反論しよう」というようにシミュレーションをしておくと、法廷で慌てずに済むことが多い。

 慌てないためにも、法廷には早い目に着くことをお勧めする。少し早い目についておくとやはり心構えも違うからである。

 シミュレーションをしたからといって、別に、むやみやたらに議論をすることもない。シミュレーションをしていても何も言われなかったり聞かれなかったりすることがあるが、それはそれでよいのである。

 その事件で当該期日の際に絶対に言うべきことがあるのであれば言うべきではあろうが、あまりべらべらと裁判所から聞かれてもいないのに話をする必要もない(印象づけのために敢えて話をした方がよいときはあるが)。

 また、ことさらに自信がないのもどうかとは思うが、相手の弁護士に対して偉そうにいう必要もなけけば、ケンカ越しになることもない。だいたい偉そうにしていたりケンカ越しの輩は底が知れている。虚勢である。
 そうでもしないと、自信がないからやっていけないのであろう。
 そうした弁護士を見るたびに、「大馬鹿だなあ」「自信がよほどないのだな」と思うのである。偉そうに言ったり、けんか腰でいえば、自分が優秀なように見えるとでも思っているのであろうか。そうした態度は、逆に自分に能力がないと感じていることを相手の弁護士に教えるようなものである。
 そんな現場でのシミュレーションはいらないのであり、法廷での現場のやりとりは淡々としていれば足りる。

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2007年10月 3日 (水)

段取り力

 弁護士の仕事にはある程度締め切りがある。一件だけの事件を受任していては飯が食えないので、複数の事件を同時に受任している。そして裁判などの期日に合わせて依頼者と打ち合わせをして書面を書いて証拠を整理してー。となると、必要な力の一つとして、「段取り力」が要求される。

 暇な弁護士に依頼するとすぐに事件をやってくれそうに思うが、事実は逆である。暇な弁護士が暇であるのには理由がある。むしろ、ある程度忙しい弁護士の方が、「段取り力」に優れているので、事件の依頼を受けると、スケジュールの合間を瞬く間に組み替えて、急ぎの事件は速やかに行うことになる。ただし、「忙しすぎる」弁護士は事件を放置されるかもしれないので要注意である。

 忙しいので事件を断る弁護士はほとんどの場合良心的であろう。売上を上げるために、多忙すぎても事件を受ける弁護士はいる。そうすると、事件処理が遅れて依頼者に迷惑がかかるのである。ただし、暇なのに事件処理が遅い弁護士もいる。

 段取り力がどの程度あるのかを見ることはそう難しいことではない。宴会の幹事をさせるのである。出欠を段取りよくとり、店を確保し、宴会をとどこおりなく進行させる。ただし、宴会を進行させることばかりに気をとられて、自分が楽しめない幹事では段取り力にも限界がある。自分もある程度楽しみながら、ポイントを押さえて幹事をこなす、これが重要である。こうした幹事をうまくこなせる人は段取り力に優れていることが多いと思われる。

 日々事件の依頼を受けたり相談が入るたびに予定は変わる。その変わった予定で手持ちの事件を行いつつ、新しい事件に取りかかれるかどうかを読むその瞬時の判断能力も必要となる。仕事が早い人は、例外なくこの段取り力に優れている。

 

 

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2007年10月 2日 (火)

包茎手術の際のトラブル

 雑誌などで15~20万円という触れ込みで包茎手術が出来るということで思い切って手術に行ったところ、「これだと150万円かかる」などと言われて高額のクレジットを組まされたという事案があるようである。

 名古屋では弁護団も出来ているようである。

 私はまだ相談を聞いたことがないが、不必要な手術や、虚偽の事実を告げて手術に同意させているとすれば、詐欺となるであろう。下半身むきだしの状態で、「こうしなければならない」と言われては中々拒否も出来ないであろうし、法律相談にも行きにくいのではないであろうか。もし仮にそうした弱みにつけこんで商売をしているとすれば悪質である。

 被害といえるような実体があるのであろうか。それとも、本当にそれくらいの手術は必要なのであろうか。

 事例の集積が待たれるのである。

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2007年10月 1日 (月)

アウロラ破損

Kc390001  少し見づらいが、私が今もっとも使用している万年筆が帰り道で破損した。何かキャップがキュルキュルいっていると昼間から思っていたのであるが、キャップがものの見事に割れてしまったのである。

 前にもっとも気に入っていたパーカーのパール&ホワイトの万年筆も同じ壊れ方をしたので、何か私の使い方が悪いのかと悩んでしまう。
 しかし、大ショックである。
 最近は手帳に書き込むのはこのペンでないといけないと決めていたにもかかわらず、購入して1年ほどしか経過していないにもかかわらず破損してしまった。
 イタリア製は作りがいい加減だと何かのファッション雑誌に書いていたが、そうなのだろうか。ネットで調べると、最近の万年筆は粗悪となっていて、軸が割れたりすることもあるらしい。
 7年ほど使用しているセーラーの万年筆(机で事務員に指示を出すときのメモを書くのに使用)は、全く大丈夫であるし、インク詰まり一つ起こしたことがないことに比べてアウロラのもろいこと。床に落としたような記憶もないのにである。
 本当に大ショックである。
 明日以降手帳に書くペンはどうしようかと途方に暮れてしまう。

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勤務弁護士が入りました。

 9月21日より、私の事務所に新しい弁護士が入所してくれている。
 これまでにブログで書いたが、弁護士の仕事は手作業なので、1人1人が出来る作業には限界がある。東京で何百人も弁護士がいる事務所は、企業などのニーズに対応しようとすればそれだけ弁護士が多人数必要であるということなのであろう。
 それだけの人員を雇用しようとすれば、人件費も膨大なものになるであろうから、当然依頼した場合の費用は高くなる。
 一方、大手企業のニーズに応えられるだけの大型事務所だけが必要ではなく、個々の依頼者に個別に対応する私の事務所のような事務所も当然必要である。

 東京のある弁護士は、「大手企業からの収入が90%で、あとは個人が10%。個人の事件はボランティアと思ってやっている」と言っていた。
 ほとんどが個人または個人と同視出来るような法人からの事件である私などからすればおよそ考えられない発言である。

 ともあれ、これまでは至急相談したいと言われても、体が空いていないことが多かったので迷惑をかけていたこともしばしばであったが、これで少しは依頼者のニーズにさらに応えられるようになったと考えている。

 しかし、そう考えている矢先、次々に相談が舞い込んでくる状態となってしまって十分に対応出来ていない。ありがたいことではあるが、すぐに相談を聞けない状態がうらめしくもある。

 しくしく。

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