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2007年10月28日 (日)

列藩騒動録(上)

 この札幌出張中、飛行機の中で読んでいた本である。
  作者は海音寺潮五郎。

 江戸時代の各藩における騒動について書かれた短編集を集めた本で、下巻も購入してはいるのであるが事務所の机の上に積んであるのですぐに下巻に移れなかった。

 海音寺潮五郎は、上杉謙信と武田信玄の川中島合戦を描いた「天と地と」という映画の原作者でもあるが、その歴史に対する視点や人間に対する分析力は現代に生きる我々にとっても指標になるものである。

 列藩騒動録では、各藩における騒動で言われている俗説について分析し、騒動の実体に迫っている。こうした騒動を描くことで、人間が人生において何に気をつけなければならないかということを叙述しているのであると思う。

 主君の覚えが目出度く、出世に出世を重ねると、それを妬む者も出てくるであろうし、出世していくうちに「この世の春」とばかりに豪奢な生活をしたり、仕事の中で無理を通すことになっていってしまい、恨みやねたみ、そねみを買って最後には滅んでしまうことがある。

 弁護士の仕事も同様で、仕事を覚えて自分もそれなりに出来ると考えた時が実は危ない。好事魔多しというのは本当であり、うまくいっている時ほど実は慎重にならなければならないのである。列藩騒動録の中にも、絶頂を極め滅びた家老が多く出てくる。

 三国志の中で有名な軍師の諸葛亮孔明は、平時の生活は極めて質素で、死亡した後ほとんど遺産もなかったというし、曹操に敵対し、曹操を罠にかけて敗走させ、曹操の長子を殺害したという負い目を持つ軍師のカク(今漢字が思い出させない)は、日常の生活は極めて質素で、人との交わりを出来るだけ避けていたという。

 中々組織の中で生き残るのが難しいのは今も昔も同様のようであるし、派手にやっていれば人のそしりやねたみ、嫉妬を買うことになり、無用の敵を作ることになるために軍師の中にはそのように身を処していた人物がいたのであろう。漢を建国した劉邦の軍師であった張良(確か。名前が間違っているかもしれない)も、漢建国後は権力を握ることがなかったために劉邦の死亡後命が助かっている。他の功臣は罪を着せられて殺害された。功臣は建国後は功臣であるだけに権力維持という観点からは邪魔になるということなのである。

 芸能界や弁護士の世界でも、そうした人達がいるようである。彼らにはこの列藩騒動録を読んでもらいたいものである。もちろん私自身未熟な人間であり欠点だらけであるので、こうした本を読むことで少しでもその中の知識を取り入れようとしているのであり、こう書いているからといって、私が出来ているなどというつもりは毛頭ないし、今後も失敗をすることはあるであろう。

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