« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月31日 (木)

独立と自由

 独立すれば自由になれると考えていると全く違う。経営のために時には嫌な事件も受任しなければならないし、売上がなければ「飢える」自由もあるから、そう事は簡単ではない。

 勤務弁護士時代は独立に憧れる(だいたいは)が、独立して経営してみると経営者の苦労が分かる。
 私のように継続して事件があるかないか分からないタイプの弁護士(基本的な収入となりうる顧問先を断るからだが)は、基本的に1年間通してどうであったかということで考えなければ毎月毎月の売上を考えているとやっていられない。

 私の師匠の1人は、「弁護士で経営者になれるのは、1月から11月まで売上がゼロでも、12月に1年分の事件が入ってくると思っている奴だ」と言っていたが、そんなところもないとやっていられないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月30日 (水)

スズメバチ

 今日出勤の電車の中でマンガを読んでいると、スズメバチが出てくる話があった。
  スズメバチは怖い。アナフィラキシーショックで何回も刺されると死亡することもある。
  特にオオスズメバチのでかさはただごとではない。あんなのが飛んできたら「ひえ~」となる。香水のにおいに反応するともいわれている。

 勤務弁護士時代に、初夏の頃、冷房を入れるには早いし、窓を閉めると暑いので窓を全開にして起案をしていた。
 そうすると、後ろでブーン…という羽音が聞こえるので後ろを振り返ると、そこには物凄く大きいオオスズメバチが極めて凶悪この上ない顔で私の方を睨んでいた。
  ひええええ。
  起案を放り出して逃げ出して扉を閉める私。
  1階に降りて(当時勤務弁護士の部屋は2階にあった)、事務員K田さん、Sさんに「スズメバチが出た」と大騒ぎをする。急ぎの起案なのにスズメバチが私の執務室を占拠しているのである。
  そうしたところ、K垣という事務員がすたすたと二階に上がり、部屋の扉を開けたのである。「危ないからやめとき」と言っていると、今度はハチは来客室に飛んでいった。K垣さんは来客室の窓を開けて、しばらくハチとにらみ合っていたが、5分後、ハチは飛んでいったのであった。

 私は何かでスズメバチの恐ろしさを本などで読んで知っていたので、彼女のようなマネは出来なかった。こう書くと、私が物凄い臆病者のように見えるが、スズメバチに刺されると人によっては体に抗体が出来て、2度目に刺されるとその抗体がスズメバチの毒に反応してアナフィラキシーショックを起こす場合があり、ひどいときは死ぬのであるから恐れても恐れすぎることはないのである。

 またもやどうでもいいブログを書いてしまった。

 しくしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月29日 (火)

被疑者国選

 私は京都弁護士会の被疑者国選対策本部の事務局長もしている。
 来年の4月からいわゆる必要的弁護事件(弁護士がいないと法廷が開けない罪の事件)について、国が国費で国選弁護士をつけてくれる制度が始まるので、それに向けた対応態勢を整えるための本部である。

 弁護士は基本的には自由業なので(会社の社員となっている弁護士は一部居るが)、収入がないと飢える。弁護士の急増で弁護士の競争も激化すると言われていて、司法修習生でも東京の大手渉外事務所(企業法務を中心にする事務所。私みたいに離婚とか破産とかヤミ金とかどろどろした事件は一切やらない。)への就職希望者が多く、ビジネスロイヤー志向が強いと言われているが、先の収入に不安があれば、そりゃそうなるだろうと思う。大手渉外事務所は忙しい代わりに収入はいいからである。もちろん、入所した後の競争はあるようであるが。

 飢えるかどうかという瀬戸際にある弁護士に「公益」に資する仕事をしろといってもそれは無理だろう。国選弁護事件でも、重大事件などになるとコピーの費用も全額でなかったりして、手弁当でやってきたというのが実情であるが、いつまで維持できるのか。

 被疑者国選は少し費用は改善されるようだが、それでも事務所を維持していく上ではやはり安い。サラリーマンと違って収入が全て所得になるわけではなく、事務所の賃貸費、事務員の給与、電話代、コピー機のカウンター料金など、ちょっとした事務所を維持するだけでも月100~150万円くらいは必要である。これは経費であるから、自分が飯を食おうと思うと、これ以上の売上をあげる必要が出てくる。

 我々弁護士の仕事は手作業なので、やれる仕事には自ずから限界がある。
 被疑者国選をやるにしても、低廉な費用ではやっていくことが出来ないし、なり手もいないであろう。担い手の確保はなかなか個人の犠牲的精神だけでは難しいのである。

 だいたいテレビに出ている弁護士とか、日弁連の上層部に行く弁護士は、一般的弁護士の実情を知らないで話をしていることが多いから、あんなのも信用出来ないのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月28日 (月)

もうすぐW杯予選

 もうすぐW杯の3次予選である。私は日本代表戦だけはかかさず見ている。前のワールドカップで玉田がブラジルから得点を入れた時には明け方に自宅で咆吼してしまった(リアルタイムで見た)。

 日本はそこそこ強いし、キックなんかも正確なのだが、フィジカルで最後は負けているように思う。個々の身体能力の高さで負けるのである。何でなんやろうか。最近は食事も欧米化しているというのに。遺伝子の違いか。

 無事本戦に出て貰えるよう、予選突破を祈っている。先日のチリ戦は大久保のはずしまくりには驚いたが、入らないときは入らないのがサッカーである(私もよくはずす)。だから得点した時にあれだけ興奮するのである。

 もっといろいろ書きたいし、ふなままのコメントにも返したいのだが、弁護団会議に出なければならない。

 しくしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月25日 (金)

耳鼻科の待合室

 先日耳が痛くなり聞こえにくいと書いたが、実はまだ調子が時々悪い。夕方以降になると聞こえづらくなるのである。

 先週に調子が悪かった時に診察して貰い、「まだ調子が悪ければ土曜日に来て欲しい」といわれた。少し聞こえにくいので、土曜日にひょこひょこ診察に行くと、診察室にはすごい人である。仕方がないので10時30分に診察券を出すが、後から後からどんどん人が来ては私よりも先に中待合いに呼ばれる。
 「俺より後に来てるのになんでや?」と思って観察していると彼らは入ってきても診察券を出していない。こっ、これは。そうか。奴ら(失礼)は診察券を出して、待合いの時間が長そうなので外に出て用事を済ませて来るのである。これではいつになるかわからない。しかも土曜日は子どもの診察が多いようで、中からは次々に泣き叫ぶ子どもの悲鳴が聞こえてくる。これも診察を長引かせる要因であろう。
 待ち時間どの程度か書いてくれていたり、受付の時に「非常に混み合っていますのでお時間ありますか」とでも受付の茶髪の女性が言ってくれればこっちも考えたのだが、中にいる人数だけでかなり待つけど何とか診察してもらえるかと考えた私としては大ショックである。

 京都地裁のI裁判官が私のブログを読んでいて、しかも「お気に入り」に入れてくれていると聞いたときよりもショックである(嫌だという意味ではなく、大先輩に読んでもらうほどのブログではないので恐縮したのであるが)。

 待つこと1時間。全然呼ばれないので待つことが嫌いな私はとうとう我慢しきれず、診察券を返してもらって飛び出してきたのであった。

 最近は病院でもものすごくサービスがよい病院が受けているというが、利用者の立場からすればよくわかる。待たされるのは嫌なものだし、どれだけ待てばよいのかが分からないのはもっと嫌である。

 今週は喘息の薬を貰いに行く必要もあったので(こちらは切れてしまうと発作が出る可能性があるのでどうしても行かないといけないし、また私が行っている病院は朝一番で行くとあまり待たなくてもよい)、耳鼻科には行けず、結果として耳の聞こえにくさはましにはなったがまだ少し調子が悪い。中々弁護士は病院にも行けないのである。仕方がないので、炎症ということなので、自然治癒を待つ気になっている私である。

 今回の耳鼻科では、弁護士としての仕事のあり方について参考とすべきところがあったようにも思う。私は来客はあまり詰めて入れないようにしているので(詰めて入れると長引いた時に次の顧客に迷惑がかかる)、事務所に来てお待たせするということはほとんどないのであるが、利用者の立場に立って考えてみるというのは弁護士業務でも気をつけなければならないことであると感じさせられた一件であった。

 しくしく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月24日 (木)

法律家の限界

 法律家をしていると限界を感じることはある。基本的には法律に基づいた処理なので(事実上の処理で終わることもあるが)、「おかしいやん!」ということでも法律がシャットアウトしてしまっていたり、定めていなかったりすることがある。

 その場合に、救済的な判決が書かれることもあるが、あくまで「当該」事案に即した判決なので全体を救済することは出来ない。立法的解決が望まれることが多くある。

 弁護士会がこぞって法律の改正を望んで運動を展開することがあり、それが立法につながることもある。私も関わったことがあるが、立法化されると嬉しいものである。

 ただ、全てがうまくいくということではなく、業界団体などが政治家に圧力をかけて自分たちに有利に揺れ戻そうとすることもある。個人的には次はリース契約を規制する法律を作るのが目標である。少し前までは、有力スポンサーである貸金業者を批判する報道はほとんど見られなかったことを見ても業界団体がいかに力が強いかが分かる。

 弁護士から政治家に転身する人の中には、日々の業務の中で法律家の限界を感じて、もっと大きく世の中を動かせる立場につきたいと考える人もいるのであろうかなあ、と思ったりする。

 こんなことを書いているかといって、私が政治家になりたいかというと、全然そんな気はない。昨日のブログでも書いたが、私はいち弁護士を貫きたいと思っている。

 単に目立ちたいだけで立候補する人もいるような気もするが…。

 祇園のM子への(注 私がよく行く店の名前。個人ではない)支払額が今月は多くて一瞬ぎょっとなったが、裁判で2連勝(しかも2つともなかなか難しい事件)してご機嫌な今日このごろなので、また働こうと思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月23日 (水)

倫理と法律

 倫理と法律は違う。

 よく、相談を聞いていると、「そんなことがまかり通れば世の中がおかしくなる」とか「道徳はどうなるんですか」と言われて怒っておられる方がいる(私にではないが)。

 裁判は証拠によるので、証拠がなければ負ける。たとえば、その人本人が借金を返済したとして、領収書ももらわず、借用書も返還されていなかったとして、貸主が手元に借用書があることと、領収書を出していないことを奇貨として、貸金を請求してくるような訴訟を出してきたとき、支払ったという証拠が認められなければ負けてしまう。裁判における事実は歴史上の事実と同じであり、裁判官だってタイムマシンに乗って過去にいける訳ではないから、現在ある証拠からすれば、「こうだっただろう」という推測に過ぎない。歴史的事実に異説などがあるのと同じである。

 しかし、おさまらないのは本当は支払ったのに再度「支払え」と命ぜられた本人である。本人は支払ったことを本人自身分かっているから、これと異なった判決が出たとしても承服できないのである。

 倫理上は、支払ったことを知っていながら再度貸金請求をするなどということは許されないが、法律の世界では証拠がなければ負けてしまうということである。「社会道徳がおかしなくなる、先生、それでもいいんですか」と怒られるが、私は宗教家ではないし道徳を研究している訳でもなく、弁護士という法律家であるので、法律家としての答えしか出来ない。もちろんある程度カウンセラー的なこともするのであるが、あくまでカウンセラーではなく弁護士であるので、法律家としての回答を越えることは出来ないのである。

 倫理と法律とを分ける区分は難しいところもあるが、ごく簡単にいうと、法律はある一定の行為を行ってそれが法に違反している場合には国家が制裁を加えられるものであるけれど、倫理違反というだけでは世間的とかコミュニティでは制裁があるかもしれないが、国家権は発動出来ないのである。そこに大きい違いがある。

 私が宗教家とか政治家であれば、世を憂いて倫理を法律まで高める努力をするのであろうが、いち弁護士のまま出来ることをするしかないのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月22日 (火)

3メートルライギョ

 大阪城の堀のことを書いたので小さい頃のことを思い出したが、大阪城の堀には3メートルあるライギョ(魚の種類。タイワンドジョウ)がいて、「見た」という話があった。

 ライギョは大きくなると1メートルくらいにはなるので、もちろん誰かが大げさな話を作り出したのであるが、小学生の頃は何人もが「見た」というと、見てもいないのに「俺も見た」となるので、私も見てもいないのに「見た」ことになっていた。

 そんなライギョが本当にいたら川口宏探検隊が探しにきたであろうが、残念ながらそんな番組はなかった。

 堀の上の方から見ていると(大阪城の堀は物凄く高いところがある)、小魚が群れているのが大きい魚に見えないこともないので、それを言っていたのかもしれない。

 ただ、父親によると、父親の故郷の和歌山の日高川という川では淵に魚を突きにもぐると、たまに畳一枚はありそうな鯉が潜んでいることがあったというので(水中では魚は大きく見えるのでこれもまた怪しいのであるが)、3メートルは大げさかもしれないが、かなり大きいライギョはいたのかもしれないなとも思う仕事終わりなのである。

 がお~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月21日 (月)

彦根支部

 今朝は破産の審尋で彦根支部に行ってきた。
 平日なのに観光客と思われる人がちらほら。

 過去、駅前のタクシーで裁判所に行ったときに、物凄い危険運転をされたことがあり(たぶん長いこと待っていてワンメーターだから怒ったのであろうが)、彦根駅前のタクシーは大嫌いなので裁判所までてくてくと歩いた。ちなみに、そのときの運転手に苦情を言ってやろうとタクシー会社を見たら個人タクシーだったので文句を言ってトラブルになるのも嫌なので何もいわずチケットを書いて投げて下りた。

 Kc390023           Kc390024         Kc390025          Kc390026          裁判所までは、荷物がなければ歩いてもそんなに苦にならない距離だが、今日は記録と電車の中で読むためのハードカバー(しかも分厚い。世界文学全集、ケルアックの「オンザロード」。)を入れていたのでカバンが重くて少しくたびれたが、平日だが観光客がちらほらといる。ひこにゃん効果か。あたりまえだが、ひこにゃんはいなかった。豊臣びいきの私としては、しまさこにゃんに愛着を感じる。

 古い城下町の裁判所っていいなあ。

 天守閣まで行く時間がなかったので、石垣を見ながら、堀をみながら進む。彦根支部は彦根城の敷地内にあるのである。堀に魚がいるかと思って見たが魚影は確認できず。釣りは当然禁止されているようで看板が立っていた。釣りをしている人もいない。大阪城でも釣りは禁止されているのにたくさん釣り人がいるのと大違いである(私は大阪城の近くで生まれ育ったので、大阪城にはよく釣りをしにいったり、セミを採りに行っていたのである)。大阪人は反骨なのだうろうか。

 話は変わるが、明日は朝大阪家裁で裁判があるが、大阪家裁の敷地は昔私が塀を乗り越えてバッタやカマキリ、コオロギを捕まえていた草地の跡である。大阪家裁に行くと、カマキリの卵が生まれて、近所中に小さいサイズのカマキリを爆発させたことを思い出してしまうのである。大阪家裁も、かつては豊臣時代の大阪城の敷地内にあったが、こちらは城下町という感じではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月20日 (日)

読書日記

 最近読んだ本。

 海音寺潮五郎「日本名城伝」。少し前に買い置きしていたので、読んだが、海音寺の作品は文章力が違うし人間に対する洞察力が違う。あとがきで、「自分は自分の書いたものが引用されても著作権法違反などとは言わないが、手紙くらいは欲しい」と書いてあるくだりがあるが、豪傑らしい海音寺らしくほほえましい。

 鳥羽亮「奇謀」「覇の刺客」。徳川8代将軍吉宗が実は豊臣の血筋だったという破天荒な設定で書かれた2作で、新聞の広告に惹かれて読んだのだが(真田幸村ファンなので)、着眼点はよいのだが文章力と構想力が司馬や海音寺、池波正太郎、津本陽などと比較すると貧弱この上ないのが残念であった。

 津本陽「本能寺の変はなぜ起こったか」。新書である。津本氏の冷徹な史観で本能寺の変の真相に迫っている。あたりまえだが、客観的に分析していくと、目新しい説はないので度肝を抜かれることはないが、俗説についても考証されているところが整理になる。

 高嶋哲夫「ミッドナイトイーグル」。映画の原作である。たまには娯楽作品をと思って買ったが、かなりよかった。山岳冒険小説。
 ちなみに、山岳冒険小説でもっとも優れた作品(私が読んだ)は、夢枕獏の「神々の山頂」である。これは読み出したら終わることが出来ない。休日にしか読み始めてはいけない小説である。
 次点が真保裕一「ホワイトアウト」(映画化)と高村薫の「マークスの山」(映画化)である。マークスの山はディレクターズカット版より古いバージョンの方が私は好きであった。
 他にもいろいろあるが、この三作に適うものはない。

 海藤龍一朗「真剣」。新陰流を創始した上泉信綱の物語であるが、上泉信綱の圧倒的な強さが描かれていない点に極めて不満が残る。特に柳生石舟斎との初めての立ち会いの際に石舟斎が子ども扱いされたシーンなどが全く書かれておらず、不満である。今後に期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月18日 (金)

事件がない司法修習生

 先日修習生と話をしていたら、修習生の数が多くなった一方で事件数はあまりないので、事件が来たらジャンケンをして事件の取り合いになっているということである。
 法廷でも、席数が限られているため中に入ることの出来ない修習生を見かける。皆傍聴席で聞いているのである。

 私が修習生の頃は、事件がないということはなく、修習生も戦力として見られていたところがある。起案の原案を修習生が作って裁判官がそれを見てということもあったし、検察修習などでは強姦事件などの重い事件もチームを組んでやっていた。民事修習では、裁判官とともに壇上に上っていた。実務修習が1年半あり、事件も相当手がけていたのである。それでも実務家になったら「ひえ~」という感じで自分の無知を知ったのである(後で私が1年目ということを知って驚かれたことは何回もあったが…。はったりだけは当時から効いたのである)。

 ロースクールでの授業は不十分なものであろうことは様々なところで見聞きするし、修習は前期修習がなくなって1年間になるし、事件は足りないわでは、実務家になった途端に1人前とは中々いかないであろう。

 嗚呼。これから先が思いやられるが、日弁連主流派路線の会長候補者宮崎氏は、全然増員については見直す気がないようであるので、ヘタをすると大敗戦する可能性がある。

 たいへんな時代になったもんである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月17日 (木)

お金がかかる司法試験

 これからの司法試験は原則としてロースクールを卒業していないと受験資格が与えられないので、ロースクールに通うのにお金がかかる。年間授業料が京大で80万円前後だったように聞いている。私立だともう少し高いだろう。これが2年間又は3年(未習コースだと)である。
 地方出身者だと、これに生活費が加算される。ロースクールはどこにでもあるわけではないからである。
 合格しなければ、合格するまでの生活費などもかかる。
 奨学金制度はあるようだが、返さないといけないので借金となる。
 これでは、金持ちの子弟に断然有利である。私は自慢ではないが相当貧乏な育ちであるし貧乏のせいで様々な目に遭ったので、基本的にというか完全に金持ちは嫌いであるからこの制度も嫌いである。金持ちが嫌いだというのがひがみだと言われても気にしない。嫌いなもんは嫌いなのである。私の好き嫌いであるからほっといてくれといつも言っている。

 話が逸れたが、最近はビシネスロイヤー志向が強いようだが、投下資本の回収という意味合いもあるのだろう。
 ただ、全てがビジネスロイヤーになるわけではないので、多くは通常の私のような町弁になる。
 ところが、通常の町弁はぎりぎりのレベルで生活していっている人の事件を多数手がけることになるが、金持ちの子弟だとその気持ちはわからないであろう。

 昔の司法試験は誰でも受験できた。ロースクール卒業などという要件はなかった。大学の一定の単位を取っているか、それがなければ1次の教養試験から受ければよかった。
 基本的に年1回の1発勝負だったのである(択一、論文、口述と3回試験はあるが)。

 割合私の周りにも独学の人が多かった。多少答案練習会などで予備校には行っていたが、基本的には私も独学であった。お金もそれほどなく、基本的に自宅で勉強していたのである。私は運良く2回目で合格したが、お金をかけずに勉強する方法はあったと思っているし、アルバイトをしながら勉強の費用は自分で出来るだけ稼いだ。今の制度であれば、私は一般企業に就職しているか、試験を受けて公務員になっていたであろう(続いていたかどうかは不明だが)。

 どこかで述べる機会もあるだろうが、この大学時代にしたアルバイトによって相当社会経験をさせてもらったと思っている。貧乏のことは書きたくもないが…。

 旧来の司法試験受験生が社会性がなく、ロースクールに行けば豊かな人間性がはぐくまれるというのはウソのように思われる。旧試験でも様々な経験をしてきた人は多数いたし、新試験でも様々な経験をしてきた人もいれば、大学からロースクールに行って純粋培養でアルバイトもほとんどしたことがないというような社会に出れば役に立たない人間は多数混じっているであろう。
 ロースクール制度は、費用も嵩む上、かえって自由度がなく、人間性を育む暇もないのではないか。大学が法学部の生き残りというか、新たな市場としてロースクールを開拓しただけのように思われてならない。

 犠牲になるのは受験生であり、社会性のないまま弁護士や裁判官・検察官になった後に依頼したり裁かれる国民である。制度設計はそのうちに破たんするように思われてならない。利権とかでなく、真に国を憂うことが出来る政治家はいないのであろう。やれやれである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月16日 (水)

耳管の炎症

 今朝耳鼻科に行くと耳と鼻をつなぐ管(耳管)が炎症を起こしているとのことで、そこが腫れて空気が流れないので耳が詰まった感じになっていたのであろうとの診断であった。

 炎症を抑える薬をもらって一安心である。耳が聞こえないと依頼者と打ち合わせが出来ないので、難病などではなくほっとした。

 しかし、耳鼻咽喉科というのは流行っている。すごい患者数であった。あの勢いで法律相談に来られたら私などは体が保たないが、医者は次々に診察していっている。きっと診察が終わった後は疲れるのであろうなあ…などと思いながら出勤した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月15日 (火)

 金曜日の夜自宅に戻ると左耳が痛かったが、連休中は少しおかしい程度でおさまっていたのが、今日は痛さはないが聞こえにくくなっていた。

 今日は予定が詰まっていて、病院に行くことが出来ないので明日の朝行こうと思っているが、近隣で突発性難聴になったU弁護士もいることであるので、多少病院に行くのが怖い。嗚呼。私もストレスに蝕まれているのか。あまり自覚はないが…。

 既に花粉が飛んでいるとのことで、花粉症の私は鼻水と喉のイガイガ感に悩まされているのであるが、ハナを強くかみすぎるとこうした症状になるらしい(K藤S一郎談)ので、その程度のことであればよいのだがと思いつつまだ書面を書いている私なのである。

 なんでもありませんよーに。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月11日 (金)

言葉使い

 大阪で生まれ育った私はガラがいい方ではないのだが、弁護士である以上仕事中は言葉使いには気を遣っている。
 相手がヤミ金でもそんなにぞんざいな言葉は使わないし、依頼者によって言葉遣いを極端に変えるということもしない。
 これは私の場合元からそうなのだが(ある美人女性社会保険労務士からは常々私は愛想がないといわれるが、普通にしているとそうなるのであるし、私が愛想が良かったらまたそれはそれで気持ち悪いであろう)、依頼者によって極端に言葉使いを変えるというのは、何となく芯の部分で不誠実というか裏がありそうで嫌である。

 よくヤクザをモチーフにしたコントなどで、来客間で来客に対しては物凄い丁寧なのに、部下が失敗したら豹変して怒鳴り散らすというのがあるが、相手によって言葉遣いをあまりに変えるというのは裏がある人間のように見えてしまうような気がするのである。
 もちろんプラべートでは別であるが、少なくとも仕事中はあまり場面場面で言葉遣いを変えるのはよろしくないであろう。

 相手方だからといって不必要に怒鳴る必要もないであろうし、普通に話をしていればよのだと思うのである。また、依頼者によってあまりに態度を変えるのもまた裏がありそうで嫌である。

 かといって私が裏がない人間かというとそのあたりはノーコメントであるが。

 しくしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月10日 (木)

独立

 私が独立して事務所を構えたのは平成14年9月であるから、丸5年が経過したことになる。

 私が独立した頃は、パートナーになる人が半分、独立が半分というような感じだった。
 しかし、最近は独立が減っている。独立してもその先の経営がどうなっていくか極めて不安だからであろう。
 私が独立した頃に比べても、独立しても厳しい時代になっている事は間違いない。
 また、法律事務所も依頼者のニーズに応えられるように、ある程度の弁護士で事務所経営をしていく方が良いことは間違いない。
 これからの時代は、パートナーになれるのであれば、正直なところパートナーになった方がよいと思う。
 独立にはかなりお金もかかる。
 弁護士は自由業なので、仕事がなければ終わりである。
 正直なところ、3000人の合格者など出しても仕事はない。開拓をすればよいと日弁連は言うし、開拓は必要であろうけれど、限度というものがある。
 また別途書きたいと思うが、過疎地に弁護士のニーズはそれほどない。過疎地に弁護士が多数押し寄せても飯は食えないのである。
 いかに良い事務所(ビシネスロイヤーという意味ばかりではない。町弁でも良い事務所は多々ある)に入り、そこでパートナーになれるかという時代が到来してきたように思う。
ただ、パートナーになったからといって安穏とはしていられまい。

 これからはどんどん独立が難しい時代になっていくであろうが、私の頃は合格者が600名だったのであるから、まあ仕方ないのであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 8日 (火)

ストレス解消

 弁護士はたいていワーカホリックである。酒を飲んでいても食事をしていても雑談していても、守秘義務に反しない範囲で事件の話をしている。
 家に帰って風呂に入っている時も仕事のことを考えている。

 ただ、これは精神衛生上よくないので、ストレス解消法を身につけておく必要がある。ストレス解消法に私が共通していると考えることは、「それをやっている間何も考えない」ということではないだろうかと思っている。永遠にプチプチをつぶせるグッズが売れているそうだが、プチプチをつぶしている間は何も考えていないだろう。また、パチンコをしている間も考え事は出来ないだろう。

 私にとってストレス解消法はサッカー、読書、ゲーム、釣りということになろうが(後はお酒か)、サッカーはそう頻繁に出来る訳でもないし、釣りも出かけるのがたいそうである。
そうなると、日常的なストレス解消法はゲームと読書ということになる。
 弁護士のみならず、1日のうちに1~2時間は仕事のことを考えない時間を作らないともたないであろう。いきおい、手軽なストレス解消法を探さないといけないこととなるが、それほどお金がかからないことがポイントであろう。

 何かにはまるというのは、それをやっている時間嫌なことや仕事のことを考えないでよいからである。ただ、お金のかかることにはまると大変なことになるので、出来るだけ手軽なストレス解消法を身につけないといけないと思うのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月 7日 (月)

今日から仕事だ。

 今日から仕事である。

 出てきてみると仕事は体が覚えているもので、どさっと届いた年賀状を整理し(あらかじめ事務員がある程度整理してくれていたのであるが)、年末年始にかけて届いた書類を整理し、管財人としての事前打ち合わせ、他の事務所での打ち合わせをとりおこなって委員会関連の起案もいくつか出来た。

 休み明けは誰しも不安なものであるが、体が覚えていてやれるもんである。

 今年の課題をある美人司法書士が挙げていたのを聞いたが(内容はご本人の了解を得ていないので内緒)、私もそれをマネして何か課題を探すことにしよう。

 信長の野望を貸しているU君からは、フォーワードとしてダイエットと繰り返し言われているのであるが、正月明け体重計に乗って目が点になった私としては、ダイエットを目標に掲げるのは中々勇気のいることである。

 課題は何にしようかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 6日 (日)

明日から仕事だ

 明日から仕事である。1月2日には仕事がやりたくなってきていたが、こう休みが続くと仕事をするのが嫌になってくる。正確にいうと、「仕事がすぐ100%で出来るのか」と不安になると言った方がよいであろう。

 弁護士何年目かに夏休みをとった後、起案が中々進まなかったことがあり(夏休みで頭がぼけてしまっていたのであろうが)、それ以外に起案が出来いというスランプ状態になったことはほとんどないのであるが、休み明けにスムーズに書面が書けるのかが不安になるのである。
 ただし、起案が出来なかったというのは、当時ボスから渡されていた事件はほとんどがボスが嫌になった事件か、他で断られてきたような事件などであったから、そもそも事件自体が起案が進まないたぐいの事件であった可能性は極めて高いともいえるのであるが…。

 持ち帰ってきた弁護士会の委員会関係の起案を少ししたが、やはり自宅では資料などが足りないので、明日以降トップギアに入れるほかないと観念している状態であり、今はとりあえず休み明け以降にやらなければならないことのリストを作ってさらにまたげんなりしている状態ではあるが、このリストアップ作業はことのほか重要な作業であり、そのうちから緊急的に仕上げるべき課題をさらにリストアップして(私はメモに赤色のマーカーで塗っている)、そこから課題を仕上げていくことになるので、おろそかには出来ないのである。

 気持ちを少しずつ入れ替えている状態である。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 1日 (火)

明けましておめでとうございます。

 このブログを読んでいただいている読者の皆様、読んでいただいていない方も(読んでいなければこのメッセージを見ることもないであろうが)、私が年末に貸した信長の野望を奥さんに叱られながらやっているであろうU君も、皆さん、明けましておめでとうございます。
 今年も昨年同様、この拙いブログにおつきあいいただくとともに、中隆志法律事務所を宜しくお願い致します。

 相続人さん、モモタさんコメントありがとうございました。
 年末年始は弁護士はほぼ何も出来ません。出来るとすれば起案くらいのことです。
 武将列伝が復刻されるとのこと、楽しみにしております。

 皆さんはどのような正月を過ごしておられるでしょうか。
 私は貧乏性なのか、29、30、31、1と休んだらそろそろ仕事がしたくなってきました。こういうところは私のよくないところだと思います。ただ、事務所は7日からですし、7日もあまり予定が入っていないので、仕事がしたいような気もしますが、一応ゆっくりしようかと考えています。テレビをみたり、ゲームをしたり(ドラクエⅣをDSでやった後、ドラクエのロトシリーズが懐かしくてやりたくなり、ドラクエのⅠとⅡをやっています。ああ…。人生に取って無駄な時間…。)、漫画を読んだり(「俺たちのフィールド」というサッカー漫画を漫画文庫で買ってきて全巻読んでしまいました。この作品はいい。)、読書をしたり(海音寺潮五郎の「日本名城伝」と鳥羽亮の「奇謀」という作品。ただし、鳥羽亮の方は読まなければよかったと後悔。海音寺の文章を読んだ後では、最近の時代小説作家の文章は…となってしまいました。)、久しぶりに買った年末ジャンボ宝くじに外れたりと、だらだらと過ごしています。

 早く仕事がはじまらんかしらん。
 今年が皆さんにとって、そして私にとっても素晴らしい年でありますように。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »