これからの司法試験は原則としてロースクールを卒業していないと受験資格が与えられないので、ロースクールに通うのにお金がかかる。年間授業料が京大で80万円前後だったように聞いている。私立だともう少し高いだろう。これが2年間又は3年(未習コースだと)である。
地方出身者だと、これに生活費が加算される。ロースクールはどこにでもあるわけではないからである。
合格しなければ、合格するまでの生活費などもかかる。
奨学金制度はあるようだが、返さないといけないので借金となる。
これでは、金持ちの子弟に断然有利である。私は自慢ではないが相当貧乏な育ちであるし貧乏のせいで様々な目に遭ったので、基本的にというか完全に金持ちは嫌いであるからこの制度も嫌いである。金持ちが嫌いだというのがひがみだと言われても気にしない。嫌いなもんは嫌いなのである。私の好き嫌いであるからほっといてくれといつも言っている。
話が逸れたが、最近はビシネスロイヤー志向が強いようだが、投下資本の回収という意味合いもあるのだろう。
ただ、全てがビジネスロイヤーになるわけではないので、多くは通常の私のような町弁になる。
ところが、通常の町弁はぎりぎりのレベルで生活していっている人の事件を多数手がけることになるが、金持ちの子弟だとその気持ちはわからないであろう。
昔の司法試験は誰でも受験できた。ロースクール卒業などという要件はなかった。大学の一定の単位を取っているか、それがなければ1次の教養試験から受ければよかった。
基本的に年1回の1発勝負だったのである(択一、論文、口述と3回試験はあるが)。
割合私の周りにも独学の人が多かった。多少答案練習会などで予備校には行っていたが、基本的には私も独学であった。お金もそれほどなく、基本的に自宅で勉強していたのである。私は運良く2回目で合格したが、お金をかけずに勉強する方法はあったと思っているし、アルバイトをしながら勉強の費用は自分で出来るだけ稼いだ。今の制度であれば、私は一般企業に就職しているか、試験を受けて公務員になっていたであろう(続いていたかどうかは不明だが)。
どこかで述べる機会もあるだろうが、この大学時代にしたアルバイトによって相当社会経験をさせてもらったと思っている。貧乏のことは書きたくもないが…。
旧来の司法試験受験生が社会性がなく、ロースクールに行けば豊かな人間性がはぐくまれるというのはウソのように思われる。旧試験でも様々な経験をしてきた人は多数いたし、新試験でも様々な経験をしてきた人もいれば、大学からロースクールに行って純粋培養でアルバイトもほとんどしたことがないというような社会に出れば役に立たない人間は多数混じっているであろう。
ロースクール制度は、費用も嵩む上、かえって自由度がなく、人間性を育む暇もないのではないか。大学が法学部の生き残りというか、新たな市場としてロースクールを開拓しただけのように思われてならない。
犠牲になるのは受験生であり、社会性のないまま弁護士や裁判官・検察官になった後に依頼したり裁かれる国民である。制度設計はそのうちに破たんするように思われてならない。利権とかでなく、真に国を憂うことが出来る政治家はいないのであろう。やれやれである。