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2008年4月30日 (水)

マカロン

 今回は本当にどうでもいい話なので、弁護士とはなんたるかなどという話題や歴史シリーズ、釣りシリーズを愛読の人は決して読まないよう。

先日リプトンの紅茶のペットボトルを買ったら、どう見ても緑色のハンバーガーがおまけについていた。パンの部分も緑色で、中にも緑色のクリームが塗ってあるのである(もちろん模型)。ヘルシーなハンバーガーか?と思って不思議なおまけをつけるものだと訝しがって、何でこんなハンバーガーをおまけにつけるんやろと話をしていると、事務員のN西さんが、「それマカロンですね。ハンバーガーではないですよ。」と一言。

 なあああああにいいいい。これがハンバーガーではない?どう見てもハンバーガーではないか。
 と考えながら解説を聞くと、マカロンはフランスのお菓子で、いろいろな色と味があるかわいいお菓子なのだそうである。そういわれてリプトンのおまけについていた紙を見ると、確かに「マカロン」と書いてある。むむう。この紙を見ればよかったのか。恐るべしリプトン。
 37年の生涯で初めてマカロンというお菓子を知る私。当然に知っていたN西さん。さすがである。

 しかし、どうも携帯につけるものらしいのだが、携帯につけるにはマカロンはリアルサイズで、これを携帯につけようとは思わない。勤務弁護士のK野君に「つけてみる?」と聞くと「絶対に嫌です。」との回答。そりゃそうか。

 とりあえずN西さんにマカロンを一度買ってもらってきて食べたのだが、意外に美味しい。ピンクのマカロンとかいろいろ色があり、ネットで調べたらいろいろ種類もあるのである。恐るべしマカロンである。

 数週間後、JRに乗っていると、横の席に「すいません」と声をかけながら若い女性が座ってきた。ちらっと見るとリクルートスーツ姿である。就職活動シーズンだしな…と思ってふとその女の子の手元を見ると、そこには携帯にピンクのマカロンがぶらぶらしていたのである。
 おお。マカロンをつけている子がいた。そう思った次の瞬間私の眼に入ってきたのは携帯をいじるその子の爪であった。爪にはチョコレートや人形がついていたのである。もちろん本物ではなく、ネイルアートの一環なのであろうが、「おいおい。それでは就職落ちるで…」と心の中で思いつつ、意外にマカロンを携帯につけている人は多いのかもしれないと思った春先なのであった。

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2008年4月28日 (月)

戦国ブームについて考える

 最近、若い女性の間で戦国ブームだという。関ヶ原を訪ねる若い女性も多いらしい。また、先日の佐和山城跡でのしまさこにゃんといしだみつにゃんの感動対面イベントにも多数の若い女性が訪れたそうである。
 少し聞いたところでは、「風林火山」のGacktの上杉謙信や、戦国時代を美しく描いたドラマなどの影響があるようで、こうした若い女性に戦国というと「男同士の友情」などというロマンを抱かせるようである。

 しかし、本当の戦国時代は史料や心ある歴史小説からしてもそのような美しい世界ではない。
 謙信が美化される傾向にあるが、真の謙信はそこまでの武将かという問題がある。
 私は謙信ファンだが、そのファンの私でも史料を読めば読むほど謙信は戦国武将としては二流であると思っている。
 悔しいが戦国武将としては、武田信玄の方が上であったと思う。
 私が謙信を好きなのは、局地戦での戦争の強さは日本一であったであろうその強さと、領土欲を持たなかった義侠心に惹かれるのであるが、これは戦国という時代では戦国武将としては致命的な欠陥でもありうるからである。基本的に人は欲でついてくるものだからである。その意味で謙信が天下を取ることはなかったであろうと思う。

 話が逸れたが、聖将ともいわれる謙信でも、戦に関しては武州松山城の城主が謙信の援軍を待たずして城を明け渡してしまい降伏したときに、松山城主の人質である幼子を怒りとともに自ら斬り殺したり、越後統一の過程で反抗した黒田氏を撫で斬りにしたり残酷なことも平然としている。

 他の例でいえば、蝮といわれた斎藤道三は、罪人の処刑の方法として、釜ゆでの刑罰を執行する際、その罪人の身内に釜の火を焚かせたという史料があるし、一部では信玄を越える器量であったという説もある武田勝頼も同様の方法で処刑したとされる。信長も俗にいう、「一銭斬り」の刑罰を科していた。

 戦国武将は独裁者であり非情さと狡猾さと実直さなどがないまぜとなった上で君臨しているものであり、戦国ブームでいわれるほど甘い存在ではないのである。

 特に女性の存在は軽く、主君が寵愛した妾を引き出物として家臣に与えることもよく行われていた。斎藤道三も主君の土岐頼芸の寵姫である深吉野を貰い受けたとされる。その深吉野が斎藤道三のところに来た時に既に土岐頼芸の子どもを身ごもっており、後にこれが斎藤義龍となるのであるが、斎藤義龍が後に自らが土岐頼芸の子であると重臣から聞かされた後、クーデーターを起こし立ち上がり、斎藤義龍は道三の実子を殺し、道三をも殺すというエピソードが生まれるのである。

 そのほかにも親殺し、子殺し、謀略は日常茶飯事であり、明智光秀も「仏のウソは方便という。武士のウソは武略という」といっていたとされ、裏切りやウソが渦巻く時代であったのである。
 そのような時代であり、ロマンティシズムという甘い見方でこの時代を見てはいけないと思うのである。

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2008年4月25日 (金)

歯と健康

 歯と健康も非常に密接なつながりがある。
 かみあわせが悪いだけで自律神経失調症のような症状になることもあるようである。
 また、歯の根本には造血細胞があるということで、歯周病となると歯周病菌が歯の根本から全身に回り、全身の病気を引き起こすこともあるといわれている。
 親知らずも放置すると前の歯を押すことがあり、その隙間からばい菌が入り、歯茎の中で虫歯になると同じようなことが起こるといわれている。

 複数のこうした本を読んで「ひえええ」と思って3年間抜かなかった親知らずを1年前に抜いてから、親知らずが埋まっていた頃に感じた体調不良はなくなっている。私の親知らずも歯茎の中で虫歯になっていて、危ないところであった。

 歯だけは自然に治らないので困るのである。
 私はガン細胞は出来たり消えたりするもので自然治癒することもあるという考えなのであるが(全ての癌がそうだとはいわないが)、歯だけはいかんともしがたい。昔の人で虫歯になったらそれで死んでしまった人もいるのではないかと思うくらいである。

 虫歯になりにくい人となりやすい人もいるようで、幸い私は歯医者のお世話にはほとんどならない。歯医者にいっても、「いい歯だ」といわれるのである。
 先日親知らずを抜いたところが痛むような気がしたので診てもらいにいったところ、人間の手で磨くのは限界があるのと、抜いたところに隙間が少しあり、ここに食べかすが詰まっていたためであったようで、歯の掃除をしてもらうと痛みはすっきり治まったのである。そうすると肩凝りもましである。ましというだけで慢性的に肩凝りではあるが。

 このブログを読んでいて歯医者に行かないといけないけどもう少し後でもいいと思っている皆さん、私のように勇気を出して歯医者にいきましょう。

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2008年4月24日 (木)

寄与分

 実際の遺産分割では寄与分(親の遺産が残ったのは自分の働きがあったからである)の主張をしてもまず他の相続人が認めることはない。父親や母親を相当面倒を見たのに、他の相続人は親が死ぬとその点については眼をつぶるし、裁判所も「子が通常の扶養をする範囲」と見る傾向がある。これでは親を見た子どもからすると面白くない。
 祭祀承継をしていくから(要するに仏壇・墓守をしていくこと)、多めに相続をさせてほしいといってもこれも中々他の相続人が認めることはないので同じ思いをすることになる。

 こうした事態を避けるには、弁護士に相談して親に遺言(出来れば公正証書遺言)をしておいてもらうことである。そうすれば、遺言によっても侵害できない遺留分という部分(子の場合本来の取り分の2分の1)は残るからその部分は遺留分減殺請求という形で請求される可能性はあるが、確実に多くもらうことが出来る。
 遺言さえあればなあと思う事件が多い。遺言があっても中途半端な遺言で、「弁護士に相談していてくれればなあ」という事件も多い。
 揉める労力と時間のことを考えれば、弁護士に相談・依頼をして遺言を作る方が絶対に経費的にも安上がりである。
 でも中々遺言をしようとはしないのである。

 子がいない夫婦の場合も遺言をした方がよい。たとえば夫が死亡したとき、夫のきょうだいから「相続分をよこせ」といわれると拒否できないからである。きょうだいには遺留分はないので、「妻に相続させる」と遺言しておいてくれれば妻は安心である。

 かかりつけの医師はいてもかかりつけの弁護士がいない人は多いと思うが、本当に「相談さえしておいてくれればなあ」という事件が多いので切にそう思うのである。

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2008年4月22日 (火)

まずい店探訪

 昔、今は検察官になったS井と2人で「まずい店探訪」というのをやっていた。

 東京で物凄い行列となっているラーメン屋があったので入ったのであるが、醤油ラーメンを注文するとだしが全く効いておらず、湯に醤油を溶いただけのような汁であった。
 物凄くまずかった。皆に食べてもらったが、皆一様にここまでまずいラーメンは食ったことがないと言っていた。この店が行列が出来ている理由は、ご飯おかわり自由のためであると気づいたのは、皆必死にご飯をかっこんでいた姿をみたときであった。このように、世の中には信じられない味の店があるのである。

 京都でもカレー店なのにカレーの味がしないでメリケン粉とスパイスの味しかしないカレー店があるということを聞き、S井とともにいったのであるが、本当に見た目はカレーなのにカレーの味がしないのである。2人で笑いをこらえるのに必死で、カレーを吹き出しそうになるのを必死でこらえて食べた。しかもカレーなのにスプーンを出してくれず、フォークで食べさせられるのである。意味不明。

 残念ながら、まずい店探訪はすぐに終了となった。なぜなら、まずい店はやはりすぐ潰れてしまうからである。

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2008年4月21日 (月)

大阪生まれの大阪育ち

 京都で弁護士をしているので、よく依頼者から「京都のご出身ですか」と聞かれる。
 私は表題どおり大阪生まれの大阪育ちで、23才の時に司法試験に合格して札幌修習に配属されるまで、大阪市内以外で暮らしたことがないので「大阪生まれの大阪育ちです」と答えている。

 京都は大学が京都大学であったので、その縁もあり京都で弁護士をすることになった。
 大阪は生まれ育った町なので好きだがその反面、札幌で暮らしていると大阪のいやらしさというようなものも離れると見えてくるところがあった。
 また、大阪弁護士会は規模が大きく、私は「鶏口となるも牛後となるなかれ」をモットーにしようと考えて弁護士になったので、大阪では中々大阪弁護士会に弁護士中隆志ありとはなれないかと考えたこともあり、大阪ではなく中規模単位会を選んだ。

 何でこんなことを書いているかというと、現在弁護士の就職難の時代だが、わざわざ薄給で東京や大阪で就職する人が多数いるという。
 その理由として、「大きい事件を手がけたい」「専門性を高めたい」ということをその理由としているようであるが、東京や大阪に居たとしても、大きい事件が出来るのはそれなりの規模や実績がある事務所であり、薄給で勤務弁護士を雇用しようとしている事務所にはそのようなチャンスはないのではなかろうかと思う。
 また、専門性を高めたいということについても、東京や大阪に居ればそれだけで専門性が高まる訳ではなく、専門的な仕事をしている事務所に入所しなければ勉強をする機会もないであろう。
こうした専門性がある事務所は通常は給与が高いのではないかと思うのでこうした修習生の意識は少しずれているような気がしてならない。
 人数が増えているのであるから、やはり生き残りをかけて競争の激しいところではなく地方に流れる動きがもっと出てよいと思っているが、そこまでの意識改革は進んでいないのであろう。
 地方にいてもそれなりに大きい事件や専門的な仕事は出来るので、大都市幻想のようなものがあるように思われる。

 また、東京や大阪は物価も高いので、そんなところで低い給与でわざわざ生活することを選択することにも合理性を見いだせない。何かで読んだが、東京で仕事がなく、1週間カップラーメンしか食べていないそれなりの経験のある弁護士もいるとのことである。

 地方都市だと、京都は人口比率が東京大阪についで全国3位なのであまりパイはないだろうが(最近事件数が減少傾向にあるのでそう思う)、もう少し小さい都市にいけばまだまだ何とかなると思う(もちろん限度はあり、せいぜいあと数年で満杯になるような気がするが)が、そうしたところを選択しないで、敢えて大都市というのが私には理解出来ない。

 私は2回目で司法試験に合格したので、当時若年合格者であったから、東京大阪の大手事務所も入ろうと思えば入ることが出来たが、そんなことは考えもしなかった。
 中規模都市でやっていこうと心に決めていたのであり、今のところその選択は間違っていなかったと思っている。
 公務員(裁判官・検察官)も誘われていたのであるが、これは自分自身の性格的な問題で無理であった。
 今は変革の時代であるから、その時代にあわせて生きていく術も考えなければいけないのである。

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2008年4月20日 (日)

読書日記4月20日

 読書日記。
 「戦国時代の「裏」を読む」。中村彰彦。史料をもの凄く読み込んでいる中村彰彦という作家の歴史エッセイ集。この作家はどこからこんな史料を見つけてくるのかというくらい史料の読み込みがすごい。私はこの作家は「桶狭間の勇士」という作品しか読んだことがないが、そのときから史料の読み込み方が半端ではないなという認識であった。このエッセイ集もそんな作品である。桶狭間の戦いは奇襲ではないなど様々にうならせるエッセイが目白押しである。

 杉原輝雄「生涯現役」。新書である。70歳を越えて未だ現役でプロゴルフツアーに参戦しつづける杉原の人生観や健康法について書かれている。プロゴルファー仲間が交通事故で下半身麻痺になりゴルフが出来なくなった後も、希望を見つけてボランティア活動をしている姿を見て自分を奮い立たせている話に感涙。加圧式トレーニングについて書かれているが、河原町二条にも加圧式トレーニングのジムが出来たばかりなので体験レッスンに行くかどうか真剣に考えさせられた。

 海音寺潮五郎、司馬遼太郎「新装版 日本歴史を点検する」。歴史好きには感動ものの対談録である。海音寺と司馬遼太郎の知識も半端ではないが、その歴史知識をもとに人間や歴史について洞察していく2人の対談は感動である。歴史ファンには是非一読をお勧めする。薄い本なのですぐ読める。残念なことに戦国についての対談があまりなく幕末が中心となっているが、やはりこの2人は歴史小説家の中で他の作家とは全く違うとうならせられる。

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2008年4月18日 (金)

やっつけ仕事

 あまりに忙しすぎると、やっつけ仕事になりがちである。
 きちんとしようと思えば、仕事の量はある程度セーブしながらやらないといけない。
 やっつけ仕事でなくきちんと仕事をしてこなしていくと、一定のラインを越えると病気になる。

 弁護士も若いうちは、仕事に慣れていないので、ベテラン弁護士が1かければいい労力に対して5も6もかけないといけないことになるので、大変ではある。要領ばかりで仕事をするようになってもまたいけない。この時期に手を抜くと、後々様々なところで穴があることになり、ひびいてくる。

 ある合同系の若手弁護士が、「弁護士の仕事とは、いかに自分が仕事をしないで事務員に仕事をふれるかで決まると分かってきました」といっていたと聞いたが、根本的に間違っている。その事務所は破産事件などはほとんどが事務員さんがしてしまうので、ベテランでも破産事件のことが分かっていない場合があるのであるが、宜なるかなという感じである。

 ある一定ラインを越えればそれなりの労力でそれなりの仕事が出来るようになるが、一定ラインを越えるまでは一見無駄な打ち合わせや調査に労を惜しんではならないのである。
 若手弁護士も少し事件を経験するとそれなりに出来るようになった気がして要領や手を抜くことが覚えたりするが、それが失敗の本となる。それが事件結果にあらわれることになり、反省していくことになる。

 

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2008年4月17日 (木)

専門書にはお金がかかる

 医療過誤訴訟の事件を引き受けるとそれなりに文献を買うので書籍代がかさむ。これを依頼者に請求する弁護士もるかもしれないが、私は財産になると思って事務所全体の経費から買っている。
 医療関係の書籍は法律の書籍と比べても高額であるから、すぐに数十万円になることもある。

 証拠保全(カルテをおさえること)だけをしてその後検討の結果提訴できなかった事案や、依頼者の希望で提訴は可能であるのに提訴に至らなかったものなどは、赤字とまではいえないが書籍の購入で赤字に近くなることもある。

 それでもやはり事件処理をするのに書籍は必要なので購入する。
 法律図書も同じで、毎月判例情報誌とNBLを購入しているほか、事件ごとに購入する。時々マニアックな本も購入するので、裁判所の図書室にもなく引用図書を提出して欲しいといわれたこともある。

 おそらく2度と使わない本もあるが、私は手元に置いておかないと嫌な性分のようである。高校大学司法試験と独学できたので、本で調べるのが癖でもあり好きでもあるせいもある。
 書籍が多くなってきて困るのであるが、事務所のスペースは有限であるのでどうしようかと思う。
 少し離れたところに地下倉庫も借りているのでそこに持っていくという方法もあるが、地下倉庫だとすぐに見たいときに困るので、基本的には版が変わった本と判例時報、判例タイムズ、NBLと終了記録置き場となっている。判例時報や判例タイムズはそれほどみないからこちらでもいいが、医学書などは事件が起こるとすぐにみたいのではてさてどうしたものか。

 事務所を移転すれば話は早いが、移転にはお金もかかるので頭が痛い。
 同じビルのどこかの階が空いてくれれば一番よいのであるが、今のところその予定もなさそうである。

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2008年4月16日 (水)

島左近

 正式名称は島清興(しま きよおき)。
 その出自は通説では奈良県の地侍であるとされているが、一説には対馬の方の出自であるともいわれ、確定していない。

 当初は畠山氏に仕えていたが、畠山氏が三好長慶により没落すると、その後は筒井順慶に仕えた。その頃、筒井家中で、松倉重信(右近)と並んで「右近左近」といわれていた。
 筒井順慶の子である筒井定次とそりがあわず、羽柴秀長などに仕えたあと、浪人していた。
 その時点で島左近の武勇は既に有名であったと思われる。

 石田三成が、秀吉から4万石の禄高をもらっていた時に、「自分には戦場で采配を振るう才が欠けている。いい侍大将が欲しい。」として浪人していた島左近を訪れ、渋る左近に自らの禄高の半分の2万石を出して召し抱えたというエピソードは有名である。
 三成は左近に半分の禄高を出して自分の2万石から他の家臣の禄も出さなければならなくなったため、主人よりも家老の方が禄高が高くなってしまったとされている。
 さすがの秀吉もこの三成の度量には感じ入ったといわれている。
 このことについて、人から「そのようなことをしては自らの食い扶持がなくなるのではないか」といわれた三成は、「主君のために働くのが侍であり、いただいた禄高でもって全てよい家臣を召し抱えて主君のために役立つことが本望である」というようなことを語ったといわれる。性格的には問題のあった三成であるが、やはりそれなりの人物であったのであろう。
 ともあれ、左近は、「三成に過ぎたるものが2つあり、島の左近に佐和山の城」と歌われるほどの存在であったのである。

 左近は軍師という形で紹介されたりすることもあるが、その後の関ヶ原の戦いやその采配ぶりを見ていると、軍師というよりは局地戦の戦術家であり、戦場働きをさせれば超一流であるが、謀略も含めて献策する軍師という存在ではなかったように思われる。もちろん、軍師的な役割をしている向きもあるが、その謀略は全て家康に見抜かれており、家康と比較するとそのスケールははるかに劣るのである。
 近江水口城で長束正家に朝飯を馳走するので立ち寄られたいと家康に言わせて立ち寄った家康を斬るという謀略も、家康の間諜によって全て報告されて家康は難なくこの罠をかわしている。

 関ヶ原の戦いでは、西軍は家康が到着するのはもう少し後だと楽観していた。このとき、東海道筋に間諜を置いておけばすぐに情勢がつかめたはずであるのにである。このようなことも西軍がしていないことから、左近はやはり局地戦の天才ではあるが軍師ではないと思われるのである(司馬遼太郎の「関ヶ原」でも同旨。)
 しかし、家康の旗印が関ヶ原にたなびくのを見て西軍諸将は著しく動揺した。なぜなら、戦国の古強者として武田信玄と戦い、秀吉に局地戦ではあったが小牧・長久手の戦いで勝利した家康は「海道一の弓取り」であり、彼に野戦で勝てる総指揮官などいないと考えられていたからである。
 そのときに、左近は兵を鼓舞するために西軍の兵500を率いて東軍の中村、有馬隊に戦いを仕掛けて、宇喜田勢の明石全登とともに完勝して大いに士気を上げた。

 そして、関ヶ原の戦いが始まり、石田隊の前は黒田長政の隊が陣取り石田勢にかかってくるが、左近は「かかれえ!」という大声をあげて兵を指揮して何度もこれを撃退した。
 その時の左近の声がいつまでも耳について離れず、夢にうなされて夜中に飛び起きたという黒田藩士の話しや、黒田藩士が左近の突撃を恐れて誰もが左近の装束を覚えておらず、皆の証言が食い違ったという逸話から、いかに左近の突撃が激しかったかが分かるというものである。
 しかし、左近は銃弾に倒れる。このときに死亡したとされるのが通説であるが、これほど有名な武将の首が見つかっていないことから、生きて関ヶ原を出たという説もある。これだけの武将であるのにその最後が判然としないのである。

 左近が倒れた頃から西軍の旗色が悪くなり、小早川秀秋の裏切りにより西軍は総崩れになるのであるが、左近が倒れていなければ、東軍に裏切ろうとしていた諸将も、西軍強しの旗色を見て、寝返りをやめていたかもしれず、そうなっていれば歴史は変わっていたであろう。

 左近については、司馬遼太郎の「関ヶ原」、隆慶一郎の「影武者・徳川家康」がもっとも秀逸に描かれていると思うので是非ご一読を。特に隆慶一郎の関ヶ原のシーンは圧巻。

 ちなみに、彦根ではひこにゃんのライバルでしまさこにゃんがいるが、いわなくとも分かると思うが島左近がモデルである。先日佐和山城跡で、いしだみつにゃんとしまさこんにゃんが対面するという感動イベントが行われたらしい。

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2008年4月15日 (火)

プロとアマチュア

 プロとアマチュアの違いは、プロは仕事をするとお金が貰えることである。
 当然弁護士はプロである。

 ただし、お金を貰うだけではプロとはいえない。
 貰ったお金に見合うだけの仕事はしなければならない。そうでなければ、プロとはいえないのである。

 弁護士になって最初からプロ意識がある人は少ないと思われるが、プロとしてやっていく以上、プロ意識は重要である。
 勤務弁護士であれば自分が事務所から貰っている給与に見合うだけの仕事をしているかどうか、経営弁護士であれば依頼者から貰った費用に見合うだけの仕事をしているかどうか常に自省する必要がある。私から見てもアマチュアとしかいえない弁護士もまだまだ多い。

 弁護士が少なかった時代には、弁護士にプロ意識が少なく、依頼者に説明はしないし裁判の経過報告はしない、打ち合わせもしないという弁護士も少なからずいたと思う。
 しかし、そのような時代は終わった。
 依頼者に対して、自分の仕事に対してプロ意識が持てなければ淘汰されていくであろう。
 私も日々自省するのであるが、私自身の能力的な問題もあり、限界を感じることもある。
 そのたびにいろいろなことで気持ちを奮い立たせて仕事に向かうという繰り返しである。

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2008年4月14日 (月)

弁護士の仕事は楽か

 少し前に書いたが、法律家の仕事は楽ではない。肉体的というよりは精神的疲労をする。
  それは、紛争のただ中に入っていく仕事だからである。

 今は社会的には弁護士の地位は高いように思うが(一部の品のない弁護士のおかげでそうともいえなくなっているかもしれないが)、日本人は紛争を「ケガレ」たものと見るので、弁護士は昔はケガレ仕事であった。
 ケガレ思想により貴族は戦いを辞めて平安時代には国家の軍隊がなくなるという世界的にみて異常な事態となったのである。そして、そうしたケガレ仕事は他の人に任せた結果、武士が台頭して政権を奪われるに至るのである(逆説の日本史などに詳しい)。
 紛争を他人に代理して任せるというのは、「ケガレ」に関わりたくないという日本人の発想に適ったことであるということも出来る。
 弁護士は三百代言とかいわれていた時代もあるが、今は様々な変遷を経て社会的には高い地位を得ているように思われるが、紛争のただ中に入っていくということに代わりはない。

 依頼者との打ち合わせや裁判業務以外に、事件の調べ物をしたり、考えたり、訴訟の準備をしたり、書面を書いたりなどという依頼者や裁判所に見えないところの作業も多いため、そのあたりを依頼者から評価して貰えないこともある。
 事務所を出ても事件のことを考えていることが多く、事務所にいる時間以外も仕事のことばかりである。これは、事件に責任を負う気持ちが強い弁護士ほどそのような傾向があるように思われる。
 肉体的作業よりは知的作業が多く、精神的疲労の方が大きい。

 ロースクール制度がどうであれ、合格者数がどうであれ、法律家として何をしたいかということを踏まえて実務家にならなければ、現実とのギャップにとまどうであろう。

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2008年4月11日 (金)

最近読んだ本

 読書日記である。

 メルヴィルの「白鯨」。中学校くらいに購入して途中で読むのを断念した記憶がある。
 少し前に購入していたのであるが、中々手に取る暇がなかった。
 私は文学評論家ではないので、メルヴィルがこの作品で何を描きたかったかを論評する立場にないが、世の中の無情さ、自然のもつ非常さ、人間の身勝手さなどを冷酷に描き出しているのではなかろうかと思う。これは30代後半にでもならなければ中々理解しづらい作品であろう。

 「レイチェル・ヒルズの火影」。海外ミステリー。本屋で表題に惹かれて購入。何百年前の死んだ女性の亡霊が次々に殺人を犯すのかというところが横溝正史風であったので購入した。ミステリー作品としては中の下というところであるが、気軽に読む作品としてはよいだろう。

 「豊臣家の人々」角川文庫新装版。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎の見るところの豊臣家の人々を描いた作品で、城塞や関ヶ原などで描き出されていない豊臣家の人々も描いている。司馬遼太郎はどこからこんな挿話を見つけてくるのかというくらいエピソードを入れ込むのがうまい。
 また、人間のとらえ方がすごい。弁護士も人間相手の商売であるから、司馬のような人間通というか人間観察力、分析力を持つべきであろう。これもまた秀作である。

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2008年4月10日 (木)

弁護士会費など

 弁護士になると、弁護士会費を支払わなければならなくなる。
 最初に入会金が必要で、毎月毎月会費が必要である。
 これは日弁連の方の会費と、所属単位会の会費の合計が毎月引き落とされる。
 所属単位会の会費は、単位会にかかる経費を支払う一部となる(人件費や会館維持費等いろいろ)。小さい単位会ほど、この所属単位会会費が高額となる。

 日弁連の予算と、東京3会は弁護士大増員時代で会費収入が増えて予算が潤沢である。
  ところが、地方単位会ではそれほど飛躍的には伸びないので予算はあまり変わらない。
 修習生の中央志向が強いため、低廉な給与でも東京で働きたいというような話がある一方で、東京の方の弁護士会財政は潤っている。何かで読んだが、東京の弁護士で、食費にも事欠いて1週間カップヌードル以外食べていない人がいるというようなこともあるようである。

 京都は現在5万円弱である。5万円弱というと、たいてい年会費と思われるが、これは月会費であり、年間60万円弱の会費が必要となる。小さい単位会だと10万円くらい支払っていると聞いたことがある。

 経営弁護士であれば、事務所の賃貸費、事務員(場合によれば勤務弁護士)の人件費、電話代、コピー代等々も経費として必要であり、そうした中に「無理をして採用してくれ」といわれても中々難しいところであろう。地方はまだ多少は余裕があるとは思うが、それも現時点という意味であり、キャパシティが東京に比べると小さいから、すぐに満杯になるであろう。採用先がないのに、「どうしても東京で」とかいう考えは捨てた方がよい時代に来ているといえるし、ある意味地方に行くなら今のうちという気がする。

 このようにそれなりに経費がかかるのであるが、収入があっての経費であるから、勤務弁護士を採用して欲しいと日弁連がお願いしても、中々個々の弁護士の経営努力に委ねているだけでは難しいかと思うのである。
 弁護士の就職状況が悪いのも宜なるかなという思いである。

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弁護士会費など

 弁護士になると、弁護士会費を支払わなければならなくなる。
 最初に入会金が必要で、毎月毎月会費が必要である。
 これは日弁連の方の会費と、所属単位会の会費の合計が毎月引き落とされる。
 所属単位会の会費は、単位会にかかる経費を支払う一部となる(人件費や会館維持費等いろいろ)。小さい単位会ほど、この所属単位会会費が高額となる。

 日弁連の予算と、東京3会は弁護士大増員時代で会費収入が増えて予算が潤沢である。
  ところが、地方単位会ではそれほど飛躍的には伸びないので予算はあまり変わらない。
 修習生の中央志向が強いため、低廉な給与でも東京で働きたいというような話がある一方で、東京の方の弁護士会財政は潤っている。何かで読んだが、東京の弁護士で、食費にも事欠いて1週間カップヌードル以外食べていない人がいるというようなこともあるようである。

 京都は現在5万円弱である。5万円弱というと、たいてい年会費と思われるが、これは月会費であり、年間60万円弱の会費が必要となる。小さい単位会だと10万円くらい支払っていると聞いたことがある。

 経営弁護士であれば、事務所の賃貸費、事務員(場合によれば勤務弁護士)の人件費、電話代、コピー代等々も経費として必要であり、そうした中に「無理をして採用してくれ」といわれても中々難しいところであろう。地方はまだ多少は余裕があるとは思うが、それも現時点という意味であり、キャパシティが東京に比べると小さいから、すぐに満杯になるであろう。採用先がないのに、「どうしても東京で」とかいう考えは捨てた方がよい時代に来ているといえるし、ある意味地方に行くなら今のうちという気がする。

 このようにそれなりに経費がかかるのであるが、収入があっての経費であるから、勤務弁護士を採用して欲しいと日弁連がお願いしても、中々個々の弁護士の経営努力に委ねているだけでは難しいかと思うのである。
 弁護士の就職状況が悪いのも宜なるかなという思いである。

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2008年4月 9日 (水)

弁護士が依頼者をたきつけていると思っている相手方

 事件をしていると、相手方から、「あんたが依頼者をたきつけてこんなことをしているのだろう」と根本的に誤った指摘をされることがある。
 だいたいこういう相手方は、自分がこちらの依頼者にどのように思われているかを理解しておらず、「弁護士がいなければ丸くまとまる」「直接話がしたい」などということを言ってくる。

 こちらの依頼者はというと、直接話などしたいはずがないし、話をしてもまとまらないのであるが、「相手がそういうなら」「それで解決するなら」ということで私立会いの下で面談して、依頼者の期待は裏切られて、またもや相手方から傷つけられることになるのである。

 中には紛争をたきつけたり紛争を起こしていると思われる弁護士もいないとはいわないが、大半の弁護士は紛争をいかに解決することが依頼者のためになるかを考えているものである。紛争を拡大して、争うことが弁護士の目的ではないのである。

 相手方に対して弁護士が通知を出すとき、依頼者の意思でそうしているのである。われわれは代理人であり、依頼者の意思なくしてそのような行動はしないのである。

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2008年4月 8日 (火)

司法試験に保証など今も昔もないのである。

 最近、ロースクールの学生が合格者見直しという話が出たことに対して、「国家的詐欺」だということを述べている記事などをよく見かける。
 しかし、「合格しやすくなったから受験することに決めた」とか「70%合格するというのでロースクールに行った」というのは実務家になろうと思うのであればたいへん誤った考えであると思っている。

 そもそも、昔から司法試験に合格するかしないかというのは試験であることから合格が保証されたものではなかった。
 ロースクールが始まる前の試験においても、合格せずに他の道を歩まざるを得なかった人たちはたくさんいる。
 私が合格した当時は2万数千人が受験して、600人しか受からないという時代であった。もちろん記念受験の人もいたであろうが、合格率は2パーセント台でずっと推移してきた。

 それでも受験する人はいたし、人生をかけている人は多くいた。
 それはなぜかといえば、人それぞれ理由は異なれど、「いつ合格出来るか全く分からないけれど、法律家になりたい。なってこういうことがしたい」という思いやビジョンがあったからだと思う(私にあったかはナイショ)。

 法律家の仕事は実際にやってみると、楽な仕事ではない。裁判官や検察官は司法修習の時に見ただけなので推察ですが、それなりの苦労があると思う。自殺する人が稀にいるのもわからないではない仕事である。

 弁護士も同様である。依頼者のために誠実に仕事をしても、依頼者から逆恨みされたり、理解して貰えなかったり、報酬を踏み倒されたり、相手方から逆恨みされたりして、突然相手方が事務所に殴り込んでくることもある。(誤解で)電話で怒られることもしばしばである。
 いいことよりはつらいことの方が圧倒的に多い。10事件があったら、9は嫌なことで、1くらいいいことがあればラッキーであると司法修習時代にある検察官は言っていた。
 こうしたつらさがあっても皆仕事をしているのは、職業的倫理観がその根本にあるからである。こうした倫理観は、「合格しやすくなったし、受けてみようか」というような気持ちでは醸成されないと思う。

 ロースクール制度は間違った制度であると私は思っている。しかし、制度がある以上、法律家を目指したい人は通常はここに入らざるを得ない。そのことをどうこういってみても仕方がない。

 今後改革がどうなるかなど誰も分からないし、司法試験を目指したからといって、どのような制度になったところで、具体的に個々に目指している人が合格するかなど分からないことである。

 我々弁護士からすれば、就職難は当たり前である。合格しやすくなったのであるから、合格後苦労することはある意味当然のことだと思うし、それは受験する時から予想されていたことであろう。入口が狭いか、出口が狭いかの違いであるだけである。

 国はそもそも7割合格させるなどと約束した事実はないはずである。
 元々ロースクールの定員は3000人を0.7で割った程度で国は考えていたので、だいたいそれくらいの目安でという話をしただけである。ところが、各地の大学がわれもわれもとロースクールを開講したため、定員が5000人を越えてしまった結果、70%も合格しないこととなったのである。

 また、当初の国の構想では、卒業生の70%程度が受かるような教育という話をしていたので、残り30%が再受験することは当然に織り込み済みで、2年目以降合格率が下がっていくことは、普通に考えれば誰でも分かることである。これを詐欺というようなロースクール生では、とうてい過酷な法律家の世界では生きていけないであろう。

 様々な罠や落とし穴があり、自分の身は自分で守らなければならないのが法律家の世界である。依頼者に騙されたというのでは、弁護士として話にもならない。

 法律家を目指したいのであれば、どのような制度であれ、合格後がどうであれ法律家になってこういうことがしたいという人でなければ、これからは成功しないと思うのである。

 多くの修習生が、会社員的に大手の法律事務所に就職していくのを見ていると、何のために法律家になったのか疑問に思うこともある。

 将来が不安だというのは、我々が受験している時代でも同じであった。合格するかしないか分からないし、今よりも合格することが難しかったのですから。その意味では受験生の不安とは、今も昔も変わらないと思う。

 逆にいえば、こうした不安を越えて「法律家になる」という人でなければ、本来司法試験に受験して合格したところで、実務家になって良い仕事は出来ないと思うのである。

 何のために法律家になりたいかという確固たる信念があるかどうか、最後はそこで決まるような気がする。

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2008年4月 7日 (月)

揚げ足取り弁護士

 事件で争点事にこちらの個別の主張に反論をして、揚げ足を取るような書面を書く弁護士がたまにいる。
 物事には筋というものがあり、そのストーリーがいい加減なまま個別の論点に反論していると、その反論と反論とが矛盾している時がある。
 

 やはり依頼者から事実を聞き取り、事実はどうであったかをおさえた上で書面は書かないといけないのである。
 たまに尋問をして、相手から出た主張と証言が違うので、読ませて「これはあなたの代理人が書いているんですよ」というと、「打ち合わせした上で書いていない」などという驚くべき事実が明るみになることもある。

 時間をかけて依頼者から聞き取りをした上で書面を書かないと、このようなことになるのである。個別に揚げ足を取っているだけではいけないのである。

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2008年4月 5日 (土)

弁護士会の花見、M野君の結婚式

 金曜日は弁護士会の花見だった。京都弁護士会では花見をこの時期に行う。京都国際ホテルで宴会をしたあと、二条城に繰り出すというのが弁護士会が決めたルートだが、今年は二条城はまだほとんどの桜が咲いていないという情報があったので、祇園の白川のたつみ神社のところの桜を見に行くことにした。

 ちょうど満開で、もの凄い人出であった。やはり桜はいい。日曜日には雨が降るという話で絶好のタイミングで見に行ったことになる。この時期は白川沿いのバーは中々はいることが出来ない。私がたまに行くショットバーはこの白川沿いにあるのだが、数年前ここから見ようとオジサン10名でどやどやと押しかけたら、客は1人もいないのに断られた。予約でいっぱいだとのことであった。カップルで予約しているのだろう。

 昼の桜もよいが、夜桜はまた格別である。

 私が見た桜でもっとも印象に残っているのは弘前の桜である。出張の時期がちょうど桜の時期であった。弘前の桜は淡いのである。何とも言えない淡さがある。日照時間の関係なのか、桜の種類が違うのか、淡い桜が延々と続くのは壮観だった。

 これが札幌の桜となると趣がない。葉と花が同時に出てくるからである。また、桜の下でジンギスカンをしている人が多くて、匂いで風情も何もあったものではない。その豪快さが北海道らしいといえば北海道らしい。

 金曜日は桜のおかげで知らず知らず飲み過ぎたようで、今日は弟子のM野君の結婚式だったのだが、二日酔いで多少つらかった。
 スピーチを頼まれていたのだが、結婚式のスピーチは中々難しい。当然新郎新婦のことにうまく触れつつ話をしなければならない。今日は二日酔いであまり舌が回らずかみまくりだった。
 結婚式のスピーチで自分のことばかり話をする人がいるが、誰のお祝いか分からなくなるので、あれはもっともしてはいけないことだろう。よほど自分が好きなのだろうと思うが、えてしてそういう人は真の実力はないことが多い。
 ともあれ、歌有り、笑いありと和気藹々とした雰囲気の中で、非常にいい結婚式であった。若い2人の幸せを願うばかりである。

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2008年4月 3日 (木)

何でも文句いったら賢いと間違っている弁護士

 ほんまのア○にア○というと怒るというのが大阪でよくいわれることだが、弁護士の中にもほんまのア○は(一定割合)いる。

 そうした弁護士は、誰からも評価されないので(別に評価されるために弁護士している訳ではないのに)、焦るのである。焦るために、批判をするようになる。とにかくなんでも批判して反対する。そうすることで、俺って賢いだろ?というのをアピールしたいのである。

 しかし、狼少年の話ではないが、いつも同じことを言っていると効き目がないのである。100いう中の1いいことを言っていても、「またあのア○が反対してるわ」となってしまうのである。徳川家康のような人間通にならないといけないのである。

 意見を述べたりするにもタイミングがある。考えるよりも先に反対していると、「考えてないな」というのが分かる。意見を述べるのはボクシングのカウンターに似ている。

 だいたい議論している時、私は時々怖いといわれるが、それは考えている時のようである。会議などの進行役をすることが多いので、議論を整理する時整理しながらまとめて議論を終結点に導く時に頭はもの凄く使う。
 そうした時に(申し訳ないが)しょうもない意見が出たら、ばっさり切ることもある。ぼかして切ることもある。そのような意見もあるということで整理しようといいながら、実は議論の最後で無視していえないように持っていくこともある。
 こうして書くとなんだか私は悪人みたいだが、意見を述べるには間合いとか潮時とかいうことがあるということなのである。
 逆にたいしたことのない意見でも、出し方によっては人の印象に残り、「あの人デキる」と思わせることも可能なのである。

 

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2008年4月 2日 (水)

提出期限

 民事裁判だと今はだいたい提出期限が決められる。
 しかし、守れないこともある。

 依頼者側に問題があるときがある。
 依頼者が予定通り資料を揃えてくれないこともあるし、依頼者が打ち合わせに中々来てもらえないこともある。

 弁護士側の問題であることもある。
 仕事が詰まっていて、依頼者からの聞き取りも資料も来ているのに、書面を書く時間が取れないことがある。ずぼらでそうしている弁護士もいるかもしれない。
 もっともすごい言い訳を聞いたことがあるが、「直前にパソコンが壊れました」というものである。私の知る限り、その先生は手書きであったはずである。

 相手方の提出期限を前提にこちらの書面を書く予定にされることもあるが、相手の書面が遅れたらこちらの書面も予定通りにはいかないこととなる。

 ある程度不確実な予定の中、スケジュール管理をしてフレキシブルにやっていくことが重要であり、「今日はこれをやると決めたから他はやらない」というのでは弁護士としては成功できない。

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2008年4月 1日 (火)

今日から新年度

 今日から弁護士会の年度がかわった。弁護士会も4月1日で理事者などがかわる。
 私は平成8年の4月に弁護士になったので、丸12年が経ったことになる。

 初心を忘れることのないように、しかし今まで事件などでつちかった経験を活かしてこれからも依頼者と事件に向き合っていこうという気持ちにさせられるのが新年度初日である。

 気持ちを新たにする意味で、少しだけ模様替えをした。
 模様替えといっても狭い事務所であるからレイアウトは変えられないので、来客室にかけてある絵を外して、ゴッホの絵の写真が入っている額縁にかえた。以前はゴッホの模写をかけていたが、この模写がいまいちであったので、模写よりは写真の方がよいにきまっていると思って買ったところ、なかなかよい。
 絵の中身はないしょである。

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