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2008年4月28日 (月)

戦国ブームについて考える

 最近、若い女性の間で戦国ブームだという。関ヶ原を訪ねる若い女性も多いらしい。また、先日の佐和山城跡でのしまさこにゃんといしだみつにゃんの感動対面イベントにも多数の若い女性が訪れたそうである。
 少し聞いたところでは、「風林火山」のGacktの上杉謙信や、戦国時代を美しく描いたドラマなどの影響があるようで、こうした若い女性に戦国というと「男同士の友情」などというロマンを抱かせるようである。

 しかし、本当の戦国時代は史料や心ある歴史小説からしてもそのような美しい世界ではない。
 謙信が美化される傾向にあるが、真の謙信はそこまでの武将かという問題がある。
 私は謙信ファンだが、そのファンの私でも史料を読めば読むほど謙信は戦国武将としては二流であると思っている。
 悔しいが戦国武将としては、武田信玄の方が上であったと思う。
 私が謙信を好きなのは、局地戦での戦争の強さは日本一であったであろうその強さと、領土欲を持たなかった義侠心に惹かれるのであるが、これは戦国という時代では戦国武将としては致命的な欠陥でもありうるからである。基本的に人は欲でついてくるものだからである。その意味で謙信が天下を取ることはなかったであろうと思う。

 話が逸れたが、聖将ともいわれる謙信でも、戦に関しては武州松山城の城主が謙信の援軍を待たずして城を明け渡してしまい降伏したときに、松山城主の人質である幼子を怒りとともに自ら斬り殺したり、越後統一の過程で反抗した黒田氏を撫で斬りにしたり残酷なことも平然としている。

 他の例でいえば、蝮といわれた斎藤道三は、罪人の処刑の方法として、釜ゆでの刑罰を執行する際、その罪人の身内に釜の火を焚かせたという史料があるし、一部では信玄を越える器量であったという説もある武田勝頼も同様の方法で処刑したとされる。信長も俗にいう、「一銭斬り」の刑罰を科していた。

 戦国武将は独裁者であり非情さと狡猾さと実直さなどがないまぜとなった上で君臨しているものであり、戦国ブームでいわれるほど甘い存在ではないのである。

 特に女性の存在は軽く、主君が寵愛した妾を引き出物として家臣に与えることもよく行われていた。斎藤道三も主君の土岐頼芸の寵姫である深吉野を貰い受けたとされる。その深吉野が斎藤道三のところに来た時に既に土岐頼芸の子どもを身ごもっており、後にこれが斎藤義龍となるのであるが、斎藤義龍が後に自らが土岐頼芸の子であると重臣から聞かされた後、クーデーターを起こし立ち上がり、斎藤義龍は道三の実子を殺し、道三をも殺すというエピソードが生まれるのである。

 そのほかにも親殺し、子殺し、謀略は日常茶飯事であり、明智光秀も「仏のウソは方便という。武士のウソは武略という」といっていたとされ、裏切りやウソが渦巻く時代であったのである。
 そのような時代であり、ロマンティシズムという甘い見方でこの時代を見てはいけないと思うのである。

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