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2008年5月30日 (金)

忙しい弁護士と暇な弁護士

 就職活動をしていた時に、もう一ついわれたのが、「事件を頼むんやったら忙しい弁護士の方がいいんや。」ということであった。
 忙しいと事件が出来ないのではないかと思って聞くと、「暇な弁護士は適当な仕事しかしないから暇なんや。忙しくて流行っている弁護士は能力があるから仕事が来るんや。忙しい弁護士は、仕事が来ても、自分の予定をすぐに組み替えて、新しい事件を引き受けて優先順位をつけて解決していける能力がある。もちろん忙し過ぎるのはいかんけ。忙し過ぎるとミスも出るし、事件放置も出る。そやけどほどほどに忙しい弁護士に頼む方が暇な弁護士に頼むより事件は早く解決するで。」ということをいわれた。

 このことは、弁護士になって実感している。
 横で予定を入れている手帳が見える時があるが、予定が真っ白でどこでも予定が入る弁護士を相手方にすると、書面が中々出てこない。裁判で中々予定が入らず、相当忙しそうな相手の弁護士からはきちんと書面が出てくる。
 暇すぎる弁護士にも理由があるのである(独立したてとかはもちろんまだお客さんがついていないから暇であろうが)。
 忙しすぎるのはいけないが、ほどほどに忙しい弁護士に事件は依頼すべきであるし、私自身、利益相反などがあって他の弁護士を探さないといけないとき、暇すぎる弁護士は候補にあがってこない。やはりそこそこ忙しいだろうが、「あの人ならきちんとやってくれる」という弁護士を候補にあげるのである。

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2008年5月29日 (木)

弁護士と運動

 就職活動をしている時、事務所訪問をした時、そこそこ偉い(とその時思っていた)弁護士から、「中君、弁護士になったら運動は絶対にしないといけないで。」と言われた。
 どうしてかと聞くと、その先生は、弁護士になった後暴飲暴食をして、遅くまで仕事もし、忙しいのでちょっとどこかに行くのもタクシーに乗っていたところ、数年後に全く歩けなくなってしまったということであった。
 そのときに、自らの生活を振り返ったその先生は反省し、少しずつ歩くことから始めたということであった。医者に行っても原因不明だということであったようである。
 最初は10メートルも歩けなかったが、50メートル、100メートルと歩けるようになり、健康を取り戻したということであった。

 この話を聞いて結構衝撃を受けて、なるべく動くようにしている。月に一度だがサッカーの練習、裁判所と弁護士会の行き来は徒歩。お酒も毎日飲んでいる印象を受けられているが週に2、3日しか飲まない。
 おかげで血液検査はいつでも良好なのであるが、体重は一定ラインまで増えた後中々減らない。減量に成功して、軽やかに動きたい今日このごろである。

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2008年5月28日 (水)

竹中半兵衛重治

 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の名参謀といわれた武将である。黒田勘兵衛とともに「二兵衛」といわれ、秀吉の中国計略を助けた。
 史料によると、秀吉の配下ではなく、信長から派遣された軍監のような地位であったらしいが、共に行動をしていれば、「人たらし」と言われた秀吉に惹かれて実質的には配下同様であったろう。

 竹中半兵衛は元々斎藤龍興に仕えていたが、その風貌が女子のようであったため、朋輩から日ごろから馬鹿にされていた(戦国時代は、男は荒々しい風貌であればあるほどよいとされた時代である)ところ、ある時斎藤飛騨守から小便をかけられ、かけられた後も変わらず城から退出した。これを見て斎藤飛騨守はさらに半兵衛を馬鹿にしたが、さすがの半兵衛もこれを憤り、「飛騨守が自分を馬鹿にするのは主君の威が行き届いていないためである。いさめるために城を盗るべし」と考えた。
 龍興の居城は名城稲葉山城(後の岐阜城)である。
 半兵衛は一計を案じた。弟が人質として城内にいることを幸いにして、弟の病気見舞い(もちろん仮病)として食事などを入れたお櫃を持参して何回も通った。衛兵は最初のうちは中を見ていたが、何回も続くと中を見ることもなくなった。そうなった後、お櫃に武具を入れて侵入し、わずか手勢17名(だったと思う。ここが今うろ覚え)で斎藤飛騨守を斬り殺し、稲葉山城を奪ってしまった。
 これを聞いた信長は、美濃半国を寄こすので、稲葉山城を明け渡すよう使者を出したが、半兵衛は「主君をいさめるためにしたことである」としてこれに応じず、逐電してしまった。通説では近江に隠棲したとされる。

 斎藤家が滅んだ後、秀吉によって織田家に仕え(太閤記では劉備玄徳が諸葛孔明を三顧の礼で迎えた故事になぞらえて、3度目にしてようやく半兵衛が出仕したとされている)、秀吉の下で浅井長政との戦いや中国経略で活躍した。
 通常才能がある者同士は反発しあうが、黒田勘兵衛と気があったようである。
 荒木村重が信長に反旗を翻した際、黒田勘兵衛が軍使として村重の籠もる有岡城に赴いたところ、村重は勘兵衛を拘留してしまった。
 信長はこれを聞いて、「勘兵衛も謀反をした。村重の味方となった。」として人質であった黒田勘兵衛の息子(後の黒田長政)を殺すように半兵衛に命じたが、半兵衛は勘兵衛がそのようなことをするはずがないとしてよく似た子どもの首を信長に差し出しておいた(そのこと自体どうかという向きはあるが、時代は戦国である)ところ、後に勘兵衛が半死半生で有岡城から助け出されたのを見た信長が、「勘兵衛に合わせる顔がない」と恥じ入った時に、半兵衛が長政を処刑していなかったことを知って感じ入ったという逸話もある。

 他にも半兵衛の逸話は多いが、子の竹中重門の軍学を聞かせていたところ、退席したので「なぜ退席したか」と聞くと重門は「小用だ」という。これを聞いて半兵衛は烈火のごとく怒り、「小用がしたくなればなぜその場でたれ流さないのか。竹中家の子が軍学を聞くためにその場で小便を漏らしたという話は竹中家にとって誉れであろう。」と言って怒ったと名将言行録にある。

 秀吉の中国経略中の1579年に陣中で死んでいる。享年は36。肺が悪かったということである。

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2008年5月27日 (火)

日本刀の切れ味

 世の中でもっとも切れる刃物は日本刀である。派が薄いので横からの衝撃には弱いが、刃筋さえきちんと合わせれば、鋼でも切り裂くのである。
 日本刀で人を斬った際、うまく刃筋があえば全く手応えがなく斬れるといわれている。

 私は戦国好きなので、骨董品の日本刀が欲しいし、買おうと思えば買えないことはないのだが、購入した後どうするのかと考えると、ちゅうちょしてしまうのである。手入れも大変だということで、ものぐさな私には向いていないコレクションかと思い今のところ買わないでいる。

 少し前に、ダーティハリーも持っている44マグナムを日本刀に真っ直ぐ撃ち込んだ時に、日本刀が勝つかマグナムの弾が勝つかというテレビをやっていた。私は日本刀の切れ味を知っていたので、迷うことなく日本刀だと思い見ていると、日本刀はマグナムの弾を綺麗に切り裂いて、全く刃こぼれ一つしていなかった。

 欲しいなあ。日本刀…。

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2008年5月26日 (月)

一発逆転の証拠

 たまに相手方の弁護士で、最後の方に一発逆転(とあちらが考えている)証拠が出てきて、「これで決まりでしょう」などという顔をしていることがある。

 私も勤務弁護士時代、そのようなことがあった。ボスも何回か相手からそのような証拠が出たことがあったという話しになった。2人で話をした結論は、「一発逆転の証拠など中々ない」ということであった。
 主張や証拠は全体として裁判官も判断するであろうから、一つ一つの証拠のつながりや主張との整合性も含めて検討されるべきことがらであるというのがその理由である。
 逆に、依頼者が「これさえあれば」と考えている証拠が役立たないこともある。

 心証を取るのが早いとされる裁判官もおられるので、心証が固まった後に証拠提出をしてもどうかなどという議論もあった。あまり最後の方で出すのはやはりよろしくないだろうという結論に達している。

 時に法廷でご満悦で逆転の証拠だと考える証拠を出して、こちらが検討して反論するというと、「これだけの証拠があるのに何を反論するのか」などということをいう弁護士もいるが、えてしてそういう事件は、その証拠に頼りすぎてしまい相手の弁護士は他のところの主張立証がおろそかになってしまい、ころっと負けたりするものであるというのが印象である。

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2008年5月25日 (日)

読書日記5月25日

 ここのところの読書日記。緊急の事件が入りへろへろであまり読めていないが…。

 武将列伝、戦国爛熟編。海音寺潮五郎である。名参謀の竹中半兵衛、最終的に天下を取った男徳川家康が登場する。家康を描かせれば司馬遼太郎が一番だと思っているが、海音寺の評価もまた愉しいところである。これは歴史好きであれば欠かせないシリーズであろう。

 司馬遼太郎「言いふらし団衛門」。大阪の陣で討ち死にした塙団衛門は、それほどの武功がなかったにもかかわらず高名となったのは自らを高く吹聴して回ったからであるという短編。戦国時代の女性に貞操という観念がなく、「抱かれたい」と思えば抱かれるというものであったというようなくだりも描かれている。短編集である。他、大阪の陣で橙武者といわれた恥を見事すすいで討ち死にした薄田兼相の系図をめぐる短編も秀逸である(橙は、飾り物であるので役に立たない武者という意味である。薄田兼相は、大阪冬の陣で陣所を抜け出し遊女を買いに行っている間に陣を落とされたため、役に立たない武者という意味で橙武者といわれたのである)。

 「賊将」池波正太郎。人斬り半次郎と呼ばれた中村半次郎を描いた表題作他短編集。
 おそらく、この短編を元に長編「人斬り半次郎」を池波正太郎は描いたものと思われる(池波正太郎は短編を後に長編に改編していることがままある。これは歴史作家ではないが、横溝正史も同じ。)。後の作風に比べて、やや作品が練られていない印象であった。

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2008年5月23日 (金)

昆虫の超能力

 昆虫の超能力を書いた本も好きでたまに買って読むのだが、カマキリの卵の高さを見ればその年の積雪量が分かるというのは有名である。
 中国の大地震の前にカエルが異常発生して移動したという報道がされているが、昆虫や動物は我々人間にはない能力を備えているようである。むしろ人間はそういう能力を失ってしまったのかもしれないが。

 昆虫には脳がなく、脊髄反射で生きているということも書かれているが、脊髄反射だけでどうして生きていけるのかも不思議である。生物は自分の子孫を残す本能があるとされるが、本能は脳にはなく、遺伝子レベルのものということなのだろう。脳のない生物が自己の複製を残すのも同じ原理であろう。

 子孫を残すために昆虫は超能力を使って雪が来ないところにかまきりは産卵する。時にカマキリの雌は交尾に来た雄を食べるという(常に食べる訳ではなそさうである)。それもこれも自らの複製を残すためである。

 人間は自分の子を虐待したりして時には殺すことがある。少し前に、ドイツで自分の娘を失踪したことにして地下室に閉じこめて強姦し、子どもを5人産ませた父親の話が話題になっていたが、これも鬼畜といわずして何であろうか。

 昆虫の方が気高いのかもしれないと思わせる出来事が多いような気がするのである。

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2008年5月21日 (水)

刑事記録の死体写真

 裁判員裁判が実施される際、裁判員の精神的負担が軽くなるように、死体の写真などは示さず、イラストなどにすることが検討されているという新聞記事を読んだ。

 確かに、慣れない人にとって死体の写真は耐えられないものであろう。司法修習をすると死体解剖の立会いが検察修習の中であるのだが、死体解剖を見てから肉類が食べられなくなったという人もいるくらいである。

 殺人事件やその他人が死亡した事件では必ず死体の写真が刑事記録に綴られる。我々はプロとして冷徹な目で見ることになるのだが、それでもやはり慣れないものである。一般の人にとって耐えられないと予想されることはわからないではない。

 ただ、量刑を決める時に、生々しい写真を見ているのと(修習時代に放火殺人の記録を見たが、これもまた衝撃であった。甘っちょろいアマチュア的気持ちが吹っ飛ばされる思いであった)、イラストとでは裁く方の受け止め方も違うのではなかろうかとも思う。
 死んでしまった人は何もいえないので、生きている人間がその死体から様々な情報を得て、加害者を追求していくという図式になるのである。死者は死体でしか物を語れないのである。
 イラストで果たして真実に踏み込むことが出来るのかは未知数であろう。
 裁判員裁判には様々な批判があるし、国民も諸手を挙げて賛成している訳ではない。
 しかし制度として始まった時には、応対していかなければならないのである。

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2008年5月20日 (火)

眠い

 日曜日にチームのサッカーの練習をしたせいか、先週も何か忙しかったせいか、月曜日と今日はとてつもなく眠い。右膝半月板損傷のあと、衰えきった筋力を戻すために1年間ほどジムに行っていたことがあるが、その時もジムに行った翌日は物凄く眠かった。
 筋トレや走ることは、その時に消費するカロリーは少ないが、その後も疲労した筋肉が元に戻るためにカロリーを消費するのと身体を元に戻そうとしているのだと私は解釈している。
 そのため、眠くもなるのである。

 今日は午前中起案をしながら気がつくと15分ほど寝込んでいて、昼休みの委員会でも15分ほど爆睡してしまった。
 昨日の夜も気がついたらソファーで寝ていた。
 ああ眠い。コーヒーを飲むと胃が悪くなるし、筋肉痛だし、でも仕事はあるし…。
 早く眠気が取れて元気いっぱいになりたいものである。

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2008年5月19日 (月)

当番弁護士

 当番弁護士は、身柄拘束されている人の要請があれば、1回だけ無料で接見して、法的アドバイスをすることがその役割であり、ここから私選で受任したりすることもある。

 今日は当番弁護士だったのであるが、当番弁護士も日によっていろいろである。あたりがいいというか悪い日は何件も接見に行かないといけない一方、全然出動がない日もある。

 土曜日の当番弁護士で、朝起きて留守電を聞くと(昔は出動要請があると留守電にふきこまれていたのだ)、北部の支部の書記官から「宮津警察の○○さんが…」と北部に行かないといけなくなったことがある。このときはあまりに暑かったのと遠方までいくのが嫌でTシャツに短パンで行ったことを覚えている。「こんな格好してるけど弁護士やから」と力説して説明をして帰ってきた。宮津は帰りの電車がすぐになくて、海を見たりして時間を潰すのにこまったのも記憶にある(私は運転があまり得意でないので、遠方まで自動車で行けないのである)。

 休みの日の当番弁護で、まとめて裁判所が勾留のための質問をすることがある。そうすると、裁判所から留守電が入るのがだいたい夕方4時45分だったりする。5時を過ぎて留守電が入ると翌日扱いなのであるが、夕方4時45分に3件とか入っていると相当にヘビーである。
 市内だと3件なんとか回ることが出来るが、市外が1件でもあるとどれかは翌日扱いにしてもらって回ることが出来る範囲で回ることになる。
 弁護士に成り立ての頃、2件回って南部の警察に行く時に既に夕方6時前で、駅を降りてタクシーに乗ろうとするとその駅にはタクシーがなかったことがあった。地図を見ると、直線距離で3㎞である。やむなく歩こうと思い歩き出すが、直線距離3㎞は、実際に歩く距離はもっとあるという単純なことにすぐにきづかされるのであった。
 途中で川があり、困ったことに橋が物凄く遠くにしかない。まっすぐ渡れば警察署まではそれほど距離はないはずである。秋頃であったと思うが、川沿いの道ではトノサマバッタが飛んでいた。思わず小学校の頃虫を捕まえまくっていた気持ちがムラムラとわき起こり捕まえたくなるが、捕まえてもどこに入れるのか、また被疑者への接見はどうするのかという冷静な気持ちに戻りようやくこらえる(たぶんこの時点で相当疲れていた)。
 その時私の眼には川の中の飛び石が目に入ってきた。鴨川などによくあるコンクリートで作られたアレである。
 これを突っ切れば早くいける…。そう考えて、スーツ姿にビジネスバッグを抱えた私は川の草だらけの堤を突っ切り対岸に渡ったのであった。もし川に落ちたら接見などとてもいけないと思いながら。
 対岸は土の崖のようになっていたが、カバンを斜めにかけて登る。近所の人が見ていたら相当怪しい人であろう。まさかに被疑者に接見に行く弁護士とは思えないであろう。

 そして川を渡り徒歩10分。ようやく目指す警察についた。既に7時前で7時過ぎから接見をする。被疑者は何の前科もない覚せい剤自己使用事件で、「実刑になりますか。刑務所行きですか。弁護士を依頼した方がいいですか。」ということが聞きたかったということで私を呼んだのであった。
 量刑相場というものがあり、当時、初犯の覚せい剤自己使用ではたいてい1年6月執行猶予3年であった。このことを説明し、国選でも素晴らしい人もいるし、量刑相場からすると依頼することがもったいないという説明をして帰途についた。もし電話接見があれば、川を渡らなくて済んだような話なのであるが、彼からすれば人生の一大事であったかもわからないので、それはそれで当番弁護士としての使命を果たしたと考えてよしとしたのであった。

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2008年5月16日 (金)

読書日記5月16日

 読書日記。

 「新選組秘帖」中村彰彦。新選組の短編集。この中では、昨日のブログで書いた島田魁の「巨体倒るるとも」と、「五稜郭の夕日」が秀逸。島田魁の己を曲げない姿には涙。五稜郭で死に損なったと感じる土方歳三の小姓の悲哀を書いた五稜郭の夕日も涙させられる。

 「宮本武蔵」司馬遼太郎。真説宮本武蔵という短編は読んでいたが、長編は読んでいなかったので購入してみた。吉川英治の宮本武蔵が聖人君子のようであるのに対し、求道者武蔵として司馬も描いているが、人物像が随分違う。真実に近いのは司馬の方であろう。武蔵は生涯お金に困ることがなかったエピソードとその理由についても書かれている。

 「一夜官女」司馬遼太郎。短編集である。外でも掲載されていて既に読んでいる作品もあったので、実際に読んだのはこの中で2つほどだが、宮本武蔵と闘って滅ぼされたとされている吉岡一門に伝わる史料での武蔵との対決を描いている。吉岡一門に伝わる史料によると、武蔵と吉岡直綱(武蔵側から見た史料では吉岡清十郎。)との戦いは木刀同士でしかも板倉伊賀守の廷内で行われ、相打ちであったという。この史料の紹介は、戸部新十郎という作家の日本剣豪譚という作品の中の宮本武蔵伝でも伝わっていて、これによると、吉岡直綱との試合は相打ちであり、吉岡の次男とは武蔵は試合をしていない。少なくとも、これより少し後に吉岡一門に連なる人物が刃傷沙汰を起こした記録があるので、武蔵によって滅ぼされたというわけではなそさうである。

 「残虐記」桐野夏生。失踪した作家が少女監禁事件の被害者であったという書き出しで始まる物語。事実を少しずつ変容して書いているので、訳がわからなくなるところがある。それを狙っているのだと思う。

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2008年5月15日 (木)

気管支ぜんそく

 最近は発作は出ないが、私はぜんそく持ちである。月に1度薬を貰いに行く。
 
 ぜんそくは子どもの病気のように思われているが、成人のぜんそくの人も多い。
 成人になってから発症する人もいる。

 私がいずれであるかは実のところよくわからない。
 子どもの頃から時々息苦しかった時があり、「それくらい生きてたらあるわ」という母親の一言で病院にも行ったことがなかったので、そういうものかと思っていた。大学生の頃は、調子のいい時は3キロ走って元陸上部にも負けなかったのだが、調子が悪いとすぐ息切れがしていたことがあったことからすると、ずっと以前からぜんそくであったのかもしれない。

 革命家チェ・ゲバラもぜんそく持ちだった。モーターサイクルダイアリーズという彼の若い頃を描いた作品の中では、ゲバラはしばしば喘息発作に悩まされている。
 今はぜんそく治療は吸入ステロイド(ステロイドを吸い込むことで気管の炎症部分の炎症を抑える)が治療の中心であり、私も朝と夜にステロイドを吸入する。ゲバラの頃は吸入ステロイドはなかったであろう。
 この吸入ステロイドのおかげで、ぜんそくによる死者はずいぶんと減ったとされている。
 ゲバラはぜんそくではなく、確かボリビアであったと思うが、政府軍に捉えられて射殺されるのであるが。チェゲバラ&カストロという映画ではそのあたりが割合忠実に描かれている。

 新撰組の元隊士である島田魁という隊士は、維新後本願寺の夜警をして生活していたが、この島田魁もぜんそく発作で死んでいる。島田魁という隊士は、自分と同じく新撰組で戦った同士の心根を思い、明治政府に仕えることを潔しとせず、榎本武揚から仕官の誘いが来ても断り続けたという。仕官すればそれなりの生活が出来たであろうが、それをせず、維新後の生涯を本願寺の夜警として赤貧の状態で過ごした。家族からすれば仕官して欲しかったかもしれないが、島田魁は絶対にそれをしなかったのである。私はこういう男が好きである。

 話が逸れたが、持病というものは嫌なものである。しかしぜんそくと判明した以上、これとつきあっていくしかないと思って月に1度は病院に通う。

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2008年5月14日 (水)

盗っ人猛々しい

 事件などで依頼者の言い分を聞いていると、あまりに自分中心で身勝手なことをいう人がいる。特に刑事事件に多い。刑事弁護人は被疑者や被告人の唯一の味方であるからそうした言い分を一応聞いて諭すこともあるが、自分の考えに凝り固まった被疑者や被告人はそうした主張を変えないこともある。そうしたことによるリスクも説明するのだが、聞き入れない。

 刑事弁護人はその職責上被疑者や被告人を弁護する方向でしか活動してはならないから、どんな反吐が出るような行為をした被告人の言い分であっても、被害者を冒涜するような主張であってもしなければならないときもある。そうしなければ自らが懲戒されてしまうからである。
 私がこれまで手がけた刑事事件は殺人や傷害致死という故意犯で人が死亡したという事件はない。それは、犯罪被害者支援にかかわってきたためである。

 過去、そうした被告人の態度を注意しても聞き入れず、結果として被告人に悪い結果が出た後で、被告人が「言ってくれればよかったのに」と逆にキレられたこともある。

 私は弁護士を初めてすぐに犯罪被害者支援に関わるようになったので、深刻な被害が発生している事件については受任しないことにしている。今後も交通事故の加害者は別として、殺人や傷害致死の弁護をすることはないのではないかと思っている。被害者支援を弁護士としてのライフワークの一つにしているからである。
 こうした態度を中途半端と言われそうなところはある。犯罪被害者支援をするから刑事は一切やらないという弁護士もいるからである。
 ただ、事件というのは一方だけの事件をしているとどうしても偏りが出るので、刑事を一切辞めてしまうと被害者支援事件においても悪い影響が出るのではないかと自身で考え、刑事事件は引き受けた以上出来る限りのことはしている。被害者がいる事件もあるが、被害者に配慮した弁護活動をしようとはしている。
 裁判員裁判対象事件を引き受けると、いきおい重篤な被害が発生した事件が入ってきそうであり、困っているところである。

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2008年5月13日 (火)

不当要求に対する対応

 不当というか法的にまかり通らない請求を企業や個人がされることがある。
 こうしたときの対応としては、毅然として義務のないことは支払わないとか応じないということに尽きる。

 私も職業柄、暴力団関係者などが相手方になり、不当な要求をしてくることがある。全て何を言われても「出来ません」「無理です」としか答えないが、中には、「先生、あいつのいうことを聞いていたら恥かきまっせ。」とか、「今やったら穏便に済ませられるけど、そんな態度やと恐ろしいことになりまっせ。」というようなことを言ってくるものもいる。
 しかし、これはそうした不当要求をする輩の常套文句であり、私は「どんな恥をかくのか教えて欲しいから教えて下さい」とか「どんな恐ろしいことが起こるか教えて下さい。録音してますから後学のため。」ということにしている。

 一般の人は、何かあるのではないかと不安にさせられて支払ってしまうのであるが、支払ったが最後、カモであると見られてどんどん要求はエスカレートする。
 民事暴力対策委員会というようなものも弁護士会にはあって、民事暴力の事件を多く手がけている弁護士もいる。弁護士に相談してくれた方が絶対に安上がりであると思う。
 私は特に民事暴力事件が多いという訳ではないが、毅然とした拒否に尽きると思っている。

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2008年5月12日 (月)

弁護士と発言

 弁護士になってから問題のある相手方や、本当にどうしようもない依頼者に怒鳴ったことも数々あるが、言葉だけには気をつけてきた。
 私のボスが言葉が上品な人であるし、言葉一つで大げんかになることもあるため、ヤミ金融に対しても丁寧語で話をしてきた。中には相手がヤミ金融だと、「ボケ。カス。アホ」となどいう弁護士もいるようである。私はそのような言い方は絶対にしない。淡々と丁寧に話しをするように心掛けている。

 特に電話は相手の顔が見えないので発言がエスカレートしやすいという意味で危険であるし、メールも同じことがいえるようである。
 一般的にもそうなのであるが、余計な恨みを買わないように、失礼な発言は避けるべきであろう。

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2008年5月 9日 (金)

読書日記5月9日

今日は夕方滋賀県で聞き取りをする予定がキャンセルとなったので祇園に飲みにもいけず。
ここ最近の読書日記。

海音寺潮五郎「武将列伝 戦国揺籃編」。絶版になっていた海音寺の武将列伝の新装版である。中古本紙上ではもの凄い高値がついていたので、購入しなくてよかった。限られた字数の中で海音寺が武将について語っていく。歴史好きであればこれははずせない一冊である(というか源平編とか他にもいろいろ新装版で出ている。)。

C.J.ボックス「神の獲物」。海外ミステリーである。アメリカで絶賛され、新人賞なども総なめにして、向こうでは今第8作までが出ているということで購入してみた。読み物としては悪くないが、名作ミステリーに比べると設定が甘いし、ミステリーの大原則を破っている点が私からすれば容認できない(そういう意味では本格推理ではないのかもしれないが…)。気軽に読む読み物としてはよいだろう。
 ちなみに、海外ミステリーで私が最高傑作と思っているのは(正しくは海外サスペンスかもしれないが)、ウィリアム・アイリッシュの「幻の女」である。

 司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」。秀吉が起こした朝鮮役の際に島津家によって韓国から連行された人々が、島津の領国でどのように生き、どのように故郷を思ったかを書いた作品外2つの短編が収められている。司馬先生は本当にエピソードを描くことが上手い。
 詳しくは一読されたいが、随所に描かれているエピソードを読めば、故国から連行された彼らの悲哀に心ある人は泣くであろう。
 細川ガラシャの生涯を描いた「胡桃に酒」も秀逸である。細川幽斎の息子である細川忠興はその妻ガラシャを愛するあまり家臣や外の男にガラシャを見られることを嫌い、ガラシャを見た庭師を切り捨てたという逸話が残されているほどガラシャを愛したとされる(これを愛と呼べるかは別として)。この狂気の忠興を随所にエピソードを入れながら描いている。

 司馬遼太郎ほか「司馬遼太郎の日本史探訪」。司馬の本ばかり読んでいるが、それほどためになるのであるから仕方がない。NHKで放送されたテレビ作品の中での対談をおこした本。松本清張とか様々な大家やこの中で出てくる歴史上の人物の子孫も対談相手として登場する。
 この中で、司馬は、「新撰組は本当に強かった。尊皇志士が京都で偉そうに歩いていても、向こうから新撰組が来たら皆蜘蛛の子を散らすように路地へ逃げた。治安警察としては世界最強ではないか。その中でも土方歳三は怖かったそうだ。」という趣旨の発言をしている。

 信州歴史時代小説傑作選第1集「武将列伝」。信州にゆかりがある武将の物語を集めたハードカバーである。一つ一つは短編なのでそれなりの時間があれば読める。お勧めは司馬遼太郎が後藤又兵衛と真田幸村を描いた「軍師二人」と、池波正太郎の「信濃大名記」である。

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2008年5月 8日 (木)

木の芽時

 木の芽時には精神的におかしくなる人が多い。
 春先は1日の気温の変化が急激であったり(日較差が大きい)、日によって夏のようであったり冬に戻ったかのような気温になることがあるため、これが肉体的なストレスとなって、自律神経を乱して精神に影響を及ぼすとする説などがあるが定説はないように思う。しかしながら、春先は弁護士会の苦情相談やおかしな相談者が法律相談に訪れることが多いというのが実感ではある。

 どこからどう考えてもおかしな相談であっても、本人にとっては重大事と思いこんでいるから、「病院に行った方が早いですよ」というようなことは絶対にいえない。本人が抱える問題に解決策を示してあげられる事件もあるが、前提が思いこみであったりするので、そもそも事件とも成り得ないこともある。
 また、相談室は密室であり、私などは男性だからまだいいが、女性弁護士などでは恐怖を感じることもあるのではないかとも思う。
 昔はおかしな人がいると、「木の芽時やしな」とよくいったものであるが、最近は若い人だと「何それ?」という顔をされることもある。
 いつまでが木の芽時であるのか私も正確な知識はもたないが、もう少ししたら梅雨が来て、その後は暑い暑い夏である。

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2008年5月 7日 (水)

衣替え

 最初にコートを着だして最後まで着ている私もとっくにコートを着ないようになったが、いい加減冬物のスーツでは暑いのでゴールデンウィーク中に衣替えをした。

 夏場は汗をかくので多少痩せるせいか、夏物に替えたては少しお腹がきつい。
 履けなくはないのだが、きついのである。夏が近づくと、そのうちちょうどよくなってくる。
 冬場は動物は脂肪を貯めるように出来ているのである。
 それなりに弁護士をしている期間も経ったので、夏物も冬物も少しずつ作ってある程度所有しているのだが、作った時期によってサイズや形が少しずつ違うので体型が変わると作りかえる必要が出てくる。
 スーツは仕事道具であるので、これはやむを得ない。あまりみぼらしい格好も出来ないのである。
 私は仕事を離れると無類の面倒臭がりであるので、スーツを作りに行くのも面倒である。そのため、同じところで作ることにしている。といってもダーバンであるが。今もっとも合っているスーツの型を見てもらえば、ズボンを履いたりしなくて済むからである。

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2008年5月 6日 (火)

110番通報に…

 今朝の読売新聞を見ていると、110番通報に本来の通報ではない通報が多数入り時には回線が詰まってしまうこともあるという記事が出ていた。「ゴキブリを駆除して欲しい。本当に困っている」とか、「雨が降ってきたので傘をもってきて欲しい」とかおよそ考えられないような通報というか要望を警察にしているケースが多いようである。
 学校に考えられないクレームや要求をしてくるモンスター・ピアレントが問題となっていたが、同じ範疇に入る要求ではなかろうか。

 このようなことを書くと、オジサンになってしまったことを露呈するようであるが、日本人の美徳が急速に失われていっているように思われる。自己主張をあまりしないとかいわれてきた日本人であるが、個人主義や新自由主義が美徳のようにいわれるようになって、自己主張が激しくなってきたのであろうか。しかし、ここで指摘されているケースやモンスターピアレントのケースは、「自己主張」ではなく、単に「我が儘」というか「非常識」な主張に過ぎないことは明白であろう。

 他人をバカにする若者達という本を以前このブログで紹介したが、そこでは若者は教育の過程で運動会などで順位がつかなくなってりして他者と比較されることが少なくなってきているため、自分の力に過度の根拠のない自信を持ってしまっているがために、自分は何者でもないにもかかわらず、自分にはすごい力があり、他人は全てバカだと思ってしまっているというような分析がされていた。
 このような非常識な要求をすることも、「自分は特別だ」という気持ちの表れなのであろうか。あるいは違う社会的背景があるのか。

 私は士業の一つ弁護士をしているが、「士」とは武士の「士」であり、武士の定義は何かといわれれば、プレジデント社の「信長」というハードカバーの中で隆慶一郎が「恥アル者」であると定義している説に絶対的な賛同をしたいと考えている。

 私は、日本人の気質の一つにこうした「恥アル者」を賛美するというところや、陰徳を美徳とする心情、自己主張はあまりしないが、心底まで征服されない(諸外国から多数の宗教が入ってきたが、多くは日本化されて異質のものに変化されているとされる)粘り強さ、津本陽の「名をこそ惜しめ~硫黄島魂の記録」に象徴されるような国土や家族、国民を守るという土壇場になれば信じられないほどの粘りで敵に立ち向かう勇敢さなどがあると思っているのだが、最近の新自由主義信奉や個を強調する世情はこうした日本人の本質を変容させつつあるのではないだろうか。数千年にわたり変容することがなかった日本人的気質というようなものは生き残ることは出来るのだろうか。

 戦国ブームだという記事を少し前に書いた。戦国をブームとするのであれば、やはり士の心意気というようなものも学んで欲しいと思うのは私だけであろうか。

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2008年5月 5日 (月)

ゴールデンウィーク

 ゴールデンウィークというのはたいていの人にとってありがたいものであるだろう。だいたい学校や仕事の年度始まりは4月であるから、4月で環境が変わることが多い。環境が変わって1ヶ月でまとまった休みがあり心と身体を休ませることが出来るのはありがたく通常はここで英気を養うことになるであろう。
 ただ、ここで気が抜けることが5月病の原因になっているのではないかとも時々私は考えることがある。気を張って新しい環境になじみだした途端にまとまって休みがあるので気が抜けてやる気がおきないということもあるのではないだろうか。

 4月の頭には数多くの学生やサラリーマンがあふれているのに、ゴールデンウィークを過ぎれば元の多さに戻っているように感じるのは私だけであろうか。学生は大学の授業をさぼり出すせいかとも思うが、サラリーマンは出勤時間は変わらないはずである。
 5月病のせいで辞めてしまう人も多いのではないか。

 私はといえば、働きだしてからも5月病とは縁がない。
 今はだいたい暦通りに出勤しているが(多少は仕事を持ち帰ることもあるが)、勤務弁護士の時代はだいたいいくつかの休みをつぶして出ていたことが多かった記憶である。
 また、勤務弁護士時代は谷間の日は事務員が交代で休みを取ることが多かったので、ボスも他の勤務弁護士も休んでいることがあったが、数年経つと事務所の中で手持ち事件が(ボスよりも多かった)もっとも多くなった私は谷間の日も出勤していた。
 今は谷間にも期日が入ることが多くなったが、昔は裁判所もここには期日は入れようとせず、だいたい空いていたので起案をしようとしていたことが多かった。

 しかし、いざ出勤すると、私以外に弁護士がいない日に限って事務所事件で「今ヤクザから取立に遭うから今日これから行っていいか」とか「仮差押を頼みたい」などという相談が入り、結果的には手持ち事件を増やしてしまい、さらに忙しくなったということもあった。
 その姿を見ていた事務員からは、真面目に出勤したことでさらに仕事を増やして(しかも事務所の事件であるから私は定額の給与であることから自分は潤わない)しまった私に同情してくれていた。
 しかし、事務所から給与をある程度もらっている以上、事務所に貢献することが当たり前だと先輩方から常々言われていたこともあり、そのことは苦にはならなかったし、来たことを悔やむ気持ちもなかった。
 仕事とは本来厳しいものであり、事務員は予定があまり入っていない以上休むことは事務所内の合意でそうなったのだからよいが、弁護士がゴールデンウィークの谷間だからといって休むことの方がおかしいように思われたからである。ボスに関していえば、おそらく私が出勤しているので何かあっても何とかしてくれるだろうと思っていたというところもあったであろう。
 ただ、ボスや他の勤務弁護士にそれを強要しようとは思わなかったのであるが。 仕事に対する姿勢というのは自分にとってのものであり、他の人に強要するということには限界があるであろうと思っていたからである。
 
 このような考えで仕事をしていたし、今もそうなので基本的に事務所にいる間は仕事のことしか考えていないし、基本的に話題も仕事のことばかりであり、事務所内にいる間はおもしろみはないと思う。
 ただ、弁護士として仕事に対して厳しい姿勢を持っていれば、当然にそうなってしまうと思うし、ほとんどの弁護士はそうであろう。それが専門職であるということであり、プロというものである。
 五月病になっている暇などないのである。

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2008年5月 2日 (金)

間違った見通しをいう弁護士

 相手方弁護士で、間違った見通しを依頼者に話ししている弁護士がいることがある。そういう弁護士に限って、証拠の検討などもしていない。
 私は時々、「証拠を見られていますか」と聞くことがあるが、「見ていないけど過大請求です」などという恐るべき回答が返ってくることがある。

 訴訟前の交渉で間違ったアドバイスをしているために相手方依頼者も支払う意思がないため、仕方がなく訴訟をすることになる。
 裁判所が和解勧告をすると、相手の弁護士の見通しが誤っていることが判明して、依頼者は「話が違う」として怒り出したあげく、辞任したりするのである。

 見通しをはっきり言い過ぎる弁護士はこちらにとっても事件解決が出来なくなるので怖い。相手の依頼者にとっても同様であるし、こちらの依頼者にとっても同様である。
 

 

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2008年5月 1日 (木)

ドラクエ

 人間は何もしなくてもストレスがたまっていくと何かで読んだ。ストレスフリーのような状態(たとえば大自然の中でゆったり)に置かれていてもストレスはたまっていくということである。そのため、人間は何かストレス解消法を持たなければいけないのである。ストレス解消に共通しているのは、そのことをしている間何も考えず夢中になれるということではないかと思う。
 また、人間は何かをしないではいられないように本来出来ている。浄土真宗は当初流行らなかった。親鸞は念仏さえ唱えれば往生出来るということから、信仰する方からすれば物足りなかったのである。それが戦国時代前に布教の天才でもある蓮如が登場して一気に布教の幅を拡げるのである。後に織田信長と抗争を繰り広げる一向宗の基礎はこの蓮如が作り上げたのである。

 少し話題が逸れたが、弁護士の仕事も他の仕事同様ストレスはたまる。ストレス解消のためにゲームをしている弁護士はけっこう多い。
 少し前に任天堂のDSでドラゴンクエストⅣがリメイクされた。懐かしくなって購入したが、少しの合間でも携帯ゲームだと出来るのでDSが流行る理由が分かった。これもゲームをしている間嫌な事件のこととかを忘れられるからである。
 中学~大学生の間に、ドラクエは1から4までしていたので、懐かしくなりドラクエ1から3までを買い込んできて年末年始にやっていた。ドラゴンクエスト3などは高校生の時に意地になってレベル99まであげたことを懐かしく思い出しながらプレイ(ちなみに、レベル99までいくと、最後の大魔王も素手で倒せる)した。

 その後ドラゴンクエストⅤとドラゴンクエストⅧをプレイした。Ⅷなどはほとんどアニメであり、技術の進化に驚かされる。ストレス解消も重要である。当然、仕事はきちんとしたうえでのことであって、巷でよくある「ゲームが生活の第一」で、仕事もしないというのは本末転倒である。

 読書、ゲーム、サッカー、釣り…。ありきたりな趣味ばかりなので、何か珍奇な趣味を見つけられないか模索中でもある。
 

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