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2008年7月31日 (木)

依頼者に対する相談

 依頼者に対する報告と連絡と相談は弁護士にとって重要であるとどこかで書いた。
 
 たまに知人の弁護士が懲戒を受けた時に相談を受けるので、必要があって懲戒事例を読むことがあるが、ほかのところまで読んでしまう。
 依頼者に相談なく和解をしたなどの理由で懲戒されているケースが割合多いことに驚く。
 少し毛色の違うのでは、そもそも依頼を受けていなかったというケースもある。親族が来て「やって欲しい」というので本人に会わず受任(これを受任といえるかともかく?)しているケースなどは、そもそも事件処理についてすら本人に相談をしていないだろう。

 事件は弁護士のものではなく依頼者のものであるから、依頼者に相談することなく事件処理をするなどというのは考えられないことである。事前に包括的にこの範囲であれば和解してよいというように同意を得ていることもあるが、これとても依頼者に相談の上決めている。
 弁護士が「この内容だと和解したくない」と思っても、諸般の事情により本人が了解されるケースというのもある。このときも弁護士が意地を張っても仕方がないというのが私の基本的な考えである。リスクの説明、メリットデメリットの説明、今後の展開の可能性を説明し、それでもご本人が弁護士があまり勧められない方向で和解をするというのであれば、それは致し方のないことである。

 時々、弁護士が依頼者のいうようにしてくれないという苦情相談を聞くこともあるが、「それは無理ですわ」という無茶な要望もあれば、「どうしてこれを聞いてくれないのか」という要望もある。コミュニケーションがうまくはかれていないのかもわからないが、基本はやはり依頼者に相談して依頼者に決めてもらうことが大原則である。

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2008年7月30日 (水)

弁護士と契約書

 今は職務基本規程で弁護士が事件を受任したときは契約書を作ることになっているが、どこまで実践されているであろう。以前に依頼していた弁護士を解任したいとか費用が高いとかというクレーム相談を聞くこともしばしばであるが、その際どのような契約をしているか聞こうとして「契約書はありますか」と聞くと作った覚えがないということが割合多い。

 一定の場合には作成が免除されるし、私も簡易な文書作成や簡易な交渉や顧問先の場合には作成しないこともある。しかし、たいていはやはり作成している。作成しない場合も費用の説明は必ずする。
 どこまで依頼を受けたのか、報酬はどの範囲で取り決めたのか等明らかにするためにはやはり依頼者との契約書は必要である。

 弁護士の報酬は御布施と言って弁護士の仲間からはひんしゅくを買い、最後は詐欺の被疑者となり不起訴にはなったが弁護士業を廃業した元大物弁護士は御布施だから契約書は作らないのかしらん。

 依頼者には紛争防止のため契約書を作成するようにとアドバイスしておきながら、契約書を自らは作成しないというのでは、説得力がないのではないかと思うのである。

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2008年7月29日 (火)

黒田官兵衛

 戦国時代中期から末期の武将である。播州の小寺氏の家老であり、一時期は小寺官兵衛と名乗っていたが、後に小寺家が織田氏に背き滅びた後、黒田姓に復している。

 官兵衛はあふれるばかりの知略の持ち主であり、早くから信長が天下を制すると見て主君を説いて信長に近づいた。その後秀吉の播州平定戦などで功を立てている。
 竹中半兵衛とは極めて昵懇であったとされる。互いの秀吉をも超える知謀を認め合っていたのであろう。
 秀吉自身、自分の能力に極めて自信を持っていたようであり、信長からもその能力を絶賛されるのであるが、どうも半兵衛と官兵衛には及ばないことを自覚し、そのことに対して嫉妬をしていた節もある。

 官兵衛は知謀の人というイメージが強いが、荒木村重が信長に反旗を翻した際、これを説得するために有岡城(伊丹城)に赴いたところ捉えられ、湿気の多い牢屋に閉じこめられたが節を曲げなかったという一面もある。このため、官兵衛は皮膚病になり右足が曲がらなくなり、頭はじゃり禿げになってしまった。
 後に天下を取ったあと、秀吉は官兵衛のことを「ちんば」(注 差別的意図はない。歴史的事実を記載するための引用である)と呼んでいたが、これはその時の災難によるものである。

 本能寺の変が起こった時密使から信長の死を聞いた秀吉が呆然としているのを見て、「ご運の開かせたまえる時でござる。」と叱咤激励をして秀吉を正気に戻した話は有名であるが、秀吉の心の中をあまりに適確に見通すということで、その後は疎んじられたようである。心の動きをいつも適確に見通されるというのは、確かに気持ちのいいものではあるまい。自分の能力に自信のある秀吉であるから余計にそうであったであろう。
 三国志の中でも、曹操よりも知謀が優れていると自負していた楊修という武将がことある事に曹操よりも自らの知謀が優れていることを誇ったため、最後に曹操に殺されている逸話がある。
 官兵衛の働きに対して、12万石しか秀吉は与えなかった為、周囲が不審に思い秀吉に進言すると、秀吉は、「ちんばに高禄をやれば天下を取りよるわい」と苦々しく言ったという。

 秀吉が自分の死後誰が天下を取るかと戯れに聞いたところ、皆、蒲生氏郷や家康、前田利家の名前を挙げたが、秀吉は笑って「ちんばめが取りよるわ」と言ったという逸話も有名である。それほどに秀吉にその知謀を恐れられていたのである。

 関ヶ原の戦いが起こった時、黒田家の主力は皆息子の黒田長政に率いられて東上していた。官兵衛は、これまでに溜め込んだ黄金で農兵を傭兵として雇い、瞬く間に九州の西軍方の城を落としていった。
 官兵衛としては、九州を制圧して、その兵力で中央に討って出て、東軍・西軍の覇者と天下分け目の戦いをする意図であったようであり、関ヶ原の戦いは長期化するという見通しであったようである。

 しかし、関ヶ原の戦いは9月15日(私の誕生日)のわずか1日で終わり。これを聞いた官兵衛(既にこの頃隠居して如水)は兵を引き、家康にその成果を引き渡したのである。
 戦後家康は黒田長政には恩賞を与えたが、如水には与えようとしなかったので側近が進言すると、家康は、「あの老人、誰のために働いたものやら」とぼそりと言ったという。
 関ヶ原の戦いは黒田長政が家康の為に裏切り工作などをした為の勝利であり、家康は長政の手を握り「将来決して粗略には扱うまいぞ」と何度も礼を述べた。

 長政は、如水にその時のことを得意げに話をしたところ、如水は誉めることなく「ふうん。家康公が握っていた手はお前のどちらの手であったか」というので、長政が「右の手でございました」と答えたところ、如水は「その時お前の左手は何をしていたのだ」と言った為、長政は呆然としたとされる。
 家康の為に犬馬の労をとっても、家康が天下を取れば黒田家は一大名に過ぎず、徳川家の顔色を窺ってみなければならない状態になることを如水は見越していたのであろう。
 後に如水は、「ただ1人の息子であるが、長政を捨て殺しにするつもりであった」といったという。如水は長政をあまり買っていなかったということでもあろう。

 その後は城下町で子どもと遊ぶことを何よりの愉しみとし、隠居生活を貫いた。
 その後京都の伏見で死んだ。
 享年59歳。

 参考文献 海音寺潮五郎 武将列伝
        司馬遼太郎 播磨灘物語
       他多数

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2008年7月28日 (月)

心の闇

 人間の心には闇がある。「こういう性格」とレッテル付することが流行っているが、海音寺潮五郎は、そうした性格というものは小説の中だけのことであり、「現実の人間というものはもっと複雑であり、様々な性質が混在している。豪傑肌の人が意外な神経質のところをもっていたり、神経質だと思っていた人が思い切ったことをしたりするものだ」ということを言っているが、明言である。さすが海音寺。
 海音寺は、また、人間の性格や性質というものも、生涯を通じて同じではなく、良いときと悪い時期があるということもいっている。これまた明言である。

 事件を見るときに、生の人間の営みを相手にするものであるから、そうした人間性というものについても考えざるをえない。また、人間の心には闇があるから、その闇の部分についての検証が必要である。
 そのため、仕事中は嫌なことだが、私も様々なことを考えている。

 仕事を離れると超がつくほど単純な人間なのだが、仕事中の私は様々なことを考えるので、嫌な人間であると自分でも思うのである。これは私の二面性であるといえようが、トレーニングされた弁護士は皆似たり寄ったりではなかろうかとも思う。もちろん、仕事を離れても大変嫌な性格の弁護士もいるだろうが(私がいい性格と言っているのではなく、単純であると言っているだけである。)。

 毛利元就があれだけ謀略を尽くしたのに人望があったのは不思議といわざるを得ないが、武将として謀略を尽くす時の毛利元就と、プライベートな毛利元就は全く違った人であったのではないかと最近思う。謀略をしていない時の毛利元就は、愛すべきところが多々あったのではないか。
 秀吉も悪人といえばこれだけの悪人もいないし、謀略の天才ともいえるが、そういうところを離れた時には極めて魅力に富んだところがあったのであろう。
 真田昌幸も謀略の天才であったが、秀吉にはコロリと参ってしまい、九度山で日々秀吉の肖像画を拝んでいたとされるから、よほどの魅力が秀吉にはあったのであろう。

 最近の性格のレッテル付ブームを見るにつけ、こんなことを考えてみたりしたのである。

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2008年7月27日 (日)

真田信幸

 真田信幸は、高名な真田幸村の兄である。
 信幸は家康と父の昌幸が秀吉の仲介により和解した際、本多忠勝の娘を家康の養女とした上で婚姻している。
 関ヶ原の戦いの際、信幸は幸村と昌幸と決別し、家康方についた。これは昌幸が真田の家を残すためにしたともいわれているが、真相は不明である。

 関ヶ原の戦いで昌幸・幸村親子は秀忠の軍勢をさんざんに悩ませた。そのため、秀忠は合戦に遅滞するという失態を演じ、家康は数日間面会しようとしなかったとされる。
 戦後、昌幸・幸村親子は死罪を与えられるところであったが、信幸の必死の嘆願の結果、本多忠勝も家康にとりなしを頼んだことから、九度山での蟄居処分に減刑されたのである。

 その後信幸は、信之と名を改めたようである。昌幸・幸村の名前に「幸」があることから、徳川幕府をはばかったのであろう。幸村も、史料の中では信繁とのみあるが、兄が「信幸」から「信之」に改名した際、逆に「幸」の字を入れて「幸村」と改名したともいわれている。

 九度山では時折昌幸と幸村は信之に金の無心をしていたようである。そのような手紙も残っている。
 信之という人は、後の行動を見るに、人間的には父の昌幸や幸村を超える武将であったのではないかと思われる。ただ、大阪の陣における幸村の戦いぶりがあまりに見事であったがために、その名があまり今日に知られていないのである。

 大阪の陣には信之は参戦していない。幸村との内通を疑われたのだともいわれ、「弟と戦いづらいであろう」という家康からの好意によるともいわれているが、江戸で留守居役であったようである。家康はこの信之が気に入っていたようである。家康は、この時点で幸村の天才的戦術家としての能力を知らない。彼は昌幸が存命していて、大阪城に籠もればやっかいなことになるという認識があった程度である。しかし、信之は、幸村の天才的軍事能力を知っていたであろう。この点においては、信之は全く幸村の足下にも及ばなかったであろう。

 大阪の陣が終わった後の信之の心中はどのようなものであったろうか。幸村が名を馳せれば馳せるほど、その後の真田家にとってはつらいのである。徳川家からの風当たりが強くなるであろうからである。そのようなことも分からず、自分の思うがままに生きる弟を見て、信之はどのように思ったであろうか。そのような弟を応援する気持ちがあったろうか。それともそのような生き方をする弟に対する嫉妬か。あるいは苦々しい気持ちか。

 秀忠の代になると、幕府からまず国替えを命じられる。国替えといっても実質取れ高が低い国への国替えで、明らかに秀忠の嫌がらせである。秀忠は生涯関ヶ原における失態を苦に病んでいたようで、「真田」嫌いなのである。この国替えに対し、信之は「ありがたき幸せ」といわざるを得なかった。苦衷推してはかるべしである。

 その後、信之は90歳を超えるまで生き、一度隠居した後にも藩政を見なければならないような事態にもなったし、幕府からの圧迫もあったのだが、いずれもこれをしりぞけて見事真田家を生き残らせている。その生涯は、真田家を存続させることに対してのみ精力を使ったといってよいであろう。外様でしかも秀忠に嫌われながら、幕府からのあら探しにも耐え、真田家を存続させた力量はある意味では昌幸・幸村に勝るとも劣らないものである。
 真田家は明治まで存続し、子爵となっている。

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2008年7月26日 (土)

尋問

 何年弁護士をやっても尋問は疲れる。
 どれだけ準備をしていても現場で考えなければいけないこともある。反対尋問などは特にそうだが、依頼者や証人も打ち合わせをしていても現場で緊張して中々答えられないこともあるので、そのような場合には現場で答えられるように尋問を瞬時に組み直さないといけない。
 その意味で、あまり尋問事項を固定的にして作成しつくしてしまうと現場での思考が停止する。
 司法試験の論文で、答えを事前に確定してしまっている人が、典型例からちょっとひねられると思考停止するというのと同じといえる。
 司法修習時代に、研修所で尋問をするときは、こう答えたらこっちというように、もの凄い枝分かれしたチャートのようなものを作って尋問すると東京の弁護士が講義をしていたことを覚えているが、今となってはあの弁護士は尋問は下手だっただろうと思う。
 相手方となって、企業法務をたくさんやっている事務所の弁護士は法廷経験が少ないためか尋問がうまいと感じた人は今まで1人もいない。やはり場数というものが必要なのだろう。

 相手の尋問中も、放っておくと誘導尋問をされてしまう可能性があるため、メモをとりつつ異議を述べる機会を探しつつ、とったメモを反対尋問で聞くところを赤のボールペンで書き込んだりしている。あまりにひどい誘導尋問は裁判官が止めてくれることもあるが、やはり相手方代理人が異議を述べるべきである。
 最近は陳述書方式が流行っているので何でも誘導する弁護士がいるが、争点に関わる部分はやはり一問一答式で聞くべきである。これは裁判所の認識もそうであろうかと思われる。

 若い頃は尋問ではベテランの裁判官からも叱られたこともあって、それらも糧となっているが、叱られないにこしたことはない。
 
 そのためには、やはり頭をクリアーにしておく必要がある。
 だいたい今は尋問の前日は酒を出来るだけ飲まないようにしている。酒を飲むと眠りは深くなるようで実は浅くなるので眠りが足りないと頭がクリアーにならない。
 尋問の前にはあまり予定をいれず、頭が疲れないようにしている。
 (それだけ気をつけているのにたいした尋問をしていないではないかとつっこまれるかもしれないが、まあ準備をしないとよけいひどくなるということで…。)

 後は昼からの尋問では食べ過ぎも要注意である。眠くなる。
 特に相手の尋問がだらだらしていると眠くなる。

 尋問は疲れるので、夏ばてなどしていられないし、冬場は風邪を引いているどころではない。
 体力はやはり重要である。

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2008年7月25日 (金)

名前を使われる

 たまに、変な電話がかかってくる。
 「○○ですけど、僕の話聞いてくれてはりますか」というような電話である。
 意味がわからないので聞くと、知人を通じて私に相談をすることを依頼したというのである。
 もちろんそのような話は聞いていない。

 おそらく、間に入って私に相談してあげるからという話を持ちかけて、費用を騙し取っているのであろうかと思うが、私自身は間に入っているという人に会ったこともないので真相は不明である。

 そもそも、相談しているのに会ったことがないということがおかしい。私は相談を聞く際は基本的に本人と面会する。
 特に、依頼を受けている場合は、本人に会わずに事件を受任しているというようなことは絶対にない。
 本人が動けない場合、近江今津まで行ったこともあるし、病院に入院中の人に会いに行ったこともあるし、木津の自宅であまり動けないお爺さんに会いに行ったこともある。
 意思確認はそれほど重要だからである。
 親や配偶者が「本人がいいと言っています」ということで代理人として行動したが、「代理権がない」ということで懲戒になった弁護士はけっこういるのである。

 仮に私が忙しいから中々会えないなどといって代わりに相談してきてあげるとか、代わりに行って依頼してきたなどという話があったら、真っ赤な嘘であるので注意して欲しい。
 業務妨害罪に該当するような気もするが、電話してきた人もどこの誰か名乗らないし、間に入った人もよくわからないので、真相は不明である。

 本人確認という意味では、全国に広告を出して、日本のどこの多重債務事件でも受任するという東京などの事務所は本人確認が甘いだろう。
 他人を騙っている人は見抜けないと思う。電話と郵送だけで依頼を受けている事務所もあるやに聞くが、第三者だったらどうするねんと思う。
 よく懲戒にかからないと思うが、何か特殊な確認の仕方をしているのであろうか。
 

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2008年7月24日 (木)

法曹人口問題の議論

 最近、新聞報道で法曹人口問題についての議論がされている。

 中々難しいのは、弁護士が増えたとしても、今の医療の分野と同様、へき地や困難な事件を受ける担い手が増えるとは限らないことである。
 競争社会になり、費用が低廉となるという意見もあるが、「安かろう、悪かろう」という傾向になることだって考えられる。自由競争をすればよりよい方向に行くというのは、アメリカでは既に破たんした説でもある。

 弁護士が増えすぎれば、費用的にペイしない事件や、公益的な仕事は誰もしなくなるだろう。そういった仕事をするよりも、会合に出て人脈を拡げるとか、ホームページを充実させるとか業務拡大に時間を割くことは容易に想像出来るからである。

 町村官房長官が、日弁連の意見書を批判していたが、中身も見ていない批判であることは丸わかりである。全く議論がかみあっていないのである。
 そのような人間が官房長官の地位にあるということじたい、日本の政治がお寒い状態であることの証左であろう。
 実体を把握していない意見を聞くと、弁護士は霞を食べてでも生きていけるというのであろうかとも思ってしまう。

 紛争のただ中に入っていく仕事であるから、相手方や依頼者から恨まれることもあり、業務妨害を受けた弁護士は意外なほど多い。どれだけ依頼者のためを思ってしても、悪態をつかれることもある。
 所得についても、莫大な収入がある弁護士もいるが、一流企業に勤務している同世代の方がよほど取得がある弁護士の方が多い。しかも自由業であるから老後の保障は何もないのである。一般的にいうと、医師の方がはるかに高所得である。
 普通の所得が得られる程度の職業にはしておいてもらわないと、益々なり手がいなくなると思うのであるが、町村官房長官の言いぐさだと、「赤字になっても弁護士はやれ。世間一般よりも低所得になったらええやないか」といわれているような気もする。
 同世代が遊んでいる時に、1日8時間から10時間の勉強を数年して、司法試験に合格する為にはそれなりのインセンティブも必要だと思うのである。
 所得も低所得で、過当競争状態で潰れる弁護士は潰れろとか突き放されると、かえってこれから勉強しようかという人は意欲がなくなるのではないか。

 1週間お金がなくて毎食カップヌードルを食べていたという東京の若手弁護士の話をどこかで読んだ。
 もちろん自由業であるから経営の為の努力は必要であろうが、あまりにも過当競争状態におかれると、おかしなことをする弁護士は多数現れるだろう。
 国はそれでもいいというのであろうか。まあ、彼らは弁護士を依頼するとしても、それなりの紹介者のツテもあるだろうから、心配はいらないか。

 時々、驚くようなひどい弁護活動をしている弁護士に出会うことも事実であるが、依頼者の方はそれがひどいかどうか判断する術がなかったりもする。前がひどい弁護士で、次に依頼を受けた時に普通に業務をしていると、「前の先生と全然違いますね。話しも聞いてくれるし、報告もしてくれるし、どうしたらいいか相談してくれるなんて感激です」などといわれることもある。
 これらは当たり前の話であり、たいていの弁護士はそのように業務をしているはずであるが、中にはひどいのもいるということである。

 結局最後に割を食うのは国民である。

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2008年7月23日 (水)

犯罪被害と国家の責任

 犯罪被害を受けた人というのは、落ち度がない人が大半である。
 こうした犯罪被害を受けた人が蒙った損害を被害者やその遺族本人に負担させてよいのかというのが根本的な問題としてある。
 犯罪がこの世から消えてなくなることはないであろう。悲しいことではあるが、机上の空論を述べていたとしてもどうにもならない。
 壊れ窓の理論のように、社会的に犯罪が発生しないような周辺環境を整えることは出来ても、それで犯罪が全てなくなる訳ではない。

 犯罪被害が被害者の落ち度なくして発生するものである以上、誰しもが被害者となりうる危険性がある。JRの駅で突き落とされた男性も、自分がそのような被害に遭うとは想像もしなかったであろう。
 その意味で、誰しもが被害者になりうるのであるから、犯罪被害の蒙った被害を社会全体で支える仕組みが必要だと思うのである。
 何度かこのブログでも書いたが、私が犯罪被害者支援に関わるようになったことも偶然である。たまたま弁護士会の法律相談に来られた人が深刻な犯罪被害を受けた方であった。弁護士としても私はまだ駆け出しであった(別に今偉くなった訳ではないが)こともあったし、その頃は被害者のために法律は何もないといって等しく、乏しい証拠資料で検察審査会に不服申立をせざるを得なかった。その事件は責任能力が問えないとして不起訴となっていたからであった。
 結果として検察審査会での不服申立が通り、再捜査の末一転して起訴となった。
 新聞でも相当報道され、この事件をきっかけとしてテレビにも出演した。
 今は不起訴になった事件であっても、ある程度の記録を謄写することが出来る。隔世の感がある。

 しかし、犯罪被害者に対して、法制度が整ってきたとはいえ、これを真に社会全体で支える仕組みというものは構築されていないと思うのである。
 犯罪被害が蒙った全ての経済的・精神的損害を補償する制度がないのである。
 被告人に対して判決を取得したとしても、それはただの紙切れでしかない。
 世の中では、判決が出たらそれで被害回復がされたかのように誤解している人もいるが、被害が回復されたといえるためには、判決によって認められた損害が現実に支払われなければならない。
 しかし、被告人には通常資力はなく、支払われることはない。一部支払われる制度はあるにはあるが、大変お寒い保障内容である。

 犯罪被害による補填を国が代位して行ったとしても、国家予算の中の割合でいえばたかがしれているはずであり、真剣に制度設計を考えれば可能なはずである。無駄なところに予算を割いて、票の獲得ばかりに走る現代の政治家に理念はあるのであろうか。

 私は犯罪被害については、国家が代位して支払い、その後に国家が被告人等から回収する制度を作るべきだと前から述べているが、「ムシャクシャして」何の関係もない人を殺害するという事件が発生することを見るにつけ、1日も早くこうした制度が構築されることを望むのである。
 その回収することについて、国が弁護士に費用を支払って委託すれば、新たに公務員を雇用する必要もないと思うのである。
 

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2008年7月22日 (火)

腰痛

 土曜日のサッカーの練習で張り切りすぎた為腰を痛めた。
 翌日田辺署まで歩いたのも効いていると思う。

 座っていて立つときとか、「はうっ」となる。タクシーから降りるときとかがつらい。
 昨日は安静にしていたが、ずっと寝ていると固まった感じになる。
 とりあえず田辺の駅前のマツモトキヨシで高橋克也が宣伝しているフェイタスローションを買って塗っていたのだが、劇的には効かない。

 ということで、今日は弁護士会のビアパーティであるのだが、事務所の近くで食事をすることに変更する。可視化のための行進もあったのだが、この腰では歩けない。

 年に1、2度腰が痛くなる。捻挫のようなものなのであろう。
 土曜日に35度の猛暑の中張り切ったつけが来たというべきか。普段の不摂生か。
 テンションも下がる7月の日々である。

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2008年7月21日 (月)

読書日記7月21日

 司馬遼太郎の播磨灘物語を全巻読み終えた。
 少し前にも書いたが、黒田官兵衛の物語である。
 この人物については、一部の読者に好評で、一部の読者に不評の武将についてのブログでまた書きたいとも思うが、司馬の作品は一つ読むとまた一つ人間について考えさせられる。
 経営者にアンケートを取るともっとも読まれている歴史作家は司馬ということが今発売されているプレジデントという雑誌に書かれているが、それも宜なるかなという感じである。
 多忙な合間を縫って読書をする習慣は必要である。
 本を読まないということは人生の90%を無為に過ごすといってもよいような気がするし、限られた時間で経験できることは有限であるのに対し、本は隙間時間に他人の経験や考え方を体現出来るからである。

 松本清張「佐渡流人行」。新潮文庫から出ている短編集の一つであるが、歴史小説集でもある。松本清張の知識も本当に膨大なものがある。司馬同様、どこからこれだけの史料を探してくるのだろう。
 松本清張の作品でも人間がもつ心の闇や、人間の怖さ、人間というものが訳の分からないところがあるというところが描かれている。
 このあたりの人間叙述が薄っぺらい作家が最近流行作家としてもてはやされているが、読む側の能力が落ちているのではなかろうかとも思う。
 女性というものが魔を秘めているところを描いた「佐渡流人行」や、丹羽長秀という一般にはややマイナーな武将を描いた作品が秀逸である。
 やはり本はいい。

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2008年7月20日 (日)

休日の当番弁護

 今日は休日の当番弁護士だった。午前10時から12時までが担当。
 しかし、私は被疑者国選弁護士の名簿にも登載しているので、10時から16時までは被疑者国選事件が発生すると受任しないといけないという状況であった。
 
 9時半くらいに事務所に入り共同でしている事件の書面の案がデータで来ていたのでそれを手直しして送信するとちょうど10時になったので、弁護士会の休日の担当事務局に電話をすると、早速に田辺警察に出動依頼があったとのこと。
 「田辺かあ。遠いわい」と思いながら事務所を閉めて京都駅へ。あまりよく経路が分かっていなかったのでJRの奈良線沿いにあるのかと思って京都駅に着くとどうも違うようである。携帯で調べると近鉄の急行に乗って新田辺で降りるのがもっとも早そうである。

 ガタガタと近鉄電車に揺られて、新田辺で降りて地図を見る。
 いつもの私の悪い癖だが、地図上ではなんとか歩けそうな気がした。地図上では距離は10センチほどであり、縮尺も書いていないが、たぶん近いはずだ。そう考えて歩き出した。私はあまり近い距離を乗る為に駅で客待ちをしているタクシーに乗るのは嫌なのである。
 事務所を出る時に軽い鞄に代えておけばよかったのだが、通勤に使用しているたいてい何でも入っている鞄で来てしまった。しかも当番弁護士用の書類がたくさん入っているファイルも入っているのでとても鞄が重たい。
 しかも、歩けども歩けども警察署が見えない。だいたいで歩いていたが道は間違っていないはず。向こうが暑さでゆらいで見えてくる。中国が西域と呼んだ幻の楼蘭国を目指したキャラバンもこうして向こうがゆらいでいたのであろうか。
 汗が滴ってくる。昨日はサッカーの練習で、今日は当番弁護で二日連続汗だくである。
 サッカーの時は頭から水をかぶるとか頭にバンダナを巻くとかも出来たが、さすがにそれは出来ない。暑い。

 これだけ汗をかくと、8×4しないといけない(持っていないけど)かもと思いながら歩く。
 不安になっていると折から日傘を差した品の良さそうな女性が歩いていたので、声をかけて(ナンパではない)、警察署の場所を教えてもらった。
 その品の良さそうな女性は気の毒そうに、「警察はだいぶ先ですねえ。あの信号のもう一つ先の信号を越えて少し行ったところです。」と教えてくれた。

 があん。陽炎のように遠く見える信号。嗚呼。せめて鞄を変えてくればよかった。
  しかし女性は親切に少しだけ駅への近道を教えてくれた。丁寧に御礼を言って歩き出す。
 途中で自販機でウーロン茶のペットボトルを買い、飲みながら進む。
 そうこうするうちに、何とか汗でぼとぼとになりながら警察にたどりついた。

 ちなみに今日はあまりに暑そうなのでスーツを着る気になれず、足元は素足にスポーツサンダル(購入価格2980円)、上はティーシャツの上にシャツをはおり、パンツはハーフパンツというどこからどう見てもリゾートファッションである。どう見ても警察に接見に行く姿ではない。ただ、私は夏の休日の当番弁護士は13年間だいたいこういったスタイルである。
 だって暑いじゃないか。弁護士だって暑いんです。
 おかげで私の足の甲はサンダルの形に毎年焼けるのである。

 汗を滴らせながら警察に入ると、とうていこのリゾートファッション姿の男が弁護士には見えなかったのか(毎年夏場の当番弁護士の時はそうなのだが)、不審そうに見られてしまった。
 名刺を出して要件を告げると、疑われず面会室に案内される。
 「駅から歩いてきました」というと、案内してくれている警察官は、
 「歩いてですか。歩くと相当ありますからねえ。」
 とちょっと驚いた風であった。
 これで熱中症で倒れたら労災かしらん。今度社会保険労務士のSさんに聞いてみよう。

 接見は1時間以上かかり、警察を出て、来るときに見つけておいたバス停を見ると素晴らしいことに全く本数がない。タクシーを呼びに戻ることも考えたが、今日は汗をかく運命なのだと腹をくくり、再び歩き出した。

 事務所に戻ると2時過ぎであった。歩きすぎて食欲もなく、まだ昼飯も食べていなかったので、コンビニで買ったスパゲティ(前夜のチューボーですよ!!でトマトとナスのスパゲティを作っていた印象が強かったので、昼は当番の出動がなければ、イタリアンレストランにでも行ってスパゲティを食べようと前夜心に決めていたのだが、トマト&ナススパゲティはコンビニにはなく、仕方なくカルボナーラで我慢した)とおにぎりで貧しい昼食。いわゆるラーメン&ライス同様、ダブル炭水化物の昼食である。

 事務所には勤務弁護士のKも来ていた。Kはセキュリティのカードを忘れて警報を鳴り響かせた挙げ句、私の携帯や自宅にまで「Kという人は大丈夫な人ですか」とセコムから電話がかかっていたのでKが来ているのは知っていたのだが。

 その後は出動がなかったのでちょこちょこと仕事をして、4時過ぎに事務所を出た。

 田辺の事件は結局引き受けることになったので、また新件で刑事事件が入ったことになる。
 刑事事件好きのKに主任になってもらおうと思いながら、帰り道ガッキー(新垣結衣)の新しく出たCDを買おうかどうしようか悩みつつ、帰路についたのであった。

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2008年7月19日 (土)

裁判所は夏休み前

 裁判所も夏休みがある。夏期休廷期間というもので、裁判がこの間は開かれない。
 悠長なようにも思われる向きもあるかもしれないが、半分ずつ休むので、急ぎの案件は当然対応する。
 裁判官はこの間ずっと休んでいるのかというとそうでもなく、夏期休廷期間に入る前に終わった裁判の判決を書いていることが多いそうである。裁判官の夏休みの宿題のようでもある。

 夏期休廷に入る前は裁判所も裁判を詰めて入れる傾向にあるので(これは年末と転勤前の3月にも同じ傾向がある)、いきおい弁護士の方も忙しくなる。
 そのような訳で今週は忙しかった。
 あまり予定に余裕がなく、こういう時は私も人間であるからイライラしてしまう。
 特に木曜日はほぼ1日証人尋問で疲れた。その後は私が事務局長をしている弁護士会の委員会の会議の主催が続き、木曜日は仕事が出来なかった。
 金曜日も午前中は大津で家事の調停があったので午前中が潰れて、戻ってきて裁判に一つ出て2時から数時間他の事務所で打ち合わせであった。
 その後、金曜日の夕方からは懇意にさせてもらっているH法律事務所の皆さんと伏見まで食事に行く約束があったのでそれまでに仕事を終わらせるべく頑張ったのだが、依頼者に対して送る期日の報告文書や裁判所に送る経過の報告書などを作成していると私だけが遅刻してしまった。
 企業などもCEOがもっとも忙しいといわれているが、法律事務所でもだいたいそれは同じであるといえる。私の元ボスも還暦を過ぎられたが、いつもバタバタされている。
 そして今日は京都法曹サッカー部の月次練習があったので、気温34℃、熱中症重大警報発令中の中、1時過ぎから5時前まで練習をした。
 あまりに暑いので人が少ないかと思っていたが、20人ほどが集まった。皆一様にアホである。
 おかげでもともと黒いのだが、焼けこげてしまった。お肌が痛い。ひりひりするのである。
 明日は当番弁護士であるので、明日は朝から仕事である。
 しくしく。忙しい。

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2008年7月17日 (木)

自分に対する縛り

 自分に対していろいろと縛りをかけるというのは、難しいようでいて実は簡単ではなかろうかという気もする。
 誰かから「これだけしていればいい」といわれてその枠内で縛りをかけて物事を捉えていくというのは厳しい戒律のようでいて、それを正しいと信じてそれに従っていさえすれば、本人は自分で悩んだり考える必要がないから安心ということもいえるであろう。
 そういう意味では自分に縛りをかけることもある意味では楽ということも出来る。

 非常にいい教義を説いていても、その宗教に入って何をすればよいかと教祖に聞いた時に、「何もしなくてよい。ただ祈ればよい」とか「自分で念仏を唱えていればいい」とだけ教えても宗教は流行しないということを「逆説の日本史」の中で井沢元彦氏は書いておられれる。一向宗が蓮如が出てくるまでは全然流行らなかったことをひきあいに出している。
 人間は何かをしたいものだからであり、教義で縛りをかけて何かをさせられる方が安心するところがあるからという。

 修行を積んだ禅宗のお坊さんは物事に囚われなくなり融通無碍な境地にあるともいわれているが、悟りという境地はどんな境地なのだろう。
 物わかりのいい上品なお爺さんには絶対になりたくなく、意地悪なジジイになりたい私としては悟りは開けそうにない。

 生きていく上で他者を傷つけることのない自分に対する縛りであれば、それは効用があると思うが、その縛りによって他者を傷つけ、他者に対してその自分に対する縛りを押しつけるようでは、その縛りは本当にいいものではないのであろうと思う。

 これは私の戯言であるので、論争などはいどまないよーに。

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2008年7月16日 (水)

歴史シミュレーションゲームあれこれ

 私の周囲にも歴史ゲーム好きは多いが、私も好きである。ゲームをしている間は何も考えないので、これは一つのストレス解消になると思っている。もちろん、ゲームがメインになり日常生活が従になってしまってはいけないが。

 最初にやったゲームは横山光輝原作の三国志をベースに作られたファミコンの三国志か、コーエー(当時は光栄)の三国志か信長の野望全国版であった。横山光輝の三国志は、戦争において弱い武将が率いる軍勢が全くものの役に立たず、1人でも強い武将が相手にいると全滅させられるという可能性があるという意味でゲームバランス的にいかがなものかというところがあった。
 信長の野望・全国版はパソコンで爆発的ヒットを飛ばした作品のファミコンへのリメイクであったが、配下の武将もおらず、敵の大名を暗殺出来たりと今から思うと「トホホ…」という内容であった。いくらやっても勝てず、借りた友人から、「上杉でやると勝てる」といわれて上杉謙信でやったところ勝てた。このときは後に上杉謙信に惚れ込むとは思っていなかった。
 最近パソコンで廉価版で出ていたので購入したが、10分でやめた。最新版の信長の野望・革新と比べるとなんというアナーキーなゲームであったろうか。
 コーエーの三国志は信長の野望全国版に比べると配下武将もいて、弱小勢力でも戦争で火計を使えば大逆転出来たり、強い武将が何人かいれば敵をタコ殴りに出来るという爽快さもあるという名作であったが、これは忠誠度99の武将でも何回も引き抜きをしていると配下に出来るという裏技があり、とにかく強い武将を集めればよいという抜け道もあったところが弱点であった。
 これも最近パソコンで廉価版で出ていたので買ってみたが、三国志11という最新版をやった後の私からするとやはり「トホホ」な内容であった。頑張って3時間ほどやったが、それ以上は忍耐が続かなかった。

 その後、歴史ゲームがたくさん出てきて、お金の許す限りやっていた。ファミコンで「不如帰」というゲームがあり、これは戦争が本当にその時の運で決まるという恐ろしいゲームで(別働隊を出せるのだが、その別働隊が相手の背後とか横を衝かないと勝てないのである。しかし別働隊は道に迷ったり、霧で出せなかったりと頭の痛いゲームなのであった)、外交で各地の戦国武将を簡単に配下に出来るのだが、次のターンには裏切るという恐ろしいゲームでもあったが、当時大学生で暇もあったので、10回は違う武将でクリアした記憶がある。
 メガドライブというのをアルバイトの費用で買い込んで、「天下布武・英雄達の咆吼」というのもはまってやっていた。
 これは二大勢力が育つように仕組まれていて、最後は大体関ヶ原的に二大勢力での決戦となるのだが、相手の退路の城を落として逃げ道を塞いでしまうと野戦に勝てば相手の武将は全員討ち死にするという裏技があった。武将達がかなり話すゲームで、明智光秀を引き抜こうとすると「反逆されまする」とかいって3人くらいの武将が止めに入るという細かい設定までがされていた。メガドライブから出ていた三国志もやりこんだ。

 そのほかにも今から考えるとどうにもならないような歴史ゲームもいっぱいやった。「斬」と「斬スピリッツ」「斬3」という「斬」という戦国時代シミュレーションゲームは、ゲームバランス的にとてつもなく壊れていた。しかし、出る度に買ってしまうのである。これを出していたところが出した三国志のゲームも異常なほどの壊れようで、さすがの私もこれらのゲームはクリア出来なかった。

 コーエーの出している三国志シリーズと信長の野望は当然全部やっている。
 しかし、最近は信長の野望も三国志も少し経つとパワーアップキットというのが出て、全ての設定を自由に出来てしまうのである。これが出るともうだめである。自分のところの兵士とかお金とか兵量とかすべて自由に設定できるので、内政をしなくなるのである。

 あとは天下統一というシリーズも全部やっているが、この作品もバランスは悪い。しかし買ってしまうのである。
 最近はマックでのみやれる歴史ゲームに興味があったこともありマックを買ったが、これらはとてつもなく期待はずれであった。

 そのほかにも今思い出せないが、山ほど歴史シミュレーションゲームをやってきた。

 こう書いてみるとアホほどゲームに時間を費やしている…(他にもドラクエとかのゲームもしているし)。
 現実逃避をやめて書面を書こうっと。

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2008年7月15日 (火)

読書日記7月15日

「播磨灘物語」(1)~(3)。司馬遼太郎。現在最終巻の4巻を読み始めているところ。
秀吉に、「あいつに大禄をやれば天下を取る」と恐れられた男、黒田勘兵衛の物語。司馬の作品は最近の歴史小説とは異なり、人物が生きている。それぞれに性格がいきいきと描かれているので、作品として際だったものとなるのであろう。

「デッドライン仕事術」。吉越浩一郎著。祥伝社の新書。トリンプを19年連続で増収・増益に導いた筆者の仕事術が書かれた本。読んでみると、自らは割合実践していることが多かったが、若手弁護士には参考になる記載が多々あるように思われる。
 ある程度の時間を仕事にかけるのは必要だが、「締め切り」を自分で作ることで仕事の効率化をはかるというのは重要であろう。

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2008年7月14日 (月)

日高川のボート釣り

 私の父親は和歌山の御坊というところの出身であり、すぐそばを日高川という川が流れている。
 御坊というくらいであるから、戦国時代の昔は一向宗の拠点であったのであろうが、私も詳しいことは知らない。

 ここのところ行けていないが、小学校くらいから大学まで、日高川にボートを浮かべて、チヌとかメッキとかコチとかをよく釣っていた。
 夏から秋にかけて海の魚が川に上がってくるのである。

 この川では巨大ウナギや、鮎、鯉などいろいろな魚も釣った。
 小さい頃から、私は釣りキチ三平さながら、日高川やあちこちで釣りをしてきたが、この川で釣った回数が一番多いであろう。

 釣りはいい趣味だと思う。
 時々自然と触れる機会がないと、人間はおかしくなってしまうと思うからである。
 京都弁護士会の釣りクラブで一度行きたいのであるが、中々機会がない。

 久しぶりに釣りがしたい今日この頃である。

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2008年7月13日 (日)

土日の仕事

 土日に仕事をしていることもある。
 今週末も仕事をしている。
弁護士会の会議のため先週は舞鶴に行っていた。こういう会務のことで土日に仕事が入ることもある。
 また、仕事が詰まってくると、土日に仕事をしていることが多い。
 仮差押とか仮処分という急ぎの仕事が入ると、土日が潰れる。
 必要な文献とかを平日にコピーしておき、基本的な文献を家に置いていると、自宅でも起案が出来る。私はだいたい自宅で起案している。金曜日と月曜日の朝の鞄の重さを考えるとぞっとするが、自宅と事務所がそれなりに離れているのでこの方が効率がいい。
 打ち合わせが入っていて、そのための検討時間がないときなども土日にするしかない。相手や関係者から出る書面や資料がこちらの準備が十分出来る状態で出るとは限らないが、打ち合わせを入れた以上、こちらがどうにかして検討して打ち合わせに臨む姿勢であるべきであろう。
 事務所に来ないと起案が出来ないというタイプも結構多いようである。聞くと、「まとまった時間が取れないと書面が書けない。中断されるとだめ。」というタイプである。
 私は細切れの時間にすぐに仕事に戻れるタイプなので、自宅でも仕事が出来る。

 どうして細切れでも自宅でもできるか考えてみたところ、過去に自宅で勉強しているときに割合邪魔が入ったからであろうかと思う。高校受験、大学受験、司法試験受験のときも自宅でしていたが、その都度邪魔が入った。

 高校の時は、狭い借家の入り口で、同居していた祖父がガンガン音をさせながら寿司桶を作っていた。祖父は寿司桶などを作る職人であったので、この音がうるさかった。
 音がうるさい中で集中しなければ勉強できなかったのである。
 大学受験の時は、賃貸マンションに引っ越していたが、狭い家で勉強していると、父親がふすまの向こうで、でかい音でナイターをつけたり、漫才を見て大声で笑ったり、演歌番組を見て大声で歌うのであった。これについては文句を言ったし、父親は京都大学に入って欲しがっていたが、基本的に私の父親は言動不一致の脳天気男で、京大に入って欲しいというわりには全く私が勉強するのに協力しないのであった。
 司法試験受験の時は、司法試験浪人のため、自宅で昼間勉強していると邪魔が入らないように見えるが、そうでもなかった。
 まずは猫が攻撃してくるのである。
 勉強している本の上にどっかりと乗ってきて、そこで寝始めるのであった。
 ずりずりとどかせると、またその上に乗ってくるのである。
 猫くらいひっぺがせばよいのではという意見もあるであろうが、これは猫を飼ったものでないとわからない。そうして邪魔をしてくる猫がとてつもなく可愛いと思うというのが猫好きの特徴なのである。
 最終的には私の膝で我慢してもらうのだが、その戦いに30分は勉強が中断するのである。
 その次は祖父の攻撃である。祖父は耳が遠かったので、こちらの思惑関係無しに話しかけてくるので、その間勉強が中断されるのであった。これも15分から30分は話かけてこられた。今でも基本的におじいさんの依頼者の話を聞けるのはこの経験が役立っているような気もするが。

 こうした環境で勉強していたので、たいていすぐに仕事モードに入れるのであろうかと最近思っている。
 とはいえ、仕事モードも時々スイッチを切らないと、人間であるので身体も保たないとも思っている今日この頃である。

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2008年7月12日 (土)

扇子

 暑い。
 京都の夏は暑いといわれる。

 私は札幌で2回夏を体験したおかげで、暑さに弱くなってしまった。そのため、夏場になると私も他の弁護士のように扇子を持ち歩くことになる。

 扇子は何かオジサン臭いようにみえるかもしれないが、ぱたぱたと風を送ると相当涼しくなるし、最近は若者向き(私が若者かどうかはさておき)に割合しゃれた柄の扇子が出ている。
 鞄にはそれぞれ扇子がつっこんであり、事務所披露のもらい物の扇子もあるが、昨年気に入って使っていた扇子が現在のところ行方不明である。私のことであるから、どこかにしまいこんだのかも知れないが、まあリスが森の中に種を後で食べようと思って埋めたのを忘れるのと同様、整理には自信がない私であるので(事件記録の整理は仕事上なのできちんとしているが)、どこに行ったかは全く思い出せない。

 今は禅宗の坊主が好んで書く「円相図」という○が墨で書かれた扇子を持ち歩いているが、この夏の間にあと1~2本は買いたいと思ったりしているのである。

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2008年7月11日 (金)

悩みのない判決

 弁護士をしていると、当たり前だが裁判で負けることもある。
 負けた時に、「負ける前から負けるなあ」と思っている事件と、「微妙だ」と思っている事件と、「負けるはずがない」と思っている事件とがある。

 フィーリングが合わないというか、あたるごとに不利な判断をされるという印象の裁判官もいる。これは、私のボスによると、物事に対する感覚とか考え方が自分と合わない裁判官ということであるそうである。逆にフィーリングが合う裁判官というのもいて、「難しいなあ」と思っている事件でも勝っていたりして、このあたりはよくわからな。

 負けるなあと思っていて負けたとしてもこれは仕方がない。また、微妙と思っていて負けた時は判決の内容次第では納得出来るということになる。負けるはずがないと思っていた事件で負けると、全然納得できないことになる。

 微妙な事案とか、絶対勝つと思っていた事件で負けた時に、不承不承でも納得できる判決とそうでない判決とがある。
 納得できない判決というのは悩みがない判決である。
 すなわち、「これこれの証拠からしたら、これこれの事実が認められる。これに反する○○の供述は採用できない」として、この事実認定からすれば、「これこれの主張には理由がない」と斬って捨てるタイプである。これは意外に多く、弁護士の間ではこういう判決を書かれると困るとしてそうした裁判官は評判が悪い。
 微妙な事案では、負ける方もそれなりの事実や考え方や証拠を出して主張立証している。そうであれば、そうした事件で敗訴させるには、やはり敗訴させる方の主張がなぜ認められないのか、有利と見られる証拠はどう見るべきであるのか等、敗訴する側に一定の配慮が必要だと思うのである。

 裁判官は判決について解説してくれる訳ではないので、そうした「悩んだ」記載がなく、一方的に事実はこうだと書かれても、なぜそのような判断に行き着いたのかという裁判官の思考過程が全く再現できず、そのような判決を貰った弁護士や依頼者は不満ばかりが募ることになる。

 控訴がされないからといって、判決に不満がない訳ではない。費用の問題や時間の問題、労力の問題から控訴を断念される場合もあるし、そのような場合、悩みのない判決をもらった当事者は司法に対する不信感だけが残ることになる。

 一般的な人間は裁判官が考えるような論理的かつ知能指数が高い人間ばかりではない。裁判官は時として自分を基準に考えるが、そのような考えでは誤った判決を書くことになる。
 同じ証拠関係から全く正反対の結果が出ることがあるが、これなども事実や世の中に対する裁判官の考え方が反映されていることになる。
裁判官の胸先三寸でどうとでも判決が書けるということになれば、益々司法に対する不信は募るばかりであり、誰からみても、負けた当事者からしても、「ああなるほどな、負けたけど仕方ないわい」と思われる判決を書くことが裁判官の仕事の一つだと思うのである。

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2008年7月10日 (木)

忙しさにかまける

 私の愛読書に、「用心坊」という漫画がある。これは、禅宗のお坊さん2人のコンビが時に力で、時に法を説いてばたばたと悩みを解決していくという話である。今では絶版で古本屋でしか手に入らないが。
 その中で、忙しさのあまり我を忘れる女性の話が出てくる。

 忙しいという字は、「心を忘れる」と書く。忙しいと心を忘れてしまうことがあるのである。

 忙しさにかまけて、「書面はこの程度でいいや」としてみたり、「締め切りが間に合わないけどこれでいいや」としてみたり、「忙しいから出来なくても仕方がない」とか「忙しいから依頼者にも電話できなかった」といってみたり、「忙しかったから書面がぎりぎりになったけど、すぐに依頼者の方では検討せよ」「忙しくて出来ていない。あんたの事件だけしている訳やないから」といってみたり等々。
 心を忘れた悪い弁護士のすることである。

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2008年7月 9日 (水)

電車の中の携帯電話

 電車の中で携帯電話で話をすることは禁止されているはずだが、けっこう話をしている人がいる。
 イメージだと女子高生が多そうだが、実はオッサンやオバハンの方がはるかに多い。
 これでは、とうてい「最近の若いモンは…」とかいえないであろう。

  電車の中で携帯電話で話をしている人を見ると、「会話に没頭しているタイプ」と、「自分が会話して注目されていることが分かっていて、意識的に話をしているタイプ」とがある。
 後者の方がたちが悪く、わざと大きい声で、いかに自分が大事な話をしているかということをアピールしたりする。
 あえてぞんざいな言葉使いをしたりしてみたりするのである。

 周囲からはアホとしか思われていないのだが、こうしたアホに注意をして、逆ギレされてナイフでも持ち出されたらやっかいであるので誰も注意をしないだけである。
 だいたいこうした電話で話をしている人は、知性のかけらもないような顔をしていることが多い。

 今日もこの世のものとは思えない醜悪な顔をしたオッサンがしたり顔で電車の中で電話をしていた。しかもなぜかビールで巻きずしを食べていた。そしてやたらげっぷをするのである。北斗の拳なら間違いなく一瞬でやられるキャラクターの顔である。
 ビールにご飯は酒飲みの王道とはかけ離れた行動であるところもいただけない。

 私は電車の中で電話がかかってきても出ない。降りてからかけることにしている。
 かけてみると、たいていそれで足りる用事である。

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2008年7月 8日 (火)

読書日記7月8日

 「謙信暗殺」中津文彦、光文社文庫。
 上洛間近に謙信が死亡したのは忍者による暗殺だという設定で書かれた作品。着想自体はよいのだが、文章力については司馬遼太郎などと比較して大変悲しくなる。また、着想を具体化する能力という意味でも大変残念である。信玄と謙信を暗殺した凄腕の信長の忍者という設定で時代歴史小説をかけばそれなりに面白いと思うのだが、忍者による暗殺というのは、人の器の大きさという面で戦国時代でもそれほどなかったような記述があったようにも思う。
 蒼天航路という三国志を書いた漫画(モーニング連載。曹操が主人公)の中で、曹操の威に打たれて赤壁の戦いの際に火薬に着火出来ない兵卒が描かれているが、それと同じようなことであろう。

 「調べる技術・書く技術」野村進、講談社現代新書。本屋で表題が気になって購入。筆者はノンフィクションライターで、ノンフィクションをいかに書くかというマニュアルとなっている。しかし、その姿勢やノウハウは私が弁護士をやっていく上で役立つことも多々書いてあった。私は全部読んだが、若手弁護士は必要なところを拾い読みしてもよいのではないか。プロの姿勢を感じられる好著である。

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2008年7月 7日 (月)

日々の繰り返し

 弁護士になる前は本当に怖かった。自分は弁護士としてやっていけるのか、お金は稼げるのか、様々なことを考えた。やはり公務員の道を選んだ方が安定したのではないかという弱気になったこともある。

 若手弁護士や中堅の弁護士と話をしたり、検察官と話をしていても、やはり相当なストレスはかかるようで、「胃が痛くて、仕事に行く前はもどしていた」とか、「忙しすぎて心臓がバクバクいっていて、このまま死ぬのではないかと思った」というような話しも聞くことがある。
 ある大ベテランの先生は、若い頃事件で出した書類が間違っていたのではないかと気になって、夜中に起き出して事務所まで調べ物にいったこともあると話をされていた。
 経験を積まない頃は、様々なもので調べたり、人に聞いてとかく事件処理について不安なものである。
 私は割合現場に出ると開き直れるタイプだったので、いざ弁護士になってみるとそれなりに若い頃もはったりは効いていたようである。これには声のトーンとか話し方、風貌などの要素も加味されることにはなる。
 しかし、内心はやはり不安との戦いであった。

 しばらくすると、それなりに出来るようになったと思うようになる。今から思うと、思い上がりも甚だしいし、顔から火が出るのであるが、それなりに書面も書ける気になってきて、「俺も出来るようになってきたな」と知らず知らずのうちに天狗になっていた。これは私の周囲の弁護士を見ていても、今の若手を見ていてもそのような傾向にあると思う。自信がついてくるのはよいことなのであるが、慢心とか過信はいけないということである。

 その頃に、やはり鼻っ柱を折られることがあった。これは私の周囲の弁護士を見ていてもそうではないかと思う。何気なく甘く書いた主張とか、尋問の打ち合わせが不十分であったが為にそこを取られて敗訴していたり、相手にうまく反論されたりということがあると、そこで「はっ」と気が引き締まり、過信していたり慢心していたりしていたことに気づくのである。
 事件をするには限られた時間の中での制限はあるが、その中でいかにベストを尽くすかということに尽きるように思う。この事件はこの程度で勝てるとか、この事件はこれくらいやっておけば勝てるだろうとやっていると、ある日突然負けたりする。やはり裁判は甘いものではないのだと今でも思う。

 ただし、そうだからといって、事件を受任したり法律相談をしなければ実力は伸びていかないと思う。時間の許す範囲で、国選刑事もやり、ボスの法律相談はほとんど変わっていっていた。それが今役立っているところもある。

 しかし、個人の事件を受任する時や委員会の仕事やその他の仕事をするときに心掛けていたことは、「事務所の事件を最優先する」ことであった。
 給与を貰っている以上、事務所の事件を最優先にすることは当たり前であり、それがプロであると諸先輩方から修習時代にも、弁護士になってからも教えてもらった。事務所に貢献していなければ、どれだけ弁護士会の仕事をしても、個人的な事件をしても評価されないのである。
 自分の事件をするときには、皆が帰って静かになった事務所で破産事件の申立書を作って疎明資料のコピーを自ら作っていたことも多々ある。それは、日中は事務所の仕事で手が一杯であったからである。個人の仕事を日中して、事務所から配転された事件が間に合わないとか、手が一杯であるというのは仕事に対する「甘え」であると教えられた。

 おかげで、私が所属している血族的会派の中でも、「事務所に貢献して頑張った」ということをいって貰えて、割合大きい顔をしていられる。もちろん大きい顔をしたいからといってそうしてきた訳ではなく、それをするのがプロであると思ってたし、そう教えられたからである。
 昔は4月に弁護士登録であったので、9月が来て半年近く経つと、「カムトゥセプテンバー」といって、4月には甘甘の顔をしていた新人弁護士も一人前の面魂を備えてくるといわれていた。
 最近は宅弁とか即独の人が増えてきたというが、教えられる人がいないと中々そうした
面魂にはならないのではなかろうか。あるいは逆に厳しい環境で早くに面魂を備えるのであろうか。 

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2008年7月 5日 (土)

ブログの怖さ

 他の人のブログを見ることがあるが、「よくこんなこと書くなあ」というブログがけっこうある。
 赤裸々にその日にあった出来事が書かれていたり、他人に対する文句が書かれていたりする。
 ブログは公開されているものであるので、偶々であれなんであれ、書かれた当事者がそのブログを見ることだってあり得る。あえて本人の目に触れることを期待して書いているというのであれば別であるが、たぶんブログを書いている本人としてはそこまでの認識はないのであろうかと思う。
 本当に自分のパソコンの中に思ったことを書いているのではないのであり、インターネット上で公開されているのである。
 私ももっともっと書きたいことがないではないのだが、それを公開して情報発信したところで何になるというのかという気持ちもある。
 また、単に自分の感じたことを書いてあるだけのブログなどもある。

 長崎の司法修習生がブログで取調の様子を書いて問題となったが、その人にもそうした認識が甘かったのであろうと思う。
 法律家の守秘義務は重く、その点を軽々しく考えている点で法律家には向いていないと思う。また、こういうことを書けばどういうことになるかということも考えられずに書くということは、法律家として書面を書くという作業に向いていないことになる。法律家が書く書面は、相手の反論も考慮した上で、他の自分がしている主張と矛盾していないか等吟味して書くものだからである。だいたい、若手弁護士の書面はそうした吟味がなされていないことが多い。自分が書いた書面の中で矛盾があるということは、全く事件について考えていない証拠である。

 ブログを書くことに何を求めているかであるが、私がブログを書き続けるのは、一般の人に弁護士の実像をしって欲しいこと、若手弁護士や修習生に弁護士としてどうしていくべきかを知ってもらうための足がかりとなって欲しいこと、私自身がブログに書くことで頭を整理でき、自分に対する戒めともなることなどが理由である(この目的と異なる記事もあるが、まあそれは私が好きでしていることだし私のブログなので許して下さい)。
 単なる日記代わりにブログをするのであれば辞めた方が無難である(特に法律家は)。
 

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2008年7月 4日 (金)

運気が落ちる時

 弱り目にたたり目というが、運気が落ちている時というのは確かにある。
  これは全ての人に共感出来るのではないだろうか。

 逆に何をしてもうまくいく運気に乗っている時もある。
 弁護士の場合でいうと、事件でいけば勝ちまくり、新しい受任事件もたくさん入ってくるというようなときがある。

 これはどうしてそうなのかが分かれば、本を書いてミリオンセラーになるであろうし、巷にもそうした本は出ているが、表題からしてマヤカシ的作品であるとしか見えない。そんな真理が簡単に得られるようであれば、禅宗の坊主や戒律の厳しい宗教で一生かかって神や仏の真理を探究していいる人たちの人生を否定することになる。

 こうなる理由を考えてみると、一つには、弁護士として運気が落ちる時というのは知らず知らず自分で事件の筋を考えている時に固定観念にとらわれてしまっていたりしている場合がありうる。弁護士も人間なので、調子のよい時にはどうしても調子に乗ってしまう。そうすると、どうしても検討がおろそかになっていたりするが、中々本人としては気づかない。
 私は過去、若い頃に調子づいて事件の見通しについて甘く見ていた為に失敗したこともあるので(何とかリカバー出来たが)、そうした気持ちは少しずつなくなってきたと思う。

 ただ、そうした本人が調子に乗った結果失敗したような場合ではなく、すべきことを全てせい一杯しているのに結果が出ないで、どうしようもない結果ばかりが押し寄せる時もある。
 そんなときはじっとして、運気が戻るのを待ちつつ出来る範囲の努力をするしかないのかなと思うのである。
 これから暑くなる矢先に寝室のクーラーが突然壊れて生暖かい風しか送り出さないなどということは避けようがないのである。
 しくしく。

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2008年7月 3日 (木)

新株発行無効の仮処分

 個人の依頼者ばかりではなく、法人の依頼者もそれなりにいるので、たまに難しい論点の事件をすることもある。先日は新株発行無効の仮処分を申し立てられて、無事勝訴できたので、弁護士向けに表題ブログである(たまには法律論も書かないと)。

 多くの中小の株式会社では、株式の譲渡に取締役会の承認を必要としている。ところが、中には中小企業であるのに、そのような承認を必要としていない場合がある。
 こうした会社を公開会社という。
 時価よりも低い払込金額で株式の募集をする場合には、株主総会の特別決議を要するが、時価よりも高い払込金額で株式の募集をする場合には、取締役会における決議のみで新株発行を行える。
 公開会社においては、個々の株主の議決権比率維持の利益は保障されず、それよりも株式の募集による資金調達の便宜を優先させることにしているということになるのである。

 株式の時価について、上場会社であれば格別、非上場の場合、その時価が問題となる。
 裁判例上形成されてきた上場企業に対する議論は妥当せず、公正な価額の判定はさらに困難を伴う。ただ、多くの中小企業では、帳簿の棚卸しをすれば、実勢の株式価格を純資産方式で計算すれば0円ではなかろうかと思われる。
 この点、株式価額の算定方式としては、配当還元方式、収益還元方式、類似業種比準方式、取引先例価格方式、純資産価値法、変動加重平均方式(折衷方式)など各種のものがある。しかし、算定方式のいずれを採用するかによって金額が大きく異なるときがある。算定根拠については、裁判例上も一定していない。
 このようなことからして、新株発行が「特に」「有利な価額」というためには、これら全ての計算式によっても有利発行といえる場合でなければならないとする文献もある。

 一般に新株発行は、資金調達の目的でなされるものであり、返済の必要がないことから借入に比べて有利ではある。しかし、多くの裁判で、資金調達目的ではなく、現経営陣が自派に株式を割り当てて経営権を支配することが本当の目的だとして、議決権割合が低下する株主から、「著しく不公正な」新株発行であるとして差し止めの仮処分が出されてきた。
 そもそも、新株の有償発行は株式会社に現実の資金流入をもたらし、会社に具体的な資金需要があれば、もっぱらこれを補うために新株を発行すること自体正当な目的であり、取締役会による新株発行権限の適正な行使ということになるから、資金需要が具体的にあれば裁判所は不公正だという判断をしていないようである。

 また、近時の裁判例では、新株発行が複数の目的を持つものである場合に、当該新株発行の主たる目的が何であるかという主要目的ルールに従って判示している。
 支配権獲得目的といわれる場合は、多くは公開買付ではなく、第三者割当の増資の場合であるが、その第三者が、元々当該増資をする法人と関係が深い場合には、関係強化のためということで目的が正当化される傾向にあるようである。

 判例上はそれほど多くの事例がある訳ではない。私の事案も判例雑誌に載らないかなと思っている。
 事案によるので、裁判も勝ったり負けたりであるが、勝つとやはり弁護士としても気分はいいものである。

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2008年7月 2日 (水)

いい加減にしてくれOutlookExpress

 昨日の夜に受信トレイから2007年4月13日から今年の7月1日までのメールが全て消えてしまった。
ネットでいろいろと修復ができないか調べたがどうしようもなかった。9時まで作業をして、今日も朝から3時間作業をしたが修復不可能。修復ソフトもダウンロードしたが全く意味をなさない。
 しかも新しいメールを受信しているようであるのにその新しいメールが表示されない。
  受信した途端に削除しているのだろうか。
 自宅のアウトルックエクスプレスも突然大量のメールが失われたことがあり、バックアップしないといけないなと思っていた矢先のことである。4通くらいは読んでいなかったメールもあったのに。また、受信したまま消えたメールも何が書いてあったのかが分からない。
 しくしく。
 仕方がないので、アウトルックにメールソフトを移行した。
 メーラーでは、ジャストシステムのシュリケンが評価が高いとも言われているが、ネットで調べると様々な制限もあるようである。
 ビルゲイツめ~。失ったメールは99%処理済みであったのでまだ助かっているのであるが…。
 慣れないアウトルックで送受信。
 わざと壊れるメーラーをウインドウズに標準添付して、オフィスを買わせようとするマイクロソフトの戦略ではないかとも疑ってしまうほどである。
 嗚呼。
 おかげで何も仕事が出来ていない。
 嗚呼。
 これほどパソコンに頼り切っている現在の弁護士の仕事(弁護士だけに限らないが)。
 仕事のテンションが一気に下がる水曜日である。
 ビルゲイツめ。

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2008年7月 1日 (火)

個人的正義

 弁護士でも個人的正義で事件をしている人がいる。
 「自分はこれが許せないからしている」というような話がたまにある。

 しかし、弁護士は依頼者の依頼を受けて事件を手がけるのであるから、まず優先されるべきは依頼者の利益である。たまに、他の弁護士に相談している人の相談で、「自分はこうしたいと言っているのだけれど、弁護士さんに話をしても聞いてもらえない」という相談もある。
 もちろん事件の経緯もあるだろうからいちがいにはいえないが、弁護士の意地だとか、個人的正義で事件を手がけられるほど依頼者にとって迷惑な話はないであろう。
 たまに弁護士が相手方に腹を立ててしまい、当事者だかなんだか分からない状態になっていることもあるが、依頼者を軽視しているといわれても致し方がないであろう。

 まだ個人的正義で事件をしていれば信念はあるからましだという意見もあり、依頼者を単に着手金・報酬を支払わせる対象だとしか見ていない弁護士もいることも事実である。
 リスクの説明もなくマイナス要因をいわない弁護士はいずれにせよ危険である。

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