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2008年9月30日 (火)

悪い癖がついてくる弁護士

 1人でやっていると、悪い癖がついてきても分からなくなる。
 では合同事務所だとどうかというと、最後には1人なので、だからよいとはいえない。

 共同で事件をしたり、出来るだけ弁護士同士の会合に顔を出して他の弁護士の意見や話を聞いたりすることが重要ではないかと思う。
 事実はこうである、自分の考えはこうだということで決めつけてくる弁護士も割合多い。
 しかし、生の事実を確認した訳ではないから(それを知っているのは依頼者だけ)、そうしたことも慎むべきであろう。

 けったいな弁護士やなあ…と思っていたら、ある日突然相手方が逮捕された(業務上横領などで)ということも何回かある。どこかでおかしくなっているのだが、本人はそれに気づかないのか、気づいていてもどうしようもないのかは分からない。

 弁護士の集団にいると、やんわりと批判されることもあるが、そうした批判に対して、「何じゃボケー」となるのではなくて、その批判に対しては真摯な姿勢で受け止めなければいけないであろう。
 時には誤った批判もあるにはあるだろうが、自分はこれでよいのかという自己批判の精神は日常的にも必要なことだろう。

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2008年9月29日 (月)

国選報酬

 国選の報酬がちらりとあがった。しかし、微々たるものである。
日本の司法予算は諸外国と比較して大変少額である。国選刑事弁護に至っては、もっとも低い国の2分の1以下である。せめて倍増して欲しいが、法務省は予算を取ってくるのが下手だといわれていて、中々実現しない。

 日本の司法予算は、司法改革をすると叫んだ後もあまり増えていない。裁判官・検察官は増えていない。弁護士だけが増えているのである。その一方で、刑法犯は減り続け、民事訴訟も減り続けている。弁護士だけ増やしてどうするつもりなのか。

 悪い弁護士は淘汰されるというが、それは幻想である。問題のある仕事のやり方でそれなりに営業はうまいのでやっていっている弁護士は数多くいる。
 また、悪い弁護士がたくさん出てきて横領でもされまくった後被害を国が回復してくれる訳でもない。
 増やすからには、国選報酬も諸外国並みにはして欲しいものである。

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2008年9月28日 (日)

エクスパックを利用した詐欺横行

 最近、表題のような詐欺が横行しているようである。
 手口はいろいろだが、融資するためには保証金がいるので、まずは保証金を送金して欲しいとする融資保証金詐欺(そんな保証金がいるならそれをさっ引いて貸し付けてくれればよいのである)であるとか、いわゆるオレオレ詐欺であるとかである。
 過去には他人名義の通帳などに振り込ませることが主流であったが、これだと通帳に支払ったという記録が残り、後を追われたり、他人名義の通帳の譲渡が禁止されたこともあり(これには京都弁護士会が作成した意見書が一役買っているが)、通帳の利用が難しくなっていることが影響しているであろう。

 本来、エクスパックでは現金は送れないのであるが、書類の間に挟んで送るように指示したり(その時点で相当怪しいと思うのだが)、そんなことを知らない人が指示されたとおり現金をこれで送ってしまうのである。
 そして、これだと、まず、通帳と異なり、「支払った」という証拠が残らないのである。
  あとは、相手は私書箱などを利用している為、相手の特定も極めて困難ということになる。
 弁護士も警察も後を追いにくくなるのである。
 もしこのブログを読んでいる人がそうした指示を受けたら、それは詐欺である可能性が極めて高い(広島県警のホームページでは、詐欺と断定している)ので、まずは警察か弁護士に相談されることをお勧めする。
 K藤S一郎君と、意見書を書きたいと思っているところである。年に一度仕事以外の仕事周辺部のことをやる気になる性質なので。

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2008年9月26日 (金)

織田信長(1)

 唐突だが、信長について書きたくなっていたが、中々時間がなかった。
 今時間があるかというとそうでもないのだが、書きたいものは仕方がない。
  いうまでもなく、信長は近世の扉を開いた戦国武将であり、彼がいなければ秀吉はおらず、その後の家康もいなかったであろう。最近は津本陽の「下天は夢か」が大ヒットしたこともあり、信長ブームで、津本陽以降信長本が書店であふれているといっていいだろう。
 最近では、理想のトップ像として語られることも多い信長だが、戦国をよく知る人間からすると、信長は理想のトップというのは言い過ぎであるように思われる。
 信長は、戦国大名としては異例の成果主義を取り入れたことで膨張した。他の戦国大名が門地中心であったのに比べてその点でも中世離れしている。ただし、信長の成果主義は苛烈であり、いささかの容赦もない。さぼる暇が与えられないのである。時に異常な潔癖性を示すことがある。そして自分に必要がなくなった人間に対してはあまりにも冷淡である。
 たとえば、後に安土城を築き、信長が一泊の予定で城を離れたところ、城内の女中が桑の実寺に参詣して遊んだことがあった。ところが、予定を変更した信長が突然城に舞い戻り、女中がいなかったため、信長は怒り、これらの女中を成敗しようとした。助命の嘆願をした桑の実寺の住職とともに斬り殺された。
 草創期からの功臣である佐久間信盛という武将は、天下統一が見えてきた矢先に突然過去の罪状を掲げられて放逐されている。
 仕えるには、大変苦労の多い主君なのである。また、信長は家臣が肥え太ることを臨まず、秀吉などは常に自分の懐に物を残さず信長に献上していた。秀吉は、流浪時代にほとほと苦労したせいか、人間通過ぎるほど人間通であり、功を多く立てすぎると主君から疑われることを知っており、後に毛利征伐で秀吉だけでも戦えるにもかかわらず、信長が来なければ秀吉の手に負えないとして、信長に対し毛利征伐への救援を要請したり、子がなかったため信長の四男を養子に迎えて、「秀吉がいくら大身になっても、それは信長の子に相続される」ことを示してその歓心を買ったりしている。
 功には報いてくれるが、猜疑心が極めて強く、仕えにくい主君であったであろうことは間違いがない。

 信長は合理主義者であるといわれているが、それは彼の相続した領地内に津島という一大経済都市があり、商人性があったためであろう。商売をするには合理性が必要で、後に信長は中世の亡霊である各地の寺社が有していた座の特権を廃止する楽市楽座の制を取り入れているが、これはやはり津島という経済都市をその領地内に有していたことが大きいのではないであろうか。

 信長の最大の危機は、桶狭間の戦いである。桶狭間の戦いはあまりに有名であるので再掲することは避けるが、ここで今川義元を討ったことで、松平信康(後改名して徳川家康)が三河で独立し、翌年に攻守同盟を結んでいる。この同盟は一度たりとも違約することがなかったことから戦国の美談といわれているが、家康に信長に背く能力がなかったことが何よりの原因である(もちろん、三方原の戦いのときには、家康は信長を裏切り、武田家の臣従することも出来たのであるが)。
 その後、信長は破竹の進撃をしたように思われているが、実は隣国の美濃(現在の岐阜県)を攻略するのに8年の月日を要している。信長は短兵急に攻める果敢な武将のように思われているが、それは桶狭間のようなやむを得ないときにだけそうするのであって、実のところは、勝利が間違いなくなるまでは戦争をしない武将なのである。
 その時期が来るまでは、どんな相手にも卑屈になれ、時節到来を待てる不屈の闘志というか粘着力がある。こうした粘着質なところも英雄の条件の一つなのであろう。
 信長は、美濃を併呑したときから明らかに天下統一を意識していた。戦国時代はどの武将もが天下統一をもくろんでいたように書かれることがあるが、むしろそうした信念が明らかに初期の頃からあったのは信長をおいてほかにない。信長のエネルギーは「天下統一事業」というものだけに注がれ、けっしてこれを死ぬまで諦めなかったのである。この信念もまた英雄にとって必要なものであろう。
 彼にこのような天下を統一しようという信念を持たせたものが何であったかについては、議論のありうるところではあるが。

 美濃を併呑した信長に好機が訪れる。
 信長が宿命の対決を強いられる相手、後の室町幕府15代将軍である足利義昭が越前の朝倉義景を見限って、明智光秀や細川藤孝(後に幽斎)とともに美濃の信長に身を寄せたのである。
 上洛という大義名分を得た信長は、北近江を領している浅井長政に絶世の美女と詠われた妹(一説によれば妹ではなかったとの説もある)お市の方を嫁がせて同盟を結び、上洛戦に入ることとなる。

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雨靴

 今朝は激しい雨であった。昼からはあがるようであるが。
 雨の時は高い革靴を履くと傷むので、雨用の靴をもっている。札幌では裏側がスタッドレスになっている冬靴を履いていたが、雨の時も革靴だと底が革だと滑るし雨が浸みてくる。

 私が履いているのはエコーのゴアテックス製のビジネスシューズである。ゴアテックスは防水かつ汗を通す高機能素材である。これを履いていると、雨の日でも安心である。
 多少デザイン的には問題があるが、雨の日の仕事も安心である。

 さて、昨日は修習生の実務修習終了式であった。皆、これからの希望に燃え、晴れやかな顔をしていた。しかし、新司法修習には光と陰がある。卒業後5年以内に3回しか受験できないのである。私は最近この受験制限に怒りを覚えている。意見書でも書いてやろうかと思う。
 ロースクール卒業後、短い期間で受験させてロースクールの線の教育を活かそうということでのことと、合格率を下げさせないための制限であろうが、ロースクールじたい、線の教育が出来ているか否かというのは極めて微妙なところがあるし、合格率などというものは、受験したい人数によって変わる物で、そう気にすることはあるまい。
この回数制限は、法曹を目指すものにとって大きな参入障害となりうる。優秀な人材でも、「3回失敗した時のことを考えなければ…」と思って他の業界を目指すことにもなりうるだろう。機会は平等だというかもしれないが、3回失敗した後のケアが何も考えておらず(さすが理念だけが突出した結果実現された司法改革だけのことはある)、法曹という職業にどうしてもつけない人たちの将来を阻むこととなる。
ロースクール自体を統廃合することはもちろんであるが、受験回数制限ということはやめるべきであると思うのである。

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2008年9月25日 (木)

カフスボタン

 一時、カフスに凝っていた。今も秋から春の間は時々している。夏場は半袖になるのでカフスが出来ないのである。

 カフスもピンからキリまである。いいカフスはとてつもなく高額である。
 若い頃はかわいいカフスをしていた。
 30歳を越えるとかわいいカフスは似合わなくなりシンプルなものをするようになった。
 ダブルカフスのシャツを購入して、折り返してカフスをするのである。

 最近は多少面倒臭くなって中々つけることがないが、秋になってきたのでまたカフスをすることもあるかもしれない。

 

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2008年9月24日 (水)

靴下

 最近はイセタンメンズの靴下をはいている。冬場は薄い靴下は寒いし、だいたいハイソックスを履いているのだが、夏場は短い靴下に替えている。短い靴下でいいのがないのでいろいろ試してみたがスーツに合うものがなく困っていた。イセタンメンズの靴下を伊勢丹で見つけて、履いてみると革靴によく合うのである。
 だいたい気に入ったら同じものばかり履くので、すぐに傷む。そのため、伊勢丹のオンラインショッピングでまとめ買いをした。しかし、このオンラインショッピングでは、同じ靴下を複数買う方法がわからず、一色ずつを複数枚買ったのであった(濃いグレーとブラックが2枚ずつ欲しかったのだが)。
 スーツ姿で白色のスポーツソックスはやはりいただけないが、けっこうサラリーマンは履いていたりする。また、スーツの色又は靴の色と靴下が全く合っていないことも多い。私はだいたいスーツの色に合わせて靴下を買う。

 今日は午前中は依頼者への報告書を書いたり、弁護士会の委員会の議事録を作成していると時間があっという間に過ぎ、お昼は三条京阪のベンチでサンドウィッチをほおばっただけであった。しくしく。
 午後から大阪高裁で事件があり(被控訴人側。一審で勝った方。)、その後大阪の弁護士と事件のことで打ち合わせをした後、弁護士会の入会審査(常議員という委員になると入会のため審査をすることがある)をして帰ると5時。そこから不在の間の電話かけ、郵便物の整理、メールチェックなどをしているともう7時過ぎである。
 自宅でする仕事を持ち帰り、仕事をするのもだるいので松本清張を読む。嗚呼。仕事しないと…。

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2008年9月22日 (月)

寝不足

 土曜日にサッカーの練習をして筋肉痛である(前の晩飲み過ぎた為、思うように体が動かず。飲み過ぎはいけませんね。)。
 土曜日の夜、久しぶりに少し喘息気味になり、寝不足である。
 最近様々にストレスが貯まることが多く、ストレスも引き金になっているであろう。

 日曜日は日曜日で、土曜日の夜寝付かれなかったのでソファーで何度もウトウトしていたため、昨日の夜は寝付かれなかった。
 おかげで今日は眠い。昼寝をして夜に寝付かれないというのでは本末転倒である。
 ストレスが貯まっているのも寝付かれない原因であろう。

 だいたい、私は7時間は寝ないとしんどい。
 1日3時間とか4時間とかしか寝ずに仕事をしている人もいるようだが、1日そのようなことをしたら体を突然こわす。これは体が頑健とかどうとかいうよりも眠りが短くてよいかどうかという体質であろう。

 健康本を見ていると、短い睡眠でも大丈夫な人と、そうでない人は体質的なもので、トレーニングは無理なようである。
 昔3時間睡眠で大丈夫という本を買って実践したが、日中仕事が出来ずに結果的には2日で辞めた。辞めた夜には11時間くらい寝た。17時間÷3で、6時間ちょっとということになり、人が必要な睡眠時間は決まっているようだとそのときも思った。

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2008年9月21日 (日)

読書日記9月22日

「侍はこわい」司馬遼太郎著。司馬の短編集。初文庫化作品も収録されているとのことで購入。人間のおかしみというか、おもしろみを随所にちりばめている。

「深夜特急1~4」沢木耕太郎著。4まで読んで少し疲れて、5と6はもう少し先に読むことにした。著者が26歳の時に突然アジアからイギリスまで基本的にバスで行こうとしたときの旅行記である。若い時に旅行をしたいという衝動を感じる人は多いようであるが、ある意味でいえばそれは甘えた話のようにも思われる。沢木の作品は読んでいて面白かったが、どこか甘えた人間の嘘くささがあるような気がする。
 養うべき親がいたり、病弱であったり、様々な理由でそんな衝動があってもそうした行動を取ることが出来ない人たちからすれば、仕事を放り出して旅行に行くことが出来るという人じたいが特権階級であり、こうした旅行記は甘えの記録そのもののような気もする。ただ、内容そのものは面白い。若い頃に読んでいたら影響を受けたであろう。25歳から働きはじめて、今38歳の私にはその程度にしか響いてこない。

「司馬遼太郎が考えたこと 1」司馬遼太郎。司馬の初期の頃のエッセイ集。新潮文庫から15巻まで出ている。まとめ買いしていたので、とりあえず1巻から読むことにした。司馬の若い頃のエピソードが随所に出ていて大変興味深い。司馬は酒が弱かったようで、出来れば飲みたくなかったであるとか、魚が大嫌いであったであるとか、そうした司馬の嗜好が作品の中にもあらわれているような気がする。池波正太郎であれば、酒と食べ物が随所に出てくるからである(剣客商売シリーズを読んでいるとつい晩酌をしたくなる)が、司馬作品ではそれほどでもないからである。

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ものの言い方ひとつ

 ものの言い方というのは大変重要である。ものの言い方ひとつで、事件が泥沼化することもある。たまに、相手方弁護士の電話でのものの言い方が気に入らないから、戦いたいという話も聞く。
 ちょっとしたことで人間同士の関係が崩れるということであろう。私はとことん闘う相手方でも、なるべくは話を聞こうとしているし、普通に話しをすることにしている。よく、相手方弁護士に電話したら、話も一切聞かず、「内容証明に書いたとおりです」と冷たくいわれたという話も聞くが、一応相手の話は聞くべきであろう。

 ものの言い方に関しては、人に対する怒り方というものもある。私も経営していると、部下に対して罵って怒鳴りつけたい衝動にかられることもある。しかし、叱られたり注意をされる方からしても、そのような叱られ方をしてはやはり同じ人間として面目が立たないであろう。
 そのため、出来るだけ、注意する時は普通の言い方で、注意すべきことだけを伝えるようにしている。
 このときに怒りの感情を込めると言われた方も萎縮してしまうであろう。仕事上の失敗を注意すれば足りるのであり、その人間そのものを否定するようなきつい言いようであるとか、無用に厳しい言い方は何も生まないと思われる。
 失敗した人間は自分の失敗を指摘された時点で認識しているのであるから、傷口に塩をすりこむようなマネは出来るだけすべきではないと思うのである。
 もちろん、経営者にも我慢の限界というものはある。

 この点、注意の仕方も度を超すと、部下に対して地位を利用したパワーハラスメントとなりかねず、違法行為となる。パワーハラスメント行為は民事上不法行為となり、部下に対する慰謝料の支払い原因ともなるであろうし、それが中間管理職であれば、場合によれば懲戒事由になるであろう。
 仕事上もやはり人間同士一定の配慮というか遠慮は必要である。それがない人間はそもそも組織での仕事に向いていないであろうし、そうしたことが出来ない人間はプライベートな部分でも他人とのかかわりの中でうまくいくことはないであろう。
 
 仕事上での注意の仕方ひとつで、社員がやる気をなくとして退社するということは十分ありうる。中間管理職がそのような有能な部下を退社させた場合、管理能力が問われても仕方がない。通常はもっとも我慢しているのは経営者である。自分自身でない以上、自分の思うようには出来ないことが当たり前であるから、ある程度のところで妥協することも人を雇用する上では必要である。もちろん、経営者が暴君の場合は、社員が大変であるが、そうしたところは社員も長続きしない。

 これよりもひどいのが、気分によって部下に対する態度を変えたり、ささいなことで叱責する経営者や上司である。そうした時のものの言い方ひとつひとつが、その人の人間としての評価を下げていくことになる。
 そのような人は、組織の大小にかかわらず、人間の中で仕事をすることに向いていないのである。1人で仕事をする仕事(芸術家などであろうか)をすればよい。一般の社会の中で生きて行くには、人間としてはあまりに大きい欠陥である。
 しかし、心もち一つというか、心がけ一つで是正は可能であるともいえる。もっとも大きい問題は、自分のものの言い方が悪いとわかっていないことが往々にしてあるということである。
 自分ではそうしたつもりがないのに、相手を不愉快にさせた経験がある人は、少し思い返してみた方がいいかもしれない。ただ、えてしてそういう人は、「自分は間違っていない」と思いこんでいたりするが。
 (これは私自身に対する反省というかこうあるべきという記事でもあるので、私が完璧な経営者であるといっている訳ではない。)

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2008年9月19日 (金)

遠回りするタクシー

 先日ある支部のタクシーのことを書いたが、他にも時々わざわざ遠回りするタクシーがいる。
 私の経験上、明らかにそちらに行くと時間がかかり、信号にひっかかるのに違うルートで行くのである。信号でひっかかり、1メーターくらいは増えてしまう。
 全ての乗客にこれをしていれば、1メーター分増えていくであろうが、そのタクシーのブランドの印象は悪くなる。1メーター分のお金はたいしたことがないので、お金の問題のことを言っている訳ではないのである。
 目的地に着く少し前にメーターを倒すタクシーの運転手もいるのに、わざわざ顧客が何も言わないことに乗じて(私も虫のいどころが悪い時には、「何でこっち回るんや?遠回りやんけ」と言ってしまうが)、お金を取ろうとするその根性が気に入らないのである。
 インドなどでは乗り手と運転手との間で激しい価格バトルがあり、騙さない、値切らない方が負けという雰囲気があるようだが(沢木耕太郎の深夜特急によるので、今現在どうかは知らない)、日本の場合は、職人的気質が喜ばれ、こうしたお金の稼ぎ方は嫌悪される傾向にある。
 先日新聞を見ていたら、200万円程度の過払いの回収に170万円もの報酬をとって懲戒になっていた司法書士がいたが、あれとて依頼者の無知につけこんだ汚いやり方である。
 ちなみに、過払いに関しても弁護士によって基準はまちまちである。ホームページで大々的に宣伝している事務所もあるが、広告費をかけてまでしている為、費用は高額になるのではないかと疑っている。
 100万円の消費者金融が主張する元本が残っている事例で、利息制限法という金利の制限をしている法律の正当な利息で計算をやり直した時に100万円が戻ってきたとする。
 この場合、減らした100万円については、私の事務所ではよほどレアケースでない限り報酬は請求しないことにしている。過払いや債務整理の場合の着手金は1件31500円。
 過払いを回収した場合の報酬は、訴訟的前だと16%で、訴訟を提起したら20%である。
 従って、この場合には訴訟をして回収した場合、21万円ということになる。
 100万円の元本が減ったところにも、10%~20%の報酬を取る事務所もあるようで、仮に10%の報酬を取っているとすると、その事務所は、315000円の報酬を貰うことになる。
 私の事務所よりも10万5000円高いということになるが、10件、20件としていればこの10万5000円は事務所経営にとって大きいということになろう。
 私は利息制限法を適用すれば当然に減るので、そこについて報酬を取るのはどうも…という考えがある。このような差異も、依頼者の方からは分からないのである。
 遠回りするタクシーと同じようになってはいけない。

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2008年9月18日 (木)

釣りキチ三平

 先日何となく釣りキチ三平が読みたくなり、ネットで探したが、完全版はどうもないらしい。
 魚ごとにまとめられた名作集のようなものがあり、とりあえず2冊ほど購入した。知らなかったが、平成版釣りキチ三平まで出ているようである。

 フナ編を少し読み、カルデラ湖の青鮒の話を読み終えた。ううむ。こんな巨大な鮒、釣ってみたいものである。

 読書の秋とはよくいったものであるが、マンガも小説などもよく読める。涼しいと集中力が増すのであろうか。

 今は沢木耕太郎の深夜特急の文庫版の1~4までを読み終えて、のめり込んで少し疲れたので、「司馬遼太郎が考えたこと 1」を読み始めた。司馬のエッセイ集である。この1巻の始めはまだ司馬遼太郎は新聞記者であり、小説家となっていく経緯も読むことが出来るのではないかと楽しみである。

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2008年9月17日 (水)

給与をもらっていた頃

 まるで日経の私の履歴書のようであるが(そのうち私の幼少の頃から書いてみようかな。誰も読まないか)、司法修習生にも給与が出るが(そのうち貸与制などなって出なくなるようだが)、弁護士になって初任給を貰ったときは身が引き締まった。
 当時25歳であったので、大学を卒業して働きだした周囲の同級生と比較すれば破格の給与であった。
 給与の3倍は働いて当たり前で、それ以下だと事務所にとっては単なるお荷物となるということを修習時代に酒の席で諸先輩方に言われていたので、弁護士になった一月目から、まずは自分の働き分が給与分を割り込むようなことだけは絶対にしないように事務所の事件を常に何件やっていて、どれだけ事務所に貢献しているかということを意識していた。
 そのうち、給与の三倍どころかもの凄い売上を上げるようになったが、商売という意味ではないが、自分が事務所にどれだけ利益を与えているかということを考えていた。
 それがプロであり、責任であると考えていたからである。
 その空いた時間に国選などをしていたが、事務所の事件が多忙になり、そのうち国選も出来なくなった。法律相談なども絞り、あまり手を広げないようにもしていた。事務所の事件に穴を空けては元も子もないからである。
 こうした考えで仕事をしていると、顔つきも変わってくる。
 昔はカムトゥセプテンバーといって9月になって半年も経てば一人前の顔になると言われていた(言っていたのは私の第1師匠だけだという話もあるが…)。
 最近、若手弁護士の顔を見ても、1年経っても2年経っても一人前の顔をしていない人が多いような気がする(私がオッサンになっただけかもしれないが…)。いつまで経ってもおこちゃまのような顔つきなのである。顔が老けているとか若く見えるとかそういう意味ではない。
 そうした若手を見ていると、事件やお金に対する見方も甘く、世が戦国時代であれば今頃とっくに討ち取られて命はないであろう。
 こういうことをすればどうなるかという先読みの能力というか想像力が足りない若手も多いし、闇の部分が少ないように思う。

 世間ではもの凄い残業をしてボロボロになっても給与が20万円程度ということもざらにあることから考えると、弁護士の業界は恵まれているといえようが、逆にいえば専門家というか能力があるということを前提で高額な給与設定がされているともいえるので、これからは能力がない弁護士は給与が激減されるという時代がやってくるかもしれないし、事務所から放逐されるということも多くなるだろう。弁護士になりさえすればどうにかなるという時代はとうの昔に終わっているようである。

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2008年9月16日 (火)

髪を切る

 この休みの間に実に四ヶ月ぶりに髪を切った。といっても失恋したわけではなく、単に定期的に髪の毛を切りに行くのが遅れていただけである。
 本当は1ヶ月半から2ヶ月くらいで行きたいのであるが、最近は帰り道に行くことにしているのだが、引越やらなんやらで中々時間が取れなかったのである(ここに行くべしと思っていても、依頼者から何とか打ち合わせを言われると美容室の予定をヤメにしていたのである)。
 私は南草津駅前にあるワンダーワークスという美容室で髪を切ってもらっている。私の髪の毛は頭の角がとがっているのでそこが浮いてくるのであるが、ここのオーナーは初めて切った時からそこをうまくカットしてくれている。
 先日行くと、私のブログを見て2人ほどカットに来てくれているようだ(どなたかは教えてくれかったのでわからないが)とのことであった。
 医者も美容室も事前の評判が重要である。
 ここの美容師さんは腕がいいので、近くの人なら是非お勧めである。

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2008年9月15日 (月)

虫の声

 昼間はまだまだ暑いが、朝晩はだいぶ過ごしやすくなってきた。
 昨日の夜に庭に出ると、虫がかなり鳴いている。
 秋らしく風情があると思い、少しの間虫の声を聞いていた。

 虫愛づる姫君という話が古典にあったように思うが、18歳の頃を最後に古典にはほとんど触れていないため忘れてしまった。そのうち古典も読んでみたい気もするが、世界で虫の声を心地よいと聞くのは日本人だけだと何かで読んだか聞いたことを思い出した。
 日本人以外は、虫の声は単なるノイズだというのである。

 日本人の根底に、全ての自然に神仏が宿っているという日本教のようなものが沈殿しており、それが虫の声を心地よく聞かせるのではないかなどと思う秋の夜であった。

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2008年9月14日 (日)

夜店

 いま、沢木耕太郎の深夜特急を読み始めている。この名作はかなり前に知っていたが、若い頃に読んで、下手をして何もかも捨てて旅行にでも行ってしまったらどうしようかと思って中年になるまで読むのを取っておいたのである。今は自分の事務所もあるので、そんな気持ちになっても思いとどまれるだろうからである(ただし、旅行には行きたくなるだろうとは思う)。
 これを読んで、すぐに会社を辞めて東南アジアに旅立ったものがどれほどいたかと考える。

 今はまだ読み始めたばかりであるが、香港の夜の屋台のことを書いたくだりがあり、それを読んでいて、大阪に昔よくあった夜店を思い出した。
 私が生まれてから17年間住んでいたのは大阪城の東で、大阪の中でもそれなりに柄の悪い地域であった。
 夏になると、6のつく日はトキワ通りというところで、8のつく日は本町通りというそれぞれ小さい商店街で夜店が出るのである。トキワ通の方が屋台の数が多かった。
 スマートボールとか、イカ焼きとか、人形の型抜きとか金魚すくいだとか、あてもの(くじを引いて、特等が出たら、一番大きいサイズのガンプラがあたる。今ではたぶん特等は入っていなかったであろうなと思うが、当時はあれが当たったら羨望の的になるなどとわくわくしていた)とか、子どもの心を躍らせる屋台がいっぱいあった。
 私は金魚すくいが得意で、屋台のオジサンから「この子のようにやらなあかん」といわれることがしばしばであった。
 夜店のある時は、お年玉の残りか、親から500円くらいをもらって、その500円をどう使うかを真剣に考えるのである。たいてい100円なので、5回を何に使うかをもの凄く悩みながら屋台を回る。

 ああいう屋台を出している人はテキ屋というのであろうが、そういう屋台も私が大きくなるにつれてどんどん少なくなり、そのうち夜店も開かれることがなくなったように思う。
 たまに京都の祭りの時期などに屋台が出ているが、大阪の夜店のうさんくささがなく、たいてい食べ物を売っているだけであることが多い。また、夜店は夜であるからこその雰囲気があるのでよいのであって昼だと雰囲気が半減する。
 今だと大人になったので、500円といわず、端から端まで全ての屋台制覇とか出来そうである。夜店の大人買い(ただし、リンゴ飴は嫌いなのでいらない)。

 深夜特急の一巻を読みながら、どこかで夜店やってないかなあと思ってしまった。

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2008年9月13日 (土)

読書日記9月13日

 昨日は午前中に免許の更新に行き、昼からは日弁連で開催された国選シンポジウムの中継を弁護士会で聞いていたので、ほとんど事務所におらず、仕事が出来なかった。連休中に金曜日に届いた書類等の整理をするために出勤しなければいけない。火曜日もほぼ1日事務所にいない為、仕事が出来ないからである。

或る「小倉日記」伝。松本清張。新潮文庫の短編集である。幼心にある母が他人と遭い引きしていた記憶の真実を探る「火の記憶」と、「喪失」がよかった。

「大坂侍」。司馬遼太郎。短編集である。表題作は、前にこのブログで取り上げたこともある鳥居強衛門の末裔が幕末に彰義隊に加わる前後を描いた作品である。なお、大阪は、昔は「大坂」と書いた。坂が多かったからであるとされる。

駅路。松本清張。最近は司馬と松本清張の作品ばかり読んでいるが、これも新潮文庫の短編集である。推理小説集であるが、古代邪馬台国のロマンを描いた作品も収録されている。松本清張の資料の読み込みはすさまじいものがある。

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2008年9月11日 (木)

運動と健康

 司馬遼太郎は、覇王の家などで、家康が、「適度な運動が健康によい」ということを知っていたとして、家康が鷹狩りを好んだのは適度な運動をするためであったという趣旨のことを書いていたと思うが、この点でも家康はすごい。わかっていても中々出来ないことをするからこそ天下をとれたのである。
 

 本当に健康にとって運動は大事である。

 運動神経のよい人もそうでない人も、自分に合った運動をすることで健康的になれる。中々そうはいうものの私も日頃運動不足である(サッカーはせいぜい月1程度なので)。
 裁判所と事務所の往復は歩きだが、片道10分程度だし、片側にカバンをかけているので腰にはあまりよくない。リュックサックを買って背中にしょって往復しようかとも考えたが、スーツにリュックサックは私の美意識が許さない。見ていると弁護士でもけっこうリュックサックは多いのだが。他人がしているのは別によいのだが、自分ではいまいちする気になれない。
 右膝半月板を損傷した時には、そうもいっていられないのでリュックサックをしょいこんで歩いていた。脚を悪くすると、脚に障害を抱えた人がとれほど不便をしているかが分かる。
 独立直後に怪我をしたのであったが、それ以来、杖をついている人を見ると目がいってしまう。

 話が逸れたが、運動不足気味ではあるが、全く何もしていない訳ではなく、多少は鍛えている(内容は秘密だが)。劇的に効果が出ない程度の運動なので、周囲には気づかれないが、多少は節制しないと、37歳でサッカーをしようとしてもサッカーは出来ないのである。本当は劇的に効果が出るくらい鍛えて20歳のときの体力と割れた腹筋を取り戻したいのであるが、中々日々の仕事に追われてそこまでは出来ない。

 ゴルフも勧められるが、ゴルフは何年も前にやめて、従兄弟にクラブもやってしまったので、やるとなれば一からクラブをそろえないといけないし、打ちっ放しにも行かないといけないし、サッカーが出来るうちはサッカーをしたいし、出来るだけ悪あがきをしたいので、たぶんゴルフをするとしても相当先であろう。いまや私の中ではゴルフは爺さんのスポーツのイメージとなった(私にとってというだけなので、一般的にそうであるとは言っておりません)。

 私は昔から球技はほどほどに出来るが、器械体操とか水泳は苦手である。全然泳げない訳ではないが、中にはなんでも出来る人もいる。
 なんでもスポーツが出来る人はうらやましい。

 運動の秋である。

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2008年9月10日 (水)

弁護士の当たり外れ

 他の弁護士に依頼していた人が何らかの前の弁護士を断ることになり、来られた時に、記録を見て、前の弁護士の仕事ぶりを見ていると、随分人によって仕事の仕方は違うものであるなあと思う。
 感心させられる場合はほとんどなく、そういう場合はたいてい「これでお金貰えたらええなあ」というずさんな仕事ぶりであることが多い。逆に、前の弁護士がきちんと仕事をしているのに、依頼者が不満たらたらだと、依頼者の方に危険信号を感じてしまうことになる。

 医者もそうだが、弁護士にも当たり外れは大きくあるなあと思うのである。私のボスは依頼者から受け取る金額の多寡で態度は変えなかったし、仕事に対する姿勢も全然変えなかった人であったので、当然私もその影響を受けている。5万円の事件のためにウンウン脂汗を流して考え込んでいたりする。
 しかし、巷ではやはり効率よく稼ぐという意味で、少額な事件は受任しないとか、ヤミ金融が債権者にいたら受任してくれないとか、小さい額の事件だと随分いい加減にやっているという例も見聞きしないことはない。
 弁護士の当たり外れは確かにあるが、それを事前に依頼者が全て判別することは不可能であろう。
 

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2008年9月 9日 (火)

弁護士の世界の棲み分け

  一般の弁護士は特殊な事件でない限り様々な事件を受任している。   しかし、自ずと棲み分けというか、事件に一定の傾向は出来るようである。   弁護士が1人で出来る業務量には限りがある(基本的には地道な作業だからである。依頼者から事情を聞き取り、裏付ける証拠があるかそれをチェックし、書面を書いて、あるいは調べ物をしたり、現場を見にいったり、法律相談に出かけたり、裁判に出かけていたり、遠方の裁判所の事件で出張したり…。これの繰り返しである。)ため、業務量の中で取扱が多い分野とそうでない分野はある程度出てくる。     刑事事件で名が通れば刑事が自ずから多くなる。一般民事事件が多い事務所では中々そう多くの刑事事件は出来ない。私はというと年間で国選数件、私選数件程度である。  最近はたいていの事務所で多重債務事件や過払い金返還請求事件は手がけているが、これを専門にしている事務所も東京などにはあるようである。ただし、専門にしているからといって、いい仕事をしているかというと、それは私には分からない。  大病院の診察がお粗末であったのに対して、町中の小さい開業医の方が優秀であるという例もあるように、「専門」というだけで仕事が出来るかどうかは未知数である。もちろん優秀な弁護士もいるであろうが。  私も多重債務案件や過払いは多い。  私は損保の顧問はしていないが(利益相反などのため、スポットで依頼されることは偶にある)、損保の事件をしている事務所だと交通事故事件が多くなるだろう。交通事故事件は損保会社の事件を数多くしていると、それは経験値は上がると思う。ただ、被害者側ばかりやるのもそれはそれで被害者側のツボのようなものを覚えていくので、悪くはなかったりする。  女性で離婚事件やDV事件が多い人もいるだろう。  ただ、こういったものはあくまで傾向であり、取扱が少ないからといってその事件をやらないという訳ではないし、取扱が少ないからといって、優秀でないとも限らないというのが印象である。

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2008年9月 8日 (月)

タクシー

 今日は朝から滋賀県北部の支部で事件があった。ひ○にゃんが流行している支部である。
 ここの裁判所の支部はお城の中にあり、歩くと地味に遠い。バスもあまり本数がなく、昔はタクシーに乗っていた。距離的に1メーターか2メーターか微妙なところである。
 しかし、ここの駅前のタクシーはその微妙な距離に乗るとあからさまに不機嫌になる運転手が多くいて(長い間客待ちをしていて微妙な距離に乗られると腹が立つという訳であろう)、あまり乗りたくないが、昔は何度となく乗っていた。
何回となく乗るうちに、あるとき乗車したら物凄いスピードで走られて、交差点はタイヤを鳴らして曲がりという極めて乱暴な運転をされたことがあった。私の周りでもそういう目にあった弁護士がいる。会社のタクシーであれば、文句を言ってやろうかと思ったが、そのタクシーは個人タクシーであった。個人タクシーの場合、免許の更新するところにでも文句をいえばいいのかもしれないが、そこまでする気力もなかった(当時は勤務弁護士時代で最高に疲れていた。今の仕事量の4~5倍くらいの仕事はしていたであろう。そのうち、事務所の事件が4で自分の事件は1くらいであったが。)。
 いかに腹が立ったとしても、これでは命の危険すら感じるので、この裁判所の支部に行くときは、タクシーに乗ることをやめた。
 てくてくと歩くことにした。
 健康には良さそうではあるが、私の場合はかなりの重量の鞄を肩から提げているので、腰を痛める危険性がある。また、真夏などは大変つらいし、あまり日よけになるように場所もない。
 今日は行きは歩いて、帰りは依頼者に駅まで乗せて行ってもらった。次からは依頼者が駅で待っていて乗せて行ってくれるそうである。最初からそうすればよかった。とほほ。

 しかし、たとえば私と同じ考えの人が100人いるとして、その人が年間5回この裁判所を訪れるとして、片道のタクシー料金が640円と仮定すると、年間では640×100×5×2=64万円の売上減少となる。10年間では640万円である。20年間では1280万円の損失である。これは一つの小さいことではあるが、そのような接客をしていれば当然に他でもトラブルはあるだろう。
 大老を出した城下町ということで気位がタクシーの運転手まで高いのだという話しも聞くことがあるが、はてさてどうか。
 小さいことをなおざりにすると意外なところに波及して損失を蒙ることがあるし、歴史の中でもそのようなことから没落した英雄は多い。
もって他山の石とすべしであろう。

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2008年9月 5日 (金)

読書日記9月5日

 「もう疲れたと思ったときに読む本」斎藤茂太著。
 経営のことや人事、事件のことで私も人並み悩むこともある。「もう嫌~」という気持ちにならないかといえば嘘になる。本屋で見て購入。著者は斎藤茂吉の孫か子だったはず。
 書いてあることはためになるが、これらを実践するのが中々難しい。
 なにがしらかのヒントになる。

 「西郷札」松本清張の新潮文庫の傑作短編集シリーズ。松本清張の人間のあぶり出し方はやはりすごい。弁護士にとっても大変参考になる。
 良かった作品は、徳川家康の参謀であった本多正信とその息子である本多正純の絶頂と凋落を描いた「戦国権謀」である。本多正純は、いわゆる「宇都宮吊り天井事件」で失脚し、その後は東北地方で小さい部屋に押し込められて外出も出来ず70歳を越えるまで生きた。一時は権力の絶頂にあった本多正純がなぜ没落したのか。これぞ正に人間社会のドラマである。
 父親の本多正信は、権力を持ったものが大きい力を持つとろくな事がないことを苦労人であったが為に分かっていて(彼は三河一向一揆の時に家康に敵対した後三河を出奔した。長年諸国を流浪し、初老といってもいい歳で家康に再度仕えたので、この間様々な目にあったと思われる)、生涯小禄で通したが、二世の正純にはそのようなことは分からないので、加増を受けた。また、人を人とも思わない言動が多かった。
 結果的に妬みや恨みを買い、権力闘争に負けて、没落したのである。
 三国志の中で、曹操に使えた買ク(くの字が出てこない)は、知謀の人であり、魏国でも重用されたが、平素は人との付き合いを全くせず、質素に暮らしていたという。終わりを全うするためにはこのような処世術が必要なのである。

 リアル・シガー・ガイド 馳星周著。作家の馳が、自らのシガー道を語った一冊。最後に北方○三との対談が極めて極めて余計であったが、それ以外は楽しめた。喘息持ちが判明した後は、太いシガーは吸えないが…。

 項羽と劉邦(上)(中)(下) 司馬遼太郎著。秦が滅んだ後に天下をかけて争った項羽と劉邦の戦いを描く一大叙事詩。天下を治める徳とは何か。また、組織の中で生きていく為の処世術とは何かという人間模様が司馬の語り口で描かれている。
実はこの作品は、大学生くらいの時に読んだのだが、その時はいまいちその深みが分からなかったので、実家の引越の際に散逸したこともあり再度購入して読み返したのである。
 歴史小説は、ある程度の歳にならないと分からないものであることを再認識した。
 私がさらに歳を取った時に司馬作品を読んだら、37歳の時の私は何もわかっていなかったとなるのであろうが。

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2008年9月 4日 (木)

パパ・ダイキリ

 パパ・ダイキリは普通のダイキリよりもラムの量を二倍にしたカクテルである。
 ヘミングウェイが好んで飲んだとされて、有名である。

 これも飲みやすいが、飲み過ぎると翌日は地獄である。
 ヘミングウェイは、これを午後一番から飲んだという。いつ執筆していたのだろう。ヘミングウェイはキューバに住み、キューバではヘミングウェイが通っていたバーがまだ残っているらしい。
 ハリケーンがキューバを直撃した映像がテレビで流れていた。農産物も大打撃であろう。
 ヘミングウェイが住んでいた頃には、あのようなハリケーンはなかったのではないか。
 なんとなく気候が変わりつつある地球であるが、温暖化の次には氷河期が来るという説、二酸化酸素を減らしても全然温暖化には影響はないという説、それよりも太陽の黒点の影響があるという説もあり、何が本当のことかはわからない。
 ああいう巨大ハリケーンを見るにつけ、旧約聖書にあるような大洪水が世界で起こらないことを祈る今日この頃である。亡くなった方に黙祷。

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2008年9月 3日 (水)

ギムレット

 ラム酒も苦手であるが、ジンもあまり体に合わない。ジントニックを飲みすぎて昔死にそうになったことがある。
 ギムレットもジンベースのカクテルで定番である。
 ジンベースなのでこれを飲むと私にはジンが合わない為、翌日辛いことが多いが、バーに行くと一杯は頼んでしまう。せっかくバーに行っているので、ウィスキーだけでは何となくつまらなくなるのである。

 最近はウィスキーはピートの効いた系統が好きで、ボウモアとかカリラとかラフロイグなどを飲んでいる。バーテンさんはさすがに酒通の人が多くて、今まで飲んだことのないピートの効いたウィスキーの銘柄を出してくれることもある。バーであまり酒についてうんちくを語るのは恥ずかしい。むしろバーテンさんに教えを請う(ただし、大学生がバイトでやっているようなバーテンは除く)方がかっこいいのではないかと思ったりしている。

 「ギムレットには早すぎるね」というフィリップ・マーロウの台詞(レイモンド・チャンドラーの「長い別れ」)で一躍有名になったカクテルであるが、マーロウ好きということもありついつい頼んでしまうのかもしれない(とても底が浅い好みであるが)。

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2008年9月 2日 (火)

天才柳沢教授の生活

 先日モーニング(週間マンガ雑誌)で表題のマンガが掲載されていたので何気なく読んだが、たいへんよかった。話はタクシー運転手と柳沢教授とのふれあいなのであるが、タクシー運転手の運転手最後の日の客が柳沢教授なのである。

 自宅に以前購入した単行本が3冊あったので、昨日の夜読んだが、久しぶりに読むとやはりこの作品はいい。

 己を曲げない人物がたくさん出てくる。主人公の教授じたいがそういう人物なのであるが、自分の中の規範をもった人物がたくさん出てくるのである。そうした自分の中の規範は時に人といざこざも起こすが、本人にとっては自分が自分であるための重要な部分なのである。フィリップ・マーロウもそうであったが。
 しかし、浮き世の中で、中々己を曲げないというのは難しい。
そうした現実世界では中々難しいことを描いているからこそ、人気があるのかもしれない。

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2008年9月 1日 (月)

新事務所

この土日で新事務所に引越をした。
私は土日とも出て、指示やら片付けやらしていたのでへとへとである。
事務員も交代で1日ずつ出て貰った。

俗にこういう引越とか、集団で何かをするときには人柄がわかるという。
指示もされないのに率先してやる人。
指示されなければ何もしない人。
やっているようで手を抜いている人。
自分のテリトリーが終わったら何も手伝わない人などなど。

とにかく今日から新事務所である。大きい方の来客室はでかい。弁護団会議も出来そうである。小さい方の来客室も今までの来客室よりも大きい。綺麗に出来たので、靴は入口で脱いでもらって、スリッパで上がるようにすることにした。

            Kc390051
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