織田信長(6)
佐久間信盛は、今はあまり有名ではないが、一時期までは織田家の中でもっとも有力な武将であった。石山本願寺との戦いでは主将として抜擢され、羽柴秀吉や光秀よりも大身であった。
信長は、武田氏を滅ぼした後、様々な過去の罪状をあげて佐久間信盛とその息子を追放した。
信長は、人間を機能でしか評価しない人物であり、機能が落ちてきた配下は、突如としてこのように切り捨てる性癖をもっていた。彼は、他者が自分に背くことはあまり考えなかったようでもあり、自分の行動によって周囲がどのような気持ちになるかを考える才能に乏しかった。
光秀は、老境に達しており、四国征伐の事実上の軍事の責任者からも外され、信長の寵を失いつつある自分を感じていたのではないであろうか。そして、佐久間信盛のように、用済みとなれば弊履のごとく捨てられるのではないかと危惧したとしてもおかしくはあるまい。
遠藤周作の反逆という小説では、信長の怯えた顔が見たいという理由で、荒木村重や光秀が背いたという設定で一連の反逆が描かれている。そのような気持ちもあったであろう。
しかし、やはり主たる理由は、「滅ぼされる前に信長を滅ぼしてしまうしか方法がない」という落ち込まれた気持ちになったことではないであろうか。一時期、光秀は家中でもっとも早く城持ちの家臣となり、信長の寵臣であった。しかし、後にその座を秀吉に奪われ、老境に達した光秀としては、信長を滅ぼすしか自分が生き残る道はないという考えに憑かれたのではないかと私は判断している。
そして、本能寺の変が起こった時点で、信長の周辺には軍団がいなかったのである。
このことも、光秀が決起する一要因となったのであった。
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