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2008年11月 6日 (木)

怒るべき時

 怒る時は口先だけで怒れ、心底怒ったら怒った方の負けであるというのは昭和初期の剣道家の格言であるが、口先だけで怒るにせよ、怒らないといけないときというのはあるように思う。
 怒るべき時に怒らなければ、人はその人を軽んじるようになるだろう。

 あるとき、豊臣秀吉がまだ信長に仕えて間もない頃、信長が秀吉が道を通るのを見て、塀の穴から一物を出し、小便を秀吉の顔にひっかけたことがあった。
 信長は、こうしたいたずらが好きであったようであるが、このような侮辱をされた時の家臣の対応を見てその人物をはかっていたようにも思える。
 秀吉は、このとき、信長に対して烈火のごとく怒り、「いくら主君でもやっていいことと悪いことがあります。謝っていただきたい」と怒り、信長も秀吉に謝罪したというが、信長は謝りながら笑っていたという。
 信長は、怒るべき時には怒ることが出来るというような人物を愛していたところがあり、このとき秀吉が怒らなければ、「人として信用できない」ということで後の秀吉はなかったに違いない。

 加賀百万石の基礎を築いた前田利家も、若い頃織田家を牢人していたことがある。信長のお気に入りの小姓か小坊主かが利家の笄を盗み、利家はこれを信長に訴えたが、信長はこの小坊主が気に入っていたため、とがめだてしなかった。
 利家はこれを怒り、信長が回廊を歩いている前でこの小姓か小坊主かを切り捨て、そのまま逐電したのである。
 その後、利家はたびたび織田家の合戦に陣場借りをして出陣し、功を立てたが信長は帰参を許さなかった。
 あるときの戦いで、兜首を取り信長の眼前にそなえたが、信長は無視していた。これを見て利家はさらに敵陣に駆け込み、傷を負いながら2つ目の兜首を信長の前にそなえたが、相変わらず信長は無視をしていた。利家が死を覚悟して3度目の首を取りに敵陣に駆け入ろうとした時、側近が「このままでは又佐が死にます」と述べて、ようやく信長は利家を許したというのである。信長の方もつまらない意地をいつまでも張って利家を失うことの愚かさを悟ったというのである。利家も、怒るべきときを過たなかったがために、人に軽んじられることを免れたということである。ただ、戦国時代は怒るということはこのように命がけであった。

 仕事上でもここ一番で怒るべきときがあるように思う。怒り方やタイミングを間違えば全てを失いかねないが、逆に怒らないことも失うものが大きいときがあるように思われる。

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