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2008年11月 7日 (金)

自画自賛するロースクールの教員弁護士などの思惑

 ロースクールの質は悪くないとか、合格者はもっと増やしても大丈夫という弁護士や規制改革委員が多いが、彼らは実態を見ていない。

 不合格者が増え、かつ、就職先もままならない状況で合格者を増やしてどうしようというのかわからない。これから先に弁護士などを目指す人にとって、司法試験というものは、ロースクールの学費、卒業後5年以内に3回の受験で合格しなければならないという制約、そうして合格したとしても就職先がなく、給与も低額にされるので、ロースクールの学費で借りた借金の返済に追われるという悪質な制度となってしまっている。これでは萎縮してしまい有能な人材は来ないだろう。

 そうであるからこそ合格者を増やせというのは全く間違った議論であり、合格させるべき水準に至っていない人が弁護士になれば、迷惑するのは顧客である。法的知識・素養が不十分な人を司法の世界に入れるということは、トレーニングされていない医師に開腹手術をされるようなものであり、最低限の能力は必要であって、合格水準は絶対に下げてはいけないのである。

 だいたい、規制緩和をし過ぎると失敗するというのは既にアメリカで実証されていて、アメリカで実証されていることをわざわざ日本で行うことの意味がわからない。

 ロースクール擁護派の中には、そうでない人ももちろんいるだろうが、「自分の教員としての立場」や、「大学の存続のため」に発言しているとしか考えられない人もいる。
 規制改革委員会の議事録などを見ていると、胸が悪くなるような低劣な議論がなされている。日弁連が増員を緩やかにというと、「利益確保のため」「業界のエゴ」といわれるが、ロースクール擁護派も、「利益確保」「業界のエゴ」といわれても仕方がないのである。
 ロースクールはアメリカで失敗をしているといわれていて、そのような制度をわざわざ日本に持ってきた意味もわからない。これから先日本の総人口は減り続けることが予測されていて、子どもだけでは成り立たない大学の経営の一つの改善策として、社会人がロースクールに入れば学費収入が得られるということもあったのではないかという気にさえさせられる。
 後ろにヒモがついてたり、何らかの利益を代弁している人の発言ほどそらぞらしいものはない。

 本当に日本の国を憂えて、司法制度をよくしようとする気があるのであれば、裁判官と検察官の増員も声を大きくして叫ばれるべきだが、そのような声は司法改革を進めた人たちからは聞こえてこない。
 司法改革を進めた中坊公平氏に至っては弁護士を廃業して法律家ですらないが、未だに司法改革関連の活動をしているようである。人というのは引き際が重要であると思うのだがどうだろう。
 間違った制度が是正されることを願うばかりである。

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