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2008年12月31日 (水)

今年もお世話になりました。

 今日で1年が終わりだ。
 今年も例年様々な人にお世話になり、自分を活かしてもらえたと思っている。
 周囲の人からパワーと励まし、教えをもらってこの1年は乗り切れた。
 勤務弁護士、事務員さん、顧問の税理士事務所さん、社会保険労務士事務所さん、司法書士さん、周囲の弁護士仲間や先輩後輩、サッカー部の仲間、異業種交流会の仲間、協力医の先生、依頼者の方々、ブログを読んでくれている皆さんなど、数え上げると年が越せない(ここにあげた以外でもたくさんおられます)。
 今年がよい年であったように、来年もよい年でありますように。
 私にとっても、私の周囲の人たちにとっても、このブログを読んでくれている皆さんにとっても。
 今年がよい年でなかった人は、来年がいい年でありますように。
 みなさん、よいお年を。

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2008年12月28日 (日)

年末

 年末であるが、休みに入ってから、昼寝してばかりいる。
 仕事はたぶん好きな方だし、数多くの弁護士に比べて、ストレスを感じている割合は少ないと自負しているのだが、それでもやはりストレスは溜まり、疲れもたまっているということであろうか。
 ただ、こういう期間もないと、仕事も出来ないような気はする。

 松下幸之助の名言に、「事を遂げるものは愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。」というものがあったように思う。
 法律家にとっても必要な才能は「愚直」というものであると思うし、司法修習生の民事裁判の教官からも、「愚直」さが法律家にとってもっとも大事なことであると教えられた。
 私が愚直でいられているかどうかは常に自省しようとつとめているが、人間である以上、また、人生における経験が浅い以上どうしても気は緩んだり、不十分なところがあるであろう。
 法律家の仕事は地道で、日々のこつこつとした仕事の積み重ねの連続である。
 年明け以降も、愚直さを忘れないようにしたい。

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2008年12月26日 (金)

今日で最終日

 暦からすると、今日で仕事納めのところは多いのではないだろうか。
 私の事務所も今日で終了である。
 今年はまあまあの年であったように思うが、はてさて来年はどうなることか。

 世間では景気のいい話は聞かず、民事訴訟は減り続けているのに弁護士は増員傾向が続いている。
 これから弁護士になる人は独立することはとてつもなく難しいのではないか。

 ところで、週間東洋経済だか何かに、規制改革委員の福井秀夫氏が、弁護士の仕事は99%定型業務で、八百屋が野菜を売っているのと同じだと発言したと書いてあった。

 サルでも出来る弁護士業という本を書いた弁護士もいるようだが、その弁護士はこのように言われて「我が意を得たり」となるのであろうか。しかしまあひどい発言ではある。
 福井委員の知っている弁護士はそうした仕事しかしていないのであろうが、自分が知っている弁護士がそうであるからと言って他の弁護士が皆そうであると決めつけているのであれば、それだけで自らの社会体験の乏しさを自白しているようなものである。自虐趣味でもあるのだろうか。
 人は自分の経験の中でしか物事をはかれないところがあるが、この人はそれの最たるものではないかと考えてしまう。それが間違っていると考えないのだろうか。分かっていてそうした発言をしたのだろうか。
 多くの弁護士は自分の資格に誇りをもち、業務に熱意をもってやっているし、定型業務でもなければ、サルでも出来るような仕事では決してない。

 今は過払いで物凄い売上を上げている弁護士がいるが、頂点を見た場合、転落も早いのが歴史の常である。
 福井委員にしろ、あまり有頂天になっていると落とし穴が待っているものなのである。

 ともあれ、年内にブログを更新するかどうかはわからないが、とりあえず、みなさん、よいお年を。

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2008年12月25日 (木)

森要蔵の死

 昭和初期に天才剣士と謳われた森寅雄という剣士がいる。
 彼は幕末、千葉道場で四天王と言われた森要蔵という剣士の曾孫にあたる。
 あまたの流派が、その嫡流だけでは流派を維持できず、養子を取ったり、嫡男に剣の才能がなかったため衰えていることからすると、剣は必ずしも血筋だけで受け継がれるものではないが、森家は剣においては天才剣士を輩出する家系であったということが出来るであろう。
 この森寅雄という剣士も面白い経歴をもっているが、ここでは時間の都合上書けない。

 森要蔵は、戊辰戦争が勃発した時、会津若松藩に仕えていた。
 会津若松藩は、松平容保が藩主であり、佐幕の藩である(新撰組はこの会津中将、京都守護職である松平容保のお預かりであった。)。そのため、戊辰戦争においては、最後まで官軍に抵抗して戦った。
 白虎隊の悲劇は今もテレビドラマなどでおなじみのところであろう。

 森要蔵は、会津若松の戦いで、門弟とともに守備についていた。その討ち死にの場所死諸説あり判然としない。
 火力に勝る官軍は会津若松藩を圧倒する。
 その中、板垣退助率いる一隊が、森要蔵の守備する戦線に攻撃をしかけてきた。
 劣勢の森要蔵隊は、最後の突撃を敢行する。
 森要蔵は、その息子である虎雄とともに突撃し、その鍛え上げた剣技でもって息子とともに一人、また一人と官軍を倒していった。
 しかし、衆寡敵せず、銃弾でまず息子の虎雄が倒れ、その後、要蔵も銃弾に倒れ、折り重なるように息子の上に倒れて死んだ。
 虎雄はこのときわずか16歳。

 この戦いの模様を見ていて生き残った会津若松の藩士は、森要蔵親子の見事な最後を人に語る時、最後は涙で語れなかったという。

 様々な人の死の上に明治維新は成り立ち、今の我々に繋がっている。

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2008年12月24日 (水)

壊れる万年筆

 万年筆は、「万年」筆のはずであるが、やはりモノである以上壊れる。

 アウロラのインク漏れは相変わらずで、時々指が青色に染まる。
 弁護士になって数年目に買ったパーカーのデュオフォールド(コナンドイルと同じもの)も、日々の打合せのメモや尋問の際のメモを取るのに使用していてさすがにペン先が摩耗して1本だめになった。キャップが壊れたこともあるのだが、同じものを買って今も日々のメモ取りに使用している。

 一番ショックであるのは落として壊れることである。
 パーカーのデュオフォールドのブラック1本は、床に落とした時にキャップの蓋が取れてしまい、接着剤でくっつけたのだがどうもどこかに隙間があるようでインクが渇いてしまう。
 そのため、万年筆墓場(壊れた万年筆を捨てられずに入れてある箱)で眠っている。
 セーラーの長刀研ぎという名人が磨いだ万年筆は、物凄く書き味がよくて気に入って机で事務員への指示を書くのに使用していたが、落として先がぐにゃりとなった。名人が磨いだものであるので通常の修理ではどうしようもあるまいと思って墓場で眠っている。
 長刀研ぎが壊れたので、同じものを購入して「さあインクを入れよう」と思って机の上に置いていたところ、ころころと転がって床にペン先から落ちて新品の先がぐにゃりとなり、1回も使用せず壊れてしまったこともあった。あまりのショックに数分間固まっていた。これも今は墓場で眠っている。
 最後の話は、あまりにショックのため、半年以上経ってようやく人に話せるようになったのである。
 

 私はまだ達観できないので万年筆を買い込んでしまう。モノに淫するようになってはいけないと誰かが言っていたように記憶しているが、万年筆に淫しているのである(コートもだが)。
 こんなことではいけないと思いつつ、物欲があるからこそ働けるとも思うし、とりあえず万年筆はしばらく購入を控えようと思っている。

 モノは大事にしなければならない。本当にそう思うのである。

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2008年12月23日 (火)

イカリ豆

 荻生徂徠(おぎゅうそらい・江戸時代中期の儒学者・思想家)は、炒り豆をかじりながら歴史上の人物を論じることほど面白いものはないと言ったそうである。

 先日、コンビニに行った時に「イカリ豆」という揚げた豆を見つけて、炒り豆ではなかったのであるがこの言葉を思い出して、イカリ豆を買いこんできて今ぽりぽりとかじりながら少し日本酒を飲み、インターネットを見たり司馬遼太郎の本を読んでいる。
 この夜の時間帯が私にとっては至福の時間である。
 私は自宅ではあまり酒を飲まないので珍しいのだが、イカリ豆を食すのにはやはり日本酒かという単純な理由から飲んでいる。少し冷え込んだので酒で暖まろうというこんたんもある。

 さて、冒頭の荻生の言葉であるが、私も歴史好きである。しかし、「自称」歴史好きの人と論じるのはあまり好きではない。ほとんどは歴史オタクのような人で、やれこの城名を知っているかとか、クイズに出てくるような些末なことを自慢するばかりで本質的な議論にならないことが多いからである。今のところ、私の周りでそうした話が出来るのは数名程度である。

 少し酔っているので話があちこちに飛ぶが、夜にネットでちらほらとブログを見ていると、本当に自分の日記を書いているだけの人が割合多いことに最近驚いている。日記のようなものを書くのであれば、自宅で自分のパソコンの中にうちこんで居ればいいように思うのだが、違うのだろうか。
 自分がどうであるとか、自分がこうでしたとかなどというブログは読んでいる方にとっても詰まらないと思うし、公開している意味がないように思うのである。そのようなブログは読んでみても「何がいいたいのかな」と思うだけである。まあ、だったら読まなければいいのであるが、まあ読んでみても詰まらないのである(少し酔っているので辛口)。
 司馬遼太郎のエッセイ集を読むと、やはりエッセイの中にもメッセージが詰まっている。

 私はいち弁護士に過ぎず、別段作家を気取っている訳でもないが、やはり公開して何かを書く以上、メッセージがないことには意味合いがないように思っている。メッセージを伝える意図がないのであれば、ブログをする意味はないのではなかろうか。
 逆に、メッセージを書く以上はそれにふさわしい人物でなければならないのだが、私の場合、こればかりはいつまで経ってもどうにもならない。
 他の弁護士のブログを見ても、私から見て、「そんな偉そうなことがいえる人かなあ」という人が立派なホームページを立ち上げて、ブログで偉そうに言っていることがある。
 私の場合、いろいろと書いていても「かくありたし」ということで書いているので、そのあたりは相当割り引いて読んでもらいたいのである。
 

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2008年12月22日 (月)

読書日記12月22日

 「黒い画集」松本清張。新潮文庫。
 松本清張の短編集。真面目一本であった冴えない中年男性が若い女性と出会ったことで転落していく様を描いた「坂道の家」。中年男性はこの短編を読むべきであろう。秀作である。
 「寒流」も同様である。女性を寝取られた冴えない中年男性の嫉妬と心理が鮮やかに描かれている。他にも秀作が収録されている。詰まらない昨今の表面的な推理小説を読むよりも、法律家又は法律家を目指そうとする人は人間の奥深い心理を描いた松本清張作品を読むべきであろう。
 この短編集は600頁を超えるが、一読の価値はある。

 「司馬遼太郎が考えたこと 2」。司馬遼太郎。新潮文庫。司馬遼太郎のエッセイ集の2巻。自宅の未読の本を入れてある本棚を先日整理していて行方不明であった2巻を見つけたので読んでいた。読めば読むほど司馬の語り口、その思想のファンになる。いくつか感銘を受けた逸話があったので、それを参考にして歴史シリーズの中やエッセイ的な記事の中などで取り上げたい。

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2008年12月19日 (金)

読書

 読書をするのが好きである。読書をしていると時間の経過も早い。
 気力と眼が保てば、出来るだけ本を読んでいたい。

 最近は読みたい本があると、いつ読む時間があるかということをあまり考えずに購入しておくことにしている。いざ読みたいと考えて探しても売り切れであったり絶版になっていては困るからである。
 昔金田一耕助シリーズが好きで、角川文庫から出ている横溝正史の文庫はほとんど買って読んだのであるが、いくつかの作品について「またの機会にしよう」と思っているうちに、大半が絶版になってしまい、今ではいくつかが残っている程度となってしまった。
 その後欠けていた作品については古本屋で運良く見つけることが出来たので、横溝作品についてはほぼコンプリート状態である。

 海音寺潮五郎も無類の本好きで、仕事をしているふりをして本を読んでいて、奥さんが入っていってそれを見つかると慌てて本を下に隠したという逸話を司馬遼太郎が紹介している。
 司馬遼太郎も、本を読むのが好きで、仕事をせずに本ばかり読んでいられたらどんなにいいかと書いている。

 私はそこまで好きではないと思うが、電車の中や、就寝前の読書がなければ、無味乾燥な毎日になってしまうであろうと思っている。
 好きになるとその人の作品ばかり読んでのめり込むのが私の常であるが、今は司馬遼太郎と松本清張、海音寺潮五郎の作品ばかり読んでいる。
 時事問題に疎くなってしまうと思いながら、こればかりはやめられないのである。

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2008年12月18日 (木)

食べ物の不思議

 不思議に思うことがある。
 麺類は世界のどこにでもたいていあるようであるが、穀物を粉にして麺の状態にして、ゆでて食べるというのは誰がどうやって考えたのであろう。
 米にしても、生米の状態から、あれを脱穀して精米し、炊いて食べるというプロセスまでには飛躍すべきポイントが多々あると思うのである。
 何かの本には書いてあるのかもしれないが、我々が普通に食べている食事も、「これがいつどのようにしてこういう風に食べるようになったか」と考え出すと不思議である。
 魚を焼いたりするのとは訳が違うのである。
 そのほかにもプリンとかケーキとかを考え出した人はどういう頭だったのであろう。
 レシピを考えつくのはどういう時なのであろうか。
 不思議だ。

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2008年12月17日 (水)

電車の中で真ん中に立つじゃまな人たち

 それほど混んでいない電車だが、すんなりと通路を通ることが出来る訳でもない電車に乗っている時、出入り口があるところの真ん中に立つヤツがいる。
 端にはだいたい立っている人がいるので、真ん中に立たれると降りる時にじゃまになる。
 そういう場所に立つ人は、たいていは駅に着いて奥の方から降りる人が出てくると横に避けて通れるスペースを作る。

 しかし、中にはデンと床に鞄を置いてそのまま動かない人もいる。
 今朝もそうしたサラリーマンがいた。
 皆が降りる時にじゃまになっているのだが、真ん中に立ってよけようともせず、むしろ体に当たられて降りる客を憎々しげに睨んでいた。
 真ん中に立っているその立ち方も気取っていて、私の大嫌いなタイプである。

 私も降りる時にその人に当たらないと出られなかったので、あたりながら出てきた。
 普通は気配りというか、横によけるものであろうが、そうした配慮が出来ないのである。

 仕事でもプライベートでも、私は気の回らない人は嫌いである。

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2008年12月16日 (火)

調停の待ち時間

 先日、遠方の裁判所まで離婚調停に行った。
 夫婦が別居した時に、妻の方が実家に戻ることがあるが、実家が遠方だと調停は相手の住所地になるので、京都の依頼者から離婚の依頼を受けると出張することとなる。

 相手に弁護士がつかず、本人の場合は、調停委員も一から話しを聞くことになるので、長くかかる。先日の調停でも、私の話は13時20分から40分までであったのに対し、相手のご本人の話は13時40分から15時20分までかかった。
 待つこと1時間40分である。
 慣れている調停委員だと、途中で抜けてきて、「今こんな状況ですのでもう少しお待ち下さい」と途中経過を聞かせてくれる場合もあるのだが、たいていは放置されている。
 本人が来ている場合でも話をするにしても限度がある。
 先日は相手の対応が分からないため私だけ行っていた。
 仕方がないので待ち時間に持って行っていた文庫本を読んでいたのだが、それも新幹線の中から読んでいたこともあり読み終えてしまった。
 しばらくはイスに持たれて仮眠していたのだが、呼ばれるかもしれないので本気では寝られない。少し仮眠して起きてもまだ呼ばれる気配がないため2冊目の本を読み出した。
 こんなこともあろうかと2冊目を鞄に入れておいたのである。
 その本を150ページくらい読んだ時に呼ばれた。
 この待ち時間の間は仕事も出来ないし、本を読むかやっている事件について思索することくらいしか出来ないのである。

 ところで、どこかの学者か何かがやっているブログかホームページだかで私の記事が「調停嫌いの弁護士のブログ」として引用されていた。私自身は引用について連絡を受けたこともないし、私を調停嫌いの弁護士として一言で決めつけて切って捨てているような表題であるところが気にくわない。他人のことを一言で引用するなどというのは大変失礼な態度ではないかと思う。

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2008年12月15日 (月)

良かった(ジュビロ磐田)

 私はJリーグの中ではジュビロ磐田のファンである。どうしてかというとゴン中山さんがいるからである。中山選手はドーハの悲劇の時から日本代表で、サブ選手から短い出場時間でゴールをあげて、ボールをもって走るその姿に感動した。彼がピッチに入るとピッチの温度が上がったような気がしたものである。私と3歳違いの同年代ということもあり、41歳を越した今も現役でやっているその姿に感動する。
 30歳を過ぎてからゴールを量産し、確か連続得点記録かでギネス認定されている。パープルサンガの柳沢も、「中山さんのように30歳を越してからゴールを量産できる選手になりたい」と言っている。
 過去優勝3回のジュビロがJ2降格の危機であった。入れ替え戦でベガルタ仙台と戦い、アゥェイ引き分け、ホームで勝って降格の危機を脱した。
 ベガルタのサポーターには悪いけど、勝って本当に良かった。
 最近は中山さんも41歳になり、出場機会も少ないけれど、まだまだ引退しないで欲しい。キング・カズも引退していないことだし。
 私もいつまでもいろいろなことを諦めない姿勢で居たいものである。

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2008年12月12日 (金)

寒い時に肉まん

 今日は園部の法律相談であった。法律相談の前に昼飯を食べ過ぎると眠くなるので、だいたい昼飯は抑えて食べる(午後からの打合せがあるときや、証人尋問の時も同様。)。
 シャーロック・ホームズは推理する時は全く何も食べないが、あれは体に悪いだろう。ブドウ糖がないと思考力も落ちるはずである。

 昼飯が少なかったので、帰りの園部駅に着くと小腹が減っていて、園部は市内よりも少し寒かった。
 駅の売店で肉まんを購入する。
 寒いときにはあたたかいものに限る。何かをお腹に入れるとあたたかいが、あたたかいものであればなおさら嬉しいものである。
 これから弁護士同士の勉強会でチューターをしないといけないので、あまりお腹がすいていては…と思い少しボリュームのある肉まんを食べたので、決していつもそうしている訳ではない。
 帰りの二条駅で花見団子といちご大福を買ったのも事務員の為であり、自分が食べたかった訳ではない。
 けっして。

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2008年12月11日 (木)

頭痛

 前にも書いたと思うが、私は頭痛持ちである。頭痛をしたことがない人の話を聞くととてもうらやましい。
 私の頭痛は目の酷使と肩凝りから来ていると前に診察されたので、完全に職業病である。
 

 仕事柄タクシーに乗ることが多いが、頭痛の時にあれこれと話しかけられるのは困る。特に私は仕事上で人と話をする職業であるため、仕事が終わったり移動時間に話しかけられるのはただでさえ迷惑なのであるが、頭痛の時はもっと迷惑である。

 今日は頭痛がする状態で「控訴したいので相談したいから来てくれ」と言っていた国選の被告人に拘置所に面会に行ったら、被告人が上訴権を放棄して既に刑務所に行っていた。最初から面会に来てくれというなよ…。拘置所の中で気が変わったのだと思うが、ひどい話である。私はこの被告人のおかげで何時間を無駄にしたであろう。
 今日は出だしから空振りである。よけいに頭痛がひどくなってしまった。

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2008年12月10日 (水)

読書日記12月10日

読書日記。

「司馬遼太郎が考えたこと 3」。司馬遼太郎。司馬遼太郎が書いたエッセイや小説のあとがきを集めた作品。1巻を読んで2巻を読もうと思って探したが整理が悪く見あたらなかったので3を読んだ。龍馬が行くを書いていた頃であるので龍馬についての記述が多い。これらが書かれたのが私の生まれる前であることに驚く。現代の議論状況と司馬の指摘は何ら変わりがないのである。天才としかいいようがない。30代後半で司馬のおもしろさに気づいたということは私にとって幸運であった。
 吉田松陰のことを少し書いたくだりが好きである。吉田松陰は松下村塾で教えたといっても実は3年程度のことに過ぎないが、松陰は周囲から敬われる何かを持っていたと書かれている。松陰はいわゆる安政の大獄で獄死するのであるが、牢に入っている荒くれ者のことごとくが松陰を敬うことはなはだしかったという逸話が書かれている。私にも松陰のようなところが少しでもあればと思う。

「影の地帯」松本清張の推理長編。最近松本清張の長編を読んでいなかったと思い買い置きをしている本の中から選択。謎が謎を呼ぶ展開だが、後半にバタバタっと謎解きがされてややバランスが悪い作品となっている。連載時にページ数の制限があったのかもしれないが、その点が残念である。終わり方がとうとつなので、そうした事情が当時あったのではないかと考えてしまう。

「渡された場面」松本清張の推理長編。影の地帯がやや消化不良な作品であったので、もう一つ読んでみようと買い置きの中から手に取った。松本清張の作品にはいくつか読むとプロットというか小道具が似ている作品があるが、これはそのうち小説の盗作が絡む作品である。殺人の動機も他の作品でも使われている動機であるが、そこにもう一つの事件を絡めているため犯人が追い込まれていく(これは犯人が分かっているタイプの作品である。刑事コロンボもそうだが。)過程にひとひねりされているところが影の地帯よりは楽しめた。

「深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海」沢木耕太郎。4まで読んでいて中断していたので、横浜家裁相模原支部まで離婚調停に行く時にちょうど電車に乗るのでいいかと思って持っていった。文庫化されにあたり、後ろに対談を載せているのだが、これが余計である。
 これを載せることによって、深夜特急5で自分を見つめているような記述がその実何も見つめていなかったのではないかという気にさせられる。対談で語る沢木を見ていると、深夜特急じたいがうさんくさい作品に見えてくるのである。司馬・松本清張・津本陽などの作品にはないうさん臭さが見えてしまった。何かが小骨のように刺さるのである。沢木のナルシズムが全面に見えてしまうからかも知れない。また、これを書いていた沢木が当時40代くらいだというところで成熟していないせいかもしれないが、「俺、俺のこと好き。この作品でそれを見て!」というように見えてしまった(あくまで私の感想だが)。ナルシズムを全面に押し出す人というのは周りからすればうっとうしいものである。
 6を続けて読む気がしなくなってしまったが、5まで読んだのでそのうち読むと思う。1から4までよりも内容が劣化したのではないかという気にもなるが。辛口コメントばかりになったが、作品としては大変面白いことを付け加えておく。全巻についていえるが、最後の対談は読まない方がいい。

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2008年12月 9日 (火)

外面のいい親父

 私の親父は外面がいいので、だいたい他人からは「いいお父さんですね」といわれる。
 しかし、たいてい私は、「いえいえ、外面がいいだけですから。」と答える。
 そういうとたいてい「そんなことないでしょう。」という答えが返ってくる。

 しかし、これは謙そんでも何でもなく、本当にそうなのである。
 外面がいい代わりに、家族には冷たいというか、超自己中心的なのである。
 離婚事件で外からは分からない話を聞いていて、「たぶん周囲の人は、えっ。あの人が…?となると思います。」などと依頼者が話をしても私はふんふんとわかるわかるという感じになるのである。

 どれだけ自己中心的かというと、その中でまだ話が出来る話を書くと、

1、母親が40℃近い熱を出して寝込んでいた時に、どうしても出かけたかった親父は、タオルを水につけて、ほとんど絞らない状態で丸めて母親の頭にポイと置いて出て行ったという話や(私は小さくて母親の面倒を見られる年齢ではなかった)

2、私に「京大に行け」といいながら、共通一次試験(私は共通一次試験の最後の年の受験生であった)の1週間前の追い込みの時期に、「演歌の花道」を見ながら大声で演歌を歌ったりしたり(あまつさえそれにキレた私に逆ギレしかえして来たのである)、

3、親父の田舎からの帰り道に渋滞に巻き込まれ皆空腹であったところ、高速道路の休憩所にあったカップラーメンの自販機の最後のカップラーメンを子どもに食べさせることなく全部自分で食べたり(それが最後の一個で、店も閉まっていた)、

4、私が大学の時に父親の長年乗っていた自動車で事故をして廃車にしてしまった時に私の身体を心配しているのかと思いきや、それよりも「廃車やな」と廃車になったことを確認し、新車が買えるのでうきうきしていたり、

5、小学校高学年の時に父親がしているポイントがよくアイナメが釣れていたので竿を出そうとすると、「お前、俺のポイント取るなや!!」とキレてきたり、

 というようなことが思い出される。
 これはまだ書ける話を出しただけであり、本当はもっといろいろある。
 私は無愛想といわれることが多いが、外面がいいのに中身は自分勝手というようになるよりはましだと思っている。
 親父は最近私の近くに越してきたのであるが、飯を食いに行っても絶対にお金を支払わずさっさと出て行くのである。お年玉を母親だけにあげていたところ、すねてしまったので翌年からはあげたところご機嫌であったりする。
 要するに子どものままなのである。

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2008年12月 8日 (月)

宮津釣行記その3

 しばらくして昼過ぎに携帯に何度も着信があったことに気づく。
 留守電が入っていたので聞いてみると、「Fです。M先生の携帯に電話しましたが番号が違っていました。電話下さい」という留守電が何度も入っている。
 私が言い間違えたのかボスが書き間違えたか分からないが、昼から会議と言っていたので困っているはずである。
 何度も携帯にかけるが出ない。どうなったのであろうか…。

 しばらくかけていたが、かからないものは仕方がないので諦めて、その後釣りに没頭。事務員さん達も虫エサに最初びびっていたが、付け方を覚えて何匹も釣り上げていた。
 帰りのこともあるので、午後2時過ぎに納竿して、天橋立の足湯に入り帰京した。釣果はキスやアイナメなど数十匹が釣れた。

 後日、ボスに出会った時に当日の会議がどうなったかを聞くと、「ふんふん。舞鶴で会議やったら当日きはる先生がおると思ってね西舞鶴か東舞鶴かに降りはるやろと思て、西舞鶴にかけてみたら会議に出はる先生に出会えたわ。」といともあっさりと答えられたのであった…。

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2008年12月 5日 (金)

宮津釣行記その2

 現地で9時頃まで釣るがあまり釣れない。そうしているうちにN村弁護士が事務員さん達とやってきた。なぜか手にはトマトが握られている。
 「道で無人販売で売ってたんや。無農薬。」といいながらトマトをかじっている。よく分からない人である。

 9時から釣り始めたN村弁護士であったが、この人が来てから少し晴れ間が出て水温も上がったのか釣れだした。ぐっすり眠ったN村弁護士は元気いっぱいだが、朝5時に起きた我々は少し疲れ始めていた。

 その時、携帯が鳴った。私が出るとボスのF弁護士である。舞鶴で会議がある為、釣りには参加していない。そもそも司法修習生時代に磯釣りに行ってそこで足を大けがをして(どうも岩で切ったらしい。それ以来、釣りはやっぱり殺生をするからバチがあたったとして釣りは辞めたそうである)以来釣りはしないのだが。
 何の電話かと訝しんで出てみると、「中君か。あのなあ。君僕が今日どこに行ったらええか知ってるか?」という。
 「ええええええええ?先生舞鶴で会議ですよね?私は全然出席予定にしていないし知らないですよ。誰か出席予定の先生知らないですか?」
 恐ろしいボスである。「舞鶴で会議」という極めてアバウトな内容だけ把握して宿泊ツアーに参加していたのである。
 「ふんふん。そういえば、M先生は出はるはずやわ。」との答え。
  私の方はそのM先生の携帯を知っていたので、ボスに教えた。それをメモする私のボス。
 「助かったわ。舞鶴まで来たのに出られへんかったらアホみたいやしな」
 だいたい、行き先も把握せず来ていること自体信じられないが…。

 その後釣りは気温が上がったせいかぼちぼち釣れだした。シロギスも釣れた。
 私は釣りに夢中になり、しばらく携帯電話のことを忘れていた。
 しかし、その携帯電話は、この間何回も鳴り続けていたのであった。
 つづく。

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2008年12月 4日 (木)

宮津釣行記その1

 数年前、仲のよい事務所同士で投げ釣りに行こうということになり、宮津まで泊まりがけで釣りに出かけた。
 私の元ボスのF弁護士も、「ふんふん。N村君が行くんやったら僕も行くわ。僕は次の日舞鶴で会議があるし、ちょうどいいわ。釣りはしいひんけど」ということで総勢10名で金曜日の夕方から出かけた。
 電車に揺られて、電車の中でもビールが出て、着いた頃にはほろ酔い気分である。

 宿は民宿のような宿でこじんまりした宿であった。
 酒を飲みながらゆったりと飯を食べ、お酒が入って調子が出てきた私が、「もうちょっとゆっくり呑みたくなってきたな」と食事をしているところでいうと、給仕をしてくれていた女性(中年、紙の毛はチリチリパーマで、茶髪)が、額に血管を浮き上がらせて、「明日は朝が早いのやから、あんまり呑まないで寝たらどうやな」とびしっと言われてしまった。
 どうも近所から食事の為に通っているようで、終わる時間が遅くなると自分が自宅に帰る時間が遅くなるのでさっさと飯を食べてしまって欲しかったようであった。
 おおこわ。

 3階建ての宿で、わいわいといいながら早くに就寝。翌日に聞くと、2階には事務員達(女性陣)が泊まっていて、私とN村弁護士の声はよく通っていたとのことであった。
 うーむ。いらんこと言わなくてよかった。

 翌日5時に起き出して見ると小雨である。前の夜にたらふく酒を呑んだN村弁護士はぐうぐう寝ている。それを尻目に私と若者数名はレンタカーで一路釣り場へ向かう。
 あらかじめ調べていた途中の釣具屋でエサを買って状況を聞くが、「今年は水温が上がっていないので、あまりシロギスは釣れない。また、水草が先日の台風で流れてきていてそれが投げるのにじゃまやね」とのことであった。
 釣り場に着くと、誰もいない。
 その釣り場は防波堤で、投げるには格好の足場であった。
 6時15分から釣りを開始。
 小雨は相変わらず降り続いていた。
 つづく。

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2008年12月 3日 (水)

若い頃

 弁護士になって5年間は物凄く忙しく、体調を壊しても休んでいる暇すらなかった。
 39度5分の熱を出した状態で泊まりがけで札幌に尋問に行ったこともあるし(どうやって帰ってきたか覚えていない)、40度の熱を出して仕事をしていたら4日目に動けなくなり病院に行ったら肺炎を起こしていたこともあった。
 私の勤務していた事務所は、京都の中でも当時1、2を争う忙しさであったと思う。
 今よりも仕事に対する耐性もなかったのでストレスが溜まることも多かった。
 消費者金融会社が取引履歴を出さないなど当たり前で(今は消費者系弁護士の努力により手紙1本で出てくるが)、相手の社員とよく電話口で怒鳴りあいになり、行政処分の申立書を相手の社員の実名入りで作成してファックスして、「これで出していいか」「出されたくないなら取引履歴を出せ」というやりとりで30分が経過するということもざらだった。
 そのため、債務整理は皆やりたがらなかったのであった。
 利息制限法で計算して提示すると、「京都でこんなんいうのはお前だけや」と電話口で凄まれ、周囲の弁護士に聞いてみると「貸金業規制法でみなし弁済が出来るやろ~。相手の計算をそのまま呑んで分割で支払うと言ったすぐ終わるがな」という驚きの回答が返ってきたこともあった。
 一つ一つの事件がストレスで、今のように手紙1本で取引履歴が簡単に出て、過払い訴訟をしたらお金が簡単に回収できるというようなことは全くなかったのであった。

 弁護士になってすぐに体調を壊して、腹痛がひどい時にボスに医療過誤の被害者の自宅に連れて行かれて(病院側の代理人として)、「彼が担当です。医療過誤の専門家ですので。」と言われて後は放置されたこともあった。
 その他様々にひどい目にあり、体調もガタガタになったりしたが、ある超ベテラン弁護士によると、「弁護士は3回死にかけて一人前や。死にかける度に一人前になっていく。」とのことであった。その先生も3回以上死にかけたそうである。私自身は死にかけたことはないように思うが、死ぬかもと思ったことは5回ほどある。
 それほど激務ということであるが、最近はそこまで追い込まれている新人弁護士を見かけないような気がする。
 時代であろうか。

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2008年12月 2日 (火)

ザリガニ課長

 先週の休みに本屋に行って漫画のところをふらふらしていたら、目にとまってきたのが、「ザリガニ課長」という表題の漫画であった。
 タイトルからしてインパクトがある。ザリガニのような課長の話なのか?しかしザリガニのような課長とはいったい…などと考える。
 手にとって見ると、表紙にはアメリカザリガニが。
 ザリガニが課長というぶっとんだ話なのであった。なぜか課長島耕作で著名な弘兼憲司氏がビジネス書として最適と太鼓判を押しておられる(課長島耕作は為になる漫画である。事務所にも課長島耕作は全部置いてある。現在モーニングでは社長島耕作が連載中)。

 そのインパクトに負けて購入。
 話は人間の言葉を話すザリガニが課長として活躍をする話で、ザリガニならではの生態を交えつつ話が進む。
 その意味不明・趣旨不明の世界観に大爆笑してしまった(わからない人にはわからない笑いだろうが)。

 ザリガニ課長。うちの事務所にもザリガニ事務長とかいたら大変だろうなと思いつつ事務所に持ってきた。
 ああおもしろ。

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2008年12月 1日 (月)

ついている時

 ついている時というものがある。
 まああくまで仕事のことであるが、まとまる可能性のカケラもなかったような事件が急転直下和解でまとまったり、難解な事件が解決の方向に向かったりする時がある。

 これはそういう運気の時ということなのであろうが、そうなるように、普段から少しずつそうなるように事件にスパイスを盛り込んでおくと、ある時期にそのスパイスが効いてきて、それが偶々同時期になることがあるということであろう。無為無策ではそのような運気も向いてこないのである。
 戦国武将が戦争をする前に全ての準備をして、その上で戦いに及んだのと似ているともいえなくはない。
 訴訟外の交渉案件もある程度抱えているが、訴訟になる前に和解で解決することも割合多いが、そうなるためにはやはり事前の準備が必要だということである。

 最近ついている時期に入ったようである。
 ただし、ついていると思って調子に乗ると足下をすくわれたりするので、そういう時期ほど気をつけないといけないということも経験上知っているが。

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