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2008年12月 3日 (水)

若い頃

 弁護士になって5年間は物凄く忙しく、体調を壊しても休んでいる暇すらなかった。
 39度5分の熱を出した状態で泊まりがけで札幌に尋問に行ったこともあるし(どうやって帰ってきたか覚えていない)、40度の熱を出して仕事をしていたら4日目に動けなくなり病院に行ったら肺炎を起こしていたこともあった。
 私の勤務していた事務所は、京都の中でも当時1、2を争う忙しさであったと思う。
 今よりも仕事に対する耐性もなかったのでストレスが溜まることも多かった。
 消費者金融会社が取引履歴を出さないなど当たり前で(今は消費者系弁護士の努力により手紙1本で出てくるが)、相手の社員とよく電話口で怒鳴りあいになり、行政処分の申立書を相手の社員の実名入りで作成してファックスして、「これで出していいか」「出されたくないなら取引履歴を出せ」というやりとりで30分が経過するということもざらだった。
 そのため、債務整理は皆やりたがらなかったのであった。
 利息制限法で計算して提示すると、「京都でこんなんいうのはお前だけや」と電話口で凄まれ、周囲の弁護士に聞いてみると「貸金業規制法でみなし弁済が出来るやろ~。相手の計算をそのまま呑んで分割で支払うと言ったすぐ終わるがな」という驚きの回答が返ってきたこともあった。
 一つ一つの事件がストレスで、今のように手紙1本で取引履歴が簡単に出て、過払い訴訟をしたらお金が簡単に回収できるというようなことは全くなかったのであった。

 弁護士になってすぐに体調を壊して、腹痛がひどい時にボスに医療過誤の被害者の自宅に連れて行かれて(病院側の代理人として)、「彼が担当です。医療過誤の専門家ですので。」と言われて後は放置されたこともあった。
 その他様々にひどい目にあり、体調もガタガタになったりしたが、ある超ベテラン弁護士によると、「弁護士は3回死にかけて一人前や。死にかける度に一人前になっていく。」とのことであった。その先生も3回以上死にかけたそうである。私自身は死にかけたことはないように思うが、死ぬかもと思ったことは5回ほどある。
 それほど激務ということであるが、最近はそこまで追い込まれている新人弁護士を見かけないような気がする。
 時代であろうか。

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