« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月31日 (土)

これだけで勝てるは危険

 偶に、事件が相当進行してから、「これがあるのだ」と言って証拠を出してきて、悦に入っている弁護士がいることがある。
 裁判官は証拠を最初から全て出して欲しがるが、弁護士の側からいうと、最初から全て出すのは相手にいいわけの機会を与えることになるようで、出すタイミングを考えるということはあるだろうが、それでも「これさえあれば勝てる」というような証拠はあまりないといってよい。

 こうして悦に入っている弁護士にはえてして主張立証があいまいであったり雑であったりすることが多いように思う。それは、その証拠を持っていて、その証拠の証明力を過信するあまり、事件全体が見えていないせいでもあろうかとも思う。
 もう一つよくある話としては、そういう弁護士が自信満々に出してくる証拠は、こちらからするとたいした証拠ではなかったりするのであるが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月29日 (木)

DNAの97%

 何かの本で読んだのだが、DNAの97%は何をしているのか分からないそうである。
 理科か生物の授業で習ったと思うのだが、4つのタンパク質の順序だけで分裂して複製して巨大な生物が成り立っている訳であり、考えると不思議で夜も寝られないのだが、97%が解明されていないというのもまた驚きである。この複製の際に間違いが起こって突然変異が起こることはよく知られている。
 ウイルスなども複製の際に間違いが起こって突然変異が起こり、今まで効いていた薬が効かなくなってしまい、そうすると今度はさの突然変異種ばかりが生き残って、さらにそいつに効く薬を…とやっているうちに、耐性があるウィルスが繁殖することになるのである。
 病院で院内感染が起こるのも薬剤に耐性があるウィルスが生き残ってしまっているからである。

 話が逸れたが、これだけ科学が発達しても分からないことだらけというのは不思議である。
 メールやこのブログがどのような仕組みで送られてどうなっているのか、携帯の電波は空中を飛んでいるのであろうが、どんな仕組みなのか、宇宙の果てはどうなのか等と合わせて、DNAの働きと、「なぜそんなことが出来るようになったのか」は、常人はあまり考えてはいけないような気がする話ではあるが、それでも時折考えてしまうのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月28日 (水)

飛蚊症

 視野の中を糸くずのようなものが飛んでいる。
 その糸くずを追うと糸くずも逃げる。
 これが蚊が飛んでいるように見えることから、「飛蚊症」(ひぶんしょう)といっている。

 私もこの飛蚊症がある。
 これは目の中の水晶体の中にあるどろどろした液体のよじれというかしわがそう見えていることが多く、これは特に問題がないので、「生理的飛蚊症」といわれている。
 もちろん網膜に異常がある場合もあるが、たいていはこの生理的飛蚊症である。

 背景が白色の壁などを見ているとよくわかる。
 気になると気になりだして、糸くずというか蚊を追ってしまうのだが、目の水晶体の中にあるものなので、つかまえられる訳がないのである。
 私も一度気になったので目医者で診てもらったのだが、結果は全く異常なしということであった。目を酷使する仕事なので、時々猛烈に目が痛くなり、不安になって目医者に行くと、たいてい疲れ目である。私はパソコン画面を見ている時間が長いせいか、ややドライアイ気味である。

 話が逸れたが、この飛蚊症も、なんとなくストレスがかかわっているような気もしている。
 元気な時にはあまり糸くずは飛んでいない気がするからである。
 あなたの目の中には糸くず又は蚊は飛んでいませんか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年1月27日 (火)

運動と健康

 司馬遼太郎は、徳川家康を描く時、家康は、養生ということを知っていて、鷹狩りで運動をして健康を保つことを知っていたので長生きしたという趣旨のことをよく書いている。
 実際、適度に運動をしないと身体には悪いであろう。

 私は月に1、2度サッカーをしている他は、駅までの往復を自転車、裁判所までの往復を歩くという程度の運動しかしていないが、裁判所まで歩くのも多少は健康のためにはなっているであろう。

 先週の土曜日は法務局と試合をしたのだが、とても寒かった。寒いと筋を痛めたりするのである程度アップが必要である。前日一時まで飲んでいたので、あまり走れなかったが、やはり運動(特にサッカー)はいい。
 少しでも運動をすることも弁護士には必要であると思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月26日 (月)

続・生き物いろいろ

 少し前に私の飼ってきた動物等の話を書いたが、手乗り文鳥やセキセイインコ、ジュウシマツも飼った。
 記憶があいまいだが、伝書鳩レースの漫画があり、それを読んでいて鳩が飼いたいと思ったが、当然伝書鳩など飼えるはずもなく、仕方なくジュウシマツ、手乗り文鳥、セキセイインコを飼った。

 ジュウシマツというのはものすごく増える鳥で、放っておくとどんどん増える。
 これは小学生の時と高校生の時に飼っていた記憶があるが、小学生の時は最後どうなったのか記憶になく、高校生の時は寒波か何かでやられてしまって死んでしまった。高校生の時は私が飼ったというよりは、母親が何かを思いついて飼っていたのであったから、鳥を飼っていたのは全て小学生の頃である。
 手乗り文鳥は小さい頃から慣らせると名前の通り手に乗って来て慣れる文鳥で、かわいがっていたが、これはあまり繁殖しなかった記憶である。
 セキセイインコは、二回飼ったが、一匹目は自分で鳥かごを空けて飛んで行ってしまった。
 二匹目は飛んでいってしまわないように自宅の玄関に置いていたのだが、当時住んでいた家は隙間から裏の大きい駐車場に居るイタチが入り込むような家だったので、ある朝起きるとイタチにやられてしまっていた。当時小学生であった私はイタチを仇と誓ったものである。

 その後、小学校高学年になり、大きいインコか九官鳥を飼いたかったのだが(話をする鳥が欲しくなった)、高くて買えず、そうこうしているうちになぜか鳥に興味がなくなり、今は鳥を飼おうなどと全く思わない。
 鳥に関しては、自宅の近くのサイクリングロードを歩いていると、冬場は琵琶湖に渡ってきた大型の渡り鳥が琵琶湖につながる水路に来ていたり、小さい渡り鳥がそのあたりをキョキョキョキョ鳴きながら飛んでいるのを見たりするので満足である。
 小さい黒と白のコントラストが美しい鳥が今頃はよく来ているのだが、これは何という鳥かも知らないのであるが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月23日 (金)

読書日記1月23日

 「黒の様式」松本清張。新潮文庫。
 松本清張の復刻版が出ていたので本屋で購入。
 自慰を覚えて歯止めが効かなくなり学業成績が下がった男子高校生が歯止めをかけられた訳は…。
 人間の暗い部分を描き出す松本清張の筆がさえ渡る中編が3つ収められている。

 「金正日の正体」重村智計。講談社現代新書。
 影武者がいるのは本当か、死亡説は本当か、北朝鮮は集団合議体制であるのか等々、緻密な取材から得た北朝鮮情報から、現代の北朝鮮の状況が書かれる。
 ノンフィクションもやはり面白い。

 「義経(上)(下)」司馬遼太郎。
 司馬の作品は明るい作品がほとんどであると言われている中、暗い作品が2つあり、そのうち一つがこの義経であると言われている。
 なぜ義経が頼朝によって殺されなればならなかったのか、頼朝の置かれていた危うい地位とそれを理解しない政治的無能力者義経という対比で描かれる。
 司馬は義経のことを政治的に無能であったと酷評しているが、司馬は義経が好きであったからこそ義経を酷評し続けているような気がする。
 好きであるからこそ、その無能さが惜しく、批判してしまうという印象をもった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月22日 (木)

私事ですが

 昨日、次年度の京都弁護士会の副会長に当選いたしました。
 副会長になると多忙になり、中々ブログの更新もままならなくなるかもしれませんが、このブログを読んでいただいている読者の方々の期待を裏切らないよう適宜更新したいと思います。
 今後とも私と中隆志法律事務所を宜しくお願いします。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年1月21日 (水)

ぼったくり弁護士

 弁護士の中には、弁護士費用をぼったくる人がいる。
 ぼったくる人に限って、仕事はきちんとしない。
 個人の依頼者にとって、弁護士を依頼するのは、人生に1回あるかないかが大半であろう。
 そうすると、その弁護士がいい弁護士かどうかなどはわからない。

 敗訴リスクの説明もなしに、「勝てる」といって、費用を高額に取る場合は、事件としてそもそも成り立たないことが多い。勝訴の見込みがないので、最初に着手金を高額に取るのである。
 報酬の基準からしてこうなるという費用の説明があり、敗訴リスクの説明があり、話をじっくり聞いてくれるかどうか、事件の進行状況について報告があるかどうか、事件の進行が遅い場合にその理由について説明してくれているかどうか、依頼者から何度か連絡をしている場合に弁護士の方から連絡をくれるかどうか、和解をするについて、依頼者の意向をじっくり聞いてくれるかどうか、相手から出た書面の写しを送ってくれるかどうかなどがメルクマールとなるだろう。
 意外に出来ていない弁護士が多いが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

切腹の夢

 少し前の夢だが、切腹の夢を見た。
 たぶん幕末のものや戦国ものを多く読んでいる為にそのような夢を見たのであろうと思う。

 切腹の場所に座って腹をくつろげようとする場面なのだが、自分がなぜ切腹しなければならないのかが全く分からず、それなのに「死ななければならない」ことは覚悟していて、短刀を自分の腹に突き立てなければならないということはわかっているが、その覚悟が揺らぐのである。

 追い込まれなければ人間の真価はわからないというが、切腹の場面になっていろいろと考えて覚悟が決まらない私は小さい人間なのであろうと思った。
 したくないなあ、切腹…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月19日 (月)

先入観

 事件の相談を受けるについて、先入観をもって入るとろくな事がない。事前にFAXなどで資料を送ってもらうとしても、それは資料として読み、必要な検討はした上で、かつ、判例や法令を調べるのであれば調べた上で、相談に入るときにはそのようなことはいったん横において、虚心坦懐に相談を聞くべきである。
 この証拠があるから勝てるとか、この筋の事件はこうにきまっているとか思いこんだ時点でそれにとらわれてしまう。
 裁判官にはいろいろな見方をする人がいて、同じ証拠を見ても判断が2分することがあることを前提に考えなければいけない。
 いざ相談に入ると、資料からはわからなかったことが多々出てくることがあるし、つっこんで聞いていくと経過一覧などに書かれていない重要な話が潜んでいることもある。
 いかに先入観を持たず、白紙のような状態で聞けるかというのも相談にとっては重要である。
 私が十分出来ているかは別問題だが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月16日 (金)

龍馬の放胆

 龍馬は自分の命についてどのように考えていたのであろう。
 彼は土佐藩を脱藩後、土佐藩が脱藩の罪を許し(龍馬からすれば龍馬は天下の龍馬であり、土佐藩が許すというのは片腹痛いというところであったろうが)、土佐藩邸にいるように言われても京都市中の普通の家屋でぶらぶらしていた。

 寺田屋で襲われた後も、彼の妻であるおりょうと手をつないで河原町通りを歩いていたというのである。さすがに薩摩藩士が見かねて、幕府の目もあることだからと言って連れ帰ったということであるが、自分に天命がある以上死なないと思っていたのか、幕府の目を恐れて戦々恐々としている風情では大事をなせないと思っていたのか。その心境はわからない。
 当時の河原町通りは、今私の事務所がある近くの南北の広々とした通りではなく、人が2人歩くといっぱいいっぱいであったというから、人目につくことは今とはちがったであろうが、それにしてもその放胆さは比類がない。
 京都に数多くいた肩で風を切って歩いていた勤王志士も、通りの向こうから新撰組が歩いてくるのを見たらみな蜘蛛の子を散らすように細い路地に逃げ込んだのとは大違いである。
 龍馬は千葉秀作の弟の道場で最強の男であり、桂小五郎も龍馬に試合でやられたことがあるので、相手の方も龍馬に対して斬りかかるには相当の覚悟がいったであろうが、それにしてもその放胆さには恐れ入る。
 そのような肝の太さがなければ、幕末の薩長同盟や大政奉還の絵は描けなかったということであろうか。
 口の悪い勝海舟も、「明治維新は龍馬が1人でやったことさ」という趣旨のことを話しており手放しで誉めている。
 私などにはほど遠い放胆さである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月15日 (木)

逆流性食道炎

 ひどい胸焼けがしたら、これを疑った方がいい。胃液が逆流して、食道に炎症が起こる病気である。私もこれの疑いがあり、胃酸を抑える薬をもらっている。胃液の逆流により喘息発作が起こるという仮説もあり、喘息発作の予防の意味もあり、毎日就寝前にタケプロンという薬を飲む。胃酸の分泌を抑えるという意味では、H2ブロッカーなどよりも強い薬である。
 胃液が逆流しないように、寝るときは頭を少し高くして寝ている。安宿に泊まると、枕が低くて翌朝は胸焼けがする。
 これの原因はいろいろといわれているのだが、年齢とともに胃と食道をつなぐ門のところのしまりが悪くなり、胃液が戻ることや、食事が欧米化して脂っこいものを食べるようになった為などといわれる。
 ただ、欧米化により日本人の体格はよくなったのであるから、悪いことばかりでもあるまい(私は身長は低い方なのでその恩恵は受けていないが)。
 欧米化しすぎて、今度はメタボリックシンドロームが話題になっているが。
 また、私はコーヒーじたいは嫌いではないのだが、飲むとその夜は胃がきりきりと痛み、翌日も胸焼けがひどい。逆流性食道炎の人はコーヒーなども控えた方がよいと書いてある。
 胸焼けがひどい人は、疑った方がいい病気である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月14日 (水)

要領の悪かった私

 今は仕事はそれなりに速い自信があり、要領もそれなりにいいと思っているのだが、小さい頃からこうであった訳ではない。むしろ要領が悪かった。

 小学校の時の最初の漢字テストは、たいていどの子も最初なので10点満点中10点か9点、悪くても8点くらいは取る。
 しかし、私は最初の漢字テストが2点であった。
 小学校の教師はこの結果に驚き、私は母親とともに個別に呼び出されるはめになった。
 なんということはなく、3つめの漢字が分からなかったのである。
 飛ばしてやるという発想がなく、3個目でウンウン唸っていたところ、時間が終了してしまったのである。
 同じクラスで3点の子がもう1人いて、4個目が分からなかったのである。

 その理由をいうと、小学校1年生の担任の教師は大笑いして、「飛ばして、最後までやってから、分からないヤツを考えたらいいの」といわれた。私は順番に解くものだと思っていたのである。今の私からしたら考えられない話である。
 もう1人3点の子もその後それなりの進学高校に入り、浪人していたところまでは知っているが、その後どうなったであろう。2点の私はその後京都大学に入ることが出来たが、小学校1年生の担任の先生が聞いたらたぶん信じられないであろう。

 私は元々1を聞いて10を知るタイプではないということであり、過去の経験からいろいろと考えている。
 最初のテストが2点でも弁護士になっている。
 まあ先はわからないということである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月13日 (火)

集団お遊戯

 先日テレビを見ていたら、お遊戯か何かのVTRをしていた。ハプニング集みたいなやつである。
 幼稚園とか小学校とかで集団でやるお遊戯である。

 私は小さい頃、集団でやるこのお遊戯が大嫌いであった。天性あまのじゃくなのか、人と同じことをしたくないのである。命令されるのも嫌いであった。
 しかし、だからといって先生を敵にするほどの気概もない私は、いつも集団お遊戯を「イヤイヤ」やっていた。そのため、先生にはやる気のないのがばれてしまい、いつも叱られていた。勉強は一応よく出来たのだが、お遊戯は全く出来なかったのである。消極的反抗である。
 今も思うが、あのお遊戯というヤツはいったい何の為にあるのであろうか。社会性を学ばせるというのであろうか。日本はああいう横一列みたいなことをやらせるからだめなのではなかろうかとも思うのである。子どもの頃はそこまで考えていなかったが、単に「みんなと全く同じことをするのがイヤ」で、一生懸命にやって先生から誉められて喜んでいる子どもを見て、「ケッ」と心の中で思っていたのであった。
 今もあからさまなビジネスマンの格好をするのが大嫌いで、七三分けに眼鏡というスタイルは死ぬまでしたくない。本当はネクタイをするのも嫌いである。
 だからといってジーパンで法廷にいくほどの度胸もないし、これもまた人まねになりそうでイヤなのである。
 とにかく、集団お遊戯は廃止すべきである。まあ私はもうやらないからいいけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月12日 (月)

岩崎弥太郎の師匠

 司馬遼太郎の竜馬がゆくを読んでいると、岩崎弥太郎の話が出てくる。
 岩崎弥太郎は、いわずとしれた三菱財閥の創始者であり、明治維新のどさくさの中、土佐藩の借金を背負わされた代わりに土佐藩の資産を個人的に譲渡を受けて、その資産を元に三菱財閥を大きくしたことはあまりにも有名である。

 岩崎弥太郎は、若い頃入牢していたことがあり、そのときに同じ牢に入っていた某という人物から算術と簿記の知識を教えて貰った。
 そのときに、弥太郎はそのときは礼をする何ものも持たなかった為、他日自分がこの知識を元に栄達した場合、長持の中に金を入れて差し上げるという話をしていたということである。
 後にこの某は落剥し、明治維新後に三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎がそのときの教え子であるということを知り、周囲の人に牢での話をしたところ、周囲の人はみな、「そのときの約束を元に金をもらいにいくべきだ」という趣旨を述べたが、その某は、「俺を物乞いにする気か」と一括して一顧だにしなかったという。
 もっとも、この某の死亡後、その子孫に三菱財閥は多くの金員を送ったということである。

 私は、この某のような人物が好きである。人が栄達した途端にすりよるような真似はすべきではないと思う。
 いい事件(弁護士にとって楽でお金が儲かる事件)にだけ力を注ぎ、お金にならない小さい事件には手を抜く弁護士もいるが、そのような志ではありたくないものである。前にも書いたが、私はボスからどのような事件でもなんとかならないかと考えるべきだという姿勢を学んだ(実践できているかは常に自省しているが)。
 その意味で、私は自分の名前に「志」がついていることに感謝している(つけたのはあの父親だが)。そのため、名前の「志」の字を他の字と間違えられるとむかっとする。これは余談。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 9日 (金)

ついていない時期

 ついていない時期には何をしてもだめである。
 訴訟には負けるし、サッカーでもシュートがことごとくゴールの枠を外れる。

 特段今がそうだという訳でもないのだが、年末年始に気が緩んだせいでひいた風邪の治りが悪く、なんとなく憂鬱である。仕事をしている間は気が張っているので忘れているが、気を緩めると体がだるくしんどい。
 昨年も一度勤務弁護士のKがゴホゴホやっていた後にその風邪をうつされ、事務員のN西さんまで風邪をひいていた。その風邪はしつこかったが、どこかにその風邪菌が残っていたのかもわからない。

 仕事が始まると仕事は風邪をひいていても待ってくれない。
 こつこつと出来る範囲の仕事をしている状態である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月 8日 (木)

読書日記1月8日

 昨日、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み終えた。文春文庫で全8巻。
 読み終えた今は大きい喪失感がある。

 私にとって龍馬はこれまで何となく毛嫌いする存在であった。
 世の中であまりにも英雄視され、人気があり、偶像化されていることでかえって敬遠してしまっていた。
 その人気は司馬作品によるものであろう。
 その意味で、竜馬がゆくを読むというのはその敬遠しているものに自ら近づくという行為でもあった。
 おそらく、竜馬を読むことによって、自らが竜馬を毛嫌いしていたというのは実は憧憬の裏返しであることを認めることになることを自ら分かっていたからではないかと思う。
 
 ご承知のとおり竜馬は薩長同盟を成立させ、自らも海援隊として倒幕の一勢力となり、大政奉還の案を作り、五箇条のご誓文の原型となる船中八策を作ったということで、竜馬がいなければ明治の世がやってきたかどうかは分からないのである。
 司馬は竜馬を奇跡であるといっている。

 司馬も竜馬の死は書きたくなかったのであろうか、死のところは物語全体からするとあまりにあっさりしている。
 ただ、竜馬自身は明治になってしばらく忘れられていて、その後一時期有名になった時期もあったようであるが、何よりも竜馬は司馬作品によって戦後のブームを呼んだといえるだろう。
 この作品が私が生まれる数年前に完結していることに驚きを禁じ得ない。40数年前の作品とは思えないのである。
 司馬は晩年国を憂えるようになり小説を書かなくなってしまったが、もっともっと小説を書いて残して欲しかったと思うのである。司馬の配偶者である福田みどりさんも小説をもっと書いて欲しかったといっておられる。

 正しくは龍馬の表記のようであるが、龍馬は死ぬことによってさらに英雄としての地位を大きくしたようである。非業の死が後の小説家によって材料ともなるからである。
 なんとなく散漫な感じでしか書けない。
 そのうちぽつぽつと龍馬のエピソードを書くこともあろうかと思うが、今はただ読後感に浸りたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月 7日 (水)

記録の整理

 年始は記録の整理をする。
  弁護士は事件終了から3年で記録の保管義務を免れるのだが、一応5年近くは置いている。
 事件が終わると依頼者に全て記録を返却するので、過去の記録はないと豪語していたベテラン弁護士がいるが、私の解釈では、依頼者に返却したからといって保管義務を免れるものではないと思う。
 事件が終わって終了記録の棚に移動する際預かった原本は返却するが、事件記録じたいはこちらも保管していないと関係者からの問い合わせにも答えられない。
 破産事件などの多重債務事件は3年も経てば不要になることが多いので、事務員に任せて、破産事件だと債権者一覧表と破産決定・免責決定を除いて業者に依頼してシュレッダーをかける。債務整理案件だと合意書である。
 一般事件はその事件ごとに内容が違うので、年始に古いものは自分で整理している。
 普通の事件だと、和解調書や判決、依頼者への送金の控え等の金銭関係などを置いておく。かなり経過しても突然火を噴き出そうな事件や思い入れが強い事件などはそのまま置いておく。
 初日と昨日である程度整理したが、整理しながら申し訳ないが全く依頼者のことを思い出せない事件もある一方で、ひどく印象に残っている事件もあり懐かしい。
 とはいいながら忘れている過去の依頼者は会うと思い出すものなのだが。
 いい解決が出来た事件は整理しながらも明るい気持ちになるが、あまりいい解決が出来なかった事件は整理しながら暗い気分になる。
 少しずつ仕事が本格的に動き出している。
 今日から始まる事務所とか、今週は休む事務所もあるようである。貧乏性なので5日から開けているといいこともあるような気もするが、はてさてどうか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年1月 6日 (火)

予定よりも早く目覚めた時

 時々、予定より早く目が覚めてしまうことがある。
 人間の眠りは一定の周期があるため、その周期がちょうど終わった時に目覚めることのようである。逆に、周期の中で深い睡眠の時に起こされたり、目覚ましがなったりすると、それなりに寝ているのに眠気が取れないらしい。

 私の周期はだいたい90分で、6時間で目覚めるとすきっとするはずである。本当は7時間半は寝たいのだが、朝は7時ちょうどに起きるので、そうすると11時半には眠りにつかないといけないので、それは不可能なのである。
 朝起きて、6時とかだと「あっ。あと1時間も寝られるやん。」と思って嬉しいが(そしてもう1回寝る)、起きてみて予定時間にあと10分とか5分とかない時に起きると何か損をしたような気になる。もう一度ぐっすり寝るには時間が足りないし、寝入ってしまうと起きられない。そのため、まどろんで目覚ましがなるのを待つのだが、実際に目覚ましがなったら「ちっ。」という気持ちになる。
 目覚ましがなる直前にほぼ起きていて、少しずつ目覚ましが小さく鳴り出した時に止めて、気持ち良く起きられるのが理想である。
 まだ仕事始めで眠い。

 ただ、どれだけ寝ても「寝だめ」は理論上出来ないようで、よく睡眠をとっても午後2時とかには睡魔が襲う「魔の時間帯」があるようである。
 スペイン人だとシェスタ(昼寝)をするのであろう。
 ああ眠たい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月 5日 (月)

今日から仕事

 今日から仕事である。
 体が仕事に慣れるまで少し時間はかかるであろうが、仕事は待ってくれないので、頑張るしかない。
 弁護士も3名体制になったことであるし、発展の年としたい。
 あらためて、今年も中隆志法律事務所とこのブログをよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 4日 (日)

明日から仕事だ

 明日から仕事である。だいたい休みに入って4日目くらいになると仕事がしたくなるが、それ以上となると仕事をする気がどんどんなくなってくる。
 仕事はそれほど嫌いな方ではないけれども、やはり長い休みで気力がだれるのであろう。
年末年始はだらだらと過ごしていたが、中々そうそう本も読めず(本も読むのに気力がいりますし)、もう少し有効な時間の使い方は出来なかったものかという思いもある。
 休みの終わる前日には手帳を見て今週一週間の予定を考えることにしているが、最近は事件の進行するスピードも速く、1月最初の週から打ち合わせが割合入っている。
 年始めは年賀状の整理をしたあと、事件記録の整理をするのが常であるが、それも十分に出来るかどうか。
 気合いを入れすぎてもいけないであろうし、入れなさ過ぎてもいけないであろうから、とりあえず自分のペースでやっていくことにしたい。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 3日 (土)

読書日記1月2日

 年末年始の休み前から、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読み始めた。
 出来れば年内に全8巻を読み終えたかったのであるが、まだ7巻を読んでいる。
 その意味では読書日記ではなく、途中日記であり、まとまって書ける状態ではない。
 また後日読後感を書くことになると思う。

 あと、今少しずつ「伊勢物語」を読んでいる。
 いうまでもなく古典である。
 なぜ伊勢物語を読もうと思ったのかと聞かれると、実のところよくわからない。
 ある日衝動的に「伊勢物語」が読みたい、と思ってしまい、週末に本屋に行き、伊勢物語のもっとも読みやすそうな本(現代語訳付き)を買ってきた。
 こればかり読んでいると頭が疲れるのと、裁判所に出す書面に古語で書いてしまいそうで(まあそんなことはないであろうが)、少しずつ他の本と平行して読んでいる。
 主人公は在原業平(ありわらのなりひら)とされているが、このあたりもよくわからないようである。作者も成立年代も不詳。
 ちなみに、武田信玄が上野を攻略したが、ある1人の名将が居るために果たせず、その名将の死後ようやく上野を攻略したことがあった。彼がいる限り上野は攻略できないと信玄にいわしめたほどの名将である。
 その名将の名を長野業正(ながのなりまさ)というが、長野家は東国に流浪した在原業平の子孫であると称していた。
 これは余談である。
 私は歌を解したり詠んだりすることの出来る詩情もない男だが、学生時代嫌であった古典も、趣味の読書としてする分には面白い。
 これもまだ途中の読書日記なので、また後日読後感を書くことがあるかもしれない。
 なんとなく途中だが、書きたくなったので書いてみた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 1日 (木)

新年明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 今年は私事ではありますが、問題なく進めば、弁護士会の公務に就く予定であり、多忙な1年となりそうです。その中でなんとかブログも更新していきたいと考えています。
 事務所は5日から執務開始ですが、新年からは、パートナー弁護士が加入して、弁護士が1人増えますので、益々多様な事件を引き受けさせていただける態勢も整ってきます。
 変革と多忙な1年となると思いますが、なにとぞ昨年同様のご厚誼を賜りますよう切にお願い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »