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2009年2月27日 (金)

岡左内

 戦国・江戸時代初期の武将である。
 戦国時代は、お金は卑しいものとされ、武士がお金にこだわることは卑しいこととされていた。
 有名ではあるが、今大河ドラマ天地人(ただし、私は一度も見ていないし、これから見る予定もないが)の主人公である直江兼続の逸話がそのことを示していよう。

 天正大判を入手した伊達政宗が、聚楽第でそれを武将たちに見せて周囲の武将も感心していたところ、政宗が直江に対して、「手にとって見よ」というと、直江はそれを持っていた扇子でぽんとうけて扇子の上でぽんぽんとひっくり返して政宗にぽんと返却した。
 政宗は、直江が陪臣(上杉景勝の家老であるため、大名の政宗からすると、同格の大名の家臣に過ぎない)であるため、遠慮しているのかと考えて、「遠慮せずに手にとって見よ」と言ったところ、直江は、「この手は亡き不識庵謙信公(上杉謙信のこと)以来、軍配を預かる手でござるので、そのような穢れたものを手に受けることは出来申さぬ」と答えたというのである。
 これを聞いた政宗は鼻白んだというが、この逸話を見ても、金銭は穢れたものという発想が戦国時代にあったようである。

 ところで、本稿の主人公である岡左内という武将は、関ヶ原の戦いのころには上杉家に仕えていた。
 この岡左内は、金銭を貯めるのが趣味で、休みの日に小判を畳いっぱいに並べて、その上で素裸で昼寝をするのが趣味であった。不識庵謙信以来、質実剛健、武を何よりも重んじることで名が高い上杉家では、左内は嫌われていたようである。左内は家中に金貸しをしていたことも影響しているだろう。
 しかし、いざ関ヶ原の戦いの前哨戦であるところの家康の東下に際して、左内は、「金はこういう時に使うものだ」として上杉景勝に軍用金としてその金をぽんと献上した。普段左内を嫌っていた上杉家の家中の士もこれには感嘆せざるを得なかったという。

 左内は関ヶ原の戦いが敗れた後、伊達家との戦いにおいて殿を務め、追撃してきた伊達家の兵と戦い、政宗と一騎打ちをして政宗の陣羽織を奪ったこともあり、武勇の士でもあった。

 上杉家は関ヶ原の戦いの後、120万石から30万石に減封され、左内は上杉家を去った。上杉家退転に際して、彼は証文を焼き払ってしまったという。
 人に嫌われても、金を貯めて、その金を生きるように使ったということで、左内は信念の人といえるだろう。
 こんな男はいまの世の中にいるだろうか。

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2009年2月26日 (木)

電車に乗ってくるのに降りる人にぶちあたる人たち

 電車に乗っていて降りる時に、乗ってこようとする人たちがドアいっぱいに並んでいて横に避けようともしないことがけっこうある。
 座りたいのかも知れないが、降りる人を押しのけて入ってこようとする輩も居る。

 私はこの手の人たちが大嫌いで、サッカーのショルダータックルの要領で肩で跳ね飛ばして降りることに決めている。サッカーをしているので当たるのは得意である。
 というか、跳ね飛ばさないと降りることも出来ない。
 お婆さんだと危ないので、出来るだけ避けて降りるのだが、それでも体は当たる。若い人とかオジサンに対しては容赦はしない。
 今朝もそうして降りたし、ほぼ毎日そうして降りないといけないような印象である。
 東京のラッシュを経験したことはないので、東京のラッシュなどだと当たり前なのかもしれないが、そんなに混雑している訳ではないホームでわざわざドアの真正面に並ばれるとむかっと来るのである。

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2009年2月25日 (水)

読書日記2月25日

「黒祠の島」小野不由美、新潮文庫。
 異国世界のファンタジー小説「一二国記」や吸血鬼伝説を描いた「屍鬼」(←これはむちゃくちゃ面白い!!!)などの作品がある小野不由美のミステリー小説。
 孤島で発生する連続殺人ということで小説の設定が横溝正史風であり、設定じたいは楽しめたが、かんじんのトリックがやはり横溝正史などに比べると数段劣る点が残念であった。

「なぜグリーン車にはハゲが多いのか」佐藤明男。幻冬舎新書。
 表題に惹かれて購入。けっして、「なぜハゲはグリーン車に乗るのか」ではないことに注意。若ハゲは男性ホルモンが多く、リーダーシップがあり、仕事が出来て、性的にも強いのだということで書かれた新書。内容はすぐに読めるし、面白いことは面白かったが、私の周囲で若ハゲで仕事も全然出来ないし、リーダーシップもないという人は何人かいるので、本を売るために単一化しすぎている嫌いがあるだろう。

「花咲ける上方武士道」司馬遼太郎。中公文庫。
 司馬遼太郎の初期の作品。司馬の初期の作品は、架空のヒーローを描いたものが多い。池波正太郎の「剣客商売」のような感じで、読み物として気楽に読める。
 時代は幕末。公家だが剣を学んで、めっぽう強くて女性にもてまくる主人公の高野小将の活躍を描く作品。剣戟有り、女性との色恋あり、謎の忍び集団ありの時代小説の王道小説といえる。

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2009年2月24日 (火)

バレンタイン&ホワイトデー

 学生の頃はバレンタインは憂うつなものであったが、最近は義理チョコをそれなりの数を貰えるので憂うつでなくなった。義理チョコでも嬉しい。
 チョコと一緒にプレゼントをいただけることもあり、これもまた嬉しい。
 今年は手袋が傷んできたので、事前に聞いてくれた人には手袋をリクエストしたところ、黒色と茶色の手袋をもらうことが出来た。もう使い始めております。ありがとうございます。
 後は机の周りに写真をセロハンテープで貼り付けているのを見られたところ、さっと写真立てを贈ってくれた女性もいる。なんとなくもったいなくて、いい写真が出来るまでとっておきたい気分である。

 さて、バレンタインの後はホワイトデーがあるので、お返しを考えないといけない。
 私はここ数年間、鎌倉にあるホルトハウス房子という人の店でチーズケーキをチョコを貰った人へのお返しに、プレゼントをくれた人には小さいトップがついたネックレスをお返しにしている。
 このホルトハウス房子のチーズケーキはとてつもなく美味しい。正直値段もそれなりにするのであるが、ホワイトデーの時期にはお返しとは別に事務所用に1つ購入する。
 これはある男性雑誌に「大人の男のホワイトデーのお返し特集」というのに数年前に載っていたので「これや!!」と思って買い出したのだが(相変わらず底の浅い理由である。深みがない)、今のところ大好評である。
 今年も注文したが、原材料の値上がりなどで価格が少しずつ上がっている。でも美味しいし年に一度の贅沢注文なのでよいだろうと思っている。
 値段はそれなりにしますが、美味しいので一度お試しを。ネットで注文も出来ます。

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2009年2月23日 (月)

月曜日

 ワーカホリックなところがある私も、月曜日は憂うつである。
 日曜日の夜には、月曜日の朝からすることや優先的にしなければならないことをあげておくようにしているが、日曜日の夜に月曜日からまた働かないといけないと考えると人間であるので憂うつであることは否定しがたい。

 事務所に入ってしまうと、月曜日は電話が多く、仕事をしているうちに憂うつな気分は消えて、普通通り仕事に入ることが出来るのであるが、それが分かっていても何となく月曜日は憂うつである。
 日曜日に昼寝をしすぎて日曜日の夜は眠りが浅く、月曜日の朝が起きがたいというのも憂うつな理由である。スペイン人ではないのだが、適度に昼寝をしないと体調が悪くなるので、昼寝をしているが、しすぎるのもよくない。

 憂うつさと同時に、今週一週間はどのような週になるか、楽しみなところもあることもまた実である。
 働かざる者食うべからず。
 資本主義の原則であるので、今週も頑張りたい。

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2009年2月20日 (金)

死刑と無期懲役の間

 先日判決が言い渡されたいわゆる江東区バラバラ殺人事件で、東京地裁は星島被告人に対して無期懲役の判決を言い渡した。検察官は死刑を求刑していたことから、検察側が控訴するかどうかが今後の焦点である。

 この裁判は裁判員裁判を見据えて、検察側は法廷で映像を駆使してビジュアル化を試みていることが報道されていた。殺害後死体をバラバラにした行為の再現や被害者の肉片の写真を出して遺族が号泣したことも報道されている。
 このような検察側の手法に対する賛否については両論あり得るであろうが、マスコミは概して批判的であるといえるだろう。ただ、この稿ではその論点について触れることが目的ではない。死刑と無期懲役の間にあるものを考えたい。

 被害者一名であれば原則死刑は出ないというのがおおむねの日本の量刑相場であるといえる。なぜそのようになったかというと、最高裁が死刑はありとあらゆる観点から被告人の罪責を考えたとしても極刑を持って臨むしかないという場合でなければ死刑判決をすべきでないという判断をしたからである(少しはしょって書いているので、正確ではないのでそこはつっこまないように)。

 しかし、死刑と無期懲役の間には、とてつもなく深い溝が横たわっていると思う。最近は無期懲役の終身刑化が進んでいるといわれるが、過去は仮出獄で割合早く世の中に出てきていたのである。それに対し、死刑は被告人自身未来がなくなるのである。

 この2つの刑の間にある深い溝は、被告人にとってもそうであろうし、被害者の遺族にとってもそうであろう。ただ、そのあり方は異なっているであろう。
 裁判官たちも、自らが人の命を奪う判決を書くことは心理的な抵抗があるようであり、何かのエッセイで読んだ記憶があるが、死刑判決を言い渡す前に法廷に向かいながら、裁判官が3人とも、被告人のために「何かいい情状はないのか」を探して、「やはりない」ので「死刑」しかないという結論を再確認するたびにため息をつきながら法廷に向かうというのである。
 この逸話からすると裁判官にとっても溝の深さは計り知れないのであろうし、求刑する検察官にとってもそうであろう。私は修習時代死刑求刑をする直前の公判検事を見たが、張りつめた、沈痛な表情であった。
 そして、(どんな反吐が出るような、虫酸が走るような悪事を働き、反省が一切ないような)被告人のために刑を少しでも軽くするための活動、すなわち弁護をする弁護人にとっても溝の深さはそうであろう。

 私はどういう場合に被告人を死刑にすべきということを一概にいうつもりはないし、そのようなことを言えるような男でもない。
 刑事処罰が当該被告人に対するものである以上、その被告人側の事情もある程度考慮されるのもやむを得ないとは思う。
 しかし、被害者側の事情が生者である被告人ほどに汲まれているのかどうかについてはどうなのであろうかと思うことがある。
 被害者は死亡していて被告人に対して何をいうことも出来ない。殺人事件の場合、被害者の将来はその被告人によって奪われている。そして、多くは被害者に落ち度がないことが多い。
 そのような場面で生者である被告人側の事情ばかり強調されてよいのか。
 人1人殺した場合でも、最高裁のいう基準によっても死刑が与えられる場面は当然あるのではないか。

 一般的に、日本人は死体についてもそれを仏としてただの物体とは見ない。生きていた時の姿で葬儀をあげることを望み、骨についても墓に納めてその死を悼む。
 ところが、この事件では、遺族はそれすら許されなかったのであるが、その常軌を逸した行動のインパクトがあまりに強く、殺害後の行動をどこまで重視するかという点がポイントとなりすぎたのではないか。
 被告人の殺害動機も、性の奴隷にしたかったという全くの身勝手なものであり、多くの場合、被害者からすれば、殺されるいわれは全くないのである。
 死刑を科すべきであったのか。あるいは無期懲役でよかったか。
 この判決をどう見るか。

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2009年2月19日 (木)

お葬式の作法

 私は作法に疎いので、ナイフとフォークで食べる時は辛い。
 後はお葬式など決まり事が多い式も苦手である。作法に疎いからである。
 いつも「どうやっけ」と思いながら適当にやっている。これは、小学校1年生の時にハーモニカを吹くことをまじめに覚えようとせず、テストがないことをいい事に適当に吹いていた性格が災いしている。つまりは、作法を覚える気がないのである。これが不思議と仕事となると別なのであるが、基本的に性格がズボラなのであろう。あるいは、弁護士として活動している間は別人格なのかもわからない。

 昨日もお葬式に参列したが、まず未だに焼香の仕方が分からない。毎回前の人を見て真似ようとするが、皆やり方が違う。確かどこかで3回やるのは実は間違っていて、1回でいいし、額の前にかざすことも必要がないと聞いたか読んだような気もするが、これとても怪しいものである。まあ、誰かが勝手にルールを決めたものであるから、アバウトでもかまうまいというのが本当のところである。故人を悼む気持ちがあれば、それでよいではないかという気がする。

 数珠の持ち方も実のところ怪しい。ただ、これは前に何かで調べたところ、宗派によって違うようなことが書いてあったと思う。これも自分の宗派はこの持ち方と誰かが勝手に決めたものであるから、自分の持ちやすい持ち方であればよいであろうと高をくくっている。
 私が自然とする持ち方は禅宗の持ち方のようである。

 話は逸れるが、確か私の家の宗派は浄土真宗である(田舎も和歌山県の「御坊」というくらいだから、過去に浄土真宗の寺があったはずである)。しかし、もちろん宗派に対する思い入れなどもなければ、一般的日本人程度の宗教心しかない。
 ただ、気持ち的には禅宗に惹かれるところはあるといえばあるが、禅僧のような暮らしはしたくないし、禅僧のように哲学的に生きることも出来ない。精神の世界に生きるよりは現実的世界の中でどう生きるかを考えてしまうからである。

 ともあれ、故人の冥福を祈りたい。

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2009年2月18日 (水)

弁護士になって最初の5年をさぼると生涯いい仕事は出来ない(と思う)

 今から思うと恥ずかしいことも随分したが、勤務弁護士の頃はとにかくよく働いた。独立してからさぼっているという訳ではないが、勤務弁護士の頃は働きすぎて一時頻脈が出て体調を壊したこともあった。最高時は手持ち事件が自分の事件と合わせると200件くらいになっていたこともあった。そのうち、大手顧問先の定型的事件が90件ほどであったが、この顧問先は出張が多い顧問先で、出張も行きまくっていた。1日8件電話会議が入っていたこともある。

 弁護士になってまず先輩に言われたことが、「最低給料の三倍働け」ということであった。給料分すら中々働いているという実感が持てなかった私は、とにかく事件を配点されるとその頃出来る範囲でやれることは全てやった。

 事件のことを考えていて眠れなかったこともしばしばであるし、眠る前にパソコンに向かって事件のメモを打ち込んでフロッピー(当時は今みたいにUSBがなかったのである)で事務所に持っていってそれを元に考えたり、訴訟の行く末によっては依頼者の人生に多大な影響が出ると考えられる事件では、胃が痛くなり食事が喉を通らず、きりきりした胃で吐きそうになりながら法廷に行ったことも何度もあった。
 周囲からは私は仕事であまりストレスを受けないタイプだと思われていたし、今もどちらかというとそう思われているようであるが、あまり表情に出ないのでそう見えていただけであって、弁護士の仕事は恐ろしく、そんな生やさしいものではないのである。ストレスを感じない人がいれば、それは仕事の怖さを知らないからである。

 たまに1年目からやたら自信があるタイプもいるが、こういう輩は弁護士の仕事の恐ろしさを全く分かっていないので、絶対にいい仕事は出来ないし、こういうタイプに限ってやっている仕事を見ると大変大変お粗末である。それで出来ている気になっていると周囲からは笑われる。
 だいたい、弁護士の仕事はある程度経験がないとどうしようもない部分もあるので、1年目から出来るはずがないのである。自分はやれているか、まだまだ不十分ではないかと常に自問自答する姿勢でいなければ成長はないであろう。私自身、13年経った今もそのような気持ちでやっている。

 若い頃は、事務所に来ると、緊張感や仕事のことばかり考えていて、仕事以外の事を考える余裕もなかったものである。事務所にいる間は仕事モードであり、行き帰りの電車の中でこれをようやく(一部)切り替えられるのである。なぜ一部かというと、自宅でも仕事のことを考えているからである。

 私は、若いにもかかわらず事務所に来て仕事以外のことを考えていられたり、自宅で完全に切り替えられる弁護士がいるとしたら、自分の経験上、それは真剣に仕事に取り組んでいないことのあらわれであるとしか見えないし、実際そうなのであろうと思う。そんな余裕などあろうはずがないからである。ワーカホリックと言われればそれまでであろうが、ある程度ワーカホリックでないと弁護士の仕事はつとまらないのである。

 今はさすがにある程度経験が出来たので、私自身そのようなところまで緊張していないし、事務所でもサッカーのこととかいろいろ考える余裕もあるが、若い頃はそんな余裕はなかった。
 
 前にも書いたかも知れないが、あるゴールデンウィークの谷間に、出勤している弁護士は事務所で私だけであった。ボスも私の後輩も遊びに行っていたのである。「休んでもいい」とボスに言われていたが、私は自分が遊ぶよりも何よりも、この谷間に仕事をしようと思って出勤した所、新件の相談が集中して、さらに忙しくなったこともあった。
 交代で出勤していた事務員さん達からかなり同情されたが、その頃一緒に働いた事務員さんは、独立した今でもバレンタインにチョコとプレゼントをくれる。私が事務所の為に働いていた姿を評価してくれたからだと思って、大変嬉しいものである。

 事件を真面目にやるといい解決が出来て、それが自信になり、その後の事件をする素地にもなる。
 その後手を抜いていいという訳ではないのだが、最初の5年間頑張らないと、生涯その癖が抜けないし、最初の蓄積もなければその後の事件処理は出来ないと思う。
 遊ぶのは後でも出来るが、蓄積をするには若い頃しか出来ないのである。
 甘すぎる若手弁護士が増えているが、そんなことでは依頼者にも信頼されないし、いつまで経っても自信もつかないであろう。

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2009年2月17日 (火)

石川ひとみは若い

 昨日テレビで石川ひとみを見たが、若い。
 まちぶせが流行ったのは相当前のはず。
 少し前にまちぶせが聞きたくなり、まちぶせだけは売っていなかったので(当たり前か)、懐かしのヒット曲集か何かを買ったはずである。
 歌っていた頃と寸分変わらないとはいえないが、それにしても若い。
 他に若いままの人としては、菊池桃子や黒木瞳がいるが(あと由美かおる)、こういう人の細胞はどうなっているのであろう。
 ものすごい努力のたまものなのか、あるいは老けにくい体質なのか。

 私の周囲にも、逆に最近の方が若いのではないかというように見える事務員さん(元勤務していたF事務所の筆頭事務員。たぶん事務員になってから20年ちかく経過したはずである。こないだ30年と言って怒られた)もいるし、昔の写真とほとんど変わらない司法書士さんとか社会保険労務士さんもいる。
 うちの事務2人も実年齢よりも相当若く見えて年齢不詳である(そういえばK事務所の事務員3人も最初に会ってからそれなりの年月が経過しているがあまり変わらない)。
 影の努力があるのか、はたまた自然にそうなっているのか。
 
 私自身はホームページの写真が今の私と相当違うので(今から6年くらい前の写真)、事務員からは「詐欺だから早く今の写真にかえてください」と言われている。
 石川ひとみのように老けない性質だといいのになあ。
 それにしても若い。
 どうでもいい話題でした。

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2009年2月16日 (月)

読書日記2月16日

 「花神(上)(中)(下)」司馬遼太郎、新潮文庫。
 明治維新において総司令官として彰義隊を壊滅させ、その後の奥羽列藩同盟との戦いの総指揮を執った大村益次郎を描いた作品。
 司馬は、大村益次郎を「花神(かしん)」として、明治維新の革命の花を西から咲かせていった人物として描いている。花神とは中国語で、花咲爺のことである。

 大村益次郎は幕府の第二次長州征伐でも長州藩の総司令官として戦略を立て、幕府軍を敗北に追い込んだ。その立案する作戦は全てが図にあたり、彰義隊をわずか1日で壊滅させて江戸を大火から守っている。その後も後に薩摩藩が西郷隆盛を頭として反乱を起こすことを予期して、大阪に軍事基地を作り、これが全て後の西南戦争において役だった。その先見の明は比類がない。

 司馬は常々、軍事の才能というのは一民族に数名出ればいい方だということを書いていて、司馬の頭の中では、ジンギスカン、源義経、そしてこの大村益次郎がいたようである。織田信長のことはそこまで手放しでは褒めていなかったような気がする。
 いくら兵書を読み込んでも、実際の戦場でのそれを元にした用兵の才というのは天賦のものであることは過去の例が示しているところであるが、局地戦ではなく、全体を見通せる戦略というか総司令官の能力というのは確かに民族に数名出ればいい方なのであろう。

 この作品では、シーボルトの娘である、イネ・シーボルトと益次郎の恋が花神の一つの大きいテーマである。イネと益次郎がプラトニック・ラブであったかどうかは謎であるが、益次郎が刺客に刺された時、イネは横浜で開業していた医院を閉めて看病のため横浜から大阪までわずか8日間で踏破したことからすれば、司馬の描いたとおり、二人の間は男女の間柄であったように思われる。
 益次郎が中々イネの想いを受け入れないのが読んでいて歯がゆいが、それもまた司馬の演出なのであろう。
 昭和46年の作品で、私が1歳の時の作品ということになる。

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2009年2月15日 (日)

K事務所との食事会

 少し前の話だが、恒例のK事務所との食事会をした。3~4ヶ月に一度程度、仲のいい2事務所での食事会をしている。
 私が修習生の頃、就職活動に来て初めて京都弁護士会で会ったのがK弁護士で、K事務所の現在の筆頭事務員Tさんはたぶんその頃からおられたと思う。K事務所との食事会は、全く気を遣わなくてよいので、私にとって大変楽しみである。副会長に内定したり、弁護士も長年していると、義理の宴会というものもたくさんあり、それはそれで楽しいところもあるが、諸先輩方やいろいろな人が来ていたりして、それなりにやはり気を遣わなくてはならないので、一次会が終わった後どっと疲れることがある(余談だが、弁護士にとって宴会も仕事のうちというところがある。こういう宴会で他の弁護士はこちらの人間性を見ているところがあり、来ない人間は評価もされないし、義理を欠くと嫌われる)。
 このK事務所との食事会は全く私的な食事会なので、少なくとも私にとっては楽しいだけの飲み会である。
 先日の食事会ではK事務所から花をいただき、私の好きなお酒をTさんが覚えていてくれて、「手取川のあらばしり」をわざわざ蔵元から取り寄せてプレゼントしてくれた。
 こういう心配りは大変嬉しいものである。
 最高のホテルのサービスというのは、その人の好みを覚えていて、前回宿泊した時に頼んだ新聞やコーヒーのブランドまで次回に行った時にすっと出てきて感動したというような話を何かで読んだことがあるが、自分の好み等を覚えていて貰えるというのはありがたいものである。
 自宅で日本酒を飲むのは太るのであるが、手取り川のあらばしりは中々置いていないので、その分運動して体重を維持しようと考えて、少しずつ楽しんでいる。
 副会長として現実に動き出した後の予定が立たないので、とりあえず次回日程は保留中である。
 
 

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2009年2月13日 (金)

舌をかむ

 よく似た場合に、口の内側の肉をかむというのがあるが、食事をしていたり、なんかの拍子に舌をかむことがある。
 舌をかむとその時も痛いが、しばらく食事や飲み物を飲むときに痛い。
 口の中は割合はやく治るが、それでも数日は痛い。

 先日舌を噛んで、今痛い。右側の舌を結構強く噛んでしまい、食事は左側の歯で噛んで、1回に口に入れられる量も少なくしないとしみる。
 私は本来食べるのが速いのだが、舌を噛んだおかげで速度も落ちている。私の食べる早さのおかげで、事務所の女性のK弁護士は修習生時代、私についていこうと速く食べるクセがつき、自宅で「行儀が悪い」といわれたほである。

 ともあれ、どうでもいいことだが舌が痛い。

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2009年2月12日 (木)

巨大ヒマワリ

 真冬になんであるが、昔は夏になると巨大なヒマワリが咲いていた記憶があるが、最近はどうであろう。
 私の家の前はあまり日当たりがよくなかった為か、学校で栽培したひまわりはあまり大きくならず、高さ50センチほどになり、直径20センチメートルくらいの花が咲いただけであった。
 しかし、日当たりのいいところでは物凄く大きくなったヒマワリが咲いていて、子どもの記憶では2メートルくらいになっているヒマワリが咲いていた。
 幹も太く、セミが木と間違えてとまって鳴いていたりしたものである。
  最近はそのようなヒマワリを見かけないように思うのだが、私はそういうヒマワリが咲いているようなところに行かなくなっただけなのか、どうなのかとふと思ったのである。

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2009年2月10日 (火)

魚の標本

 前回のブログは、「ヘチマの栽培」から、「ひょうたんの栽培」に訂正いたします。
 文中で訂正すると、yuukiさんのコメントがわからなくなるので、「ヘチマ」をひょうたんに読み替えてお読み下さい。

 さて、小学生の頃、何かの魚の本で、「魚のホルマリン漬け」の標本を作りたくなって、これを夏休みの自由研究の課題にしようと考えたのであった。そんなものをなぜ小学生である私がどうして作りたいと思ったのか全くこれも今となっては思い出せない。

 まず標本を作るには魚が必要である。私の田舎は和歌山の田舎なので、従兄弟の家に泊めて貰って釣りに出かけた。防波堤であり、よく釣りに行くところであった。
 釣りながらオキアミ(エビみたいなエサ)を巻いて、そのオキアミに寄ってくる小魚をすくおうとしていた。
 そうしたところ、ものすごく動きの鈍い魚がよちよちと泳いできたので、これをすくい上げた。これは後で分かったのだがハコフグというフグで、大変かわいく変わっていた。
 フグには悪いのだが、大喜びでこれを標本にすることに決め(小学生とは残酷なのだ)、どこから仕入れたのか全くこれも記憶にないが、標本作りの手順に従い(これも何か手順が本に書いてあったのだ。よくこんな本が家にあったもんである)、ハコフグを標本にした。
 書きながら何となく思い出してきたが、自由研究でクラスで驚嘆されたいという気持ちがあったような気がする。すごい自由研究を出して驚かせたいというものである。
 魚のホルマリン漬けは中々ないであろう。夏休みが明けたら驚嘆されるはずだ…。

 そう思ってクラスにホルマリン漬けを持っていったが、今から思えば当たり前なのだが、小学生にそのようなものがウケるはずもなく、クラスのみんなからは引かれただけであり、先生もただ単に魚をホルマリン漬けにしたというだけでは一工夫が足りなかったようであまり褒めてももらえなかった。
 そのホルマリン漬けは、理科の実験室か何かに置かれていたような記憶もあるが、その後このホルマリン漬けがどうなったかは、全く今となっては記憶にない。
 あれから30年近くが経ったが、今はただハコフグの冥福を祈るだけである。
 ごめんなさい、ハコフグ君。

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2009年2月 9日 (月)

へちまの栽培

 小学校の頃、ヘチマの栽培を学校でしていて、自宅につるを持って帰ってきて裏に植えておいたら結構大きくなり、ヘチマが一つだけできた。
 私はなぜか、釣りに行く時に、ヘチマで出来た水筒を持っていきたいという変な願望を抱いていた小学生であったので(ヘチマの水筒に、きゅっと栓をしてへちまのくびれに紐を巻いて水筒にするということに憧れていたのである)、自宅でできたヘチマでそれを作ろうと考えた。
 店で売っているヘチマの水筒ではなぜか当時だめだと決めつけていて、自作の水筒を作ることに執念を燃やしていた。なぜそうであったかと言われると当時の私も明確な答えは言えなかったであろうし、今考えてもどうしてであったか思い出せない。
 この作り方があっているかどうかわからないのだが、父親に聞くと、父親もヘチマでそういうものを作ったことがあると言っていて、作り方を教えて貰った。ヘチマを水につけて、中の実を腐らせて、腐った頃に中の実をつついてほじくり出して、後は乾かせばよいというものであった。
 数ヶ月かけて中身を腐らせて、それを風呂場の裏においておいて、風呂に入るとせっせと針金で中身をほじくり出していた。結構思いこんだらそればかりやるタイプなのである。
 なぜか実が中々腐らずに、半年くらいかけてヘチマの水筒が出来上がった。
 しかし、なんとなく中身を腐らせて出来上がった水筒にお茶を入れて釣りに行く気がせず、そのヘチマの水筒は単なる机の上の飾りとなってしまった。
 記念的作品であるため、大学生の頃まで机の上に置いておいたのだが、修習生の頃に紛失してしまった。いったいあのヘチマはどこに行ったのであろう。
 最近は水筒を使う機会もないが、機会があればヘチマの水筒ではなく、機能的な水筒を使いたいと思ってしまっているロマンのない今日この頃である。

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2009年2月 6日 (金)

読書日記2月5日

「武将列伝 源平編」海音寺潮五郎。武将列伝で購入したが読んでいなかった源平編を司馬の義経を読んだ機会に読み始めた。
 源頼朝ほど評判のよろしくない武将も珍しいであろう。義経が判官びいきされる一方で、敵役の頼朝に人気のあろうはずがない。義経では源頼朝のおかれた政治的不安定さを描き、なぜ「義経」が殺されなければならなかったかを対立的に描いていた。海音寺は紙幅の関係もあり他の武将列伝同様エピソード中心に書いているが、これだけの紙幅でこれだけの武将の生き様を描き出す力量は相変わらず見事というほかない。
 楠木正成の列伝が個人的にはもっとも好きである。あふれるばかりの軍事的才能を有しながら、後醍醐ら無能な貴族らにその戦略が取り入れられず、九州から押し寄せる足利尊氏の大軍に対して、愚痴の一つも述べることなく湊川で立ち向かうその最後の記述は涙なくして読めない。

「深夜特急(6)」沢木耕太郎。深夜特急の最終巻。5まで読んだので読み終えてしまおうと考えて読了。読み終えて思うのは、38歳の私が読むには、中身があまりにも浅薄すぎたということであろうか。
 これが私が20代であれば、相当衝撃を受けたような気もするが、ビジネスの世界で生きている人間にとっては、「何を気楽なことやっとんねん。」という程度の印象の作品でしかなく、文章力も筆者が何を狙っているのかがストレートに伝わりすぎるので、読んでいるこちらが気恥ずかしくなってくるようなところがあった。

「司馬遼太郎の跫音」司馬遼太郎他。中公文庫。
司馬遼太郎が亡くなった時に中央公論の臨時増刊号に掲載された記事を中心に編集された司馬遼太郎への追悼文などが収められている。本体だけで700頁近く、読み終えるのに時間がかかった。司馬遼太郎の作家としての変遷などが随所に書かれていて、司馬作品を理解するのに役立つであろう。
 この中では、福田和也という批評家の書いた文章が大変気に入らなかった。司馬の作品に歴史がないとか酷評しているが、この批評家は1960年生まれであり、司馬が亡くなった当時たぶん35歳である。なぜかというとこの批評家は私よりも10歳年上で、司馬が亡くなった年の4月に私は25歳で弁護士になっているからである(司馬先生は平成8年2月になくなれている)。
 私は今38歳であるが、司馬作品を批評するようなことはとうてい出来ないであろう。
 それをこの福田和也という人物は35歳にして司馬の作品を酷評しているのであるが、その酷評の理由を読んだが私には全く理解出来なかったし、何を書いているのかすらわからなかった(作家をこき下ろす人ということで有名なようであるが、私はその存在すらこの本で知った)。
 他の日本のそうそうたる知的頭脳が、「司馬先生の花神は読んでいてはらはらした」などと少年のように語っているのと好対照である。

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2009年2月 5日 (木)

風邪か花粉か

 先週の金曜日は酒見会の新年会であった。
 酒見法律事務所という京都で三代続いた法律事務所があり、そこの事務所の勤務弁護士が独立して又勤務弁護士を採用して…ということで系列の事務所が多数あるので、年に何度か集まって飲むのである。これを酒見会という。私はボスが酒見事務所の初代勤務弁護士で、私は傍系ということになる(ちなみに私はボスの勤務弁護士の5代目)。この事務所から出た司法書士の先生や、系列事務所から出た社会保険労務士事務所の先生もおられる。
 木曜日から風邪を引いて熱が出ていて、実のところ休みたかったのであるが、私が副会長当選ということで、だいたい例年副会長に当選した人は挨拶をすることになっている。従ってそういう訳にもいかないかと考えながら、もう1人親友のY弁護士もいるのでそちらに任せようかと考えていたところ、Y弁護士は家族がインフルエンザで看病の為帰らないといけないということで私のみになった。
 事務員2名も出席予定であったので、それでもやはりつらく、勤務弁護士のKに後を託すかどうするかと考えていたところ、Kも家族がインフルエンザであるため早退ということで、私が行かないと格好がつかないことになった。事務員さんがかわいそうでもある。私が行かずに事務員さんだけ行かせる訳にもいかないであろう。

 宴会では副会長就任内定の挨拶をした後、新しく系列事務所に入った新人弁護士の紹介(ここのボス弁は私の元兄弁なのだが、インフルエンザでダウンしていたので、私が代わりに紹介したのであった)で二度挨拶があり、そのほか副会長になるのでいろいろな先生に挨拶周りをしていると帰りはもうふらふらであった。
 この不摂生のためか、土日も体調は戻らず、月曜日火曜日とふらふらで熱が引かなかった。しかし仕事はやってくるし、依頼者のために手は抜けない。ありがたいことに新件の相談もなぜか風邪の時はいつより多く入ってくる。中には私自身がやらなければ若手には荷が重い事件もあり、どうしても自分でやらないといけない仕事は残るのである。
 仕事上の義理と自分の風邪を比べた時には、当然仕事上の義理が優先するのである。

 花粉症か風邪かわからなかったが、花粉症の薬が効かないので、今朝から市販の風邪薬を飲んだところ効いたので風邪だったのであろう。しかし5日間つらい状態であったので体力があまりない。今もまだしんどい(しかしブログは更新)。
 その上、弁護士会の役員に内定すると、会議会議の連続で、中々事務所にいられない。帰ってくると書類の束である。私はまだ他に弁護士が2人いるのでなんとかなるようにも思うが、1人でやっている弁護士が副会長や会長になると大変であろう。4月以降は、さらに忙しくなると思うが、まあ何とか頑張ろうと思うのである。

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2009年2月 4日 (水)

公と私

 ビジネスマンであれば、公は仕事上のこととなり、私はプライベートなことになるであろうか。
 「私に帰せず」は勝海舟を描いた津本陽の好作品であるが(少し前に文庫化された)、勝海舟は幕臣でありながら、日本国家という大局から物を見て、坂本龍馬などを教育し、維新回天の基礎を作る一方で、徳川家の名誉を守った。全く私利私欲で動いた人物ではない。そうしたところが、勝海舟の魅力である。

 ビジネスマンには、ビジネス上のこととプライベートなことがせめぎ合う時がある。そのときに、ビジネスを最優先するのが島耕作である(現在、社長 島耕作がモーニングで連載中。これはザリガニ課長と並んでビジネスマン必読の書である。)が、基本的にはビジネスを優先させつつ、時にはプライベートも優先させるという頃合いが重要かと思われる。常にプライベート優先では、ビジネスの世界では全く評価されないからである。
 なお、評価されないでよい人や、それに見合った所得でいいという人はこの稿は読まなくて結構である。
 仕事というのは、仕事だけをしていればよいというものではなく、義理やつきあいの会合があり、これらはたいてい夜である。プライベートを優先させるとしたら、こうした義理やつきあいというものが全くなくなってしまうであろう。
 しかし、ビジネスの世界では、仕事だけでその人物の評価が見られている訳ではなく、仕事に隣接したこうした「義理を果たす」とか、「つきあいのよさ」というものも付加されて評価されているように思う。
 なぜなら、その人物に仕事を託す時に、仕事上の義理を果たすかどうかという判断をするときに、直接仕事に関わりがなくとも、仕事上の義理の会合であるとか、つきあいを大事にするということは、仕事上もきちんと義理を果たして仕事をしてくれるのではないかという評価を周囲に与えるであろうからである。
 日本的な見方ということも出来るであろうが、ぎりぎりのラインに追い込まれた時に、プライベートをすぐに優先する人物は、何かを理由にして仕事を放り出すような印象を与えるのではないかと思われる。
 自らの行動が他人からどのように見られているかということを常に自省しなければ、ビジネスマンとしては生涯成長しないだろう。
 弁護士同士であれば、(仕事に隣接した)義理を果たさない人物に仕事を依頼しようとは思わないし、そういう人物は自分がどのように見られているかを考えていないので、仕事に対しても気が回らず、弁護士としていい仕事が出来ないのではなかろうか。
 まあそう言いつつ、私も自省を忘れてしまいがちであるが。

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2009年2月 3日 (火)

自転車にひかれる

 どうでもいいことだが、昨日自転車にひかれた。
 裁判に行くのに歩いていて、自動車が来たので止まると、止まった瞬間に、後ろで「ああっ」という声が聞こえて、右足をひかれた。
 「ああっ」はこっちの台詞である(ひかれたが、私は声も出さなかった)。

 後ろを振り返ると、自転車のオバサンが「スイマセン」と言って走り去っていった。
 止まった瞬間に足をひかれたので、たぶん止まっていなくても足をひかれていたであろう。前を見て運転して欲しいものである。
 それとも、私が気配を知らず知らず消していたのであろうか。

 右足のふくらはぎのあたりをタイヤでずりずりと巻き込まれるような感じでひかれた。
 おかげでスーツが少し汚れて、足がまだ少し痛い。
 おろしたてのニューシューズのかかとも少し削れてしまった(本当にその日履いたばかりであった。しかも結構高い。)。
 しかし見事な逃げ足であったため、どうにも出来ないのである。

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2009年2月 2日 (月)

読書の効用

 読書にお金は惜しむなというのはよくどのノウハウ本にも出ているが、これはそのとおりだと思う。経済的に許される限り、本にお金は惜しんではいけないと思う。

 人生において経験できることは限られているが、本によって他人の人生の疑似経験が出来るということもあるし、筆者の考え方に触れて共感できる場合はそのような考え方を取り入れ、批判出来る場合にはそのような行動を取らなければいい。

 ただし、読むとしたら、やはりいい本を読まないといけないであろう。
 時間が有限である以上、読むに値しない本を読む時間がもったいないのである。

 仕事上も調べ物をしなければならないことも多いし、趣味と実益を兼ねての読書の時間も必要である。
 少し不正確だが、司馬遼太郎は、自分の人生の95%は書斎の中だという趣旨のことを言われた(唯一の趣味が史料読みだというのである)そうであるが、弁護士たる身では中々そのような境地まではいけない。

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