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2009年2月 6日 (金)

読書日記2月5日

「武将列伝 源平編」海音寺潮五郎。武将列伝で購入したが読んでいなかった源平編を司馬の義経を読んだ機会に読み始めた。
 源頼朝ほど評判のよろしくない武将も珍しいであろう。義経が判官びいきされる一方で、敵役の頼朝に人気のあろうはずがない。義経では源頼朝のおかれた政治的不安定さを描き、なぜ「義経」が殺されなければならなかったかを対立的に描いていた。海音寺は紙幅の関係もあり他の武将列伝同様エピソード中心に書いているが、これだけの紙幅でこれだけの武将の生き様を描き出す力量は相変わらず見事というほかない。
 楠木正成の列伝が個人的にはもっとも好きである。あふれるばかりの軍事的才能を有しながら、後醍醐ら無能な貴族らにその戦略が取り入れられず、九州から押し寄せる足利尊氏の大軍に対して、愚痴の一つも述べることなく湊川で立ち向かうその最後の記述は涙なくして読めない。

「深夜特急(6)」沢木耕太郎。深夜特急の最終巻。5まで読んだので読み終えてしまおうと考えて読了。読み終えて思うのは、38歳の私が読むには、中身があまりにも浅薄すぎたということであろうか。
 これが私が20代であれば、相当衝撃を受けたような気もするが、ビジネスの世界で生きている人間にとっては、「何を気楽なことやっとんねん。」という程度の印象の作品でしかなく、文章力も筆者が何を狙っているのかがストレートに伝わりすぎるので、読んでいるこちらが気恥ずかしくなってくるようなところがあった。

「司馬遼太郎の跫音」司馬遼太郎他。中公文庫。
司馬遼太郎が亡くなった時に中央公論の臨時増刊号に掲載された記事を中心に編集された司馬遼太郎への追悼文などが収められている。本体だけで700頁近く、読み終えるのに時間がかかった。司馬遼太郎の作家としての変遷などが随所に書かれていて、司馬作品を理解するのに役立つであろう。
 この中では、福田和也という批評家の書いた文章が大変気に入らなかった。司馬の作品に歴史がないとか酷評しているが、この批評家は1960年生まれであり、司馬が亡くなった当時たぶん35歳である。なぜかというとこの批評家は私よりも10歳年上で、司馬が亡くなった年の4月に私は25歳で弁護士になっているからである(司馬先生は平成8年2月になくなれている)。
 私は今38歳であるが、司馬作品を批評するようなことはとうてい出来ないであろう。
 それをこの福田和也という人物は35歳にして司馬の作品を酷評しているのであるが、その酷評の理由を読んだが私には全く理解出来なかったし、何を書いているのかすらわからなかった(作家をこき下ろす人ということで有名なようであるが、私はその存在すらこの本で知った)。
 他の日本のそうそうたる知的頭脳が、「司馬先生の花神は読んでいてはらはらした」などと少年のように語っているのと好対照である。

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