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2009年3月31日 (火)

忙しい…

 忙しいという字は、心を忘れると書くのであまり使ってはいけない言葉なのであるが、しかし、忙しい。
 4月1日から新役員としての仕事が始まるのであるが、1月下旬に当選確定後、2ヶ月あまりの間は現在の役員会にも出て、次年度の役員としての新役員会もあるのでそれもやり、「次年度役員だからこれとこれには出て下さいね」と現在の役員から一方的に予定が入り、懇親会なども多数入ってきて、そこに本来の仕事もしないと飯が食えないのでこの時期は忙しい。
 30分だけでも相談を入れて欲しいと言われることもあるが、4月1日から10日頃までは挨拶回りで予定が潰れるので、中々打合も入れられない。
 当選する前は、そんなことになるとは知らなかったので、普通に裁判の期日を入れたりしているので大変で、今も書けていない陳述書が一つある。
 理事者になると、お金は出ていくわ、時間は取られるわ、収入は減るわの三重苦である。
 それでもなりたい人もいるようであるが、私は致し方なくなった方であるので、その「なりたくて仕方ない」という気持ちは分からない。
 弁護士は1年目の弁護士も30年目の弁護士も同列であるので、差別化をするためには役職をやりたくなるという話を聞いたこともあるが、出世したいのであれば検察官か裁判官になれば差別化が図れるのであるから、在野法曹の弁護士になった意味がないのではないかとも思うのである。
 明日からいよいよ任期が始まる。
 始まったら始まったで、きっといろいろ苦労があるのであろう。
 ヤレヤレ。

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2009年3月30日 (月)

読書日記3月30日

「司馬遼太郎が考えたこと 4」新潮文庫、司馬遼太郎。司馬遼太郎のエッセイ集の4巻目。これを書いている時はまだ私は生まれていない。40年ほど前に書かれたとは思えない正鵠を得た司馬の指摘には驚かざるを得ない。司馬遼太郎を読まずして歴史小説を語るな、である。

「理由」宮部みゆき。新潮文庫。
 宮部みゆきの作品で初めて読んだのは実は「模倣犯」で、当時その圧倒的な筆力とストーリーの構築力に感嘆した記憶がある。筆者の代表作ということで、いつか読みたいと思っていて購入しておいたので、ようやく手に取ることが出来た。
 宮部みゆきは確か法律事務所勤務経験があったはずであるが、その時の経験を活かした舞台設定になっている。
 読みたい本が山ほどあり、一つの本を読み終えると、次はどれを読もうか大変悩むので、これも読みたい読みたいと思いつつ後回しになっていた。模倣犯同様の物語構築力と個々のキャラクターが描かれている点や、人生について参考になる点が多々ある。
 どうしようもない男の子を産んで、「あの人は私がいないとだめ」「あの人は私しか変えられない」と言っている若い母親が、実社会で山ほどいるのを見聞きしているので、あるあると思えた。
 実社会では、だめな男はいつまでもだめであり、「あの人は私がいないとだめ」と思われている男に身も心もボロボロにされた挙げ句、そういう男は次の「そういう男に惹かれる」女性をうまく見つけ出すのであるが。小説の中ではどうか。

「天皇陛下の全仕事」山本雅人。講談社現代新書。
 宮内庁詰めの記者をしていた筆者が描く天皇陛下の全仕事である。
 「日常天皇陛下が何をしているかよく分からないのが国民の実情であろう」として、それを知って貰うがために書いたとしているが、今年度現時点でベスト1といっていい作品である。
 まず、作品としては、天皇陛下が「こんなことをしていたのか」という新鮮な知的好奇心を満たしてくれる点で比類なく面白い。
 また、淡々と描きながらも、天皇陛下の人柄がにじみ出てくる筆力があり素晴らしい。私は基本的にノンポリだが、天皇陛下という人柄に接してしまえば、考えが根底から改められるのではないかという気持ちにさせられた。被災地を周り、罹災した人と同じ目線で時には自衛隊のヘリに乗り込み、被災者を勇気づけるその姿は、まさに「象徴」であろう。
 障害者施設に赴き、1人1人の障害者に声をかけるために、予定時間がオーバーしていると侍従から告げられても無視をするということもあるというエピソードが好きである。
 次に、天皇陛下とは、とてつもなく多忙だということがわかった。「公人」として、象徴として、気の休まる暇もないのではないか。これは、美智子皇后陛下も同じであろうが、天皇陛下自身、自らのその立場に疑問を抱いたことはないのか、何もかもを投げ出したいと思ったことはないのか。職業選択の自由の例外に置かれている天皇陛下。
 天皇陛下は、「生の人間」とした時に、自らのその人生にどのような思いを抱いておられるであろうか。
様々なことを考えさせられた。
 好著である。是非ご一読を。

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2009年3月27日 (金)

寒いときにはコートを

 3月下旬に入り、また寒くなって、2月並ということである。1時コートが要らないような陽気になったが、だいたい例年3月に暖かくなっても再度冷え込むのが常である。

 私は大のコート好きであるので、コートは中々クリーニングに出さないので、急激に寒くなっても平気なのであるが(コートを着ればいいだけなので)、世間は春になり一度暖かくなった途端にコートを着なくなり、そのまま再度冷え込んでもコートを着ないサラリーマンが結構多そうである。
 最近駅のホームでスーツで凍えそうになっているサラリーマンを見かける。
 私は織田信長のような合理主義者なところがあるので、寒ければコートを着たらいいではないかと思うのだが、ああまでしてコートを着ないのには何か理由があるのであろうか。

 女子であれば、春先になり薄着になって可愛く見せたいというところはあるであろうが(本当に凍えそうな女子高生や若い女性をよく見かける一方で、私同様厚手のコートに身を包んでいる女性もいる)、サラリーマンには理由はなさそうであるが。
 いったん片づけてしまうと出してくるのが面倒なのか。その心理はいかに。

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2009年3月26日 (木)

避難訓練

 今日は弁護士会の避難訓練であった。私も次期役員の1人として参加したのだが、事前に特段の話も説明もなかったので、うろうろとしている間に訓練は終わってしまった。
 昨年は「なっていない」と相当消防署から叱られたと聞いていたが、今年も叱られてしまった。
 いろいろと参考になる話が聞けたが、慌てふためいた時にどれだけ実践できるかと自分で考えると怪しいものである。ただ、弁護士会には多くの一般の方が出入りするので、災害発生時には役員と職員の適切な対応が望まれることも当然である。

 訓練終了後は、地震を体験できる自動車と、完全に囲いのあるテントを張り、その中にしきりを作って少し迷路のようにした中に煙を充満させて、その中を進むという2つの災害体験もあった。
 地震は、震度7まで体験でき、神戸大震災や関東大震災の再現も出来るというもので、身構えているから対応できるが、突然あんな地震が発生したら冷静に対応できる人は中々いないであろうと思う。貴重な体験をさせてもらった。
 煙の中を進む実験は(煙じたいは、人体に無害なもので作られているのだが)、本当に前が何も見えず、弁護士会の事務局からすると、「去年より煙りが濃い」ということで、煙は上の方に行くので這って進むように言われたが、ほとんど手探りで進むということしか出来ず、煙の怖さを思い知らされた。
 煙実験は2回あり、2回目はライトを持たされて、男女ペアで進み、どのペアのところにか消防士さんが中で倒れているので、テントの中から救助するという作業が加わった。煙の中を進むのにライトは相当役に立つということだが、実際には手元しか照らせない。しかし、手元だけでも照らせるとそこだけは視界が確保できるので、ライトが重要なことがわかった。
 私の前の3ペアの時は人は倒れておらなかったが、私が弁護士会の女性事務局を後ろにしてライトで照らして進んでいくと(2回目は進行方向が初回とは変えられるので、やりづらいのである。)、人が倒れていた。
 消防士さんが倒れていたので、避難訓練の時に教わったやり方でテントから1人で無事引きずり出せ、女性事務局は先に出て明かりを確保してくれるという連携作業であった。
 しかし、ほとんど四つんばいで進んだ為に、革靴の先がコンクリートで削れてしまい(結構いい靴だったのである。こんな訓練まであるなら、ぽろぽろの靴を履いておけばよかった。しくしく。)、授業料が高くついた避難訓練となった。

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2009年3月25日 (水)

ケータイに機能は要らない

 カメラの部分の部品が剥がれてきて、中の部品が見えてきたので、先日携帯電話を換えたのだが、最近の携帯電話は機能がたくさんある。
 しかし、私は携帯電話の機能としては、電話とメールと、ネットにつないで、電車の時間や天気を調べる程度で、たまにカメラを使うくらいなので、それだけの限定したもので十分なのだが、最近の携帯は、ごちゃごちゃと機能がついていて、そのために本体価格が高くなっていて不当である。
 携帯でテレビ(ワンセグ)も見ないし、音楽も聴かないし、パーコードリーダーも使ったことがない。携帯のゲームは少ししたことがあるが、画面が小さくていらいらするのでやめてしまった。
 最低限の機能でよいと思っている人は私だけではないはずであるが、そんな携帯はじいさん使用携帯とかで、やたら文字がでかかったりして、さすがに38歳でそんなものを持つのは恥ずかしい。
 渋いオジサン用だけど、機能は限定とかいうのないかなあ。

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2009年3月24日 (火)

 歳月を経ると、字や絵にも特殊な力が宿るというか、不思議な力が宿るという思想が日本人にはあるようである。
 昔読んだ古典(題名を思い出せないし、ストーリーも若干自信がないが。違っていたら教えて下さい)で、ある寺の入口の門のところか本堂にいにしえの字の達人というか名人が書いた額がかけてあった。しかし、時の流れを経て、雨に打たれてかすみ、何が書いてあるかもわからないほどになっていた。
 これを惜しんだある貴族が、これを修復するよう当代の字の達人に命じてこれが上から墨痕鮮やかになぞり、修復をして山門にかけておいた。
 そうしたところ、俄に雨風が吹き起こり、稲妻がとどろき、額にかけられた字は雨に打たれて墨は洗い流され、元のとおりになったばかりか、字をなぞった男は稲妻に打たれて死んでしまったというのである。

 歳月は時にただの物に神性を与えるというのが日本人の土俗的信仰のようであり、これに似た話はほかにもあったように思う。物に神性を感じる日本人であるので、木々や川など全てに神性を感じることは当然であろう。

 元の原典と相当話が変わっているかもわからないが、なんとなく感じ入った逸話で高校生であった頃から20年以上経った今もなんとなく筋を覚えているので書いた。
 もっと詳しい人はいるであろうから、正しい筋を教えてもらいたいものである。

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2009年3月23日 (月)

法曹サッカー第2回関西カップ

 昨年私が思いつきで始めた、大阪、京都、兵庫の3地域で戦う法曹サッカー大会関西カップの第2回大会が21日に行われた。
 昨年は寒かったが、今年は暖かく助かった。
 それぞれ2チームずつ出し合ったが、京都1は昨年に続いて連覇。京都2は最下位で無得点であった。
 私は京都2のフォワードであったが、何回かの得点チャンスを外し、大変悔しい思いをした。
 副会長内定後、様々な行事で疲労が重なり、全然サッカーを出来る体調ではなかったことも影響しているが、それにしても悔しい。
 秋の全国大会では、得点をして勝利したいと思う春の1日であった。

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2009年3月20日 (金)

寝だめ

 今日はものすごく寝た。
 3月に入って、出張や弁護士会での会議、他団体との懇談会出席、事件受任、結婚式で多忙で土日もあまり休めていないようなところがあった。
 昨日は事務所の皆で私の副会長就任を祝ってくれた。また、1月に入所してくれた女性のK弁護士の入所祝いもしていなかったので、それも兼ねて食事会をした。勤務弁護士K(男性)のおごりである。
 事務員NさんとYさんとK弁護士の女性陣からは祝いの品としてネクタイを貰った。この春はやりの色の淡いパープルで、ちょうど買おうかと思っていた色目なので気に入った。
 事務所だけで食事に行くのは本当に久しぶりであったが、最近は女性陣が私が普通にしていても笑うので困りものである。本人としては真面目なのだが、なぜか笑われる。不思議である。

 昨日はその後いきつけのショットバーに皆で行き、フィリップ・マーロウが「長いお別れ」の中で好んで飲んでいたギムレットを2杯飲み、帰ってから1時半頃に寝て、今朝は起きたのが10時で、昼の1時から3時まで寝て、5時前から7時まで寝ていた。まさに寝だめである。
 明日は法曹サッカーの関西大会(関西カップ)があるのだが、夜は寝付きが悪くなりそうである。
 寝だめをすると、頭の血管が急激に弛緩して、血流がよくなり、かえって頭痛がすることがあるようである。かちかちであった首も、今日の寝だめで多少は柔らかくなったが、世間的に言えばまだかちかちであろう。ふにゃふにゃの首になって肩こり知らずになりたいが、パソコンをさわる機会が多い仕事であるので、中々難しいであろう。
 明日は晴れるようであるが、黄砂も花粉も多そうである。
 いいゲームが出来るといいのだが。

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2009年3月19日 (木)

ショックな出来事

 満員電車で通勤している人から見れば「何をぜいたくな」と言われるかも知れないが、今まで私が住んでいる駅が始発だった私がほぼ毎朝乗っていた電車がJRの3月のダイヤ編成でなくなっていた。
 絶対に座れていた電車。
 読書タイムを私に与えてくれた電車。
 嗚呼。
 もうあの電車はダイヤからなくなっている。
 JR西日本のバカーあああ。

 時刻表を買って調べると、相当先の駅が始発になっている。これでは、先から乗ってくる人がたくさん居て、座れないであろう。
 私は朝から疲れるのは嫌で、絶対に座りたい人であるので、来た電車に乗るということは絶対にせず、座れる電車で通勤すると心に誓っている。そのため、いつも乗っている始発の電車に乗れない時も、どの時間帯の電車のどの位置であれば座る蓋然性が高いかを10年以上のデータの蓄積で把握しているのである。朝の予定もこの座れる電車を基準にして入れる。
 読書時間を確保する為でもある。駅で混んでいる電車をやり過ごしてその間に本も読める。
 しかし、このデータの蓄積も小学生の遠足や行楽シーズンの叔母さんの大集団が乗っていて見事に裏切られることもある。

 しかし、弁護士になってからもうすぐ丸13年が経過しようとしているが、ほぼ毎朝これで通勤してきたのでショックである。
 俺の始発電車を返せえええ。

 仕方がないので、座りたいが為に少しだけ特急の自由席に乗ることもある。もちろん特急券を買う。これはぜいたくではなく、仕事の為の自分への投資なのである。数百円で本を読む時間が確保できるとしたら、本を読んだことは後に自分の為になるので、そちらを選ぶべきである。
 時々考えるのだが、朝15分の時間何かをしたとして、これが1年間のうち3分の2としてものすごい時間のかたまりが出来る。実際には帰りの時間も立ったとしてもすいている電車を選んで本を読んでいるのと地下鉄でも読むので40分は本を読む時間がある。
 5日間で200分。3時間以上である。これが1年、5年、10年と続くと相当何かが出来る。
 もう1回ダイヤ編成で始発にならないかなあ。
しくしく

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2009年3月18日 (水)

同室の人のいびき

 弁護士会の会派や仲のいい弁護士と旅行に行くと、相部屋になる。私はセンシティブなところがあるので、旅行に行くと寝付かれず、多少睡眠不足気味となる。
 少しのいびきくらいであれば眠ることが出来るし、自分も多少はいびきをかくので(たまに自分のいびきで起きる)、それくらいであればよいのであるが、先日Nクラブという弁護士会の会派で旅行に行った時の同室の人のいびきはすごかった。仮にS弁護士としよう。

 私は旅行に遅れていくと、中さんとSさんは向こうやからと言われて見ると、ベッドが2つ並んでいた。Sさんは宴会が終わり寝る前に、「ふぉふぉふぉふぉ。私、いびきすごいんです」と言われてすぐに寝付かれた。

 寝息を立てられてすぐに、今まで聞いたことのない爆音が響いた。爆音レベルはおそらく最大値の10であったであろう(何と比べてかは聞かないで)。そして、時々呼吸が止まり、突然バタバタと寝返りを打って暴れ出すのである。子どもでもここまで暴れはしまい。
 また、ベットの隙間は15センチくらいしか空いていなかったので、このままではこちらのベッドに侵入されるのではないかという勢いであった。180センチ以上あるS弁護士が侵入してきたら、168センチしかない私は押しつぶされるであろう。ひえええ。
 11時にベッドに入り、1時頃まで寝ようと努力していたが、寝られないのと、こちらに来られてはかなわんと考えて、私はS弁護士とは反対のベッドの横の壁との隙間に人1人横たわれるスペースがあったので、「下に降りればベッドの反射で少しは音がましかも」と考えて、下に浴衣とかけぶとんを敷いて、上から着ていたダウンをかけて寝ようと努めた。
 30分ほどまどろむと、爆音のいびきが始まり、結局朝まで数十分寝ただけであった。

 いびきをかく人は、どこかに疾患を抱えているといわれる。S弁護士は弁護士会の健康診断でひっかからないのかと疑問に思いつつ、帰途についたのであった。

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2009年3月17日 (火)

グリーン車のいびき

 仕事柄新幹線や京都府北部への電車によく乗る。
 だいたいグリーン車に乗っている。「ぜいたくだ」と言われることもしばしばだが、私は肩こりがひどいので、出来るだけ移動も楽にしておかないと、首が回らなくなるのである。そして頭痛もひどくなる。高速での移動ばかりは疲れるが、これは普段移動しないスピードで身体も動いていて、慣性の法則で身体は後ろに引っ張られている状態であるからである。出来るだけ楽をした方が良く、その方が仕事もはかどるのである。
 特に、先週は水曜日に新潟の燕三条に行き、金曜日は日弁連代議員大会で東京、月曜日(昨日)は午前中福知山で法テラス事務所の開所に立ち会って…ということで電車に乗る機会が最近は本当に多い。
 電車に乗る機会が多くグリーン車に乗っているといいこともある。
 キング・カズが前の席だったことや(当時はサンガにいた)、引退した後の武田、坂東英司(ゆでたまごは食べていなかったけれど)等々芸能人に会えたりする。

 しかし、たまに太ったオジサンがいびきをかいてうるさくて、どうしようもないときもある。いびきというのは気になり出すと気になるもので、途中で呼吸が止まったりするとさらに気になる。先日、1分くらい呼吸が止まるオジサンが同じ列で、「このまま息が止まったままだと車掌を呼ばないと…」などと考えているとまた呼吸をし出したり…などとなるともう本すら読めない。
 だいたいこうしたオジサンは太っていることが多い。喉が肉厚で圧迫されるのであろうか。
 私自身もいびきを全くかかない訳ではないのだが、たいがい太ったオジサンのいびきはでかいのである。
 ホテルで同じ部屋でものすごいいびきも最悪であるが、この話についても悪夢のような話があるが、また別の機会にしよう。

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2009年3月16日 (月)

読書日記3月16日

「松下幸之助 一日一話 仕事の知恵・人生の知恵」PHP総合研究所編。
松下幸之助については特に説明は要らないと思う。津本陽の松下幸之助を描いた作品「不況もまたよし」(ひょっとすると少し題名が違うかも知れないが)を読んでから、松下幸之助の本を読みたいと思っていたので購入。一日一話形式で、365日いろいろな分野から1頁で完結し、しかも含蓄のある話が多数掲載されている。若い弁護士はこうした本を仕事の合間に読むべきであるし、中堅である私もこうした本を読むことで頭が整理されるし、さらに今後の仕事に活かそうと思えるのである。まあ人間であるので、活かすと言っても限界はあるが。

「海王」(上)(下)。宮本昌孝。上下二段かつ1000頁を越えるハードカバー。「剣豪将軍義輝」を描いた筆者が描く剣豪将軍義輝の続編である。足利義輝は今はあまり有名でないが、松永久秀という梟勇に攻められて殺された足利13代将軍である。その剣技は塚原朴伝から「一ツの太刀」という秘伝の太刀を伝授されたことから分かるようにただの将軍の慰み芸ではなかった。松永久秀に攻められた際、足利重代の太刀を畳に突き刺して攻め来る松永軍の兵士を斬りまくり、刀が刃こぼれして斬れなくなると次の刀を使い次々に斬りまくったという恐るべき剣の使い手であった義輝を描いた前作(これも相当面白い)の続編ということで期待して購入したのだが、やややりすぎの感があり、逆にしらけてしまったようなところがあった。
 筆者は読者サービスのつもりであったろうか、前田慶次郎、伊藤一刀斎、御子神典膳、善鬼等々の戦国マニアが泣いて喜びそうな面々を次々に登場させ、主人公の義輝の遺児である足利海王とからませるのである。
 しかし、あまりにも様々な登場人物を出し過ぎたが為に、やりすぎの感があり、全体を貫くストーリーが弱くなってしまっている点が残念である。
 司馬遼太郎と比較してしまうと、どうしても物足りない。

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2009年3月13日 (金)

トイレでたたずむオジサン

 先日、新潟に出張の際(今日も日弁連代議員大会で東京出張だったのだが)、京都駅でトイレに入ると、トイレで下を向いてたたずんでいるオジサンが居た。
 トイレの小の順番待ちかと思って待っていると、小が空いても動こうとしない。

 顔を見ると沈痛な顔をしている。
 どうやら大きい方を我慢しているようである(尾籠(びろう)な話しですいません)。
 頭は禿げていて、背が大きいビジネスマン風であったが、どうも大きい方のトイレが空くのを我慢しているようである。

 新幹線の方のトイレは割合空いているので、駅員に事情を説明してトイレを借りても良さそうなものであるが、そうする余裕もなかったのであろうか。

 その沈痛な顔がここ数日忘れられない。
 出物腫れ物ところ構わずというので、トイレの欲求というか生理的現象は誰にでもあり、止められるものではない。
 私も何回も辛い思いをしたことがあるのでその沈痛さが分かるのである。
 あのオジサンは間に合ったであろうか。
 それが気になる13日の金曜日である。

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2009年3月12日 (木)

ぞっとする杉

 杉がオレンジ色というか、茶色になっているのを見るとぞっとする。今の季節、杉は花粉でオレンジ色にその木を染めている。この花粉が飛ぶと、花粉症を引き起こすのである。

 町中でもオレンジ色の杉がよく見られる。京都の北部に行くと、山は茶色というか、オレンジ色に染まっている。遠くに見える山から霧のように出ている煙は、杉の花粉かも知れない。

 元々杉は建築材として重宝され、金になるので、一時山には杉ばかりが植林された。
 しかし、輸入材がはるかに安く建築資材として輸入されるようになると、杉の需要は減り、杉を育てる経費の方が、販売価格よりも高額になり、杉は放置された木になったのである。

 杉もその種というか、杉という木の種類を後世に伝えなければならないというような何かがあるようで、各地の山の杉が手入れされなくなってから、杉は「杉」という木が手入れされないことにより滅ぶことを避けるために、花粉の量を増やして、滅びないようにしていると聞いたことがある。これは真実であろう。
 どの種というか、動物であれ植物であれ、自らが自己複製出来るように自然界の条件が変わるごとに努力をしている。
 杉は世間からの需要がなくなった時、花粉を増やすことで、杉という木の種類を残すよう進化したということなのであろう。

 いずれにせよ、オレンジ色に染まった杉の木を見るだけで、何となく身体もかゆくなってるような気がする。
 早くゴールデンウィークにならないかな。

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2009年3月11日 (水)

新潟出張

 今日は出張であった。
 現在進行している破産管財事件で、在庫商品が新潟の西蒲原郡というところにあるためである。
 この事件では、申立代理人又は申立事務所は在庫商品の確認にすら現地に行っていないし、在庫商品の写真すらないので、どのようなものかも裁判所にも私にも分からない。
 簿価は1800万円もするので、処理にもそれなりの裏付けが必要となる。また、第三者の倉庫に置いてもらっているということで、いつまでもそこに置いておくことも出来ないので、副会長就任目前のこの時期に、現地に向かったのである。京都駅から東京に新幹線で向かい、東京から上越新幹線で燕三条駅に向かう。ちなみに、どうでもいいことだが、上越新幹線にはユニコーンと大和田しんやが乗っていた。

 話が逸れたが、私がこの事件の申立代理人であれば、それなりの費用を取っている以上、破産管財人に迷惑をかけないように、最低限在庫の現状を確認するために現地に行って写真くらいは撮ってくる。
 本件の申立代理人はそれすらもしていなかったので、裁判所としても管財人の私としてもそのような処理には開いた口が塞がらない状態であった。
 また、私であれば、急ぎの案件でなければ、申立時期をずらしてでも、私の方で在庫商品の処理をし、遠方まで管財人が行くようなことをしなくてよいようにしておいたであろう。
 明け渡しほど面倒なものはないので、管財人に迷惑がかからないようにすべきというのが今の破産実務上要求されているからである。私は他の案件でも出来るだけそうしている。ただし、その処理が後から見ても問題がないように処理をする。

 明け渡しが遅れると、自社物件でなく賃貸していることが多いことから、通常は賃料が発生する。賃料が発生するということは、債権者に配当すべき財産が減少するということであり、場合によれば申立代理人の弁護士としての責任問題となりかねない。

 本件でも、預かってもらっているのは無償と聞いていたが、現地に行くと、「月額2万5千円」という話であった。
 やれやれである。
 事件によっては申立代理人としてもどうしようもない事案もあるが、ある程度の処理をしないと、管財人に迷惑がかかるし、弁護士同士の信頼というものも失うということを自覚しておいた方がよいであろう。

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2009年3月10日 (火)

年度末の工事

 12月と3月は、よく道路工事をしている。役所で余った予算を執行するため、どうみてもあまり必要でなさそうな工事をするのである。
 12月にガスの配管工事をした道路を、3月に水道の配管工事をするために掘り返したりしている。
 役所の方は予算が余ると翌年予算がつけて貰えないので、予算が余ることはタブーなのでこのようにしているのである。
 しかし、こうして役所が発注しているのは税金であり、国民から預かったお金なのである。税金は根本的には使途が限定された預かり金であり、このような使い方をされるべきものではない。
 他人のお金なので、公務員もずさんな使い方が出来るのである。年金で集めたお金で、誰が使うのか分からない建物をたくさん建てた社会保険庁にも同じことがいえる。
 

 また、工事をしている人たちを見ていると、実際に道路を掘っているのは6名作業員がいるとしたら2名であり、あとの4名は穴を掘る同僚を見ている。これも、6名分の作業員代をゼネコンなどの業者が費用請求するために現場に派遣しているのだが、現実にはその半分の人数で工事が出来る(まあそもそもほとんど必要ないとしか思えないが)ということをあらわしている。

 弁護士が同じことをすればどうなるか。
 考えてみれば分かる。
 たまに顧客のお金に手をつけて業務上横領などで逮捕されたり、懲戒されたりしている弁護士がいるが、それが弁護士の場合の末路である。
 弁護士にとって預かり金はあくまで預かり金で、手元にお金が来ても他人のお金であり、絶対に手をつけてはいけないのである。手元にあるからという理由で豪遊して、後に返せなければ横領といわれても仕方がない。
 預かり金口座は経費などが引き落とされる口座とは絶対に分けて、手をつけてはいけないということである。

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2009年3月 9日 (月)

やはりコーヒーは合わない

 コーヒーをつきあいで飲まなければならない時があり、せっかく入れてくれたのに、「私はコーヒーを飲むと胃が痛くなるのでだめなんです」などというのも気がひけるし、残すのももったいないと思って飲むのだが、たいていその夜は胃がしくしくと痛み、中々寝付けない。

 翌日も午前中は胃がつらい。これはコーヒーを飲むとてきめんであって、ここ10年くらいで最近ようやく分かった因果関係である。
 私のボスはコーヒーが嫌いで、「中君は、僕と一緒やなあ。ふんふん。」と言っているが、私は飲むと胃が痛くなるのだが、コーヒーじたいは嫌いではなく、たまに飲みたくなるのである。

 しかし、飲むと胃が痛くて仕事にも差し支えが出てくる。
 今日は昨日の結婚式があり、最後に出てきたコーヒーを飲んだので、たいへんつらい。
 しくしく
 

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2009年3月 6日 (金)

ビラまき

 ビラとかチラシを配っている人を見ると、だいたい貰ってあげることにしている。ティッシュ配りは貰う人が多いが、チラシとかビラだけだと中々見ていてももらってくれないようである。

 ビラとかチラシとかも、配っているのはアルバイトであろうから、早くはけた方がいいに決まっていると思って貰う。ただ、配っている人の顔がいけ好かない時(私から見て嫌なヤツだと分かる顔)だけは貰わない。

 ただ、自分の生活がかかっているようなビラやチラシを配っているような場合や、何かを訴えかけているようなビラやチラシは原則貰わない。生活がかかっている人は配れば、「可能性があるかも」とない可能性を考えさせてしまうのも罪であるし、訴えかけているようなものについても、私はノンポリであったり、あまり興味がないことであることが多いので、「チラシを配れた。世の中にわかってもらえたのではないか」と思わせてもいけないと考えて、そういうビラやチラシは貰わない。

 小さいが私のこだわりの一つである。

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2009年3月 5日 (木)

宴会

 正式な宴会の時、上司とか先輩が中々帰らないとつらいものである。特に、その上司や先輩の慶事などだと、絶対に先に帰る訳にはいかない。
 弁護士の場合、プライベートで飲みに行っている時はある程度自由であるが、いくら自由業だといっても、正式な宴会ともなるとそういう訳にはいかないところがある。

 しかし、こういうとき、先に帰ると、そういう人は評価してもらえない。いくら宴会に顔を出してもだめである。顔を出したからオーケーではないのである。体調が悪いとか、よほど正当な理由がない限り上司とか先輩よりも先に帰るというのは社会人としてもしてはならないことである。
 「明日仕事があるので」というのは理由にならない。皆明日仕事があるのである。
 そういう中で最後までつきあい、翌日歯を食いしばって仕事をするという姿勢の弁護士は周囲からも評価される。
 まあこれは、社会人として当たり前のことであるともいえるのだが。

 私はボスの慶事には常に最後まで居た。勤務弁護士が先に帰るというようなことはあってはならないことであると当然に分かっていたし、そのようなことを考えたことすらなかった。
 それすらも分からないようでは、いい仕事など出来ようはずもないと思うし、社会人としての自覚がないと言われても仕方がないであろう。まあ実際ないということだと思う。
 「帰ります」と言われれば、周囲は「いいよ、いいよ」と言うであろう。
 しかし、本当のところは誰も帰っていいなどと思ってはいない。人の言葉には裏がある時もあるのである。誰しもが「エッ」と驚く行動を取る人に対しては、当たり前のことを注意しても理解して貰えないのではないかと思って直接言ってくれないだけなのである。
 そして本人が帰った後で、「本当に帰った。信じられへんわ。」などと言われるのである。そうして、どんどんそうした人の評価は下がっていく。そして一度下がった評価を取り戻すことはなかなか出来ない。
 そうした人物をいつまで会社が置いておいてくれるかということもこの不況の世の中だと当人は考えなければならないであろう。
 たかが宴会と侮るなかれ、人は皆、あなたの行動を見ているし、一度失った信頼を回復することは極めて難しいのである。

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2009年3月 4日 (水)

鞄を間違えられる

 昨日は次年度の役員を励ます会があり、たくさんの弁護士会員に励ましていただいた。

 しかし、最悪な男がいた。仮にその名をO・Kにしておく。

 祇園のM子という店でカラオケをしていたO・Kは、違う店に行かなければならない義理があった。私が、「向こうににそろそろ行ってあげないと」と言うと、Oは、「僕、まだ1曲入っているから」と言って行かなかったばかりか、その後も3曲、4曲と入れて12時を過ぎてもまだカラオケを歌う始末。
 12時を過ぎて、大塚愛の「さくらんぼ」を魅力的な女性弁護士と一緒に歌い、超ご機嫌で、まだまだ歌を入れようとしていたOをみて、私が、いい加減に向こうに行ってやれというと渋々向こうに行くO。

 ところが、1時くらいにお開きになり、そろそろ帰ろうとして私の鞄を探すとどこにもないのである。
 M子のSちゃんが、「O先生の鞄がまだここに置いてある!!」というので、犯人はOかということで向こうの店に電話すると、Oはすぐに、「あ、間違っていました。もって行った方がいいですか?」というので、「当たり前じゃ!今すぐ持ってこい、ボケ」と私がいうと、Oは15分で持ってきたのであるが、またM子に居座り歌おうとしていた。
 ちなみに、Oの鞄と私の鞄は似ても似つかない鞄で、M子についたOはきょろきょろとさっきの女性弁護士を探す始末(当該女性弁護士は既に帰宅済)。

 向こうの店に電話してすぐに鞄が違うというと、「あ、ホントだ」とすぐに分かったことといい、M子に来て私に謝るどころか、きょろきょろと女子を捜していたところといい、M子に戻って歌いたいがために故意に鞄を間違えたのではないかという疑いが濃厚であると私は考えている。

 そこまでして歌いたいのか、O。女性と歌いたかったのか、O。

 おかげて昨日は自宅に帰り着いたのが2時で、睡眠不足である。

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2009年3月 3日 (火)

事務所経営雑感

 他の弁護士から、経営について「いろいろ考えているやろ?」と言われることがままある。一部の知人からは、「うちと一緒でトップを目指しているやろ?」とも言われている。

 しかしながら、これは私のことを随分買いかぶっておられて、私自身は、何も確たるものは持っていない。まあ人並みにホームページを開設したりしているが、あまり立派なものを作っても、それはそれで高級感あふれる事務所のようで敷居が高いのではないかと考えて手作り感あふれるようなホームページにしているとかくらいの工夫しかしていない。
 このブログも、一般の人の弁護士に対する誤解を解いたり、敷居を低くすることに寄与すればよいとか、若手弁護士や司法修習生に向けて弁護士の心意気のようなものを書いているので、経営には全く関係がない。

 トップを目指していると決めつけられたこともあるが、まずもってトップの定義が問題である。売上でトップなどというと東京の事務所に敵うわけがないし、これはトップの意味合いにもよるであろう。少なくとも私自身にはトップを目指している意識は全くない。ただ、誰にもマネの出来ない事件解決をすることが出来る弁護士を目指してはいる。他の弁護士が困った事件を「一緒にして欲しい」と言われる弁護士ではありたいが、これはトップとは違うであろう。

 経営についていえば、新しいことをして一般的に顧客を開拓しようとすることもしていないし、先行きどうしようというビジョンもない。こういうことを書くと、いい加減なように思われるかもしれないし、野心がないと言われるかも知れないが、私自身がそういう男であるので仕方がない。

 事務所に縁があって来られた依頼者が、私の事務所に依頼してよかったと思って貰える仕事をしたいと考えているし(もちろん事件によっては資料もなく依頼者側の事情で限度があることも事実だが)、依頼者のためにベストを尽くして、その結果、顧客がまた新しい顧客を紹介してくれて…という旧来型の経営を別段今のところ変えるつもりもない。経営者気質があまりなく、職人気質が大半を占めているといえるであろうか。

 経営のための新規開拓とか、顧客層開拓のためにいろいろな会合に出ていないのも、そうしたことが何となく嫌いだということもあるし、今引き受けている事件に注ぐ労力が少なくなるような気もして(単にズボラだという説もあるが)、そういうこともしていない。していないからといってしなければならないかと考えているかと言われると、しなければならないという気持ちもない。
 損害保険会社の顧問の話をこれまで3回ほど断っているのだが、これもまあ他人から見たら、今みたいな時代に、「もったいない」と言われている。

 弁護士が3人になっているが、これも成り行きでそうなっただけで、何かを意識している訳でもない。
 まうこんな安易な考えではこれからの時代生き残れないかも知れないが、私は広告を出しまくって依頼者と合わずに過払いばかり引き受けて多額の収入を得て、それでよしとするような弁護士には絶対になりたくないことは確かである。
 背に腹は代えられない時が来るのかなあと思ったりしているが、果てさてどうか。

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2009年3月 2日 (月)

嫌な季節がやってきた(花粉症)

 2月に飛散し始めた時から症状が出ていたのだが、今年も嫌な季節がやってきた。そう。花粉症の時期である。

 この週末は亀岡で弁護士会の消費者問題研究会を行っていて、私もそれに参加したのだが、京都の北部に行くと花粉症の症状がひどくなるような気がする。北山杉が山に植わっていて、亀岡も杉山だらけであった。

 前にも書いたが、私は杉のアレルギー反応値が最大で振り切れていて、お医者さんによると、「ここまで反応が出る人は珍しい」といわれる始末なのである。肩こりは10段階に肩こりの度合いを分けると10か9と言われるし、何か症状が出ると極端に出るのが私の常らしい。杉に対するアレルギー反応は、私の喘息の天敵であるダニよりもひどいのである。

 甜茶がいいという依頼者から甜茶をもらったが全く効かず、ヨーグルトがいいというので食べたがこれも効果がない。
 2年前までは目薬と点鼻薬とマスクだけでしのいでいた。尾籠な話で恐縮であるが、昨年から粘膜という粘膜にアレルギー反応が出ていると感じるようになり、胃腸の調子も悪くなってきて、お尻の穴まで荒れてきてしまった(ご飯中の方すいません)。
 そのため、アレルギーを抑える薬をいつも通っている呼吸器科でもらって飲んだところ、胃腸の調子が改善され、花粉症の症状も改善された。今年も2月からこれを飲んでいる。
 それでもマスクと点鼻薬と目薬は手放せない。
 亀岡に行って目の症状がひどく、目やにが出てきて(まるで目の病気の猫である)、目の粘膜にアレルギー反応が出ているのが自分で分かる。
 ゴーグルのようなものをかけようかどうしようか悩んでいるところである。 

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