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2009年4月30日 (木)

読書日記4月29日

 「魔術はささやく」新潮文庫。宮部みゆき。
 最近お気に入りの宮部みゆきの作品である。若干トリックとストーリーに難があり、理由や火車と比較すると、構成等に難がある気がしたが、作品全てが完璧という作家はいないので仕方がないのかも知れない。

 「花妖譚」文春文庫。司馬遼太郎。
 文庫に未収録の司馬作品集ということで新刊の案内で新聞で見たので即購入(新聞の新刊案内はよく見ているのだ)。司馬遼太郎が、本名の福田定一名義で発表した作品がほとんどである。作品の中では、ハンの死を告げる使者として、アジアからヨーロッパまでわずか10日ほどで駆け続けて、使者としての役割を終えた途端に絶命した使者の話が印象的であった。

 「楼蘭」新潮文庫。井上靖。
 幻の国楼蘭と聞くと、その幻想的な響きにシルクロードへの思いというか、想念をかき立てられる人も多いのではないだろうか。胡人という響きにも同様の何ともいえないロマンを感じる。
 井上靖が描いた楼蘭国の悲劇の物語を表題作とする短編集で、早く読みたいと思っていたが、その時々でいろいろあっちこっちの本を読んでしまっていたので、ようやく読めた。
 そのほか、中島敦の山月記に似た、狼災記という、異民族の女性と交わったがために、女性ともども狼に変じた武将の物語や、神話に基づく幻想的な短編、補陀落信仰(ふだらくしんこう)に基づく、補陀落渡海にまつわる悲劇を描いた作品など、どの短編も読後感に浸れること間違いなしである。

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2009年4月28日 (火)

試験対策法

 私は試験に関してはほとんど失敗したことがない。
 舐めていて落ちた簡単な試験はあるが、まじめに取り組んだ試験では失敗していない。
 
 司法試験受験生のために試験の時に心がけていたことを書く。

 一つは、性格にもよるが、前日の夜は眠れないで当たり前と思うことである。人生がかかった試験の場合、眠ることが出来ないで当たり前と腹をくくって、数時間でも眠れたら御の字だと思ってふとんに入る。横になっているだけでも身体は休まるものだし、寝ていないようで気がついたらウトウトしていることもある。ただ、前日眠ることが出来ないかもしれないことを踏まえて、試験の前1週間くらいは、睡眠時間をたっぷりと取ることである。
 一日くらい睡眠時間が数時間少なくなってもどうということもないが、やはり慢性的な睡眠不足は当日の試験にたたるからである。
 試験前に詰め込むということもあるであろうが、私はだいたい試験前一週間は勉強は少なくして、脳を休ませて、試験当日に出来る限りのパフォーマンスが出せるように心がけていた。
 いくら模擬試験でいい点を取っていても、試験当日にそれが出せなければ意味がないのが本試験であるからである。

 あとは、試験にあまり入れ込みすぎると、当日がちがちになるので、どこかで、「この試験で失敗したからといって命を取られる訳ではない」と思うような腹をくくった気持ちを持つ事である。
 当日ベストパフォーマンスを出す為には、あまり入れ込みすぎると余計に実力が出せないものである。競馬でも入れ込みすぎている馬は負けるものである。
 そうした気持ちを持ちつつ、試験当日は出来る限りのことをするといういわば矛盾した気持ちが重要であろう。

 日常的な勉強でいえば、ある程度勉強の計画には柔軟性を持たせることである。
 長期間勉強しなければならない試験の場合、気分が乗らない時などもあるであろう。
 そうした時には、自分にご褒美を与えるということで、中期的目標を立ててそれがクリアー出来たら完全勉強オフ日を作るなど一定のメリハリを持つことである。
 そうしないと長丁場は乗り切れない。
 あといくつかあるが、早くやるヒントというのを過去に書いたような気もするので、このブログ内を検索してみて下されば幸いである。

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2009年4月27日 (月)

役員披露宴

 先週の金曜日は役員披露宴であった。
 当日は午前中に裁判に1件出たあと、交通事故の依頼者との打合せを経て、午後から弁護士会館で市民窓口の対応をした。市民窓口というのは京都弁護士会の弁護士に対する苦情を弁護士会の副会長と、2年前までの役員が交代で聞く制度である。
 市民窓口を終えてその後弁護士会で決裁文書の判子押しをしたり、役員会での資料作りをしていると、早くも役員披露宴への出席時間となっていた。

 役員披露宴が行われた国際ホテルに着いていきなり副会長の名刺を忘れてきたことに気づく。忘れたーと言っていたら、弁護士会の事務職員同士で連絡を取ってくれたようで、後で持参してくれた。事務処理の早さに感謝、である。
 始まる前に披露宴に来ていただいた方々に立礼をする。その後開会すると、壇上に上げられて1人1人のプロフィールを読み上げられ、後に会長の挨拶である。
 壇上で立っているというのは、私のような適当な性格の人間には辛く、他の副会長3名が落ち着いて立っていたのと比べ、私は「早く会長の挨拶終わらないかなあ」という気持ちで聞いていたので、どうやらそわそわしていたのが気づかれていたようである。会場の弁護士達から何人にも、「一番落ち着きがなかった」と言われた。
 スポットライトがまぶしく、私は直射される位置にいたので、多少暑かったのと、私は人の話を聞くのが嫌いなので、会長の話も短めにして欲しいなあ…と思いながら聞いていたので内心の思いが外に出ていたのであろう。ともかく、ああいうように前に並べられて、ずっと立たされて紹介されるというのは、金輪際ごめんである。私の性格に合わない。
 もっと簡略化して欲しいものだと思っている。

 その後は何名かの来賓から暖かい祝辞をちょうだいし、障害を持つ子どもさんで構成されている「おひさま太鼓」というグループによる太鼓の演奏で我々の就任を祝っていただいたのだが、この演奏が素晴らしかった。会場も皆一様に聞き入ってくれて、後にも「例年のクラッシックなどより数段よかった」という声が多かった。
 弁護士法1条の精神からしても、障害を抱えて頑張っている子どもさん達による演奏というのは、我々の就任にふさわしいものであったように思う。

 その後、同じテーブルの人たちや諸先輩方などと歓談させていただいているうちに、宴は終宴を迎え、また立礼をして後は三々五々二次会、三次会となった。
 私自身はこういうあらたまった席で自分が主役になるのが大嫌いであるので、祝われる方は金輪際ごめんだと今は思っているが、ともあれ、参列していただいた来賓の方々や、関係者各位、諸先輩の弁護士の先生、同期の弁護士、後輩の弁護士さん達にはこの場を借りてあらためて御礼申し上げる次第です。
 どうもありがとうございました。

 なお、同ホテルの宴会では、別のホテルで見かけたOK弁護士によく似たホテルマンが居て、どうやら彼はホテル専属ではないようであり、ホテルも経費削減で常にホテルマンを雇用するというよりは、宴会の際に派遣して貰っているということではないかということとなり、今の世相を反映しているのだなあということもしみじみとした話題となっていたことも末尾に付け加えさせていただく。

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2009年4月24日 (金)

メールでの就職活動

 最近、修習生と話をしていて、「就職どう?」と聞くと、「ダメですよ~」と反ってくることが多い。どんな就職活動をしているのかと聞くと、「メール送っても返事来ないっすよ~」というので、「メール送って、それで終わり?」と聞くと、どうもそれ以上何もしていないようなのである。
 断言しよう。
 メールだけ送って電話もしてこないような修習生には弁護士は魅力を感じない。
 弁護士においてまず必要なのは、対人折衝能力であり、会話能力である。書面は下手でも後からスキルアップできるが、会話がスムーズに成り立たない修習生では、採用しても使い物にならず、話にならない弁護士ができあがるであろう。
 やはり電話して、面接してもらえるかどうか程度は聞くべきであろう。弁護士側は、そのときの電話のやりとりでも、その修習生ができるかできないかを見ているのである。
 

 後は、採用してほしいという事務所があって、可能性があるのであれば、押しの一手であろう。給料は安くてもよい、机はミカン箱でもいい(これはややどうかという気もするが)、いや、給料はいらないので置いてくださいくらいの勢いで頼み込めば、可能性があるのであればその熱意と押しの強さを買ってくれる場合もある。
 メールを送って弁護士から連絡が来るのを待つというのでは、永遠に就職できないであろう。特に今は弁護士側が修習生を選びに選ぶことができる時代である。
 ただし、可能性もないのに押しまくると、「空気を読めないヤツ」の烙印を押されてしまうのでこれまた要注意なのだが・・・。
 いずれにせよ、電話くらいはすべきであろうし、できれば紹介者の弁護士を見つけるのがよい。私の紹介ということで就職が決まった修習生は多いが、やはり、弁護士側も、「彼が推薦してくれるなら」という気持ちは働くからである。
 採用してもらえなければ即独か就職浪人か企業へ就職である。即独の危険性については、以前書いたので書かないが。

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2009年4月23日 (木)

朝風呂

 去年の年末くらいから、夜に風呂に入るのが面倒になって、かといって風呂に入らない訳にもいかないので、朝に風呂に入っている。そのため少し早起きしている。
 きちんと湯船につかり、身体も頭も洗う。寝癖も取れるってもんである。

 日本の偉人の健康法をまとめた本を少し前に買って読んだ時に、朝風呂健康法というのを実践していた政治家の話を読んだ記憶があったが、朝に風呂に入ることについては、諸説ふんぷんである。
 頭の油を落としてしまうので禿げてしまうという説があるし、朝あまりに長く風呂に入ると、自律神経に悪いという説もある。
 実際のところはどうか分からないのであるが、冬場は朝に風呂に入ったが為にどうも風邪を引いたのではないかと思われることもあったが、だいぶ暖かくなって朝風呂が苦にならなくなってきた。ただ、もう少し経って汗をかく季節になると、夜にさっと汗を流さないでは眠ることが出来ないであろう。
 毎日夜に入ろうと思いながら、なんとなくダラダラとしているうちに寝る時間が近づいてきて、私は風呂を上がって1時間以上経たないと眠ることが出来ないので、1時間を差し引くと、「このまま寝ちまえ」となっている。
 日中時間に追われているので、夜くらいダラダラさせてくれえと思うのである。誰に言っているのかはわからないが…。

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2009年4月22日 (水)

読書日記4月22日

 「司馬遼太郎が考えたこと 5」新潮文庫。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎のエッセイ集の5巻目。私が生まれた後のエッセイとなっている。
 司馬の歴史に対する造詣はすさまじい。これだけの調べ物をした結果、あれだけの作品を残したのだと思うが、各地に旅行も行っておられるし、いったい司馬遼太郎には睡眠時間というものはあったのかといぶかしく思ってしまう。

 「殿様の通信簿」新潮文庫。磯田道史。
 武士の家計簿を書いた著者の好評歴史エッセイ。
 名君とされている徳川幕府時代の藩主の実像に迫った作品である。
 個人的には、前田利家に始まる前田三代の話が極めて興味深かった。
  家を守るために、自らほ葬りさろうとした前田利長の逸話が最も興味深かった。

 「鴨川ホルモー」角川文庫、万城目学。
 映画化された作品ということで、本屋で「意味不明だが、面白くないこともあるまい」と考えて購入。
 意味不明な世界であったが、恋あり等々のドタバタの中でストーリーはすすんだ。
 一読の価値があるかどうかは、人それぞれの感性であろう。

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2009年4月21日 (火)

税金…

 確定申告を済ませているから分かっていたのであるが、税金の引き落としの通知が来た。大変憂うつである。
 納税は国民の義務であることは分かっているのであるが、果たしたくなくなる気分である。
 所得税に関しては前年度に予定納税というのをしているので(予定なのに遅れると延滞税がつくそうである。なんでやねん、アホー)、この時期に満額収めることはないのであるが、総額にするといい金額になる。
 消費税の引き落としも同日で、5月くらいには住民税がくる。

 私は事業者なので、所得税は所得に対して40%かかる。住民税は10%。
 事業税が5%で、全体の売上に対して消費税が5%。
 働くのが嫌になる税率である。
 きちんと使ってくれるのであれば収めがいもあるが、毎年この時期は理由もなく(理由はあるのだが、払わなくてはいけないので、正当な怒りの理由ではないということで)、腹が立つ。
 税金のアホー。

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2009年4月20日 (月)

木鶏(もっけい)

 荘子の中に収められている故事である。
 紀省子という闘鶏を育てる名人に、王が自分の闘鶏を預けて鍛えてもらう話である。
 10日後、王は名人に預けた闘鶏の仕上がり具合を下問する。王は早く戦わせて見たいのである。
 これに対し、「空威張りして闘争心があるからいけません。」という。
 さらに10日後、王が仕上がり具合を下問すると、「いけません。他の鶏の姿や声を聞いただけでいきり立ってしまいます。」ということであった。
 また10日後、再度王が下問すると、「相手に目を怒らせて己の強さを自慢するのでまだだめです」という。
 そしてさらに10日が経ち、王が下問したところ、「もうよいでしょう。他の闘鶏が鳴いても全く相手にしません。まるで木鶏(木で作った鶏)のようで、その徳の前に敵う鶏はいないでしょう」ということであった。
 実際に闘鶏をさせて見たところ、名人のいうとおりであり、他の鶏は全て逃げ出してしまった…という話である。

 最近の若手弁護士の中には、自分を批判されるともの凄くキレて怒る人がいるそうである。書面がわからないので指摘すると、極めて挑戦的な物の言い方で攻撃してきたり、裁判官が指摘しても、激怒りするだけで話にならない等々、そういう話をよく聞く。
また、経験も何もないのに、妙に自信があるそぶりをして、「自分は出来るのだ」というように吹聴したり、妙にふんぞり返っている人もいる。
 これは実は自分に自信が全くないからである。
 真実自信があれば、批判されても怒ることなく、むしろ相手の誤りを正せば済むことである。批判されてキレるのは、痛いところをつかれているからである。妙に挑戦的な態度も、内心ビクビクしているため、そのような態度に出てしまうのである。
 経験も何もないのに、自信のあるそぶりをするのも同様で、自信がないからこそそのような態度で中身が空虚なところを見せたくないのである。本当に出来る人は、周囲が「あの先生は出来る人だ」という評価が自然に出来ていき、自分で吹聴する必要もないし、ふんぞり返る必要もない。
 木鶏の故事は、こうした話が最近になって出てきていることではなく、人間社会に似たような話がありがちであることを教えてくれる。
 根拠のない自信は辞めた方がいい。むしろ経験がないことを虚心坦懐に認めて、謙虚にならないと、いつの日か自分に跳ね返ってくる日がくるのである。

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2009年4月17日 (金)

三国志

 最近、歴史ブームということもあるのか、レッドクリフがヒットした為か、三国志ものの書籍がたくさん本屋に置いてある。漫画も多いようである。
 一時期三国志に凝って、三国志ものを読みあさったこともあり、今はかえってそうしたものは敬遠している。

 三国志というのは、後漢末期に漢が滅び、中国が魏、呉、蜀の三つの国に分かれていた時代の英雄豪傑を描いた話で、正確にはここで、「三国志」といえば、三国志演義といって、後漢の時代を遙かに下った南宋の時代ころ(時代は若干あやふや)に成立した演劇の事を指す。
 これに対して、三国志には正史があり、正史と演義とは相当内容が違っている。
 演義の方は、後に蜀の皇帝となった劉備玄徳を主人公とし、蜀を正当とする立場から、劉備を善玉、漢の国を滅ぼす原因を作った魏の曹操を悪玉として描くわかりやすいストーリーである。
 正史の方は、後漢皇帝から皇帝の位を禅譲(譲られること)された魏を正当な王朝として描いている。

 演義の方の劉備は、聖人君子として描かれて、死に瀕した荊州の太守である劉表から国主の座を譲られようとしたが、固辞してこれを受けなかったが為に、荊州から逃れて、曹操から追撃を受けることになるなど、物足りない人物である。
 しかし正史の方の劉備はどうもそうした聖人君子ではなかったようで、演義の方では張飛のせいにされているが、黄布族征伐の功で若い頃警察署長程度の役職に就いていた時に、中央の役人が査察にきて、賄賂を要求したり辱めを劉備に与えたことに激高して、その役人を木に縛り付けて鞭でさんざんに打ち据えて、役人の首に警察署長の印綬をかけて蓄電してしまったことがある。こちらが本当の劉備である。

 ここで少し三国志関連の本について書くと、吉川英治の「三国志」は最近新装版が出ているが、私が今まで読んだ三国志ものでは完成度といい、内容といい三国志作品の最高傑作である。まず読むなら吉川三国志をお勧めしたい。敵軍100万の中を劉備の子を守り奮戦した超雲に対して、劉備がねぎらいの言葉をかける場面や、関羽が呉によって斬られた後の吉川英治の悲嘆ぶりが一読の価値があるし、関羽ファンであった私は関羽の死に涙したものである。
 陳舜臣の「秘本三国志」は、これも最近新装版が出ているが、曹操と劉備が共謀して最後に2人で天下をかけて戦おうとしたという設定のもと描かれた作品である。曹操が悪玉として書かれていない珍しい作品といえる。
 その他、安岡正篤氏が書いた三国志ものや、5分冊の三国志もの、劉備が天下を取るという架空の設定の「超三国志」等々三国志関連で読んだ本は相当な量である。井波律子氏の「読み切り三国志」も面白い。
 漫画では、吉川英治を原作とした横山光輝の三国志は全巻持っている。
 もっとも劉備や曹操を描いて史実に近いのは、モーニングに連載されていた曹操が主人公の「蒼天航路」であろう。これも全巻持っている。

 こうした三国志ものがなぜ受けるかというと、これは歴史小説が人生訓として読まれるという以上の何かがあるように思えてならないが、それはなんであるのだろう。
 またそのうち三国志についても書くことがあろうが、今日はこのへんで…。続く。

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2009年4月16日 (木)

若さとかと勝手に言って欲しくない

 先日飲み屋で話をしていたところ、「若いからそういう考えなんだね」という趣旨のことを知らないオジサン(相当地位も名誉もありそうな偉いんだろうなという雰囲気の人)から言われたことがあった。
 まあ、私はそのオジサンから見たら若いかも知れないであろうが、38歳であるから25歳よりはオジサンである。弁護士経験も10年以上ある。単に年齢で人の発言を「若いから」と一言で片付けてしまうというその態度はいただけないと思った。
 別段私はそのオヤジに世話になった訳でもなんでもなく、単に飲み屋で隣になっただけであるが、私はこういうオヤジは大嫌いであるし、自分はそういうオヤジには絶対にならないぞと心に誓っている。
 確かに、18歳の時の私と、25歳の時の私、今の私というように振り返れば、考えや経験も違うが、それはそれで当時の考えは考えで尊重すべきものだと自分自身思えるのである。
 人の人生経験は様々であり、25歳になるまでに辛酸を舐めた人間だっているのである。それを単に、「若さ」だから「わかっていないよね」というような雰囲気で片付けるような態度はいただけない。
 私はそういうオヤジにこそ、「あんたは単に歳をくっただけで何も経験もしていないし、わかっていないのではないのか」と言いたくなるのだが、飲み屋でケンカする歳でもないので、そういう時は店を出ることにしている。

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2009年4月15日 (水)

電車の中でお酒を飲むオジサンたち

 私は電車で通勤しているが、帰りの電車では、特急電車でもないのにビールや酎ハイを飲んでいるオジサンがいる。もちろんワンカップ大関を飲んでいるオジサンもいる。
 ビールや酎ハイを飲んでいるだけであればまだしも、中にはつまみを持っていて、ボリボリとやりながら座っているオジサンもいる。
 私は特急電車の中で割合余裕のある空間や、遅い電車で空いている電車であればそうした酒を飲んだこともあるが、割合帰宅時間で電車が混んでいる時間帯にこういう行動を取ることが出来るというのは、酒が好きというよりはもはやアルコール依存症になっているのではないかなどと訝しんだりする。

 そんなことを考えながら電車で帰途についているのだが、先日見たオジサンは最も今までですごかった。なんと立ちながら片手に酎ハイとビニール袋を提げて、そのビニール袋から時折つまみを出してボリボリとやっているのである。座って酒を飲みながらつまみというのは見たことがあったし、立ちながら単に酒を飲んでいるオジサンは見ていたが、立ちながらつまみまで食べているオジサンは初めてであった。
 何が彼らをそうさせるのであろう。とことんまで酒好きなのか、あるいは帰るまで我慢できないよほど嫌なことが仕事であったのであろうか。あるいは家に帰る前に出来上がらなければそれはそれで辛いことがあるのか。
 謎である。

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2009年4月14日 (火)

本格推理小説の条件

 私は推理小説好きであるが、基本的には「本格」推理小説が好きである。
 この本格推理小説というのはいわゆる古典的な推理小説がこれにあたり、犯人は最後で指摘され、探偵又は探偵役が、謎解きをしてクライマックスというタイプであるが、犯人が誰かというところを最後に描く前に、探偵又は探偵役と、読者とは全く同じ情報を得ていて、その上で探偵役はその同じ情報から犯人を暴き出すというもので、作家からすると大変書きづらいことになる。
 事件の解決は論理的である事が必要とされ、手かがりは全て最後の謎解きまでに読者の前に出しておく必要があり、犯人は小説の前半部分で登場している人物であることが必要である。フェアプレー精神が必要なのである。トリックがあまりにも奇抜すぎるものは、再現不可能ではないかと思われるので論理性を欠くのではなかろうか。
 また、心霊現象・超常現象や自然現象による犯行はフェアではないので本格では不可である。
 エラリー・クイーンは、最後の謎解きに入る前に、読者に対して挑戦的な言葉を入れていることがある。私の好きな横溝正史も本格である。
 全ての条件が示されているからこそ、最後に「アッ」と驚かされ、痛快な読後感があるのである。

 まあ別段小説として枠が決まっている訳ではないのであるが、本格推理小説と銘打ってて宣伝されている作品の中に、たまにこの約束事を破っている作品がある。出版社の方も宣伝をする際にそこまで知識がある人が宣伝している訳ではないであろうから、仕方がないのかもしれないが、もっともひどいのだと、小説の終わりにさしかかって突然今まで陰も形もなかった共犯者が現れて、「実はこうでした」というものがあったり、犯人自身が最後の方で突然登場するのもある。こんなのははっきり言って少し筆が立つ人であれば、最後の方でどうにでも出来るから誰でもかけるのであり、卑怯な気がするのである。
 一つの小説のあり方として、それでもいいではないかという声もあるであろうが、「本格」と銘打って最後の方で共犯者が…というのでは読んでいて最後に「ドヒャー」となってなんて無駄な時間を過ごしたのかと思う。
 私はやはり「本格」推理小説が好きであるので、それ以外は読んでいて、物足りないのである。

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2009年4月13日 (月)

読書日記4月13日

「火車」宮部みゆき。新潮文庫。
 宮部みゆきの代表作であり、評価も高かったがまだ読んだことがなかったので読んだのだが、一気に読ませる巧さがある。ただ、本格推理小説ではないので、こういう作品はサスペンスと呼ぶべきなのであろうか。法律事務所職員であったという経歴がうまく生かされていると思う。

「9割の病は自分で治せる」岡本治。中経文庫。
 西洋医学には限界があり、西洋医学で「治った」と思っている病気も、実は9割は自然治癒力で治っているに過ぎないということから、医師に出来るだけ頼らない治療法というか健康法を推奨している本。私はこの手の健康本が好きなので、何冊かに1回は読んでいる。ただ、こういう本に書いてあるように、ストレスがないようにしていくのは、仕事柄難しいのだが。

「長い長い殺人」宮部みゆき。光文社文庫。
 最近好んでいる宮部みゆきの作品である。この作品も本格推理小説ではない。それぞれの財布が語るという切り口で書かれているところが特徴的。後の「模倣犯」につながるような精神構造が描かれていると感じた。

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2009年4月11日 (土)

6連続オウンゴール

  新潟の中学校のフットサルの試合で、順当に勝ち上がれば苦手なチームと決勝に上がる前に当たる為に、わざとリーグ戦での順位を落とすために、指導者が生徒にわざと自陣のゴールに蹴りこませて負けるという試合があり、今話題である。試合中に、相手のチームからも、「こんな試合は没収してくれ」という声もあり、試合会場は騒然となったという。
 結局、決勝に上がる前にこのチームは負けてしまった。

 フットサルもサッカーであるので、草サッカーチームの主将である私としては大変不愉快な事件である。
 子ども達にとっても、そのような騒然とした中で自陣にゴールを蹴りこむというのは心が傷ついたであろうし、これが原因となってサッカーが嫌いとなってしまうかもしれない。
 サッカーはフットサルであれ、集団でするスポーツであるので、ボールをつないでつないで最終的にゴールネットを揺らすとあれだけ嬉しいのである。足でするスポーツであるから、ミスが原則であり(手でするバスケは大量に得点が入るのと好対照)、そのミスを皆でかばい合いながらゴールを奪おうとするから面白いし興奮するのである。
 だから私は下手だがサッカーが好きなのである。
 そのサッカーというスポーツで、こうした事件が発生したのは大変遺憾である。
 この指導者は、指導者以前に人間としての何かが欠落していたのではないか。
 本当に異常というか、不愉快な事件である。

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2009年4月10日 (金)

キツイ

 昨日は北部自治体への挨拶回りであった。福知山まで京都駅8時59分発の特急で行き、その後綾部→舞鶴→京丹後→宮津の市役所を回った。前日私は東京での挨拶回りメンバーには入っていなかったが、私以外の会長と副会長は前日東京出張している。みんなタフである。私は昨日1日だけで疲れた。宮津から3時間ほどかけて京都駅に着いて、自宅に戻ったのは12時過ぎである。
 昼食は由良川に面して建てられている少し風情のある「ゆらり」というところで食べたが、中々美味しかった。
 その近くの桜。石の橋の横にひっそりと咲いていて、風情がある。090409_125601

 夕方から北部の会員・事務員さん・丹後法律相談センターの職員さん達と法律相談についての報告会があり、その後花見宴会となった。北部の先生方や事務員さん、丹後センターの職員さん達から短い時間ではあったが話が聞けてよかった。

 弁護士は現場に行かないといけないが(私のボスからこうしろと言われた唯一の教え。後はあまりああしろこうしろと言われないのだ)、副会長もやはり現場に行かないといけないのである。

 今日はこれから昨年のO・K副会長が鞄の中に数ヶ月がめていた為全く進んでいなかった(O・Kの引継ぎでは終わったことにされていたが、全く終わっていない)関係の会務で、弁護士会に行かないといけない。
 ヤレヤレ。

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2009年4月 9日 (木)

たまごかけご飯

 時々、たまごかけご飯が食べたくなる。
 たまごかけご飯も奥が深いようであり、たまごかけご飯専用醤油とかも売っているようである。少し前に、お歳暮か何かでもらったものに、各地の名産品を取り寄せられるものがあり、この中でたまごかけご飯セットというものがあったので、迷わず注文した。

 まず、たまごがかなり貴重な卵らしく、割ると黄身がぷりぷりである。そして生臭くなく、美味いのである。また、醤油も絶品で、たまごかけご飯専用にブレンドされているので、何も迷うことなく卵と混ぜてご飯にぶっかけられる。
 少し前のCMで、味の素を卵にかけてご飯をかっくらう小栗旬を見たが、あれも美味そうであったが、まだ試せていない。
 たまごかけご飯専門店というのもあるようであるが、まだ行ったことがない。
 居酒屋メニューで作れば流行ると思うのだが、私が行くことのできる数少ない居酒屋にはメニューにないのである。

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2009年4月 8日 (水)

桜満開

 桜が満開で、昨日は役員就任の挨拶周りで南部自治体を回ったのだが、八幡市に挨拶に行くのに、タクシーで移動していると、八幡の背割堤のところはものすごい人であった。
 桜並木が続いて、タクシーの中からでもその見事さには皆目を見張ったものである。
 夜は少しだけ夜桜を見にいったのだが、この分では市内の桜は後数日で葉桜になってしまいそうである。
 前に書いた私がもっとも好きな山の中の桜はまだ少し保つであろうか。

 ところで、今何をしているかというと、役員室にこもって、右手に御所南小学校の見事な桜をたまにながめつつ、ひたすら判子を押しているのである。
 弁護士会は事務局から各上司を回って事務長経由で数多く決済文書が回ってくる。
 これは役員をやらないと知らなかったことである。一日が過ぎると、大量の未決文書がたまるのである。そのうち、役員会で時間をかけて議論した方がよいものについては、役員会に付議して、議論することになる。
 役員会は毎週あり、週に一度は副会長のみで決済する急ぎの文書に備えて在会当番日というのもある。さらに市民からの弁護士や弁護士会への苦情を受け付ける市民窓口の担当日もある。むむむ。
 その他自分の所管する委員会にはできるだけ出席し、委員会や役員会で出た問題点について対応するため、これらの時間以外にも起案したり、電話したり、メールをしたりする。
 一人で事務所を経営している人は、よくこの作業をしながら、副会長をしているものだと感心する。
 私の事務所はほかに二人弁護士がいるので、何とかなりそうだが、やはり私が聞かないといけないような相談もたまにはあるであろうから、弁護士会の仕事ばかりはしていられないし、仕事もしないとおまんまの食い上げである。
 それを除くといろいろなことが分かっておもしろい。チャンスがあれば役員はやるべきであろう。
 その一方で、来年の桜が咲く頃が早くきてくれればいいなあと思ったりもするのである。

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2009年4月 7日 (火)

歯の質

 世の中には虫歯になりにくい人となりやすい人がいる。私は今のところ虫歯になりにくい人で、歯磨きは38年間いい加減であり(小学校の時は朝しか磨いていなかった。乳歯は何本か虫歯になったが)、今もいい加減であり、今は朝晩電動歯ブラシで磨くのだが、30秒~45秒程度磨いて終わりである。しかし、虫歯は一本もない。歯医者での治療も永久歯になってからほとんどしていない。親知らずは虫歯ではないので、虫歯になりにくいのであろう。もちろん今のところ、というにとどまるが。

 親知らずを抜いた時に、T歯科医から、「治療跡のほとんどない、いい歯やね~。」と言われ、あまり意識をしていなかったが、周囲ではけっこう「歯医者」に行っている人がいる。私の第3の師匠は、昨年歯の治療費が年間100万円を越えたと言っていた。
 昔は歯が痛いと今治水(こんじすい)というのを歯に塗っていたが、あれは単なる痛み止めではなかったろうか。歯だけは歯医者に行かなければ治らないのである。正露丸を虫歯のところに詰めて口の中が臭く臭くなったこともあったが、あれも本当のその場しのぎの対処療法であって、正露丸を詰めても虫歯は治らないであろう。若い人は知らないかなあ。

 虫歯のなりやすさは、私なりに考えるに、歯の質もあるであろうが、唾液の質にもよるのではないかと思っている。唾液が虫歯になる菌を殺すのである。唾液が少ないか質が悪い場合、殺菌作用が働かないのではないか。

 まあこんなことを書いていて、来年の今頃に、虫歯になって、「去年偉そうなこと書いとったなあ」と後ろ指をさされるかもしれないのであるが。

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2009年4月 6日 (月)

雨の中の練習

 土曜日はサッカーの練習日で、最初は小雨であったがそのうちに本降りになった。
 雨でも練習はたいてい中止にはならず、一度は10センチくらい積もった雪の中でやったこともある(ボールに雪が白くついて、そのうちボールが見えなくなり、最後は皆少しおかしくなってきて、雪の中でプロレスをしたり、雪合戦に変わってしまったが)。

 しかし、雨になると、途端に参加者が少なくなる。
 突然風邪気味ですので…とか、用事で…という連絡が来ることが多い。
 練習試合の時はやたら人数が居て、誰を先発させるか悩むのと好対照である。

 土曜日もわずか10名で練習し、グラウンドの管理しているオジサンに「ようやるねえ」と感心(とぢらかというと呆れられているのか)されつつ、2時間半の練習を行った。
 終わる頃には体は冷え切り、自動車のハンドルを持つ手に感覚がなかったほどである。
 部員の皆さん、雨の時にもきちんときましょう!!!

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2009年4月 3日 (金)

話しに入ってくる人

 飲み屋で1人で飲みに来ていて、やたら話しに入ってくるタイプの人が居るが、正直うっとうしい。知り合いでも何でもないのに、である。
 1人で来ているということは、1人でゆっくりしにきて、ゆったりしたいか、逆に友達がいないかのどちらかであろうが、話しかけてくるタイプは後者であろう。
 それで話が面白ければよいが、たいていそういうタイプの人の話は面白くない。
 私は1人で飲みに出られないタイプなので、逆に1人で飲みに行くと、店の人を除いては誰からも話しかけられたくない。ほっといてーという感じになるのである。
 喫茶店にも1人で入ることに躊躇を覚える。先日、喘息の薬を貰いに行き、朝が早かったため薬局が閉まっていて,20分ほど時間があったので路上で待つのもしんどいなあと思って、薬局の横にあった喫茶店に一大決心をして入ったほどである。
 この時は、宮部みゆきの「理由」を読みながら15分ほど時間をつぶせたので、喫茶店も苦にならなかったが、読む本や新聞もなければ、喫茶店で1人でお茶を飲むというのは苦痛以外の何者でもないし、誰かに話しかけられるのも嫌だし、話しかけるのも嫌である。
 ただ、飲みに行くと本を読んでいたりという訳にもいかず、ただカラランと氷を鳴らしてロックグラスを傾けるというようなマネは私には出来ないので、手持ち無沙汰になるのである。
 だから1人では行かないのだが、仮に1人で行ったとしても誰彼となく話しかけることはしない。それは、せっかく友人知人と飲み屋に来て楽しくすごそうとしている人たちに失礼だからである。向こう(複数で来ている人たち)が話しかけてきて、話がばすむのであればよいが、そうでない限り邪魔はすべきでないであろう。
 これも私のこだわりである。

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2009年4月 2日 (木)

休肝日

 健康本を読んでいると、「休肝日を設けなさい」とよく書かれている(喘息であることがわかってから、健康本をたくさん買い込んで読んだのだ。その後も何冊かに一冊は健康本であったり病気の本であったりする。)。
 私も、よく周囲から、「酒抜く日あるか~?」などと聞かれる。
 私は毎日酒を飲んでいるようなイメージがあるようである。飲むとなるとそれなりに飲むからであろう。
 しかし、実際は酒を飲むのは週に2、3日で、1週間のターンで考えれば、休肝日の方が多いのである。血液検査をしても健康そのものの数値である(肝臓の数値が少し悪いが、医師によればあまり気にしなくともよい程度の数値らしい)。
 痛風が発症するかどうかの目安である尿酸値も健常である。

 …というようなことを言っても、中々信じて貰えない。よほど、酒を飲んでいる時のイメージが強いのであろうか。
 基本的に自宅では酒をほとんど飲まない。よほど仕事で腹の立つことがあって、しかも飲みに行く友達も偶々その日に限っておらず(私は1人で飲むことが出来ないのである)、帰らざるを得なかった時などに、帰りにコンビニでワンカップを買ってスナック菓子でやけ酒を飲む時があるほか、本当に偶に寝酒をする程度である。一滴も飲まない日の方が多いのである。
 なぜかと考えてみるが、酒そのものというよりは酒場の雰囲気が好きなのであろうか。
 後は毎日若い頃飲んでいて、毎日飲むとしんどくなってきた記憶があり、自然と避けているというところもあるかもしれない。寝酒をしなければ眠ることが出来なかった時期もあったが、これも辞めて見れば、単に毎日の習慣となってしまっていただけで、飲まないなら飲まないでどうということもない。

 弁護士という仕事柄、ストレスの塊を浴びせかけられ、その中で泳いでいるようなところがあるのであるから、毎日飲む人の気持ちもわからないではない。
 私もそれなりにストレスを感じているのだが、毎日飲まなくても平気なのはなぜなのだろうかと時々自分自身のことを考えてみたりすることもある。
 答えはわからないままであるが、毎日飲むと太りやすい体質の私は太ってしまうので、不経済(スーツを作り直したり等々)というところも関係しているかもしれない。
 意図して休肝日を作らなければならない人に比べて、まだそこまでアルコールに依存していないという意味で私は幸せかもしれない。
 

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2009年4月 1日 (水)

今日から新年度

 今日から新年度である。私も正式に京都弁護士会副会長に就任した。弁護士生活も丸13年が終わり、14年目になる。
 副会長の仕事を全うしつつ、事務所の仕事もやりつつ、このブログを更新していきたいことに変わりはない。

 春になると、電車に乗る人が増える。新入生、新社会人等々が乗るためであろうが、ゴールデンウィーク明けには今までと変わりがなくなる。春先に増えた人はどこに行くのであろう。不思議だ。
 最近電車に乗っていて不思議なのは、昔は容姿があまりよろしくない(要するに、ブサイクと言われていた人たち)人たちは、自分の容姿があまりよろしくないことを知っていたのか、格好いい人は格好いい格好をして、そうではない人はそうでない格好をしていたのだが、最近は格好だけは皆いいし、髪型も顔に似つかわしくない髪型をしていることが目につく。
 そして、完全に容姿がよろしくないのに、顔を作って気取っていたりするのである。
 昔は、容姿のよろしくない人は、周囲から「ブサイク」とか言われて大きくなったので、ブサイクなりに格好もブサイクにふさわしい程度の服装にとどめていたのが、最近は「他人をバカにする若者たち」で書いたが、若者は横並びで育てられて自分が社会のどの位置にいるのかということがわからないまま生育するため、ブサイクでも身なりは芸能人並にしているのではないかなどと思いつつ、「こいつブサイクやのに、気取った格好してるなあ…」などと電車に乗っている今日このごろである。

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