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2009年5月29日 (金)

集中力

 人は誰でもそうだが、集中していると、周囲がどうであろうと意識の外になってしまう。
 集中力がない人とある人の差があるかのように言われることがあるが、私から言わせれば、集中のコツを知っているかどうかということになるのではないかと思うのである。

 漫画を読んでいたり、ゲームをしていたりすると、知らずに相当の時間が経過していたということは記憶にあるであろう。仕事をするときにその状態に持ち込めばこっちのものである。
 

 私なども、書面を書いていてノッてくると、集中してきて邪魔をされたくなくなる。
 まとまった時間で集中して書きたい時は、電話を止めることもある。電話はこちらの都合は考えずにかかってくるからである。事務員の方もよほど急ぎでない限り声をかけないように頼む。
 しかし、集中力は数時間が限度である。集中力が切れてきたら、休憩を入れた方がよいと思う。
 集中するには、健康な身体と適度な睡眠は必要であろう。
 弁護士のところには心を病んだ人が依頼に来られる時もあるし、相手方が心を病んでいることもある。弁護士自身が健全な精神と肉体をもっていないと、とてもではないが集中して事件解決は出来ないであろう。

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2009年5月28日 (木)

釣りゲーム

 携帯に広告メールが来たので、何気なく登録してみた。グリーのゲームサイトである。
 暇な時にしていたのであるが、意地になってしまいよくない。
 釣りのゲームがあるのだが、釣り好きだが暇がなくていけない私にとって多少なりとも慰めになるかと思いやっているが、このゲームはうまい集客システムをもっている。
 竿やエサはある程度使用するとなくなったり壊れる。大物を釣るにはいい竿といい仕掛けといいエサが必要なのであるが、これを買うには魚を釣ってポイントを貯めるか、ゴールドが必要なのである。
 ゴールドは有料サイトへの登録か、友人を紹介することで貰えるのであるが、有料サイトを見たが私にとって有益なものは何もなさそうなので、友人にメールをして会員になってもらい、紹介料としてゴールドを貰って竿とかエサを買っている。
 本を読むのにも疲れ、一服している時にゲームは何も考えなくてよいので一日に何匹か釣る。
 私から携帯メールがいっている人がここ何日かの間にいるが、そういうことなのである。
 意地になってはいかんのだが、釣れないと意地になる。
 こういう性格なので、ギャンブルや株はしないことにしている。

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2009年5月27日 (水)

読書日記5月27日

「坂の上の雲 2」文春文庫。司馬遼太郎。
 司馬が描く明治の一大叙事詩の2巻。日本は日清戦争に突入し、勝利する。その一方で、正岡子規は、俳句を新生させて名声を博したが、既にその身体は病魔に蝕まれていた。今の日本が存在するについて、たら、ればを言うときりがないが、よくも日清戦争に勝利したものだと思う。帝国主義の時代。ロシアは極東に膨張する政策を採用し、三国干渉によって遼東半島を中国に返還させたが、満州に兵を入れて支配下に置いてしまう。
 日露戦争へ時代は向かいつつあった。
 時の皇帝は大津事件で皇太子時代に斬りつけられて日本人を毛嫌いしていたニコライ二世であった。こうして読むと、高校の時に覚えられなかった日本史が良く覚えられる。速く司馬を読んでればよかった。

「さまよえる湖」スヴェン・ヘディン。中公文庫。
 楼蘭を発掘し、シルクロードを幾度と無く冒険したヘディンの著作による、さまよえる湖であるロプ・ノールの探検記。楼蘭がなぜ滅びたのか。それは湖が移動したからではないのか。その仮説に基づいて、ヘディンは探検の旅に出る。
 井上靖の楼蘭を読んで読みたくなった作品。ただし、あまりに旅行記が忠実過ぎて、これを読んでいる間に何度と無く知らない間に寝ていた。読ませる工夫が欲しかったところ。

「学校では教えてくれない不道徳講座」新潮文庫。テリー伊藤。
 本屋で何となくタイトルに惹かれて購入。テリー伊藤のエッセイ集。
 表題とは異なり、結構いいことを書いている。人間の本質の一つに悪があるということを教えようというところくらいが表題と繋がる程度である。自身の悩みも赤裸々に綴っている。読みやすい。

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2009年5月26日 (火)

情状弁護の難しさ

 刑事事件で、殺人の故意を否認するとか、犯人でないことを争う事件であったり、責任能力を争う事件であったりという事件がクローズアップされるが、たいていの事件は事実関係にはさほど争いがなく、被告人に有利な情状をあげて減刑又は執行猶予を求めていくということになる。

 中には、全くよい情状を見いだせない被告人もいるのであるが、だからといって、被告人の為には全世界を敵に回しても弁護をしてやらないといけないという弁護人の職責から、何かを探し出さないといけない。

 被告人側の有利な情状をあまりに強調して、被害者のことを忘れていると、やらない方がよかったという弁護になることすらある。私は犯罪被害者の事件も、刑事事件もするので、常に被害者のことを念頭におきつつ、被害者の被害感情をいかに逆撫でしないで有利な情状を出すかということに注意を払う。
 被告人側だけの事情をあまりに強調すると、「被害者を忘れていませんか」となるのである。
検察官から厳しい質問をされることもあるが、それは公益の代表者であり、被害者からも事件について直接いろいろと言われる立場であるので、検察官の職責として当たり前というところもある。
 たまに、検察官が厳しいと言って怒っている弁護士もいるが、逆に弁護人から、「あの検察官は優しくてよかった」と言われているようでは、被害者からすると、「あの検察官は生ぬるい」と言われるので、それぞれの立場を理解することも必要であろう。
 
 最後に被告人のよい情状をあげて減刑や執行猶予を求める弁論要旨でも、被害者が傍聴していたり、意見陳述をされる場合には、その場の雰囲気で言い方を変えたり、弁論しようと考えていたことを削除することもある。あらかじめ弁論要旨は作っているのであるが、杓子定規に作ってきたものを読むのではいけない。

 実刑確実と周囲からいわれた事件を執行猶予にしたり、起訴されれば実刑確実な事件を被害者と示談して、罰金にしてもらう等の行動が大事であり、私はそういう時には検察官に面談したり、電話で見解を聞いたりしている。
 求刑するのは検察官なのであるから、争うべき事案は争い、被告人側がただひたすら有利な情状を探す事件では、検察官から情報を聞いて被害感情を和らげる等の様々な活動が必要であるが、刑事事件を一生懸命にするあまり、その点が被告人側に偏り過ぎては、結果的には被告人に不利益な弁護活動をしてしまったということにもなりかねない。

 いろいろと考えはあり得るところではあるが、私はこの考え方で割合いい結果を取ってきているので、これが正しいと思っているのである。

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2009年5月25日 (月)

夏のズボンがきついのだ

 暑くなってきたので、夏物のスーツに替えだしているのだが、夏はやはり汗をかくせいかウエストが冬よりも細くなっているようで、だいたいのスーツのズボンがきつい。
 副会長になって、お酒を飲む機会が増えたせいもあるであろう。
 ううむ。
 痩せなければ、ウエストが苦しくて仕事にならん。
 困ったことである。

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2009年5月22日 (金)

片付けその3

 高学年になってもこれは変わらなかった。
 書道の時間である。

 まず、いくら墨をすっても書道を習っている子のように、きれいな濃さが出ないで、「よしもういいだろう」と思って字を書いても薄い薄いのである。
 売っている墨汁だときれいにかけるかと考えて購入してみたが、墨汁はものすごく濃くて今度はにじむのである。
 最近聞いたところでは、ある程度すって、市販の墨汁を入れるのがコツとのことだが、純真無垢な小学生であった私はそのような合わせ技があるとはつゆ知らず、せっせとすっては字を書く時間を無駄にしていたのであった。
 そして、書道にも片付けの時間はあるのである。私は硯を洗うのも筆を洗うのも面倒で、硯にあまり墨が残っていない時などは自然乾燥に任せていた。そうすると、墨がこれまたガビガビになるのである。パレットの時と同様、とれだけの硯を無駄にしたであろうか。自動硯荒いマシーンがあればどれだけよかったであろう。
 筆も洗わずに雑巾でぬぐうだけにしていたことが多かったので、そうすると、当然筆もガビガビになるのである。ただでさえ下手な字が、ガビガビの筆で書くことによってさらに下手になるという悪循環。
 時には筆の先か左か右に曲がって固まってしまっていて、どのように書いても曲がった字しか書けないていたらくであった。
 いやはや。
 38年経過しても、片付けに関しては全然成長していないのである。

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2009年5月21日 (木)

片付けその2

 こういうブログを書いていて思い出したのであるが、小学校の頃から片付けるのが面倒であった。
 図画工作の時間に絵を描くのだが、絵の具を洗うのが面倒になり、次にまとめて洗えばいいやと思って、そのままにしておいた。すると、次に描くときはパレットの使用範囲が限られるので、空いたところで絵の具を使うことになる。3回目くらいになると絵の具もガチガチに固まっていて、最後は上から絵の具を入れて使うのである。たまに改心してパレットを洗うが、たいていは長続きしないのであった。
 何枚パレットを親に買い換えてもらったかわからない。
 そのうち、巨大パレットを買ってきたり、何枚もパレットのついた特殊パレットを見つけてきて、それでなるべく洗わないように洗わないように使うのだが、最後にはやはりガビガビになって使用不可となる。
 全く成長しなかったのである。

 これは母親の遺伝で、私の母親は洗濯は好きだが、掃除は嫌いで、まとめてする人なのであった。そうかと思うと凝り出すと夜中まで床のスジまで隅々まで掃除していたりするのである。私も時々突然やる気になるので、母親の遺伝である。父親は自分のことは割合まめで、こまめに掃除するのだが、自分の関係ないことはしないという人であった。その代わり他人の目が届く時は外面がいいので、せっせと掃除するというそういうタイプであった。
 つづく。

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2009年5月20日 (水)

片付けその1

 小さいころから、片付けるのが下手だった。
 今でも下手で、事務所の机はそのためにかなり大きいものを入れている。コクヨのシンプレックスというシリーズで、L字型の机に、サイドデスクを置いて、コの字型で180センチ×180センチくらいある。パソコン仕様の机で、独立の時に思い切って買ったものである。
 相当高かった記憶である。
 しかし、その机もいっぱい物を置くので、作業スペースがほとんどない。整理したらよいのではあるが、なかなか性格的に整理できない。買ってそのうちに読もうと思っている本や、ラスカルのぬいぐるみ、お菓子等いろいろな物を置いているからである。もちろん仕事関係の書類や資料の方が多いのであるが。事務員のN西さんにはヤレヤレという感じで見られている。

 片付けの極意は、出した時にすぐ片付けることのようだが、私の性格上、「あとでやろうっと」と思ってしまうのである。仕事に関しては先に先にという感じでするのだが、片付けだけは苦手で、訴状を作るときに証拠の整理はだいたい会議室で行っている。

 よく、資料が埋もれて、「あの記録どこいった」と事務員にいうと、「先生の机でみましたけどね」と冷たく言われてしまう。さすがに事務員も奥底の記録や資料は見ていないこともあり、さんざん事務所中を探させたあげく、机の資料のそこから出てきたりする。まあ、ただなくなることはない。事件記録単位で保管しているので、ファイルの中の資料はまとめているから、ファイルがどこにいったかという程度である。

 弁護士会の机も、私が一番整理されていない。綴じられていない書類や、ノートのメモ、のど飴の食べかけのやつなどが積まれている。しかし、まだ副会長になって日が浅いので、その層はまだ薄く、どこに何があるかはわかっているので、資料はすっと出てくる。

 これが時間が経過すると大変である。
 続く。

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2009年5月19日 (火)

お菓子

 夕方になるとお腹が空くので、弁護士会の執務室にお菓子を置いている。
 空腹だと頭が働かないからである。

 コナン・ドイルの名作シャーロック・ホームズシリーズでは、シャーロック・ホームズが、絶食して考えにふけるというシーンが幾度と無く出てくるが、あれでは逆に思考停止してしまうであろう。

 脳が働くのにブドウ糖を補給する意味合いもあり、少しお菓子を食べるのであるが、先日、弁護士会の事務職員から、買い置きしているお菓子を全て私が食べていると思われていて、「先生の健康を心配しています」といわれてしまった。
 お菓子を置いておくと、横に座っているN野副会長がばくばく食べるし、会議中はほかの2名の副会長も食べるので、私1人で食べている訳ではないのだが、どうも私1人で食べていると誤解されていたらしい。
 この体型では仕方がないかもしれないが…。

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2009年5月18日 (月)

読書日記5月18日

「新型インフルエンザから身を守る18の方法」大槻公一。青春新書。
少し前に買って置いておいたのだが、新型インフルエンザの報道がされ始めた頃に読み始めた。現実にここまでやればパンデミック状態にはならないのであろうが、全ての国民が実践することは難しいように感じた。方法論だけではなく、新型インフルエンザがなぜ登場するのか等の説明も充実している好著である。

「坂の上の雲 1」司馬遼太郎。文春文庫。
司馬が明治という時代を描く一大叙事詩。主人公は正岡子規、秋山好古、秋山真之の3人。俳人として明治文壇に新しい風を吹き入れるも短命で倒れた正岡子規と、日露戦争で奇しくも陸戦で騎兵隊を率い大勝利した秋山好古、日本海海戦で緻密な作戦を立て、勝ち目のないロシアとの海戦で勝利した秋山真之の三名を軸に明治という時代が描かれる。今年、NHKで連続ドラマ化される予定である。

「頭のいい人の短く深く眠る方法」藤本憲幸。三笠書房。
睡眠ノウハウ本で、著者は3時間睡眠を提唱している。私はそのような短時間睡眠をするつもりはないが、深く眠る方法が書いてあれば実践しようとして購入。
 眠る時間を短くして、起きている間にやれることを出来るだけやるべきだという筆者の考えから書かれた本であるが、そのような価値観が正しいのかどうかについてあまり真剣に考えているそぶりがないところが若干気にくわない。起きている間に集中して人の二倍・三倍働ける人もいるし、段取りの良さで時間は短縮できるからである。
 深くは眠った方がいいであろうが、ここまで短時間睡眠というのは身体に悪影響を及ぼすと思うのだがさてどうか。

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2009年5月15日 (金)

日較差のある季節

 砂漠などでは一日の間の気温の差がとつてもないことがあるようであるが、ここのところ朝晩は涼しいが日中は暑く、日較差がある日が続いている。
 こういう時は着る服に困る。
 朝晩の涼しさにあわせると昼が暑く、日中の暑さに合わせると夜が寒い。

 こういう時に体調を壊しやすい。
 朝晩の気温に合わせるのか、日中に合わせるのかは極めて難しい選択である。
 朝どうしようか大変悩むのである。
 5月ってこんなに暑かったかなあ。

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2009年5月14日 (木)

妙に色っぽい咳払いをするタクシーの運転手さん

 最寄りの駅から雨の日などにタクシーに乗ることがあるが、それほど大きい駅ではないので、同じタクシーの運転手さんにあたることがある。

 1人、咳払いをやたらする運転手さんがいるのだが、この咳払いが「ウッウ~ン。。」という感じで妙になまめかしい。もちろん男性であるが。
 本人としては、あまり咳払いをするのはお客さんに対してどうかということで、咳払いを我慢している為そうなるのではないかと推察するのだが、一度この咳払いが気になり出すと、ツボにはまってしまい、自宅に着くまでの10分ほど笑いをこらえるのに必死になり、腹が痛くなるのである。

 私以外の人は何も面白くないかもしれないのだが、こういうツボにはまるというのは誰にでもあると思うのである。
 次も乗りたい気もするし、乗ると笑いをこらえるのに必死になるので、乗りたくないという気もする。
 ウッウーン…。

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2009年5月13日 (水)

新型インフルエンザ

 新型インフルエンザの話題がマスコミで連日報道されている。
 その報道のあり方にも様々な意見があるようであるが、第一次世界大戦時にスペイン風邪といわれて4000万人以上を殺戮(一説には一億人以上)したインフルエンザの驚異が思い起こされるのであろう。これについては、以前にも書いたが、「4000万人を殺したインフルエンザ」という本に詳しい。これはノンフィクションとしては抜群に面白いが、現実世界の話となると恐ろしい話である。

 一説には、当時とは医療水準が全く違うのであるし、栄養状態・衛生状態も全く異なるので、そこまで被害は拡大しないという見方もあるが、逆に航空網がここまで整備されている今日では、第一次大戦の時よりも危険性は高いという見方もある。前者が正しい結論であるということを望まない人はいないであろう。

 新型インフルエンザに罹患して亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、罹患している方々の治癒、そして被害がこれ以上広がらないよう、一刻も早い終息を願うばかりである。

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2009年5月12日 (火)

呉起

 韓非子(かんびし)は人間の本性を悪であると説いたことで有名な中国古代の思想家であるが、その著作の中には様々な逸話が掲載されている。

 孫子とともに有名な兵法家である呉起という将軍がいた。呉起が魏の国の大将となり敵国を攻めた時、兵卒の中に腫れ物が出来て苦しんでいる者がいた。呉起は、単なる一兵卒のために、自らその膿を口で吸い出してやった。
 この話を人は美談であるとして、兵の母親に告げたところ、その母親は嘆き悲しんだ。
 周囲の人は、「将軍自ら膿を吸い出してくれるなどということはあり得ない話であり、なぜにそのように嘆き悲しむのか」と訝しんだ。
 母親はいう。「あの子の父親も腫れ物を患い、将軍様に膿を吸い出してもらった。それことに感激した夫は、将軍のために奮戦し死んでしまった。きっとあの子も将軍様の行為に感激して、奮戦して死んでしまうでしょう」と。
 母親の予言通り、兵卒は戦いが始まると奮戦して帰らぬ人となった。

 人生万事塞翁が馬と同じ意味合いにも取れる逸話であるし(一つの出来事に対して一喜一憂することの愚かしさ)、呉起という将軍の人心掌握の巧みさを感じ取る逸話であるともいえるし、呉起という将軍は、心根が極めて冷たく、後々のことを考えて兵卒に優しく接していたが、それは真実の呉起の姿ではなかったということを示す逸話であるということも出来ようか。

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2009年5月11日 (月)

石の上にも3年

 最近、事務所をすぐ退職して、次の事務所に移転する弁護士が増えているようである。
 就職難のご時世で、意に沿わない就職をしたが為に、やはり実務についてから耐えられなくなるというところがあるようである。

 まあ、その事務所に勤務していると過労死してしまうとか、給与をいわれなく減額されるとか、ボスが精神記手におかしくなった等の理由がなければ、いくら腹の立つ事務所でも、3年は勤め上げた方がいいであろう。最低2年は勤めるべきではないか。

 人の見る目というものがあり、最初に移籍してしまうと、こらえ性のない人間だと思われて、後々の弁護士人生にあまりいい影響を及ぼさないように思われる。
 もちろん、入所してはじめてわかる異常なこともあるであろうから、多少のことは我慢すべきという趣旨に捉えて欲しい。

 私自身は勤務弁護士の頃激務で身体をこわしたこともあったが、やはり途中で辞めず(実のところ事務所を辞めるというのはあまり考えたことはなかったが。きちんと勤め上げて独立するつもりであったので)、勤め上げてよかったと思っている。
 最高時は事件が200件(しかも動いていて、出張も全国に30ヶ所くらいあった)もっていて、事務所の売上のほとんど全てを自分であげていた時期もあったが、今となってはそれが独立後に役立ったと思っている。

 石の上にも3年とはよくいったものではないか。

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2009年5月 7日 (木)

隗より始めよ(かいよりはじめよ)

 中国の故事を集めた戦国策という本に書かれている有名な故事である。
 紀元前4世紀、燕(えん)という国は隣国の斉(せい)という国に国土を侵され、王も殺されてしまっていた。殺された王の次に即位した昭王(しょうおう)という王は、国力を回復させ斉を討つ方法はないかと宰相である郭隗(かくかい)に諮問した。

 隗は、以下のような話を照王にするのである。
 「その昔、千金を出して千里を走る名馬を探し求めていた君主が居り、探し求めていたがこれを得ることが出来ないでいました。そうしたところ、ある人物が千金を授けていただけるのであれば買い求めてくるというので、その人物に千金を与えました。その男は千里を走る名馬を探し求めましたが、一日違いで名馬は死んでおりました。ところが、その男は、何を思ったのか、名馬の骨を五百金でもって買って戻ってきました。当然、その君主は怒ります。しかし、その男は、平然とその君主にいうのです。『死んだ名馬の骨ですら五百金で買い取ったという話が広まれば、生きている名馬はどれだけの値段で買い求めてくれるのかということで、続々と名馬を売りに来るものがいることでしょう。』と。
 その後1年間で、名馬を売りに来た人が3名もいたということです」

 そこで、郭隗はいう。「王よ、優れた人物を招聘したいというのであれば、まずこの隗より始められて下さい(隗を取り立てて、優遇しなさい)。そうすれば、あの郭隗のような人物が取り立てられているという噂を聞けば、私などより優れた人物は千里の道を厭わず王に仕えにくるでしょう」と。
 早速王は隗を師と仰いだところ、趙の名将楽毅(がっき)などが昭王の元にはせ参じ、ついに斉を破って滅亡寸前まで追いつめたのであった。

 故事成語であり、「手近なものからはじめよ」という意味であったが、現在では、「言い出したものから始めよ」という意味で使用されている。
 いろいろと言い出すのはいいが、後始末をしないというのは大変よろしくないことであり、弁護士会の中にもそういう人は割合いる。
そういう人の顔に、「隗より始めよ」という札を書いて貼っておければよいのだが。

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読書日記5月7日

「モンゴル紀行」朝日文庫。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎の街道を行くシリーズ。司馬遼太郎は少年の頃モンゴルに憧れて、数学が出来ないため大阪外大に入り、そこでモンゴル語を専攻した。その夢が適い、モンゴルを旅するのである。
 モンゴル語は日本語と文法が同じで(ニカワ語というらしい。てにをはで、単語をくっつければ文章になるので、司馬によれば、大阪人が津軽弁を覚えるほどの容易さで覚えられるというのである)、過去に購入した古いモンゴル語辞典を引っ張り出して、広すぎるほどのモンゴルを旅し、ゴビ砂漠を行く司馬の筆が冴える。

「我らが隣人の犯罪」宮部みゆき。文春文庫。
 宮部みゆきの短編集で、後の「火車」や「理由」に比較すると短編ということもあり、文章も平易で読みやすいが、犯罪行為をしたものが報われる話などがあり、倫理的にはどうなのかという話もあった。気楽には読める。

「花岡青舟の妻」新潮文庫。有吉佐和子。
 紀ノ川などの作品で知られる有吉佐和子が、世界で最初に麻酔薬を使用して乳ガンの手術に成功した江戸時代の和歌山の医師、花岡青舟とその妻と姑を描く作品。
 美貌の姑とその妻との間の憎悪の描写が圧倒的で、2人は花岡青舟に対する競争心からそれぞれが麻酔の実験台になるのである。花岡青舟の名声の裏での家族の苦悩と悲劇を描いた作品。これは名作。歴史好きは一読の価値有りであるし、文学作品としても一級品である。

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2009年5月 5日 (火)

今日も仕事だ

 ゴールデンウィークも残りわずかだが(7日と8日を休めばまだ続くが)、今日も出勤して仕事である。
 10時30分頃に来てみると、勤務弁護士のKも来ていた。
 まあ、休みに出てこないと間に合わんわな、我々の仕事は…。

 弁護士会の予算の説明をするための手元資料メモを3日に引き続いて作成する。
 なかなかはかどらない。
 昨日しか休めていないので、肩凝りが取れず、左側の奥歯が痛んで浮いた感じである。
 きいいいいいいい。

 ま、副会長だし今年は仕方がないか…。

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2009年5月 3日 (日)

弁護士のゴールデンウイーク

 弁護士のゴールデンウイークという書き出しである。一般的にいうと、丸々暦通り休めるという人は少ないのではないか。
 たいてい1日か2日を潰して、事務所に出てきて仕事をしている。
依頼者と打合せを入れるというよりは、普段中々時間を取って書くことの出来ない書面書きである。

 ゴールデンウイーク中は、依頼者の方や相手方も休みなので、電話が鳴らない。
 また、当然であるが裁判もない。
 静かな事務所で書面が書けるというのはそうそう中々ない。
 ワーカホリックだと言われるかも知れないが、書面を書くというのはある程度集中を必要とする作業であるので、まとまった時間が必要なのである。

 毎年たいてい1日か2日くらいは事務所に出て行って書面書きをするか、自宅に記録を持ち帰り書面を書いていることが多い。

 今年のゴールデンウイークはというと、弁護士会の副会長なので、弁護士会の予算を5月末頃にある弁護士会総会にかけて承認を得ないといけないので、その予算編成会議で昨日と今日が潰れた。
 昨日は弁護士会の事務局が作ってくれた資料を基に一次案の説明を受け、それをベースに役員の方で予算を増やしたり、削ったりという作業をしていくことになる。
 連休の一日を費やしてくれた事務局に感謝ということで、昨日は会議終了後事務局を慰労し、今日は役員だけで議論した。
 今年の役員は皆話が早い人ばかりなので、その他の話題を含めて会議は3時頃には終わり、その後はいつもの時間くらいまで事務所で仕事をしていた。
 休みの時は書面がはかどる。

 書面が一つ、事務所の事務員からあがってきた書類のチェック等でそこそこ仕事が出来たので、飲みに行きたい気分であったが、世間は休みで、私は1人で飲みに行けない人なので、仕方がないので帰ってきたのであった。
 ああ、飲みに行きたかった…。

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2009年5月 1日 (金)

犬を捨てる人たち

 テレビで犬を捨てる人たちのことが報道されていた。
 飼ってみて、「世話をするのに飽きた」「合わなかった」という人や、高齢になった犬の「世話をするのが面倒になった」というような理由で捨てるようだ。
 町中に捨てる人もいれば、保健所に「処分して欲しい」と捨てに来る人もいるようである。

 動物はモノではない。トイ・プードルなどはまさにぬいぐるみのような外見だが、彼らは生きているのである。
 こういう人たちは、動物を飼う資格がないし、こういう行為を法律で厳しく規制するべきである。
 保健所で新しい買主が見つかった犬は幸せだが、そうでない犬は殺されてしまうのである。
 なんともやりきれない話であるが、現実の話なのである。

 私の自宅近くの人で、年老いた犬を代車で散歩させているご夫婦がいる。
 年老いて、歩くことも出来なくなったようで、以前はその犬が散歩しているのを見かけて、挨拶を交わしていた。しばらく見なくなったと思っていたら、ここ最近、代車に乗せて夫婦で散歩されていて、きちんと排泄の後始末もされている。
 小型犬であれば、抱いて散歩も出来るであろうが、大型犬なので代車ということになるのであろう。
 こういう人しか飼い主になってはいけないのである。

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