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2009年6月30日 (火)

戦国旗指物ストラップ

 貰った高価なストラップが傷んでぼろぼろであったので、仮面ライダーV3の仮面をキューピーちゃんが被っているキュージョンというのを次につけていたが、仮面ライダーの角が折れてしまった。
 そのため、何かいいものはないかと思っていると、TSUTAYAにDVDを借りに行った時に、ガチャガチャで「戦国旗指物ストラップ」というのが有るのに気づいた。
これだーっと思って何回もトライ(1回100円)。
 上杉謙信ファンなので謙信の旗指物が欲しかったのだが、なかなか当たらず散財してしまった。
 謙信のをつけるのは何となくもったいないので、謙信の次に好きな真田幸村のストラップをつけている。赤字に六門銭の旗指物である。
 このストラップは携帯の画面クリーナーでもある。
 この土日でやっと全種類揃った。
 だいたいこの話をするとバカにされる。
 アホでけっこーである。私はアホであるから。

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2009年6月29日 (月)

臭いおしぼり

 先日タクシーに乗ると、おしぼりを渡された。紙製で、ビニール袋に入っているヤツである。喫茶店とかでよく出てくるやつである。
 湿気が多く暑くなってきたところであり、汗もかいていたので、顔をそれで拭くと、物凄く臭かった。
 臭い理由として考えられるのは、
1、自動車のにおいが染みついた
2、その運転手が臭い
3、中で雑菌が繁殖している
 くらいであるが、どれも嫌な理由である。
 顔がおかげて臭く、運転手が話しかけて来てくれるのであるが、テンションの下がった私は生返事しか出来なかった。まあ、元々タクシーの運転手さんで話しかけてくる人は嫌いなのであるが。日中人と話す職業なので、タクシーに乗った時は黙って考え事をしていたい。
 ともあれ、臭いおしぼりは本人としてはいいサービスのつもりでやっているのであろうが、マイナス効果である。
 これなら出さない方がましというものである。
 あまり臭いので、駅についてトイレで顔を洗ったほどである。
 嗚呼、臭。

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2009年6月26日 (金)

近畿大学ボクシング部廃部

 一週間前くらい前のことであるが、近畿大学の部員が強盗を働いていたということで逮捕されたことを受けて、同大学がボクシング部を廃部にした。
 その廃部までのスピードは非常に速く、内外に波紋を呼んでいる。

 まず、廃部とすることについて、部員達の意見を聴いたのかどうか、どういう手続が踏まれたのかが気になるが、一方的に廃部したような印象を受ける。
 日本人心理として、江戸時代の五人組ではないが、集団の1人が悪いことをしたら集団で責任を取りましょうというのがあるのかも知れないが、これは論理的に考えれば何の解決にもなっていないのである。
 監督責任ということがいわれるが、正直部の顧問の先生だって、隠れて個人的に犯罪をしていたものを黙認することはあまりあるまい。組織的にしていたというのであればともかく、部の中の一部がそうした行動を取ったからと言って、一定期間活動停止くらいがせいぜいではないか。
 高校野球でも同じようなことが言われるが、たくさん部員がいれば中にはそりゃ悪いことをする奴が混じっているというのは統計学的にもあり得ることである。アリの中の働き蟻でもさぼる奴はさぼるのだが、そいつを排除すると、違うアリがさぼり出すということが観測されているが、一部が悪いことをしたからと言って、真面目にやっていた子の権利を奪う事が果たしていいことかどうかということなのである。
 強盗を働いていた部員は刑法に従って厳罰に処されるべきである。情状酌量の余地が全くない犯行だからである(ただし、今後親族の援助などで被害弁償や示談をしたり、本人自身が反省すれば、それは良い情状になることは間違いない)。
 私はこの、集団責任主義というのか、その考え方というかやり方が前からしっくり来ないのである。

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2009年6月25日 (木)

髪の毛のこと

 私も随分髪の毛が薄くなったが、まだ禿げているというところまではいっていない(はず)。
 なぜグリーン車にはハゲが多いのかという本を先日読んだと書いたが、まああれはこじつけの部分もあるかなとも思いつつ、禿げるよりは白髪の方がいいなあとも思ったりしている。
 白髪もほとんどなかったのだが、鬢のあたりが、少しずつ白くなってきた。
 白髪だが、髪の毛が豊かにある方が最終的には若く見える気がする。司馬遼太郎や、五木寛之はこのタイプであろう。
 白髪で禿げているのは二重ショックであるが、まあこれも仕方ない。
 私は出来ればある程度黒髪のまま、禿げないでいたいなあと思いつつ、そういう訳にもいかないのであろうと思ったりしている。
 周囲には自らの髪の毛のことを自虐的ネタにしている人がいる一方で、カツラをかぶっている人もいる(抗ガン剤などの副作用で急激に禿げた人ではなく、自然にその状態の人を指す)。
 特に男性にとっては、髪の毛は非常に気になる部分ということなのであろう。
 私自身は、禿げたら、髪の毛は短くして、いつぞやの厚生労働大臣みたいに横から無理矢理髪の毛をもってくるのはやめようと思っているし、カツラはつけないつもりである。
 もし私がそうしていたら、「あのときブログでこう書いてましたやん」と言って欲しい今日この頃である。
 ちなみに、ブログの写真はもう6年くらい前で、既に今は茶髪ではなく、黒髪である。髪の毛も細くなって量も減った感じである。

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2009年6月24日 (水)

そこをなんとか

 「そこをなんとか」という漫画がある。白泉社から、麻生みことさんという作者が書いておられて、単行本も2巻出ている。
 主人公は新米の女性弁護士で、キャバクラで苦学して法科大学院を出て弁護士を目指したが、就職先がなく、薄給で働くはめになるーという話である。
 監修を弁護士さんがされていて、他のありがちなあり得ない弁護士漫画と一線を画している感がある。

 私が代表をしている「法曹人口問題を考える会」(京都の弁護士を中心に集まっている会、ただし、3000人賛成とか反対とかいうイデオロギーを掲げている訳ではない)というものがあるのだが、その会合にお招きしたところ、心よく麻生みことさんは来て下さった。
 随分前の話だが、単行本2巻には、私を含めて当日列席した弁護士の名前が掲載されている。
 破格の厚遇というべきであろう。
 漫画としてもどんでん返しあり、ホロリとさせられる話あり、で、大変面白い。
 是非ご一読されたい。

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2009年6月23日 (火)

淡路島釣行記その6

 オジサン達は地元の漁師さんであった。
 「今頃淡路島に来ても何にも釣れへんよ」
 「冬場は和歌山の方が元々ええなあ」
 「あの防波堤はつい先日出来たばかりの防波堤で、特にあんなところには魚はおらんわ」
 「防波堤の工事で魚が逃げたと思うな」
 「釣り具屋に騙されたなあ」
 があああん。そうだったのか。そんな情報だってどこにも書いてないもん。

 それを聞いて、「中君に釣り場を探させたらあかんなあ。」とN村T雄。
 何を言ってやがる。これまで私が選んだ釣り場で嬉々として釣っていたクセに。
 ショックを受けつつ、帰路についた我々。
 その後、S浜弁護士親子が釣りに来ることはなかった。
 おわり。

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2009年6月22日 (月)

淡路島釣行記その5

 仕方なく適当な場所を見つけて釣り始める。
 寒い。寒い。しかも釣れない。釣れるのは小さいフグと、小さい小さいカレイばかり。
 初心者も多い為、絡まったりするとなおしてあげないといけない。今回はN村T雄は自分の手を釣り上げませんように。

 そのうち、余りの寒さに、私とN村T雄弁護士はたき火を始めた。
 みな釣りを中断しては火にあたりにくる。

 女性陣も到着したが、あまりの釣れなさにがっかり。

 そのうち、場所を変えたらと誰かが言いだし、先の方に私が防波堤のようなものを発見したので、そこで釣りをすることに。
 しかし、ここは前にも増して釣れない。
 はるばる淡路島まで来たというのに。

 そのうち、皆疲れてきて、昼過ぎに帰ることにした。
 帰る途中にラドン温泉を見つけて、皆で入る。固まっていた体がほぐれていく。
 湯は相当熱いが、それが心地よい。
 このラドン温泉には何名かのオジサンが先に浸かっていた。
 誰とでもすぐ話を始めるN村T雄は、そのオジサン達とも話をし出した。
 つづく。

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2009年6月19日 (金)

淡路島釣行記その4

 そのそこそこお歳の女性から返ってきた答えは、「そんなもん、そのへんどこでも竿出したら釣れるがな」という答えであった。なんというなげやりな答えであろうか。
 それでも食い下がる私。
 「そのへんと言っても、自動車でどの程度走ったあたりとか、何かないですかねえ。」
 それに対して、
 「自動車で5分でも10分でも20分でも走ったらええがな。」
 なんというなげやりな答えであろう。
 もう、この女性から答えを聞き出すのは不可能であると悟った私達は、釣り具屋をあとにした。我々が出て行ったあとで、ドアに鍵をかける音がした。
 まさか、横溝正史の小説のように、この島ではよそ者は嫌われるのか?しかし、淡路島は観光地ではないか。
 偶々昨日寝不足で、今日は5時に起きられなかっただけなのか、あるいは5時に起きているというのが虚偽であったのか、あるいは、昨日夫とケンカでもして機嫌が悪かったのか、あるいは私がなんとなく気に入らなかったのか、謎が謎を呼ぶ淡路島である。
 突然前途を遮られて、意気消沈するS見会釣り軍団。
 女性陣はまだすやすや寝ているはずである。彼女達は、温泉にゆっくり浸かり、朝ご飯を食べてからゆっくりと来る予定なのである。
 そんな時間に我々は釣り場情報すら教えて貰えず、仕方がないので暗闇の中を走り出したのであった。
つづく。

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2009年6月18日 (木)

淡路島釣行記その3

 6時前に先日釣りに来る前に電話をした釣り具屋の前に来たが、店が閉まっている。
 冬なので、まだあたりは真っ暗である。
 不安になるS見会釣り軍団。
 電話した時には確かに、「朝5時から開けている」と言っていたではないか…。
 エサなしでどうやって釣ればよいのか。

 店の周囲を回ってみるが、開いている様子はない。仕方がないので、何回かインターホンを押し、ドアを軽く叩いてみた。
 そうこうすること5分。中から鍵が開いた。
 そこには、ネグリジェ姿のそこそこお歳がいかれた(失礼)女性が頭にキャップを被って立っていた。
 「何や」
 「いや、前に釣り情報のことで電話させていただいた中というものですけど…。朝5時から店が開いていると聞いたので、エサを買いに来たんですが…。」
 「フン。ほんなら入りや。」
 というやりとり。
 淡路島のそこそこのお歳の女性には、宿の仲居さんを含めて、S見会釣り軍団は歓迎されていないのか。焦る釣り軍団。
 しかし、そうは言っても釣りはしないといけないので、エサを見繕って購入して代金を払う。多少仕掛けも買い足して、私は釣りのポイントを聞こうとした。
 だいたい、地元の釣り具屋は釣りのポイントくらいは聞いたら教えてくれるのである。
 そこで返って来た答えに、また我々釣り軍団は仰天するのであった…。
 つづく。

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2009年6月17日 (水)

淡路島釣行記その2

 宴会が設定されていたのだが、我々が到着するのが遅く、とてつもなく歓迎されない客になっていたのであった。
 とてつもなく愛想の悪い給仕をされながら、宴会が進行する。愛想の悪いオバサン達の給仕も気にせず、どんどん酒を飲むN村T雄率いるS見会釣り軍団。
 最後には、「私ら帰りたいから、後は部屋で飲んでおくれな!!」と言われて、片づけ出されてしまった。そんなに怒らなくてもいいではないか。ケチ。

 まあそうは言っても明日は5時起きなので、皆で風呂に入り、寝ることにした。雑魚寝で、現在では大学生になったS浜先生の娘さんも小学校低学年くらいで、オジサン達がうずまく部屋で雑魚寝となったのであった。女子部屋もあったのだが、お父さんと同室がよかったようである。

 そしてぐっすりと寝た釣りクラブのメンバーが起き出して、自動車でエサを買いにあらかじめ私が電話した釣具屋に向かう。
 しかし、ここで悲劇の序章の幕が切って落とされたのであった…。
いいところだけど、続く。

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2009年6月16日 (火)

淡路島釣行記その1

 先日、S浜弁護士と話をしていると、「娘が大学に合格した」というので、「ひょっとして娘さんって、一緒に淡路島に行った娘さんですか?」と聞くとそのとおりだというのである。
 あれから7~8年経つので、あのときの小学生の娘さんがそんなに大きくなったのかと感慨深いものがあった。
 話は7年か8年前の冬に遡る。

 ある日、酒を飲んでいて、N村T雄弁護士と、「魚釣りに行きたいなあ」という話になった。
 そこで私が場所を選定することとなった。
 釣り情報などを総合して、淡路島にカレイを釣りに行こうという話になった。
 あらかじめ地元の釣り具やさんに電話して聞くと、「よう釣れていますよ」ということであった。何時から開いているかと聞くと、「毎朝釣具屋やし、5時から開けていますわな」ということであった。

 行きたい人を募集したところ、S見会の女性弁護士、司法書士さんが数名と、S浜弁護士とその娘さん達が多数応募があり、10人を越える団体となった。
 淡路島のホテルに宿を予約し、金曜日の夕方京都を車で分乗して出て、淡路島に向かう。
 ホテルには7時頃到着すると言っておいたのであるが、なんやかんやしていると京都を出るのが遅くなり、淡路島に着いたのは9時前であった。
 チェックインをして食事に入ると、食事をする場所は不穏な空気に包まれていた…。

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2009年6月15日 (月)

革靴

 少し高い革靴を買ったのであるが、3月の防災訓練で先が削れて使い物にならなくなった。
 防災訓練には柔らかい傷がつかない靴を履くべきであった。

 あと、少し高い靴は、裏が革張りである。これがあらゆるところで滑る。
 滑らないコツでもあるのかなと思うが、夏などは高温多湿な日本では裏が革張りの靴はあわないのではないかと最近思っている。
 外国では裏が革張りでも滑らないような舗装がされているのであろうか。石畳なのであろうか?

 今はスペイン製のヤンコという靴を好んで履いているのだが、これはモノによっては裏にゴムが貼ってあるので、滑らない。
 日本で履くには裏がゴム製がいいと思っているのだが、あまりゴム製のものはない。
 裏が革張りの靴を履いているおしゃれな人はすべらないのであろうか。
 大変気になる6月である。

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2009年6月12日 (金)

読書日記6月12日

「坂の上の雲」3巻。司馬遼太郎。文春文庫。
「坂の上の雲」4巻。司馬遼太郎。文春文庫。
「坂の上の雲」5巻。司馬遼太郎。文春文庫。
 日本海海戦において日本は辛くも勝利するが、旅順港にロシア艦が逃げ込み、旅順の要塞からの砲撃で近づくことが出来ない。日本海軍は陸軍に旅順要塞を攻めるよう依頼する。ロシアからはバルチック艦隊が出発しようとし、旅順に逃げ込んだロシア艦隊と合流されれば、日本海り制海権はロシアに移り、満州に展開する日本陸軍は日干しとなってしまう。日本海軍としては、何としても旅順港内の艦隊をバルチック艦隊が来るまでに撃破する必要があった。東郷の苦悩。そして秋山真之はバルチック艦隊を日本海で全滅させる作戦を練り上げる。
 その中、正岡子規はその短い生涯を閉じる。
 旅順を攻めるのは乃木将軍であったが、その参謀であった伊地知の無能さの故に要塞に向かい白兵突撃をするのみで、数万人という死者を出すのであった。
 それを見かねた児玉源太郎は持ち場である満州から旅順に向かい、指揮を執りまたたく間に旅順の要塞を陥落させていく。いわゆる203高地を巡る激戦であった。

 司馬は、これでもか、これでもかというくらいに乃木の無能さを書き上げる。確かに、無為無策に等しい攻撃で、しかも203高地さえ取れば旅順要塞は容易に陥落するにも関わらず、戦略眼が全くない伊地知の意固地さによって死に追いやられた日本人はどれだけいたであろう。古今まれに見る無能軍隊であった。これを読まなければ、乃木将軍というのは神聖化されているが故にその実像は誰も知ることはないであろう。
 日露戦争はいよいよ佳境に突入する。
 戦争を礼賛するのではなく、こうした戦争があり、日露戦争に勝利したからこそこんにちの日本に続いているのだということを忘れてはいけない。

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2009年6月11日 (木)

洗い物

 札幌修習時代は、自炊もしていたのであるが、お皿などを洗うのが死ぬほど嫌いであったので、たいてい流しにつけておいた。
 3日に一度くらいしか洗わないのである。
 これも、そのときに洗うのがポイントであるということはわかっているのであるが、ご飯を食べてほっこりしてしまうと、洗い物をする気持ちになれないのである。
 3日もすると、3日前の皿などはぬるぬるしていて、触るのも気持ちが悪くなってくる。
 清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、洗い物をするのであるが、これが面倒である。
 やり出すと、一人分くらいなので、すぐに終わるのであるが、これができないのである。

 こんな私なので、仕事も後回しかというと、仕事はどちらかというと、先にしないと気が済まない方である。
 自分の中で優先順位をつけて、絶対にしなければならないものはすぐにできるのだが、比較的後でもよいようなことは、後回しにするのであろうと自分自身を分析している。

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2009年6月10日 (水)

続・父親の入院

 父親は私が中学3年生の時にも入院した。突然血を吐いたのである。
 入院してみてわかったのであるが、気管支炎になっていて、それでもタバコを吸っていて、気管が傷ついて血が出たのである。
 この入院は2週間ほどであったが、高校受験を控えて、自分は高校に行けるのかと不安になったことを覚えている。12月であった。
 お金もなく、退院するときに、自宅からどてらをもって行き、どてらを着せて自転車の後ろに乗せて連れ帰って、年末休養して仕事に復帰できたのでよかったのであるが、小学校3年の時の入院の時に死んでいたり、中学校3年生の時に父親が死んでいたら、弁護士にはなれていなかったのであろうと最近思ったりしている。

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2009年6月 9日 (火)

父親の入院と病院のうどん

 小学校3年生か4年生であったか、あるいはもう少し小さかったか忘れたのであるが、あ夜中になんだかざわざわしていたような記憶があるのだが、起きると近所の遠い親戚のおばさんが枕元にいて、父親が入院したことを知らされた。

 後から聞くと、父親は下血して、やまほど出血し、救急車で運ばれて、救急病棟で、母親は、「親戚の人を呼びなさい」と言われたということであった。
 結局、大量出血をしたが、一命はとりとめたようで、私が病院に連れて行かれた時には父親は意識もあった。
 父親はその後大阪市内の病院にかなり長いこと入院していたのであるが、私は小学生であったのだが、5歳下の妹を連れて、荷物も持ち、文句一つ言わず母親とともに病院に行き、時には病院の床で寝ていたらしい。
 あまりこの時のことは記憶がないのであるが、病院の地下に自動で熱いうどんが出てくる自販機があり、このうどんが美味しかったことは覚えている。スープが絶品で、母親に数百円もらっては地下のうどんを買いに行って、病室で食べていた。

 時々その頃を知っている人からは、小さい頃から、そんなときでも落ち着いていたと言われるが、実際のところ、父親が入院しているという事実じたいがよくわかっていなかったのであろう。妹の世話をして、荷物も持って、うどんを食べて文句一つ言わないのであるから、母親としてはやりやすかったであろう。
 子どもなので、単にうどん食べたさに病院について行っていたのではないかという気もするのだが、父親が死ぬかもしれないし、そうなれば自分たちの生活はどうなるのであろうという不安から文句など言っていられないということであったのかもわからない。

 私の父親はこの時を含めると合計3回入院するのであるが、最初の入院は2歳の時でよく覚えていないが、もう1回の入院は中学校3年生で受験を控えていたので、よく覚えている。切羽詰まっても今もあまり焦らないと言われるのであるが、父親が死ぬかもしれないという目に何度もあっていることでそうなったのかもしれない。

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2009年6月 8日 (月)

えん罪という国家が犯す最大の罪について(足利事件)

 表題のごとく、えん罪というものは、国家が犯す最大の罪であろう。もっとも、ここでいうところの最大の罪というのは、法治国家における場合の自国民に対してであって、戦争等の場合も除くし、人治国家の場合も除く。形式的に法治国家となっている場合も除く。

 自らがやっていないのであるから、国家によって有罪とされれば、当該その人は法律を信じなくなるであろう。何度もそうしたことが起これば、国民の司法不審につながるのである。
 犯人か犯人でないかという犯人性の認定については、もっとも裁判所が事実認定に注意を払うべきところであろう。被害者の側からみれば、何としてでも犯人は逮捕され、処罰されなければならないという気持ちになることは当然のことであるが、だからといって、無辜の人を罪に陥れてよいということには絶対にならないのである。
 自身がそのような立場におとしめられた時にどう考えるかという観点から考えればすぐに分かることではないか。

 管家さんが刑の執行停止をされて釈放された。しかし、失われた17年間は戻ってこない。無罪判決が出されるまでは時間がかかるのであろうが、無罪判決が出た場合に、これに対して国が補償する額は極めてわずかである(今手元に資料がないのだが、最大、一日あたり1万2000円であったかと思う)。
 長期間国家権力によって抑留されたことに対する額としては何とも言えずみみっちい額である。

 無罪を信じて、支援し続けてきた方々の努力も相当なものであったであろう。
 その中でも、私は弁護士であるので、管家さんの無罪を信じて支援されてきた佐藤博史弁護士の努力にもっとも感銘を受けるが、こうしたえん罪防止のためには、取調全過程録音・録画をすれば密室での取調状況が分かり、えん罪の防止にもっとも役立つであろう。
 このような単純な構図がなぜ立法化出来ないのか、理解に苦しむのである(日弁連は取調の全過程の録画を求めてきているし、私も全面的に賛同している)。
 

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2009年6月 5日 (金)

飲みかけのペットボトル

 カバンの中などに飲みかけのペットボトルがあると、お茶などでは翌日に飲むのは「ううむ」と思ってしまい、しかも持って行くのは重いので、とりあえず私は自宅の机の上に置いておく。
 中身は飲まないので、とりあえずそのうち中身を捨てて、ペットボトルを捨てる時は、キャップと商品名などがプリントされている部分ははがしてプラスチックゴミとして捨てて、さらにキャップの下のわっか状になっているところは、強力なはさみか何かで切り取ってプラスチックゴミにして、ペットボトル本体は水道で洗ってペットボトルのみで捨てないといけないように自治体で決められている。

 当然、片づけが面倒な私にかような作業は向かないので、だいたい放置しておく。
 最大時はこのようなペットボトルが机の上に7本くらい並ぶのである。
 事務所の机と違い、自宅の机は狭いので、そうなると何も作業が出来ないし、物はどこかに行く。偶に朝出かける時に、弁護士バッジが机の上で行方不明になってあせることもある。
 本当はその都度片づけるのが速いと聞くし、いいのだろうと思うのだが、中々出来ない。
 やはり小学生以来この部分は成長していないようである。

 私の自宅の机の上・・・。
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2009年6月 4日 (木)

ザリガニ課長2巻発売決定

 最近は周囲でも私以外誰もついてきてくれないザリガニ課長であるが(ううっ…。孤独。)、先日アフタヌーンを買うと2巻が6月中に出ると予告されていた。
 予約せねば。
 どうしてみんなこのおもしろさが分からないのであろうか。
 新人の若手社員は、うちの男性勤務弁護士K野に似ていて笑える。
 常にザリガニ課長のことを気にしているのだが、うちのK野君も私の行動を気にしているのである。

 例をあげると、私が依頼者からのもらい物のお餅があるのを見て、「あじゃりもち」と呼んだら、わざわざ彼のブースから出てきて、「先生、読めるんスか?」と出てきたりするのである。
 後は、冬場は私と色は違うが、派手なダウンベストを着ている。
 女性のK弁護士は、私の事務所に入って、ダウンベストが制服になっているのかと思ったようである。
 話が逸れたが、ともあれ、皆ザリガニ課長を本屋で予約である。
 私は既に予約した。

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2009年6月 3日 (水)

歌人・土方歳三

 あまり語られることがないが、土方歳三という男は下手な歌詠みであった。
 土方歳三は、いうまでもないかも知れないが、新選組の副長として、実質的に新選組を作り上げて、指揮していた男であり、司馬遼太郎によると、幕末に尊皇攘夷の志士が京都の町を風を切って偉そうに歩いていても、新選組が来るのが見えた途端に皆路地に蜘蛛の子を散らすように逃げたというのであるが、その中でも土方歳三が最も恐れられたという。

 土方歳三は、平気で残酷な拷問もしたし、隊を守るために粛正も行ったが、そうした一面とは異なり、下手な歌を詠んでいる。その下手さは歌に関しては素人である私ですら読んで笑いそうになるほどであるが、土方歳三がなぜそんな歌を詠んでいたのかということについてはよくわかっていないようである。

 歳三は武士に憧れていたというから(近藤勇も、土方歳三も武士階級の出身ではなかった)、伊達政宗や、太田道灌のような歌心のある戦国武将的な武士に憧れていたのではないかという気にもなるが、私の知る限りでは歳三がなぜ歌を詠ったかというその心情を本人が吐露したということも聞いていないし、そのあたりは、歳三を主人公とする小説でも書いたものに(私が偶々本の読書数が足りないせいかもしれないが)出会っていない。

 歳三という人物を描くのに、この下手な歌を詠んでいる彼の心情についても描ければよいのであろうと思うが、小説にはストーリーが要求されるので、中々難しいのかもしれない。
 伊達政宗の歌は武将ばなれしているし、上杉謙信も漢詩を詠んでいる。歳三は、かたちだけ歌を詠むことによって、武将に近づこうとしたのか、あるいは詠みたいという衝動に突き動かされていたのか。
 髷を切った後の写真を時々見るのだが、京都の女子達から熱い視線を送られていたというのがよく分かる。切れ長の目に整った顔立ち。ちょっとすごいほどの二枚目である。
 まさか口説きの手段だった訳ではないであろうが、そこのあたりが私には不思議である。

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2009年6月 2日 (火)

新幹線から見える富士山

 画像が今手元にないのが残念であるが、新幹線から見える富士山は何とも言えず素晴らしい。裾野の雄大さと相まって、空に向かって富士が雄大にそびえている感じがする。
 東京に行くときは左側の席を、帰り道は右側の席(いずれも窓側)に座っていると見えるのだが、富士山の近くのケーブルで登った時に、ガイドさんが、富士が完全に綺麗に見えるのは年間3分の1くらいしかないと言っていたように思う。
 私は新幹線には数えるほどしか乗らないのだが、だいたい富士山が綺麗に見えることが多い。
 ついているのかもしれないが、仮にそれがそうであったとしても何の役に立つのかなどと考えてたりもする。
 しかし、富士山を見て、なんとなく晴れ晴れしいというか、日本人であるというか、風景を愛でる心というか、そのようなことを思える瞬間はやはりいいものであろう。

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2009年6月 1日 (月)

みのむし

「090530_165601.jpg」をダウンロード  自宅の庭で葉巻を吹かしながら、小さい虫を見たりしている時があるのであるが、もぞもぞと動くものがあったので見てみるとみのむしであった。ちょっと画像データが大きいので、ダウンロードをクリックしてみていただきたい。
 何かで読んだ記憶があるのだが、みのむしは絶滅が危惧されているという。しかし、私の自宅の庭にはみのむしがうじゃうじゃ居て、壁にくっついて蛾になって飛んでいったりしている。
 みのむしは、確か「ミノガ」という蛾で、雄は中で成虫になって飛んでいくのだが、雌は一生うにょうにょした幼虫のままであると読んだような記憶がある。これもあいまいな話であるが。
 みののようなフクロの先から黒い頭が見えているのがわかるだろうか。
 絶滅が危惧されている(と読んだ私の記憶が正しければ)みのむしをたくさん見られる私は果報者かもしれないと思っていると、足がこそばゆい。みのむしが登ってきていた。
 木と間違えられたらしい。

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