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2009年7月31日 (金)

手帳について、その2

 その後は、しばらく訟廷日誌と、手帳は高橋のフェルテを使用していた。
 フェルテは見開きで1週間の予定が書き込めるのと時間軸が書かれていたので、予定を整理するのに役立っていたのである。

 しかし、副会長に就任して、しばらく多忙であり、訟廷日誌から手帳に書き写す時間もなく、しばらくさぼっていたら、別に訟廷日誌だけでも不自由しないと思うようになり、副会長職にもやや慣れて時間に余裕が出来ても(仕事も最近暇なのだが)、書き写す気が失せてしまった。

 あと、電子手帳は私はいやである。やっぱり手帳は一覧性がほしいのである。
 大事務所だと、複数の弁護士の予定を一覧するために、事務所のパソコンと個別の弁護士の手帳をリンクさせる必要性から取り入れているのだと思われるが、私の事務所はそこまでの規模でもないので、やはり必要ない。

 手帳はやはりアナログだと思うのである。
 手帳に書き込むのは専用の極細の万年筆と決めている。

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2009年7月30日 (木)

手帳について、その1

 私は手帳は紙ベースのものを使用している。大阪弁護士協同組合から出ている訟廷日誌である。黒色の付録付き(後ろに交通事故で使用するライプニッツ係数や、裁判所の管轄区域が掲載されている。別に楽しい付録ではない)のものを平成8年に弁護士になってから使用している。
 これに特別思い入れがあるという訳ではないのだが、最初に勤務した事務所がこれを使用していたので、そのまま使い続けている。

 弁護士用の手帳を使用せず、システム手帳を使用している人もいる。しかし、あれは書き込む欄が少なく、1日に様々な予定が入る我々の仕事には不向きではないかと思う。昔修習生の頃はシステム手帳を使用していたが、システム手帳の大半は普段使用しないので、あれだけの分厚さは必要ないのである。

 市販の手帳を使用している人もいて、昔、訟廷日誌と併せて、「超整理手帳」を使用していたことがあった。これは長期の予定をジャパラにした紙で見られるというもので、締め切りが把握できるという触れ込みであったので購入して2年ほど併用して使用していた。しかし、これまた書き込む欄が小さすぎて、まるで米に人形の絵を描く中国の絵師のような苦労があったのでやめてしまったのである。

 つづく。

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2009年7月29日 (水)

腕時計なし生活

 最近暑いのと肩がこるので、腕時計を外している。
 腕時計がなくとも、町中には割合時計があるし、携帯電話があればそれほど困らない。

 私のボスも腕時計が嫌いで、ずっともっていなかったとのことである。プレゼントでもらった懐中時計を使っておられるが、それもほとんどみない。

 時間に追われる職業なので、腕時計は必須のような思いもあったが、なければないで(町中に時計があるからだが)、何とかなるもんである。
 まあ、秋になればまた着用するのだが。
 暑いのに、腕時計にさらにブレスレットや、ネックレスをしている男性がいるが、よく肩がこらないものだと感心する。私は装飾品は大嫌いなので、チヤラチャラとつけている人はよくあんなもの大量につけているなあと思うのである。

 なければないで何とかなるものというのは、世の中に意外にたくさんあるのかもしれない。

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2009年7月28日 (火)

夏休み

 学生の頃、夏休みが始まるのが嬉しくてしかたがなかった。
 私は朝が弱いので、ゆっくりと寝ていられることが嬉しかったのである。

 宿題は7月中にやりあげてしまい、8月は遊び倒した。セミ取り、釣り、海・・・。
 熱射病で倒れるくらい遊んだこともある。

 8月もお盆を過ぎて、2学期が近づくと、憂うつになってくるのである。
 
 ミスチルの「光の差す方へ」という歌の歌詞には、母親が「夏休みのある小学校時代に帰りたい」というくだりがあるが、働いている身ではせいぜい5日間の休みが取れる程度である。
 私の事務所は暦通りでお盆も休まず、誰かは出てきている。
 お盆でも依頼者に対応できる体制でありたいという思いからである。
 最近会務ばかりやっていて、事件が入ってこないので暇であるが。

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2009年7月27日 (月)

三つ数えろ

 滅多に映画は見ないのだが、最近チャンドラーのマーロウものを読んだので、ハンフリー・ボガート主演の「三つ数えろ」(原作は、「大いなる眠り」)をDVDで買って、日曜日の昼から見た。
 チャンドラーは、ボガートが演じるマーロウが一番好きだったということなので、原作を読むときにはボガートを想像して読むといいかもしれない。

 ボガートはただひたすらにかっこいい。たばこを吸う仕草、顔をしかめるそのしかめ方、酒を飲む仕草の一つ一つがサマになる。出てくる女優さんも皆驚くほどの美女である。

 ボガートはハードボイルド作品では、ダシール・ハメットの名作「マルタの鷹」でもサム・スペードを演じてはまり役であったが、マーロウもはまり役である。

 村上春樹の新訳で、チャンドラーの「ロング・グッドバイ」が出てから、マーロウというか、再びチャンドラーが脚光を浴びている。原燎という人の作品で出てくる探偵は、完全にマーロウをイメージして創られている。チャンドラーの短編全集も出ている(それも買ったのだが)。

 最近古い歌とか、古い映画を見ているが、最新の映画を見なくとも、最新の歌を聴かなくても、古いものでも相当いいものがある。推理小説も歴史小説ばかり読んでしばらく読んでいなかったのだが、ここ二年ほどは推理小説も一定割合読んでいる。ヴァン・ダインとかも久しぶりに読もうと思って買い込んできたりしているが、読んだことを忘れて本棚に同じ本があったりする。時間があれば、横溝正史も読み返してみたいのだが、横溝正史はだいたい筋を覚えてしまっているのと、本格推理小説でトリックで「あっ」と驚かされるので、再読には適しないという思いもある。横溝正史も、「何度も獄門島を読みました」といわれるのが嫌いであるというようなエッセイを書いていた。

 ともあれ、私は丸顔でクマのような顔なので、ボガートにはほど遠いのだが、生まれ変わったらああいうかっこいい男になってみたいものである。

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2009年7月24日 (金)

かごに入ったネコ

 少し前だが、地下鉄に乗っていると、かごに入れられたネコが乗っていた。席の横のスペースに、台車にかごがくくりつけられて乗せられていた。

 私がちょうどその向かいに座れたので、可愛くて見ていた(動物好きなので)。
 ネコは、地下鉄に乗せられたことで物凄く緊張していて、駅についてドアが開く度に、黒目の部分を大きくして、「ハッ」という感じで開くドアから危険な何かが乗ってこないかを緊張してて見ていた。
 その姿が物凄くかわいらしく、またあのネコに会えないかと思っているのだが、それ以来会わない。
 もっとも、ネコからしたら、地下鉄に乗せられるのはもうこりごりなのであろうが。

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2009年7月23日 (木)

インターネット接続環境

 私の事務所はひかりであるが、考えるとインターネット接続環境というのは飛躍的に利用しやすくなったものである。
 私がネットをやり出した頃、世の中はダイヤルアップであった。
 私のアドレスはその頃取得しているので、メールアドレスを変えるということが出来なかった。一度それで使い出したので、変えるのが面倒なのでそのまま使用し続けている。従って、私のメールアドレスのアルファベットや数字には何の意味もない。

 ダイヤルアップは、つなごうとすると、「ピポパポ」という音をさせて、ジージージジジ…と音がして、物凄い遅い速度であった。今だったら「きいいいいいいいい(注 イライラしています)」となるであろう。
 その次はADSL。これも「速っ」と思ったが、すぐに世の中はひかり全盛期になった。
 ひかりより物凄く速い通信環境もあるようだが、メールとブログをするくらいなので、当面ひかりで十分である。

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2009年7月22日 (水)

弁護士も慣れてくると

 弁護士も慣れてくると、仕事のやり方に自分のクセが出てくるようである。
 常に自省していないと、いつの間にか失礼であったりしているかもしれない。

 たまに失礼な書面を貰う時がある。そういう時は私はきちんと「失礼だ」ということにしている。不愉快なまま終わらせない。相手の弁護士は普段それでやっているのであろうが、抗議されないことをいいことにして、ズボラなやり方をしていることも多いのである。

 自省自省の精神が必要である。

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2009年7月21日 (火)

電車の中で…

 電車通勤していると、たまに人の話が耳に入ってくることがある。
 中には本当に話が面白くない人たちがいる。
 いったん耳に入り出すと、面白くないから聞きたくもないのに話が耳に入ってくる。
 とてつもなく面白くない話を、面白いような顔をして話をしているのである。
 面白くない話は密室で2人でして欲しいものである。

 ただ、本当に面白い話の方が耳に入ってくると危険である。
 笑い出しそうになるから。
 そう考えると、面白くない話の方が罪がないのかもしれない。

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2009年7月18日 (土)

読書日記7月18日

「フィリップ・マーロウの事件」レイモンド・チャンドラーほか。ハヤカワ文庫。
レイモンド・チャンドラーの生み出した名探偵、フィリップ・マーロウを主人公に一線級の作家たちが短編を寄稿したアンソロジー。みなチャンドラーの作風を真似て書いているので、チャンドラー好きにはたまらない短編集である。
 マーロウは離婚事件の調査は引き受けないと言っているが、どうしてそうなのかはチャンドラーの作品の中では明らかにされなかった。マーロウが離婚事件を受けなくなった理由を描いてみた野心作も収録されている。
 最後にチャンドラー本人による「マーロウ最後の事件」も収録されている。
 どこからどうみてもマーロウはかっこいい。
 反動でハンフリー・ボカート主演の「三つ数えろ」(大いなる眠りの映画化)のDVDを買ってしまった。いつ見られるのやらという感じだが。

「執念谷の物語」海音寺潮五郎。新人物文庫。
 海音寺潮五郎の短編集。新聞で、海音寺の作品が文庫化されると見て、早速に購入。
 沼田城を手に入れる為に真田昌幸が権謀術数を用いて非常の手段を用いた経緯を描いた表題作が秀逸である。昌幸の為に利用されるだけ利用されて最後は滅ぼされる豪族たちの悲運が描かれている。戦国ブームというが、戦国を表面だけで語るなと海音寺であれば叱ったであろうと思わせる作品。細かな史料に基づいて展開するその取材力にもうならせられる。
 適当な史料だけであまり調べもせず書いていると思われる昨今の歴史作家とは一線を画しているといわざるを得ない。

「スナーク狩り」宮部みゆき。光文社。
 宮部みゆきの描写力、物語展開力はやはりすごい。息もつかせぬサスペンス作品である。模倣犯などで、人を殺すことを何とも思っていない殺人者を描いた宮部ワールドがここにもある。詳細はこれから読まれる人のために割愛するが、これは読み物として大変面白い作品である。

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2009年7月17日 (金)

きいいいいとなる事

 「きいいいいい(注 イライラしています)」となることは人それぞれであろうが、私もいくつかある。
 急ぎの携帯メールで事務員に指示しないといけないような時に、アンテナはやまほど立っているのに、何回やっても、「送信できませんでした」となるときは「きいいいいい」となる。
 さらに、その後、立っていたアンテナが全部消えたりして、「電波届いてなかったのに、携帯がおかしな表示になってたんかい」となるときも、さらに、「きいいいい」となる。
 ほかにもいろいろ「きいいいい」となることはあるのだが。

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2009年7月16日 (木)

弁護士会のノートパソコン

 弁護士会には副会長用に一つデスクの上にノートパソコンが置いてある。これを副会長になって使いだしたのだが、普段使っているノートパソコンとキーボードの配列が微妙に違う。
 バックスペースで削除したつもりが、弁護士会のノートパソコンでは行の先頭に行くボタンとなっていて、何文字が消したつもりが、単に行の先頭でカーソルがチカチカしているだけであったりして、「きいいいいいいいいいいいいいい(注、イライラしています)」となるのである。

 ほかの副会長は、自分の体をキーボードに慣らすことを選択したようであるが、私は自宅でもノートパソコンで仕事をしたりプログを更新したりするので、配列がその都度違うとタッチタイピングをするときに勘が鈍るのである。

 仕方がないので、出入りの業者さんに頼んで、ノートパソコンにUSBでつなげるキーボードをつないで使用している。先日お茶をこぼして若干キーボードの働きがおかしいような気もするが、配列が違うよりはよいと思って、ノートパソコンにキーボードをつないで使用している今日この頃である。

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2009年7月15日 (水)

自分の尺度

 小学校の時、割り箸をナイフで削ってペンのようにして、それに墨をつけて絵を描くというのを図画工作の時間であったかにやっていた。何年生の時であったかは判然としない。
 私はまあまあ絵は得意であったので、先生に褒められていたのであるが、ある時、自分の指を書いてみようと思って、指をリアルに書いた。
 当時の私の視力は2.0であったので、指に生えている毛まで書いた。リアルさを追求する小学生であったのである(なんといっても、絵を習いに行こうとして、1回でやめたほどであったから、絵に対する興味はあったのである)。

 ところが、この絵を描いて提出したところ、先生は、「中君、こんな毛まで見えるはずがないでしょ。」と決めつけられた。私は毛が見えるので、「見えます」というと、先生はなぜか、「嘘を書いてはいけません」と決めつけてきたのである。そのとき、いたいけな小学生であった私の心は痛く傷つけられたのであった。

 今だから分かるが、小学生の先生は一般的には全然偉くもなんともないのである(個別に偉い先生がいることは当然である)。単に資格として教師の資格を取り、就職先として教師を選んでいるに過ぎないし、人格的常識等々が優れているという訳でもないので、彼女はどうやら近眼であったようで、指の毛など見えなかったのであろうと思う。
 そして、彼女は、自分に見えないものは、当然私にも見えないはずという論理的帰結で、私の書いた絵を全否定したのであった。
 自分の尺度を持つことも大事であるが、その尺度が正しいかどうかについては、常に自省が必要なのであろうなあと、今でも指の毛を見ると思うのである。

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2009年7月14日 (火)

混雑しているところで手を振り回すじいさん

 電車通勤しているので、駅を歩くことがよくあるが、周囲を見ていない人が多いことは何回か書いた。
 最近気になるのは、周囲を見ずに、身振り手振りや、自分が行きたい先を人に聞いていて、人の顔の前に突然手を突き出してきたり、振り回すじいさんである。
 時に人差し指が突き出されることもあり、こちらも歩いているところに指が出されれば、カウンター気味に指が目にでも入ろうものなら失明の危険だってあるのである。
 混雑しているところや、混雑していなくとも、人の通行する可能性のあるところで、手を振り回したり、突然突き出すのはやめて欲しい。

 単に私が突き出されやすい性質の人のせいなのか(そもそもそのような性質の人がいるのかどうかも不明)、よく手を突き出されて顔に当たりそうになるのである。だいたい私はそういうことをしそうな人の近くを通る時は注意しているので、こちらがよけて事なきを得ているのであるが、いつか顔につきだした手が当たりそうで怖いのである。
 そう思いながら自転車で走っていると、鞄をぐるぐると振り回す女子中生がいた・・・。
 ヤレヤレ。

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2009年7月13日 (月)

兵庫県弁護士会との懇談会

 金曜日は午後から兵庫県弁護士会で懇談会であった。
 それぞれの弁護士会が抱えている問題点や課題について意見交換・情報交換をするというもので、大規模と小規模の中間の規模の単位会同士の兵庫と京都で毎年行っているものである。

 兵庫県の弁護士会館で懇談後、懇親会をしたのだが、船でのクルージングであった。さすが神戸。おしゃれである。サッカーの松井のドリブルテクニックくらいおしゃれである(最近本を買ったのである)。
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我々が乗った船である。コンチェルト号という名前であった。船室で中華をいただきながら、引き続き懇談をし、その後ホテルのバーで夜景を見ながら懇談した。それぞれの弁護士会が抱える問題点などを聞くことが出来、大変有意義なひとときであった。

 そして新神戸から新幹線に乗って帰京したのだが、京都駅でほかの副会長が騒いでいるのでどうしたのかと聞くと、「会長が降りてこなかった」というのである。席が離れていたので、わからなかったということであるが、いくら待っても会長は階段から下りて来ない。ううむ。どこにいったのか。

 携帯に電話するが、呼び出すが出ない。何度か繰り返して出ないので、副会長4名はあきらめて、京都駅のホテルグランビィアで飲み直したのであった。
 翌日聞くと、会長は寝過ごして三島まで行って、新横浜で泊まって帰ってきたらしい。
 新神戸から京都程度の距離で寝るのはきわめて危険だということである。
 やれやれ。

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2009年7月10日 (金)

弁護士会の副会長

 副会長に就任して、ようやく任期の4分の1が過ぎた。
 先は長い。
 副会長は(会長もだが)、無給であり、やったところでお金が貰える訳でもない。
 たいてい副会長を終わった翌年は1人でやっている弁護士は副会長時代事件が出来なかったとして、事件が来ないと言っている。
 名誉に興味がある人はいいが、私のように名誉に興味がない人間にとっては弁護士会に対しての御礼返しみたいな気持ちでやっている。

 週に一度午後いっぱいを使って役員会、週に一度は在会していろいろな決裁をして、後は弁護士に対する苦情を聞くための市民窓口の担当というのもある。
 担当の委員会は20程度有り、なるべくこれに出席する。
 後は担当の関係で行政にあちこち出向いたり、様々な懇親会(宴会)や、協議会などへの出席もある。

 これでは事件が出来ないのである。睡眠時間を削るか、弁護士会の副会長の仕事をさぼるしかないということになる。
 幸い私の事務所にはほかに弁護士が2名居てくれるので私が出来ない分を補ってくれているが、自分自身は弁護士の本来の仕事をしたくてしたくて仕方ない今日このごろである。
 副会長でもうこりごりという感じである。

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2009年7月 9日 (木)

電車の中で空いているのに密着してくるそこそこのお歳の女性

 電車通勤していると、地下鉄では立っていることが多いのだが、そうすると、空いているのに、妙にくっついてくるそこそこのお歳の女性がいることがある。
 立ち位置に困っているのか、あるいは手すりに掴まりたいのか分からないが、物凄いスペースが空いているのに、寄ってきて、くっついてくるのである。

 私が体を避けると、そっちの方によって来る。寄られたくないのだが、いくら避けても寄ってくるのである。私の体に磁石でも入っているのかという寄られ方である。
 ここ数年の謎である。

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2009年7月 8日 (水)

ちょい太

 私のインターネットエクスプローラーは、マイクロソフトのホームページがホームに登録されているのだが、先日、「ちょい太」の方が長生きするという研究がカナダで出されたという記事が掲載されていた。まあ、この記事が目についたのは、大太のリスが記事の上に象徴的に写真掲載されていて、大変可愛かったからなのであるが。太い動物は可愛い。著作権の関係で掲載出来ないのが大変残念である。

 BMIが肥満の指標になるというのだが、肥えているかどうかは、その人の筋肉量にもよるであろうから、いちがいには言えず、単なる指標でしかない。筋肉量が多く、鍛えていてBMIは肥満気味でも、実は鍛えていて長生きだったということもあるのではないであろうか。
 森光子さんは毎日200回のスクワットを欠かさず、それが為に健康を維持されているというから単にBMIだけに頼るのは危険であろう。
 私のBMIはヒミツである。

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2009年7月 7日 (火)

クールビズ

 私はクールビズが流行る前から、夏はネクタイを外していた。
 外すといってもただ外すのではなく、当時数少なかった「ノータイでも着られる」というシャツを伊勢丹だったかどこかで見かけてそれを着ていたのである。
 前にも書いたかと思うが、当時は周囲のベテラン弁護士から「中さん、ノータイか。涼しいやろ。ええなあ。」ということをよく言われた。
 そもそもネクタイは防寒着が期限ということも言われていて、高温多湿な日本の気候には合わないのである。

 そのうち政府がクールビズを打ちだして、その後はクールビズ旋風であるが、電車に乗っていたり、町中を歩いていると、今まで着ていたワイシャツの単にネクタイを外しただけというオジサンが多い。
 何となくショボイ雰囲気で、せっかくクールビズをするのであれば、ノータイでも見栄えのするシャツにすればよいと思うのだが。

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2009年7月 6日 (月)

道いっぱいに広がって歩くウォーキングオバサンたち

 私が帰宅する時間帯にはウォーキングをしているオバサンたちがいる。
 1人でしていることは少なく、2人か3人である。
 だいたい話をしながら歩いているので、横一列で歩く。
 2人だと自転車も通れるが、3人だと微妙である。
 どちらかに私がよけようとすると、だいたいこういうオバサンは、私がよける方によける方にかわすのである。
 又は、全くよけようといないオバサンも多い。そして、自分たちが歩道を一列になって通行を妨害しているのに、こちらに不満な目を向けるのである。
 自分勝手にもほどがあると思うのだが、こんな人はウォーキングしないで欲しいものである。

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2009年7月 3日 (金)

真田十勇士犬

 机の上にペットボトルを置いておくとぬるくなるし、いちいち冷蔵庫に冷やしに行くのも面倒だと思っていたので、タンブラーというか、小さい水筒を買いたいと思っていたのであるが、これも戦国ものをネットで見つけてしまったので買った。
 真田十勇士をモチーフにした犬が跳んでいて、真田の旗印がかたどられている。
 しかし、あまり量のことを考えていなかったというか、きちんと見ていなかったので、少し容量が小さい。
結局なくなっては冷蔵庫までいって継ぎ足している。
しくしく。

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2009年7月 2日 (木)

甲冑の袖部分のストラップ

 最近戦国ブームなので、そうした店もないかと思ってネットで検索していたら店がけっこうあるのである。
 その中で、気に入って思わず買ってしまったのが、甲冑の鎧袖の部分をかたどったストラップである。
 携帯につけると少し大きめなので、カバンにつけている。
  正式な真田のものが売り切れであったので、他の赤字の鎧のものに六文銭の旗印をつけている。
 これでO原K司弁護士にカバンを間違えられずに済むのではないであろうか。

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2009年7月 1日 (水)

読書日記7月1日

「坂の上の雲7」「坂の上の雲8」文春文庫。司馬遼太郎。
 秋山好古は満州の野で劣弱な日本騎兵隊を率いて荒れ狂う嵐のようなロシア軍の猛攻をわずかな手兵で支える。彼が支える左翼が崩れれば、ロシア軍は日本軍を包囲することが出来、満州の日本軍は滅び去るのである。その中、好古は酒を飲みながら、ここから引かないという決意のみで軍を支えていた。
 満州の日本陸軍はもはや増援も期待できず、極限の状態での戦いが続いていた。ロシア軍が退却したために、奉天の大勝利につながるが、危険な綱渡りが続いていた。
 奉天での勝利の後、アメリカの仲介による講和の話も頓挫し、講和の次の機会は日本海でのバルチック艦隊と日本艦隊との戦いの後にやってくることは明らかであった。
 バルチック艦隊を撃滅しなければ、日本陸軍は満州の地で孤軍となり、また、講和の際にも日本の領土はロシアに削られることになるのである。
 日本の運命が賭けられた日本海海戦で、東郷平八郎は、その奇跡的な運の良さもあり、しかし練りに練った戦術もあり、バルチック艦隊を撃滅することに成功する。
 そして講和が成る。
 元寇以来、列強の植民地とされる危険が高かった明治維新期から日露戦争までの一大叙事詩は終わりを告げる。
 今の日本がなぜあるのか、そして、逆に日露戦争が後の太平洋戦争にどう影響を与えたのかを考えさせられる巨編を読了した。
 司馬遼太郎という作家を得たことは日本人にとって幸福である。

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