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2009年8月31日 (月)

イタチ

 私が高校1年生まで住んでいた大阪市内のボロボロの小さい家の裏は大きい駐車場があり、屋根があったのだが、相当その駐車場も古く、いろいろな動物が住んでいた。
 夕方になるとコウモリが飛び、風呂で裏の戸を開いて入っていると、イタチの親子が顔を見たりしていた。
 どうやら駐車場に住んでいるようで、時折姿を見せていた。
 今でいうと、フェレットみたいで可愛らしかった。
 私の家は隙間だらけであったようで、床下に色々な動物が入り込み、ネズミも走り回っていた。

 バブルの頃に開発されてしまったので、何回か前を通ったが、その頃の風景とは全く変わってしまっていた。あれではイタチの親子も住む場所を追い出されてしまったであろう。

 今は滋賀県に住んでいるが、イタチを見ることもない。まだ田舎の方にいけば、イタチはいるのであろうか。様々な動物が絶滅の危機に瀕しているようで、追いやられた動物たちがどこに行くのか、あるいは行くところがなくなってしまうのか心配である。
 先日モグラらしきものを見たが、捕まえようと思って見ていたが、地中深くに逃げられてしまった。
 ニホンカワウソとか、ニホンオオカミとか、死に絶えた日本固有種も多い。
 魚類でも死に絶えようとしている種もある。
 出来るだけそのようなことがないように願うばかりである。

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2009年8月28日 (金)

午後の紅茶アジアンストレート

 私はコーヒーが飲めない(正確にいうと、別に飲むのは嫌いではないのだが、飲むと必ず胃が荒れるので飲まないのだが)ので、紅茶を好んで飲んでいる。
 弁護士会でも私だけコーヒーが飲めないので、紅茶を入れてもらっている。

 私は基本的によほど疲れている時でない限り、紅茶には砂糖はいれず、ストレートで飲むのだが、売っている紅茶はみな砂糖が入っていて、甘ったるいのであまり飲まないか、買っても最後まで飲めないのが常であった。

 しかし、最近発売された午後の紅茶アジアンストレートは、私の希望通りストレートで、飲んだ後の清涼感(ジャスミンの香り)が気に入って飲んでいる。
 この紅茶の悲しいところは、すべてのコンビニで売っていないことと、大きいペットボトルがないことである。
 同じような味のジャワティーもお気に入りで、事務所の下の自販機で事務員にまとめ買いしてもらっている。

 勤務弁護士の女性の方のK弁護士がコーヒーの香りを美味しそうにたてて飲んでいるのを尻目に(飲みたい気持ちはあるのだ。フィリップ・マーロウもよくコーヒーを飲む)、私はジャワティーか、午後の紅茶アジアンストレートを飲むのである。

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2009年8月27日 (木)

読書日記8月27日

「日本怪魚伝」角川文庫、柴田哲孝。
 日本の巨大魚についてのアンソロジー。無茶苦茶おもしろい。小説である。
 四万十川のアカメという魚に始まり、大島池のタキタロウ、オオウナギ、巨鯉、クエ等々。
 時間を忘れて貪るように読んだ。
 これは未確認生物が好きな人も是非一読すべきである。

「司馬遼太郎対話選集3、歴史を動かす力」文春文庫。司馬遼太郎。
 海音寺潮五郎との対談をはじめ、歴史についての対談が収録されている。
 小説だけでは見ることの出来ない、司馬の歴史についての造詣を知ることが出来て興味深い。

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2009年8月26日 (水)

タキタロウ

 私は未確認生物の類もものすごく好きで、テレビでやっていると絶対に見てしまう。川口博探検隊もどきどきしながら見ていた。

 最近、未確認生物を調査に行きたいという欲求にかられている。

 一番行ってみたいのは、昔からそうなのだが、山形県朝日村の大島池に生息するとされるタキタロウの調査である。

 タキタロウはこの大島池にのみ生息するといわれる巨大魚で、体長2~3メートル、イワナなどのマス系の魚であることは間違いがないようである。
 その正体については、様々な説があるが、私はマス科の魚が陸封され、大島池という閉ざされた空間で、独自の進化を遂げた固有種であると考えている。

 昔はタキタロウを釣ったり捕獲して地元では普通に食べていたという記録があり、魚拓も残されている。その身は脂がのって大変美味だという。

 昭和57年に登山をしていた人たちが大島池に巨大魚が群れているのを発見し、話題を呼んできた。
 その後調査も行われ、深部に体長2メートル級の巨大魚野魚影がソナーで確認されている。

 釣り上げられたという記録もあり、ネット上には動画があったりするが、私としては、それが真実タキタロウであるかはわからないとも思える。釣り上げられているのは、普通のサイズのアメマス(イワナが巨大化したもの)のようにも見えるのである。
 タキタロウであるというためには、やはり体長が1メートルを超えてこないと確定が難しいように思えるのだが。
 タキタロウは実在するのであろうか。調査旅行とかしたら楽しいだろうな。全然仕事と関係ないけど。

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2009年8月25日 (火)

多忙は理由にならない

 相手方や依頼者に対する対応がずさんなものであったり、説明が不十分で相手方を怒らせる弁護士は多々いるが、忙しい時に電話をされてきたら基本的にこちらの方も怒りがちだが、相手の方は自分の主張を聞いて欲しいと思っているし、それは誤解や事実誤認に基づく場合も多いから、基本はしっかりと聞くべきであろう。

 忙しいからと言って、それを聞かずに、また、相手方の言っていることの事実確認もせずに済ましてしまうというのはやはりプロとしては怠慢といわれても仕方がないであろう。
 多忙だから事件処理(相手方との対応や依頼者との対応)が出来ない、事件数が多いというのであれば、新規の受任を断ったりすべきであろう。勤務弁護士の場合で自分の個人受任事件が多く事務所の業務に支障を来すという場合には、当然個人の事件受任をしないように心がけるべきである。私も実際勤務弁護士の頃はそうしていた。

 少しずつ経験がたまっていくと、新人の頃は丁寧にしていたことでも、いい加減になってしまったり、自分が偉くなったかのように誤解してしまう人もいるが、経験がたまればたまるほど、法律家の仕事というものの怖さを十分に理解していなければならないということになろう。

 好事魔多しという。信長が全国統一の志半ばで本能寺に倒れたのは、彼が絶頂の時期であった。
 絶頂の時ほど危ない。常日頃そのような心がけでいないと、いろいろな落とし穴が掘られているのである。

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2009年8月24日 (月)

相手方に対する応対

 相手方に対する応対も弁護士によって様々であるが、破産の申し立ての時によく使われるのは、「決定が出てから管財人にいってくれ」というのである。私はそうしたことはあまり言わず、申し立て代理人レベルで処理が出来ることはするのだが、えてしてこういう弁護士に限って、費用はたくさん取っていても、何もしていないことが多い。

 破産の債権者はだいたい怒っているので、申し立て代理人がある程度話を聞いて破産という制度を説明することで、管財人の仕事が楽になったり、裁判所への苦情が少なくなる。

 怒っている人相手にこちらが怒ってみても話は進まないので、説明すべきは説明し、聞くことはある程度聞いてあげることである。

 一度、離婚事件で精神を病んだ相手方から、毎日30分くらい1ヶ月くらい電話があったことがあったが、これもふんふんと聞いていた。
 破産事件の債権者で、だまされたと言って毎日30分くらい電話してきた債権者もいたが、毎日話を聞いていた。

 そういうものだと思うのである。

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2009年8月21日 (金)

BOXYの鉛筆削り

 私は鉛筆削りは電動ではなく手動のものを使っている。小学生の時は電動のものを使っていたが、適度な削れ具合が電動では出来ないので、中学校1年生か2年生の時に自分の小遣いで、小さいBOXYというブランドの黒い小さい鉛筆削りを買った。

 以来、この鉛筆削りで、鉛筆を削ってきた。受験の時に使用する鉛筆もすべてこれで削ってきた。
 今年で39歳になるので、25年くらい使用していることになる。

 ところが、最近この鉛筆削りが不調で、さすがにガタがきた。
 鉛筆を挟むところが斜めにゆがんでしまい(落とした訳ではないのだが、さすがに寿命か)、うまく鉛筆が挟めないのである。
 捨てるつもりはないのだが、急いで削りたいときにストレスなので、新しい鉛筆削りを買った。鉛筆削りもものすごく高いものが売っているが、万年筆ほどには鉛筆削りにはお金をかける気がないのと、BOXYの鉛筆削りに愛着があるので、500円ほどのやすいものにした。

 私は物持ちがよい方だとよくいわれる。中学生の時に祖母にもらったセカンドバックも未だに捨てずに持っている。その祖母はすでに故人であるが。

 新しい鉛筆削りを買ったので、捨ててもいいのだが、使えるうちはBOXYの鉛筆削りを使おうと思っているのである。

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2009年8月20日 (木)

ボブ・ディランに職務質問

 ボブ・ディランがコンサート前に時間があるので会場の近くをうろうろしていたら、若い警察官に職務質問をされたというニュースを見た。2人は、名前をディランに聞いて、ディランが、「ボブ・ディラン」と答えても知らなかったようで、わざわざホテルまで着いて来て怪しい人物でないとわかってようやくディランから離れたそうだ。ディランってもう68歳なんだ。

 しかし、ディランを知らないとはディラン自身も苦笑するしかなかったであろう。
まあ、そこそこ歳がいっているのに、あの風貌だから、警官も「怪しい!!」となったのであろうか。
 それが記事になるところもディランはすごい。

 かくいう私も何回か職務質問を受けたことがある。正月に雪が降ってスコップが必要なくらいであった時に、自宅にはスコップがなかったので近くのホームセンターまで大型スコップを自転車で買いに行って、エコの観点から袋に入れてもらわず、自転車のかごに入れてキコキコこいでいたら、警官に呼び止められたのである。
 職業は?どこに行く?そのスコップは?どこに住んでいる?と偉そうに聞かれる。
 ムカッときたが、冷静に考えるとかごに大型スコップを積んで走っているのは怪しいかもしれない。
 弁護士と言っても信じて貰えず、弁護士であるという身分証もなく、いくらこっちが怪しいと言っても偉そうに言われるので段々キレてきて、法的なことをべらべらと話をすると、警官もどうやら「怪しい人物」ではないとわかってきたようで、解放してもらえたが、あまりいい気分ではなかった。
 ディランもいい気分ではなかったろうなァ…。

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2009年8月19日 (水)

依頼者への連絡・報告・相談・説明

 何回か似たようなことを書いたが、弁護士会で市民窓口(弁護士に対する苦情相談窓口)を担当していると、表題のことが出来ていないのではないかと思われる弁護士が多数いるのではないかという気持ちにさせられる。

 弁護士から連絡をもらったことがなく、いつもこちらから問い合わせをして、居留守っぽいこともあったという話もあるし、何回かかけてようやく連絡が帰ってくるというような話も割合聞く。多忙は理由にならない。依頼者は弁護士に依頼をした以上、弁護士からの連絡を待っているものだからである。
 事件の進行内容の報告も重要である。私は基本的に動きがあれば、メールかファックスか郵送で、事件の進行状況について文書を作り依頼者に報告する。相手方からきた書面やこちらが出したものについては基本的に写しを送る。裁判になっているものについては、期日ごとに報告書を出す。
 よく、「自分の事件が今どうなっているか全く報告がないのでわからない」という話を聞く。

 事件の処理方針について、依頼者に「どうしますか」という相談がないという話もよくある。「こうしといたし」とか、「この方がいいからこっちでやります」と一方的な話がされて反対したり、質問したら、「プロに文句をつけるのか」ということで依頼者の口を封じ込めてしまうという話もよくある。
 事件方針については、最終的に決めるのは依頼者であり、弁護士は依頼者に対して情報とメリット・デメリット、可能な範囲での予測を説明しなければならないし、法的問題点についてはわかりやすい言葉で説明しなければならない。
 私の事務所では、基本的に文書で説明をして、必要があればさらに打ち合わせをして決定するようにしている。

 説明についても、委任契約書の条項をひとつひとつ説明し、一般事件であれば、交渉・調停・訴訟とそうした場合どのように進んでいくかということを説明文書とともに説明し、証人尋問前には尋問内容もさることながら、尋問がどのように進むかということ、座る位置、宣誓の仕方、裁判所の介入尋問があること等々について、これも説明文書とともに説明する。

 これが当たり前だと思うのであるが、実際はそうでないようである。
 8月31日には弁護士会で倫理研修の講義を担当副会長として弁護士相手にするので、今少しずつレジュメを書いているのである。

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2009年8月18日 (火)

事件が進まない相手方弁護士

 たくさん事件をやっていると、相手方弁護士が準備を全然しなかったり、したと自分では思っていても裁判所もこちらも「それでは足りないよ・・・。トホホ。」というような事件にあたることがある。

 そういう時は、裁判所が進めることに淡々とやるか、こちらで出来ることは全てやって、淡々と判決を取りに行くしかしようがない。
 もっと若い頃は、イライラして早くするように相手方弁護士に対して怒ったこともあったが、怒ってみても事件が進まないので、怒るだけもったいないと思って淡々とやるようにした。

 時には相手方の混乱した主張をこちらでまとめてあげたこともあるが、その方が早いのであれば、自分の依頼者の為にはなると思って、しこしことやっているのである。

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2009年8月17日 (月)

読書日記8月17日

「レイディ・イン・ザ・レイク」ハヤカワ文庫。レイモンド・チャンドラー。
短編全集の三巻。湖中の女に一部取り入れられた短編が表題作。
チャンドラーを読まずして、ハードボイルドは語れないであろう。

「トラブル・イズ・マイ・ビジネス」ハヤカワ文庫。レイモンド・チャンドラー。
短編全集の四巻。マーロウが主人公で登場する表題作がいい(ただし、後にマーロウに書き換えられていて、元々は違う名前。ジョン・ダルマスという探偵がマーロウの前身。)。後は、探偵小説についてかかれた「無駄のない殺人の美学」(タイトルややいいかげんだが)という小説について書いたチャンドラーノエッセイが秀逸。過去に名作とされる作品が、きわめていい加減であることを論理的に指摘している。その後、チャンドラーの作品の中に出てくる探偵に共通するチャンドラーが求める男性かくあるべしというようなところが書かれる。
 マーロウは後ろ盾がないもないが、何も恐れず、誇り高く、自分に対する侮辱に対しては正当に仕返しをする弁護士として参考になるところが多いので、若手弁護士は読んだ方がいい。長編を読めば足りるだろうが。

「ひとくちの甘能」新潮文庫。酒井順子。
 エッセイストの酒井順子氏による、「甘いもの」エッセイ。カラーで、名店舗のおいしそうな「甘いもの」(酒井さんによると、スイーツと言ってはだめなのだそうである)がたくさん掲載されていて、甘いものがそれほど好きではない私でも、「ううむ、食べてみたい」と思うものがいっぱい載っている。甘いもの好きな方は是非ご一読を。

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2009年8月14日 (金)

相手方に対する連絡

 私は事件の相手方に対する連絡は基本的に書面でしている。
 書面でする方が、こちらの主張が正確に伝わるし、相手方が相手方の依頼者に伝える時にも正確だし、「相手方から別紙の手紙が来ているがこれこれこういうように私は考えるがどうか」という程度の連絡文をつけて自分の依頼者に連絡が出来ると考えるからである。

 しかし、連絡を電話でしてくる弁護士が割合多い。書面を書くのが手間なのかもしれないが、これはいくつかの点でプロとしては怠慢だと考えている。

 まず1点目は、こちらにメモを取らせる作業をさせることである。メモを取る課程で、間違えるかもしれないし、手間を相手方にとらせるということである。
 2点目は、メモを取らせた内容を、こちらがこちらの依頼者に連絡する際、依頼者に正確を期すために文書にするのだが、その手間もかけさせることである。

 こみいった内容で、くどくどと自分の主張を述べる弁護士もいるが、「書面にしてほしい」と言ってもこういう弁護士はしないのである。

 様々な意味で、相手方に対する連絡は基本は書面(ファックスがあるので郵送しなくとも早く相手に到達するし、空いた時間に読むことが出来る)ですべきだというのが私の考えである。

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2009年8月13日 (木)

電車を乗り過ごす

 電車を乗り過ごした経験はみなあるのではないだろうか。

 普通の時間に普通に寝ていて、「もう少ししたら降りる駅かな」と思って目が覚めて見たら、降りる駅でドアが閉まるところであった時、妙にそのドアがスローモーションのように見えたのを覚えている。
 最終電車で寝ていて野洲までいったこともある。

 この間は、本に集中しすぎていて、地下鉄を乗り過ごしてしまった。ひと駅で気づいて、すぐに反対側の地下鉄に乗ったので、大幅に事務所に入るのが遅れたことはないのだが。

 逆に、何かに集中していたり、寝ていて、自分が本来降りる駅よりも前の駅で「降りなければ」と勘違いしてしまい、降りてしまったこともある。
 座っていて席を立って降りようとして風景が違うことに気づいて、降りないのだが、そうした時は恥ずかしいので車両を変えたりしている。
 たまにこういうのは他の人も電車でしているのを見る。

 電車に乗っている間何もしないのはもったいないというのが私の感覚なのだが、あまり集中しすぎたり、爆睡してしまうと危険なのが電車である・・・。

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2009年8月12日 (水)

コンラッドの灰皿(M島君の結婚式、余談)

 披露宴の待合時間にコンラッド東京で葉巻を吸っていて、灰皿を見るとものすごく底が浅かった。
 裏返して見ると、十分な深さがあったので、「これは裏返してあるんやな」と思い裏返して葉巻を吸って灰を落としていた。

 しかし、他の皆はそのまま吸って浅い浅い底に灰を落としている。
 「ははあん。裏返すの分かってないな」と思っていると、ホテルの人がすっときて、私の灰皿を換えていったのだが、また灰皿は底の浅い状態であった。

 があああん。灰皿も東京ではこんなにおしゃれなのか。わかっていなかったのは私の方であった。田舎もん(正確には関西人なのだが)丸出しである。
 このままご使用くださいとか、赤色で書いておいて欲しいもんである。

 まるで初めての洋式トイレの使用方法がわからない旧日本人みたいである。

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2009年8月11日 (火)

M島君の結婚式後編

 M島君はサッカー部の合宿で奥さんとなるべき人に「こうしてプロポーズした」という話をしていたので、私は西村あさひ事務所のホームページを見てどんなすてきな女性かと見たのであるが、残念ながら「No Photo」であった。ううむ。残念。

 今日は実物が見られると思って、それは楽しみにしていたのであるが、披露宴前に撮影をしている二人を発見。ううむ。綺麗な人である。人柄も良さそうである。だいたい私は顔を見たら分かるのだ。ぺこりと挨拶をされる。なぜか照れる私。

 目的の大半は達成したのであるが、私の役柄が残っているため、帰る訳にもいかず、数人のサッカー部部員に席を替われと強要するが、いくら主将でもそればかりは出来ないようで、仕方なく主賓席へ。
 皆ものすごく頭が良さそうである。私はさほど頭はよくないと自覚しているので、その頭がいいオーラに圧倒される。服装も私から見ると洗練されている。さすが主賓席。

 披露宴が始まり、スポットライトを浴びて若い二人が入場。そして主賓席から二人が挨拶。挨拶がうまい。話に自信が満ちているようである。
 二人の話が終わり、乾杯の挨拶を頼まれていた私の番である。

 だいたい私はこんな正式な場で挨拶をするようなタイプの男ではないのである。しかもスポットライトを浴びている。せっかくホテルの照明が暗く、副会長になって太った為黒色スーツが着られず、ウエストを太くした紺色スーツでごまかしているのに、そんなにライトを浴びせられてはばれるではないか。ええい。

 たどたどしい私の挨拶に、会場からは失笑が漏れたのであるが、サッカー部員からは「よかった」と言ってもらえた。なんとか乾杯までこぎつけ、無事役をつとめられた(はず)。
 主賓にあるまじきたどたどしい挨拶に、主賓席でも失笑気味であったが、まあ私にこういう挨拶をさせるM島君が悪いのである。
 後はよどみなく披露宴はすすみ、横の席に座っておられた二人の方の気配りもありそりなりに話もさせてもらい(私の話はきっとつまらなかったであろうが)、すばらしい披露宴は三時間半ほどで終わったのであった。
 終電になんとか坊主頭のUっちーと乗り込み、二人でまたグリーン車で酒盛りをして帰ってきた。
 暑い暑い一日であった。
 

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2009年8月10日 (月)

M島君の結婚式前編

 京都は二つの事務所を交代で回るので、指導担当が二人いる。これからどうなるかはわからないが、今まではそうである。
 私が独立して数年後、それまで修習指導担当は10年以上ということになっていたのだが、修習生の人数が増えてきたため、10年目以内でも修習委員会の許可があれば指導担当が出来ることとなった。
私は特別希望したわけではないが、修習委員会の副委員長と親しかったためか、抜擢されて指導担当となった。
 そのとき来てくれた初代修習生がM島君とW野君である。

 M島君は西村あさひ事務所で頭角を現している優秀な若手弁護士になり、このほど、同僚の女性弁護士と結婚するということで結婚式に呼ばれた。
 最近、こうした時に呼ばれて困るのが、私自身は全く偉くなった訳でもなく、初めて会う人と面白おかしく話が出来るタイプでもなく(人見知りなんです。ボク。)、あらたまった場で話しをするのがとてつもなく苦手であるのに(宴会で馬鹿な話をするのは割合出来るのだが)、主賓席に座らされて、とてもとても偉い人の横に座らされたり、挨拶をされられるのである。

 たいていは、「主賓席にしんといて」「あいさつはなしでな。歌なら歌うけど。」といっておくのだが、先方も指導担当で、その後もサッカー部でつきあいがあるということになるとそういう訳にもいかないらしい。
 とても気が重いのだが、主賓席に座らされて、私のような人から見ればまぶしすぎる東京の渉外事務所で、一年で私の生涯賃金くらい稼ぐような先生と同席にされてしまい、その場にはそうした偉い偉い先生方が並んだのであった。
 私たちが普段参考にしている商法やM&Aの本を書いている側の先生たちで、まぶしすぎて視力が落ちるほどである。話し方も私などとは違い、大変自信に満ちている。
 私のような市井の町ベンがそんな華やかな席に座るということじたい、場にそぐわず、M島君を恨むのだが、M島君の都合もあるであろうから、主賓席に座った。
 サッカー部の面々からも、「主賓席はものすごいアウェイな感じですね」と言われる始末である。席を替わってくれるよう懇願するが、当たり前なことにそんなことは許されないのであった。
 つづく。

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2009年8月 7日 (金)

経験がないうちは

 経験がないのであるが、「弁護士はこうですよね」とか、「こう思うんです」という若手弁護士がたまにいる。
 こういう弁護士もキャラクターによっては、その生意気さが「かわいらしい」と思える人もいるのであるが、たいていはうっとおしがられる。

 そういう弁護士も数年すれば分かるのであるが、経験がないということはどうしようもないデメリットであり、数年して、自分が若い時に偉そうに言っていたことに冷や汗をかくのである。逆に、冷や汗をかかない輩はどうしようもないダメな弁護士であるといえる(たまに真実優秀な弁護士もいるかもしれないが、私はいまだそうした弁護士に出会ったことがない)。

 真剣に五年やった弁護士には、いくら優秀であっても1年やそこらの経験しかない弁護士はふつうはかなわない。五年を過ぎると、能力の差が出るような気もするが、そのあたりはあまり考えてみても仕方がないであろう。自分よりも優秀な人間は世の中にふつうはごまんといるし(私より優秀な人を数えた方がこの業界は早いであろう)、比較してどうこうする仕事でもない。

 あるいは、自信がないために語りたがっているのかもしれないが、そういう弁護士と話しをしても気分が悪いだけなので、私は話をしないことにしている。
 ある女性弁護士に言われたのだが、私は宴会でワイワイやっているように見えて、その実、気に入った人としか話をしていないですね、と言われたことがあった。
 見られている人には見られているもんであるなあ、とそのときは感心した。

 この稿に、取り立てて結論はないのだが、主張すべきは主張すべきだが、それは裏付けのある能力があってのことであり、周囲に能力を認めさせられないうちは黙っている方が無難ということであろう。能力は、本当にあるなら周囲が勝手にもり立ててくれるから、あまり自分からぺらぺらと話をしても仕方がない(私は自慢壁があると言われるので、自戒を込めて書いている。)。
 弁護士の社会もやはり先輩を立てる時は立てていくべきである。
 あと、かわいげがないと、だめであるが、かわいげばかりは生まれついてのものなので、どうしようもないところはあるであろう。

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2009年8月 6日 (木)

釣りの欲求

 時々、無性に釣りがしたくなる。
 中々暇がなくていけないが、太古の狩猟していた頃の本能というか、そういうものは誰しも持っているのではないか。
 珍しい虫を捕って興奮したり、より大きな魚を釣ってみたいというのは、たいていの男は持っているように思われる。
 これは私もそうである。

 司法試験を勉強していた頃は、時間はあったから、勉強にうっ屈してくると、時々竿を持って出かけた。自動車の運転に自信がないので(今もないのだが)、電車とパスで出かけた。
 ほとんど釣れないが渓流に行ったり、海に出かけて釣りをしていると、気持ちが晴れやかになるのである。釣れなくとも、自然の中に行くということもやはり必要なのであろう。

 相当偉い検察官になった同期で同学年で同じ刑事訴訟法蝉であったS井を無理矢理誘って海に行ったこともあった。無理矢理S井を早起きさせて、神戸の方の海に行ったのである。
 釣果は全然であった記憶である。その頃、釣り雑誌を見て、まず小魚を釣って、そのまま釣り上げずに泳がせて、その小魚をえさにしているより大きい魚をねらうという「飲ませ釣り」なるものにあこがれていて(なぜ憧れていたのかはもう忘れてしまったが)、それを「やろう」ということで無理矢理にS井とともに早朝から海に出かけたのであった。
 釣果は全然で、周囲の釣り人も平日であるのに来ているのはなぜか等々疑問はありつつも釣れていなかった。
 焦った私は早く釣らねばと思うばかりに周りを見ずに投げてしまい、S井の指を釣ってしまいけがをさせたりしてしまったが、S井はそういうことでは怒らないのであった。
S井の釣りの欲求があったのかどうか、あるいは私が強引に連れていったので「ヤレヤレ」ということでつきあってくれたのかは、未だに謎である。

 ともあれ、最近は釣りがしたくなると、琵琶湖に流れ込む自宅横の小さい川で釣りをしている。小さいがウグイやフナ、コイ、ブラックバス、ブルーギルが手軽に釣れて、多少は無聊を慰めてくれる。
 朝から晩まで、日に焼けて前のように釣りがしたいものである。

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2009年8月 5日 (水)

読書日記8月5日

「キラー・イン・ザ・レイン」レイモンド・チャンドラー。ハヤカワ文庫。
 チャンドラーの短編集の1。他でも訳されているが、新訳ということで購入した。
チャンドラーは短編・中編のプロットを使い、あるいは改編して長編に焼き直したことで知られる。後のマーロウものの原型がここにある。マーロウを主人公にしたものもあるが、これは元々はマーロウではなかったようである。
 横溝正史もこれをよくやっていて、昔はこういう小説作法は珍しくなかったようである。

「トライ・ザ・ガール」も読んだ。これは短編集の第2巻。「さらば愛しき女よ」の原型がトライザガールである。ただし長編になる時に、大幅に改編されている。
 マーロウが「金魚」という作品で登場しているのはうれしいが(これも元々はマーロウではなかったようである)、訳でマーロウが自分のことを「俺」といっているのはよくない。やはりマーロウは「私は・・・」で始まる、「私」という訳がふさわしい。
 やたらみんなウイスキーを飲むので、何となくウイスキーが飲みたくなってしまう。

「司馬遼太郎が考えたこと 7」司馬遼太郎。
 6巻が私の自宅の机の上で行方不明になったため(途中まで夜にちびちび読んでいたのだが)、7巻を読んだ。司馬のエッセイがさえ渡る。中では、山姥であると称して、夫と別れて一人で自宅を文字通り建てて、一人で出産をし、自らを「バンジン」と呼ぶ女性の逸話が印象的であった。そのような「バンジン」の彼女も、自らの息子を自らの所有物と考えていて、息子に恋人が出来たとたんに、精神に変調を来したという逸話である。
 明治までは成人した男子は公のものという思想があったのであるが、昨今の思想の変調に「バンジン」までが同化されられていたのかという司馬の嘆きなのかなんなのかわからないが、司馬が書きたかったことであろうかと思う。
 巻末のエッセイでは、司馬作品の限界というような第三者によるエッセイが掲載されているが、司馬の作品は小説であり、小説である以上、そこに作者の解釈や自由度が入ることは当たり前であるから、史実を前提にどう書くかというところに焦点を当てるべきではなかったろうかとも思ったりした。

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2009年8月 4日 (火)

不況の影響か・・・

 最近はたばこのように細く巻いた葉巻(キューバブランドのコヒーバのクラブという細いもの)を吸っているのだが(太い葉巻は中々吸う時間もないので)、この葉巻が最近葉が少ないのだと思うが、吸っていると持っているところがしなしなとなって、吸いにくい。

 少し前にキューバに大型の台風であったかハリケーンであったかが直撃して葉巻産業に大打撃というような記事を読んだような気がするのだが、そのため葉が少なく、こんな風になっているのかもしれない。
 あるいは昨今の世界的な不況の影響で、葉を少なくして、利益率を上げているのかもしれないが、吸っているうちにしなしなとなると、何となく気持ちもしなしなとなってくる。
 最後まで葉がしっかりと残っていて、吸い口がしっくりくるものがやはりありがたい。

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2009年8月 3日 (月)

汗臭い

 電車に乗っていたり、道を歩いていると、とてつもなく汗臭いにおいを感じる時がある。自分ではないかと思ってくんくんと臭うのだが、どうやら違う(はず)のである。

 汗臭いにおいをまき散らしながら歩いている人がいるということである。夏場に風呂に入らなかったりすると、とつてもなく汗臭くなるであろう(体臭が元々きつい人も体質的にいるではあろうが)。

 先日も歩いていると、あたり10数メートル四方が臭いことがあり、「何だろう」と思ってみると、それらしい人がてくてくと歩いていた。どう見てもしばらく風呂に入っていない感じである。

 それを見て、宮本武蔵は生涯風呂に入らなかったという説があるが、これは嘘であろうと思った。風呂に入らない習慣の民族もいるが、それはたいてい空気が乾燥している地帯の民族なのである。日本のように高温多湿な国で、風呂に入らず過ごすというのは、いかに武蔵でも無理であったろう。
 武蔵は放浪の旅をしていた一方、各地でその地その地の高名な大名のところに寄宿していたりしていたのであり、あまりにもむさ苦しい格好をしていては大名の席にはべることも出来なかったであろうからである。
 武蔵は晩年、細川忠利というよき理解者を得て、充実した時間を過ごすことが出来るのであるが、忠利は武蔵よりも先に死んだから、晩年に至り武蔵が始めて得た心の知己である忠利の死後、風呂にも入らずむさ苦しい格好でうろついていたので、そのような伝説が出来たのではないかという説を何かの本で読んだ記憶があるが、何の本であったか思い出せない。

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