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2009年9月29日 (火)

読書日記9月29日

 「余話として」(文春文庫、司馬遼太郎)。
 司馬遼太郎の歴史エッセイ集。
 おもしろかったのが、「アメリカの剣客(タイガー・モリ)」、「村の心中」「要らざる金六」「千葉の灸」。
 龍馬に恋していた千葉道場の千葉さな子は、明治時代になって、落剥して灸を据えることで暮らしていた。私自身は千葉さな子と龍馬の間には男女の関係があった(龍馬というのはそのあたりいい加減なところがある男だったと思うのだが)と考えているのであるが、千葉さな子は、明治維新の後、「自分は坂本龍馬の妻であった」として独身を通した。
 実際のところは龍馬には京都におりょうという妻がいて、新婚旅行までしているのであるが、さな子にそう思わせるだけの関係はあったのではなかろうかと考えているのである。
 明治後は龍馬は忘れられた存在になり、龍馬がクローズアップされたのは司馬が「竜馬がいく」を書いてからである。坂本龍馬の妻でしたといっても全く知名度がなかったのである。明治を作るために死んだあまたの志士たちが見直されるのは実際のところ昭和に入ってからであり、明治時代は顧みられることもなかったようである。
 さな子は、死語、その墓には「坂本龍馬の妻」として墓石に刻印されたことで司馬はエッセイを終わっている。

 「猫大名」中公文庫。神坂次郎。
 史実に基づいた作品で、全く有名でもなければ歴史に何らかの大きい働きをした訳でもないわずか120石の大名(これでも江戸時代の大名なのである。ただし、家格は高く、新田源氏の嫡流ということで、諸大名の中でも老中に次ぐ席次)の明治維新を描いた作品。
 これはおもしろい。こうした大名が存在したこともそうであるし、なぜ、表題が「猫」大名なのかもおもしろい。別に殿様が猫に似ていたとかいうことではない。
 読んでみてのお楽しみである。

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