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2009年11月30日 (月)

全国法曹サッカー大会その1

 この土日は滋賀県のビックレイクにて、神戸チームが主催して全国法曹サッカー大会が行われた。
 木曜日の夜は近弁連前夜懇親会で、司会をして疲れ、金曜日は終日近弁連大会で出席してこれまた疲れた状態での出場であった。

 京都チームは例年通りマスターズチーム(比較的年齢層が高いチーム)とヤングチーム(比較的年齢層が若いチーム。こっちの方が走れるしうまい)の2チームで出場した。
 初戦は名古屋との対戦。名古屋チームには名古屋大学3年生が登録しており、始まる前から反則であるという声が各チームからあがっていたが、名古屋チームとしては、「普段から練習に参加している」ということで批判の声もあったが出場させていた。
 結果は6対0で敗戦。大学生に得点を重ねられた。
 考えたら私は39歳で、3回生ということは21とか20歳であり、ほぼ倍である。そりゃ勝てる訳がない。
 ただ、初戦で選手が硬く、連携もいまいちで、2戦目以降の反省材料となった。
 後半に私もフォワードとして出場した。
 9月に左膝半月板一部損傷、前十字靱帯一部損傷という怪我をして、2ヶ月半ぶりの実戦である。ボールを蹴ったり、河原を走ったりはしていたが、試合で走れるかどうか・・・。
 しかし、思ったよりも走れ、何度かチャンスメイクもしたが、得点には至らなかった。
 何となく釈然としない敗戦である。
 出場チームが多いため、初戦に負けると上位はねらえないのである。とりあえず、上を目指すこととした。

 次に、ヤングチームはフォワード二人に大型かつ巧みかつ速いを擁し、中盤、バックともタレント的にはすべてのチームで随一であると言われている。
 初戦は福岡。福岡は、ベルディのユースに居た選手がおり、この選手もうまくて速い。
 しかし、この選手が左から仕掛けてくるのを、京都チーム随一の俊足右サイドバックの飯田選手がすべて止めて、フォワードの小沼選手がドリブルでゴール前に切れ込み、左足でゴール右隅にキーパーの逆をついてけり込んで1対0で勝利した。幸先よい勝利である。

 我々の2試合目は九州選抜。福岡チームと九州選抜はほぼ一体であり、九州選抜は先ほどのヤングチームによる敗戦に対してリベンジに燃えているであろう。
 一進一退の攻防。若い選手も何名かおり、相当手強い。
 しかし、終了間際、新戦力の新63期の高山選手のボレーシュートが決まり1対0で勝利した。これで各リーグの三位リーグに出場が決まった。

 その後、ヤングチームは優勝候補といわれている横浜1と対戦(昨年の優勝チーム)。
 京都のスーパーフォワード山田選手のループシュートで先制するも、相手の「入ればもうけもの」とでもいうべきミドルシュートがたまたま風で押し戻されてゴールの枠に入るなど不運な得点で3対1と敗戦した。しかし、リーグの組み合わせで、次の試合に勝てば、優勝は出来るのである。ヤングの次の相手は東京マスターズチーム。是非とも勝って欲しい。

 その前にマスターズチームは3試合目があった。これに勝てば、出場チーム17チーム中、11位以内が確定する。対戦相手は広島。
 広島も新戦力を補充しており、静岡に3対0と勝利していて強敵である。
 是非とも勝って、11以内を確定しておきたいところであるが・・・。

 つづく。

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2009年11月27日 (金)

アホな弁護士

 威勢だけはいいが、法律も知らず、事実関係の確認もせず、また、目の前にいる依頼者が嘘をついているかもしれないのに、こちらに偉そうにいう弁護士がたまにいるが、本気で偉そうに言っているのだとすれば救いようのないバカだし、はったりでやっているのだとすれば、はったりだけでまかり通るほど弁護士の世界は甘くないのである。

 先日、アホな弁護士と電話で話をすることがあり、頭にも来たが、大変疲れた。話が通じないのである。
 腹を立てるのもばかばかしくなってくるような相手なのである。
 まあ、だいたい上から目線で偉そうにいう人に限ってろくでもないのである。私のボスなど誰に対しても偉そうにしなかった。
 
 そういう弁護士にならないように気をつけるほかないが、ある程度年齢がいってくると、やり方が固定化して、そのようになりがちであるし、「自分は正しい」と思い込んでいるような場合には救いようがない。
 かわいそうなのは、そのようなアホ弁護士に依頼した相手方の依頼者であるが、こちらとしても、事件が進まないので困り果てる。
 どういう頭の構造をしているのか、理解に苦しむのである。

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2009年11月26日 (木)

通勤電車でゲーム

 最近ニンテンドーDSやPSPで携帯ゲームをしている電車通勤客がいるが、あれは目は悪くならないのであろうか。
 通勤電車でゲームというのは日本人だけではないかとも思ったりする。
 学生だけではなく、スーツ姿のサラリーマンがよく携帯ゲームをしている。

 ビジネス雑誌などでは、通勤電車で英語など勉強すべきだとか書いているのと比較すると携帯ゲームというのはいかにも時間が無駄なように思える。

 私は英語は今のところ勉強することをあきらめているので、もっぱら本を読んでいることは前にも書いたが、読書くらいはした方がいいのではないかと思う。
 1日行き帰り片道15分ずつでも、30分になり、月曜日から金曜日で2時間半になる。1年ではすごい時間である。
 5年、10年ではもっとすごい時間である。
 もちろん、ゲームもストレス発散にはなると私は思うのであるが、通勤電車でやるようなものなのかは疑問なのである。

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2009年11月25日 (水)

持ち味の違い

 人柄がそれぞれであることから、弁護士もすべての依頼者と合う訳ではない。
 私のボスはよく、これを「持ち味の違い」と言っていた。
 何でもぴしぴしとはっきり説明して明快に進める弁護士でないと困るという依頼者もいれば、逆にあんまりぴしぴし言われるのがいやだという人もいる。ぴしぱしいうのではなく、時間をかけてゆったりと事件を解決していくタイプの弁護士もやはりいる。

 時間が解決してくれるわタイプとでもいうのであろうか。

 得意な分野も人それぞれである。
 和解に持ち込むのがうまい人、また和解に持ち込んで自分に有利に持って行くのがうまい人、難しい依頼者に対して心を掴んで事件を解決する能力に長けた人、和解は苦手だが、理論的な事件で書面を書かせたり、尋問をさせたりするのがうまい人等々。

 気の短い、長いもある。私は仕事中は意外に気が長いのだが、周囲からは割とそうは見られていない。
 ただ、気が長いというのは漫然と待つのではなく、様々なことをしつつ、結果が出なくてもあきらめず、またさらにいろいろな展開を考えるということであり、単に待つのが平気というものではない。

 弁護士の中には、単に待って、周囲がしびれを切らして解決するのを待つというタイプもいるが・・・・。

 いずれにせよ、持ち味は違うのであり、ある弁護士にあこがれたからと言って、全く同じにはなれない。話し方などが似てくる発想が似てくることはあっても、基本的な持ち味はやはり人それぞれで、その持ち味をそれぞれが生かしていくほかないのだろうと思っている。

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2009年11月24日 (火)

読書日記11月24日

「徳川家康 トクチョンカガン」(上)(下)実業之日本社。荒山徹。
 徳川家康が影武者であり、関ヶ原で死んでいたという仮説のもとに書かれた名作といえば隆慶一郎の「影武者徳川家康」だが、その仮説をもとに、ただし影武者が朝鮮から連れて来られた僧であるという設定で書かれた作品。
 きわめて無理のある設定であるが、伝記小説かつ隆慶一郎の後塵を拝しているということを理解しつつ書かれた作品であるので、まあそこを我慢して読めば読めなくもない程度の作品であった。

「司馬遼太郎が考えたこと 8」新潮文庫。司馬遼太郎。
 この三連休は体調があまりすぐれず、ごろ寝してばかりであったが、そのときに読んでいた。
 播磨灘物語や翔ぶが如くを書いていた頃のエッセイで、田中角栄を痛烈に批判したエッセイもある。
 中国に対する味方は元々司馬が中国好きなので相当甘いところがあるが、これは当時の状況からすれば致し方のないところだと思う。

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2009年11月23日 (月)

根来

 司馬遼太郎が考えていたことの8巻を今読んでいるが、その中で、紀州の根来衆の話を書いたくだりがある。
 根来衆というのは、戦国時代の紀伊(和歌山)の根来の傭兵のことで、鉄砲で武装した集団であり、種子島から鉄砲を本州に伝え、工夫して大量に生産をし、これを戦国大名に売り、その利益でもってさらに鉄砲で武装をした集団のことをいう。
 そもそも根来という姓は戦国時代の頃にはなく、現在根来と名乗っている人は、根来にゆかりのある人かなにかであるということも書かれている。

 その中で、熊取あたりに「中」という豪族がおり、南北朝時代に南朝について戦い、戦国時代の頃「小左次」という者が実家の富裕さもあり、根来の幹部になっていたが、秀吉の攻撃に遭い離散し、浜松の徳川家康に仕えたところ、「元は根来に居た」という理由で根来という姓にあらためたというくだりが出ている。
 中というのは姓名辞典で見ると、和歌山あたりの豪族の姓だということであり、私の父親が和歌山で、父親が母親と結婚した頃父親の実家は見渡す限りの田畑を持っていたそうであり(母親はその時父親が金持ちだと思って喜んだそうであるが、田畑をいくら持っていても現金収入はないので、あのときだまされただまされたと私に恨み節のようにいうのである)、それだけ土地を有しているということはそれなりの家系ではなかったかと思ったりして、私自身が豪族の中家の末裔であれば、私の愛読する司馬遼太郎のエッセイの中に少しでも自分の先祖が出ていることになり、ただ素直にうれしいのだが、実際のところは過去帳を見た訳でもないのでわからない。

 母親の先祖の方は四国か何かで鉄砲の指南役をしていたということであり、母の父は日露戦争に従軍したとも聞いていたが、成人して考えるとどうも祖父の年齢からすると日露戦争に従軍出来たかどうかというと年齢が合わないような気もしている。

 結論めいたこともないが、昔は姓は主君のお声掛かりや、本人の考えで変えられたし、土地の名前を姓とするようになったり、戦国時代に出来たにわか大名は、みな江戸幕府に系図を出すのに系図を適当にねつ造したというような話からすると、先祖などどうでもいいではないかという気にもさせられることもあるが、まあ本の中に自分とつながりがあるかもしれない先祖の姓を見て、あれこれと想像をめぐらせるのはそれはそれで楽しいともいえる。

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2009年11月20日 (金)

男前は得である

 テレビで、小泉元首相の息子さんの小泉進次郎議員の質問風景が報道されていた。
 40~60台の女性議員がでれでれである。
 男前は得である。

 可愛かったり、美人な女性にオジサンがメロメロになっていることもよくあるが、若くて(若くなくてもいいかもしれないが)かっこいい男性には女性もだいたいメロメロになるのであろうか。

 男前はいいなあ。
  まあもちろん小泉進次郎議員は顔だけではないのも質疑応答を聞いていたらわかったが。頭も切れそうである。
 同じ頭がいいなら、男前の方がいいなあ。

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2009年11月19日 (木)

交渉と権利

 法律相談をしていると、交渉と権利を間違えている人にたまに出会う。
 自分はこれこれこういうことをしたいのだが、相手がいうことを聞かないので不当だということで怒ってこられるのである。

 交渉は相手のある話なので、相手がいうことを聞かなければどうしようもない。もちろん、様々な条件闘争やプレッシャーをかけてまとまるようにするということはあり得ても、最後に相手がそれを呑むかどうかは相手の裁量である。

 不動産をどうしても買いたいというときに、相手が売ってくれないからと言って、訴訟には出来ないのである。

 いったん契約をして、事情が変わった為にその条件を変えて欲しいが、相手がいうことを聞かないのは違法で許せないというのも、基本的には通らない主張なのである。事情変更の原則といって、事情が変わったので一定の制限を裁判所がかけてくれることもあるが、これは極めてレアなケースである。

 権利の方は、相手がいうことを聞かなければ、法的手続に訴えることが出来る点で大きく異なるのである。
 人にお金を貸して、どうしても返してくれない場合には、貸金返還請求訴訟が出来る、というような話である。
 ただ、これはあくまで法的手続を取れるということにとどまり、実際に回収出来るかどうかはまた別物ではある。

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2009年11月18日 (水)

出欠の返事を出しておくれ

 副会長をしていて困るのが、弁護士会の総会など定足数(一定の人数が揃わないと開会じたいが出来ず、揃わない場合流会となってしまうのだ)があるような場合で、全然出欠の返事を返してくれない弁護士があまりにも多いことである。

 そのため、先日は電話かけをしたのだが、「その日だめやから返事出さなかった」と言われることがしばしばで、こちらとしてはそれで欠席と出しておいてくれさえすれば、わざわざ電話しなくて済んだのである。
 副会長などをすれば分かるのだが、ただでさえ多忙な副会長の仕事をさらに増やすことになる。
 定足数が揃わなければ、開会じたい出来ないのは弁護士会会員であれば知っているはずであるのに、返事すら出さないというのはどうであろう。
 私はなるべく返事は出すようにしている。
 書類が来た時にすばやく返事を出すのがポイントである。

 後でしようとしていると、放置して忘れるのである。
 どうしてもその時出来ない場合は、ゴミ箱行きの書類と、後ですぐに返事を出すものと、少し検討が必要なものとの3分類くらいに分けて処理している。

 総会じたいは私が説明したものに対しては何の質疑応答もなくすんなり決まったので疲れなかったが、定足数確保に相当苦労して疲れてしまったのであった。

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2009年11月17日 (火)

法律事務所の事務員さんの応対

 これは物凄く重要で、電話をかけてまず出るのは普通は事務員さんである。
  電話をかけた事務員さんの印象が暗かったり、失礼だと「なんちゅう事務所じゃ」ということになり、事務員教育が出来ていない事務所だということになり、悪印象を持たれる。

 「弁護士の●●ですが、●●先生いらっしゃいますか。」と聞いた時に、明るい声で、「お世話になっております。」とか「こんにちわ」とか言われると気持ちがいいが、「(ハァ?お前誰やねん。聞いたこともない名前の弁護士やな的に)はぁい・・・」とけげんに言われると、それだけでムカッとくる。

 次にムカッと来るのは、「どのようなご用件でしたでしょうか」と聞かれることである。弁護士同士がかけているのであり、セールスマンがかけてきている訳ではないのである。
 それは直接そちらの弁護士に言うのであるから、ほっといてくれという気になる。

 保留されて、物凄く待たされる時もあるが、あまりに長く保留するのは失礼の極みである。
 要件を聞かれて、伝えてしばらくすると、弁護士がいるにも関わらず、「●●と言っております」という事務所もあるが、これまた失礼の極みである。
 ことに、当該弁護士が期が下の弁護士であったりすると、先輩弁護士に対する態度がなっていないではないかということでさらにムカッとくる。これは事務員さんというよりもその弁護士に対するイライラであるが。

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2009年11月16日 (月)

読書日記11月16日

「真田幸村」(上)(下)人物文庫。海音寺潮五郎。
 未完の長編小説であり、織田信長が滅んで、信州が上杉、北条、徳川の分け取り地となった頃の真田家を書いている。
 海音寺潮五郎は、後に続きを書くつもりがあったようだが、西郷隆盛を書いているうちに死期が来てしまったのである。
 歴史小説好きで海音寺潮五郎の作品を読まないで何が歴史好きかと思うのだが、この作品も未完ではあるが、海音寺の軽妙な文体と、徹底した調査のもとに描かれている。
 出来得れば、海音寺の描く上田城をめぐる徳川家との攻防、関ヶ原の時の上田城の攻防、大阪の陣における幸村の勇姿を読みたかったと切に思うのである。

「哄う合戦屋」北沢秋、双葉社。
 読売新聞で広告が出ていたので気になって和歌山の人権大会に行った時に和歌山の本屋で購入。
 内容はとてつもなく失望させられるものだった。
 何が描きたいのか分からないし、人物描写も出来ていないし、主人公の夢が唐突過ぎて、「何で?」ということにしかならない。
 これを読んでよかったと言っている人の気がしれない。
 日本人の読書能力が落ちているといわれているので、昨今の作品には読みやすさだけが求められているのかもしれないなどと思ったりしてしまった・・・。海音寺や司馬、津本陽作品を読んでいる人にとっては取るに足りない物語でしかない。

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2009年11月13日 (金)

職業

 今弁護士をしているが、小さい頃の夢は野球選手だった。
 しかし、リトルリーグに行っても監督の言っていることが気にくわないと思って一回で辞めて帰ってくるような子どもに野球は向いていないことは当然である。

 その後は漫画家になりたかった。まあ単に漫画が好きだったからである。
 少年サンデーに小学生の時に30ページくらいの漫画を書いて、一次予選を通過したこともある。
 しかし、これも描いているうちに、自分には漫画家の才能はないと感じだした。
 細かい作業に気持ちが続かないのである。

 その後小説家になりたいと思ったりもしたが、これまた細かい描写に気持ちが続かない。
 これは生来の私のずぼらな性格のためであろう。

 その後は将来何になろうと思うこともなく、とりあえず進学高校に入り、高校の先生に、「中君は法学部が向いているよ。京都大学を目指せる」といわれて「そんなものか」と思い、勉強したら京都大学法学部に合格してしまった。サンマの頭も信心というが・・・。

 法学部に入ってもあまり法曹になる気もなく、周囲で試験勉強をしているという人を尻目に「将来どうしようか」「それなりの企業に入るんだろうな」程度の気持ちであった。

 三回生の夏頃、実はあと半年で職業を決めないといけないというところであわて出して、様々な中から、「実は法曹はいいのでは」と思い出した経緯は前にどこかで書いたと思うが、弁護士という職業に思い入れを持って始めたのではなかったが、その後様々な事件や人に出会うことで、今では弁護士が天職だと思っている。当時、銀行に既に就職した先輩たちから引き合いがあったことを記憶していて、人間なので正直心が揺れたこともあった。様々な企業から来る採用の案内を深夜じっと見つめていたこともある。

 うまく天職に出会えたことは幸せだが、そういう出会いも本当に偶然の重なりなのだと思うと、感慨深いものがある。

 高校の先生(今は東大寺学園の校長をされている)が「経済学部」といっていたらたぶん経済学部に入っていたであろう。
 京都大学ではなく、大阪大学といわれていたら、自分の学力は大阪大学だと思ってそこへ向けて勉強していたであろう。
 また、就職前にあの時にふと悩まなければ、勉強もしなかったであろう。
 なるべくしてなった人に比べると、成り行きでこうなっているのが気恥ずかしいのだが、まあそんな男でも一応それなりにはやれているし、逆に「弁護士かくあるべし」というのがないので肩から力が抜けていていいと思うこともないではない。

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2009年11月12日 (木)

ゴン中山・・・

 悲しい。
 ジュビロ磐田からゴン中山が去る。
 昨年大幅な年俸カットにも関わらずジュビロに残留した中山選手だが、来期構想外となり、スタッフとしての残留を要請されだか、現役続行にこだわり、これを断り新たな天地を探すというのである。

 ジュビロファンは今年で終わりである。
  中山選手がJ1かJ2で契約が出来ることを心から祈る。
  中山さんほどの知名度と実績があれば、引退してもテレビでもひっぱりだこであろうし、引退した方がむしろ収入はよくなるとも思える。
  しかし、そこで現役続行にこだわるところが中山さんの中山さんたるゆえんである。
 そういうところがまた好きなのだ。
 最後まで諦めない。
 闘志あふれるプレー。
 中山さんは、「まだまだサッカーがうまくなりたい」と言っていると聞いた。
 42歳になり、その中で現役でいるために、日常のフィジカルトレーニングは想像を絶するハードなものだとも聞いたことがある。
 私は中山さんに勇気を貰えた。
 諦めてはいけないのである。
 頑張って欲しい。中山さん!!!

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2009年11月11日 (水)

よゐこ部

 先日、たまたまテレビをつけたらやっていた。今まで何回か見たことがあるのだが、TBSの深夜にやっている番組である。
 様々な部活動によゐことTBSの女子アナウンサーが挑戦するというものである。
 その日は生物部をしていたのであるが、生物部では大阪城に住む244種類(くらいだったと思う)の図鑑を作るということでやっている。
 巨大コイを図鑑に収めたいということで、徹夜で寝屋川と旧淀川が合流するところあたり(大阪城からもすぐ)でロケをしていた。

 ボラの稚魚を網ですくったり、フナを釣ったりしていたが、夜明け頃に69センチと70センチのコイを釣り上げていて、巨コイを釣りに行きたかった少年の頃を思い出した。
 私の知人のY弁護士は、「コイは顔が主張しているから怖い」と言っていたが・・。
 とはいえ副会長の身では中々いけないので(美容室にすらなかなかいけない)、巨大なコイを釣る雑誌を買ってぺらぺらとめくっている。
 1メートルを超えるコイは確かに怖い。
 水中で出会ったら息が止まるであろう。
 東南アジアに行くと2メートルくらいは楽にいるということであるので、そんなのは想像も出来ない。

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2009年11月10日 (火)

愚痴の効用

 事件で煮詰まることもあるが、そうした時一人で考えてばかりいると、精神的に参ってしまうし、実際に法律家で精神を病んだという人の話はよく聞く。

 解決しなくとも、愚痴をこぼして、誰かにそれを聞いてもらうだけで、なんとなくすっきりすることは皆さんご存じかと思う。
 私も勤務弁護士や事務員、同僚の弁護士によく愚痴をこぼしている。
 一人で抱え込むのがもっともよくないと思うのである。

 もっとも、いつも愚痴をいってばかりいると、そのうち取り合ってもらえなくなるが・・・。

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2009年11月 9日 (月)

実践が重要

 本を何冊読んでも、知識があっても、実践にはかなわないというのが私の持論である。
 研修会や本で調べ物をするのはそれはしないよりは当然いいであろうが、やはり実際の事件をしないことには成長はしないと思うのである。

 あと、事件の進行や解決にそれほど違いがある訳ではないから、ある種の事件をするのが初めてでも、その他の事件で培った経験は必ず役立つのである。
 特に法廷での切り返しや、相手の弱点をつくとかというのは、ある程度の経験が必要であるが、こればかりは実践をしないと身につかない。

 もう一つの注意は、我流での経験もよくないということである。自分ではこれで出来ていると思っていても、端から見ると全くということもある。いいボス弁のところに入り、ボス弁から、実践をして指導を受けて、さらに研修や本でも勉強するということでないと中々成長しないのである。

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2009年11月 6日 (金)

スティーブンス症候群

 薬の副作用でなる症状で、粘膜という粘膜がただれ、肺呼吸も出来なくなり、ひどい場合には死亡することがある。
 市販の風邪薬にも、小さい字で、そういう症状が出ることがあるので、使用にはご注意をと書いてある。相談で手がけたことがあるので、関係する図書を購入したのだが、人間の皮膚が薬の副作用によって焼けただれるのだということが恐ろしく思える。

 日本人は薬好きで、蘭学が入る前のように煎じ薬のような感覚で西洋薬を飲むが、西洋薬は体にとっても劇薬であり、表題のような副作用を及ぼすこともあるのである。
 人間の体は未知の領域であり、医学によって解明されているのはわずかなものだということを思わねばならないと思うのである。
 そうしなければ、とてつもないしっぺ返しがくるような気がしているが、どんなものであろう。

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2009年11月 5日 (木)

リップクリーム

 よくリップクリームを人前で塗っている男性がいるが、私は唇が荒れに荒れていても、リップクリームは塗らないことにしている。
 まず第一に、あの油でぎとぎとした感じがいやである。もちろん塗っても何も塗っていないような感じのリップクリームなど効用もないであろうから、私はリップクリームが塗れない人なのである。
 あとは何となく塗る仕草がいやなのである。
 若い男性ならまだ見栄えもするかもしれないが、40歳前後の男性が塗っているのはあまりぱっとしないのである。
 唇が荒れる冬が近づいてきた。
 たとえ唇が荒れて血を流していても、リップクリームは塗らないのだ。

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2009年11月 4日 (水)

気持ちのいい女子高校生

 私は駅までは晴れている時は自転車で行くのであるが、自転車置き場の係の人は挨拶をしてくれる。
 私は中に自転車を置いて、出て行くときに「お願いしま~す」と暗いぼそっとした声でいうくらいの返事である。
 帰りの時は、自転車置き場から出て行くときに「さいなら~」とこれまた暗くぼそっとした声で言って出て行く。
 挨拶をはきはきすることも40歳近くになるとなにやら照れくさいのである。

 近くに高校もあるので、高校生も自転車を置いているのであるが、クラブをやっているためであろうか、はきはきと大きい声で、「おはようございます。」と言っていた女子高生の集団があった。
 その後も時々見かける。
 自分ではとうてい出来ない挨拶であるが、見ていてとても気持ちがいいものである。
 挨拶はやはり基本であるなあと思うのである。

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2009年11月 3日 (火)

読書日記11月3日

「海流の中の島々」(上)(下)ヘミングウェィ、新潮文庫。新装版。
 ヘミングウェィの自叙伝的小説。ある程度前に執筆していたようだが、ヘミングウェィはなぜか世に出そうとしなかったのを、遺族が公開したのである。老人と海はこの物語の副産物に過ぎなかったというふれこみであるが、そのあたりはヘミングウェィに聞かないと分からないであろう。勝手な決めつけかもしれない。
 主人公はパパ・ダイキリ(ラム・ベースのカクテルダイキリから砂糖を抜いて、ラムの量を二倍にしたカクテル)を数十杯飲むような酒豪であるところや、猫と犬と暮らしているところ、描かれる情景がキューバなどであることなど、ヘミングウェィを思い起こしながら読むことになる。
 ヘミングウェィはこれまでにいくつか読んでいるが、やはり遺稿ということもあり完成度という意味では今ひとつの感がある。

「剣鬼」新潮文庫。柴田錬三郎。
 時代小説の大家である柴錬が描く剣豪小説。
 年老いたことを悟った一刀流の始祖である伊藤一刀斎は、剣の流派の跡継ぎを決めるため、一刀斎の二人の弟子である御子神典膳(後に徳川家の剣法指南番となった小野忠明)と、善鬼との死闘を描いた「大峰ノ善鬼」、三十三間堂の通し矢に挑んだ男の悲劇和描いた「通し矢勘三」ほか6編。
 通し矢勘三に出てきて(もちろん架空の人物であろうが)、惚れた男の思いを遂げさせるためにすべてをなげうち、最後には女郎あがりのために国元に一緒には帰れず、身を引いていくお千という女性がけなげである。最近の結婚をちらつかせてお金をだまし取ったような話とはかけ離れている。

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2009年11月 2日 (月)

道の真ん中でぼうっと立っているヤツ

 道を歩いていると、表題のようなヤツがたまにいる。
 はっきりいってじゃまである。考え事をしているのか何なのかわからないのだが、じゃまこの上ない。
 こういう人は自分の行動が他人にどう影響するかということを顧みないのである。

 同種の人物として、改札口で突然立ち止まって後ろに並んでいるのにごそごそと鞄を探し出す人もいる。定期なんぞ改札口に行くまでに出しておくべきものであるし、仮にそれを出すのを忘れたのであれば列から離れてお先に行ってください、というべきであろう。

 弁護士という仕事をしていると、こうした自分本位のかたまりのような依頼者や相手方に出会うことがある。
 自分の方の問題点は棚にあげて、自分の主張は正しいとして、それを前提にしかものを考えないのである。そうであるので議論がかみ合わない。
 どうしてそこまで自己中心的になれるのかが不思議である。
 ある程度自己中心的でないと生きていけないが、程度が過ぎるとどうしようもない。

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