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2009年12月28日 (月)

今年も仕事納め

 私の事務所も今日で仕事納めである。ここ一年を振り返り、自分がどうであったかなど、一年の最終日にはいろいろと思うところもある。

 仕事に関しては、弁護士会の会務に時間を取られて、見事なまでに出来なかった。もちろん、ポイントポイントでは指示や相談をしているが、中には自分でやりたい事件もある(決して選り好みしている訳ではなく、基本的に私は何でもやるのだが)。

 副会長職をして太り、筋トレをすることもさぼった為か、この土曜日には大阪チームと合同で練習をしたが、打てたはずのシュート、ゴール前への入り方等々、歳のせいばかりにも出来ない自分が情けなく思う一日であった。ゴン中山選手も札幌に移籍が決まり、「まだまだうまくなりたい」と言っておられるように、歳をとってもサッカーはやりようによってはうまくなるのではないかと思ったりもしている。

 読書の時間は通勤時間があるので確保出来たと思うが、もっともっと本を読みたい欲求がある。気持ち的には今年の三倍くらい毎年読みたいが、それは時間が許さないであろう。

 来年は40歳になる。孔子によれば不惑ということになるのであろうが、聖人ではない私は日々惑うことばかりである。

 このブログを読んでいただいている皆さんをはじめ、それぞれにとって、来年がいい年になりますよう。
 それでは、良いお年を。

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2009年12月25日 (金)

人間はないものねだり

 人間はないものねだりである。どのような環境におかれても、充足することはなく、変化を求めていることが多い。特に日本人にその傾向が強いのではないか。

 私なども、仕事が忙しい時は、「仕事が減るといいのに」と思うし、仕事がない時は、「なんで仕事が来ないのか」と思う。
 今は副会長をしている都合で、弁護士会の仕事が中心で(仕事の8割は弁護士会関係の仕事である)、事件がしたくて仕方がない。事件があるということは、紛争がそこにあるということで、紛争を求めるように思われてはつらいのだが、紛争は人の世から消えることはないであろうし、だからこそ弁護士という仕事があるので、事件は起こるのである。
 今は事件が来て全部したいと思っても、どうしても時間がないため事務所の二人に頼んでしまっている。ポイントポイントは見るのだが、やはり自分でやりたい気持ちも多々あるのである。
 これが実際にやり出すと、どのように愚痴をいうか分からないのだが。

 あと副会長の仕事もほぼ三ヶ月。周囲からは「あと少し」と言われるが、本人の意識の中では、まだまだ先は長い。
 一説には、副会長が終わると、しばらく放心状態になって仕事がまともに出来ないとも言われているが、そうならないようにしたいものである。
 がんばろう。

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2009年12月24日 (木)

共同受任はしてみたが・・・

 他の事務所の弁護士と、共同で事件を受けることがある。
 こちらから依頼する場合(私の事務所の多忙がもっとも多い理由であるが、それほどある訳ではない。特に今は弁護士が三名いるので。)はともかく、他の事務所からの共同受任依頼は気をつけないといけないことがある。

 実際に事件を進めてみると、もう一方の弁護士は全く仕事をせず、依頼者への連絡、書面の作成、事件の方向性等、すべてこちらがやらないといけないことがある。このような場合は、それなりにお金にはなるが、自分では出来ないし、他の弁護士と共同受任することによって、半分費用をもらおうという魂胆のことが多いように思われる。私はそのような例はあまりないが、周囲ではまま聞く話である。
 私が共同受任している事件では、分担がしっかり双方で決まっていて、双方事件について考えてきて議論をして解決に導いている事件が多い。
 費用を半分取りたい人は、事件が解決して何もしていなくとも、報酬はきちんと半分取ったりするのである。
 やはり人間ズボラになってはいけないであろう。

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2009年12月23日 (水)

無料法律相談その2

 無料法律相談の続き。
 無料法律相談に限らないが、相談場所によっては、隣で他の弁護士が相談しているケースがあり、個室でないため、相談内容が聞こえてしまうことがある。
 こちらも相談をしていたら声がかぶってあまり聞こえないが、中には暇な無料法律相談場所もないではないので、そうした時に、隣のアドバイスが聞こえてくることがある。
 普段偉そうに言っている人が、適当なアドバイスしかせず、適当に流して帰していたり、間違ったことを教えているケース(これは、弁護過誤になりうるので、何回か区役所の人を通じて横の弁護士を呼んでもらい、訂正してあげたこともあったが)、相談者を最初から最後まで叱りとばしているケース等々、驚くべき弁護士が居たこともある。

 法律相談は何がくるか分からないので、それなりに事件で経験を積んでからでないと、本当は怖いのである。何回かその場で答えが出せず、ご本人と役所の了解を得て事務所で調査し、手紙を送ったこともあったほどである。
 最近の若手弁護士は過払いでそれなりに売り上げが上がるため、妙な自信を持っている弁護士が見受けられるが、過払い訴訟はマニュアル通りにやりさえすればどうにかなる事件の典型であり、本当は千差万別な事件をどう解決していくかということが重要なのであり、そこから生まれる自信が本当の自信である(過信であることもあるが)。法律相談は、そういう意味では、何も経験がない状態で行くというのは、実は本当は怖いことなのであるということが、後に私もわかったのである。

 丁寧に相談をしていても、答えが気に入らないとしてキレてしまった人もいるし(どうしようもないことをどうにかしろと言われても弁護士は万能ではない)、自らが資料を持っていない為、仮定的に答えると、「満足な答えも出せないのか」とキレる人もいる。
 もちろん精神障害を抱えていて、あり得ない被害妄想を抱いている人もいる。
 これらをわずか15~20分で解決していくというのは実はものすごいテクニックと経験が必要である。
 若手弁護士が自信があるようなことを言っているのを聞くと、正直片腹痛い気持ちにさせられるのである。

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2009年12月22日 (火)

無料法律相談その1

 ここ数年、無料法律相談を担当していない。
 京都弁護士会では、区役所などで開催されている無料法律相談をすることが原則として義務化されている。ただし、老齢、疾病、過疎地での法律相談(弁護士会主催も含む)をする場合には、無料法律相談が免除されるのである。
 私は過疎地相談をここ数年担当しているので、無料法律相談は免除されている。
 今年は弁護士会の役員なので、法律相談はそもそも担当しないのだが。

 無料法律相談は、相当体力と精神力を消耗する。
 無料法律相談ということで、だいたい一相談場所で、3時間あまりの時間に、7~8人は相談を聞く。一人当たり15分~20分という相談時間が設定されていて、その時間内で相談内容を把握し、回答をし、満足してもらえるというのは中々難しい。
 ただ、若いうちは法律相談を多数回こなすことで経験が得られるので、積極的にやった方がいいと常々言っている。

 無料法律相談には、困った人もやってくる。
 ご本人たちは必死なのだが、必死な内容を20分で何とかしてあげられるわけもない。

 一度、耳が遠い高齢の方の相談を聞いていたことがあった。この人はほとんど聴力がないようで、しかも大量の資料を用意しておられて、常連であったため、区役所の人も心得ていて、毎回私に当てるのである。そして、前回はここまで聞きましたよね、と遠大な物語を区分けにして聞いて、時間がオーバーすると区役所の人が呼びに来て、「また次回に聞いてもらいましょうね」と諭して次回となるのである。
 一度、この人にとって私がいいことを言ったのか、補聴器の耳に入れている方を抜いて、マイクのように差し出され、「もう一度言ってくだされ~」と言われたが、補聴器の耳に入れる方は音を拾う方ではないから、そこに言ってもこの人には余計聞こえないはずなのだが、仕方がないので声を張り上げて答えてあげたりしていた。
 ただ、区役所の相談は一年で交代なので、話が佳境に入ったところで、その区役所の相談は終わってしまったので、とうとうその人の本当に聞きたいことは相談出来ずじまいであった。
 つづく。

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2009年12月21日 (月)

読書日記12月21日

「川釣り」岩波文庫。井伏鱒二著。
 釣り好きの井伏鱒二による、川釣りに関して書かれたエッセイ集。井伏鱒二も膝が悪かったというくだりを読み、私も膝が悪いので親近感を覚えたりした。釣りのことを空想して仕事が手につかなかったり、釣りに行って変な若者に白髪を釣り糸代わりにするのだと言って抜かれたり、知らずに密漁をして偉そうにしかられたことに対していつまでも怒っていたり・・・。井伏鱒二という作家に親近感を覚えてしまう作品である。

「高熱隧道(こうねつずいどう)」文春文庫。吉村昭著。
 黒部第三ダム建設にまつわる技師たちの苦闘を描いた作品。トンネルを掘り進めるにつれて上昇する岩盤温度。160度をも越え、人間が作業する限界を越えた労働環境の中で、大金をつかむために作業をする人夫たち。人夫たちの命をもかえりみず、技師としての熱意からトンネルを掘り進める技師たち。登場人物は架空であるが、内容は実際の話である。このような悲惨な工事があったのかと思うと、先人たちのすさまじいエネルギーを感じる。これは無茶苦茶おもしろい作品。

「十万分の一の偶然」文春文庫。松本清張著。
 長編ミステリー。アマチュアカメラマンによって撮影された交通事故現場の写真。年間の報道大賞を受賞したが、あまりにも事故直後であったがために、様々な疑惑や憶測を呼ぶ。事故は作り出されたものなのか。アマチュアカメラマンの狂気による自作自演なのか?
 内容的には他の名作と呼ばれている作品と比較すると、いまいち劣る気が私にはしたが、カメラにとりつかれた人たちの狂気を浮き彫りにしたという意味では佳作であろう。

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2009年12月18日 (金)

メーリングリストの功罪

 メーリングリストは、手軽に連絡や意見交換が出来る場として有用であり、弁護士業務に関しても多くのメーリングリストが出来ている。
 日弁連の消費者関係のメーリングリストは長らく加入していなかったのだが、毛嫌いするのもよくないかと思って、14年目の先日加入した。日弁の臨時総会でパソコンを持っていっていて、その場から日弁に加入依頼をしたのである。
 日弁の事務局は仕事が早く、すぐにメールが来るようになった。

 しかし、メーリングリストの内容を見ると、大半が、「これこれの業者の口座を知りませんか。知っていたらメールください」「これこれの業者に関して情報があったらメールください」という、自分で努力をしないで、相手から有益情報を引き出そうというものであり、失望した。

 まず、ある会社に対して判決を取って、口座を知っている場合、自分の依頼者からすれば、他の弁護士の依頼者から差し押さえが来て競合すれば、取り分が減るという関係にあるのである。弁護士にとってもっとも重要なのことは、自分の依頼者の利益を守ることであり、ホイホイと、「この業者の口座ここにあるよ」ということなど教えるはずがないのである。
 また、こうした情報提供を求めている人に共通していることは、全く調べた形跡がないことである。これこれこういうことをして、ここまで自分で調べたのですが、分からないので教えてくださいというならまだ分かるが、「とりあえず分からないし、メール流そう」というようにしか見えないのである。
 弁護士が自分で調査をしなくなってどうするのか。
 情報提供もしかり。
 たまたま情報がないからと言って、すぐに流すのはどんなものであろう。他の調査手段を尽くして、どうしてもないときというのであれば分からないではないが、これについても、「とりあえずメーリングリストで聞いてみようか」程度のにおいがプンプンするのである。
 気質が軽いというのか、「調べる」能力がないのであろうか。
 若手弁護士がこんなことでは、先が思いやられるのである。

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2009年12月17日 (木)

ヤミ金融を避ける弁護士

 借入先にヤミ金融があると、「面倒くさい」と言って避ける弁護士が割合多い。
 

 私の事務所では、ヤミ金融から借り入れがある方の事件を受けると、事務員に受任通知を送るので連絡先を教えて欲しいという電話をかけてもらい、もめるヤツだけ私が出て話をするようにしているが、平成14年くらいの頃はすべてのヤミ金融が文句を言って来たので、電話応対の手間が大変であった。
 その後、ヤミ金融を取り締まる法律等々が整備され、警察も当初は、「借りたものだから、民事上の争いだし・・・」ととりあってもらえなかったが、今では対応してくれるようになっている。
 時代背景を受けて、今では私が電話に出ないといけないような例は減ってきている。
 ヤミ金融もおとなしくなってきたのである。

 まあ、昔はひどく、受任の電話をしたらピザ屋から50人分ピザが届いたとか、当該事務所が火事になっているという虚偽の電話をヤミ金融がして消防車が来たとか、地場(東京や福岡等、遠方で電話と電話での脅しで貸し付けて回収するのではなく、地元にいるヤミ金融)の場合だと、債務者(ヤミ金融からの借り入れは返済義務が法律上ないので、債務者と言ってよいかどうかは微妙だが便宜上こう呼ぶ)のマンションのすべてのポストに「○○号室の誰それは、金を借りて返さない極悪人です」というビラを入れたりだとか、ひどいものもあった。
 電話口で、「返さないってどういうこと?あんた、うちの金摘ませて、自分の費用にしたんじゃないの?弁護士は法律家でしょ?法律家がそんなことさせるの?モラルがないよ。」等々延々と自説を述べるヤミ金融(マニュアルがあって、そういえと言われているのである。声はたいてい若い。)とか、女性弁護士だとセクハラ発言をするとか、まあしつこかったもんである。
 そのときの情報だけがあるのか、若手弁護士がヤミ金融があると逃げ出す時がある。
 ややこしい仕事をしないで逃げるというのでは、法律家を目指した時の気持ちは何であったのであろう。
 こまっている人を助けたり、何らかのやりがいをそこに見いだしていたはずである。
 もちろん受けてはいけない事件もあるであろうが、事件から逃げるのはよくないのである。

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2009年12月16日 (水)

重症な肩こり

 過労状態が続いてるので、重症な肩こり(正しい日本語ではないであろうが)である。

 肩こりがひどくなると、頭痛がして、めまいがしてくる。私の肩こりは前にも書いたが相当ひどいもののようで、たいていの自称肩こりの人も私の肩を触ると「何コレ!!」と目を丸くする(まあ自慢にも何もならないが)。

 市販の貼るタイプの鍼を貼ってみたり、マッサージチェアでもみほぐそうとしたり、快癒器で背中を押したり、ストレッチをしたりするのだが、根本的に良くはならない。
 市販の鍼は貼らないよりは貼る方がましのようである。ただ、貼っていることを忘れて数日取るのを忘れることがあり、これは衛生上よくないであろう。
 マッサージチェアは、日々進歩を遂げていて、少し前に弁護士会の行事で泊まった宿に置いてあったチェアは、私の持っているのと同じメーカーのものであったが、新しいためもみ具合が格段によかった。しかしかさばるし、値段も張るのでそうそう買い換えは出来ないであろう。
 快癒器は、ツボを押す器具であり、快癒器を自分の体の下に入れて、突起で自分の体重で背中のツボを押す仕組みであり、これは相当気持ちがいい。
 ただ、やっているうちに寝てしまうことがあり、そうした時には逆に起きた時にずっと刺激されていたところの部分が痛くて仕方ないことになる。
 ストレッチも最近信じられないくらい体が硬くなっていて(たぶん70歳くらいの硬さという判定が出ると思う。誰がどういう判定をするかはよく分からないが)、筋をのばすのに苦労する。
 マッサージに行きたいのだが、その時間的余裕もないのである。
 美容院にも行けていないほどであるし、肩こり解消のためにも、髪の毛をすっきり切りたいものだとも思うのである。
 何も結論めいたこともないが、肩こりに苦しんでいる人は多々いるであろうし、皆さんはどんな解消法を持っているのかと時々思うので書いてみた。

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2009年12月15日 (火)

弁護士1年目はとかく体調を壊しがち

 先日、京都のある事務所で事務員をしていて、司法試験を志して合格し、今東京で弁護士をしている女性から仕事のしすぎで体調を壊したというメールをもらった。
 彼女は女子ラグビーをしていて、体力には自信があったのですが・・・、ということであった。

 弁護士の仕事は他の仕事と質が違うので、受けるストレスも質が違う。じわじわと効いてくるのである。体力に自信があっても、体をこわしている人は多い。ややこしい相手方に対して対峙するには、気力、体力が充実していなければならないので、体力は当然だが、精神力も必要である。

 1年目は仕事に慣れないので、体調を壊しがちであるといえる。
 私も過去にはずいぶんと無理をしてきた。一度事務所の仕事で札幌出張が入っていて、証人尋問であった。札幌まで行く予定は中々取れず、変更はきかないような裁判で、かつ、泊まりであったので、そのときには高校時代の仲のよかった友人が札幌に転勤で居たので、会う約束までしていた。しかし、発熱していて、39度5分の熱があった。

 ふらふらになりながら、前日友人と食事をして(熱があることは言わずに)、翌日朝から長い尋問をして帰ってきたが、どのようにして帰ってきたか後に正直なところ記憶がない。
 翌日、熱は40度近くなり、医者に行くと、「肺の音がおかしい」と言われ、レントゲンを撮ると肺炎になりかけであった。
 入院して点滴をした方がいいと言われたが、入院はいやだとかたくなに拒否をして、一日だけ休み、抗生物質をもらって飲んだところ、これが劇的に効いた。
 それまであまり抗生物質のお世話になったことがなかった為であろう。
 二日目には熱が38度代になったので出勤して仕事をし、なんとか乗り切ったような記憶がある。
 もっとも、親知らずを抜いてからは39度台の熱が出ることはなくなり、たいてい38度台前半くらいでとまっている。親知らずのところに潜んでいるばい菌が扁桃腺を腫らしていたのである。

 今はぜんそく持ちだということが判明したので、過労には気をつけているが、ここ一月ほどまともに休めていないので、気をつけなければいけない。
 弁護士会の行事が続き、かなりハードであったが、あと4ヶ月、体調を壊さず副会長職をまっとうしたいものである。

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2009年12月14日 (月)

読書日記12月14日

「この国のかたち 1」文春文庫。司馬遼太郎。
 司馬の日本国を考えるエッセイ集の1巻だが、晩年が近づいてきて、国を憂える気持ちが強く出ているエッセイとなっている。晩年になって司馬は、自分の小説等は、22歳の自分に対する手紙(満州で戦車部隊に配属され、いつ死んでもおかしくなかったという極限状態)だというようになるが、このエッセイでもそのようなことを書いている。福田みどり婦人は別のところで、晩年になってからああいうことを言う司馬がいやだったというようなことを言っておられるが、司馬作品を通じて思うのは、晩年になってから司馬が後付で作った理由ではなかろうかという気もするのである。若干引用が不正確かもしれない点はご容赦されたい。

「棄霊島」(上)(下)文春文庫。内田康夫。
 浅見光彦シリーズの最新文庫版ということで、贄門島と対になる作品だという内田の作者の作品解説を見て購入。内容的には、やはり松本清張や横溝正史にはほど遠い内容だが、疲れている時にはこれくらいの気軽に読める作品の方が肩が凝らない。

「宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編集(中)」文春文庫。松本清張。
 過去に読んだ作品もあったので、それはぱらぱらとめくって筋を思い出して飛ばしたが、いくつか読んだことのない短編も入っていた。
 清張の作品はやはりすごい。人間の欲望や追い詰められた時の行動、悪意等々参考になることがちりばめられている。若くて経験のない弁護士は清張の作品を少なくとも30冊くらいは読むべきであろう。最近本棚でも清張の作品が生誕100周年ということで並んでいるので手軽に手に入るのもありがたい。
 作品の中では、「書道教授」という作品がもっともよかった。短編というより中編なのだが、追い詰められたエリート行員の行為と、彼が習っている書道教室の謎とがあいまって、深みを出している。
 清張の作品は読後充実感とともに、どっと疲れてしまう。

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2009年12月11日 (金)

出張その2

 出張といえば、私はあまり出張をしたからといって観光などはしないのだが、歴史スポットがある裁判所の時などで、早く帰ってもどうせ仕事が出来ない時間帯にしかならない時は観光をして帰っていた。

 長野地裁に行った時も早く帰っても仕事が出来る時間帯にならないので、タクシーを貸し切りにして、観光スポットを回った。
 長野は上杉謙信と武田信玄が激突した川中島の戦いの場に近いのである。
 善光寺に参って、その後川中島へ向かう。
 現地について、上杉謙信が布陣した妻女山を眺望し、川中島の意外な狭さに驚く。こんなところで万を超える人数が戦いあったとはとても信じられない。
 川中島に眠る越後軍と甲州軍の侍たちの霊に祈りを捧げつつ、川中島神社にお参りをして、お守りを購入した。これは今でも私のカバンにお守りとして入っている。
 その後、真田資料館があるというので向かったが、残念なことに真田資料館は定休日であった。
 あまり時間もなかったので、そのうち旅行をして、あのあたりを回りたいと思っているのである。

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2009年12月10日 (木)

出張その1

 勤務弁護士の頃は、日本全国に支店がある企業の顧問をボスがしていたので、日本全国に飛び回っていた。
 出張に次ぐ出張で、よく仕事が回っていたなと思うことがある。
 しかも、当時はメールとかPDFとかもなかったのである。

 先週の金曜日に日弁連の臨時総会に副会長として出席したが、その間、定時に事務所から用件やファックスの概要をメールしてもらい、その都度欲しいファックスはPDFにしてメールに添付して送ってもらっていた。事務所に来ている情報がほぼ分かるのである。
 パソコンを持ち歩いて、ネットに接続できる世の中になったので便利である。
 私も過去出張の時にパソコンを持ち歩いたことはあったが、ネットが普及していない時代ではそのようなことはとても出来ず、せいぜい間に合わない書面をホテルや列車の中、あるいは空港の有料待合室で作成することくらいであった。
 時代は変わったもんである。

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2009年12月 9日 (水)

普段着

 私は普段着にはほとんどこだわりがなく、ジーンズ(最近はリーバイスの501ばかり履いてている。フロントにジッパーがなく、ボタンで留めるヤツである。)にシャツを着て、その上からサッカーをするときのスポーツ用のジャケットを着るかフリースを着て、ダウンジャケットか仕事で着ているコートを着るくらいである。
 夏場はもっとひどく、特にここ近年はサッカーのパンツにサッカーシャツ、裸足にサンダルという出で立ちであった。休みの日に仕事に何回か来た時もたいていこれであった。おかげで、足はサンダルの形に日焼けをして、編み目のようになっていて、何か病気の足のようである。
 たまに休みの日の会合に行くと、普段着からキメている人がいて、「スゲー」と思うのである。普段着に力を入れるという選択肢が私にはないからである。

 伊勢丹などで買い物をしていても、普段着を買うことはほとんどなく、基本的に仕事着しか見ない。仕事のドレスシャツ、靴下、ネクタイ、スーツ、コート、仕事用の靴等である。
 普段着はおそろしく買わないので、先日廃棄したフリースは修習生時代に2980円で埼玉県和光(司法研修所があるのだ)の駅前で買ったものを13年くらい着ていた。さすがに薄くなり、破れたので捨てたが、普段着の購入頻度はきわめて低いのである。

 冬場に着ているシャツやフリースがくたびれてきたので、どうしようかと悩みつつ、普段着の購入の優先順位は私の中できわめて低いため(その前に美容室に行かないといけないのである。7月29日から髪を切っていない。)、なかなか買いに行こうという気にならない。

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2009年12月 8日 (火)

ワカサギの穴釣り

 釣りのことを書いたので、私が札幌修習でした釣りでもっともおもしろかった釣りのことを書きたくなった。
 それはなんといってもワカサギの穴釣りである。

 ワカサギの穴釣りの情報を仕入れて、ワカサギの竿とえさを釣具屋で買い、目当ての湖に向かった。湖ではひとしきり釣られた後のようで、穴がたくさん空いていた。
 確かひと穴500円だったように思うが、当時は金がなかったので、人が空けて凍りきっていない穴に三名で竿を出した。
 ちなみに、氷は数十センチの厚さで張っているので、手で穴を空けることはとうてい出来ず、湖で穴を空ける人がいて、ドリルで穴を空けてもらうのである。この穴空け料金が500円なのである。
 ワカサギ釣りになれている人は、テントを湖の上に持ち込み、暖房器具も持ち込むのだが、知識も金もない我々がそのような道具を持参しているはずもなく、1時間も釣ると体の芯から凍えてきた。
 それでも、テレビでよく見るあの風景で、小さい竿をあげると、ワカサギが釣れていたりして、1時間の間に三名で20匹弱のワカサギを釣り上げることが出来た。釣り上げたワカサギは、氷の上に落とすと、自然に凍っていく。

 凍えた体を自動車の暖房で温めつつ札幌に戻り、修習生のY崎さんの自宅でワカサギの天ぷらを作ることにした。
 これが抜群に美味いのである。店で出てくるのとは違い、やはり自分たちで釣り上げたというところが違うのか、ものすごく美味い。5、6匹ずつしか食べられなかったが、この味も忘れられない。
 今も居酒屋でワカサギを食べることがあるが、あの味にはほど遠いのである。

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2009年12月 7日 (月)

渓流釣り

 まだまだ解禁には間があるが、今年の春は久しぶりに渓流釣りに行きたいと最近思っている。
 釣りキチ三平を読んでいたころは、イワナやヤマメ(アマゴ)は幻の魚で、深山山奥に行ってようやく釣れるかどうかというような魚であった。
 イワナの塩焼きには、当時子どもでそれほど魚が好きでない私もあこがれたものである。

 実際に塩焼きにすると、アマゴもイワナもとつてもなく美味い。特に炭火で焼いたものは絶品で、イワナの骨を入れた「骨酒」も絶品である。
 乱獲につぐ乱獲で絶滅の危機に瀕したが、養殖技術が発達して、今ではたいていどこの川でも釣れる魚になった。
 とはいえ、ネイティブに近いアマゴやイワナは警戒心が強く、中々釣れない。
 

 私が釣りたいのは、発眼卵(受精して、もうすぐ幼魚が生まれることがわかっている卵)を川にばらまいて、その発眼卵から育ったイワナやアマゴである。これだと、幼魚から川で育っているので、ほぼネイティブに近い。
 成魚まで養殖されたものは、警戒心が薄く、すぐに釣れるし、いけすの中で育ったので、他の魚と擦れ合ってヒレがすり切れていることが多い。
 渓流の解禁日(渓流の資源を保護するために、漁期が決められているのが普通である。違反すると、たいてい条例で罰金刑くらいにはなる)に、横で漁協がどぼとぼと成魚を放流している横で釣り人が群がって何十匹も釣り上げている光景をテレビや雑誌などで見ることがあるが、あれはもはや自然の中での釣りではなく、釣り堀で釣っているのと変わらないであろう。

 とはいえ、副会長職は3月末日までなので、中々釣りにはいけないかもしれない。

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2009年12月 4日 (金)

読書日記12月4日

「ウィチャリー家の女」ハヤカワ文庫。ロス・マクドナルド。
 ここのところは推理小説ばかり読んでいた。仕事や会務で頭を使うことが多く、そういう時は推理小説が気楽に読めてよいのである。
 ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーとハードボイルドの三大巨匠といわれるロス・マクドナルド作品は前から気になっていたのであるが、中々読む機会がなかった。
 どんでん返しにつぐどんでん返しあり、主人公のリュウ・アーチャーのタフネスぷりといい、ぞんぶんにハードボイルドを堪能出来る作品である。

「贄門島」(上)(下)文春文庫。内田康夫。
 大学生の頃に読んでいた浅見光彦シリーズがふと読みたくなって(というのも内田康夫の作品はプロットが単純なので気楽に読めるので)、なんとなく横溝正史風な島をモチーフにした作品であったので購入。
 筋書きじたいはどうということもないが、主人公の浅見光彦がうまく作り込まれているので、ほほえましく読んでしまうのがこのシリーズの特徴である。

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2009年12月 3日 (木)

全国法曹サッカー大会その4

 2日目はマスターズチームは午後からの試合である。
 ヤングチームは東京1とである。東京1にはピンクが似合う男、京都修習で関西カップだけは京都から出場するが東京1で不動のボランチ金子選手がおり、皆でかくて上手いので強敵である。是非、これに勝利して3位を決めたいところであったが、フォワードの山田選手に対するファール覚悟の徹底的なマークと、堅い守りでこちらの方が押していたのだが、敗戦した。
 

 こうなったらマスターズが10位を狙うしかない。
 横浜2は、ロースクール生を多数擁しており、その前の試合を見ている限り中盤が上手くて速い。
 システムを変え、私のワントップ(フォワードの大塚選手が負傷欠場であったのである)にして、攻乗り切る覚悟の上で、ダブルボランチにして中盤を厚くし、カウンター主体の攻撃で乗り切る作戦とした。
 前半は0-0。相当危ない場面もあったが、キーパーの藤川選手のナイスセービングと、体を張ったバック陣の粘りで何とかしのぎきった。
 私も何度か裏を狙うが、中盤で相手の中盤の選手の寄せが速く、私に決定的なパスを出させてくれない。何度か走り合ったが、いいパスさえ出れば走りあいでは勝てそうであるる。

 前半、左サイドに流れた髙山選手がドリブルに入る。足を痛めていたが、私がテーピングをしてあげて、何とか走れる状態になっていた。私はゴール前に詰めた。私の動きに相手のバックが2枚釣られてついてきた。そのため、一瞬、高山選手のマークが2枚から1枚になり、ドリブルで縦に抜け出し、角度のないところからシュート。これが相手のキーパーの逆をついてゴール右隅に。カウンターが成功した。1-0。

 その後攻められるが、私がワントップで前線に残り裏を狙う攻撃をしかける。何度も裏を狙い走り続け、体力は削られ、息があがるが、フォワードの選手は私以外いないのである。
 相手のうったミドルシュートがキーパーの頭上を越えてコールイン。同点にされてしまう。
 その後も相手は若いロースクール生を中心に攻め立ててくる。こちらはロースクール生は厳密な意味では法曹ではないという考えからチームには入れていないが、耐えに耐える。
 キーパーの頭上を越えた球を吹田選手が見事なヘッドでゴール前に飛び込んでクリアするなど、奇跡的な守り。
 しかし、後半、とうとうゴールをこじあけられて、2-1と逆転を許す。
 負ければ終わりなので、ダブルボランチから2トップにして、攻めを急ぐ。
 2トップにしたことで、何度か攻め上がる。
 縦に出たボールを右サイドハーフの市原選手にはたくが、市原選手も攻撃の芽を何度も摘み取っていたため、疲労して走り込めなかった。
 福井選手が右サイドを突破して、右サイドハーフの市原選手から私にセンタリングが上がるが、弾道が低く相手のディフェンスに止められてしまう。
 終了間際、ここまで踏ん張っていたバックの赤井選手がPKを与えてしまう。これを決められて3-1。攻めた結果であるので仕方がない。
 そして終了のホイッスル。
 負けはしたが、皆集中してよく守ったし、少ない攻め上がりの中、1点をもぎとった。
 京都にはロースクール生もたくさんいるので、勝ちにこだわればロースクール生を多数連れて行くという選択肢もあるかも知れないが、そこをしないでマスターズが2勝したというのは大きい。
 ヤングチームは今回合宿で連携が取れておらず、関西カップと合宿で連携を図れば、次年度は必ず優勝争いに絡んでくるであろう。
 応援してくれた皆さん、マネージャーの皆さん、ありがとうございました。
 まだまだ引退をする気がない39歳である。

 ちなみに、決勝は横浜ヤングと東京マスターズで、0-0からPK戦の末、東京マスターズが優勝した。

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2009年12月 2日 (水)

全国法曹サッカー大会その3

 恒例で、初日の夜には懇親会がある。300名を越える参加者があり、京都弁護士会からもサポーターがかけつけてくれた。

 この懇親会会場で、衝撃の事実が発覚した。京都マスターズのマシュー選手は、自宅(名古屋)からレガース(すねあて)をつけて、更にスパイクを履いて新幹線で来て、普通の靴を持って来ていなかったのである。さらに、ベンチコートの下はユニクロの下着で、その上にユニフォームを着れば、すぐにサッカーが出来る状態でいたのである。彼は毎年忘れ物をするので、忘れ物をしないよう、そのままの格好で来たのである。さすが合宿の日を間違えた男である。
 さらにすごいことに、マシューはご飯を普通に食べて座っていたところ、突然足が攣ったのである。何もないところで足がつる男マシュー。彼は足がつった後、「最終準備書面を書かないといけない」と、2日目の試合に出ずに滋賀県を後にした。
 恐るべしマシュー。

 翌日も試合があるため、部屋で少し飲んで、12時には眠りについた。「12時なんて時間には寝られないっスよ~」と言っていた私の弟子の水島選手(西村あさひ法律事務所の渉外弁護士である)が、誰よりも早く話をしている間にすやすやと寝てしまった為、12時に寝たのである。

 2日目は京都チームは試合開始がゆっくりであったので、皆早起きせずとも済むため、リラックスした夜であった。

 つづく。

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2009年12月 1日 (火)

全国法曹サッカー大会その2

 九州選抜戦で左サイドハーフとして期待していた山根木選手が負傷しており、その後山根木選手は足首の靱帯断裂という重症と判明した(昨日手術をして、無事成功したそうであるが、復帰までには相当時間がかかるであろう)。彼を欠いての戦いとなった。私もここまで九州選抜戦でシュート一本と、ふがいない結果である。何としても勝ちたい。

 広島の主将とは軽口をたたき合う中であるが、試合となれば真剣そのものである。
 前半終了間際、攻撃の要のトップ下として活躍していた髙山選手が太ももの軽い肉離れ的な症状でリタイア。私も前半終了間際からフォワードとして入るが前半は攻め手を欠いて0-0。

 後半に入ると、両方のチームも1日3試合目、しかも20分ハーフということで、疲労の色が濃い。
 右サイドに流れた私にフォワードの大塚選手よりパスが出る。これら走り込みニアサイドに低い弾道でセンタリング。しかし惜しくも大塚に合わない。
 時間がなくなってきた後半15分。左サイドを突破した福井選手。私もゴール前に詰める。福井選手はそのままシュート。そのシュートが相手のキーパーの手をかすめて右サイドネットに突き刺さる。1-0。そのまま逃げ切って、11位以内を確定した。

 ヤングチームは更に試合があった。相手は東京2。キーパーに過去社会人1部リーグでベストキーパーに選ばれたこともある選手を擁していて、得点するのは至難の業である。
 前半、早い時間帯で、不運にもこぼれたボールが相手のフォワードの前に転がった。キーパーの安田選手の懸命の飛び出しにも関わらず、決められてしまう。
 必死の攻撃陣、守備陣。しかし、更に後半に1点を追加され、3位を狙うしかなくなってしまった。

 明日はマスターズチームは10位、11位決定戦に、ヤングチームは3位以内を狙っての戦いとなった。

 その夜には懇親会があった。
 そして、その懇親会で、伝説を残した男がいたのである・・・。

 つづく。

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